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私たちと社会と倫理学の関わり
本書では、前半に倫理学や代表的な倫理理論について詳細に解説し、後半に人と人、人と人の体、人と人でないものという3つの観点で現代における様々な問題について考えていく。国家や市場と私たちの関係から、クローン技術やAI、遺伝子についての最先端な問題まで、多様な視点から現代社会における問題を考察している。
まえがき
倫理と聞けば、「それは大切なことです」と応じるひとは多い。たとえば、遺伝工学の新たな技術の利用の是非が問われるとき、しばしばテレビのニュース解説や新聞の論説では倫理的指針の必要が説かれる。倫理とは、社会生活のなかでなすべき行為、してもよい行為、してはならない行為を示すルールのことだと一般には理解されているようだ。だがそれなら、倫理は法とどう違うのだろう。同じではなくても、無関係でもなさそうだ。
その一方で、「倫理ってほんとはよくわからない」というひともいるかもしれない。これもまた率直な感想だと思う。学校で教わったことを手がかりにしても、「倫理と道徳ってどう違うの。中学校までは道徳を習うけど、高校で習うのは倫理だよね」と別の疑問が生まれてしまう。その違いはおそらく倫理学と無関係に、文部科学省が立てた区別である。
この本では、初歩の問い――といっても、そのいくつかは相当に倫理学に親しんでからようやく答える手がかりが見出されるような問いだけれども――から出発して、倫理学という学問からみたときに目の前に広がる領野をめぐり歩くことにしたい。
第1章では、まず「倫理とは何か、倫理学とはどういう学問か」を説明する。
それは、この領野の旅行案内書であり、この領野に立ち入るためのパスポートである。
通常の旅行案内書でも、「こんにちは」「ありがとう」程度のその国のことばやその国では気をつけねばならない作法を教えている。ここで訪ねる先は学問だから、そこで使うことばや考え方を知ることは通常の旅行以上に重要である。その知識なしには、この領野に聳え立ついくつかの城―――倫理理論――を見物することすらままならない。
他方、城のなかで仕事をする者たちも空中楼閣に住んでいるわけではなくて、飲み水は井戸から汲む地下水に頼り、食糧は城の足元から城外に続いて広がる大地からまかなっている。学問の城にとって、飲み水や食糧を供給するその大地とは、ひとの暮らしである。
しかも、一般の人びとがそこに住まうこの領野は倫理だけが影響力をもっているわけではない。他の諸力も人びとの行動を導いて、ある場合には人びとを保護し、ある場合には規制している。そうした諸力の例には、法、政治、経済、宗教が挙げられる。種々の法理論が築いている城の一群、政治理論の城の一群、経済理論の城の一群、諸宗教の城の一群をこの本のなかで案内することはもとよりできないが、少なくともそれらの力と倫理の力とが、どこでつながり、どこで切れているのかといった大まかな素描をすることはできるだろう。いわば、倫理学の城の一群が占めている一帯から法、政治、経済、宗教の城が立っているそれぞれの一帯の山容を遠望するようなものである。
第2章では、理論によって構築された倫理的立場の、目立って屹立している五つの城をめぐり歩く。その五つの城とは、建造時期の早い順でいえば、徳倫理学、社会契約論(リベラ リズムに通じる)、共感理論、義務倫理学、功利主義である。
ただし、案内人の判断で建造順にとらわれずに、相対的にみてやや手近な位置にある城を順に訪れ、そのあとにかなり離れた別の城に向かうこととする。その順は、社会契約論、義務倫理学、功利主義、共感理論、徳倫理学となる。最後に、一国の王城となるのか、それとも特異なたたずまいの城砦程度のものにとどまるのかがまだ不明の、責任とケアを基礎とする倫理理論を訪れる。城と城とのあいだの位置関係を把握する地図は、第1章で行なう倫理規範のグルーピングに用意してある。
第3章以下では、人びとがその暮らしを営んでいる領野のなかに、倫理学の望楼からみるとどのような問題が発見されるのか、どのような立場や考えのひとをどの城(倫理理論)が加勢し、あるいはまた、抑止しようとするのかをみていこう。
第3章では、ひととひととの関わりから生じる問題領域として、市場、国家、戦争をとりあげる。これらの話題は倫理学というよりも政治哲学に属すると思われるかもしれない。しかし、第1章で、倫理・法・政治・経済がひとの暮らしという共通の領野に別々のしかたで、しかも相交錯しながら関わっていることを説明したその連関から、右の三つのテーマに(倫理学がその一分野である)哲学の、基礎から考えるアプローチによってとりくむこととする。
第4章では、ひととその体というテーマを扱う。近代以降の科学とそれにもとづく技術は、人間の外に広がる自然を操作するのに飛躍的な進歩を遂げたが、その操作は人間のなかの自然、すなわち体にも適用される。こういうと体は対象化され、「私は私の体をもつ」といいたくなるが、他方で「私の体は私そのものだ」ということも実感される。本章では、インフォームド・コンセント、安楽死、生殖技術の問題にふれるが、生殖技術の問題から派生して最後に、今生きている現在世代はこれから生まれてくる未来世代にどのように対しあうべきかという未来倫理学をとりあげる。
第5章では、ひととひとではないものとの関係を問う。最初に人間以外の自然との関係を扱う。次に、(とりわけ人工知能搭載の)ロボットをとりあげる。これまで人工物は倫理的考察の対象にはならなかったが、人工知能を搭載すると何か変わるのだろうか。最後に、人間よりも知的にも道徳的にもはるかに高い存在者を想定してみたい。SFじみた話題で、面食らう方もおられるかもしれない。
第6章では、この想定の意図を説明し、本書全体の話の流れを顧みることにしよう。
本書が倫理学の旅行案内書として読者のなにがしかの参考となることを著者として望んで いる。
目次
まえがき
第1章 倫理とは何か。倫理学とはどういう学問か。
1 倫理と倫理学
倫理と道徳とを区別する
ひとと「一緒」の二つの意味――共同体と社会
倫理と道徳は重なり合う
倫理的判断の普遍妥当性要求
倫理について考える学問、倫理学が、なぜ必要か
倫理学の三つの部門――規範倫理学、記述倫理学、メタ倫理学
善と正との違い、権利と義務の対応・非対応
倫理規範をグルーピングする
2 法・政治・経済・宗教と倫理
law of nature――どう訳すか
法は必ずしも倫理と一致するとはかぎらない――法実証主義
法と倫理についてのまとめ
政治は力だ――パワー・ポリティクス
政治は力か――言説空間としての政治
政治と倫理についてのまとめ
商品、財、経済的人間
市場での取引の背景には人びとの暮らしがある
経済と倫理についてのまとめ
神が命じるから正しいのか、正しいから神が命じるのか――プラトン
宗教と倫理についてのまとめ
第2章 代表的な倫理理論
1 倫理を作る――社会契約論
万人の万人にたいする戦い――ホッブズ
労働から所有が発生する――ロック
不平等の起源と一般意志――ルソー
不平等は最も恵まれないひとの状況の改善に役立てられねばならない――ロールズ
市場での契約こそが自由を実現する――リバタリアニズム
倫理理論としての社会契約論
2 人間の尊厳――義務倫理学的
自由は、理論理性では、したがって科学では証明できない
傾向性の支配からの意志の自由すなわち自律――カント
人間の尊厳と理性の事実
道徳はコミュニケーションによって基礎づけられる――討議倫理学
倫理理論としての義務倫理学
3 社会全体の幸福の増大――功利主義
最大多数の最大幸福――ベンタム
他者危害原則――J・S・ミル
行為功利主義と規則功利主義
倫理理論としての功利主義
4 他者への共感――共感理論
倫理の基礎は感情にある――ヒューム
誰もが共感能力をもっている
倫理は自然のなかに根ざしている――ヒトとチンパンジーの違い
倫理理論としての共感理論
5 善きひとになるための修養――徳倫理学
普遍的な原理と徳との違い
徳の修得は技術の体得に似る――アリストテレス
共同体主義と徳倫理学
近代の倫理理論と徳倫理学との反転関係
倫理理論としての徳倫理学
6 付論。責任やケアにもとづく倫理理論
今生きている者は未来世代にたいする責任を負っている――責任という原理
人間の傷つきやすさ――ケアの倫理
倫理理論としてのケアの倫理
第3章 ひととひと
1 市場
一人前の職業人となる物語とその崩壊
グローバリゼーションと倫理――自由と自己責任
しかし、グローバリゼーションに合った別の倫理的な変化がありうるかもしれない
市場だけで社会が成り立つわけではない
2 国家
再分配システムとしての国家
運平等主義とベーシック・インカム
助けを必要とするひとを助けるひとも助けを必要としている――ヌスバウムとキティ
国家の構成員は、なぜ、どこまで、たがいに助け合うべきか
移民――どう対応すべきか
3 戦争
戦争にも倫理規範がある――開戦条件規制と戦時中規制
自国を維持するとはどういうことか――ルクセンブルクの例
自国民の戦災被害にたいする国家の責任
未済の過去は反復する
他国民や戦争捕虜にたいする強制労働――ドイツの例
他国の民間人を強制労働させた責任
自国の過去を引き継ぐ責任
第4章 ひととその体
1 私の体は私である
ヒポクラテスの誓い――西洋の医の倫理のはじまり
実験医学の誕生――人体実験は許されるか
ナチスによる強制的な人体実験とニュルンベルク綱領
インフォームド・コンセントの成立
世界医師会のヘルシンキ宣言
インフォームド・コンセントの倫理的根拠
2 私の体は私のものか
安楽死度念の多義性
死ぬ権利という横念は成立するか
私の体は私のものか
人格は体にスーパーヴィーンする
3 科学技術による子への操作
技術の制御しがたさ――生殖技術の展開
遺伝的条件による子どもの選別
クローニング技術でひとりの人間を造ってよいか――功利主義と討議倫理学による反論
いったいなぜ、私は他者を必要とするのだろう――デカルトとフッサール
他者としての子ども――レヴィナスとアーレント
4 これから生まれてくるひとのために
なぜ、未来倫理学が必要なのか
正義と権利を基礎とする未来倫理学――アーペルとロールズ
責任を基礎とする未来倫理学――ヨナス
第5章 ひととひとではないもの
1 人間の外なる自然的
環境と自然の区別
苦を感じるものを苦しめてはならない――功利主義の動物倫理学
生態系はまるごと維持されねばならない――レオポルドの土地倫理
自然物は原告になりうるか――ストーンの問題提起
自然における人間の位置――神学・形而上学を背景にした環境倫理理論
徳倫理学による環境倫理理論
2 ひとが造ったもの
機械化と失業――人間のために市場があるのか、市場のために人間がいるのか
AI搭載ロボットを兵士として用いてよいか、よくないならなぜか
製造物にたいする製造者の責任
AI搭載ロボットに子育てや介護を任せてよいか、よくないならなぜか
人工知能の発達と再分配システムとしての国家
3 星界からの客人との対話
「宇宙人」を想定する哲学的意味
星界からの客人との対話
第6章 倫理的な観点はどこからくるのか
審級――倫理的な是非を判定する場
倫理的配慮の拡大と新たな審級の設定
AI搭載ロボットや宇宙人は新しい審級を形づくるか
倫理的な観点はどこからくるのか
あとがき
参考文献
図表作成/ヤマダデザイン室