官僚たちの冬 ~霞が関復活の処方箋~

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霞が関の実態に元官僚がメスを入れる

公務員改革(霞ヶ関改革)の部分が、筆者の専門・実務経験者でもあるので、より濃密に書かれている。官僚OBによる内幕本や、ジャーナリストによる天下り叩きとは一線を画す、霞が関研究書です。

田中 秀明 (著)
出版社 : 小学館 (2019/2/1)、出典:出版社HP

目次

はじめに

第1章 ジャパン・アズ・ナンバーワンから失われた20年へ
戦後復興と官僚たちの夏/海外からの過大評価/バブル経済と日本経済の凋落/大蔵省接待汚職/鉄の三角形/与党・官僚内閣制/政界再編と選挙制度改革/橋本政権の「行政改革会議」/官僚の抵抗/小泉政権の衝撃/内閣府官僚の台頭/公務員制度改革は先送り/脱官僚・政治主導を掲げた民主党政権/なぜ挫折したか/政府をマネージするためには

第2章 安倍政権の光と影
第1次安倍政権の失敗/2度目はスタートダッシュに成功/異次元金融緩和の副作用/2度の消費増税延期/安保法制にも着手/安倍官邸の最高意思決定機関/次々に変わる看板政策/山のような報告書/経産官僚のカルチャー/教育無償化は選挙対策/モチベーション低下と付度/加計学園問題/森友学園問題/政治主導は成功しているのか

第3章 未完の行政改革
昭和の改革/中央省庁等改革を評価してみると/内閣官房と内閣府の肥大化/肥大化への対策/経済財政諮問会議の位置付け/省庁再編の失敗/世界標準から乖離する金融行政と財務省/理念は良かった独立行政法人/曖昧なコーポレート・ガバナンス/JIC高額報酬騒動/アリバイ作りの政策評価

第4章 公務員の「政治化」がとまらない
(1)基本的な仕組み
採用・昇進・退職/公務員の給与は高いか/制度の建前と実態/法的根拠なきキャリア・システム/国家公務員制度の亡霊
(2)改革の経緯と幹部公務員制度
大綱と挫折/国家公務員制度改革基本法を巡る確執/基本法の具体化/幹部公務員制度の仕組み/幹部公務員任命の実態
(3)霞が関の病理
最大の問題/任免プロセスに問題あり/公務員の自意識/東大出身者の減少/キャリア形成に難あり/天下りは必要悪か/再就職斡旋の禁止

第5章 先進国の公務員制度
政治任用か資格任用か/閉鎖型か開放型か/ニュー・パブリック・マネジメント/幹部人事がポイント/米国:幹部は大統領の好き嫌いで任免/フランス:高級官僚は特権を持ったエリート/ドイツ:野部公務員のさらなる政治化/英国:トップ200の育成を重視/オーストラリア:幹部公務員は全て公募/諸外国の経験から学ぶ

第6章 霞が関への処方箋
(1)改革の処方箋
「国士型官僚」から「下請け型官僚」へ/公務員に何をさせるのか/5つの提言/メンバーシップ型からジョブ型へ/省庁再々編/政府中枢の在り方
(2)財務省改革
財務省の不祥事/人事と組織の問題/財政の透明性が低い日本/幹部職員は1年で異動/次官は名誉職/マネージャーであるべき/「財務省再生プロジェクト」の中身/財務省立て直しは3度目/世界標準の財務省へ

おわりに

田中 秀明 (著)
出版社 : 小学館 (2019/2/1)、出典:出版社HP

はじめに

2012年末に発足した安倍晋三政権は6年が経過し、異例の安定を保っている。第2次世界大戦後の総理大臣の通算在職日数では、安倍総理は小泉純一郎を抜き、佐藤栄作、吉田茂に次いで、第3位である(明治以降の歴代では第5位)。こうした政治的な安定は、特に外交・防衛面で評価されており、安倍政権(第2次以降)は小泉政権以上に政治主導を確立しているとも言えるだろう。
しかし、これとは裏腹に、加計学園の獣医学部新設、裁量労働規制に関する労働時間調査、森友学園への国有地売却、陸上自衛隊の日報問題、文部科学省の違法天下りや、大学に便宜を図る見返りに息子を不正入学させる幹部まで現れるなど、行政レベルで問題事案が頻発している。
官僚の不祥事は珍しいものではないが、財務省の事務方トップである事務次官のセクハラ疑惑まで発生すると、霞が関、なかんずく省庁の中の省庁と言われた財務省は一体どうしたのか、疑問に思わざるを得ない。

今や官僚への信頼は著しく低下しているが、1980年代までは、第2次世界大戦後の日本の急速な経済発展の原動力として評価されていた。例えば、四年、米国の社会学者であるエズラ・ヴォーゲルは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と題する本を出版し、長期雇用などの日本型雇用と並んで、優秀な通商産業省や大蔵省の官僚たちが経済や産業を主導し、日本の競争力を高めていると、官僚の役割を絶賛した。
しかし、1990年代初頭のバブル崩壊を契機に日本経済は長期にわたり低迷し、接待汚職など官僚の不祥事も続いた。ヴォーゲルが評価した「優秀な官僚」はどこへ行ってしまったのか。つまり「昭和」は、城山三郎が称したように「官僚たちの夏」の時代。それならば、平成は官僚たちにとって「冬」と言えるかもしれない。

日本経済の低迷は官僚だけの責任ではないとしても、一体なぜ冬になってしまったのか。他方で、小泉政権、民主党政権から安倍政権へ移っていく中で政治主導が強化されていったが、そこに問題はなかったのか。
冬に至った背景の1つには、政と官の関係の変容がある。戦後半世紀にわたり続いた自民党政権では、政と官は、関係業界とともに「鉄の三角形」を形成し、それぞれの利益を拡大するためのパートナーであった。
それは、公共事業の談合などの弊害もあったが、全体としては戦後の高度成長に貢献したと言えるだろう。道路や学校・病院などの公共サービスが絶対的に不足しており、そうしたパートナーシップが供給拡大に寄与したからである。しかし、経済の低迷や官僚の不祥事を契機に、政治による官僚たたきが進み、脱官僚・政治主導の改革が始まる。
最初は、1994年の選挙制度改革と政党助成金導入である。続く政治主導を実現するための改革が、故橋本龍太郎が3年に始めた「中央省庁等改革」である。同改革に基づく中央省庁の再編は、2001年1月より開始。同改革は、中央省庁の再編、内閣機能の強化、行政組織のスリム化などを進めた。
1999年には、公務員の不祥事を契機に国家公務員倫理法が議員立法で制定された。さらに、その後紆余曲折を経るものの、公務員制度改革が進められ、2014年、幹部公務員の一元管理、内閣人事局の設置などのため国家公務員法等が改正され、1990年代から始まる一連の改革はほぼ完成した。政治主導と脱官僚主導を前面に掲げた民主党政権は成功しなかったが、小泉政権や第2次以降の安倍政権は、政治主導を確立したと言えるだろう。それでは、果たして政治主導―その意味するところはひとまず横に置く——は期待した通りに成功しているのか。

6年を超える安倍政権の政権運営をつぶさに観察すると、冒頭に紹介した問題事案だけではなく、成長戦略、地方創生、1億総活躍社会、人生100年時代構想など、重要政策が問題の分析や検証が十分になされないままに次々に入れ替わっており、そのパフォーマンスは手放しで評価できるものではない。
安倍政権では、異次元金融緩和により円安と株価上昇をもたらし、経済は一時的には上向いたものの、潜在成長率は高まってはおらず、社会保障や労働市場、税制改革など、日本の将来を左右する必要な改革や困難な改革は先送りされている。
筆者は、第2次以降の安倍政権で生じている霞が関の問題の底流には、これまで政治主導の名の下に行われてきた行政改革や公務員制度改革の設計及び運用に問題があったと考えている。国民が選挙で選んだ政治家が国家の舵取りに責任を持つという、政治主導の目的に異論はないが、実態は意図せざる結果を招いている。
官僚や霞が関に関する本や論考はたくさん出されている。典型的なものは、企業や特殊法人などへの天下り、政治家を陰で操り利益誘導を図る、省庁の縦割りと縄張り争い、法律によらない行政指導などなど、官僚批判と官僚たたきである。
筆者自身、しばしば霞が関を批判しており、こうした批判が的はずれなどと言うつもりはない。しかし、それでは、官僚だけが悪いのか。政治主導の主役である政治家はそんなに素晴らしいのか。「否」である。政治家は、次の選挙で勝つことを何よりも優先する。そのため、政策や政権運営は極めて短期的な視野で考えがちである。霞が関の劣化や凋落は、政府のガバナンスの問題として捉えなければならない。政と官は、コインの表裏の関係であり、官は政の下請けや下部ではない。霞が関には政治家から日々陳情が来るが、官僚はルールを破っても政治家に従うべきなのか。最近の一連の不祥事は、政と官の均衡が崩れた結果ではないか。
本書は、平成の3年間にわたる政治主導の改革の光と影を捉えながら、霞が関の病理を説く。本書は政治主導の改革を分析するのではなく、その改革と公務員の相互作用に焦点を当てる。霞が関の実態は、外からはなかなかうかがうことは難しいが、筆者は元財務省の公務員であり、その経験を踏まえて、できるだけ事実に即して問題を指摘したい。

筆者が行財政改革に関心を持ったことには経緯がある。1998年の夏、旧大蔵省大臣官房に異動になり、2年後の中央省庁等改革実施に向けて準備する担当になった。その後、オーストラリア国立大学で研究する機会を得て、先進国の行財政改革も調べた。
さらに、2008年、当時筆者は財務省を休職し一橋大学に在籍していたが、公務員制度改革に関わる検討会議に委員として参加して、実際の議論にも関わった。また、四年に発足した民主党政権では、当時の菅直人副総理の下で開催された「予算編成のあり方に関する検討会」に参加し、10年に一橋大学から霞が関に戻ってからは、内閣府に設置された行政刷新会議担当の参事官に就いた。筆者自身、改革の当事者として身を置いたこともあり、そうした経験を踏まえて、霞が関の冬を描こうと思う。
結論を先取りすれば、誤った政治主導の結果、官僚の自律性が低下し、それは政府全体のパフォーマンスやガパナンスの低下にもつながっている。
ただし、霞が関の問題の根元は、今に始まったことではなく、以前から存在している。霞が関の官僚は、政治家との緊密な関係、自ら利害や省益を追求するという意味で「政治化」し、本来発揮すべき「専門性」が疎かになっているのだ。
政治は、その結果の是非はともかく、1990年代以降自己改革を進めてきたが、霞が関は自ら本気になって自己改革を進めてきたとは言い難い。安倍政権におけるいわゆる官邸主導の人事は、新たな問題を生んでいるのではなく、以前から存在する霞が関の問題を悪化させているに過ぎない。
昨年来流行語になっている「忖度」は、官でも民でも、どこの組織にも存在するが、霞が関では、官僚たちが過度に付度に走っている。官邸が幹部人事を掌握することにより、官邸に異論を唱える者は更迭されているからであり、官邸に逆らえなくなっているのだ。
もとより、政治や行政は手段である。当面の日本の課題は、急速に進む少子高齢化を乗り切ることである。団塊の世代が後期高齢期に達する2025年ではなく、団塊ジュニアが後期高齢期に達する2050年に向けて、早急に経済・社会システムを改革しなければならない。日本が必要なのは痛みを伴う改革である。
そうした改革を進めるためには、省益にとらわれず専門性に基づき問題を分析する官僚機構が必要である。平成が終わり、新しい元号が始まるが、果たして、官僚は冬の時代に終わりを告げて、春を迎えることができるのか。政と官の在り方を改めて問い直したい。
本書の構成は次のとおりである。第1章では、これまでの政治・行政改革を振り返り、官僚たちの冬の時代を概観する。第2章では、そうした改革の結果としての安倍政権の政治主導や政策形成過程を考える。第3章は霞が関の組織である省庁再編、第4章は人である公務員制度に焦点を当てて、問題を掘り下げる。第5章では、先進国の公務員制度改革を学ぶ。そして第6章では、今後を展望し、どのような改革が必要かを考える。

政府部門で働く者(選挙で選ばれる政治家を除く)を表す言葉には、公務員、官史、官僚、役人などいろいろあるが、一般には「公務員」が使われることが多い。本書では、政策形成過程に深く関わり影響を与える集団という意味で「官僚」という言葉を使い、法令などの制度について言及する場合は「(国家)公務員」という言葉を使う。なお、国家公務員法上の国家公務員には、総理大臣や大臣などの政治家も含まれる。

田中 秀明 (著)
出版社 : 小学館 (2019/2/1)、出典:出版社HP