【最新】ゴッホという人物を知るためのおすすめ本 – 彼の人生について知る

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ゴッホとはどんな人物?どのような人生を歩んだか?

ゴッホといえば、最もよく知られる画家の一人です。ひまわりや自画像など、誰もが一度は目にしたことのある作品を残しています。そんなゴッホですが、37年という短い生涯の中で、画家として絵を描いていたのは意外にもわずか10年ほど。その短い画家人生の中で、彼は数多くの名作を残しました。ここでは、ゴッホはどんな人物で、どのような人生を送ったのかを知ることのできる本をご紹介します。

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出典:出版社HP

小学館版 学習まんが人物館 ゴッホ(小学館版学習まんが人物館)

ゴッホの生涯をマンガで学ぶ

本書は、ゴッホの生涯をマンガで紹介しています。短い生涯でありながら、2千点にものぼる作品を描いたことも驚異的ですが、メッセージ性の強い独特の作風も多くの人の感情を揺さぶります。その作風が形成されていった流れが、子どもにもわかるように解説されています。

鈴木 みつはる 黒沢 哲哉
出版社 : 小学館 (1996/10/25)、出典:出版社HP

もくじ

第一章 緑のアカシアの約束
第二章 ひとりぼっちの青空
第三章 灰色の街をさまよう
第四章 白いカンバスに向かって
第五章 緑の妖精が舞う都
第六章 黄金色の光の中で

終幕 よみがえるフィンセント

鈴木 みつはる 黒沢 哲哉
出版社 : 小学館 (1996/10/25)、出典:出版社HP

みなさんは一フィンセント・ファン・ゴッホという画家を知っていますか?

ゴッホが描いたのは、人びとの悲しみ。

貧しさにたえて働く人びとの姿。

そして、光にあふれ、まるで大地からエネルギーがわき出ているような大自然の風景でした。

鈴木 みつはる 黒沢 哲哉
出版社 : 小学館 (1996/10/25)、出典:出版社HP

ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家 (角川ソフィア文庫)

ゴッホの生涯がより鮮明に

本書は、画家ゴッホが、37年の短い生涯で、どのように苦悩し、独特な画の世界を作り上げていったかを解説している本です。画家になるまでの道のりは導入部分のみで、画家になってからのエピソードが主題です。印象派からの影響や日本の浮世絵の衝撃、孤独な生活など、彼の足跡を本書で辿ることができます。

圀府寺 司 (著)
出版社 : KADOKAWA (2019/9/21)、出典:出版社HP

はじめに―ラングロワの橋、一生に一度の夢のはじまり

すみきった空。青くきらめく水。川面をわたる春の風。ポプラの梢の遠いざわめき。草と土と水の香り。洗濯女のたてる水音。ゆったりと広がる波紋の輪。波紋の動きにさからうように、今、馬車がゆっくりはね橋を渡る。にぶい蹄の音。かすかに木のきしむ音。

なんの変哲もない南フランスの春の風景。しかし、ここに描かれた風景は、このうえなく切実な、短い夢のはじまりであった。決して幸福とは言えない三十七年の生涯を生きたひとりの人間が、人生でたった一度だけ逃げ込んだ夢の世界。その夢のはじまりの一瞬の光景が、まるでカメラのシャッターを切ったかのように切り撮られ、このカンヴァスに永遠に封じ込められている。生きることの難しさゆえに、夢の中に逃げ込むしかなかった者にだけ見えた蜃気楼のような光景。そのような光景なればこそ、観る人々を切実な夢の世界に誘い込む。今、はね橋を渡らんとする馬車は、観る者を別世界へと誘う乗りもの。


《ラングロワの橋》
1888年、油彩、カンヴァス、53.4cm×64cm
クレラー=ミュラー美術館


《恋人たちのいるラングロワの橋》
(現存する断片)
1888年油彩、カンヴァス、32.5×23cm
個人蔵(日本)


古賀陽子《恋人たちのいるラングロワの橋》
(全図復元作品)
2017年
油彩、カンヴァス、72.2×91cm
北海道立近代美術館蔵

ファン・ゴッホはラングロワの橋を何枚もの油彩、デッサンに描いた。そのなかでもクレラー=ミュラー美術館所蔵のものがひときわ美しい。他の作品の中には、きわめて野心的な挑戦をしながら、ファン・ゴッホ自身が天候不良のためアトリエで仕上げようとして「台無しにしてしまった」と失敗を認めた作品《恋人たちのいるラングロワの橋》がある。失敗作とはいえ、ファン・ゴッホが真っ黄色の空を描こうとした最初の試みである。現在は一組の恋人たちの部分だけが現存している。
2017年の「ゴッホ展」の際に画家、古賀陽子と著者が手紙のスケッチや現存する断片などをもとに全図復元の試みに挑戦した(第三章)。

圀府寺 司 (著)
出版社 : KADOKAWA (2019/9/21)、出典:出版社HP

目次

はじめに――ラングロワの橋、一生に一度の夢のはじまり

序 出生から画家になるまで

第一章 オランダ時代――愛に飢えた修業者
ハーグ派の画家との交流
捨てられた女
線の表現力
決別
真実の農民たち
色彩研究
自負の芽生え
父の死
朽ちていく教会
絵の中の文字
闇の中の光

第二章 パリ時代――豊穣なる混沌の一幕
印象主義
印象派から得たもの
浮世絵模写
「触媒」としての浮世絵
ユートピスト
南仏へ

第三章 アルル時代――夢への逃避行、「日本」色のユートピア
失敗作
架空の太陽

種まく人、掘る人
向日性
象徴的意味、エンブレマータ
黄色い家
潜在的意味
カフェ・ド・ラ・ガール
居酒屋の闇の力
アルルの星空
想像上の日本人
レ・ミゼラブル
「耳切り事件」
傷跡、夢の終わり
《浮世絵のある自画像》再考
レプリカ

第四章 サン=レミ時代――迫りくる悪夢たち
星空
つくられた風景
オリーブ園のキリスト
模写・翻訳
成功の兆し

第五章 オーヴェール=シュル=オワーズ――切れた糸
「日本」との接触ふたたび
「出現」
「極度の孤独」
張りつめた糸が切れる時

おわりに

参考文献・凡例
本文中のファン・ゴッホの書簡は(1)をもとに著者が訳したもの。引用の後の書簡番号は(1)と(2)の番号を(497/404)のように併記してある。(2)(3)は現在日本で閲覧しやすいもの、(4)(5)は本書の内容に深くかかわるものである。

(1) Vincent van Gogh -The Letters, Edited by Leo Jansen, Hans Luijten, Nienke Bakker, Van Gogh Museum – The Huygens Institute, 6 vols. 2009. (ウェブ版 http://www.vangoghletters.org/vg/)
(2) 二見史郎ほか訳『ファン・ゴッホ書簡全集」全6巻 みすず書房、1969-70年。
(3) ヤン・フルスカー 坂崎乙郎監修、坂崎乙郎、高儀進訳『ヴァン・ゴッホ全画集」講談社、1978年。
(4) 圀府寺司『ファン・ゴッホ 自然と宗教の闘争』小学館、2009年。
(5) 圀府寺司、コルネリア・ホンブルク、佐藤幸宏『ファン・ゴッホ 巡りゆく日本の夢』青幻舎、2017年。

写真提供 ユニフォトプレス

圀府寺 司 (著)
出版社 : KADOKAWA (2019/9/21)、出典:出版社HP

ゴッホのあしあと (幻冬舎文庫)

原田マハのゴッホへの想い

本書は、作家の原田マハが、運命の画家と感じるほど魅せられているゴッホについて綴っている本です。ゴッホの作品との出会いやゴッホと日本の関係の深さ、ゴッホが何を感じ、何を思っていたのか、そして、最後に彼のあしあとを辿る旅の情景などが書かれています。

原田 マハ (著)
出版社 : 幻冬舎 (2020/8/6)、出典:出版社HP

はじめに

絵を見るのも描くのも大好きな子どもだった私は、美術館を訪れたり画集を広げたりして、お気に入りの画家を見つけたものだ。

パブロ・ピカソ(一八八一~一九七三年)やアンリ・ルソー(一八四四~一九一〇年)には、もうずいぶん長いあいだまるで友だちのように親しみ続けてきた。作家になってからは、彼らを『楽園のカンヴァス』や『暗幕のゲルニカ』といった物語の中に登場させもした。

一方で、なんとなく距離をおいて眺めていたアーティストもいた。ピカソやルソーを意識的に追いかけてきたのに比べると、フィンセント・ファン・ゴッホは意識的に避けてきたような気がする。興味がなかったわけではなく、実はその逆で、一度入り込むととことんまでのめり込んでしまいそうだとわかっていたのだと思う。目の覚めるような黄色のひまわりの絵を見つめていると、花なのに人格を感じてしまい、子ども心にそれは美しさを超えて少し怖いくらいだった。ひょっとすると、ピカソやルソー以上に、いつの日かゴッホは「運命の画家」となって自分の前に現れるような予感があったのかもしれない。

作家になって一〇年がたったあるとき、ゴッホはついに私の前に現れた。運命の画家として。

『楽園のカンヴァス』を書きはじめた頃からパリに足繁く通うようになり、一九世紀から二〇世紀にかけてのパリを舞台にしたアート小説を発表し続けてきた。そのうちに、なぜこうも私たち日本人がフランスの文化に憧れパリに惹かれるのか、また印象派や後期印象派の画家たちに親しみを覚えるのか、うっすらと見えてきた。

日本とフランスは長い時間をかけて友好関係を構築してきた歴史をもつ。日本は開国直後の一八六七年にパリで開催された万国博覧会に自国の美術工芸品を初出品し、ヨーロッパに一大日本ブームを巻き起こした。ジャポニスムと呼ばれるこの動向は、新しいものに敏感だった印象派やそれに続く画家たちの関心を大いに引いた。その中にゴッホもいた。

ゴッホは日本に憧れ、風景の中に日本の浮世絵にあるような清澄な色を求めて、オランダからパリへ、そして南仏アルルへと移住していったのだ。ゴッホといえばすぐに思い出される絵の数々――あの息をのむほど鮮烈な色彩とうねるような筆触の絵画は、日本美術の洗礼を受けたあと、パリ、アルル、サン=レミ=ド=プロヴァンス、そして彼の終焉の地、オーヴェル=シュル=オワーズで、わずか四年間に生み出されたのである。

ゴッホが見た風景は、いったいどんなふうだったんだろう。川や、麦畑や、糸杉や、花々や、教会や、地元の素朴な人たち。彼の感性に響いた数々のものは、今なお変わらずにその土地にある。追いかけてみよう、と思い立ち、私は旅に出た。運命の画家、フィンセント・ファン・ゴッホのあしあとを辿って。

南仏での日々、風だけが画家の道連れだった。今は彼が風になって私を導いてくれた気がした。その風を本書に込めて、あなたのもとに届けたい。

二〇一八年 初夏 パリにて
原田マハ

ファン・ゴッホの関連地図

原田 マハ (著)
出版社 : 幻冬舎 (2020/8/6)、出典:出版社HP

目次

はじめに
ファン・ゴッホの関連地図
プロローグ 私とゴッホとの出会い
第一章 ゴッホの日本への愛、日本のゴッホへの愛
第二章 パリと林忠正
第三章 ゴッホの夢
第四章 小説『たゆたえども沈まず』について
第五章 ゴッホのあしあとを巡る旅
失われた春 ――あとがきにかえて

プロローグ 私とゴッホとの出会い

「狂気と情熱の画家」というフレーズ

私は、印象派、後期印象派の絵画が大好きで、これまでも印象派を題材にした小説を書いてきました。

ゴッホは心惹かれる画家でしたが、実は題材として少々敬遠していました。小説の題材として扱うために、相当自分の思いをコントロールしていかないと、搦め捕られてしまいそうな激しさをもっているからです。彼の絵を詳しく研究してきたわけではありませんが、ゴッホの激動の人生は本で読んだり、映画で見たりして知っていました。物語にするにしても、彼の人生がドラマ以上にドラマチック、強烈すぎてつくり込めない。創作の中に落とし込むのは難しい画家だと思っていました。

ある芸術家の人生を小説として描くとき、あまり知られていないエピソードを物語の中に取り入れると、新しい事実を読者の方々にお伝えすることができます。これがアート小説の醍醐味です。例えば、パブロ・ピカソ(一八八一~一九七三年)がアンリ・ルソー(一八四四~一九一〇年)の絵に強く惹かれ、生涯四点の絵画を手元に置いていた事実は、読者を小説の世界に引き込んでくれます。

しかしゴッホについては、アートにそこまで詳しくない人でも、「自ら耳を切った画家ですね」くらいのことは、すでに知っていると思います。生前は評価されなかったけれども、今になって、作品が天文学的な値段で売買されていることは、衆知の事実になっています。

それにゴッホのことを書くのは、非常に危険な感じがしました。つねに枕詞のようについてまわるのが「狂気と情熱の画家」というフレーズです。そればかりが前面に出てしまい、ゴッホのもっている誠実さ、繊細さはあまりフィーチャーされていません。絵そのものよりも、「心を病んで耳を切って自殺した人だよね」という、とても短絡的なイメージが先行しています。

題材として難しい対象で、一筋縄ではいかない。とりわけ日本にはゴッホのファンが多いので、下手なことを書くわけにもいきません。

ですから自分が小説の中で描きたい画家のターゲットリストから、一〇年くらいは外れていました。ルソーについては二五年間考え続けて二〇一二年に『楽園のカンヴァス』(新潮文庫)を書き、ピカソも三〇年間考え続けて二〇一六年に『暗幕のゲルニカ」(新潮社)を書きましたが、ゴッホのことはそこまで意識していませんでした。一種の偏愛とは異なり、書こうとして書いたわけではない。突発的だった。それが正直なところです。

けれども、目を背けていながら実は心惹かれている。そういうふうに思う日本のファンが実はたくさんいるのではないかな、とも思っていました。

子どもの頃に感じた「怖い絵」

子どもの頃、パブロ・ピカソの絵は大好きで、「私の友だち」であると身近に感じていました。それに比べてゴッホの絵が教科書や美術全集に出てくると、「怖い!」という恐怖心すら抱きました。あまりにも表現が激しくて、また感情的に見えて、絵が下手なのではないかとまで思っていました。

印象派や後期印象派の画家たちは、あえて絶妙に均衡をズラし、セザンヌ(一八三九~一九〇六年)はゆがんだリンゴを描いているのですが、私から見たら、「リンゴすら、ちゃんと描けない。何て下手なんだ。あたしの方がずっと上手い!」と。いま考えると、とんでもない子どもですが。

当然、ピカソの絵だって下手だと思い続けてきました。大人になってから、「いやいや、違う。上手いじゃないか」と、多様性をもった画家の才能に気づき、自分から近づいていきましたが、ゴッホにはそういう機会がありませんでした。

ですからゴッホの絵は、美術館や展覧会で並んでいても、ずっと眺めていたいと思うような類の絵ではなく、立ち止まりたくない、近寄るのも怖いと思っていました。迫力、パッションが、ガンガン迫ってくる。その存在感を、ストレートに受け止めていたのだと思います。

高価な絵と実際とのギャップ

それにバブルの頃、オークションを通して高値で取引されたことが、よくニュースに取り上げられていました。

一九八七年、ゴッホの《ひまわり》を、安田火災海上保険(現損保ジャパン日本興亜)が、一枚の絵の取引価格としては史上最高の、日本円にして約五三億円で落札したことが大きく報道されました。同年には《アイリス》(一八八九年)がサザビーズで売りに出されて約七二億円で落札され、あっという間に記録を塗り替えました。

そして一九九〇年には、日本のある実業家でコレクターが、ゴッホが死の一カ月前に描いた《医師ガシェの肖像》(一八九〇年)を、日本円にして約一二五億円で落札し、さらに更新しました。その際、「自分が死んだら棺桶に入れて一緒に焼いてくれ」とうそぶいて、世間を賑わせました。後日発言は撤回され、ゴッホの絵が棺桶に入れられることはありませんでしたが。

そこで感じたのは、「そこまで大枚はたいて、自分のものにしたい気持ちって何だろう?」という素朴な疑問でした。それだけ巨額のお金を動かしてでも、我が物にしたいと思った人がいる。その事実がショッキングでもありました。「何でそこまでゴッホが好きなの?」と。そこまで熱狂する理由がわからなかったのです。オークションでの天文学的な落札価格が頭にこびりついてしまい、まっすぐに向き合うことができませんでした。

生前に絵が売れず不遇だったにもかかわらず、死後に作品が高騰し、巨額で取引され、マーケットも盛り上がり、大きなニュースにもなる。そういうゴシップ的な煽られ方の中で、画家が翻弄されているようにも見えました。もし私がゴッホだったら、この事態を喜んだだろうかと。ゴッホその人や、彼の作品を評価する以前に、それを取り巻く環境がうるさすぎて嫌だ。周辺のノイズが喧しくて惑わされる。だから敬して遠ざけていたのだと思います。

日本とゴッホは相思相愛

そもそも、何故日本人はゴッホが好きなのか。何故そこまで印象派や後期印象派、一九世紀末から二〇世紀初頭のモダンアートの黎明期の作品に、心惹かれるのか。昔から私の中で大きな疑問でした。それが、私が小説『たゆたえども沈まず』を書こうと思った原点です。

当時の画家たちの絵は世界中の人たちから愛されているけれど、特に日本人は大好きですね。私自身も好きだから、モネ(一八四〇~一九二六年)やセザンヌについても、ピカソやルソーについても、小説に書いてきました。そこまで好きな理由を掘り下げてみたい。その源流に何があるのか。そこから小説を書いてみたいと思ったのです。

浮世絵を含む日本美術が、印象派や後期印象派の画家たちに大きな影響を与え、やがて現代アート誕生の源になったことは、よく知られています。つまり日本美術のDNAを、画家たちが受け継ぎ、作品へと昇華したのです。同じものが体内に流れているのですから、なるほど好きにならずにはいられないわけです。

二〇一七年一〇月、『たゆたえども沈まず』の小説が書き上がり、私はもう一度ゴッホの巡礼の旅に出かけました。ゆかりの土地をあちこち歩き、ゴッホ兄弟と林忠正(一八五三~一九〇六年)の魂に、「小説ができましたよ!」と話しかけながら。

原田 マハ (著)
出版社 : 幻冬舎 (2020/8/6)、出典:出版社HP

もっと知りたいゴッホ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

ゴッホ作品をより深く楽しめる

本書は、ゴッホの生涯を振り返り、彼が絵画の世界に狂気とも言える情熱を落とし込むことができた背景を解説しています。彼に大きな影響を与えたエピソードはいくつかありますが、暗い部分が多かった生涯を終えた後に、絵画が高く評価されるようになるパラドックスが読者に、多くのものを問いかけます。

圀府寺 司 (著)
出版社 : 東京美術 (2007/12/25)、出典:出版社HP

本物のファン・ゴッホ作品は?


次の三点の作品のなかで、ファン・ゴッホの「真作」は一点だけです。
ご自分の眼だけをたよりに真作を選んでください。

贋作を世にばらまいた画商
ベルリンのオットー・ヴァッカー画廊は1925年頃から、少なくとも30数点のファン・ゴッホ贋作を世に送り出し、個人コレクターなどに売りさばいていた。まもなく、画廊関係者がヴァッカーが扱うファン・ゴッホ作品の質の低さ、真作との違いを指摘し、購入者たちがヴァッカーを告訴した。ヴァッカーには有罪判決が下されたが、この裁判で断罪されたのはヴァッカーひとりではなかった。当時、ファン・ゴッホ研究の権威とされていた名だたる「目利き」たちが、ヴァッカーの真っ赤な偽物に「真作」という鑑定書を書いていたからである。美術史的観点から見れば、ド・ラ・ファイユ、マイヤー・グレーフェといったファン・ゴッホの「権威」たちこそが、この裁判の主役、被告人だったのである。
裁判のほとぼりもさめた1935年、倉敷(岡山県)にある大原美術館がアステルダムのハインク&スヘルヨン画廊から①の作品を購入した。当時のファン・ゴッホ研究の最高権威だったド・ラ・ファイユは、ヴァッカー事件発覚後、一度はこの作品を真作からはずしたものの、大原美術館が購入した頃には再びこの作品を真作としていて、やや歯切の悪い鑑定書らしきものを書いている。鑑定書は今もカンヴァスの裏に貼りつけられている。
ちなみに“ヴァッカー贋作”は現在、オランダのクレラー・ミュラー美術館、ワシントンのナショナル・ギャラリーなど、世界の主要美術館にも入っている。
③は福田美蘭(1963-)が大原美術館のヴァッカー作品を見て描いた作品。「これが本物であると感じるためには何が足りないかということを、また、これが真作だとしたらゴッホの作品をもっとゴッホらしくするとはどういうことか、を描きながら考えてみたかった」という。

①《アルピーユの道》 作者不詳 油彩・カンヴァス 54×45cm倉敷、大原美術館
20世紀の初頭、ドイツのオットー・ヴァッカー画廊がばらまいた贋作のひとつ。

②《アルピーユの道》 フィンセント・ファン・ゴッホ作 油彩・カンヴァス 61.6×45.7cmクリーヴランド美術館
真作。ファン・ゴッホのサン・レミ時代(1889年)の作品。

③《ゴッホをもっとゴッホらしくするために》 部分 福田美蘭作 アクリル絵具・パネル 74×65cm 倉敷(岡山)、大原美術館
福田美蘭がヴァッカーの贋作をもとに、「もっとファン・ゴッホらしく」描いた作品。全図は額縁が描き込まれている。

圀府寺 司 (著)
出版社 : 東京美術 (2007/12/25)、出典:出版社HP

はじめに

一八歳の夏に大原美術館の《アルピーユの道》前頁①を見た。何をかくそう、私が生まれて初めて見た「ファン・ゴッホ」のオリジナルはこの作品である。ずいぶん前のことでよく覚えていないが、長々と絵の前に立っていたことは記憶している。美術館の隣の喫茶店「エル・グレコ」でアイスティーとともに感動の余韻も味わい、たぶん、家に帰ってからも余韻を反芻していたと思う。

その後まもなく、あの「ファン・ゴッホ」が贋作だったらしいことがわかった。感動のやり場に困った。

私が感動したのはまぎれもない事実だったが、いったい私は何に感動したのか。絵そのものになのか。絵のキャプションに書かれていた「ファン・ゴッホ」という文字が引き起こすさまざまな観念や連想になのか。「炎の人」「耳切り事件」「狂気」「天才」「自殺」……私たちが「ファン・ゴッホ」だと信じてきた画家は、実は虚像、ひとつのフィクションに過ぎないのではないかとうすうす感じたのはこのときだったと思う。

ともあれ、このほろ苦い経験は不思議に多くのことを教えてくれた。感動の複雑なメカニズムとその危うさ、そして、「眼」の頼りなさと大切さ……。この経験は、その後も何となく尾を引いて、私が美術とつき合う上で大きな意味を持つことになったように思う。美術作品に絡みつくさまざまな「語り」「騙り」「虚像」を括弧に入れ、剥がしていくことが、当面の私の課題になった。大原美術館にあるヴァッカーの「ファン・ゴッホ」作品は私の美術体験の原点のひとつだったかもしれない。

その後、何の因果かアムステルダムにまで留学してファン・ゴッホを研究する羽目になった。そこでは、これまで見ていた「ファン・ゴッホ」像が大きく揺らいだ。虚像と実像の境界線が混沌のなかに溶け始め、自分なりに実像だと信じられるイメージが輪郭をあらわすまでに数年を要した。まずは、そのきっかけになった、アムステルダム大学図書館でのささやかな発見の話から始めることにしたい。

大阪大学教授 圀府寺 司

圀府寺 司 (著)
出版社 : 東京美術 (2007/12/25)、出典:出版社HP

目次

本物のファン・ゴッホ作品は?
はじめに

Prologue 〈神の言葉を種まく人〉にぼくはなりたい

Chapter 1 画家への「改宗」
たった一度だけ持った自分の「家族」
「掘る人」――楽園追放のテーマ
構成画(タブロー)への挑戦
父の死、朽ちていく教会

Chapter 2 光の世界への入り口 パリ
印象派に学んだ色彩表現
浮世絵との出会い
太陽の花、「ひまわり」の登場

Chapter 3 日本の夢、あるいは芸術家のユートピア アルル
光あふれる、地上の楽園
芸術家の共同体をつくる夢
「教会」が消え、「太陽」が出現
「日本人」の顔を持つ肖像
ユートピアの崩壊

Chapter 4 神か自然か――壮絶な葛藤の軌跡 サン・レミ
「楽園追放」ふたたび
「宗教」と「自然」の間で苦悩する魂
創作としての「模写」
愛しい人びとに贈るメッセージ

Chapter5 オーヴェール・シュル・オワーズから終わらない終章へ
自殺、そしてつくられた絶筆神話
流転する絵画

Column
忘れられた、オランダ牧師たちの文化 ドミノクラシー
現実を見ていたゴーガン
兄を失った 弟テオの悲しみ
膨大な遺産を守ったヨハンナの功績

おわりに

ファン・ゴッホ作品を所蔵する主な美術館
本書に掲載したファン・ゴッホの作品索引

凡例
●作品は原則として慣例に従い、必要に応じて著者が改めました。
●作品データは制作年(制作場所)、技法、サイズ、所蔵先の順で掲載しています。
●「画家の言葉」は宛名を記したもの以外はすべて、ファン・ゴッホから弟テオに宛てた手紙です。
●収録したファン・ゴッホと家族、友人との書簡は、『ファン・ゴッホ書簡全集』(二見史郎ほか訳、みすず書房、1969~70年)を参考に、著者が翻訳しています。書簡番号もこの全集に準じています。ほかの画家の言葉、および海外の文学作品の引用も著者の訳によるものです。
●聖書の引用文は日本聖書協会『聖書 文語訳』にもとづいています。

圀府寺 司 (著)
出版社 : 東京美術 (2007/12/25)、出典:出版社HP

ファン・ゴッホの生涯 上

ゴッホの生涯に入り込める

本書は、ピューリッツァー賞受賞の著者たちが、多くの人を惹きつけるゴッホの生涯を描き出した本です。若年時代のゴッホの様子から始まり、オランダ時代の画家としてのエピソードまでが書かれています。ゴッホの生き様、当時の情景が手に取るように読者に伝わる作品です。

スティーヴン ネイフ (著), グレゴリー・ホワイト スミス (著), 松田 和也 (翻訳)
出版社 : 国書刊行会 (2016/10/21)、出典:出版社HP

われわれに初めて芸術の喜びを教えてくれた
われわれの母、
マリオン・ネイフとケイトリン・ホワイト・スミスに
そして爾来、われわれの人生に多くの喜びをもたらしてくれた
ジュリアード学校の全ての芸術家に
本書を謹んで献呈する。

SN
GWS

目次

家系図
地図
プロローグ 狂熱の心

第1部 若年時代 1853–1880
第1章 堰と堤
第2章 ヒースの前哨地
第3章 奇矯な少年
第4章 神とカネ
第5章 レイスウェイクへの道
第6章 流浪
第7章 基督に倣ひて
第8章 巡礼の歩み
第9章 おおエルサレムよ、おおズンデルトよ
第10章 風に向って
第11章 「まさにそれだ」
第12章 黒い国
第13章 絵画の国

第2部 オランダ時代 1880-1886
第14章 氷の心
第15章 ますます愛する
第16章 素描家の拳
第17章 我が愛しの未亡人
第18章 みなし男
第19章 ヤコブとエサウ
第20章 空中楼閣
第21章 虜囚
第22章 生きる歓び
第23章 水の精
第24章 一粒の狂気
第25章 一気呵成に
第26章 失われた幻影

図版一覧
ジョン・ピーター・ラッセル、『フィンセント・ファン・ゴッホの肖像』、一八八六年
『自画像』、一八八七年
『脱衣所の庭』、一八八八年八月
フィンセント・ファン・ゴッホ、一三歳
アンナ・カルベントゥス
ズンデルトのマルクト
フィンセントの兄弟姉妹: アンナ、テオ、リース、コル、ウィル
『納屋と農家』、一八六四年二月
テオ・ファン・ゴッホ、一三歳
フィンセント・ファン・ゴッホ、ティルブルフ学校の階段で
テオドルス(ドルス)・ファン・ゴッホ
伯父セント・ファン・ゴッホ
ズンデルト教会
H・G・テルステーフ
グーピルの画廊、ハーグ
ユルシュラとウジェニー・ロワイエ
『エッテンの牧師館と教会』、一八七六年四月
アリ・シェフェール、『クリストゥス・コンソラトール』、一八三六―三七年
『ピーターシャムとターナム・グリーンの教会』、一八七六年一一月
シェファースプライン、ドールトレフトの市場
海軍中将ヨハンネス・ファン・ゴッホ(ヤン伯父)
『マクペラの洞窟』、一八七七年五月
『オ・シャルボナージュ』、一八七八年一一月
マルカス炭坑、第七坑
『夜明けの雪の中の坑夫たち』、一八八〇年八月
フィンセント・ファン・ゴッホ、一八歳
アントン・リッダー・ファン・ラッパル
『種蒔く人(ミレーによる)』、一八八一年四月
アントン・ファン・ラッパルト、『セッペの近くのパシーファールト(セッベ近傍の風景)』、一八八一年六月
『蓮の葉のある沼地』、一八八一年六月
ケー・フォス=ストリッケルと息子のヤン、一八八一年頃
『ドールトレフト近郊の風車』、一八八一年八月
『驢馬と荷車』、一八八一年一〇月
アントン・マウフェ、一八七八年
『壕の中で掘っている人夫たち』、一八八二年四月
『顔を覆って籠に座る女』、一八八三年三月
『悲しみ』、一八八二年四月
『大工の庭と洗濯場』、一八八二年五月
『揺り籠』、一八八二年七月
ルーク・フィルズ、『浮浪者収容室に申し込む人々』、一八七四年
ヒューバート・フォン・ハーコマー、『最後の招集——チェルシー病院の日曜日』(部分)、一八七一年
『杖を持つ老人』、一八八二年九—一一月、および『燕尾服の老人』、一八八二年九—一二月
『疲れ果てて』、一八八二年一一月
『女坑夫たち』、一八八二年一一月
『公共スープ配給所のスープ配給』、一八八三年三月
『浜辺への道』、一八八三年七月
『沼地のオークのある風景』、一八八三年一〇月
『ドレンテの風景』、一八八三年九―一〇月
『砕土機を引く男』、一八八三年一〇月
ジャン=レオン・ジェローム、『虜囚』、一八六一年
ヌエネンの牧師館
『織工』、一八八四年
『魚狗』、一八八三年三月
『刈り込まれた樺の木』、一八八三年三月
マルホット・ベーヘマン
ヨゼフ・イスラエルス、『食卓を囲む百姓の家族』、一八八二年
『女の顔』、一八八四十八五年
『馬鈴薯を食べる人たち』、一八八五年四月
レオン・レルミット、『収穫』、一八八三年
『女の頭部』、一八八五年三月
アムステルダム国立美術館、一八八五年の完成直後の様子
『ヌエネンの古い教会塔』、一八八五年六—七月
『聖書のある静物』、一八八五年一〇月
『踊る男女』、一八八五年一二月
アントウェルペン美術学院の石膏室
『裸婦立像(側面図)』、一八八六年一月
『煙草を喫う骸骨の頭部』、一八八六年一―二月

カラー図版(二八八頁のあと)
『スフェーヘニンヘンの海の眺め』、一八八二年八月
『荒れ地の二人の女性』、一八八三年一〇月
『女性の顔」、一八八五年三月
『馬鈴蘭を食べる人たち』、一八八五年四—五月
『メェネンの古い教会塔(農民の墓地)』、一八八五年五—六月
『馬鈴薯館』、一八八五年九月
『聖書のある静物』、一八八五年一〇月
『一足の靴』、一八八七年初頭
『女性トルソーの石膏像』、一八八六年六月
『カフェ・タンブランの女(アゴスティーニ・セガトーリ)』、一八八七年一—三月
『デキャンタと皿の上のレモンのある静物、一八八七年二—三月
『テオのアパルトマンからの眺め』、一八八七年三十—四月
『モンマルトルの野菜園』、一八八七年六—七月
『レストランの中』、一八八七年六—七月
『鋼の花瓶の編笠百合』、一八八七年四—五月
『自画像』、一八八七年春
『雲雀のいる麦畑』、一八八七年六十七月
『自画像(麦藁帽をかぶったもの)』、一八八七年八―九月
『梅の開花(広重を模して)』、一八八七年一〇—一一月
『タンギー爺さん』、一八八七年
『画家としての自画像』、一八八七年一二月—一八八八年二月
『花咲く桃の木(マウフェの思い出)』、一八八八年三月
『アルルのラングロワ橋と洗濯する女性たち』、一八八八年三月
『収穫』、一八八八年六月
『サント=マリ=ド=ラ=メールの浜辺の釣り船』、一八八八年六月下旬
『ズワーヴ兵』、一八八八年六月
『ラ・ムスメ、座像』、一八八八年七月
『郵便配達人ジョゼフ・ルーランの肖像』、一八八八年八月初旬
『パー・ヤン・エスカリエの肖像』、一八八八年八月
『夾竹桃のある花瓶と本』、一八八八年八月
『夜のカフェテラス』、一八八八年九月
『夜のカフェ』、一八八八年九月

スティーヴン ネイフ (著), グレゴリー・ホワイト スミス (著), 松田 和也 (翻訳)
出版社 : 国書刊行会 (2016/10/21)、出典:出版社HP

下巻目次

家系図
地図

第3部 フランス時代188611890
第27章 さかしま
第28章 ザンガノ兄弟
第29章 キャッチ・アンド・リリース
第30章 商魂
第31章 ル・パラドゥ
第32章 向日葵と夾竹桃
第33章 詩人の園
第34章 架空の野蛮人
第35章 闘争
第36章 異邦人
第37章 二つの道
第38章 真の南仏
第39章 星月夜
第40章 孤立者
第41章 「堕落した子供」
第42章 庭と麦畑
第43章 幻影は消え失せる――しかし、崇高なものは残る
エピローグ ここに眠る
補遺: フィンセントの致命傷に関する注釈
謝辞
資料に関する注釈
主要参考文献
主要人名索引

下巻図版一覧
『麦藁帽子の自画像』、一八八七年
『灰色のフエルト帽の自画像』、一八八六—八七年、『自画像』、一八八七年、『麦藁帽子の自画像』、一八八七年
フェルナン・コルモン画塾(一八八五年頃)
ジョン・ピーター・ラッセル、『フィンセント・ファン・ゴッホの肖像』、一八八六年
ジャン=バティスト・コロー、『アゴスティーナ』、一八六六年
ヨハンナ・ボンゲル、一八八八年
リュシアン・ピサロ、『フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』、一八八七年
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、『エミール・ベルナールの肖像』、一八八六年
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、『フィンセント・ファン・ゴッホの肖像』、一八八七年
『英泉に基づく花魁』、一八八七年一〇—一二月、および〈パリ・イリュストレ〉の表紙の透写、一八八七年七—一二月
『タラスコンへの道』、一八八八年七月
『日傘の婦人のいる跳ね橋』、一八八八年五月
黄色の家、アルル
ラマルティーヌ広場、アルル
『サント=マリの街路』、一八八八年六月
『汽車のあるモンマジュール近郊の風景』、一八八八年七月
『座るズワーヴ』、一八八八年六月
『アルルの麦の収穫』、一八八八年
『日没の種蒔く人』、一八八八年八月
『郵便配達人ジョゼフ・ルーランの肖像』、一八八八年八月
『柵のある公園』、一八八八年四月
『ズワーヴのミリエ少尉の肖像』、一八八八年九月
ポール・ゴーギャン、一八九一年
アリスカン、アルル
ポール・ゴーギャン、『ジヌー夫人(「夜のカフェ」のための習作)』、一八八八年
『赤ん坊のマルセル・ルーラン』、一八八八年一二月
ルーク・フィルズ、『空虚な椅子(「ガズヒル、一八七〇年六月九日」)』、一八七〇年
ポール・ゴーギャン、『向日葵を描くヴァンサン・ヴァン・ゴーグ』、一八八八年一一月
『医師フェリクス・レーの肖像』、一八八九年一月
『耳に繃帯をした自画像』、一八八九年一月
マイエル・デ・ハーン、『テオ・ファン・ゴッホの素描』、一八八八年
独房、アルルの病院
『アルルの病院の中庭』、一八八九年四月
『アルルの病院の病室』、一八八九年四月
サン=ポール=ド=モゾールの癲狂院、サン=レミ
浴場、サン=ポール=ド=モゾールの癲狂院
『山景のオリーヴの木』、一八八九年六月
『糸杉』、一八八九年六月
『星月夜』、一八八九年六月
アドリアン・ラヴィエイユ(ジャン=フランソワ・ミレーによる)、『午睡』、一八七三年
『オリーヴ畑』、一八八九年六月
『サン=ポール=ド=モゾールの庭』、一八八九年一一月
ヨーと息子フィンセント、一八九〇年
医師ポール・ガシェ
『ピアノを弾くマルグリット・ガシェ』、一八九〇年六月
ラヴーの宿の前のラヴー家
『広縁帽の少年(おそらくルネ・スクレタン)の頭部』、一八九〇年六—七月
『木の根』、一八九〇年七月
『ドーピニの庭』、一八九〇年七月
ラヴーの宿のフィンセントの寝室
ファン・ゴッホ、一八九〇年
フィンセントとテオ・ファン・ゴッホの墓、オーヴェル

カラー図版
『黄色の家』、一八八八年九月
『ローヌ川の星月夜」、一八八八年九月
『自画像(坊主としての自歳優)、一八八八年九月
『画家の母の肖像』、一八八八年一〇月
『公園、カップルと樅の木:詩人の庭Ⅲ』、一八八八年一〇月
『タラスコンの駅馬車』、一八八八年一〇月
『アルルの女(ジヌー夫人)(本)』、一八八八年一一月(あるいは一八八九年五月)
『ルーラン夫人(ラ・ペルスース)』、一八八九年一月
『ファン・ゴッホの椅子』、一八八八年一二月
『ゴーギャンの肘掛け椅子、一八八八年一二月
『自画像(繃帯をしてパイプをくわえた自画像)』、一八八九年一月
『向日葵(一五本の向日葵)』、一八八八年八月
『鳶尾』、一八八九年五月
『星月夜』、一八八九年六月
『糸杉』、一八八九年
『木蔦のある木の幹』、一八八九年七月
『自画像』、一八八九年九月
『寝室』、一八八九年九月初旬
『種蒔く人』、一八八八年一一月
『麦刈る人のいるサン=ポール癲狂院裏の麦畑』、一八八九年九月初旬
『サン=ポール癲狂院の看護主任トラピュクの肖像』、一八八九年九月
『サン=ポール癲狂院の庭の木々』、一八八九年一〇月
『オリーヴ摘み』、一八八九年一二月
『昼: 仕事の間の休息(ミレーを模して)』、一八九〇年一月
『渓谷』、一八八九年一〇月
『花咲く巴旦杏の木の枝』、一八九〇年二月
『鳶尾』、一八九〇年五月
『オーヴェルの教会』、一八九〇年六月
『ガシェ医師の肖像』、一八九年六月
『ドービニの庭』、一八九〇年二月
『木の根』、一八九〇年七月
『鴉のいる麦畑』、一八九〇年七月

スティーヴン ネイフ (著), グレゴリー・ホワイト スミス (著), 松田 和也 (翻訳)
出版社 : 国書刊行会 (2016/10/21)、出典:出版社HP

フィンセント・ファン・ゴッホの思い出 (Artist by Artist)

ゴッホを支えた人たちがゴッホの実像を綴る

本書は、フィンセント・ファン・ゴッホの弟が書き記したゴッホとの思い出について、解説を交えて紹介している本です。天才的な側面や精神的に追い込まれた結果の事件に注目されがちなゴッホを、ありふれた画家としての側面から見ることができるようになるでしょう。

ヨー ファン・ゴッホ=ボンゲル (著), 林 卓行 (監修, 翻訳), 吉川 真理子 (翻訳)
出版社 : 東京書籍 (2020/1/27)、出典:出版社HP

フィンセント・ファン・ゴッホ
Vincent Willem van Gogh 1853.3.30-1890.7.29

オランダ生まれの画家。エドゥアール・マネ、クロード・モネなどに代表される印象主義(派)ののちに現われたポスト印象主義(派)の画家で、他の追随をみないその触覚的な筆致と激しい色彩は表現主義を準備したとも、後世に評価される。

フィンセントは、オランダ南部の町ズンデルトに、牧師の父テオドルスと母アンナの長男として生まれる。幼少期より気性が荒く気難しかったが、周囲に芸術的才能の片鱗を見せることもあった。1869年に伯父の関係先であるパリの画商・グーピル商会のオランダ・ハーグ店に入社。ロンドンなど各支店で働いたのち、画家になる希望を秘めながら、父と同じ伝道の道に転じるも挫折。1880年前後から絵画の制作に救いを求めしだいにその道に没頭していく。他方、弟テオもグーピル商会で画商としてのたしかな地位を築き、兄の画業をサポートし続ける。

1886年、パリで働くテオを訪ね、2年間にわたる兄弟での同居生活がはじまる。この期間にテオのもとに集う画家、エミール・ベルナール、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックたちと交流を深め、ポール・ゴーギャンとも知り合う。同じころ、日本から輸入された浮世絵版画を目にするようになり強く影響を受ける。都会での生活に消耗し、1888年、フランス南部・アルルに移動、しばらくしてゴーギャンとの共同生活がはじまり、この生活は同年末にみずからの耳を切り落とす事件を起こすまで続いた。サン=レミでの闘病生活を経て、1890年、カミーユ・ピサロの勧めでパリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズで暮らしはじめる。同地には芸術に造詣が深く、セザンヌたち印象主義者とも親しかったポール・ガシェ医師がおり、彼が主治医となった。同年7月27日、拳銃自殺をはかり、29日に世を去る。享年37。

ヨー ファン・ゴッホ=ボンゲル (著), 林 卓行 (監修, 翻訳), 吉川 真理子 (翻訳)
出版社 : 東京書籍 (2020/1/27)、出典:出版社HP

目次

はじめに——「ありふれた画家」としてのファン・ゴッホ
林卓行

解説
マーティン・ゲイフォード

フィンセント・ファン・ゴッホの思い出
ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル

掲載作品一覧

本書について
本書は以下の全訳である。
Jo van Gogh-Bonger, A Memoir of Vincent van Gogh, 2nd edition
(London:PallasAthene,2018).
原則的に、翻訳文は英語原文に即しているが、執筆当時の時代背景や文化状況などに鑑み、また必要に応じて既訳を参照し、本文の記述に語句を補い、さらに原書の訳注に加えて日本語版での訳注をページ下部に脚注として明記した。小見出しを適宜挿入した。また、人名・地名などの固有名詞および美術用語などについては原語での発音を踏まえつつも、一般的に知られている表記を採用した。

ヨー ファン・ゴッホ=ボンゲル (著), 林 卓行 (監修, 翻訳), 吉川 真理子 (翻訳)
出版社 : 東京書籍 (2020/1/27)、出典:出版社HP

はじめに 「ありふれた画家」としてのファン・ゴッホ

無数にいる芸術家たちのなかで、フィンセント・ゴッホほどその生涯をよく知られた者はないだろう。生前に売れた絵はわずか数点とか、激昂して自分の耳を切り取ったとか、ついにはピストルで自分自身を撃ったとか、驚くようなエピソードにはこと欠かない。

だがそうしたエピソードを、等身大のゴッホにじっさいに会った人間によるひとつの「語り」を通じて、あらためて読みなおしてみるとどうか。画家の伝記としてはすでに古典であり、のちに多くの「ゴッホ物語」が依拠することになる「ヨー」・ボンゲルによる『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出(以下、『思い出』)』をいま、読むとはそういうことだ。

画家の義理の妹だったヨーは、義兄の死後、彼の遺した膨大な書簡の山に埋もれながら、そしてその遺族との親密な対話を重ねながら、そのひととなりを時系列に沿って紡ぎ出した。それはすでに多少の脚色は帯びているとしても(その事情は本書所収のゲイフォードによる解説に詳しい)、今日のセンセーショナリズムに侵された「事件」の連呼からはほど遠い、ひとりの芸術家の生涯を実直に追ったものになっている。

なるほど「耳切り」も「銃撃」も、たしかにそれだけをとれば衝撃的な(そして好奇心をそそる)「事件」だろう。だがそれらをひとりの芸術家の生涯のうちにひとつひとつ位置づけてみれば、数々の事件は意外にも画家の生涯のうちにある種の必然としてあるのであり、その背景やそのときの画家や周囲のひとびとの心情は、遠く時代と場所をへだてた私たちにも十分リアルに想像できるものになってくる。ゴッホもまた、ただ自身の才能を信じたり疑ったりしながら描き続けた、その意味ではいまもむかしも「ありふれた」芸術家のひとりだった。たしかに自身の極端な性向や、そこから生じるひとびととの軋轢には苦しんだけれど、家族、とくに弟には愛され、数こそ多くはなかったものの友人や協力者にも恵まれた。

つまり、いまこの『思い出』を読むことで、私たちはゴッホを特別な芸術家にしているのはその作品なのだという、ひとつの原点にたちかえることができる。そして幸いなことに本書には、『思い出』に登場する作品の精細な図版が、本文の進行に併せて配されている。ぜひ、迷いながらも強い意志が支えたその画業と、画家のこころの変転のふたつを同期させるようにして、本書を読んでいただけたらと思う。そのときゴッホの作品と生涯は、どちらもいっそう胸に迫るものとなるはずだ。

監訳者 林卓行 東京藝術大学准教授

ヨー ファン・ゴッホ=ボンゲル (著), 林 卓行 (監修, 翻訳), 吉川 真理子 (翻訳)
出版社 : 東京書籍 (2020/1/27)、出典:出版社HP

ゴッホ (「知の再発見」双書3)

ゴッホの生き様から生まれた色彩

本書は、ゴッホの生涯と画家としての活動の道のりについて詳しく解説している本です。彼の苦しい時期の不安感や孤独感、色彩の変化に影響を与えた要因などが書かれています。また、ゴッホの書簡や論評も解説され、一人の人間としてのゴッホを知ることができます。

パスカル ボナフー (著), 高橋 啓 (翻訳), 嘉門 安雄 (翻訳)
出版社 : 創元社 (1990/10/1)、出典:出版社HP

日本語版監修者序文 嘉門安雄

◇今年1990年はフィンセント・ファン・ゴッホ没後100年の記念の年である。波乱に富んだ、だが、37歳という若さで、しかも画家としての僅か10年間に、驚異という以外に表現の仕様がないほどの多くの作品を遺して、パリの西北、オワーズ河畔の小村オーヴェル・シュール・オワーズのカフェ・ラボオーの一室に生涯を閉じている。それから100年である。
◇その記念の年——故国オランダをはじめ、世界各地で、さまざまの記念行事が計画され、開始されている。このチチェローネ風(解説風)の、しかし極めてコンパクトな冊子の日本語版もまた、そのことに思いを至しての作業である。
◇改めて言うまでもなく、フィンセント・ファン・ゴッホの名は、芸術は、今日最もよく知られ、愛されている一人であり、絵画である。私の口ぐせではあるが、ゴッホを想うとき、まさに生命の呼吸のまま、リズムのままに、ただ、ひたすらに生きて描いた——としか言いようがないのである。彼に関する評伝、伝記類、さらに伝記小説まで加えると、限りなく多い。彼は全方位から眺められ、解明されている。にもかかわらず、その作品を眺め、彼を想うごとに、新たな情熱も湧き、新たな発見もある。

◇このようなことが許されるのは、いや、出来るのは、もとより彼の芸術がすぐれているからであり、その生涯が波乱に富み、多岐にわたっているからではある。しかし、それを支え、それを誘導してくれるのは、あの、作品数にも匹敵する多くの書簡…特に弟テオに宛てた650通をこえる、日記にも等しい手紙をはじめとする、友人、妹に宛てた100通以上、さらにテオから彼に宛てたもののうち残る60通に近い数の書簡の存在である。ゴッホを識る上において、作品をタテ糸とすれば、これら書簡類は、そのタテ糸と見事に綾なすヨコ糸である。そして更につけ加えるならば、その尨大な数の作品の中に、まさに日記の如く描いた自画像の多いことである。
◇総て……と言ってよいほど、ゴッホの伝記、評伝、伝記小説類の著書もまた、当然、こうした基盤から出発している。
◇この日本語版の原著者もまた例外ではない。それどころか、それらの基盤材料を十分に咀嚼し、ゴッホを識る啓蒙書としての役割を果たしている。特に、ゴッホに限らず、画家たちの自画像に深い関心と洞察をもつこの著者にとっては、ゴッホこそ、自身と情熱をもって取扱うに相応(ふさわ)しい画家だとも言えるであろう。

◇かつて——そう、30余年前、ゴッホ研究家として知られる、しかも、やがてそのカタレトログ・レゾーネ(総目録)の仕事も成しとげたヤン・フルスカーが、ゴッホ生誕100年を記念して、まさに読み観る年表とも言える200ページに近いポケット版型の啓蒙書を出版でした。今回のガリマールの原著は、フルスカーのその年表風の著書とはまったく違った、明らかに著者のゴッホ観に基づく略伝であり、解説である。
◇この一書は、ゴッホの生涯と芸術を直接、それもエッセイ風に語る第一部(第一章から五章)と、第二部とも言える「資料」から成り立っている。その第一部の視点のあて方もさることながら、「資料」篇における書簡の活用の的確さ、特に、最後のゴッホをめぐる論評の取り上げ方にみられるこの著者の鋭い批評眼は見事である。しかし、いずれにせよ、この著者もまた、ゴッホに魅せられた人であり、その頌歌を高らかに歌いあげる人である。
◇さて、日本語版であるが、原著書の相(すがた)をそのまま活かすことを主眼とする叢書の一冊とすることでは、いわゆる翻訳書とは違って、かなりの制約と困難を伴う。第一、原文をそのまま日本語に訳したのでは、原書の一ページ分は日本語訳では一ページ分を超える場合が多い。したがって、日本語版でも原型にしたがうためには、原文の真意を損うことなく、日本文を縮少、もしくは要約しなければならぬ。そのためには、訳者に単に語学力だけではなく、ゴッホについての十分な知識が要求される。
◇ここでは、訳者はその困難と制約を、これまた見事に克服している。私は原文と訳文を照し合せながら、むしろ教えられることが多かった。かつて、前述のヤン・フルスカーの一冊が愛用のポケット版であったように、今後は、この日本語版も、もう一つの、より新鮮なポケット版として、私のゴッホ巡礼を助けてくれるであろう。そして、その思いのまま、敢て読者に推せんする所以である。

運命は過酷で、栄光は悲惨なもの。
フィンセント・ファン・ゴッホの画家としての活動は、わずか10年にも満たない。
27歳から、37歳で命を絶つまでの、わずか10年である。
だがその間に彼は、劇的なスタイルの変遷を遂げ、
ついに死の2年半前、あの燃え上がるような色彩を獲得した。
彼が生きている間、その作品に目をとめるものは、ほとんどいなかった。
冷笑され、軽蔑され、無名のまま生涯を終えた。
現在、巨万の富と交換されるその作品は、
生前たったの一枚しか売れなかった。
だが、それでもゴッホは描いた。
そして、何度も何度も自分の顔を見つめた。
苦しみに満ちた青年期を経て、
自分を救うものは絵しかないことを知っていたから。
ゴッホが残した数多い自画像は、そのことを雄弁に物語っている。


ゴッホの使っていたパレット

パスカル ボナフー (著), 高橋 啓 (翻訳), 嘉門 安雄 (翻訳)
出版社 : 創元社 (1990/10/1)、出典:出版社HP

CONTENTS

第1章 不安と孤独
第2章 福音伝道とデッサン
第3章 人物画と貧困
第4章 色彩を求めて
第5章 色彩の果てに

資料篇―目撃者たちの証言―
1 ゴッホの手紙
2 ゴッホをめぐる論評
3 ゴッホとひまわり
4 ボリナージュの坑夫たち
5 ゴッホの生きた場所
略年譜
INDEX
出典(図版)

パスカル ボナフー (著), 高橋 啓 (翻訳), 嘉門 安雄 (翻訳)
出版社 : 創元社 (1990/10/1)、出典:出版社HP

西洋絵画の巨匠 (2) ゴッホ

ゴッホの画が詰まった画集

本書は、ゴッホの絵画の画集です。ゴッホは、短く苦悩の多い人生であったものの、良き理解者であった弟の存在がいたことにより、長い間評価される作品を生み出しました。この画集は、作品紹介だけでなく、重要なトピックの特集なども行われています。

圀府寺 司 (著)
出版社 : 小学館 (2006/2/14)、出典:出版社HP

はじめに

あふれんばかりの画才に、生まれながらにして恵まれ、その才能を大きく開花させた人を「天才」画家と呼ぶのなら、ファン・ゴッホは間違いなく「天才」ではなかった。
オランダの地方教会に勤める牧師の息子として生まれ、画商店員、牧師志望の学生、伝道師見習い、と進路を模索しては失敗し、失意のうちに画家になった。そして、この、ひとりの不器用な人間が、弟テオという唯一の理解者に恵まれ、一○年間、絵を描くことだけに集中する時間をもつ。もし、彼の画業が五年で途切れていたら、「ファン・ゴッホ」の名はおそらく歴史には残っていない。しかし、人生最後のわずか二年あまりの間に描いた作品群は、彼の名を歴史に刻み、一○○年以上たった今日もなお、人々を魅了してやまない。
この作品群を生み出したものは、いったいなんだったのか。それらはなぜ、今日なお生きつづけているのだろうか。
この画集では、まず、ファン・ゴッホの代表作、評伝と初期作品を紹介し、次いで、「宗教と自然の闘争」というファン・ゴッホ全作品中の根源的なテーマに沿って作品群を編集し、ほかの重要なトピックについても特集を組んだ。作品解説にはファン・ゴッホの書簡から多く引用した。これらは、画家自身が作品に寄せた言葉として、特別な意義をもっているからである。

圀府寺 司

圀府寺 司 (著)
出版社 : 小学館 (2006/2/14)、出典:出版社HP

目次

はじめに
凡例

鑑賞図版
1 ファン・ゴッホ その代表作
2 「ファン・ゴッホ」になるまで
3 宗教と自然の闘争1 画家への改宗
4 宗教と自然の闘争2 至福の二年間

評伝 われはこの世の旅人なり

名画を読み解く《鴉の群れ飛ぶ麦畑》

特集
1 「変身型」自画像の系譜
2 ファン・ゴッホの夢見た日本

卷末資料
ファン・ゴッホ関連年表
ファン・ゴッホ関連地図
参考文献・揭載作品収藏先一覽
用語・人名集
索引

圀府寺 司 (著)
出版社 : 小学館 (2006/2/14)、出典:出版社HP