【最新】幕末・維新を学ぶ・勉強するおすすめ本

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幕末・維新を知る、おすすめ書籍!

江戸時代の終わりや、次の維新までを知る上で時系列と人物相関図で江戸時代末期を早く理解したい、新書として、またある程度の長さを読みたいなど、江戸時代末期のイデオロギー、維新での世界観を学べる書籍をリストアップしました。ぜひ自身にあう書籍を探してみましょう。

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出典:出版社HP

幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉 (岩波新書)

あなたはこの時代に生きたいか?全ての日本人が読むべき本。

多くの人が知る幕末・維新、人名や出来事。その前提が覆されるかもしれない新情報が数多く提示されています。
「欧米列強」と言われていた時代、果たして本当に日本の文明は劣っていたのでしょうか。当時、政府をコントロールしていたのは極少数の権力者でした。しかし、歴史を動かしてきたのは紛れもなく名前無き我々の先祖なのです。学校ではまず出てこない、誰も教えてはくれない視点で切り込んだ容赦ない1冊。

井上 勝生 (著)
岩波書店 (2006/11/21)、出典:出版社HP

はじめに―喜望峰から江戸へ

ペリーとマンデラ
和暦で嘉永五年、陽暦の一八五二年一一月、日本を開国させる使命をあたえられたペリーは、アメリカ東部の海軍基地を出港し、大西洋を横断、アフリカ大陸西岸を南下し、ちょうど二カ月後、年が改まった五三年一月下旬に大陸南端の、イギリス植民地だったケープタウンに入る。
本書の最初の主題である江戸湾の浦賀へ投錨するのは、さらにその五カ月半後である。
『ペリー提督日本遠征記』の、この大西洋からインド洋へと航海するあたりは、欧米の植民地にされたアフリカやアジアの諸民族の様子がじつに興味深く描かれている。南アフリカの部分を紹介しつつ、本書の序言にかえよう。
一八五三年の南アフリカは、五〇年から始まっていたイギリスと南アフリカ諸部族とのムランジェニ戦争がイギリス軍の勝利に帰していた。ペリーは、牢獄に捕らえられたコーサ族(諸部族の総称)の首長夫妻を訪問し、会見する。武運つたなく、妻や属僚とともに捕虜となった首長は、10代半ばの立派な容貌の青年であった。画家ブラウンが描いた首長夫妻の肖像のうち、夫人の肖像を上に掲げた。「ペリー提督日本遠征記』の図版のなかで格別に印象に残るものである。気品があり、深い憂愁が伝わってくる。このコーサ族の子孫の一 人が、南アフリカ共和国の反アパルトヘイトの不屈の運動家、後に大統領となったマンデラである。

「彼は、弾圧裁判(リヴォニア裁判、一九六三年)での、 世界中の関心が集まった反対陳述や自伝で述べているように、悲痛な境遇に堕ちた部族の長老たちから、七〇年以上前の、一九世紀前期から中期におよんだ戦争(血の河の戦い、斧戦争、そしてムランジェニ戦争)で、イギリスに敗北した諸部族の首長たちの数々の物語を聞いて育った。長老によって語られるのは、敗北した英雄たちのイギリス軍に対する「勇猛さ」であり、そして「心の広さ」、「慎み深き」である(遠征記は、諸部族を「カフィール族」と総称しているが、当時の蔑称である)。

少数を尊重する黒人伝統文化
養父の首長や側近たちが、部族の会議で示す政治を、僕は見てよく学んだ。
会議は満場一致までつづけられる、首長に向かって厳しく遠意のない批判が飛び交う、首長は聞き役に徹して終わりが近づくまでいっさい口を開かない。

反対があれば、会議は持ち越された。少数意見が多数意見に押しつぶされることはけっしてなかった。マンデラは、西欧の知識も十分に身につけた弁護士であったのだが、リーダーシップというものについては、南アフリカの部族会議から深く学び、それを後年まで育んだ、と述べている。
一九世紀半ばの当時、「未開」とされた黒人伝統文化には、欧米とちがって、少数を真に尊重するような独自の包容力があった。それが、マンデラたち、アフリカ民族会議(ANC)の、白人にも門戸を開いた汎アフリカ人主義の普遍的な考え方と運動を育てた一因である。一九九○年代には、マンデラとアフリカ民族会議は政権について、ついに白人支配をうち負かした。

黒人伝統文化は、滅ぼされることはなく生き続けた。部族会議を見聞し、敗北した英雄たちの話を聞いて彼が育ったのは一九二〇、三〇年代だが、当時南アフリカは、黒人を数パーセントの土地に押し込める政策が実施された最悪の時代であり、その時代を生きのび、反アパルトヘイト運動を支えた伝統文化の根強さは、まさに敬服に値する。それは、未開どころではない力量をもっていたのであり、欧米の文明を逆転したのである。
一九六〇年代になると、ベトナム戦争などにも影響されて、すでにアジアの伝熟した民衆
蝶統社会が再評価され始めていた。このような伝統文化・社会の世界的な再評価界の再評価の動向を承けて、一九八〇年代頃から、日本でも江戸時代後期の見方が新しく変わってきた。かつて日本は、欧米の文明に対して、半未開と位置づけられ、日本の側でも、維新政府以後は、そうした評価をすすんで受け容れてきたのであったが、それから、ようやく解き放されたのである。

とくに民衆史の研究で、伝統社会が新しく解明されている。本書でも紹介するように、江戸期の民衆の訴訟を願いでる活動は、私たちの想像よりはるかに活発だった。百姓一揆への一般百姓の参加も、事実上、公認されており、幕府や藩は、こうした農民の活発な訴えを受け容れることが多かった。江戸時代、幕府や藩の支配には、成熟した柔軟な仕組みがあった。

欧米列強の到来に対して、日本より事態がはるかに深刻だった南アフリカ(内的な発展は、高かったといわれている)でも伝統社会が解体しなかったのと通底しているのだが、幕府外交も、本文で述べるように、成熟した伝統社会を背景にその力量を発揮するのである。「極東」の東端という、地勢上、有利な位置にある日本においては、発展した伝統社会のもとで、開国が受け容れられ、ゆっくりと定着し、そうして日本の自立が守られた、というのが本書の一貫した立場である。

伝統社会の力は、幕府の外交能力に限らない。地域経済の発展に支えられた商人(売り込み 商人)たちが開港場にこぞって殺到したのもそのことをよく表している。日本では、貿易を、外からの圧力によってではなく、内から定着させてしまったという事実も、近年の経済史研究によって明らかにされている。

維新史を見なおす
日本の開国は、比較的早く定着した。そうであれば、幕末・維新期の対外的危機の大きさを強調するこれまでの評価を大はばに見なおす必要がある。
切迫した対外的危機を前提にしてしまうと、専制的な近代国家の急造すら「必至の国家的課題」だったということになる。しかし、一八七一年から政府要人たちが長期に米欧の回覧のために日本を「留守」にできたのはどういうふうに説明できるだろうか。欧米列強の圧力のあったのは事実だが、それに対抗してではなく、逆にそれを追い風として、明治政府の外交政策が東アジアの隣国に対する侵略へと向かう道筋、そして、日本民衆が伝統社会に依拠して、新政府に対して激しい戦いを展開した事実を中心として、江華島事件の新史料などの近年の成果を紹介しつつ、維新史をあらたに描きなおしたいと思う。

[追記] 文中の、年月日の表記について。
一八七二(明治五)年一二月二日までは、とくにことわらないかぎり、陰暦である。
なお、一八七三年一月一日以降は、陽暦に替わる。
引用史料は、スペースの関係と、分かりやすさを重んじて、原文の味わいを生かしつつ、部分的に、口語訳にしたところがある。また、かたかな文をひらがなに、漢字をひらがなに直したところもある。なお、引用文中カッコ内の説明は、筆者のものである。

井上 勝生 (著)
岩波書店 (2006/11/21)、出典:出版社HP

目次

はじめに――喜望峰から江戸湾へ

第1章 江戸湾の外交
1 黒船来航
2 開国への道
3 二つの開国論

第2章 尊攘・討幕の時代
l 浮上する孝明天皇
2 薩長の改革運動
3 尊王攘夷と京都

第3章 開港と日本社会
1 開港と民衆世界
2 国際社会の中へ
3 攘夷と開国

第4章 近代国家の誕生
1 王政復古と「有司」専制
2 戊辰戦争
3 幕末維新期の民衆
4 近代国家の創出
5 版籍奉還と廃藩置県

第5章 「脱アジア」への道
1 急進的な改革
2 東北アジアの中で
3 東アジア侵略の第一段階
4 地租改正と西南戦争

おわりに
あとがき

参考文献
略年表
索引

井上 勝生 (著)
岩波書店 (2006/11/21)、出典:出版社HP

世界一よくわかる幕末維新 (祥伝社黄金文庫)

幕末・明治維新という複雑な時代を理解するにはベストな書籍

入門書として主要な出来事がしっかりと平易にまとめられている本。主観も極力排除されているため、当時の変革の熱がしっかりと伝わってきます。ただ出来事を羅列的に書くのではなく、人物の言葉や考え方がしっかり記述されているので、教科書の内容では物足りない人にとってはかなりのお勧めです。写真も多く、歴史がグッと身近に感じられて、ますますこの時代を好きになれます。

山村竜也 (著)
祥伝社 (2018/3/14)、出典:出版社HP

入門書として読んでいただけるように、文章表現はやさしく平明なことを第一に考えた。内容的には、時代の流れを正確に追いながらも、専門書的な書き方は避け、物語のように読めるものになるように心がけた。

一例としては、できるだけ登場人物の生の声を生かすように配慮した。本人が実際に語った言葉を載せることで、その人物がぐっと身近に感じられるようになるからだ。だから、本文中のセリフ部分は想像ではなく、すべて何らかの史料にもとづいたものになっている。

また、本書のもう一つの特色として、登場人物の写真および肖像画をできるだけ多く収録した。歴史上の人物を知ろうとするとき、その人物がどのような容貌をしていたのかは大事なポイントである。幸い、幕末には西洋から写真技術が導入され、当時の人物の姿が多く後世に残された。私たちは運がよかったということができるだろう。
本書は、幕末維新が世界一よくわかるように書いたつもりであるので、この時代に興味 を持った読者の方々にはぜひ手に取っていただきたいと思っている。そして本書によって、この時代をより一層好きになっていただけたなら、同じ幕末維新好きとしてこれほどうれしいことはない。

刊行にあたっては、祥伝社黄金文庫編集部に大変お世話になった。心より御礼申し上げるしだいである。

明治維新から一五〇年目の春に
山村竜也

山村竜也 (著)
祥伝社 (2018/3/14)、出典:出版社HP

目次

はじめに
第一章 動乱の序曲 日本、泰平の眠りから覚める
黒船来航が招いた幕末の動乱
揺らぐ徳川幕府の鎖国政策
ペリーのアメリカ艦隊、再来する
ハリスと日米修好通商条約
尊王攘夷思想の大流行
政界を揺るがす将軍継嗣問題
安政の大獄により吉田松陰死す
長州藩の台頭と松下村塾
薩摩藩の躍進と名君・島津斉彬
勝海舟、咸臨丸で渡米する
大老井伊直弼、桜田門外で暗殺される

第二章 風雲の京洛 尊攘志士vs新選組
和宮降嫁で公武合体をはかる
寺田屋事件、薩摩藩の尊攘派が壊滅する
生麦事件、薩摩藩に翻弄される幕府
天誅の流行と人斬り以蔵
坂本龍馬、幕末の舞台に登場する
将軍上洛と浪士組の結成
新選組、京都に誕生する
奇兵隊、長州にて結成される
八・一八の政変、決行される
悲運の尊攘派・天誅組の暴発
参預会議から一会桑政権へ
新選組、池田屋を襲撃する
禁門の変、長州藩朝敵となる

第三章 倒幕への道 薩長同盟成立と幕府の終焉
高杉晋作、功山寺で挙兵する
龍馬、亀山社中を創設
薩長同盟、龍馬の仲介で成立する
第二次長州征伐も幕府軍敗れる
徳川慶喜、一五代将軍となる
土佐藩を海から援ける海援隊
薩摩と土佐、倒幕密約を結ぶ
船中八策と新時代構想
大政奉還、幕府が政権を返上する
龍馬、近江屋で暗殺される
徳川家を無力にした王政復古の大号令

第四章 戊辰の内乱 旧幕府軍の抗戦
鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争はじまる
江戸無血開城の快挙成る
旧幕府軍の徹底抗戦
上野戦争、彰義隊惨敗する
伊庭八郎と人見勝太郎の意地
奥羽越列藩同盟、瓦解する
北越戦争、河井継之助の秘策
会津戦争と白虎隊の悲劇
会津の女銃士・山本八重 旧幕府軍、蝦夷地に渡る
箱館戦争、土方歳三戦死する

第五章 迷走する明治政府 新政府の分裂と士族反乱
版籍奉還から廃藩置県へ
岩倉遣外使節団、海を渡る
留守政府、改革を進める
明治六年の政変で政府分裂する
江藤新平と佐賀の乱
不平士族の反乱相次ぐ
西郷隆盛、西南戦争に散る

おわりに
幕末維新略年表
主要参考文献

図版作製 J-ART
装丁 フロッグキングスタジオ

山村竜也 (著)
祥伝社 (2018/3/14)、出典:出版社HP

史上最強カラー図解 幕末・維新のすべてがわかる本

激動の時代を駆け抜けた志士達の活躍を分かりやすく図解。

ビジュアルから幕末の歴史に入りたい人、急ピッチでこの時代の知識を確認したい人はこの本を読むべき!曖昧になっていた情報の原因なども、手掛かりが示されているので、より詳しい資料に向かえるでしょう。領土の取り合いではなく、思想の違いで争い始めた時代。分かり難さを解消してくれる必要最低限の簡潔さは、何度も繰り返し読みたくなります。

柴田 利雄 (著)
ナツメ社 (2009/12/22)、出典:出版社HP

目次

第1章 幕末人物伝~時代を動かした英傑たち~

1 坂本龍馬
時代を動かした幕末の風雲児
図解 坂本龍馬

2 西郷隆盛
倒幕を実現した薩摩の闘将
図解 西郷隆盛

3 高杉晋作
維新の扉を開けた長州の革命児
図解 高杉晋作

4 桂小五郎(木戸孝允)
維新の王道を歩んだ戦略家
図解 桂小五郎(木戸孝允)

5 大久保利通
近代日本を築いた薩摩の英傑
図解 大久保利通

6 勝海舟
維新志士も魅了した幕府の才人
図解 勝海舟

7 新撰組
武士道に生きた剣客集団
図解 新撰組

8 吉田松陰
維新志士を生んだ松下村塾の教育者
図解 吉田松陰

9 徳川慶喜
時代に翻弄された第15代将軍
図解 徳川慶喜

10 岩倉具視
王政復古を宣言した朝廷の策士
図解 岩倉具視

11 井伊直弼
幕府再建に懸けた悲劇の大老
図解 井伊直弼

12 榎本武揚
新政府軍に抗議した最後の幕臣
図解 榎本武揚

13 ペリー
新時代の到来を告げた黒船艦隊
図解 ペリー

コラム 日米の架け橋となった流浪の開拓者 ジョン(中浜)万次郎

第2章 幕末・維新早わかり
「幕末・維新」通年表
ひと目でわかる幕末思想.
幕末・朝廷・雄藩・諸外国の関係
幕末期主要人物相関図
コラム 大志を抱き、いざ活躍の場へ
脱藩浪士

柴田 利雄 (著)
ナツメ社 (2009/12/22)、出典:出版社HP

第3章 ビジュアルで知る幕末・維新通史

1 ペリーの登場で動乱の幕末に突入
黑船来航
アメリカの狙いは日本の開国

2 鎖国を終焉させた和親条約と修好通商条約
条約締結

3 井伊直弼が反対勢力を粛清
安政の大獄

4 水戸浪士が大老・井伊直弼を襲撃
桜田門外の変

5 島津久光が薩摩藩内の尊王攘夷派を一掃
寺田屋事件

6 薩摩藩とイギリス艦隊が開戦
薩英戦争
薩摩藩が善戦するも講和が成立

7 公武合体派が尊王攘夷派を京都から追放
八月十八日の政変。

8 新選組が尊王攘夷派のクーデターを阻止
池田屋事件
新選組の存在が歴史の表舞台に

9 挙兵した長州藩が御所を襲撃
禁門の変(蛤御門の変)
幕府軍に敗れた長州藩が存亡の危機に

10 長州藩と川国連合艦隊が激突
下関戦争
敗れた長州藩は攘夷の不可能を悟る

11 対立していた薩摩藩と長州藩が密約を結ぶ
薩長同盟

12 総勢15万の幕府軍が長州藩に進軍
第二次長州征伐
兵力で上回る幕府軍が長州軍に敗北

13 将軍・徳川慶喜が朝廷に政権を返上
大政奉還

14 倒幕派のクーデターにより江戸幕府が滅亡
王政復古の大号令

15 京都郊外で戊辰戦争が開戦
鳥羽・伏見の戦い
徳川慶喜の逃亡で旧幕府軍が瓦解

16 天皇が明治政府の基本方針を発表
五箇条の御誓文

17 話し合いによる江戸城の受け渡しが実現
江戸城無血開城

18 新政府軍に挑んだ彰義隊が玉砕
上野戦争,
近代兵器を導入した新政府軍が圧勝

19 旧幕府を支え続けた会津藩が新政府軍に降伏
会津戰爭

20 北の大地で旧幕府軍が最後の抗戦
箱館戰爭
榎本武揚の降伏で戊辰戦争が終結

21 新政府に反旗を翻した西郷隆盛が鹿児島に散る
西南戦争

コラム 幕末を席巻した歌って踊る民衆運動 ええじゃないか

第4章 図解で知る幕府・朝廷・雄藩

幕末期の諸藩勢力図

1 江戸幕府 将軍がトップに立つ巨大組織
幕藩体制のしくみ
将軍継嗣問題で二つの勢力に分裂
経済の混乱と幕府の弱体化

2 朝廷 幕府と協調する権威の象徴
公武合体の切り札 和宮降嫁

3 薩摩藩
富国強兵に成功した最強の雄藩
幕府を追い込んだ島津久光の改革

4 長州藩
倒幕の原動力となった軍事大国
高杉晋作が功山寺にて決起

5 土佐藩
佐幕と倒幕に揺れた藩論

6 水戸藩
過激派を生んだ思想教育

7 会津藩
佐幕思想を貫いた悲劇の藩

8 福井藩
幕政に影響を与えた人材の宝庫

9 佐賀藩
政局から離れて独目に近代化

コラム 中国と薩摩藩の二重支配を受けた 琉球

第5章 幕末感動秘話〜知られざる名脇役たち〜

1 龍馬と命運をともにしたもうひとりの英雄
中岡慎太郎
2 幕末志士の支援に尽力した薩摩の名家老
小松帯刀
3 圧倒的兵力の幕府軍を破った天才軍略家
大村益次郎
4 医師としての理想を実践した幕末の人格者
緒方洪庵
5 日本の開国に尽力した不遇の老中首座
阿部正弘
6 戦いに生きた新選組の天才剣士
沖田総司
7徳川将軍家に生涯を捧げた幕末の姫君
天璋院(篤姫)
8 将軍のために作られた秘めたる女の園
大奧
9 新政府軍の挑んだ会津少年志士の悲劇
白虎隊

コラム 日本を愛した初代駐日総領事 ハリス

第6章 写真で見る幕末の風俗・文化

横浜の外国人居留地1860年代
小田原の町1860年代
東海道の風景1860年代
大名駕籠、江戸時代の力士

人物辞典

索引

参考文献

柴田 利雄 (著)
ナツメ社 (2009/12/22)、出典:出版社HP

オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新

参考図書がたくさん紹介されてるので、色々な方向に進みやすい。

ペリー来航の幕末の頃の日本の説明から大久保利通暗殺までをダイジェストに解説してくれています。特に王政復古以降の明治政府の施策についてかなり詳しく述べてあり、孝明天皇が及ぼした影響の大きさに考えさせられるものがあります。1テーマ2ページという手軽さで読みやすく、日本の黎明期の歴史が良く分かる本です。新撰組の近藤局長や坂本龍馬の家系図は必見!

永濱眞理子 (著)
西東社 (2014/11/5)、出典:出版社HP

オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新 ◆ 目次

幕末・明治維新 年表
幕末・明治維新に活躍した人物

第1章 開国への道
列強による開国と幕政の転換
経済の発展は庶民から
幕末に躍り出た諸藩
水戸藩による幕府への批判
社会変化に追いつけない幕府
ペリー来航
プチャーチン来航
日米和親条約締結
歴史の人物 マシュー・カルブレイス・ペリー
英、露、蘭とも和親条約
幕府・諸藩が軍事力強化
幕府、開国に傾斜か?
歴史の人物 タウンゼント・ハリス
諸外国の状況
14代将軍の座をめぐり対立勃発
歴史の人物 井伊直弼
日米修好通商条約調印
横浜開港と江戸の問屋
安政の大地震・コレラ
〈ニッポン見聞録〉
海外渡航事情①

第2章 幕府の弱体化
衰退する幕府と攘夷運動の激化
幕府批判の始まり-大塩の乱
天保の改革進める
開港の影響
安政の大獄①
安政の大獄②
歴史の人物 吉田松陰
歴史の人物② 橋本左内
桜田門外の変勃発
遣米使節、大統領に謁見
歴史の人物 勝海舟
公武合体政策推進
坂下門外の変勃発
攘夷運動の激化①
攘夷運動の激化②
薩摩藩の動向
文久の改革進める
歴史の人物 島津久光
浪士の募集・派遣
壬生浪士組結成
長州藩が攘夷決行
薩英戦争勃発
〈ニッポン見聞録〉
海外渡航事情②

永濱眞理子 (著)
西東社 (2014/11/5)、出典:出版社HP

第3章 討幕運動激化
雄藩の伸長と幕府の滅亡
八月十八日の政変へ
天誅組の変・生野の変・天狗党の乱
新選組、池田屋襲撃
「新選組」とは
歴史の人物 近藤勇
長州藩尊王攘夷派、入京
長州征討(第一次)を実施
列強の圧力
長州藩の討幕運動の展開
歴史の人物 歴史の人物一木戸孝允
薩長連合成立
歴史の人物 西郷隆盛
長州征討(第二次)を実施
慶応の改革進める
薩摩・土佐軍事同盟締結
江戸幕府消滅へ
大政奉還を決断
坂本竜馬暗殺
歴史の人物 坂本竜馬
王政復古の大号令発す
旧幕府のクーデター勃発
戊辰戦争―江戸開城
戊辰戦争―上野戦争
戊辰戦争―会津戦争
戊辰戦争―五稜郭の戦い
民衆の動き
〈ニッポン見聞録〉
偽官軍として散った相楽総三

第4章 明治維新
統一国家の形成と諸制度の確立
新政日本の夜明け
新政府の発足―政府組織
新政府の発足―庶民への掲示
新政府の発足―明治、東京
版籍奉還を上表
廃藩置県を断行
歴史の人物 大久保利通
中央集権化進める
軍事力の強化
歴史の人物 山県有朋
警察制度―警視庁・内務省
四民平等の実現
士族の没落
初期の外交―不平等条約の改正
台湾出兵と日清修好条規
征韓論と江華島事件
初期の外交―領土の確定
歴史の人物 岩倉具視
地租改正に着手
殖産興業―封建的諸制度の撤廃
殖産興業―官営
殖産興業―鉄道・通信・海運
殖産興業―北海道開拓
殖産興業―貨幣制度
殖産興業―政商
〈ニッポン見聞録〉
アーネスト・サトウと桜

第5章 新時代の幕開け
文明開化に湧く日本と自由民権運動
文明開化―思想
文明開化―教育
歴史の人物 福沢諭吉
文明開化―宗教
文明開化―生活①
文明開化―生活②
士族の反乱①
士族の反乱②
自由民権運動の広がり①
自由民権運動の広がり②
歴史の人物 板垣退助
西南戦争勃発
維新の三傑の時代終わる
〈ニッポン見聞録〉
その後の徳川慶喜

付録
索引
※本文などの月日は特に明記のない限り、すべて旧暦です。

幕末・明治維新年表

幕末・明治維新に活躍した人物

超ビジュアル! 幕末・維新人物大事典

新撰組が好きな人にはたまらなく良い本!

人物紹介以外にもマンガや重要な出来事のまとめ、幕末の国名マップ、年表、なるほどエピソード(おもしろコラム)などで、この時代の流れが立体的に見えてきます。イラストは18人のイラストレーターが担当していて、それぞれ画風が違うのでイケメンを探す楽しさもあります。もう少し早くこの本に出会っていれば、日本史にもう少し興味を持てたかも…と思わざるを得ません。

矢部健太郎 (監修)
西東社 (2016/11/9)、出典:出版社HP

もくじ

この本の使い方
1章 黒船来航
マンガ 黒船来航!
阿部正弘 あべまさひろ
ペリー
堀田正睦 ほったまさよし
安藤信正 あんどうのぶまさ
幕末の歴史 黒船が日本に現れる。
幕末新聞 幕末・ペリーは日本人をどう思った?
井伊直弼 いいなおすけ
ハリス
徳川家定 とくがわいえさだ
篤姫 あっひめ
島津斉彬 しまづなりあきら
松平春嶽 まっだいらしゅんがく
橋本左内 はしもとさない
藤田東湖 ふじたとうこ
徳川斉昭 とくがわなりあき
ざっくり知ろう!幕末! 幕末に世の中が混乱した原因は?
幕末の歴史 威臨丸が出発する
幕末新聞 幕末に海外へ行ったサムライがいた?
マンガ 安政の大獄!
マンガ 桜田門外の変!
吉田松陰 よしだしょういん:
幕末の歴史 桜田門外の変
マンガ 公武合体!
マンガ 薩英戦争!
徳川家茂 とくがわいえもち
和宮 かずのみや
幕末の歴史 家茂と秘宮が結婚する。
島津久光 しまづひさみつ
有馬新七 ありましんしち
幕末の歴史 寺田屋騒動
幕末の歴史 薩英戦争
有力藩クローズアップ1 護摩藩ってどんな藩?
知っておどろき!幕末! 江戸の三大剣士とは?
幕末おもしろコラム 藩邸はとても巨大だった!?

2章 尊王攘夷
マンガ 外国船砲撃!
マンガ 奇兵隊結成!
マンガ 池田屋事件
マンガ 禁門の変!
マンガ 下関戦争!
高杉晋作 たかすぎしんさく
久坂玄瑞 くさかげんずい
吉田稔麿 よしだとしまろ
幕末の歴史 池田屋事件
幕末の歴史 禁門の変(蛤御門の変)
幕末の歴史 下関戦争
有力藩クローズアップ2 長州藩ってどんな毒?
孝明天皇 こうめいてんのう
松平容保 まつだいらかたもり
西郷頼母 さいごうたのも
有力藩クローズアップ3 会津藩ってどんな藩?
武市半平太 たけちはんぺいた
吉田東洋 よしだとうよう
岡田以蔵 おかだいぞう
ジョン万次郎 ジョンまんじろう…
有力藩クローズアップ4 土佐藩ってどんな藩?
徳川慶勝 とくがわよしかつ
松平定敬 まうだいらさだあき
ざっくり知ろう!幕末! 幕末の長州藩と薩摩藩の動き
国近藤勇 こんどういさみ
国土方歳三 ひじかたとしぞう
沖田総司 おきたそうじ
回伊東甲子太郎 いとうかしたろう
回芹沢鴨 せりざわかも
国永倉新八 ながくらしんばち
国山南敬助 やまなみけいすけ
斎藤一 さいとうはじめ
清河八郎 きよかわはちろう
佐々木只三郎 ささきたださぶろう
知っておどろき!幕末! 新選組はどんな組織だったの?
幕末新聞 過激な尊王攘夷運動が続発した?
人物おもしろベスト3 長生きした幕末の有名人

矢部健太郎 (監修)
西東社 (2016/11/9)、出典:出版社HP

3章 大政奉還
マンガ 薩長同盟
マンガ 船中八策!
マンガ 大政奉還!
坂本龍馬 さかもとりょうま
知っておどろき!幕末! 亀山社中は日本最初の会社?
幕末の歴史 薩長同盟が継ばれる

桂小五郎(木戸孝允) かつらこごろう(きどたかよし):
幕末の歴史 第二次長州征伐
西郷隆盛 さいごうたかもり
小松帯刀 こまったてわき
中岡慎太郎 なかおかしんたろう
山内容堂 やまうちょうどう
後藤象二郎 ごとうしょうじろう
幕末の歴史 船中八策が提案される
徳川慶喜 とくがわよしのぶ:
幕末の歴史 大政奉還が実現する
佐久間象山 さくましょうざん
横井小楠 よこいしょうなん
緒方洪庵 おがたこうあん
幕末新聞 幕末・維新期には暗殺事件が多かった!
知っておどろき!幕末! 幕末の志士を支えた女性たち

人物おもしろベスト3 マイナーだけど超イケメン!!
4章 戊辰戦争
マンガ 海舟と隆盛の会談
マンガ 江戸城明け渡し!
マンガ 会津戦争!
マンガ 箱館戦争!
勝海舟 かっかいしゅう
岩倉具視 いわくらともみ
三条実美 さんじょうさねとみ
幕末の歴史 鳥羽・伏見の戦い
大久保一翁 おおくぼいちおう
山岡鉄舟 やまおかてっしゅう
小栗忠順 おぐりただまさ
伊達宗城 だてむねなり
鍋島直正 なべしまなおまさ
有力藩クローズアップ5 肥前藩ってどんな藩?
大村益次郎 おおむらますじろう:
幕末の歴史 上野戦争
板垣退助 いたがきたいすけ
河井継之助 かわいつぎのすけ:
幕末の歴史 北越戦争
新島八重 にいじまやえ
知っておどろき!幕末! 白虎隊ってどんな隊だった?
榎本武揚 えのもとたけあき
大鳥圭介 おおとりけいすけ
黒田清隆 くろだきよたか
幕末の歴史 箱館戦争
知っておどろき!幕末! 幕末・維新期に来日した外国人!!
幕末おもしろコラム お姫様は綿婚すると顔が変わった!?

5章 明治維新
マンガ 東京遷都!
マンガ 廃藩置県!
マンガ 征韓論争!
マンガ 西南戦争!
明治天皇 めいじてんのう
大久保利通 おおくぼとしみち
伊藤博文 いとうひろぶみ
由利公正 ゆりきみまさ
陸奥宗光 むっむねみつ:
知っておおどろき!明治! これが明治維新の大改革だ!!
明治の歴史 征韓論争が起こる。
江藤新平 えとうしんぺい
山県有朋 やまがたありとも
谷干城 たにたてき
児玉源太郎 こだまげんたろう
乃木希典 のぎまれすけ
大山巌 おおやまいわお
西郷従道 さいごうつぐみち
桐野利秋 きりのとしあき
明治の歴史 西南戦争
明治新聞 隆監は新政府軍と戦いたくなかった?
ざっくり知ろう!明治! 激動の明治維新期の歴史!?
幕末おもしろコラム 年齢を重ねた志士たち!!

6章 文明開化
マンガ 慶応義塾!
マンガ 女子留学生!
福沢諭吉 ふくざわゆきち
井上馨 いのうえかおる
岩崎弥太郎 いわさきやたろう
渋沢栄一 しぶさわえいいち
五代友厚 ごだいともあつ
前島密 まえじまひそか
新島襄 にいじまじょう
大隈重信 おおくましげのぶ
荻野吟子 おぎのぎんこ
津田梅子 つだうめこ
広岡浅子 ひろおかあさこ
知っておどろき!明治! 聴治時代の新しい芸術!
明治新聞 文明開化で暮らしはどう変わった!?
ざっくり知ろう!明治! 明治時代の歴史!!
幕末の国名マップ
『幕末・維新大事典』年表
さくいん:

この本の使い方

矢部健太郎 (監修)
西東社 (2016/11/9)、出典:出版社HP

幕末史 (ちくま新書)

癌と闘いながら出版した、著者渾身の幕末史。

幕末の書物と言えば、幕府側か薩長側か。大体どちらか一方の視点で書かれることが多いですが、この本は幕府・朝廷・名藩の史料を駆使して客観的に纏められています。教科書的な説明を除外し、独自の解釈が頻出する点はこの時代への著者の想いや熱意が感じられます。「攘夷」というキーワードを深く解釈することによって生まれる筋の通ったストーリーは必読です。

佐々木克 (著)
筑摩書房 (2014/11/10)、出典:出版社HP

目次

はじめに
屈辱を抱きしめながら/挙国一致でなければ/破約攘夷を国家的課題に/清国の道を歩んではならない/内乱の危機/朝廷と幕府の危機的状態/将来のために誓約を/新政府の誕生と課題

第1章 屈辱の出発 1853-1859

1 ペリーショック
パクサンズ砲の威力/砲艦外交の屈辱/大統領親書にたいする意見

2 和親条約と通商条約
日米和親条約の調印/ペリー ショックへの対応/外交に活路を/通商へ踏み出す/不平等条約

3 通商条約調印をめぐって
天皇の裁可を経て発令/勅許を要請/主張する天皇/勅許せず

4 大老井伊直弼と条約調印
エースの登場/調印とイギリスの影/大老の悩み/大老批判

5 破約攘夷の密約
「心中氷解」した天皇/密約/安政の大獄/吉田松陰の激論

第2章 尊王攘夷運動 1860-1863

1 薩摩と長州の政治運動
桜田門外の変/薩摩藩誠忠組/再度の密約/長州の策論/島津久光への内命

2 尊王攘夷論の台頭
密約の公表/尊王と攘夷の合体/幕政改革/四賢侯の結合

3 政治の都・京都の尊攘運動
盛り上がる尊攘論/幕府批判とテロ/攘夷督促の勅使と土佐/諸大名の上京/将軍の上洛と攘夷の国是

4 攘夷の決行
攘夷祈願の行幸/攘夷の期日が決まる/下関攘夷戦争/薩英戦争/日本国家の国防軍が必要だ

5 文久三年八月の政変
姦人を掃除すべし/薩摩の決意/暴走する強硬論者/政変の準備/八月十八日/長州藩の処分|

第3章 遠のく挙国一致 1863-1865

1 新たな国是を定めるために。
攘夷の内容/四侯の上京/天皇が久光に相談/公家と武家の国家最高会議/横浜鎖港の国

2 朝廷と幕府の合体%
新たな長州問題/禁裏御守衛総督/幕府へ庶政を委任/幕府から自立

3 禁門の変
池田屋事件/長州勢の上京/混迷する対応/蛤御門の戦い

4 第一次長州征討
朝敵となった長州藩/四国連合艦隊の長州攻撃/征長総督を辞退する慶勝/勝海舟と西郷隆盛/三家老の切腹

5 第二次長州征討へ
高杉晋作の挙兵/龍馬と西郷隆盛/将軍進発と判断の誤り/薩摩の長州支援

第4章 日本を立ち直らせるために 1865-1866

1 長州征討と条約勅許
なぜ長州支援なのか/幕府は自ら倒れる/長州征討をめぐる朝議/朝廷これかぎり/条約勅許

2 坂本龍馬が山口へ
無力な朝廷/私信の報告書/非義の勅命/長州に伝えたかったもの

3 薩長誓約
木戸孝允の上京/龍馬の提言/薩長誓約の日/誓約六ヵ条

4 日本の将来のために、
龍馬に送った木戸の手紙/誓約の意義/征長に抗議する大坂の民衆/幕長戦争/見えた幕府の末路

第5章 新政府の創設 1866-1867

1 ええじゃないかと踊る民衆
最後の将軍徳川慶喜/孝明天皇の急逝/兵庫開港問題/混乱する朝議/ええじゃないかの発生/大政奉還とええじゃないか

2 薩摩と土佐の盟約 |
新政府が必要だ/薩土盟約/政変で新政府を/討幕はできない/薩長芸三藩出兵協定

3 大政奉還
大政奉還と大舞台/大政奉還の上表/討将軍る視野に/討将軍の偽勅/島津茂久の率兵上京

4 王政復古の政変
土佐の構想/武力を用いなくて色/薩摩の政変路線/政変の始動/政変決行/小御所会議の議論/王政復古の大号令

第6章 明治国家の課題 1868-1890

1 近代国家をめざして
五箇条の誓文/東の都を定める/版籍奉還/廃藩への助走/廃藩断行

2 岩倉遣外使節
その目的/視察の旅/ドイツ・ビスマルクの発見/内務卿大久保利通

3 国会の開設を一
文明開化の軌道修正/自由民権運動/政府批判の嵐

4 立憲国家の成立
伊藤博文の憲法調査/近代内閣制度の成立/条約改正交渉/大日本帝国憲法/近代日本が選んだ道

あとがき
参考文献
索引

佐々木克 (著)
筑摩書房 (2014/11/10)、出典:出版社HP

はじめに

屈辱を抱きしめながら

幕末の日本は、ザワザワと波立つ国際社会に、屈辱を胸に抱きしめながら、漕ぎだしていかねばならなかった。しかし失意に沈み込んでいたのではない。
日本を立ち直らせるために、屈辱をバネにして、強い決意のもとに、意欲的に立ち向かっていったのである。
日本に開国を求めるアメリカ大統領の国書を携えて一八五三(嘉永六)年六月三日に来航したペリーは、翌四日には江戸湾内海に無断で入り込んで測量を始め、六日にはミシシッピ号が護衛する測量船が小柴沖まで接近した。
ミシシッピ号には新型のパクサンズ砲が搭載されていて、江戸城はその射程距離の内にあった。当時の日本は、一番大きな船が千石船で、大砲を搭載した軍艦というべきものはなかった。測量を阻止する手段はなく、小船に役人が乗って抗議したのがせいいっぱいの行動だった。

挙国一致でなければ

ペリーショックの実態は、巨大な軍事力の差を見せつけられたことであり、戦う前に敗北するという屈辱だった。
このたえがたい現実に対応する手段は、しかし限られたものだった。開国・通商に断固として反対する前水戸藩主の徳川斉昭は、アメリカにたいする回答をのらりくらりと引き伸ばすという、しかし今何よりも必要なことは、武家はもとより百姓・町人にいたるまで 心と力を一つにすることだと主張する。
また彦根藩主の井伊直弼は、策略として開国・通商して、軍艦を購入し、軍事技術を学ぶべきだというが、重要なのは人心を一致させることだと提言した。開国か否か、正反対の意見だった二人だが、日本の将来のため、今なすべき緊急の課題は、人心を一致させ挙国一致の体制を築くことだと主張していた。幕末の日本をつらぬくスローガンであり、国家的最重要課題となった「挙国一致」がこの時に誕生したのである。
第二の屈辱は日米修好通商条約にあった。欧米の近代国家は、国家独自の立場から、輸出入品に課税する権利(関税自主権)があるという共通理解の上で貿易がおこなわれていて、現在でも変わらない原則である。しかしハリスは日本にはその権利を認めなかった。
その理由は、日本は文明開化半ばの国(半開の国)だから、欧米近代諸国と対等なレベルで条約を結ぶことはできない、というものだった。

破約攘夷を国家的課題に

この屈辱的な条約を全面的に破棄し、そのうえで対等な条約を結びなおす。
そのためにこの方針を国家の最重要課題(国是)と定め、天皇を中心とした挙国一致の体制を築いて外国側と交渉し実現をめざす。このような主張が一八六二(文久二)年の半ばから京都を中心に燃え上がった。尊王攘夷論である。
幕末には条約改正という言葉がない。条約を改めようという主張る、そのための外交交渉も、一言で表現すれば〈攘夷〉となる。幕末の攘夷論は明治の条約改正論なのである。
挙国一致で列強にたちむかわないと、屈辱の根を断つことができないとわかっている。
朝廷、幕府、藩が密接な協力体制を築き、公家と武家と庶民が一体となることで挙国一致の体制となるのだが、実現に至るのはたやすくなかった。
破約攘夷をめぐって強硬論の長州と現実論(穏健論)の薩摩が対立し、禁門の変で朝敵となった長州の処分をめぐっては、幕府が世論に耳をふさいで長州征討戦争を強行する。
これでは挙国一致とならない。一致ではなく分裂である。
幕末の日本を、このままでは「新アメリカ」になってしまうと、岩倉具視の同志である公家の中御門経之が強くうったえていた。アメリカの植民地になってしまうという意味になるが、アメリカに特別な動きがあったからというわけではなく、欧米列強の代名詞として用いられているのである。

清国の道を歩んではならない

日本と通商条約を最初に結んだアメリカ、イギリス、ロシア、フランス、オランダの諸国に、日本を植民地にしようとする政策方針があったかどうかという点は別として、東アジアにおける現実の国際環境をみるかぎり、列強による植民地化の方向は強まっていた。
孝明天皇が、インドの轍を踏まないよう、強い気持ちを持たなくてはならないと、廷臣に呼びかけたのは、東洋の覇者であった清国が大きく傾いた現実をふまえてのものだった。
清国は太平天国の民衆反乱を、イギリス軍隊の力をかりてようやく鎮圧したが、その結果イギリスの介入が一段と強まり、あたかも植民地化が進んでいるかのような状態に見えていたからである。
長州藩士高杉晋作は一八六二(文久二)年の夏に、幕府の上海市場調査団に加わって二カ月ほど滞在した。そこで目にしたのは清国人がイギリス人の前で卑屈にふるまう姿だった。清国は大きく傾きつつある、と高杉の目に映った。そして対外戦争よりも内乱が国家を傾ける原因だと確信する。この思いは高杉だけではなく、広く日本の人々に共有された。そして清国と同じ道を歩んではならない、これが合言葉となったのである。

内乱の危機

日本にも内乱の危機があった。一八六三(文久三)年八月、長州藩の下関攘夷戦争(外国船砲撃と列強の報復攻撃)の際に、対岸の小倉藩が長州を応援せず傍観していたという理由で、小倉藩の処分(藩主小笠原忠幹の官位剥奪と領地一二万石没収)を朝廷の会議(朝議)で内決した。京都に滞在する長州藩士や真木和泉らの強硬論者が、同志とする三条実美らの朝廷内攘夷強硬論者にせまったことによる。
しかしこの処分には、在京していた鳥取藩主池田慶徳、岡山藩主池田茂政、米沢藩主上杉斉憲らが強く反発した。このような過酷な処分では小倉藩が受け入れるわけがなく、小倉と長州の対決・戦争となり、ひいては内乱にまで突き進む恐れがある、と心配したからである。彼らは攘夷論に理解を示していた諸侯だったが、内戦・内乱を避けることを何よりも重視したのである。京都の政局はきわどいところで理性をとりもどし、八月十八日政変により攘夷強硬論者が京都から追放されて、小倉藩処分はおこなわれなかった。
幕府と長州の戦争(第二次長州征討)は、よりいっそうの危機をはらんでいた。譜代、外様を問わず有力藩は戦争に反対の声をあげ、その背景には民衆の動きがあった。大坂と江戸の民衆が、米価の急騰を理由に蜂起したのである。パンをよこせと声を挙げて暴動となった、フランス革命とロシア革命の民衆に通じる動きで、内乱の赤い火種が見えていたにもかかわらず幕府は征長戦争を強行した。

朝廷と幕府の危機的状態

しかも朝廷がこの戦争を支持していた。直接には一橋慶喜の剛腕に押し切られた結果だったが、朝廷は相次ぐ政争のあげくに人材が枯渇し、幕府と同様に理性的な判断ができなくなっていた。挙国一致の中心となり、日本国家を支えるべき幕府と朝廷が、このように 深刻な状態におちいっていたのである。
この危機的状況をどのように打開するのか。緊急の課題だったが、方向は見えていた。
「幕府は自ら倒れる」と西郷隆盛は言い切っていたが(一八六五・慶応元年八月、大久保利通・蓑田伝兵衛宛書簡)、大久保利通は「朝廷これ限り」もう何も期待しないと、朝彦親王に言葉を投げ返して去った(『朝彦親王日記』一八六五・慶応元年九月)。幕府も朝廷も自力で回復することはないと見切ったのである。
頼りになるのは有力藩(雄藩)なのだ。雄藩がどれだけ結集できるのか、日本再建のカギはここにある。西郷隆盛と大久保利通の構想はこうだ。まず薩摩と長州が手を結ぶ。薩長二藩だけで日本を再建するには力不足だから、同志の輪を広げなければならない。

将来のために誓約を

その方法を坂本龍馬はこのように提言する。自分が東西を奔走するのは薩長のためではない。日本の将来のことを思うからだ。薩摩と長州が日本の将来のために固く誓うことを出発点とするべきだと。西郷隆盛と木戸孝允は龍馬の提言を理解した。そして薩長の誓約となったのである。
薩長誓約(薩長同盟あるいは薩長盟約と言われてきたが、後に命名されたものである)は秘密協定ではない。日本の将来のためであることを、有志の藩や人物にアピールすることを主旨としていた。身分を問わず、雄藩、幕府、朝廷、庶民にいたるまで、薩長誓約の高い 志を本当に理解する人材に声をかけるのだ。
幕府が朝廷をまきこんで長州征討を強行し、日本分裂の危機を強めたことで、幕府にたいする批判とともに大政奉還の声が強まった。有力藩の連携と有志の同志的結合は着実に広がっていた。一八六七(慶応三)年六月二十二日に結ばれた薩摩と土佐の盟約は、以上のような状況を背景に、将軍職を廃止したうえで、新しい政府(日本国家の行政府)を創設することを目標に掲げたもので、幕末の国家構想・政権構想の到達点であった。

新政府の誕生と課題

王政復古(一八六七・慶応三年十二月九日)はこの構想を実現したものだった。幕府と朝廷という政治組織を廃止し、この両者を母体としない、全く新しい行政府が誕生したのである。諸藩全体の合意には時間を要するから政変の形となったが、政変に連なった有力諸侯は、各々その政権構想に温度差があったものの、新政府創設という基本線で合意がなされており、最後の将軍徳川慶喜もこの点では異論がなかった。新政府は薩長討幕派の政府などではなかったのである。
将来のため、という言葉がむなしく響くほど今の日本は動かない。幕末は違った。幕末の危機的状況がしぼりだしたこの言葉は、人と国を大きく動かした。長州に声援を送りたい者、幕府に恩義を感じる者、立つ位置を超えて日本の将来のために肩を組んだ。幕末の日本は多少の異論は大きく包み込んで、前に進んでいったのである。
新政府は年明け(一八六八・慶応四年)の一月十五日、外国との交際は「和親」の方針であること、ただし通商条約には弊害があるから「改革」を目指す方針であることを公布した。幕末の国家的最重要課題であった破約攘夷(条約改正)が新政府の方針として引き継がれたのである。条約改正がきわめて困難であることを政府は承知している。欧米列強が日本を近代国家と認めなければ、条約改正交渉のテーブルに着くことさえ難しいとも認識していた。
ここに近代化が国家的重要課題となり、官民一体となって近代化の達成をめざすことになった。廃藩置県によって一つの国家・一人の元首の体制が成立し、政府と国民が重要な国家目標を共有して、挙国体制で近代化の達成にまい進した。そして幕末の駕籠の時代から、わずか十数年で汽車の時代となる、世界でも類を見ないスピードで近代化を達成したのである。
一八八九(明治二十二)年に国会を開設し、その前に憲法を制定すると宣言した。イギリスが条約改正に応じょうとしたのは、日本の近代化を評価したからだった。ペリー来航以来、胸中に張り付いていた屈辱感を剥がし取る、その時が見えてきていたのである。

本文中で史料からの引用と、部分的に現代文にあらため言葉をおぎなったものをカギカッコに人れて示した。また年齢は、満年齢または満年齢に近い数を表記した。

佐々木克 (著)
筑摩書房 (2014/11/10)、出典:出版社HP

徳川の幕末 (筑摩選書)

徳川幕府から見た人物史の正論!

幕末維新の政局中、徳川幕府は常に大きな存在でした。徳川慶喜、勝海舟、松平春嶽、大久保一翁等々幕府の人材はどのようにその地位につき、どんなタイミングで決断したのかを、綿密な考証に基づいて描いています。歴史の原点に触れられる一冊です。

松浦 玲 (著)
筑摩書房 (2020/4/15)、出典:出版社HP

徳川の幕末【目次】

はじめに

第一章 安政の政局
一 阿部正弘の流儀
『昨夢記事』の誤り/浦賀奉行の憤り/ロシア優先の破約/再渡のペリーと和親条約
二 安政元年の和親条約
水野忠徳の硬骨/露艦大坂へ、函館奉行再置/下田津波と日露条約
三 蘭露と通商条約
人材群の一方の核/暫定協定廃棄と日蘭和親条約/香港総督の予告/阿部死去と追加 条約
四 将軍継嗣問題
ハリス下田駐筍/政局中の政局/ハリスの脅し/水野・岩瀬、それぞれ誤算/金流出 が決まる/慶喜に小さな出番/田安家老だが一橋支持/「内勅」ではなく「御英断」を/それぞれの方針転換/井伊大老は家定の真意実現を保証/違勅調印の真相/全面対決/「罪を掖庭に待つ」を使う慶永の能力/慶永処分
五 外国奉行
水野忠徳復活/批准使節派遣予定と別船計画

第二章 井伊政権と久世安藤政権
一 安政の大獄
戊午の密勅/狭義の安政大獄はじまる/「バカ二朱」は拒否された/公家の落飾、評定所第一次断罪/処分されない水野忠徳/第二次、三次の断罪
二 桜田門外の変と久世大和復活
金取得に狂奔/安藤対馬昇進/井伊「罷免」と万延改元/ロシアの対馬占領策/特命 全権公使相当竹内下野守/「又ハ振干戈加征討候乎」

第三章 慶喜後見職
一 坂下門事件以後
退くものと復活するものと/無理筋の慶喜後見職/政事総裁職松平春嶽と顧問横井小南/隠居山内容堂の苦しみ/海舟の自負
二 攘夷奉承後の混迷
海路か陸路か/攘夷期日五月十日/家茂の摂海視察
三 「率兵上京」
仏公使ベルクールの役割/小笠原撤退/晦日に大坂着/将軍海路東帰/八・一八政変/神戸に移る海舟と福井の政変/江戸城本丸焼失
四 参預会議の創設と消滅
朝儀参預/将軍を乗せると過つ海舟/参預と幕府の距離/最後の甲子改元で「元治」 /征長纏まらず/慶喜暴言、去った後は談笑/天皇は幕府を信頼/元参預ら離京/見 廻役と見廻組

第四章 家茂親政
一 老中阿部豐後
池田屋事件/阿部豊後登場/兵馬俊の秋/勝海舟・西郷隆盛初会談と阿部豊後評価
二 第一次征長戰爭
開戦せず/神戸海軍操練所廃止/天狗党降伏/赤ヅラ白ヅラ/慶応改元
三 将軍進発
長州再征は家茂親征のつもり/大坂の戦時下的統制/二老中の官位を続奪/一翁上坂 命令をめぐる混迷
四 第二次征長戰爭 長州処分案/慶喜旅宿と薩摩藩邸と/小笠原長行評価/「公議会」説/追い込まれ開 戦/開戦の直前と直後と/クウレの六百万ドル/海舟の錯覚

第五章 慶喜親政
一 敗戰処理
将軍死去を伏せ代理で出陣/「幕府は今日より無之事」/厳島応接
二 慶喜将軍就位
慶喜徳川家相続/慶応の軍制改革と陸海軍の奉行並/孝明天皇急逝/大坂城が外交の舞台に/機能しない「四候会議」/フランス式の陸軍、海軍はイギリス/総裁は江戸、 将軍は京都
三 ヨーロッパの徳川昭武
フランスの徳川昭武/栗本鋤雲渡仏と昭武の旅行と/昭武の危機

第六章 大政奉還
一 土佐の建白
前史/薩土盟約/建白は高知で確定/建白提出
二 上表
慶喜の記憶/京都永住構想/決意表明/上奏と勅許、討幕密勅/小松帯刀上京せず
三 江戸開戦から鳥羽・伏見戦争へ
摂海に開陽/大坂城の慶喜と春嶽/討薩表/指揮官不在の大軍/開陽で東帰
四 江戸開城
若年寄支配体制/無血開城談判と開城/小栗上野土着/小栗処刑、川路聖謨、水野凝 雲死去/徳川艦隊北行

おわりに
あとがき
人名索引

徳川の幕末 人材と政局

松浦 玲 (著)
筑摩書房 (2020/4/15)、出典:出版社HP

はじめに

将軍家茂の死を悲しむものは僅かに三人。松平春嶽が報じた。
春嶽は越前福井藩の前藩主(隠居)である。手紙の相手は知友の伊達宗城、伊予宇和島藩の隠 居だ。ともに安政五年(一八五八)の政局で当主の座から引きずりおろされたのだが、家茂死去の慶応二年(一八六六)、それぞれの藩では最高実力者だった。
家茂の死を悲しむ三人の内訳は「幕府に二人、幕外に一人」。すぐに続けて「幕外一人とは僕 一人に御座候」と書くから、春嶽は将軍没を心から悼む極微の少数派に自分自身を数えた。
自分の他に悲しむものは幕府内に二人だけ、「二人とは板倉伊賀守・勝安房守」だと手紙文中 で名指す。自身を「幕外」と位置付けたのも刺激的だが、幕府にこの二人との断定には春嶽独特の思い込みが感じられる。
将軍家茂は大坂城で没した。第二次征長戦のため前年(慶応元年)から大坂に滞在し、目的を果さないまま病に倒れた。数えどしで二十一歳の若い死だった。
春嶽が挙げた二人のうち(元周防守で前阿波守の)「板倉伊賀守」勝静は、備中松山(岡山県高 梁)藩主である。慶応二年七月二十日に家茂が大坂城で死んだとき、老中として在坂していた。しかし板倉は、家茂が大軍を率いて江戸を発したときには、老中でなかった。第二次征長戦積極推進派には属していない。だが反対派とも言えないだろう。再任されて大坂城に詰めてからは征長体制を維持することに努めた。
二人目の「勝安房守」義邦(海舟)は、征長反対派である。家茂江戸発のときは罷免閑居中で 見送りもしなかったのだが、それ以前に若い将軍を何度も船に乗せて親近感を持つ。家茂の人柄が良いので好きなのだった。家茂死去のときは軍艦奉行に復任し呼ばれて大坂に滞在中。幕府内に「二人」はともかく、勝海舟が家茂の死去を深く悲しんだのは確かである。
春嶽もさすがに二人では絞り過ぎと思ったか、「川勝美作・永井主水、是等も悲痛之中に御座 候」と追加した。大目付の川勝美作守広運と大目付兼外国奉行の永井主水正尚志を、悲しむ仲間に加えた。しかし続けて「其外は橋公へ阿瞑眩佞実に不忍見為体」と憤慨するのである。春 嶽の見るところ他の幕臣はみな、十五代将軍となる(少し手間取るのだがそのコースに入っている) 一橋慶喜にくっついてしまった。

文面のうち勝海舟については保証できる。海舟が家茂に惚れ込んでおり、慶喜に阿誤診仮する仲間に入らなかったのは春嶽の言う通りだ。この時点でも他の多くのときと同様(常にではないが)春嶽と海舟は同志なのだった。
川勝と永井について、海舟(が悲しんだ事実)ほどの保証はいたしかねるが、春嶽にはそのように見えていた。ただし春嶽の力点は、他の幕臣がみな慶喜を担ぐ側に回ってしまったと悲憤するところにある。慶喜が好きなら、ここまでは怒らないだろう。嫌いなのである。しかし徳川家 の中心に坐する資格と能力を備へているのは慶喜しかない。嫌いな慶喜を我慢する苦しみの一端 を漏らしたのが、家茂発喪(八月二十日死去公表)から間もない九月七日付の、この伊達宗城宛 書簡だった。
春嶽は嫌いな慶喜を我慢する。板倉勝静は春嶽ほどには慶喜を嫌っていない。家茂の後は慶喜だと早く決めて積極的に動いた。家茂の死去を悲しむ余裕があったとは感じられない。春嶽が家茂の死を悲しむ第一に「板倉伊賀守」を挙げたのには賛成しかねる。しかし春嶽にそのように見えていたことは計算に入れなければなるまい。
海舟は慶喜擁立の動きに加わらず純粋に家茂の死を悼む。家茂死去を和宮に報告に行く役目の 側衆室賀伊予守正容が同じ気分ではないかと察せられる。室賀は小姓組番頭から大目付を経て側 衆となったところだ。江戸へ向う直前の室賀に呼ばれて海舟は密談している。海舟は日記に室賀伊予のことを「作州」「作州」と繰返すのだが(「美作守」だと誤認)、この困った傾向については別に述べる。
春嶽は室賀伊予にまでは目が届かなかった。それで(幕府內に二人では少ないと思い)川勝と永井を追加した。ここで川勝と永井を引入れたことは、その板倉観と共に、春嶽の対幕府姿勢や幕 臣評価を考える上での参考材料となる。
慶喜を支持した幕臣は阿瞑眩佞の徒ばかりではない。この手紙には登場しないが、家茂生前の大坂に水野凝雲が来ていた。大久保一翁も来ていた。それぞれ本論で重要な役割を果す人物、いま詳しくは述べないが、水野凝雲は「玉の取替え」を企んでいると大久保一翁が春嶽宛の手紙に 書いた。家茂では無理だと水野は見ていた(と一翁が判断)。春嶽は驚くのだが、その件は、いま 問題にしている伊達宗城宛書簡には全く現われていない。

前に「刺激的だ」と書いた話、慶応二年九月、家茂発喪直後の書簡で、春嶽が自身を「幕外」と位置づけていた件に戻る。家門藩の隠居で、このときは幕府の要職から外れているのだから、当人はそのつもりなのである。第二次征長戦には反対だった。大反対だった。
それでも春嶽に自分は「幕外」だと書かれると、いささか違和感がある。四年前の文久二年 (一八六二)幕政改革に際しては、隠居のままながら政事総裁職という大老相当のポストに就任した。「幕内」の中枢ではないか。ただし春嶽は一年足らずで辞めてしまうのだが。
春嶽の政事総裁職と同じ時、一橋慶喜は将軍後見職になった。将軍家茂数えどし十七歳で田安 慶頼後見職を辞めさせた直後だから大いに紛糾したが、それもいまは略す(本論で述べる)。慶喜後見職と春嶽総裁職で、幕府に「慶喜春嶽政権」ができたかに見えた。ともに仕事をするうちに、春嶽は少しずつ慶喜が嫌いになっていく。
春嶽は総裁職を辞め、慶喜は後見職を続けた上で禁裏守衛総督に転ずるけれども、二人の接触はとぎれはしない。春嶽の慶喜嫌いが増幅する事件も続く。
将軍家茂についての春嶽の気持は、海舟ほどの強烈な記録(賞めるあまりに記述に食い違いが生じた例を本文で挙げる)が残らないけれども、やはりその人柄を愛するようになったのだと思われる。それで死去に際して悲しむ三人のうちに自分を数えた。家茂の死を悼まない幕臣が慶喜にくっつくのと対照させた。慶応二年の春嶽は、家茂が好き、慶喜は嫌いなのである。
かつてはそうでなかった。安政年間(一八五四十五八)将軍継嗣をめぐる争いで紀州藩主の家 茂(そのときは慶福)と、慶喜が対立候補だったとき、春嶽(隠居させられる前の福井藩主松平越前 守慶永)は徹底的な一橋派だった。一橋派の旗頭だった。春嶽は慶喜を担いで紀州派と争って敗北し、隠居謹慎させられたのである。大きな政局だった。春嶽はその中心にいた。
越前福井藩主が敗退し隠居謹慎処分を受けたことに代表される政局、それに続く安政の大獄で幕府は、日本を条約の相手国(米蘭英仏露)と相似の近代国家へと引張る力を、みずからそこね た。有能な人材を殺し、また第一線から退かせた。日本を西欧型の国民国家的な統一国家に造り替える作業の主導権が怪しくなっている。
大獄から三年ないし四年後に、生き残っていた人材を復活させ、あるいは抜擢したのだが、いかにも遅かった。将軍が条約上の主権者であり続けたにもかかわらず、幕府の正統性は内外から疑われていた。
国民国家的統一国家に造り替えることの是非、また幕府の正統性の問題は独自の議論を必要と するが、いまはやらない。本論で何度も触れることになる。
安政五年に隠居させられ越前守の称を失った松平慶永は、万延元年(一八六〇)九月四日に謹 慎処分の一部を許され、文久二年(一八六二)四月二十五日には残る接客通信の禁が解除された。次いで同年の五月七日には隠居のままで幕政参与の命を受ける。
隠居させられる前、その処遇について幕臣に種々の案があったが、実情は幕府のことを心配する家門藩主に留まり、幕政に関わることはなかった。四年後には幕政に参与し、更に政事総裁職にまで進む。しかし春嶽(隠居させられてから使用する雅号)の力で挽回できる局面ではなかった。
春嶽と大久保一翁(このときは越中守忠寛で大目付兼帯外国奉行→側衆→左遷)が着想した政権返上論(大政奉還)が、恐らく唯一の奇策だったろう。しかし文久二年の将軍家茂には、それを実行する力が無かった。将軍後見職になっていた一橋慶喜は、はぐらかして逃げた。
春嶽が提起し慶喜がはぐらかすという場面は、四年後の慶応二年(一八六六)、家茂死去直後 にまた繰返された。詳しくは本論で述べるが、春嶽が政権返上論を提起し、慶喜はそれを採用するふりをした。窮地を脱するための時間かせぎに使ったのである。先程の伊達宗城宛の松平春嶽 書簡は、慶喜が裏切ることにまだ完全には気付いておらず、しかし疑いが兆した気分を示すものだと言える。
このときは逃切った慶喜が、翌慶応三年には本当に大政奉還して幕府は終わる。
安政年間に松平慶永が擁立に努めた一橋慶喜、途中で関係が怪しくなったが、ともかく当初期待の候補者が将軍位に昇ると、その翌年に幕府は消滅した。慶喜が自発的に消滅させた。春嶽の 好き嫌いはともかく、慶喜には大政奉還を断行する力があった。遅まきながらやっと期待に応えたのだ。歴史が動いた。徳川将軍が歴史を動かした。家茂には動かす力がなく慶喜にはあった。
ただし幕臣の多くが慶喜に大政奉還を期待したわけではない。安政の慶喜支持派で大獄に引掛 からず文久期に春嶽と対立して引退した水野忠徳(凝雲)は、さきに少し触れたように慶応期に も慶喜支持で家茂との取替えを目論んだ(と大久保一翁に推測された)。その水野も大政奉還を期待した訳ではなかった。安政の政局で、田安家老の水野忠徳に頼ること多かった春嶽の方が、慶 応期には嫌いになった慶喜に大政奉還を求め続けた。この対照も本論の目玉の一つとなる。春嶽 の構想は、幕府が巨大大名の一つとして公議に加わることだった。慶喜のは少し違い徳川中心の「近代化」である。これも本論の最後で述べる。
本論は「安政の政局」から始める。

「はじめに」で使った宗城宛春嶽書簡は、渋沢栄一『徳川慶喜公伝 附録六』が「附録第三文書記録六一八」として収録するのだが、この時期の春嶽書簡を多く控える『続再夢紀事』の五にはこの書簡だけが 欠ける。附録資料として収録した徳川慶喜公伝も、伝記本文ではこの書簡を使わない。そのためか研究書や論文でこの書簡に触れたものを見たことがない。もちろん管見の限りだが。

ここで板倉伊賀守が元周防守・前阿波守で、城は備中の高梁にあるという類のことを、何となく呑込んでいるけれども得心まではしていないという読者のために、少しだけ解説を挟む。熟知される方々はとばしてください。
この本が対象とする徳川幕末期の大名や上級旗本は「伊勢守」「上野介」「掃部頭」「兵部大輔」などの律令制度の官称を持つ。京都の公家は任地(任国)や役所が有名無実化しても令の官制の定員に制約されるのだが、徳川幕末期の武家は全くの定員外で同じ官称を持つ大名や旗本が何人もいる。ただし日常 的には称だけを使うので、紛らわしいときは後輩が改称するというルールがある。老中に二人「美濃守」がいては困るので岡崎藩主本多美濃守が再任されると後輩の淀藩主稲葉美濃守が兵部大輔と改称し、本多美濃守が辞めると稲葉兵部大輔が美濃守に戻るという具合である。御用部屋では「美濃殿」「兵部 殿」と呼合い姓を使わず、日常的な記録も姓抜きの称だけで済ますことが多いから、同じ称は絶対に困るわけである。目付→軍艦奉行並→軍艦奉行(寄合)開成所頭取→目付(寄合)軍艦奉行並→軍艦奉行→海軍所頭取→勘定奉行という珍しい経歴の木村喜毅は、二度目の目付のとき、小笠原摂津守広業が日 光奉行から目付に戻って来たので「摂津守」を「兵庫頭」と改めた。日記の刊本名『木村摂津守喜毅日 記』が強烈なので気附かずにいる人があるけれども「兵庫頭」になったのだ。ランクや部署が違い日常 的に呼合うことがなければ、同じ称が何人いてもかまわないので「摂津守」に戻る機会は多かったのだが最後まで「兵庫頭」で通した。
国守号(守名・受領名)の場合、福井の松平越前守や高知の松平(山内)土佐守のように称が領国と重なる人があるが、それは例外で、たいていは関係が無い。「越前守」にしても「土佐守」にしても、越前国や土佐国と全く無縁の大名や旗本が、同時に何人もいるのである。史料に「越前守」「土佐守」とだけ出て誰のことか確定するのに手間取るのは、ごくごく普通のことである。歴史書や歴史小説に官称を多用するタイプと、全く使わない人とがある。この本では引用史料に出るときは本文でも重ねて使い、その人物を官称ごと印象づけるように工夫する。前後関係で解り易ければ官称だけで済ませることもある。
さきほど「領国と重なる」と書いたのは、福井松平の場合は越前国のうち大きな部分を領しているけれども全部ではないからである。大野の土井氏、鯖江の間部氏、勝山の小笠原氏、丸岡の有馬氏が分立、以前は研究書や小説で「越前藩」と書く人が多かったが、今は「福井藩」が普通になった。高知の山内 家は土佐一国を領している。例示で「松平(山内)土佐守」としたのは高知の山内家は幕府から松平姓 を許されており、「松平土佐守」と称するからである。浅野長訓の「松平安芸守」が同様の例だが幕末大 詰で活躍する世子浅野長勲は「紀伊守」だからややこしい。有名な島津斉彬は「松平薩摩守」だが次の 茂久(忠義)は「松平修理大夫」で薩摩守を称することはない。
所領と守名が一致する例を挙げすぎるとかえって混乱する。一致しないのが普通である。一致せず且つ松平姓が絡むのを幕末期老中で挙げておくと、丹後国宮津の本荘宗秀が「松平伯耆守」、陸奥国棚倉の 松井康直が「松平周防守」、いずれも本文で出るときに重ねて注意する。老中以外では京都守護職で知られる岩代会津藩主の松平容保が「肥後守」で、肥後熊本藩主の 川慶順が「越中守」というように、一致しないのが普通なのである。
幕末期に活躍する旗本には昇進して官称の資格を持つようになったものが多い。勝海舟は元治元年 (一八六四)五月、正規の軍艦奉行に就任して安房守を称する。それまでは麟太郎である。「麟太郎」と いう称(通称)が「安房守」という称に変るのである。略して「安房」を通称とすることもできる。春嶽により家茂の死を悲しむ幕臣として追加された永井尚志は「岩之丞」という称が「玄蕃頭→主水正!玄蕃頭」と変化する。春嶽が伊達宗城宛書簡で名指したのは「主水正」のときである。当時の人々は、これを間違えないのだ。ただし知るのが遅れたり通じ易かったりで暫く旧称が使われることはある。勝海舟は異例で「はじめに」本文でも触れたように変な間違いかたをする。あの例では側衆の室賀伊予守正容を「美作守」だと思い込んで日記に「作州」「作州」と書いたのである。海舟の記録・文書には、他の人が絶対にやらない類の間違いが多出して、人物を考える上での特異な材料を提供してくれる。

松浦 玲 (著)
筑摩書房 (2020/4/15)、出典:出版社HP

笑えて、泣けて、するする頭に入る 超現代語訳 幕末物語

幕末の歴史書なのに、最高のエンターテインメント!

今をときめく俳優やアイドルが、あれやこれやと尊王攘夷という流れに巻き込まれていく様子が現代風に描かれていて、あっという間にスルスルと頭に入ってきます。かつての偉人達が、こんなふうに未来を想い描きながら生きていたのかと思うと正直泣けてくるほど。歴史が得意でない人にも絶対にお勧めしたい、最も簡単な幕末解説書です。歴史ってこんなに面白かったの?!と叫びたくなります。

房野 史典 (著)
幻冬舎 (2018/8/23)、出典:出版社HP

はじめに

幕末は、現在の日本とそっくりです。これについて説明する前に、もう一つ言わせていただきます。中身がわかると、幕末ほどおもしろい時代はありません。1行目については、「こう書いたら食いついてもらえると思ってない?」と言われそうですが、嘘じゃありません。時代の転換期ってことで、共通点がたくさんあるんです。それは本書の中身を通じて、チラホラとお伝えしていきます。では、3行目について。その名の通り、江戸幕府の末期を指して《幕末》って呼びます。この時代、すっごく魅力的なんですが……その分、ちょいとややこしい。以前、書かせてもらった戦国時代なんかは(『超現代語訳 戦国時代』という本を出してます。宣伝です)、おおざっぱに言うと、「攻めるぞー」「勝ったー。土地もらえたー」「負けた~」これだけです(これだけじゃないです)。
ところが幕末になると、武士だけの話じゃなくなり、朝廷、や外国って存在がねっとり絡みついてくる上、政治要素もてんこ盛り。

もう、ぐちゃぐちゃです。でも、ぐちゃぐちゃだからこそ、おもしろい。そして、この本は、ややこしい幕末からおもしろさを抽出するためにあります。それでは、本編の事柄をよりよく理解していただくため、ここで幕末の流れをメチャクチャ雑に、全部書いときます。「じゃあ、『はじめに』読めば、本編読まなくても幕末のことわかるじゃん」と思われた方……はい、大体わかります。ただ、ここでわかるのは大きな流れだけ。細部のおもしろさは、まだ体感できません(してくれても一向に構いません)。
では、幕末の流れ、まいります。今から約160年前のお話。当時の日本は、《江戸時代》と呼ばれるちょんまげ全盛期(もう終わりかけ)。

「安定の徳川将軍だな」って感じで長く続いた江戸時代でしたが、《黒船》でやって来たアメリカの「貿易しよっか?」という脅迫のせいで、平和な世の中は終わりを告げます。
今まで欧米とのお付き合いがゼロだった幕府(政府だよ)は、テンパりにテンパりを重ね、外国の言われるがままに、国を開いて条約を結んじゃいます。
これに怒ったのが、開国反対派のみなさん。
「開国なんてしたら外国に侵略されるわ!」とブチギレ、「もう幕府ダメだから、朝廷(天皇のいる組織)推してこうぜ!」ってな流れをつくっていくんです。

その行動にイラッとした幕府は、井伊直弼っていうおじさんをリーダーにして、開国に反対する連中をボッコボコ。生徒をたくさん抱えた、吉田松陰さんて先生のことも容赦なくボコボコです。
ただ、井伊直弼さんがカウンターパンチくらって、《桜田門外の変》という事件で暗殺さ れちゃうから、幕府の権力は下がる一方。会津藩(福島県)に追い出されちゃいます。
わずかに京都に残った長州勢の悪巧みも、《池田屋事件》で新選組に打ち砕かれます。
ブチギレた長州は、京都に舞い戻って幕府や会津にリベンジをはかりますが、西郷隆盛率いる薩摩の活躍で、返り討ちに。長州はこのタイミングで、地元が外国にもボコボコにされ、「よく生きてるね」ってくらい、虫の息確定です。

幕府にとったら今こそチャンス! 調子に乗った幕府は「トドメを刺すぞ!」と長州に攻め込みますが、ここで立ち上がったのが土佐(高知県)の坂本龍馬。
龍馬は、薩摩と長州が仲直りして日本を引っ張っていかなきゃダメだと考えて、西郷隆盛と桂小五郎を引き合わせ、《薩長同盟》てのを組ませるんです。
この同盟と、そして長州のヒーロー高杉晋作の活躍のおかげで、長州に幕府の戦 いでは、長州が奇跡の大勝利。
そのときの将軍徳川慶喜くんは「もう幕府やってけません」となり、《大政奉還》てやつで、政治する権利”を手放します。

しかし薩長は、「そんなもんじゃ許さないよ」と、《王政復古の大号令》ってのを発動し、幕府自体をぶっ壊すというダメ押しをかまします。
すると、「まだまだ許さないよ」という薩摩&長州(新政府)と、「お前ら強引すぎるだろ!」と怒る幕府関係者(旧幕府)の間で、《戊辰戦争》てのがスタート。
そこで、欧米との貿易を始めると、経済が潤い……ません。むしろ慣れない欧米とのカラみで経済はズタボロになり、やっぱり幕府の権力は下がる一方です。
危機的状況を打破するため、幕府が考えた作戦は「朝廷との合体(協力)」。
これも、全然うまくいきません。

どんどん弱体化する幕府と入れ替わるように、グイグイ力を持ち始めたのが長州藩(山口県)と薩摩藩(鹿児島県)です。その勢いはヤバすぎて、それぞれが単体でイギリスなんかの外国と戦争しちゃうほど。特に長州の勢いは止まらず、京都で政治を操るまでになるんですが、目立ちすぎて薩摩と
江戸の町は、旧幕府の勝海舟さんが西郷さんを説得してかろうじて守りましたが、各地の戦闘は、とんでもなく激しいものになります。
会津の松平容保や、新選組の土方歳三が、旧幕府軍として最後まで抵抗しましたが、戦いは新政府の勝利に終わりました。そしてここから《明治》の世の中がスタートします。
とまぁこんな感じ。

今お届けした流れの中には、一つ一つの、結果”がありますが、本編では、その結果に至るまでの、経緯を噛み砕いてご紹介しています。幕末のおもしろさはまさにそこです。
最後まで読み終えてもよくわからなかった場合は、あれです、ネットで調べてください。 ですので、最初にお伝えしたいのは、「インターネットは便利」ということです。

房野 史典 (著)
幻冬舎 (2018/8/23)、出典:出版社HP

目次

はじめに

エピソード0
敷かれたレールの上を歩いてたらブッ壊れ始めたんです
幕末とは「江戸時代の末期」のこと。
この国の世の中の感じ、まず最初に知っておいて!

第一章
長い鎖国が解かれ、日本が開かれるとき

エピソード1
漆黒が来た!え、なに?「オトモダチニナリマショ」って言ってる!
みんな知ってる「黒船来航」。コレで日本は、「鎖国」をやめました!

エピソード2
映画ヒットして聖地巡礼してんのかってくらい来る
外国と貿易をするための条約を、日本、どんどん結んじゃう!

エピソード3
エモい先生とアドバンス大名
幕末のカリスマ天才、吉田松陰の登場。
そして、西郷どんが慕う“島津テクノロジー斉彬”サマのご活躍。

エピソード4
剣を取るか、ペンを取るか。そんなことより私たちの王子様はどっち?
朝廷と幕府が、バッチバチ。跡継ぎ問題で、大奥もバッチバチ。
後ろで糸引いてるのが、恐怖の大王・井伊直弼。

エピソード5
降りそそぐ罰の終わりには、愛しき人へのメッセージ
西郷隆盛の自殺未遂。吉田松陰は死刑――。
新しい時代のために、ヒーローたちは何に命を捧げたのか?
一方、“大獄マシーン”は暴走する!

第二章 混乱、混迷、ぐっちゃぐちゃ

エピソード6
海と雪のサムライ
《桜田門外の変》で、悪名高き井伊直弼、暗殺――。井伊亡きあとの幕府に変化が!

エピソード7
第7話「オレたちが?合体?」~忍び寄るエコノミッククライシス〜!
日本の経済が一気にボロボロに……。一方で、公武合体がぐいぐい進む。

エピソード8
スレ違い、カン違い、ウソ、ケンカ。コメディでもラブストーリーでも100点
いよいよ明らかになる,ある“ウワサ”。そして、寺田屋事件に生麦事件。
時代はますます血なまぐさく……。

エピソード9
血にけぶる町。集う剣士。青い戦争がありました
京都では剣客集団《新選組》が登場、不穏な空気は爆発寸前。
薩摩では、イギリスとの戦争によって、時代が大きく変わる!そして長州では….?

エピソード10
「御用改めするね」と君が言うキッカケになったから 8月18日はイケダ記念日
かの有名な《池田屋事件》で血が流れる。ついに、音を立てて古い時代が壊れていく!

エピソード11
正真正銘、世界中が敵だぜ!
京都での《禁門の変》に、外国からの下関砲撃事件。
孤立を深める長州のため、高杉晋作ガンバル!

第三章 新たな時代の足音が聞こえる

エピソード12
武勇伝あるある「1対○○人」を大人になってやってみた
高杉晋作vs長州藩政府。晋作は、なんでこんな無謀ができたのか?

エピソード13
勇者と魔王が手を組んだ
見せ場中の見せ場! 坂本龍馬は、薩長同盟成立の裏で、何をどう動かしていたのか?

エピソード14
巨大な権力、下から頼むか?横から倒すか?
「薩摩・長州vs幕府」の構図がクッキリ。薩長が「徳川ぶっ潰そう」としてるから、
土佐の龍馬さん、平和な革命を画策。

エピソード15
翼は折られ、もがれ、引き千切られる
こうして幕府は滅び、新政府がスタート。このごっちゃごちゃをわかりやすくするよ!

エピソード16
戦争 前編
勝海舟と西郷隆盛の男気によって「江戸城の無血開城」という奇跡が!
しかし、戦争は、もう誰にも止められない-。

エピソード17
戦争 後編
涙も涸れる、悲劇に次ぐ悲劇……。
こんな時代が、わずか150年ほど前にあったとは。

おわりに
[参考文献]

ブックデザイン
水戸部功
イラスト
曽根 愛

房野 史典 (著)
幻冬舎 (2018/8/23)、出典:出版社HP