【最新】開発経済学おすすめ本、教科書 – 入門から最先端まで

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途上国の貧困を学ぶ開発経済学とは?

開発経済学の内容は、低所得国の経済成長、開発援助、国際資金移動について論じたマクロ経済分析に基づくものもあれば、途上国の人々の行動様式を分析する分析するミクロ経済学的な議論があります。

マクロ経済学、ミクロ経済学に基づく経済学の観点だけでも対象が個人でもあり、地域でも国家間でもあり、具体的に国際金融、国際貿易、農業経済学、ゲーム理論、リスクと情報∑、産業組織論、都市経済学など幅広くそれらが途上国の分野であれば開発経済学になりえます。

昨今ではフィールド調査でのデータを集めてそれを理論的結果との側面と合わせての実証研究も頻繁に行われています。そのためのサンプル調査とデータ収集(フィールドワーク)とデータを使用した分析は計量経済の範疇であり、計量経済学も開発経済学の一端を担っています。このように範囲が広い開発経済学をどこから学んでいいか難しいという場合もありますが、今回おすすめするのはそれらの知識を一冊で学べる書籍のおすすめです。経済学をまだ学んでいない、またはミクロマクロのトピックの基礎付はできているなど、自身のスタートを決めてスタートしましょう。

 

また、2019年は開発経済学学者のエスター・デュフロ、アビジット・バナジー、マイケル・クレマー に送られました。こちらに関連する書籍もおすすめです。

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開発経済学 貧困削減へのアプローチ 増補改訂版

開発経済学スタンダード!

開発経済学の歴史、マクロ、ミクロ、最新の行動経済、実験経済(RCTs)などがバランスよく書かれており、開発経済学の全体像をつかめるでしょう。

黒崎 卓 (著), 山形 辰史 (著)
出版社、日本評論社; 増補改訂版 (2017/3/21):出版社HP

序章

人間は生活水準向上のために不断の努力を重ねてきた。しか しその努力は実るときと実らないときがある。産業革命以前の 世界の所得の伸びは1000年以上にわたり非常に緩やかだったことが知られている(Economist 1999)。そして産業革命以降の 世界経済の拡大は、現在われわれが目の当たりにしているもの である。産業革命以前も生活水準改善のための努力はなされて いたのであるが、それが常に報いられたわけではなかった。経 済的進歩を促す制度があって初めて進歩が実現したのである
(Mokyr 1990)。

同様に、生活水準向上への努力は報われた場所と報われていない場所がある。現在の開発途上国でも、生活水準向上のため に人々の不断の努力が重ねられてきたにもかかわらず、先進国 で起こったほどの生活水準の改善を見ていない。世界銀行による貧困者数推計(2016年)によれば、2010年時点でなお、世 界全体で9億人もの人々の生活水準が貧困ライン以下であるとされており、その大多数が途上国で生活している。途上国の人々の多くは、飲むのに適した水、基礎的栄養、安価で有効な薬の 摂取がままならないうえ、いったん傷病や天災、紛争等が身に 降りかかったら、その悪影響を緩和する術を多くもたない。

このように、貧困者の生活水準を上げるための開発ニーズ は、開発途上国のいろいろな側面に存在している。雇用、教 育、環境、食糧、等々、多種多様な領域において、人々の生活 水準向上のための改善が必要とされている。本書でいう「開発」とは、これらさまざまな側面での改善の試みであり、開発 経済学とは、この試みを経済理論に基づいて分析するための学 問である。

本書のねらい

開発経済学の教科書としての本書の特色は、第1に、生産者で あれ消費者であれ、どんな人々がどんな能力をもち、どんなこ とを考えて行動しているか、というようなミクロ的イメージを 明示し、それをモデル化して示すことに最大限の努力を払っていることである1)。なぜある人がある選択をし、なぜ他の人 が同じ選択をしないのか、というような経済学の根本的な問題は、開発経済学においても基本となる。 ミクロ経済学的基礎とは、数学的表現もさることながら、制約、インセンティブといった、人々の選択にかかわる条件を直 観的に指し示すということでもある。仕事が得られないかもしれないとわかっているのになぜ都市に出るのか、利潤の上がる生産機会があるのになぜ一部の小生産者はそれに手を出さない のか、安い賃金でも働くという労働者がなぜ雇用されないの か、マイクロクレジットにおける連帯責任によって資産をまったくもたない貧困層への融資がどうして可能になるのか、途上 国の賃金が安いのになぜ資本移動が増えないのか、知的所有権 を認めると技術移転が進むのか停滞するのか、といったような 問題に対するミクロ経済学的解答を本書で与える。

本書の第2の特徴は、現在、国際開発の分野で注目されている トピックや論点を紹介するとともに、その経済学的背景を説明しようと試みた点である。冒頭に述べたように、開発はある時点のある地域では功を奏し、別の時点の別の地域では大きな成 果をあげていない。前者ではなぜうまくいき、後者ではなぜうまくいかなかったのか、という課題が提示され、より効果的に 国際開発を推し進めていくための新しい手法や概念が日々編み 出されている。それら新しい手法や概念の例として、人間開発 指標、貧困指標、プログラム評価、ランダム化比較実験 (randomized controlled trials:RCT)、行動経済学的実験、 マイクロクレジット、貧困層のターゲティング、ガバナンス、 債務削減、ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)、持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)などがある。本書は、これら新 しい国際開発の潮流について説明するとともに、それらが考案された背景について、経済学的解釈を与える。援助機関やNGOなど開発の現場で働く人々にとっても、本書が有用であってほしいとの願いを込めたものである。

開発への遠い道程を手を携えて

すでに開発経済学は、限られた一部分の経済学者だけが取り組む分野ではなくなっている。世界銀行の副総裁のうち1名は、 開発だけでなくあらゆる分野において世界的に有名な経済学者が任命されることが通例となり、世界銀行や国際通貨基金 (IMF)の研究者は、有名な経済学のジャーナルに次々と論文 を載せている。アジアの急速な経済発展は一般の経済学者の注目を集めたし、1997年からのアジア通貨危機も世界経済全体に大きな影響を与えるものとして重要視された。つまり途上国の 開発は、いまや経済学者一般の興味を惹くテーマとなっているのである。

そもそも一国の開発は多くの人々が協力して当たらなければ ならない大事業である。経済学を含む社会科学だけでなく、自然科学の協力も必須である。実際の開発の現場には、援助機関の職員や医療・保健、人口、教育、災害対策、住環境、建設、交通、エネルギー、農林水産業、金融、環境、法律等々の専門家が全世界から途上国に派遣されする)、日夜開発に取り組んで いる。彼ら専門家や援助機関の職員たちがプロとしての知恵と 能力を振り絞り、受益者であるはずの途上国の人々やそれらの国の専門家と協力して取り組んで、それでもなおほんの少しずつしか進展しないのが開発というものなのである。

したがって経済学においても、さまざまな分野の経済学者が 協力して開発を分析して当然である。開発経済学者の1つの役割 は、それら異なった分野の経済学の研究をコーディネートすることにあるといえるかもしれない。そのためには、開発経済学者は、開発における経済学の専門家として、途上国の開発に資する経済学の諸分野を広く知っている必要がある。伝統的な開発経済学に留まることなく、新しい分野に足を踏み入れ、その分野の成果を開発に活かすべく立ち働くことが要請される。本 書ではその試みの1つとして、開発および経済発展に関する重要 な問題について、従来の開発経済学の枠にとらわれず、広くミ クロ経済学的背景を与えることを試みた。

黒崎 卓 (著), 山形 辰史 (著)
出版社、日本評論社; 増補改訂版 (2017/3/21):出版社HP

本書の構成

本書は3部によって構成される。第1章から第3章は開発経済 学および開発についての諸概念と、それに基づく実証分析の手 法やデータについて整理している。第4章から第7章は途上国が 直面している問題とその問題が発生したメカニズムについて論 じ、第8章から第13章はその問題を解決するための開発戦略や 開発政策について分析している。ただしこの分類は大まかなものであって、各章それぞれに両方の要素が、濃淡の差はあれ含 まれる。また各章は基本的に読みきりの形をとっている。関心 のあるテーマからまず読み、必要に応じて他の章にも目を通す という読み方も可能である。

まず第1章では開発経済学の歴史を簡単に展望し、その扱う範囲が時代を追って「膨張」しつづけていることを論じる。本書 が強調する開発経済学のミクロ的アプローチは、このような流れの中に位置づけられる。第2章は、1人当たり所得や貧困、不 平等指標といったある国の開発の成果を測るマクロの指標を紹 介する。近年の政策論議では実証的証左(エヴィデンス)がしばしば問題になるが、企業・家計などのミクロデータを用いて これを計測する手法と、そこで用いられるデータに関し概観するのが第3章である。第2章と第3章では、さまざまな指標の背 後にあるミクロ経済学的考え方を中心に説明することにより、第4章より始まる本論への導入となっている。

第4章は、零細自営業者や小農の経済学を取り上げる。これ は、このような生産者が低所得国において重要であるという理 由に加えて、用いられる分析ツールに開発経済学のミクロ的基 礎のエッセンスが詰まっていると考えるためである。続く第5章 は、途上国の信用市場を取り上げる。金融市場が未発展のため、余剰資金が開発のための原資として動員されない問題を途上国の多くは抱えている。この問題を情報の非対称性を鍵にして説明するのがこの章の課題である。情報の問題が重要になる のは労働市場も同様である。そこで第6章では、賃金と人的資本 という労働経済学で重視される変数が、途上国の貧困のメカニ ズムを説明するうえではどのように分析できるかを検討する。 前半を締めくくる第7章は、「貧困の罠」が実現するメカニズムと、そこからの脱却がいかにして可能であるかを理論的に展望 する。したがってこの章のテーマは、貧困から脱却するために 必要な開発戦略を考察する材料を示しているという意味で、後 半への橋渡しの役を果たしている。

第8章以降は、経済開発をスムーズに進めるために必要な開発 戦略・政策が基本テーマである。第8章は、緑の革命など途上国 の経済発展にも大きなインパクトを与えてきた技術革新と普及 およびそれを促進する制度について取り上げる。エイズなど、 開発途上国の国民の保健に大きくかかわる疾病の治療・予防の ための医薬品開発と特許制度の関係が、1つの大きな焦点とな る。第9章は、貧困削減戦略の一部として、援助の対象となる貧困者を特定する手法であるターゲティングについて、労働経済 学的に考察する。第10章では、貧困層にターゲットを定めた融 資であるマイクロクレジットのメカニズムと意義について検討 する。第5章で述べるように、貧困が再生産される背景には信用 市場への不平等なアクセスの問題が存在する。この問題を克服 するために、マイクロクレジットが一定の効果を発揮すること を明らかにする。
しかしそもそも、個別の貧困者を対象とした政策にはおのず と限界がある。そこで第11章では共同体をターゲットに定める ことの意義について考察する。そして第12章では、国家をター ゲットにした開発援助が効を奏するための枠組みについて分析 する。そのための重要な概念の1つがガバナンスである。最後に第13章では、対象となる空間をさらに広げて、地球規模の課題 すなわちグローバリゼーションの功罪を考察する。

各章の記述の技術的(数学的)説明は、初出の雑誌『経済セ ミナー』連載時には割愛した詳細も含めて補論にまとめた。ま た、われわれ2人のこれまでの途上国経験に基づくエッセーを章 の間に配した。これによって、開発途上国の実状が生き生きと 伝わるよう願ったものである。

1)この試みはすでに筆者のうちの1人によってなされているものである。簡単な紹介として黒崎(2000)、理論と実証の両 方を扱った詳しい研究書として黒崎(2001a)、この手法を貧 困と脆弱性に焦点を当てて応用した研究書として黒崎 (2009)を参照のこと。また、より網羅的な教科書として は、日本語の翻訳も出ているBardhan and Udry(1999)が挙げられる。
2) いまでは、途上国から別の途上国に専門家が派遣されること もある。このような途上国問の協力は南南協力と呼ばれている。

黒崎 卓 (著), 山形 辰史 (著)
出版社、日本評論社; 増補改訂版 (2017/3/21):出版社HP

目次

本書のねらい
開発への遠い道程を手を携えて
本書の構成

第1章 膨張する開発経済学
1.1. 開発経済学とは何か?
1.2. 開発経済学の定番:1940~60年代
1.3. 輸出指向工業化と国際経済学:1970年代
1.4. 構造調整の時代:1980年代
1.5.膨張する開発経済学

第2章1人当たり所得と貧困・不平等
2.1. なぜ1人当たり所得か?
2.2.1人当たり所得からこぼれ落ちるもの
2.3. 所得だけが生活水準を決めるわけではない
2.4. 平等な社会かどうか
2.5. 貧困指標
2.6. 国レベルの成果を測るためのマクロデータ
2.7. おわりに

第3章開発政策のインパクトを測る
3.1. 政策のインパクトを測るためのミクロデータ
3.2. 客観的な政策評価の基本的考え方
(1) 「ナイーブな比較」の問題
(2) 二重差分
3.3. 計量経済学的手法によるインパクト評価
3.4. ランダム化比較実験(RCT)
3.5.行動経済学的視点
3.6. おわりに

第4章零細自営業者や小農の経済学
4.1. リキシャ引きのミクロモデル
4.2. ハウスホールド・モデルによるアプローチ
4.3.市場需要変化の影響
4.4. 賃労働市場との関係と人的資本
4.5. 小農の賃労働市場へのかかわり
4.6. ハウスホールド・モデルの強み
付論自営業者の主体均衡
(1) 主体均衡の特徴
(2) 市場需要変化の影響

第5章 途上国の信用市場
5.1. 信用の経済的役割(1) : 生産資金の調達
5.2. 信用の経済的役(2) : 消費の平準化
5.3. 信用の経済的役割(3):消費平準化を通じた生産投資推進
5.4. ミクロの信用制約とマクロ経済
5.5.途上国の信用市場の特徴
5.6. 信用と債務不履行
5.7. 非対称情報下の逆選択とモラルハザード
5.8.信用市場、貧困、非対称情報
付論信用の経済効果のモデル分析
(1) 生産信用
(2) 消費平準化のための信用
(3) 消費平準化と生産投資

第6章貧困層の賃金はなぜ低いままか
6.1. 労働供給の基本モデル
6.2. 賃金の決定要因:労働生産性
6.3. 労働生産性の決定要因としての賃金
6.4. 人的投資と労働生産性・賃金
6.5.児童労働と人的投資
6.6.一国内の賃金格差
6.7.人的資本蓄積、経済成長と国際賃金格差

第7章 貧困の罠からの脱出
7.1. 何から何へジャンプするか
7.2. 規模の経済の具体例
7.3.規模の経済と市場均衡
7.4. 《むだ》と補完性
7.5. 貧困の罠からの脱出

第8章 技術革新・普及とその制度
8.1. エイズ等感染症と特許
8.2. 技術革新の理論
(1) 経済発展と技術革新
(2) 知識という資本としての技術
(3) 公共財としての知識
8.3. 特許制度の意義
8.4. エイズ治療薬・予防薬開発の課題:技術開発と普及のトレード・オフ
(1) エイズ治療薬価格と開発のインセンティブ
(2) 研究開発促進のためのプッシュ・プル政策
(3) エイズ、結核、マラリア治療薬・予防薬に対するプッシュ・プル型支援
8.5. 競争と技術革新のタイプ
8.6. 途上国への技術移転と経済成長
8.7. おわりに:技術革新・普及と制度

第9章 貧困層への援助
9.1.貧困削減政策の必要性
9.2. 開発目標としての貧困削減
(1) 開発援助の潮流変化
(2) 世界銀行報告書に見る貧困観と貧困削減政策
9.3. 貧困層への「ターゲティング」
9.4.貧困層への所得移転政策
9.5. ワークフェア・アプローチによる貧困削減政策
9.6. 貧困層への効果的な援助に向けて
第10章 マイクロクレジットの経済学
10.1. グラミン銀行が注目された理由
10.2. マイクロクレジットの実態:初期のグラミン方式
10.3. マイクロクレジットのメカニズム
(1) グループ融資:相互選抜
(2) グループ融資:相互監視
(3) グループ融資:履行強制
(4) 逐次的融資拡大
(5) 返済猶予期間なしで回数の多い分割払い
10.4. 初期のマイクロクレジットの課題
10.5. マイクロクレジット研究の新潮流
10.6. 課題を越えて
付論:相互監視によってモラルハザードが解消される数値例

第11章 共同体と開発
11.1. 共同体に着目する意義
11.2. 貧困と環境悪化の悪循環
11.3. 「コモンズの悲劇」の基本モデル
11.4. 共有資源維持・修繕の過少投資
11.5. 国家管理か私有化か
11.6. 共同体のもとでの協力
11.7. 経済開発における地域共同体
11.8. 環境問題と共同体の今後

第12章 開発援助とガバナンス
12.1. 汚職の本質とガバナンス
12.2. ガバナンスの程度を測る
指標1:実感汚職指数
指標2:世界銀行の国別政策・制度評価(CPIA) 指数
12.3. 賄賂と資源配分
12.4. ガバナンスを改善するために
12.5. 開発援助の潮流変化
(1) 目的の明確化:PRSP、ミレニアム開発目標と持続可能な開発目標
(2) 手続きの共通化:援助協調
(3) 債務救済
12.6. おわりに:開発援助とガバナンス

第13章 グローバリゼーションと途上国
13.1. グローバリゼーションのメリット
(1) 地球規模の効率化
(2) 国際的な所得の平等化
13.2.グローバリゼーションのデメリット
(1) 一部の国民の所得減少
(2) 外国政府・企業による支配
(3) その他の懸念
13.3. グローバリゼーションの利益を途上国へ
(1) グローバリゼーションと貧困削減
(2) 国際協力を伴うグローバリゼーション
(3) グローバリゼーションは自動的に進むか?
13.4. 援助疲れの時代に
参考文献
あとがき
増補改訂版あとがき
索引

COLUMN
1 N村の15年:タイ
2銃口とベールの向こう側:パキスタン
3地主の大うちわ:パキスタン
4農村でのお金の貸し借り:ミャンマー
5やればできるはず:ナイジェリア
6労働は資本を代替する!:バングラデシュ
7さらけ出す人々:バングラデシュ
8謎解き2題:パキスタン、ミャンマー
9田植えの風景:日本・ミャンマー・パキスタン
底本奥付
電子化クレジット

黒崎 卓 (著), 山形 辰史 (著)
出版社、日本評論社; 増補改訂版 (2017/3/21):出版社HP

開発経済学入門 (経済学叢書Introductory)

マクロトピックもある開発経済入門

直近のミクロ応用的な開発経済学だけのスタンスだけでなく、成長理論、貿易、ネットワーク理論なども含まれた一味違う開発経済学入門書となります。

戸堂 康之 (著)
出版社、新世社 (2015/10):出版社HP

はしがき

本書のねらい

本書は,開発途上国が経済的に発展するメカニズムやそのために必要な政策について,わかりやすく説明したものです。序章に詳述したように,基本的には経済学の知見に基づいていますが,政治学や社会学,ネットワーク科学なども動員して,途上国の経済発展について様々な角度から議論しています。

本書は,開発経済学に興味を抱く経済学専攻の学生の方々だけを対象としているわけでは決してありません。途上国に興味を持っている人であれば,政治学,社会学,国際関係論,地域研究,歴史学,文化人類学,工学,農学など経済学以外の専門分野の学生の方々ももちろん対象です。また,途上国開発の現場で働く援助機関やNGOの実務家の方々,国際協力に関する政策立案に関わる方々にも本書が役に立つはずです。さらに,本書の議論は途上国だけではなく先進国にも適用できますから,日本の地方経済の発展に関心のある方々にも読んでいただきたいと考えています。

そのようなわけで,本書は広範な読者層を想定し,何ら経済学の素養を必要とせずに読みこなせるようにきわめてわかりやすく書かれています。
とはいえ,本書は開発経済学に興味を抱く経済学専攻の学生の方々をないがしろにしているわけではありません。開発経済学は,途上国の貧困を削減して人々を幸せにするという社会的に重要な役割を担う学問であり,さらに近年では経済学の中でも学術的な発展が顕著で注目されている分野です。経済学専攻の学生の方の知的好奇心を刺激し,さらに中級・上級の開発経済学を学んでいくきっかけとすることも,本書の大きな目的の一つです。

本書の利用法

ですから,本書は経済学の素養のない方でも自力で読めるようになっています。一部では若干難しめの理論的説明がないわけではありません。しかし,そのような部分はどんどん飛ばして,実証的な分析を中心に読んでもらっても,十分に要点はつかめるはずです。特に最初に読む時にはあまり細部にこだわらずに,各章の要点をつかみ,章と章とのつながりをとらえて,途上国の経済発展に関する大きな絵を自分の頭の中に描くようにしてください。

本書を大学における開発経済学の教科書として利用する場合には,1・2年における半期15回分の講義が最も適しているでしょう。しかし,本書で説明されている理論や実証分析についてより詳細に講義すれば,3・4年の専門科目の教科書としても十分に利用できると思われます。

講義をする上で役に立つように,講義用スライド(PDFファイル)を用意しています。1・2年向けと3・4年向けが別々に用意されており,1・2年向けスライドは本書の内容がそのまま書かれたもの,3・4年向けスライドは本書の内容に即しつつ,理論についてはもう少し詳しく数式を利用して説明し,実「証分析については推計式を利用して説明したものです。その一部は筆者のウェブサイト(http://www.f.waseda.jp/yastodo/)で公開されていますので,参考にしてください。本書を教科書として利用する大学等の教員の方々であれば,筆者に電子メールでご依頼いただき,利用規約をご了承いただければ,すべての回の講義スライドをお送りすることができます。なお,本書の図は2色刷りですが,講義スライドの図はフルカラーで非常に見やすいものとなっています。

謝辞

本書はもともと2010年に新世社の御園生晴彦氏から依頼を受けたものです。しかし,翌2011年に東日本大震災が起き,短期的には自分の研究や社会貢献の軸足をどちらかというと日本経済の復興に移したことや,大学での中間管理職に任命されたことなどから,依頼を受けてから完成まで実に5年間もかかることになってしまいました。その間,辛抱強く待っていただき,折にふれて励ましていただいた御園生氏には心から感謝を申し上げます。また,同社の谷口雅彦氏には非常に丁寧な校正を行っていただいたことを深く感謝いたします。

本書で紹介されている筆者の研究は,多くの公的・私的研究費によって可能となりました。特に,社会ネットワーク論や政治経済学に関連した近年の研究は,日本学術振興機構科学研究費新学術領域研究「新興国の政治と経済発展の相互パターンの研究」および同基盤研究B「途上国の経済発展における社会ネットワークの役割——社会実験とミクロデータによる分析」,早稲田大学「次代の中核研究者育成プログラム」による助成を受けています。また,研究の一部分は経済産業研究所における研究プロジェクト「企業ネットワーク形成の要因と影響に関する実証分析」において実施されました。これらの機関に篤く御礼申し上げます。

筆者が曲がりなりにも本書のような開発経済学の教科書を書けるようになったのは,これまでの人生における多くの方々との出会いとつながりのおかげです。特に,開発経済学全般については大塚啓二郎(政策研究大学院大学),澤田康幸(東京大学),園部哲史(政策研究大学院大学),第2章・第3章で論じた経済成長論では筆者の指導教員であったチャールズ・ジョーンズ(スタンフォード大学),第6章の国際経済学では若杉隆平(新潟県立大学),第7章の空間経済学では藤田昌久(甲南大学・経済産業研究所),第8章の社会ネットワーク論ではPetrMatous(シドニー大学),第9章の制度の経済学では故青木昌彦(スタンフォード大学),第10章の政治経済学では白石隆(政策研究大学院大学)の各氏の薫陶を受けました。これらの尊敬すべき研究者の方々に心から感謝を申し上げるとともに,今後のますますのご指導をお願いしたいと思います。

また,本書を執筆するにあたって早稲田大学政治経済学部学生の柏木柚香氏,石田早帆子氏に草稿を校正してもらったことを記して謝意を表します。学部生ならではの指摘は,本書を読みやすくする上で大いに役に立ちました。

もともと筆者が途上国に関心を持ったのは,大学生の時に半年ほどかけて行った東南アジアへのヒッピー旅行がきっかけです。初日から強盗に遭ったために日本に逃げ帰ろうと思っていた私を当時時事通信マニラ支局長であった高橋純氏は励まし,お金まで貸していただきました。そのおかげで私は旅を続けることができ,途上国との縁が切れることもなく今に至っています。今は天国にいらっしゃる高橋氏にはただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

最後に,私を育ててくれた両親にもこの機会に感謝の気持ちを述べたいと思います。子供のころから偏屈者の私を見捨てることなく辛抱強く見守ってくれたおかげで,多くの回り道をしながらも何とか一生を懸けられる仕事に就くことができました。本当に,本当にありがとうございました。

2015年6月
戸堂康之

戸堂 康之 (著)
出版社、新世社 (2015/10):出版社HP

目次

序章

第1部 経済成長論の基礎
第1章 開発途上国の経済発展
1.1 開発途上国での暮らし
1.2 開発途上国の経済成長・経済停滞
1.3 なぜ1人当たりGDPが重要か
1.4 所得レベルを測る
1.5 まとめ

第2章 新古典派経済成長論
2.1 生産と消費の仕組み
2.2 ソロー・モデル
2.3 技術進歩を想定したソロー・モデル
2.4 投資率・人口成長率の増減による定常状態の変化
2.5 条件付き収束
2.6 政策の効果
2.7 まとめ

第3章内生的経済成長論
3.1 内生的経済成長論の概要
3.2 技術・知識の創造
3.3 AKモデル
3.4 ローマー・モデル
3.5 途上国を想定した内生成長モデル
3.6 人口規模は経済成長の要因か
3.7 ソロー・モデルとの比較
3.8 技術の計測
3.9 資本蓄積 vs. 技術進歩
3.10まとめ

第4章 貧困の罠
4.1 貧困の罠とは
4.2 貧困の罠の理論モデル(1)
4.3 貧困の罠の理論モデル (2)
4.4 経路依存性と成長期待
4.5 政策の効果
4.6 政府の失敗
4.7 貧困の罠はあるのか?
4.8まとめ

第5章 中所得国の罠
5.1 中所得国の経済成長
5.2 中所得国の罠とは
5.3収束による理論的説明
5.4 複数均衡モデルによる理論的説明
5.5 まとめ

第2部 経済発展の諸要因
第6章 国際貿易・海外直接投資
6.1 貿易・海外直接投資の発展
6.2 リカードの比較優位の理論(1)
6.3 リカードの比較優位の理論 (2)
6.4 輸入代替工業化の理論
6.5 貿易による技術伝播を想定した理論
6.6 貿易の経済成長効果の実証
6.7 海外直接投資の経済成長効果の実証
6.8 途上国の経済成長に利する貿易・投資政策
6.9 まとめ

第7章 産業集積
7.1 産業集積とは
7.2 集積の利益
7.3 空間経済学の理論モデル
7.4 規模の経済の実証分析
7.5 産業集積の事例
7.6 産業集積のための政策
7.7 まとめ

第8章 社会関係資本・社会ネットワーク
8.1 社会関係資本・社会ネットワークとは
8.2 社会関係資本・社会ネットワークと経済発展
8.3 様々なネットワーク構造の効果
8.4 強い絆の負の側面
8.5 つながり支援のための政策
8.6 まとめ

第9章 社会・経済制度
9.1 制度と経済発展
9.2 制度とは
9.3 制度の決定の理論
9.4 制度と経済成長の実証分析
9.5 経済発展を促す制度変革
9.6 まとめ

第10章 経済発展の政治経済学
10.1 途上国における民主化
10.2 政治制度と経済制度の補完性
10.3 民主化と経済発展
10.4 なぜ一部の独裁制は成功するのか
10.5 政治制度・所得の不平等・経済成長
10.6 まとめ

第11章 農村開発
11.1 経済発展における農業の役割
11.2 農業から非農業部門への労働移動
11.3 農業技術の普及
11.4 農業技術の普及における学習の役割
11.5 農業技術の普及におけるリスクの影響
11.6 まとめ

第12章 農村金融
12.1 途上国農村における金融の特徴
12.2 なぜ農村金融は高利なのか
12.3 マイクロファイナンス
12.4 消費の平準化のためのインフォーマル金融
12.5 まとめ

第13章 経済協力
13.1 政府開発援助(ODA)
13.2 ODAのマクロ的効果
13.3 国際協力プロジェクトのインパクト評価
13.4 民間資金の役割
13.5 日本のODAの今後
13.6 まとめ

終章

索引
著者紹介

戸堂 康之 (著)
出版社、新世社 (2015/10):出版社HP

序章

本書の概要

開発途上国(以降,途上国と略します)では多くの貧しい人々が生存のために日々格闘しています。途上国の中でも特に所得の低い低所得国(といっても総人口は8億人います)1では,20人に1人が1歳になるまでに亡くなり,平均寿命は60歳程度でしかありません2。日本では1歳までに亡くなる子供は500人に1人でしかなく,平均余命は83歳であるのにくらべると,非常に大きな違いです。

このように厳しい途上国の生活環境は,所得が少ないことに起因していることが多いのです。1日たった1.25ドル(150円)以下で生計を立てている人たちは,全世界で約10億人もいます。低所得国では平均的な年間所得は740ドル,つまり月に7000円程度でしかありません。日本では平均所得は1月30万円以上ありますから,その差は40倍以上もあります。このような経済的な貧しさのために,途上国の人々は十分な栄養や医療を享受できずに,健康が蝕まれて寿命が削られているのです。

ですから,途上国の人々が健康でより幸せな生活を送るためには,経済的な発展,所得レベルの成長が不可欠です。本書はこのような問題意識に立ち,途上国がどのような要因で経済的に発展していくのか,そしてどのような要因で発展が阻害されるのかを,主として経済学の理論と実証研究の結果に基づいて論じるものです。

1 本章における低所得国中所得国は,世界銀行が定義するlow-income countries, middleincome countries にそれぞれ対応しています。詳細な定義については,第1章1.1節を参照してください。また,世界銀行については,第13章で紹介しています。
2 本章におけるデータは,すべて世界銀行「世界開発指標」(World Bank, World Development Indicators)に基づきます。このデータは(http://data.worldbank.org/)よりダウンロードが可能です。データの詳細については,終章「自分で分析するためのデータソース」を参照してください。

本書の特徴

本書の特徴は3つあります。第1に,本書のタイトルは『開発経済学入門』ですが,現在の開発経済学における主流である「開発のミクロ経済学」だけではなく,経済成長論,国際経済学,空間経済学,制度の経済学,政治経済学,ネットワーク科学,行動経済学などを利用して,様々な角度から途上国の経済発展について論じています。

開発のミクロ経済学とは,その名の通り途上国の問題を農民や零細事業者といったミクロの視点から考察するものです。半面,経済成長論や国際経済学などは,より大きなマクロの視点で一国の経済全体の問題を考察しています。また,制度の経済学,政治経済学では,経済学だけではなく,政治学,歴史学の視点を融合させた研究が発展しています。さらに,ネットワーク科学とは,数学,物理学,工学,社会学,政治学,経済学などの分野の研究者によって学際的に発展している新しい学問分野です。ですから,本書は経済「学におけるミクロとマクロの両方の視点だけではなく,学際的な視点をも持って途上国の経済発展を議論していると言えます。

第2の特徴は,データによる実証分析を重視していることです。各々の章では,もちろん理論的な考察も紹介しています。しかし,理論的に導き出された結果が,確かに現実と整合的なのかについて,実際のデータや既存の実証研究の成果を利用して検証し,多くの図表を提示した上で結論を述べるようにしています。

なお,厳密には単に図表を提示するだけでは必ずしも十分に結論づけられないこともあります。しかし,本書で図表から結論づけられているように見える結論のほとんどは,実は応用ミクロ計量経済学を用いた厳密な実証研究の結果を基にしており,脚注でその研究を引用しています。厳密な検証に興味がある読者は,引用されている参考文献を参照してください。

第3に,本書は最貧国が貧困から脱出するための経済発展について論じるだけではなく,中程度の所得の途上国(中所得国)の経済発展にも注目し,中所得国が先進国に追いつくための方策についても論じています。上述の通り,まだまだ途上国に貧困は蔓延しているのですが,この15年で大きく改善されてもいます。国際連合は2000年にミレニアム開発目標を掲げて,途上国の貧困に関わる様々な目標を設定しました。その一つは,2015年までに途上国において1日1.25ドル以下で生活する絶対的貧困者の割合を1990年の47%から半減するというものです。2015年にはこの割合が14%となり,目標をはるかに上回る数字が達成されました。数の上では,絶対的貧困者の数は実に11億人減少しています3。

このように,絶対的貧困者が減少している半面,中所得国が世界経済に占める割合は急増しています。G7諸国(米・英・日・仏・独・伊・加)が世界のGDPに占めるシェアは1990年には66%でしたが,2013年には46%と激減しました。逆に,中国,インド,タイ,インドネシアなどの中所得国のシェアは1990年の13%から2013年の32%に急増しています。
ですから,途上国の経済発展を論じる上で,今や中所得国を無視することはできません。特に,新興国といわれる高成長を遂げている中所得国がこのまま成長を持続して先進国になることができるのか,できないとしたらその要因は何かといったことは,現代の開発経済学にとっては貧困削減と同様に重要なテーマだと言えます。このような問題意識から,本書は中所得国の経済発展についても多くの紙面を割いて論じています。

本書の構成

本書の構成は次の通りです。まず第1部「経済成長論の基礎」では,第1章で途上国の経済成長や停滞について概観した後,第2章・第3章で経済成長論の基本的な理論モデルとその現実との整合性について解説します。さらに,第4章・第5章では,経済成長が長期的に停滞する可能性について考察します。これらの考察から,途上国経済が長期的に成長するためには,先進国の技術を吸収する力が最も重要だということを明らかにしていきます。
第2部「経済発展の諸要因」では,技術を効率よく吸収して経済発展するための方策についてより具体的に検証していきます。特に取り上げるのは,経済のグローバル化(第6章),地理的な産業集積(第7章),社会ネットワ一ク·社会関係資本(第8章),経済·政治制度(第9章·第10章),農村開発(第11章・第12章),政府開発援助(第13章)です。

3 United Nations (2015). The Millennium Development Goals Report 2015, United Nations, (http://www.un.org/millenniumgoals/).

戸堂 康之 (著)
出版社、新世社 (2015/10):出版社HP

テキストブック開発経済学 第3版 (有斐閣ブックス)

ジャンル分けで学べる開発経済学

長い間、ロングセラーとなっている開発経済学のテキストです。新しい途上国でのトピックも含めて、興味のある開発経済学のトピックから読み進めることができます。

ジェトロ・アジア経済研究所 (編集), 高橋 和志 (編集), 黒岩 郁雄 (編集), 山形 辰史 (編集)
出版社、有斐閣; 第3版 (2015/2/13):出版社HP

第3版へのまえがき

本書第3版が出版される2015年に,ミレニアム開発目標は達成期限を迎える。2000年から15年の間,貧困削減は大きな成果をあげたが,同時に大きな課題も残った。成果としてあげられるのは,中国を筆頭とする東アジアの経済成長である。また,南アジアやサブサハラ・アフリカでも,目にみえる変化が現れている。一方,紛争,環境破壊,気候変動といった脅威への対処,そして高齢者,子ども,女性,障害者,少数民族,難民,といった経済成長や貧困削減の恩恵を受けにくい人々の生計や福祉の向上は,いまなお国際社会に対する大きな挑戦である。

本書の初版が出版された1997年,いまみられるような開発途上国の成長は予見されていなかった。むしろアジア通貨危機による暗雲が,世界経済を覆っていた。本書の新版が上梓された2003年には,ミレニアム開発目標の認知度がそれほど高くはなかった。新版の完成から10年以上を経て,開発途上国の状況も開発経済学も変化した。このような変化を踏まえ,第3版では内容のほとんどを書き下ろし,編者や執筆者を一新した。その結果,第3版の執筆者は全員,日本貿易振興機構アジア経済研究所の現職員あるいはかつての職員となった。またこの改定により,初版・新版の,コンパクトな一章読み切りスタイルを踏襲しつつ,現在の開発途上国のダイナミズムや,開発経済学の進展を反映した内容へと衣替えした。

新版の編者,著者のうち,野上裕生,錦見浩司,伊藤正二,西島章次(執筆順)の4氏がすでに故人となった。ここに記して,本書初版,新版への貢献に,深甚な敬意と感謝の意を表する。
最後に,新版,第3版と,本書の編集を担当くださった有斐閣の長谷川絵里氏にも,深く御礼申し上げたい。

2014年12月
編者

まえがき

1994年に1ドル79円台という円高が記録された。この円高も手伝って,日本からの海外旅行者は年間3000万人を突破した。また,円高によりドル・ベースの生産コストが高くなり,日本企業の国際競争力が弱くなり,東アジアへの生産基地のシフトが加速した。このように人や企業が海外に出ていく一方で,逆に海外から日本への流入も加速しつつある。成熟しつつある日本経済を活性化するために規制緩和が必要となり,それが外国資本の受入れを促している。これまで日本は金融の開放には消極的であったが,金融ビッグバンによって外国の銀行や証券会社などに市場が開放され,その日本市場でのウエイトを高めつつある。

このように国際化が進む中で国際問題や開発問題への関心が高まっている。一般の人々が仕事を通して,あるいはNGO等による市民活動を通じて,海外の人々と交流する機会が増えた。そしてこのような背景から国際問題や開発を扱う学部,大学院が多くの大学で創設された。これらの学部等ではしばしば発展途上国の経済が教えられるが,どのような授業をするべきか,教育の現場から悩みの声が寄せられることが多い。また,開発問題に興味を持ちはじめた人人からも,どのようにして勉強したらよいのか,と問われることがある。

私たちは,このように国際問題に関心を持ち,開発経済学を初めて学ぶ人にも読みやすいテキストブックを目指して編集を行った。読者はまず途上国の経済の実態を理解する。つぎにその実態を説明できる理論を学び,1冊で実態と理論の両方を身につける。巻末には用語集をつけ,読者の便宜を図った。一方,開発経済学の最先端をもわかりやすく説明するよう努めた。

開発に関心のある,また開発にかかわりたい方々は,本書を手がかりに開発経済学のエッセンスを理解していただきたい。つぎの段階ではそれを応用し,必要であればより上級のテキストに進んでいただきたい。このような気持ちを込めて私たちはこのテキストブックを編集した。本書が開発にかかわる人材の育成の手助けとなることを心から祈ってやまない。

本書の作成にあたって,下村恭民氏から貴重なアドバイスをいただいた。また,有斐閣の伊東晋部長のご指導なしにも本書は完成しなかった。加賀美充洋,笠井信幸,木村福成,佐藤幸人,服部民夫,山本裕美の諸氏にも,編集の最初の段階から有益な助言をいただいた。
本書はアジア経済研究所の山田勝久所長の発案で始まり,完成まで数年を要した。残念ながら,その間,われわれの指導者であり仲間であった伊藤正二氏,平田章氏が故人となった。伊藤氏は本書第12章を執筆直後に亡くなられた。平田氏は存命であるならば,当然本書の執筆をお願いしたい人であった。改めてご冥福をお祈りするとともに,お二人に本書を捧げたい。

1997年9月
朽木昭文・野上裕生・山形辰史

視覚障害者のために本書の「録音図書」「点字図書」「拡大写本」を非営利目的で製作することを認めます。その際は有斐閣(書籍編集第2部)までご連絡下さい。

ジェトロ・アジア経済研究所 (編集), 高橋 和志 (編集), 黒岩 郁雄 (編集), 山形 辰史 (編集)
出版社、有斐閣; 第3版 (2015/2/13):出版社HP

目次

序章 何を学ぶのか
世界経済のダイナミズムと開発の課題
国際開発の潮流と開発
経済学の展開
本書の構成

第1部 開発と人間
第1章 貧困と不平等
はじめに
1. 貧困
貧困の捉え方
世界の貧困の実態
貧困指標
確率的優位性
慢性的貧困と一時的貧困
2. 不平等
ジニ係数とローレンツ曲線
不平等度の世界的傾向
経済成長,貧困,不平等の三角関係

第2章 二重構造と労働移動
はじめに
1. 経済発展による産業構造転換と都市化
2. ルイスの二重経済モデル
ルイスの「無制限労働供給」(unlimited labor supply)
ルイスの「転換点」(turning points)
3. ハリス=トダロ・モデル
ハリス=トダロ・モデルの基本設計
ハリス=トダロ・モデルの含意
4. 二重経済モデルへの批判と新たな研究視点
ハリス=トダロ・モデルへの批判と家計内リスクヘッジ
市労働市場の理論仮説

第2部 開発のメカニズム
第3章 経済成長
はじめに
1. 経済成長の展望
経済成長の歴史
現代の経済成長
成長要因分解
2. 経済成長モデル
AKモデル
新古典派モデル
3. 経済成長と経済政策
コラム:経済成長の実感バングラデシュ

第4章 人的資本
はじめに
1. 人的資本蓄積の推移・現状
教育——就学率, PISA
保健——GBD, DALY
格差——ジェンダー
2. 人的資本蓄積のメカニズム.
最適な人的資本量の決定
人的資本投資が少ない理由
供給不足と需要減退
3. どうすれば人的資本蓄積を支援できるのか
社会的に最適な人的資本投資
支援策の例
第5章 貿易
はじめに
1. 貿易と経済開発の深い関係
2. 貿易はなぜ起こるか―その理論
「比較優位」とは
リカード・モデル——「生産技術の違い」が比較優位を決める
ヘクシャー=オリーン・モデル——「要素賦存」の違いが比較優位を決める
3. 貿易と「動態的な比較優位」とは
「比較優位」とは、「いま得意なこと」
韓国の事例
幼稚産業保護の政策
4. 経済統合と開発
経済統合の背景
経済統合の静態的な効果
経済統合の動態的な効果と開発途上国
5. 貿易と開発——まとめと展望
コラム:「交易条件の長期的悪化傾向」について

第6章 海外直接投資
はじめに
1. なぜ企業は海外に投資するのか
直接投資のタイプ——水平型
直接投資のタイプ——垂直型
2. 途上国における直接投資と投資環境
途上国における投資環境
3. 直接投資に関する開発政策と国際投資ルール
輸出志向工業化と外国資本の誘致
国際投資ルールの構築
4. 直接投資が途上国に与える影響
直接効果
間接効果
直接投資と経済成長
コラム:アフリカ開発会議(TICAD)——援助から投資へ

第7章技術
はじめに
1. 技術移転の経路
資本財に体化された技術
経営者に体化した技術
形式知による技術
労働者に体化した技術
2. 技術吸収能力の影響
自助努力の必要性
国内R&D
初等中等教育から
高等教育の重要性
中所得国の
3. 知的財産権保護の影響
知的財産権の目的
知的財産権の種類
知的財産権に関する課題

第8章 産業連関
はじめに
1. 産業連関表の枠組み
2. 生産波及のメカニズム
3. 国産産業連関分析への展開

第9章 制度
はじめに
1. 植民地支配と途上国における制度の形成
経済発展経路の違いとそのメカニズム
初期条件とその後の制度の形成
自然条件の役割
2. 制度的遺産の長期的な影響
イギリス領インドにおける土地制度
3. 制度を分析する際の留意点
制度を捉えることの難しさ
制度的遺産がすべてを決めるわけではない
メカニズムを解明する
コラム:インドにおける女性への留保制度

第3部 開発への取組み
第10章 貧困削減戦略
はじめに
1. 開発経済学・国際開発の潮流
構造主義
改良主義と新古典派アプローチ
政府の役割の見直しと貧困削減への舵取り
開発経済学のパラダイムシフト
2. 政策インパクト評価の方法
インパクト評価
Before-after分析とその限界
With-without 分析とその限界
バイアスを軽減する手法
実験的手法

第11章 政府開発援助
はじめに
1. 援助とは
援助の必要性
援助の推移と構造
2. 援助の出し方・使い方
政府開発援助の基本ルール
基本ルールの限界とプログラム援助
ファンジビリティとガバナンス
3. 援助の効果を上げるために
援助の量が問題か、方法が問題か
援助協調
援助協調の現在
4. 日本のODA——再びたぐり寄せられるヒモ

第12章 農村金融
はじめに
1. 市場の失敗
金融取引の特徴
契約履行
アドバース・セレクション
モラル・ハザード
2. 農家の対応
リスクへの対処
インターリンケージ
社会的ネットワーク
3. 制度の革新
マイクロファイナンスの成功
フィールド実験
4. 今後の課題—保険とリスク抑制
コラム:タイの洪水と渇水

第13章 マクロ経済安定化
はじめに
1. 開発途上国のマクロ経済の特徴
高い成長率と大きな変動
国際収支の変動も激しい
国外からのショックに弱い経済構造
対外ショックと途上国(代表的な事例)
政策面での対外依存
2. マクロ経済安定化政策とは
3. 途上国のマクロ経済安定化政策の課題
金融政策の課題
財政政策の課題
為替政策の課題
外貨準備政策の課題
政府への信任はあるか——ノミナル・アンカーとインフレーション・ターゲット
政策の組合せの問題
国際的な連関
4. 通貨危機とIMF支援プログラム(IMF融資)
IMFの役割
世界銀行との縄張り争いと「構造調整」政策
IMF支援プログラムへの批判
地域金融協力

第14章 経済統合
はじめに
1. 東アジア統合の深化——事実上の統合から制度的統合に向けて
2. 経済統合と産業立地
東アジアの雁行型発展メカニズム
後発国のキャッチアップ
3. 経済統合による立地条件の変化
貿易費用の低下
生産要素の移動
産業の「再分散」と開発政策
4. 経済統合と後発国の開発戦略サブサハラ・アフリカの事例
コラム①:第2次アンバンドリング
コラム②:アフリカの経済統合と日本の経済協力

第15章 環境
はじめに
1. 「開発vs.環境」から「持続可能な発展」へ
2. 経済成長・経済発展と環境問題
環境クズネッツ曲線をめぐって
所得の向上に伴って悪化している環境指標
途上国における環境問題への対応
3. 地球環境問題と開発途上国
共通であるが差異のある責任の原則
京都議定書とクリーン開発メカニズム(CDM)
さまざまな国際環境条約
崩れつつある「先進国vs.途上国」の図式
4. 環境と貿易
地球温暖化対策と貿易
先進国の化学物質関連規制と途上国
環境貿易措置とGATT/WTO
コラム:中古品の越境移動

第16章 障害
はじめに
1. 障害と開発
包摂的な開発とアマルティア・セン
開発課題としての障害
障害の社会モデル
2. 貧困と障害
障害者の雇用
教育の収益
自立生活運動
3. 国際社会の取組みと障害者政策
国連障害者の権利条約
ポストMDGsと障害
コラム:マンデラ追悼式典での「偽通訳問題」

今後の学習案内
用語解説
索引
執筆者紹介
写真解説

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ジェトロ・アジア経済研究所 (編集), 高橋 和志 (編集), 黒岩 郁雄 (編集), 山形 辰史 (編集)
出版社、有斐閣; 第3版 (2015/2/13):出版社HP

序章 何を学ぶのか

世界経済のダイナミズムと開発の課題

新ミレニアムの幕開けから10年以上経過し,世界経済は当時と大きく様相を異にしている。まず,中国が繁栄を謳歌しており,インドも経済全体としては成長を続けている。2つの大国がダイナミックな変化を遂げている一方,東アジア経済はさらなる発展の時期を迎えている。シンガポールや香港は世界で最も豊かな地域の1つとなり,先発ASEAN諸国は,中進国となった。これらに加え,インドの周辺の南アジア諸国やサブサハラ・アフリカ諸国でさえ,マイクロファイナンスやITといった,制度的・技術的革新が浸透している。この結果先進国のGDPシェアは,1980年代後半に7割だったものが,現在では5割以下にまで低下している。

このように,アジアを中心とした開発途上国に経済発展が生じたことは明らかであるが世界から貧困や人権侵害がなくなったわけではない。発展を続けるアジアでも,高齢者,子ども,女性,失業者,少数民族,障害者,といったグループのなかには厳しい状況下に置かれている人々がおり,紛争地,過疎地,災害多発地域に住む人々の生活は不安定である。国際化が進行する現在,彼らが直面するリスクは,より広範囲に及ぶ場合がある。感染症,犯罪,放射能も含む環境汚染,世界経済不況は国境を越えて,人々の生活に危害を及ぼす。

そして弱い立場に置かれている人々は,リスクへの対処能力が弱いうえ,複数のリスクに同時にさらされやすい。それによって一時的にであれ所得が減ったり生産能力が損なわれたりすると,その状態からの回復が難しく,貧困や人権侵害がよりいっそう深刻化しやすいという問題を抱えている。地球規模の温暖化が引き起こす水害によって住んでいた土地が浸食され,生活手段を失ってしまったことから,家族が一緒に住めなくなってしまった人々。子どもがおらず,夫とも死別してしまったために,町に出て,物乞いをして日々の衣食住を満たさざるをえなくなった高齢の女性。エイズによって両親が亡くなり,遠縁の親戚を頼ったり,見ず知らずの人の善意に身を寄せざるをえない子どもたち。麻薬と犯罪の街で,暴力に巻き込まれ,回復しがたい傷を負うことで,将来の夢を失ってしまった若者。開発途上国の人々は,先進国の人々より多くのリスクに直面する傾向にあり,そのうえ,そのリスクに対処するための法的・制度「的・社会的対抗策が少ない。それが現代の開発途上国の貧困の根源である。

開発とは,人々の生活水準向上や人権擁護を導く,物質的または制度的改善の試みをさす。生活水準向上や人間らしい暮らしの維持のために直接作用する保健プロジェクトや生計向上プロジェクトも開発であるが,時間はかかっても長期的に多くの人々の所得向上や雇用機会の増加につながり得る生産関連インフラ建設も,開発の重要なプロセスといえる。開発経済学とは,この意味での開発を進めるための経済学全般をさしている。

国際開発の潮流と開発経済学の展開

開発経済学は,そのときどきに開発途上国が直面する問題に応えようと努めてきた。第2次世界大戦後の1950~60年代には,それぞれの国の独立が指向され,経済的にも対外依存度を下げながら国民の生活水準を上げていくことが急務であった。その時代には,輸入品を国内生産によって代替したり,輸出という形で外需に応えていくことで,国民所得を上げることが試みられた。そのために国際貿易論が重用された。1970~80年代には世界経済が2度の石油価格上昇によって供給ショックを受け,開発途上国も大きなマクロ経済不均衡の問題を抱えた。オイル・ショックによって産油国に流入したオイルダラーは,当初は開発途上国を潤したが,80年に採用されたアメリカの高金利・ドル高政策により,大きな債務負担に転じた。膨らんだ対外債務をどのように管理し,持続的に債務返済するかが多くの開発途上国の関心事となった。この時代には国際金融論が力を発揮し,債務問題が開発経済学の扱うべき課題として取り上げられた。

債務を持続的に返済するためには,財政金融のみならず,生産や消費,投資を含めた経済全体の「構造調整」が必要とされた。そこで1980~90年代に,経済構造を大きく変えることを条件(コンディショナリティー)とし,世界銀行と国際通貨基金(International Monetary Fund:IMF)が中心となって,重債務開発途上国に対する構造調整融資を実施した。しかしこのコンディショナリティーが内政干渉だととられ,とくに重債務貧困国(Heavily Indebted Poor Countries:HIPCS)においては,世界銀行とIMFへの反感が高まった。

一方1980年代後半から90年代前半にかけて,東アジア経済は順調に拡大していた。85年のプラザ合意,87年のルーブル合意で,それぞれ円,韓国ウォン・新台湾元が切り上げられ,それを契機に日本,韓国,台湾企業の東南アジア諸国への生産拠点の移転が進んだ。また90年代以降は中国に向けて大量の直接投資が流入するようになり,中国は「世界の工場」と呼ばれるようになった。その結果,東アジアの経済発展における政府の積極的な役割が評価されるようになり,それを分析する手法として,内生的経済成長理論やゲーム理論,制度論が用いられた。その後,日本のバブル崩壊や,97年のアジア通貨危機以降,東アジアをモデルとする見方は退潮しむしろ企業グループや公的部門の運営やガバナンスのあり方が問われるようになった。

1990年代終わりから,その多くを公的部門が担っている国際協力に対しても,新公共管理と呼ばれる,民間の経営手法を原則にした運営が適用されるようになった。その1つが成果主義であり,この原則が,新千年紀(ミレニアム)に入るとともに導入されたミレニアム開発目標に採用された。開発の目標が,それぞれ貧困削減,ジェンダー平等,教育・保健・環境の改善,といった観点から設定され,その目標を達成するための努力が,開発途上国と国際社会に求められた。どれだけどのように努力したかというプロセスよりも,どのような成果が上がったかという結果が重視されることとなり,貧困,ジェンダー,新育,保健,環境といった,広義の社会部門への関心が高まった。さらには,社会経済的な観点から開発の効果を測るために,ランダム化比較実験(Randomized Controlled Trial:RCT)に代表される「開発のミクロ経済学」が大きな力を発揮している。

2000年代には,中国,インドの急速な経済成長に牽引された資源ブームによって,サブサハラ・アフリカの成長率も高まった。さらに2010年代には,国際開発の努力の総体により,それまで発展の兆しをみせなかった南アジアやサブサハラ・アフリカの貧困層までもが,携帯電話に代表されるICTや太陽光発電といった技術革新の利益を得られるようになり,経済全体も一定の持続的成長を見せている。それに応じて,民間部門による貿易や投資,技術革新や移転も活発化している。

このように,国際開発が社会面で一定の成果をあげ,それが産業成長によって支えられつつある。開発途上国は,開発の課題を抱えつつも,世界経済にいくつかの財・サービスを供給する生産基地として,大きな位置を占めるようになった。したがって本書は,開発の課題を貧困,不平等など社会的側面から分析しつつ,生産,貿易,投資,技術といった,開発途上国の供給能力の分析にも注力する,という方針で編集された。

本書の構成

『テキストブック開発経済学』初版は,1990年代末に上梓され,新版(第2版)は2000年代の国際開発潮流を一定程度反映した。しかし,新版において「開発のミクロ経済学」的アプローチの紹介は部分的であった。なおかつ,前節で述べたような,現在の低所得国におけるダイナミズムを正当に評価する必要性から,本書は生産,貿易,投資の分析に再び重きを置いた。

具体的には,第1部で問題提起,第2部がメカニズム,第3部が政策論という大くくりで,本書は構成されている。第1部は「開発と人間」と題し,「貧困と不平等」(第1章),「二重経済」(第2章)を開発の根本問題として分析した。貧困は,生活水準の低さを表す直接的な概念であり,それが社会的疎外や差別といった不平等の問題に転化しやすい。さらにはそれをマクロ的に規定する二重構造が,それらの問題の背後にある。

第2部は「開発のメカニズム」と題し,開発途上国の経済成長とそれを支えるメカニズムに焦点を当てる。まず,生産と所得の逐次的拡大を経済成長として把握する。生産のためには人的資本を体現した労働力,そして物的資本の投入が要る。物的資本は,国内資本蓄積と海外からの借入れや直接投資,政府開発援助等によって形成される。そして,それらの投入と生産を組み合わせるのが技術や制度である。生産された財・サービスは,国内で消費されるのみならず,貿易という形で国境を超えて取引され,世界の消費者の厚生を高めることとなる。これら一連のメカニズムを分析するために,経済成長(第3章),人的資本(第4章),貿易(第5章),直接投資(第6章),技術(第7章),産業連関(第8章),制度(第9章),と名づけた章を配している。

第3部の「開発の取組み」では,主として開発の営為(または政策)を,分野別に記述している。ただし,第2部が「メカニズム」第3部が「政策」を扱うというくくりは多分に便宜的なもので,第2部にも政策の議論が一定程度盛り込まれており,第3部にもメカニズムの分析が含まれている。

第3部の最初の章(第10章)においては,貧困削減戦略を歴史づけたうえで,現在関心が集まっている政策インパクト評価の取組みを紹介する。第11章において開発援助を扱った後,第12章では,農村における情報の不完全性に着目し,それに対処する1つの方法として発展した,マイクロファイナンス等の農村金融の試みを紹介する。第13章では,金融危機のメカニズムと,それに対処するマクロ経済政策について論じる。第14章においては,国境を越えた開発途上国同士の連携や結びつきを,経済統合という視角から分析する。第15,16章は,社会政策の観点から,それぞれ環境,障害という課題を論じる。

このように,本書が扱う「開発」の範囲は非常に広い。近年出版された開発経済学の教科書が,インパクト評価を中心とする「開発のミクロ経済学」に焦点を当てる傾向にあるのに対して,本書は経済成長や産業構造変化,貿易・投資,金融,マクロ経済安定化についてもくわしく論じている。また援助に加えて,環境,障害,保健といった国際開発の現場で直面する課題について分析していることも特徴といえる。本書は大学の学部生を念頭に置いて編集されている。しばしば数式や経済学用語が用いられているが,数式はおおむね,高校の数学の知識で理解可能なんのか,または,数式をスキップしても前後の流れから内容を理解できる範囲にとどめている。経済学用語については,可能な限り,注などにおいて解説を加えている。これにより,経済学を履修していない学部生でも,ほとんどの記述は理解可能である。

かつて国際開発は,停滞している開発途上国社会を,どのようにすれば活性化できるか,ということを主たる課題としていた。しかしいまでは,サブサハラ・アフリカであれ南アジアであれ,それぞれすでに外部社会から大きな刺激を受けており,めざましく変貌を遂げている。今後は,開発途上国社会を,望ましい貧困削減や社会開発に向けて,どのようにして導くか,ということが課題となる。したがって,変貌を遂げる社会経済を観察することと,それによって見いだされた観察事実を解釈すること,さらには,それらに対する適切な政策を講じることが,開発経済学に求められている。本書はこれに応えようとするものである。

注1)本書で扱う地域の範囲は,アジア(東アジアから中東まで),アフリカ,東・中欧,中南米,オセアニアで,そのなかで国連その他が定義する開発途上国である。ただし,日本を含め,かつては低所得国であったが,その後発展を遂げて,現在では先進国や中進国とみなされるようになった国々の発展過程も,本書の分析対象としている。

ジェトロ・アジア経済研究所 (編集), 高橋 和志 (編集), 黒岩 郁雄 (編集), 山形 辰史 (編集)
出版社、有斐閣; 第3版 (2015/2/13):出版社HP

ストーリーで学ぶ開発経済学 — 途上国の暮らしを考える (有斐閣ストゥディア)

ストーリー仕立ての開発経済学

タイトル通り、物語ベースでの開発経済学テキストとなります。有斐閣ストゥディアは、一歩目のテキストに定評があり、まず開発経済学の先端を平易な言葉で学びたい時、手に取りたい一冊になります。

 

はしがき

本書の企画内容をいただいたときのことです。「ミクロ・マクロ両方に目配りし、最新の研究を取り入れながら、同時に途上国の生活がイメージできるような仕掛けを随所に盛り込み、途上国に対する学生の関心に応えつつ、考える力を引き出す初学者向けの開発経済学のテキストにする」との少々よくばりな 企画内容に拍手を送りつつも、かなり厄介な依頼だな、と一方で頭を抱えました。

いろいろと悩んだ結果、筆者が出した答えは、アスー国という架空の途上国の物語に読者のみなさんを招待するというものでした。ただし、そこで語られる物語は、幸せなものとは言いがたく、貧しさゆえの問題が山積する途上国の現状を反映したものになっています。

途上国の開発を考える際に重要なことは,客観性や論理性を重視した分析的 な日を持つことと,それと同時にわれわれとは異なる環境で生活している他者への敬意を払うことです。どちらか一方だけではダメで、両方が必要です。本 書を手に取ったみなさんは、アスー国の問題に心を痛めつつ、経済学の分析的 な日によって問題の構造を捉え、その解決策を自らの頭で考えてください。その作業は、みなさんが本当の途上国に出合うとき、役に立つはずです。

本書のストーリーや登場人物の設定には,筆者がこれまで見聞きした途上国での経験が活かされています。むろん、途上国で出会った人々だけではなく、 筆者の研究を支えてくれた共同研究者,大学,日本の開発援助機関の方々の支えなくしては、本書を上梓することはかないませんでした。また、本書の完成 には、有斐閣の担当編集者、長谷川絵里さんのサポートが欠かせませんでした。途上国のリアルな現状が伝われば学生が自ら考えながら学ぶことができるはず。という彼女の強い意志が、この一風変わったテキストを生み出す原動力になりました。長谷川さん、素敵なイラストを描いてくれたオカダケイコさん、そして筆者の研究を支えてくれたすべての方々に感謝を申し上げます。

2016年2月
黒崎卓・栗田国相

著者紹介

黒崎卓(くろさきたかし)
1995年,スタンフォード大学食程研究所博士課程修了
アジア経済研究所研究員等を経て、現在一橋大学経済研究所教授、Ph.D.
主な著作: Takashi Kurosaki (1998) Risk and Household Behavior in Pakistan’s Agriculture Institute of Developing Economies, 崎卓(2001) 「開発のミクロ経済学理 論と応 用」岩波書店, Takashi Kurosaki and Marcel Fatchamps (2002) *Insurance Market Efficiency and Crop Choices in Pakistan.” Journal of Development Economics, Vol. 67, No. 2, pp.419-453, Takashi Kurosaki (2003) “Specialization and Diversification in Agricultural Transformation: The Case of West Punjab, 1903-1992,” American Journal of Agricultural Economics, Vol. 85, No. 2. pp.372-386,黒崎卓(2009)「貧困と脆弱性の経済分析」動車

読者へのメッセージ
最初にインドに出かけてからちょうど30年経った2016年初頭,旧友の息子からバックパッカーでインド旅行中だとの連絡が写真付きメールで届きました。日本の若者がバックパッカーとしてインドのような滝上国に出かけ、日本に手紙を出すのは変わりませんが、その手紙がスマホの写真付きメールで瞬時に着くのは大きな変化。こんな風に変わったこと、変わらないことが同居しつつ、急速な変貌を遂げつつあるのが多くの途上国だと思います。次世代の日本人がそんな途上国を理解するために、本書 が1つの視角を提供できれば幸いです。

栗田国相(くりたきょうすけ)
2006年、一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程修了
国連大学世界開発経済研究所(UNU WIDER)客員研究員,早稲田大学大学院アジア太平洋研究科助教を経て、 現在、関西学院大学経済学部准教授、博士(経済学)
主な著作 : Kyosuke Kurita and Takashi Kurosaki (2011) “Dynamics of Growth, Poverty and
Inequality: A Panel Analysis of Regional Data from Thailand and the Philippines, Asian Economic Journal, Vol.25, No.1,pp.333、 田秀次郎・田 編 (2012) アジア地域 経済統合」動車用,栗田区相・野村宗・第尾友春編(2014)「日本の国際開発援助事」日本評論社
読者へのメッセージ
未来のことは誰にもわからないということを不安と笑えるか、ワク ワクする光や冒険が待っていると捉えるかで、みなさんの人生の進路は大きく変わると思います。いまだ見ぬ可能性の世界を、途上国の人々と一緒に笑顔で切り拓いていってくれる人に本書が届くことを願っています。

黒崎 卓 (著), 栗田 匡相 (著)
出版社、有斐閣 (2016/3/31):出版社HP

目次

プロローグ ある途上国のお話
本書の目的 (2) 本書の特色 (3) Storyの全体の流れ (4) Storyの舞台 (5) Storyの登場人物(6) 途上国の現状(9)

CHRPTER1 農業
伝統的制度に秘められた知恵
1 Story
ムギさん一家の農業(14) 不作の年には……(15) 村の農業の変化(16)
2 何が問題なのか 課題の抽出と分析フレーム
途上国農業の低生産性 (17) 小作制度(22) リスクへの対応(23) 農業における新技術の採択(25)
3問題の解決に向けて

CHRPTER2 農村信用市場
多様化する農村経済とマイクロファイナンス
1 Story
ムギさん一家のお金のやりくり(32) キビさんのビジネスには秘密が……..(34)
2何が問題なのか課題の抽出と分析フレーム
途上国農村金融の低発達(37) 信用制約(39) 将来へのコミットメント(42) 家族内での交渉(43) マイク ロクレジットが機能した理由とその限界 (45)
3 問題の解決に向けて

CHRPTER3 教育と健康
人づくりは国づくり
1 Story
オニオンちゃんの留年(52) 村の子どもの健康(53)
2 何が問題なのか 課題の抽出と分析フレーム
留年・退学・教育未普及の問題(55) 教育面での男女間 格差の問題(56) 貧困層にとっての金銭的負担:信用制 約(58) 公立と私立の学校の違いと教員のインセンティ ブ(60) 栄養失調や伝染病などの蔓延と診療所の不備(61)
3 問題の解決に向けて¥

CHRPTER4 労働移動
バラ色の新天地?
1 Story
実家を出た後のライチさんとボメロさん(70) 駆け出し 官僚の間(71)
2 何が問題なのか 課題の抽出と分析フレーム
移動理論の古典1:ルイスモデルの考え方 (73) 移動 の古典2:ハリス=トダロモデルの考え方 (76) スラムや インフォーマル部門の現状(78) 新しい移動の経済学: ハリス=トダロモデルを超えて(80) 国境を越える人たち:グローバル化した移動研究(81)
3問題の解決に向けて

CHRPTER5 経済成長と工業化
グローバル化した世界
1 Story
ボスのレクチャーととんでもない宿題(90)
2何が問題なのかD題の抽出と分析フレーム
成長とは何か?:生産要素投入量の増加と生産性の改善 (93) 経済成長のメカニズム (94) 東アジア発展の歴 史:辺境の地から奇跡の地へ (98) 東アジアの奇跡と危 機(101)
3問題の解決に向けて

CHRPTER6 技術移転
学びの道も一歩から
1 Story
アスー国とナカッ国の違い (108)
2 何が問題なのか ID課題の抽出と分析フレーム
技術の種類と習得時間(111) 技術伝播とその学習 (114) 直接投資と技術の伝播(115) 競争や刺激による技術向上(118) 途上国企業のR&D投資 (119)
3問題の解決に向けて

CHRPTER7 開発金融
おらが村とグローバル金融システムのつながり
1 Story
マメさんとお父さんの昔の口論 (126) ナカッ国からの経 済ニュース(127)
2 何が問題なのか課題の抽出と分析フレーム
産業発展のための長期資金をどう調達するか (129) 途上国における人為的低金利政策の失敗(132) 金融自由化からアジア通貨危機へ(134) 地域協力の推進と外国銀行の進出(136)
3 問題の解決に向けて

CHRPTER8 開発援助
がんばれニッポン
1 Story
文書庫でのマメさん(144) ボスの開発援助懐疑論(145) マメさんの開発援助現場訪問 (146)
2何が問題なのか 課題の抽出と分析フレーム
マクロの資金不足(150) 援助の氾濫やファンジビリティの問題(153) マクロの援助効果の測定(153) ミクロの援助プロジェクト効果の測定(155)
3 問題の解決に向けて

CHRPTER9 持続可能な開発
環境と開発の対立を超えて
1 Story
肌で感じる首都の大気汚染(164) 持続可能な開発に向けたアスー国の取り組み(165)
2 何が問題なのか 課題の抽出と分析フレーム
途上国における持続可能な発展(167) 環境クズネッツ曲 線(168) 直接規制は有効か?(170) 経済的手法による対策(172) エネルギー問題の深刻さ(175) 地球温暖化問題と途上国(176) 地球の未来を守るために:コモンズの悲劇を超えて(179)
3 問題の解決に向けて

CHRPTERエピローグ 途上国の希望

CHRPTER補論1 書を捨てよ、現場へ行こう!
フィールド調査の実際
1 なぜ現場へ行くの?
2調査の準備
3 調査実施
4貴重なオリジナルデータの分析

CHRPTER補論2 書を捨てよ、現場へ行こう!
介入の効果を測る
1 なぜ、介入の効果を測るの?
2印象論やナイーブな比較が持つ問題
3 効果測定の手法
4 RCT をやってみよう

さらなる学びのためのリーディング・ガイド
参考文献
索引

Column 一覧
①マダガスカルの希望
②バングラデシュ再訪
③インドでインフルエンザ
④人が移動をする理由
⑤スポーツ・ナショナリズムと経済発展
⑥海外での飲みニケーションから伝わること
⑦インド亜大陸の切手と郵便
⑧カンボジアの持続的発展のために
⑨多様性の先にある困難
⑩パキスタン辺境の村

本書のコピー、スキャン、デジタル化等の無断複製は著作権法上での例外を除き禁じられています。本書を代行業者等の第三者に依頼してスキャンや デジタル化することは、たとえ個人や家庭内での利用でも著作権法違反です

CHAPTERプロローグ

ある途上国のお話
「あなた,ごはんができたわよ。ドリアンも呼んでちょうだい」
「ああ、わかった……」
ここはアスー国の農村。青々とした稲穂に朝露が光り、遠くの方でニワトリの鳴き声がこだまする午前6時半頃,ムギさん一家の朝食がいつものように始 まります。定番メニューは、米粉を発酵させて薄くのばした生地を焼いたク レープのような食べ物(南インドでドーサと呼ばれる食べ物に近いでしょうか)に、 小エビや小魚を発酵させて作った塩辛いカビという味噌と、野菜の漬け物を併せていただきます。飲み物は、ほのかな酸味と渋みがきいた野草茶です。ご主 人のムギさんは、もう50年以上も,この変わらない朝食を食べ続けています。
てきぱきと食事の準備をするキビさんは、毎朝5時に起きて朝食の準備をし ています。煮炊きに使うのは,村近くの林で集めてきた薪や小枝です。家の裏 には,自家消費用の野菜が所狭しと植えられています。スースーと呼ばれる空 心菜に似た葉物で作る炒め物と,自家製の根菜で作った漬け物が得意料理で, 夫のムギさんの好物でもあります。
「今日も午後には一雨来そうだな……」とつぶやくムギさんの表情は心なしか曇りがちに見えますが、一体どうしたのでしょうか?

本書の目的

この教科書は、開発途上国の問題に関心を持ってもらい、その関心が学問としての開発経済学 (development economics)への興味につながって欲しいという思いを込めて作りました。

テレビでアフリカの子どもがお腹を空かしている映像を見た,あるいはフィ リピンに旅行に行ってスラムで働く子どもの汚れた姿にショックを受けたなど, 日本人が途上国の貧困や開発の問題に関心を持つきっかけはいろいろあると思 います。なぜそのような問題が途上国に存在するのでしょう?それをどうすれば克服できるのでしょうか?
これらの問いについて考える学問の1つに,開発経済学があります(ほかに も開発社会学,開発人類学などの学問があり、総称して開発学(development studies) と呼ぶこともあります)。開発経済学というのは,経済学のツールを、途上国の貧困や開発の問題に適用した応用経済学の一分野です。

経済学はおもしろく、役に立つ学問ですが,その役に立つ経路が特にはっきりしているのが開発経済学だと思います。目の前にお腹を空かしている人がいるとき,あるいは日本ならば問題とならない病気で簡単に命を落とそうとして いる人がいるときに,私たちは何ができるでしょうか? その場で食べ物を渡 す,あるいは治療を施すという緊急,あるいは直接的な行為だけでなく、なぜそのような人が多数生じるのかを,論理立てて構造的に理解し,そのような人 の数を減らすような政策を起案・実施するための基礎や処方箋を提供するのが, 開発経済学の役割です。

こうした途上国が抱えるさまざまな問題に取り組む上で,最近の開発経済学では、行動経済学,空間経済学などの新たな経済理論や革新的な実証分析ツールを活発に取り入れて急速に発達しており,本書では,こういった最先端の議 論をたくさん紹介しています。その意味で本書は、単なる入門編の教科書では なく,開発問題への先端的ガイドブックをめざしています。ただし、限られた 字数で開発問題すべてを扱うことはできません。本書では特に、低所得国や下 位中所得国がいかに絶対的貧困から脱出できるかに焦点を置きます。

この本を手にとってくれた方が,開発援助の実務者あるいは研究者として, 実際の途上国の発展に直接的に関わることにつながれば筆者としてはこれ以上ない幸せです。でもそのような直接的な関わりのある職業に就かなくても,グ ローバル化が進んでいる今の世の中では、実はいろいろな形で途上国の人々の 生活に関わることが少なからずあります。その際に知っておいてほしいことや途上国の経済を眺める視点のようなものを伝えたいというのも,本書を企画した理由の1つです。

本書の特色

本書の最大の特色は,日頭に登場した,アスー国で暮らす人々が織りなす日々の物語を通じて開発経済学を学ぶというスタイルです。本書は9章構成となっていて、各章の冒頭では、アスー国で暮らす人々が抱える課題が、日々の 生活を叙述する Story の中で明らかにされます。その後に、Story で明らかにされた課題に対して開発経済学がどのようにアプローチし、また政策提言や処 方を導き出していくのかを解説するという流れで各章が構成されています。各章は独立した読み物としても読めるようになっていますが,各章の織りなす Story には連続性があるので,時間がある読者はぜひとも目頭から読み進めていただけるとうれしいです。大学の講義で使うならば、やや中身の多い第1, 2章と第9章を2回に分けるなどすると, 12~14 回程度の1学期週1コマの講 義に対応するでしょう。

また, Story を補うものとして,われわれ筆者がこれまで研究対象としてきた国々での経験を基にした Column も作成しました(Column の写真はすべて 筆者撮影)。Story とColumn を通じて,具体的な途上国のイメージが読者に 伝わることを祈っています。

開発経済学も経済学の一分野ですから、「開発経済学」と名前のついた本を 開くと、数式や入り組んだ図や統計数字のたくさん入った表が目について,難しいという印象を持ったことがある方も多いのではないでしょうか。そこで本 書では数式はできるだけ使わず,数理モデルが重要な場合にはその論理を言葉で紹介し,関心を持つ方が次のステップに進む際の橋渡しとして文献情報をつけることにしました。ややテクニカルな内容は補論にまとめました。なお,本 書を教科書として用いる場合は、章扉に挙げたKEY WORDS を説明することと,章末にまとめたQUESTIONS の答えを考えることで,各章の中身が 理解できたかどうか確認してください。

Story の全体の流れ

途上国の貧困者の大半は農村に住んでいます。そこで本書の Story は、アスー国という途上国の農村に住む農民のムギさん一家の生活というミクロの話 から始まります(第1章)。Story が進んでいく中で、ムギさんの村にもさまざまな変化が訪れ,農業生産性の改善や,農村経済の多様化を通じて,農村の 人々も徐々に貧困を脱却していきます(第2章)。

その過程では,教育環境の改善(第3章)や農村から都市部への人口移動, 農業から工業・サービス業への労働移動(第4章)が重要になります。人々が 農村から都市に出て、工場で働くようになるという変化は,多くの途上国が経験してきたことです。工業やサービス業においても、企業家は日々、生産性改 善の努力を進めています。それに成功した企業は成長し、そのような企業で働

く労働者の生活も向上していきます(第5章)。農業や工業やサービス業の生 産性が向上していくことを産業発展と呼んでもいいでしょう。生産性向上には、 技術移転や国際貿易が鍵になります(第6章)。

こうして Story は少しずつ,ミクロからマクロの話に変わっていきます。 マクロの話になると,政府の役割も忘れてはいけません。そこで, マクロ編で は,政府の駆け出し官僚であるマメさんを中心にストーリーが展開していきます。金融や開発援助,環境といった話もここで扱います(第7~9章)。
本書のエピローグでは、ミクロとマクロの登場人物が偶然出会い、アスー国 の成長と貧困削減に関して思いを伝え合います。これが本書の大きな流れです。

Story の舞台

それでは、次に Story の舞台となる国々や登場人物の紹介に移りたいと思います。Story の舞台は,先ほどから何度か出てきましたが、アスー(ASU) 国と呼ばれるこの世界のどこかにある架空の国です。人口は 4000万人, 1人当たりのGDP は 750 ドルと日本の 50 分の1程度。ただし,この10年間は景 気もよく、経済成長率は5~8%となり10年間でおおよそ1人当たり所得を2 倍程度にまで拡大しました。アスー国の国土の大部分は,熱帯モンスーン気候に属しています。年間降雨の大部分が雨期に降り、乾期にはほとんど降りません。乾期の気温は高く、とても乾燥します。

アスー国のGDPに占める農業の比率は25%,工業は25%, サービス業が 50%です。しかし国民の7割もが農業生産に従事しています。このため主要輸 出品目は,農産物(穀類とゴムと紅茶),繊維製品(軽工業品), となっています。 近年では、外国に出稼ぎに出る女性が増加し,現在の海外送金総額は GDPの 5%程度にまで上っています。為替はアメリカのドルに連動したドルペッグ制で,実質的に固定為替相場制度が採用されています。そこで本書のStory で は、アスー国の通貨をドルで表記します(ほぼ米ドルに近い単位と理解してください)。

そんなアスー国の北部地域に位置するのがムギさんたちの暮らす村です。首都から車やバスで9時間もかかる辺鄙な村で、近郊の都市(国内で4番目の都市で人口30万人程度)には、乗り合いバスで2時間ほどかかります。雨期に降る雨のみに頼った天水農業が伝統的な農業形態でしたが、数年前から海外の援助資金による灌漑施設建設が始まり、近隣の村では乾期の稲作,つまり米の二期 作を始めるところが出てきました。また、5年前からマイクロクレジットのブロジェクトが村に展開しはじめています。小学校は 1970年代後半に村にできましたが,現在50代後半のムギさんは小学校に通ったことがありません。そ の後2000年に中学校が建設されました。それまでは15 kmほど触れた村まで歩いて通う必要があったことを考えると大きな変化です。ただし最寄りの高校はバスで2時間かかる近郊都市にあります。

複数あるアスー国の隣国の中でも重要なのが、ナカッ国です。この国の1人 当たりGDPはアスー国のほぼ10倍で、世界銀行の分類では上位中所得国に 入ります。先進国の多国籍企業が多く集まる工業団地もいくつかあり,地域で は所得水準が相対的に高い国です。ナカッ国の工業団地は、首都近郊だけでな く, アスー国との国境近くの経済特区にも広がっています。この国にはアスー 国からも多くの労働者が働きに行きます。両国の言葉はよく似ているので,ア スー国からナカッ国に短期の観光ビザなどで入国し、そのまま居座る不法労働者も近年増え、両国間での外交課題として取り上げられることが多くなりました。

Story の登場人物

主にミクロ編に登場するムギさん一家は、もともとは6人家族です。現在は 3人世帯で、昨年1年間の世帯所得は、農業自営所得(米を作るなどをして得られる所得) 200ドル、非農業の自営業所得(食肉用の養鶏事業で得た所得など)が 200ドル、日雇い労働賃金所得が200ドル(他の人の田んぼで収穫作業を手伝って 支払われる所得や建設労働などで受け取る所得など),送金収入が国内 200ドル,国外400ドルで,合計 1200ドルです。国外からの送金がある分,世帯所得が村 の平均よりやや多くなっています。

●父親(ムギさん), 56歳
国が独立に沸いた頃の記憶がおぼろげながら残っている。ムギさんの父親も祖父も代々この村で農業を行ってきた。現在まで 伝統的な天水農業で一家を支えてきた。26歳の時に、9歳年下のキビさんと結婚する。学歴皆無で、読み書きもできない。
● 母親(キビさん), 47歳
30kmほど離れた村から嫁に来た。結婚してから10年の間に 6人の子どもを出産するが,2番目の出産は死産,5番目に生まれた次女は生後半年で栄養失調と下痢のために死去したため、生き残った子どもは4人。夫のムギさんと同じくフォーマルな学歴はないが、生まれ育った村にあった寺子屋に2年ほど通っていたため、若干の読み書きは可能。
●長女(マンゴーさん), 31 歳
同じ村のパクチーさんと 18歳の時に結婚し、2人の子供(結 婚1年後に生まれた娘のオニオンちゃん,その3年後に生まれ の息子ポテト君)をもうけている。嫁ぎ先は零細な小作農家で あり,十分な稼ぎとは言えず、11歳の長女オニオンちゃんが 時折,農作業にも従事する。それゆえにオニオンちゃんは小学 校を休みがちで,留年を経験している。マンゴーさん本人の学歴は小学校中退。
●長男(ドリアンさん). 28歳
農家の跡継ぎとして、父親と野良に出るが、近隣の村にある, 近代的な灌漑水路にも触発され,高収量品種の導入や化学肥料, 殺虫剤などの使用を巡って、父親との言い争いが絶えない。学歴は小学校卒。
●次男 (ライチさん). 26歳
現在は首都で運転手をしている。同じ村から出てきた女性と恋 仲であり、このまま結婚をして、都市に移り住むことを画策中。 稼ぎの2割程度(年間200 ドル)を実家に送金。学歴は中学校中退。
●三女(ポメロさん). 21歳
中学校を卒業した後,次男ライチさんと同様,首都に出稼ぎに出たが,その際にブローカーにスカウトされ,ナカッ国に住み込みのお手伝いさんとして働きに出た(現在渡航2年目)。送 金は年間で400ドル程度。学歴は中学校卒。
マクロ編に登場するのは開発援助に関連した仕事に従事する3名のプロフェッショナルです。
●経済開発省の駆け出し官僚(マメさん), 23歳
アスー国のトップの大学で経済学士号を優秀な成績で取得。この国を豊かに発展させるという熱い思いを胸に、アスー国の開 発計画を作成する経済開発省に入った青年。実は、ムギさん一家が住む村の隣町(バスで20分ほど離れている)の出身。マメさんのお父さんの名前はダイズ,お母さんの名前はアズキで,どちらも健在。ガールフレンドのコピさんとは,すでに婚約中。
●世界銀行での勤務経験もあるマメさんのボス(ティーさん), 43歳
現在次長クラス。30代の頃に海外の大学院で博士号(農業経 済学)を取得し、その後帰国。2年ほど前に政府の資金で1年 問,世界銀行に客員研究員として滞在。自国の現実と近代経済学の両方に精通した人物。
●国際協力機構(JICA)の担当者(ヨネさん). 28歳
日本の大学で開発学・国際協力論を学び、日本の援助機関である国際協力機構に就職。アスー国は初めての海外赴任地。大学 卒業時には英語力に自信があったが,現場での交渉という点で 国際的なコミュニケーションの難しさを実感中。
以上の登場人物が織りなすアスー国の経済発展は、さてどうなるか。すぐにでもムギさん一家のお話に移りたいところですが、その前に途上国の現状を 知るのに必要な最低限の知識を簡単に説明します。開発経済学は実践的な学問であり、また日本ではなく他国の状況を分析する学問ですので、現実の途上国 の状況を常に念頭に置いて本書を使うことが開発経済学の理解には重要です。 アスー国がどのような国なのかを考えるためにも役に立つ知識です。

黒崎 卓 (著), 栗田 匡相 (著)
出版社、有斐閣 (2016/3/31):出版社HP

途上国の現状

途上国の経済開発に永年関与してきた世界銀行(世銀)は、途上国を1人当たり国民所得が低い順に,低所得国,下位中所得国,上位中所得国に分け,先 進国を高所得国と呼んでいます。上位中所得国にほぼ対応した国々を指して, 中進国と呼ぶこともあります。2014 年度版の世銀「世界開発報告」では,低 所得国に、ミャンマー, カンボジア, バングラデシュ, ハイチ,ウガンダなど 32 カ国,下位中所得国に,ベトナム、インド, パキスタン, ボリビア, ガー ナ,コートジボワールなど33カ国、上位中所得国に,タイ,中国,ブラジル, 南アフリカなど33 カ国を挙げています。国際連合(国連)は、途上国の中で も特に貧しく脆弱な国を後発開発途上国(least developed countries: LDC)と定義 し,48カ国を指定しています。世銀の低所得国のすべてがLDCです。

表 0-1 を見てください。低所得国には約8億5000万人,下位中所得国には 約25億人の人口が含まれ、地球全体の人口の半分近くに達します。低所得国 の1人当たり年間平均所得は584ドル, 先進国3万7595ドルのわずか 1.55% です。それで食べていけるわけがありません。途上国では物価が安いので,それを調整するのが表の PPP換算です(PPP とは「購買力平価」の略。詳しくは巻 末リーディング・ガイドで紹介されている教科書を参照)。物価の調整をしても低所 得国の1人当たり国民所得は年間 1387 ドルで,先進国の3.67%にしかなりません。世界の所得格差はこれほどの大きさなのです。下位中所得国では少しましになりますが,それでも物価調整済みの1人当たり国民所得は,先進国の 10.4%にすぎません。中進国(上位中所得国)でなんとか所得水準が先進国の3 割弱に達します。

地域別には、低所得国32 カ国中 24 カ国,下位中所得国33 カ国中 11 カ国がアフリカの国です。アフリカの国の大多数が人口で見ると小国なのに対し、南アジアにはバングラデシュ, インドパキスタンという人口大国が3つもあり, それぞれ低所得国,下位中所得国,下位中所得国に属しています。国連の定義で見ると,IDC48 カ国中 34 カ国がアフリカ,4カ国が南アジアです。つまり 世界の貧困問題が特に集中しているのが、アフリカと南アジアです。アフリカ でも北部の地中海沿岸地域は生活水準が比較的高いので,貧困問題に着目する 場合は、サハラ以南のアフリカに絞って「サブサハラ・アフリカ」という地域 区分を採用します。

こうした定義に従ってアスー国の状況を見てみましょう。アスー国の1人当たりGDPは750 ドル程度ですから、低所得国と下位中所得国の間に位置して います。アフリカのケニア,ガーナ、東アジアではカンボジア、ベトナムといった,今後の発展が有望視されつつも、国内には絶対的な貧困が広範に存在している途上国の状況に近いようです。
なお先にも見たように、アスー国のGDPに占める農業の比率は25%,工業 は25%, サービス業が50%です。しかし国民の7割もが農業生産に従事しています。全労働者の7割が生み出す価値は全体で生み出される価値の25%し かないわけですから,言い換えると,農業従事者1人が生み出す価値の総量 (労働生産性)は平均で見て,工業・サービス業従事者よりも低いことになります。これらの特徴は、世銀の「世界開発報告」を見るとわかるように,低所得 途上国によく見られるものです。

以上は1人当たり国民所得の話でしたが、貧困やGDP の話をする際に,もう1つ忘れてはいけないポイントがあります。それが国内の所得や富の分配の状況がどのようになっているのか、という点です。わかりやすく言えば、不平等の状況がどうなっているのかということになります。国内の不平等が大きい国と,小さい国とでは、同じ1人当たり国民所得でも生活水準が違います。たとえば国民の何%が貧困線以下の生活を送っているかを示す貧困者比率という 指標を使うと、不平等の効果と平均の国の豊かさの両方が反映された姿がわかります。国際比較でよく使われる貧困線は,1日1人 1.25 ドルおよび 2.5 ドル (どちらも物価調整済み)です。1人当たり国民所得が年額 1000 ドルの国に、2.5 ドルの貧困線を当てはめてみましょう。所得分配が平等で,全員がほぼ1000 ドルの所得でしたら、その国の貧困者比率はゼロです。所得分配が不平等で、 国民の5%が1万ドル, 45%が1000 ドル, 50%が100ドルの所得だと,その 国の貧困者比率は50%です。表0-1 にあるように,世銀は 2010年の低所得途 上国の貧困者比率を83.2%と推計しています。

途上国は所得が低いだけでなく、教育や健康なども先進国の水準を大きく下 回っています。表0-2 には、国連開発計画(UNDP)が毎年作成する「人間開 発報告書」から数字を拾ってみました。人々の生活水準を所得だけで測るのは 不十分で、教育や健康なども取り入れた「人間開発」が重要だという見方に基づいて作られているのが、「人間開発報告書」です。

先進国(表では「人間開発上位国」)における平均寿命が 80.2 歳,成人平均就学年数が 11.7 年なのに対し、LDCではそれぞれ 61.5 歳,3.9年です。最も貧しい途上国に生まれたというだけで,人は平均で20年早死にし、学校に通う 年数も8年近く短いのです。所得面で絶望的な格差が先進国との間にあり、十分な教育を受けることが国民全員に保証されず,先進国では問題にならないような病気で簡単に命を落としてしまうがゆえに平均の寿命が短い、これが,途上国が抱える絶対的貧困の問題です。
なお,表 0-2で東アジアと呼ばれる地域には、日本や中国、韓国など極東アジアの国々と,タイ, インドネシアなど東南アジアの国々が含まれています。 極東アジアの国々のみを指して東アジアと呼ぶこともありますが,本書では,世銀や国連での近年の用法に倣い、東南アジアも含む地域として東アジアという用語を使います。

さて,アスー国の物語を始める準備が整いましたね。それでは、まずはムギさんの沈んだ表情の理由を探りながら、アスー国の農村が抱える課題について考えてみましょう!

黒崎 卓 (著), 栗田 匡相 (著)
出版社、有斐閣 (2016/3/31):出版社HP

国際協力ってなんだろう――現場に生きる開発経済学 (岩波ジュニア新書)

開発経済学の紹介入門

開発経済学を本格的に学び始める直前に本書を通してどのような分野が開発経済学なのかを説明するの入門書です。
とても平易な言葉で書かれているため、これまで開発経済学を学んだことがない方でも読めます。トピックとしても開発経済学の最先端を広く浅く解説したもので、専門の入門書として貴重な一冊です。

高橋 和志 (著, 編集), 山形 辰史 (著, 編集)
出版社、岩波書店 (2010/11/20):出版社HP

はじめに

二一世紀に入って一〇年がたった今でも、世界は貧困と暴力に満ちています。開発途上国 と呼ばれる国々の一部には、栄養不良、不衛生、不健康の原因となる貧困が蔓延しており、 また、いくつかの国には武力紛争や犯罪への恐怖が広がっています。二〇〇五年には、世界 の人口の四分の一が貧困状態にあると言われていました。また、政治的迫害や紛争、天災の ために他国に避難を求める難民申請者数は世界で三八万人、難民申請さえできずに国内に留まる国内避難民が二七〇〇万人もいるのです(二〇〇九年)。

その一方で、それほど遠くない昔に貧困や暴力に苦しんでいた国のいくつかは、その後大きな発展を遂げ、現在は繁栄を謳歌しています。例えば、半世紀あまり前に韓国は朝鮮戦争という内戦のただ中にあり、国民の多くは極度の貧困状態に置かれていました。その韓国が に今や先進国の一員となったことはご存じの通りです。また、一九七五年に終わったベトナム戦争は、アメリカやソ連、中国といった大国の代理戦争と呼ばれ、ベトナムはその全てが焦土と化したと言えるほど破壊されました。そのベトナムも、近年は目覚ましい経済成長を実現しています。

さらに強調したいのは、今日多くの人々が貧困状態にあるような国々でも、ほとんど例外 なく、その経済社会は非常に大きく変化しているということです。これは三つの視角から説明することができます。

まず、一九九一年にソ連が崩壊し、社会主義諸国と自由主義諸国の間の東西対立が消滅し ました。その結果として、世界全体の自由主義的経済開放が進み、国際貿易や投資、国際人 口移動が活発化しました。これによって開発途上国の農村でも、日本製の軽トラックや中国 製の電池や灌漑用揚水ポンプ、先進国から流入する古着のTシャツが広く用いられるようになりました。このような経済活動の地球規模の拡大はグローバリゼーションと呼ばれます。

第二に、交通・通信手段の発達により、様々な意味で世界が狭くなりました。今では開発途上国の農村の、ごくごく普通の人たちが、外国に出稼ぎに行き、数年または数カ月で帰ってくるようになりました。また、彼らはほとんど例外なく、ドバイやシンガポールといった出稼ぎ先から携帯電話で、農村にいる家族に連絡をしています。携帯電話サービスによって は、電話を操作して、その電話にチャージ(入金)されている金額を、家族に送金することさえできるのです。

また、今は世界中にテレビやインターネットの端末があります。二〇〇九年一月にバラク・オバマが、アフリカ系アメリカ人として初めて大統領に就任した時には、世界中の人々がテレビに釘付けになりました。そして、南アフリカで開催されたサッカーのワールドカップ決勝戦の際には、多くの紛争地でも兵士が警戒を緩めて、テレビや端末に見入ったことでしょう。

第三に、一九四五年に第二次世界大戦が終結してから六五年の間に、開発途上国の人々や 先進国の協力者によって、国際開発のために多大な努力がなされました。そのいくつかは失 敗に終わりましたが、いくつかは成功したのです。貧困層への小規模融資を特徴とするマイ クロファイナンス、乳児の下痢による脱水症状に家庭で簡単に対処するための経口補水塩療法、開発プロジェクトの企画や運営に、そのプロジェクトの受益者である開発途上国の人々の参加を促す「参加型開発」、開発途上国の地方自治体の潜在力を高める地方分権支援等々は、試行錯誤を経つつも一定の成果を上げ、今ではほとんどの開発途上国で適用されています。

このようにダイナミックに変化している開発途上国の姿を、読者の皆さんにお伝えしたいのです。戦後六五年の間、開発途上国はただただ停滞していたわけではありません。政変も ありました。失政もありました。汚職もありました。しかし同時に、生活改善や人権擁護の ための工夫や努力もなされたのです。その結果として、現在は繁栄している国もあり、十年 一日のごとき貧困にあえいでいる国もあるというわけです。

この六五年の試行錯誤の経験から、一部の人は無力感のみを抱くかも知れません。しかし、 現在国際開発に関わっている人たちは、この試行錯誤の連続の先に希望を見出そうとしています。「今度こそうまくいく」とつぶやきながら、新しい取り組みを編み出し、実行しているのです。

本書は、このような国際開発の取り組みを紹介します。これらの取り組みは、今度こそ成功するでしょうか。それはわかりません。しかし、たとえ成功しなくても、その次の新しいやり方を考え出して、我々は前に進まなければならないのです。

高橋 和志 (著, 編集), 山形 辰史 (著, 編集)
出版社、岩波書店 (2010/11/20):出版社HP

目次

はじめに

1 開発のめざすもの
貧困―貧困をもたらすものは何か?…高橋和志
ジェンダー―貧困の女性化…野上裕生
障害―社会的コストを障害者に転嫁する社会…森 壮也
保健―その費用を誰がどのように賄うのか…内村弘子
感染症対策―アウトブレークを食い止めろ…山形辰史
教育―よりよい将来に向けた投資…高橋和志

2 平和と公正を実現するために
紛争―国際社会はどうかかわるか…武内進一
汚職―みんなでやれば怖くない?…湊 一樹
法制度改革支援―先進国による押しつけか?…佐藤 創

3 宇宙船地球号の舵取り
環境―開発との両立をめざして…小島道一
排出権取引―クリーン開発メカニズム…中村浩美
資源循環―国際化するリユース・リサイクル…小島道

ハーフタイム 開発経済学でわかること 山形辰史

4 開発への取り組み
開発援助―借入は計画的に…山形辰史
マイクロファイナンス―貧困層にこそ金融サービスを…高野久紀
貧困削減―教育や保健を条件にした補助金…伊藤成朗

5 開発途上国でのイノベーション
技術―必要は発明の母…山形辰史
知的財産権―創る人と真似る人…久保研介
情報技術革命―変わる貧困層の生活…高野久紀
農業技術革新―奇跡の米が歩んだ軌跡…高橋和志

6 国境を越えよう
貿易自由化―敵か味方か… 熊谷 聡
国際価値連鎖―分業の連なりが生み出すもの…川上桃子
産業集積―人より二人、二人より三人…磯野生茂
国際労働移動―土地を離れる者と残される者…町北朋洋
グローバリゼーション―宇宙船地球号の別の顔 山形辰史・高橋和志

おわりに
執筆者紹介

カバー、扉写真 山形辰史

高橋 和志 (著, 編集), 山形 辰史 (著, 編集)
出版社、岩波書店 (2010/11/20):出版社HP

経済セミナー 2018年8・9月号 いま知りたい開発経済学

直近の開発経済学を網羅!

ここ最近の開発経済学のフロンティアを紹介しており、実務家目線や、国際開発に興味がある方でも最前線の研究を垣間見ることができます。

筆者
出版社、(株)日本評論社 (2018/7/27):出版社HP

 

1 自己紹介

―最初に、自己紹介をお願いします。 青柳株式会社メトリクスワークコンサルタ ンツという開発コンサルタント会社を経営し ています。佐藤さんが社会学、高崎さんが経 済学の分野での研究者ですが、私は研究者で はなく、評価を専門にしている実務家です。 日本評価学会という学会がありまして、評価士を認定する制度があります。そこで上級 評価士の資格を認定いただいて以来、私は「自分の専門は評価です」というようにしていま す。ここ10年くらいは、JICA(国際協力機構) の評価部に常駐していて、おもにインパクト評価の技術支援を行っています。
最近は、EBPM(Evidence-Based PolicyMaking)や、EBP (Evidence-Based Practice) など、エビデンス・ベースト云々という動き がはやっていると思います。

これまでは個別のインパクト評価の実施体 制構築・分析・助言といったプロデューサー のような仕事を中心に行ってきましたが、そういった動きも受け、JICAという組織の中、 または日本のODAの動きの中で EvidenceBased Decision Making in International Developmentという行動様式をいかにして実 現し根付かせていくかを考えることが増えてきています。評価という取り組みを通じて、 世界の開発課題に貢献していきたい。それが いまの関心になっています。

鼎談 Discussion
現場では何が問題となっているのか
青柳恵太郎
佐藤寛
高崎善人

開発・援助の世界では、近年どのような変化が起こっているのだろうか。実務と研究、経済学と 社会学という対比を通して、多角的な視点から論じていただく。実務家として青柳氏、開発社会 学の研究者として佐藤氏、開発経済学の研究者として高崎氏に、開発・援助分野の「いま」を伺った。

筆者
出版社、(株)日本評論社 (2018/7/27):出版社HP

直近の開発経済学を網羅!

ここ最近の開発経済学のフロンティアを紹介しており、実務家目線や、国際開発に興味がある方でも最前線の研究を垣間見ることができます。

筆者
出版社、(株)日本評論社 (2018/7/27):出版社HP

 

1 自己紹介

―最初に、自己紹介をお願いします。 青柳株式会社メトリクスワークコンサルタ ンツという開発コンサルタント会社を経営し ています。佐藤さんが社会学、高崎さんが経 済学の分野での研究者ですが、私は研究者で はなく、評価を専門にしている実務家です。 日本評価学会という学会がありまして、評価士を認定する制度があります。そこで上級 評価士の資格を認定いただいて以来、私は「自分の専門は評価です」というようにしていま す。ここ10年くらいは、JICA(国際協力機構) の評価部に常駐していて、おもにインパクト評価の技術支援を行っています。
最近は、EBPM(Evidence-Based PolicyMaking)や、EBP (Evidence-Based Practice) など、エビデンス・ベースト云々という動き がはやっていると思います。

これまでは個別のインパクト評価の実施体 制構築・分析・助言といったプロデューサー のような仕事を中心に行ってきましたが、そういった動きも受け、JICAという組織の中、 または日本のODAの動きの中で EvidenceBased Decision Making in International Developmentという行動様式をいかにして実 現し根付かせていくかを考えることが増えてきています。評価という取り組みを通じて、 世界の開発課題に貢献していきたい。それが いまの関心になっています。

鼎談 Discussion
現場では何が問題となっているのか
青柳恵太郎
佐藤寛
高崎善人

開発・援助の世界では、近年どのような変化が起こっているのだろうか。実務と研究、経済学と 社会学という対比を通して、多角的な視点から論じていただく。実務家として青柳氏、開発社会 学の研究者として佐藤氏、開発経済学の研究者として高崎氏に、開発・援助分野の「いま」を伺った。

筆者
出版社、(株)日本評論社 (2018/7/27):出版社HP

開発経済学入門 第3版

開発経済学の初歩

長らく開発経済学の土台になってきたトピックが散りばめられています。現在の最先端の知識も必要ですが、このような開発経済学を初期で支えた内容も一読する価値があります。

渡辺 利夫 (著)
出版社、東洋経済新報社; 第3版 (2010/2/13):出版社HP

はしがき

欧米をはるかに凌ぐ戦後日本の高成長の姿を眺めて,人々はこれを「日本の奇跡」と呼んだ.1960年代の中頃に始まる韓国の高成長は「漢江の奇跡と称された.漢江とはソウルの市中をたゆとう大河の名前である.1992年,当時の最高実力者である鄧小平によって発せられた「南巡講和」以来の中国は年率10%を前後する超高成長を持続し,この間「驚異の中国」論が世を風靡した.

一国の経済発展には「奇跡」も「驚異」もない,1つの「王道」があるだけだと私は考える.熟練労働者を蓄積し,企業家を育成し,官僚を鎮座する営々たる努力が積み上げられ,初めて発展は軌道に乗るのである.

奇跡的とも驚異的とも形容される成長実績の背後には,技術を革新し,生産性の向上を図り,市場の拡大に腐心し,産業構造の高度化を追い求める着実な国内的努力が必ずや潜んでいる.日本の経済発展も韓国や中国のそれも,この努力のうえに花開いたものである.

貿易や海外直接投資,ODA(政府開発援助)などの「外的インパクト」も,一国の発展を促す重要な要因である.しかし,外的インパクトが国内的努力を「代替」するというわけにはいかない.前者は後者を引きだす力としてのみ重要なのである.ことの順序を逆に考えてはいけない.

1997年夏以来,アジアは半世紀に及ぶ開発史のなかでも最大級の経済危機に苦しんだ.多くのジャーナリストやエコノミストは,アジア危機はアジアが抱える構造的な矛盾や重篤な病のあらわれであって,修復と治癒は容易ではないといいたてた.

しかし,危機に陥ったアジア各国のマクロ経済指標のほとんどが,1999年中に危機前の最高水準を上まわった.アジアの経済は未曾有の危機をわずか3年で脱したのである.アジア危機を構造的矛盾や重い病とみたてたジャーナリストやエコノミストの議論は,すべて誤りであったことが証明されてしまった.

なぜそのような情けない見通しの失敗をやらかすのかといえば,アジアの経済発展がその王道を歩んで今日を築いたという事実を,事実に即してきちんと理解していないからである.

2008年の後半には,「リーマン・ショック」と呼ばれる一段と厳しいディスインパクトがアジアを襲った.この傷もアジアでははやくも癒えつつある.アジアが世界経済を牽引していくという構図は今後もなおつづいていくものと予想していい.

「一国の経済には成長期もあれば低迷期もある.成長期といえどもその過程は一直線ではない,成長率が著しく高いこともあれば,これが急降下することもある.アジアはそういう変動を貫いて力強いエネルギーを発揚する「歴史的勃興期」の直中にある,と私はみる.ここのところに目がいかないがゆえに,危機がおこるとある種の知的パニックに陥ってしまい,極端な悲観論に堕してしまうのである.

本書は,アジアの経済発展の50年余を振り返りながら,各国がどのような道筋をたどって現在を築いたのか,その論理を説いたものである,経済学の基礎的知識をもたない初学者を開発経済学の世界に招待したいという意図をもって出版された.
本書は第3版である.章を再編し,旧版を大きく書き換え,データを全面的に入れかえた.

多忙の日常の中でこの作業をつづけることは,率直にいってつらかったが,出版までなんとかこぎ着けた.最大の功労者は拓殖大学の同僚,国際学部の徳原悟先生のきわめて積極的で誠意あふるる協力であった.図表は徳原先生が全面的に再編集して下さった.本書の改訂がもし成功したとすれば,その功績の過半は徳原先生のものである.
地図の出版に長い伝統をもつ二宮書店からは,見返し(表紙裏)に掲載したアジア全域の地図のご提供を賜わった.東洋経済新報社出版局の茅根恭子さんの,誠によく目配りをきかせた編集によって本書が生まれた.方々に深く御礼申し上げる.本書が大学の授業やゼミなどで大いに活用していただけるよう願っている.

平成21年 夜寒 渡辺利夫

渡辺 利夫 (著)
出版社、東洋経済新報社; 第3版 (2010/2/13):出版社HP

目次

はしがき

序 章 開発経済学を学ぼう
補論:散布図の読み方

第1章 「マルサスの罠」—貧困のメカニズムを探る
1. 収穫逓減法則とはなにか
2. 貧困のメカニズム
3.「罠」からの脱出

第2章 人口転換—人間はどうして「増殖」するのか
1. 人口爆発
2. 死亡率低下
3. 人口転換と出生の経済学

第3章 少子高齢化―アジアの人口はまもなく減少する
1. 合計特殊出生率
2. 高齢化社会の到来
3. 人口ボーナス
4. アジア人口の将来

第4章 「緑の革命」―農業の技術進歩はいかにしておこるか
1. 増加する人口 消滅する耕地
2. 緑の革命
3. 化学肥料投入
補論:「緑の革命」の経済学

第5章 工業発展Ⅰ―工業化はいかにして開始されるか
1. ペティ=クラーク法則
2. 農工2部門モデル
(1) 考え方の基本
(2) 工業部門の雇用はどこで決まるか
(3) 労働需給
(4) 利潤極大化
3. 圧縮型工業発展と後発性利益

第6章 工業発展Ⅱ―初期条件と工業化政策
1. 初期条件
2. 輸入代替工業化政策・
3. 輸入代替工業化の問題はなにか
(1) 市場制約
(2) 貿易収支制約
(3) 労働節約的生産

第7章 貿易と海外直接投資―アジアを興隆させたもの
1. 輸出の拡大と高度化
2. 重層的追跡
3. 輸出志向工業化政策
4. 海外直接投資

第8章 社会主義経済から市場経済へ―中国の体制転換
1. 体制転換とはどういうことか
2. 集団農業と家族農業
3.国有企業改革
4.経済発展の課題
(1) 外資依存型発展
(2) 消費内需の拡大は可能か
(3) 少子高齢化
補論:体制転換にともなう農業の変化

第9章 日本の政府開発援助―自助努力支援の旗を高く掲げよ
1. ODAはなぜ必要か
2. 日本型ODA
3. ODAの理念
(1) 自助努力支援
(2) もう1つの日本型ODA

第10章 グローバリゼーションのなかのアジア―2つの経済危機
1. 経常収支と資本収支
(1) 多様化する外国資金
(2) 経常収支と資本収支
2. アジア経済危機と修復
(1) 経済危機のメカニズム
(2) 修復のメカニズム
(3) 貯蓄と投資
3. リーマン・ショックと世界同時不況

第11章 アジア経済の新動態―「アジア化するアジア」
1. 東アジアの全域を眺める
2. 域内相互依存関係の強化
3. FTAとEPA
4. 東アジア共同体

終章 本書のまとめ

付録 世界開発指標

参考文献

索引

渡辺 利夫 (著)
出版社、東洋経済新報社; 第3版 (2010/2/13):出版社HP

序章 開発経済学を学ぼう

「十歳かそこらのころだったが,ある日の午後,私は現在のバングラデシュの首都ダッカ市にある自分の家の庭で遊んでいた.すると,一人の男が悲鳴を上げ,大量に血を流しながら門から入ってきた.背中をナイフで刺されていた.当時はインドとパキスタンの分離独立の前で,各地域で暴動が起こっていた(ヒンズー教徒とイスラム教徒が互いに殺し合っていた)時代だった.刺されたカデール・ミアと呼ばれるその男は,イスラム教徒の日雇い労働者で,わずかばかりの賃金で近くの家に働きに来ていたのである.そして,ヒンズー教徒の多い私たちの地域で地元のならず者たちに路上で刺されたのだ.私は大声で家の中にいる大人たちの助けを求め,水を与えた.しばらくして私の父がカデール・ミアを病院に急いでつれていったのだが,その間彼は,このような危険な時に敵の多い地区には行くなと妻に言われていたと語り続けた.しかし彼は仕事と少しの稼ぎを求めて来なければならなかったのだ.家族には食べるものがなかったからである.結局彼はその後病院で死んだ.経済的不自由のために死という罰を受けることになったのだ」

この文章は,イギリスの植民地支配下におかれていたインドのベンガル州(現在のバングラデシュ)で生まれそこで幼少期を過ごし,カルカッタ大学を経てケンブリッジ大学教授を務め,その高い研究業績によって1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センAmartya Sen教授の著作『自由と経済開発』(石塚雅彦訳,日本経済新聞社,2000年)の序章に出てくる悲劇的な挿話である.

少年期に遭遇したこのできごとは,セン教授を打ちのめすほどに激しいものであったらしい,長い間「心的外傷」(トラウマ)のようにセン教授をさいなみつづけた.このできごとを引き合いに出してセン教授は,「極端な貧困という経済的不自由は,他の種類の自由を侵害し,人を無力な犠牲者にしてしまう」と慨嘆している.カデール・ミアの家族は,彼のわずかな収入がなくとも,つましいながら生計を維持することができていれば,恐ろしいがまちかまえている地域に働きにやってこないでもよかったはずだからである.

極度の貧困という経済的不自由こそが宗教対立の真只中にカデール・ミアを誘い出し,双方の確執を激化させてしまったのである.宗教対立という社会的・政治的不自由が,労働によって所得を得るという経済的自由をもカデール・ミアから奪ってしまった.それゆえにこそ,セン教授は,「開発とは相互に関連する本質的自由が一体となって拡大していく」過程のことだと定義するのである.

一国の国民の所得水準を上昇させること,これが人間的自由を手に入れるためのなによりも重要な条件である.このことは容易に理解されよう.人間が1個の自然生命体としてこの世に生を受けた以上,その生存をまっとうすること,これが第一義的な重要性をもつ,しかも,自然生命体には,発揮されるべき能力が潜在している.この潜在能力を顕在化させるには,単にその社会と個人の所得水準が上昇すればいいというだけではすまない,潜在能力を顕在化させるためには教育が重要である.教育(education)のラテン語の語源を調べてみると,eは「外に」,duceは「導く」であり,ationはもちろん名詞形にするための語尾である.教育とは,元来が人間のなかに眠っている潜在能力を外に引き出すことなのである.

初等教育から中等教育,高等教育へと進む教育制度・組織,教育人材の養成により一国の教育レベルを上昇させなくては,貧困からの脱却は難しい.教育なくしては経済的生産性が上昇しないばかりか,社会生活を普通に営むためのルールやマナーも保たれず,さらに就業を初めとするさまざまな社会活動への参加の機会も限定されてしまう.また国民の広範な政治参加を通じて社会的意思を決定するための制度,すなわち民主主義も実現できない,教育は人間の潜在能力を引き出し,経済的,社会的自由を拡大させる重要な手段であり,人間的自由を掌中にするための,それ自体が重要性をもつ社会的営為なのである.一国の教育レベルを最も端的に示す指標として,世界各国の成人女性の非識字率illiteracy rate(日常生活の簡単な事柄についての読み書き能力をもたない15歳以上の成人女性の人口数を,全人口数で割って100分率で示したもの)を取り上げて,これとそれぞれの国の1人当たり所得水準との結合値をプロットしたものが図1である.ここであえて女性を取り上げたのは,もちろん例外はあるが,おしなべて貧困国においては女性の社会的地位が低く,男性に比べて女性の初等教育へのアクセスが不十分だからである.貧困と教育の関係が如実にあらわれるものが女性の非識字率なのである.

結果は,同図にみられるように,所得水準の低い国々の女性の非識字率は圧倒的に高い.対照的に中所得国や高所得国においてその比率はほとんどゼロ近傍にあることがわかる.成人男性の図はここには示さないが,女性ほどではないものの,傾向は図1とそれほど変わらない.貧困国の女性の多くは非識字率が高いことによって経済的,さらには社会的,政治的自由を享受できずにいる.逆にいえば,所得水準を引き上げ,教育機会へのアクセスを容易にするための政策的努力に意を注げば,貧困国の女性がもつ潜在能力は大きく花開く可能性がある,ということができる.

次は,中等教育就学率である.世界各国の中等教育機関への就学者数を各国の同年齢人口数で除して100分率としたものである.この指標と,各国の1人当たり所得水準との結合値をプロットしたものが図2である.一国の経済発展や社会・政治の近代化の基礎を広範に形成する人的要素は,経験則によれば中等教育就学者の比率である.実際,現在では貧困国においても小・中学校は義務教育となっている.図2からもわかるように,所得水準が低いにもかかわらず,この比率が100%に達している国も少なくない.しかし,就学はしたものの中途退学を余儀なくされるものの比率,つまり「脱落率」が低所得国の中等教育就学率には多く,これがこの図には反映されていないことには留意が必要である.
図2を眺めて総じていえることは,中等教育就学率は1人当たり所得水準と高い相関関係があり,特に低所得国においては国民のうちのきわめて多くの部分が中等教育の恩恵に与れないでいるという事実である.再びいえば,

低所得国では中等教育を充実させることによって,その国民の擁する潜在力が大きく高揚する可能性があることが示唆される.

もう1つの図を掲げてみよう,各国の乳幼児(生後5歳未満の子供たち)の死亡率と,それぞれの国の1人当たり所得水準との結合値をプロットしたものである.これが図3である.各国の乳幼児死亡率と1人当たり所得水準との間には,驚くほどに高い「逆相関」の関係がみられる.きわめて多くの貧困国において,生まれた子供は生後5年間を生き延びていくことができない.潜在能力を発揮させようにも,その存在自体が5年未満で消滅してしまうのであるから,事態はまことに深刻だといわねばならない.乳幼児死亡率の高い国においては,当然のことながら5歳未満の子供たちのさまざまな病気の罹患率も高い.子供の時の疾患は生涯にわたってその人間の能力の開花を妨げて,所得稼得の能力を低下させてしまう危険性がある.

図3は縦軸を1000分率(%),パーミルと読む)でとってある.したがって,例えば乳幼児死亡率が150ということは,1000人の子供が生まれれば5年未満のうちに150人が死にいたるという数値である.ちなみに,乳幼児死亡率が150を超える国がこの図に示される総数153カ国のうち14カ国ある.高い順に列記しておくカッコ内は乳幼児死亡率である.シエラレオネ(262),チャド(209),ギニアビサウ(198),マリ(196),ブルキナファソ(191),ナイジェリア(189),ルワンダ(181),ブルンジ(180),ニジェール(176),中央アフリカ(172),モザンビーク(168),コンゴ民主共和国(161),アンゴラ(158),ギニア(150)といった次第である.

すべてがアフリカの国である.アジアの国はこのなかには1国も入っていない.本書で対象とするのは20カ国のアジア諸国であり,そのリストは表1の通りである,ミャンマー(103)が100を超え,カンボジア(91),パキスタン(90),インド(72),ラオス(70),バングラデシュ(61)あたりが比較的高いものの,それ以外はかなり小さな値になっている.
本書で主として取り上げられる20カ国を1人当たり所得水準の高い国から低い国へと順次並べ,その関連指標を表記したものが表1である.巻末に掲

げてある世界の150を超える国々と比べてみれば,1人当たり所得水準や乳幼児死亡率などの指標でみて,アジアはアフリカやラテンアメリカの国々などより,相当高いところに位置していることがわかる.諸君はみずからそれをチェックしてみようアジアは開発途上国のなかで「優等生」の部類に属する,アジアの国々がなぜこのような良好な開発実績をみせたのかを分析し,この実績から得られた論理を整理することが本書の目的である.

そうはいいながらも,表1をよく眺めてみれば,この20カ国の間にも1人当たり所得水準や関連する諸指標には相互にかなりの隔たりがあることがわかろう.図1,図2,図3にはこれら20のアジア諸国も含まれているが,アジアの20カ国のみを取り上げて同じような方法で作図したものが図4,図5,図6である.

アジア各国の成人女性非識字率,中等教育就学率,乳幼児死亡率などと各国の1人当たり所得水準との結合値をプロットしてみると,形状は世界全体のものとさして変わってはいないことに気づかされよう.アジアはきわめて多様であり,世界全体の「縮図」であるともいいうる.
開発途上国の貧困をいかに解消するのか.この関心は今日では世界的な広がりをもってきた.2000年9月にニューヨークで開かれた「国連ミレニアムサミット」において,次の8つの目標が1990年を基準年とし2015年までに達成されるべきものとして各国間で合意されたことは画期的であった.目標は,ミレニアム開発目標Millennium Development Goals, MDGsと称される.表2をみてほしい.ここでは,(1)極度の貧困と飢餓の撲滅,に始まり,(8)開発のためのグローバル・パートナーシップの推進,にいたる8つの目標が掲げられている.しかも,この目標を数値として「ターゲット化」したことの意味は大きい.このターゲット化は日本の大いなる貢献によって合意されたものである.その意味で,この目標値達成に関して日本は国際社会に深い道義的責任を負うているといわねばならない.今日の世界において解決されねばならない開発課題とは何かについて考えながら,この表をじっくりと吟味してほしい.

さて,序章は以上で終わる.次の第1章からは,一体,ある国はなぜ貧しく,他の国はなぜ豊かなのか,豊かな国といえども古い時代から一貫して豊かであったわけではない,長い低所得の時期を経て,次第に経済開発のための諸条件を整え,そうして豊かな社会を実現したのである.開発途上国が貧困を脱するにはどのような考え方の枠組み(理論)が必要なのか,さらにはその考え方の枠組みを使ってどのような開発のための手だて(政策)を打ち立てなければならないか,これらについて順次,思考を深めていこう.

補論:散布図の読み方

本書には数多くの図が載せられている.これらの図によって,私どもはアジアの国々の経済が長い時間をかけてどのように変化してきたのか,そして現在どのような状態にあるのかを,一目で知ることができる.なかでも「散布図」は,各国の状況や地域全体の傾向を明らかにするうえで非常に優れた道具である.このコラムでは,1つの事例を用いて図の読み方を説明しておこう,コラムを読んだ諸君は,ぜひとも作図にチャレンジしてほしい.エクセルなどのソフトを用いれば,つくることができる.
本書第2章の31頁に,こんな表現がある,「乳幼児の死亡率が高ければ,親は自分の期待する子供の数を得るためには,より多くの子供を生まねばならない」この内容をアジアのデータを使って実際に検証してみよう.
図7は,2007年のアジア各国の合計特殊出生率(縦軸)と乳幼児死亡率(横軸)の2つの変数の関係を示している.合計特殊出生率とは人口学の難しい表現であるが,要するに「1人の女性が生涯を通じて生む子供の数」のことである.乳幼児とは5歳未満の子供のことであるから,乳幼児死亡率とは5歳未満の子供1000人当たりの死亡数である.
図中の点は,各国の乳幼児死亡率と合計特殊出生率との結合値をプロットしたものである.例えばネパールをみると,(55,3)と書かれている.これは乳幼児死亡率が55人,合計特殊出生率が3人,ということである,横軸の55が縦軸の3と交差する点がネパールの点である,乳幼児死亡率が1000人当たり55人のネパールでは,母親は生涯にわたって3人の子供を生んでいると読んでほしい.同じような方法で,アジア20カ国の点が示されている.このように各国の位置を点で示したものが散布図である.



この散布図をみると,乳幼児死亡率が高いと合計特殊出生率も高くなる傾向がある.しかし,これだけでは2つの変数の間にどの程度の強い関係があるのかはわからない,この強さを示すのが相関係数(r)である,相関係数は,マイナス1からプラス1の間の値をとり,マイナス1に近づくと負の相関,プラス1に近づくと正の相関,ゼロは無相関となる.負の相関は,1つの変数がふえるともう一方が減るという関係である.正の相関は,1つの変数が増加(減少)するともう1つの変数も増加(減少)するという関係を示す.このケースはr=0.7279なので正の相関関係にある.

これらの各国の点の間を縫うように右上がりの直線が示されている.これは「傾向線」や「近似線」と呼ばれる.この傾向線は,各国の点と傾向線との間の距離の値を二乗し,その合計値が最も小さくなるようにして描かれる.この傾向線の形から,乳幼児死亡率と合計特殊出生率は同じ方向に動くことが読み取れる.すなわち,乳幼児死亡率が高い国は合計特殊出生率も高く,乳幼児死亡率が低い国は合計特殊出生率も低いという傾向である.

この傾向を具体的に数値で表したのが,y%3D0.0179%+1.5574という「回帰式」である.この式の0.0179xは乳幼児死亡率(x)が1人増えると合計特殊出生率は0.0179人上昇するということである.次の1.5574という値は定数項(切片)と呼ばれ,乳幼児死亡率がゼロであっても合計特殊出生率は1.5574人であることを示している.つまり,乳幼児死亡率がゼロのとき,合計特殊出生率は1.5574人(0.0179×0)+1.5574であり,乳幼児死亡率が1人になると,合計特殊出生率は1.5753{(0.0179×1)+1.5574となる.
回帰式の下のカッコ内の値はt値と呼ばれる.t値は各変数の有意性を示す指標である.目安として2以上であれば,その変数は「有意」であるというすなわちt値は合計特殊出生率の動きを予測するのに,乳幼児死亡率という変数が有効なものであるかどうかを判断するのに用いられる.この例では,乳幼児死亡率(4.5036),定数項(7.9349)なので,有効だと判断できる.

最後のRSは「決定係数」と呼ばれ,0~1の値をとる,この値は相関係数を二乗して得られる.この値が0に近ければ回帰式の説明力は低く,1に近づけばその説明力は高くなる.すなわち,乳幼児死亡率の大きさで合計特殊出生率の大きさをどれだけ説明できるかを示す.このケースではRは0.5298であるから,合計特殊出生率の動きは乳幼児死亡率の大きさの約53%を説明できるということになる.残りの47%は他の要因が影響していることを示す.他の要因については,本書にヒントがあるので,そのヒントを手掛かりにしていろいろと考えてみてほしい.

なお,傾向線は直線の線形よりも,図8のような曲線の方が各国のデータの分布をうまくあらわすことがある.このような曲線は「非線形」と呼ばれる.これと同じ形の図は本書にも描かれている.非線形での回帰式の方が決定係数の値が高くなっている.非線形での回帰式については,別の科目の統計学入門などで学んでもらいたい.いずれにせよ,自分が扱うデータがどのような形の傾向線で最もうまくとらえることができるのかを調べることも大切なことである.

渡辺 利夫 (著)
出版社、東洋経済新報社; 第3版 (2010/2/13):出版社HP