【最新】行動経済学おすすめ本、教科書 – 入門、ベストセラー、ノーベル賞作品をランキング

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行動経済学を知ろう

伝統的な経済学者は人間の完璧なる合理性を仮定する一方、行動経済学者は人間を合理的な生き物とは考えていません。 むしろ合理的な意思決定の限界に焦点を当てております。行動経済学は従来の経済学に心理学や、社会学、神経科学、進化生物学などさまざまな学問領域と経済学の特徴とされてきた分析を融合させて、より現実社会を映し出しております。

今回は、その学問の切り開いたダニエル・カーネマン、そして直近の行動経済学の分野でのノーベル賞(経済)をとったリチャード・セイラーの書籍に加え、また昨今、日本語書籍でも充実している行動経済のテキスト入門から学部上級と使えるもの、さらには実際にそれらを使ってみたい気持ちにさせる書籍もあります。自身の知りたい度合いでぜひ、行動経済学の本を選んでみてはいかがでしょうか。

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【書籍も1000円off】

行動経済学入門

筒井 義郎 (著) ,佐々木 俊一郎 (著), 山根 承子 (著), グレッグ マルデワ (著)
東洋経済新報社 (2017/4/28)、出典:出版社HP

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行動経済学は、経済学の中でも最も新しい研究領域です。経済学は複雑な社会現象をできるだけシンプルに捉えるために、様々な仮定を置きます。この仮定には、自然なものや現実とは異なるものも置かれることがあり、そのような枠組みで経済学は成り立っています。本書では、その枠を少しずつ広げながら、人の心の不思議について理解を深めていこうとするのが行動経済学だとしています。

行動経済学入門という名前の通り、行動経済学の立ち位置や基礎的な説明から入っています。私たちは、普段の生活を送る上で、多くの選択を行なっています。その選択はどのように行われるのか、その選択肢を選んだ理由はなぜなのかという疑問に答えていく形式が本書では取られています。ドラッグストアなどで、シャンプーを購入する際、人はどのように決定するのかといった具体的な例を挙げて説明しているため、身近な内容に感じられます。

さらに、行動経済学がこれまで発見してきた理論を、実証実験を紹介した上で、解説しています。経済学というと、難しい数式が並んで、わかりにくいイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれませんが、本書では、数式がほとんど無く、算数ができれば、理解できるような構成になっています。また、個人の行動について焦点を当てているために、納得できる理論が多く、行動ファイナンスや幸福の経済学、実世界における行動経済学なども取り上げられているため、実際の事象との関連についても考えることができます。行動経済学に関心がある初心者の方にオススメの本です。

行動経済学の使い方

大竹 文雄 (著)
岩波書店 (2019/9/21)、出典:出版社HP

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本書は行動経済学の概要の説明と実践方法について書かれています。多くの行動経済学の本は、用語の解説や理論の説明、実例の紹介を主なコンテンツにしていますが、本書では、基礎的な説明は序盤の第1章で行い、第2章以降は、実践的な使い方に重点を置いた説明が行われています。第2章は、ナッジについて解説されています。ナッジは軽くひじでつつくという意味を持つ行動経済学の用語の中で最も有名なものの一つです。

選択肢を残し、インセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変えるように仕向ける手法ですが、公共政策での利用などにも応用されています。本書では、ナッジの概要に加えて、数多く提案されているチェックリストの説明も行なっています。ナッジを実践するための具体的なプロセスの解説を行なっているため、コミュニティーなどで解決すべき課題がある方に参考となるかもしれません。

第3章は、仕事における行動経済学について研究の結果をまとめています。タクシー運転手の賃金と労働時間の関係を研究した検証結果が取り上げられています。第4章では、先延ばし行動と題し、年功賃金に対する行動経済学からの分析が紹介されています。第5章では、ある病院での無断キャンセルを減らす研究の事例が紹介されており、与える情報によって選好が変化することが確認できます。

第6章では、働き方を変えるためのナッジの設計について解説しており、第7章では、医療・健康活動への応用の仕方について解説されています。第8章は、公共政策への応用について書いており、行動経済学が様々な分野で応用されていることがわかります。一度読めば、行動経済学を日常生活にも取り入れることができるかもしれません。

行動経済学 見るだけノート

真壁 昭夫 (著)
宝島社 (2018/8/16)、出典:出版社HP

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本書は、見るだけノートシリーズの行動経済学版です。行動経済学の概要について、イラストを多く用いて、解説しています。行動経済学は、現在、注目を集めていますが、なぜなのでしょうか。これまでの経済学は、人間は常に合理的で、経済も金融も合理的な人間によって出来上がっているという考え方が根底にありました。

しかし、実際の人間は、合理的でない判断をよくします。例えば、課題を先延ばしにしてしまう、同じ条件なのに、言い方によって判断を変えるなどがあります。行動経済学は、そのような実際の経済や金融の姿に、従来の経済学をより近づけていこうとしているのです。そのために、日常生活で役立つことがたくさんあります。

本書は、その行動経済学の基本的な要点から実践的な理論を実例を挙げることで、理解しやすいように紹介しています。行動経済学は、心理学の理論や知識を応用していますが、実際の経済も人々の心理によって動かされている側面があります。本書で紹介されている例では、株価の変動がよく出てきます。

その他にも、物事の判断を行うための情報の選択が合理的でない状況の解説やバブルが発生する要因についても触れられており、日々の生活を過ごす際にも参考になる内容が多くあります。また、マーケティングに関連した説明を含んでいたり、政府などの行政機関が政策を進める際に、注目されているナッジの概念の説明があり、行動経済学が幅広い分野に影響を与えていることが実感できます。

行動経済学 伝統的経済学との統合による新しい経済学を目指して

大垣 昌夫 (著), 田中 沙織 (著)
有斐閣; 新版 (2018/12/22)、出典:出版社HP

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本書は、行動経済学についてまとめた入門的な書籍です。しかし、大学の経済学部3、4年生の講義やゼミに用いられることを想定しています。そのため、経済学についての知識が全くない方には、向かないかもしれません。本書は、学術的な構成となっており、行動経済学の定義を一般書よりも厳密にしたり、行動経済学の果たす役割も一般的な書籍とは異なる捉え方をしています。

本書の冒頭でその説明がされており、「経済学は限られた資源がどのように人々に分配されているか、またされるべきかを探求する学問である」とし、行動経済学の定義は利己的で合理的な経済人の過程を置かない経済学であるとしています。行動経済学の解説が主なテーマですが、行動経済学には、伝統的な経済学の考え方を基礎としている必要があることを示し、囚人のジレンマやナッシュ均衡といったゲーム理論の概要の説明も行われています。

行動経済学は伝統的な経済学を否定したと見られるケースがありますが、本書では、伝統的経済学にも行動経済学もそれぞれの有用性と限界を持つ道具であるとしています。さらに、神経経済学も取り上げ、脳の仕組みの解明を目指す神経科学と経済学を組み合わせることで、人間の行動を説明しようとする手法について学ぶことができます。行動経済学の理論に加えて、新しい学問の潮流を抑えています。

一般書よりも詳細な行動経済学のアプローチについて調べたい方や伝統的経済学を学んでいる方におすすめです。

行動経済学の逆襲 – Misbehaving: The Making of Behavioral Economics

リチャード・セイラー (著) , Richard H. Thaler (その他), 遠藤 真美 (翻訳)
早川書房 (2016/7/22)、出典:出版社HP

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世界でも有数の行動経済学の学者であるリチャード・セイラーが記した本です。ノーベル経済学賞を受賞したことで、一般的にも知られるようになりましたが、これまでの業績については知らない方も少なくないのではないでしょうか。本書は、著者が学生時代行なっていた研究から始まり、これまで目の当たりにしてきた伝統的経済学と現実世界の乖離に疑問を持ち、行動経済学を開拓していった経緯について書かれた自伝です。

伝統的経済学では、仮定として、ホモエコノミカスという架空の人間がモデルとして設定されます。著者は、ホモエコノミカスをエコンと略し、常に合理的に考え、冷徹に行動する、スタートレックのミスター・スポックのような存在であると説明しています。このモデルは、行動経済学の理論を考えていく出発点として重要である一方で、現実の人間とは異なる側面を持ち合わせています。

経済学において、人間の心理的な要因を考慮することの重要性に、行動経済学の研究者は気づいていましたが、この考えは、当時では、簡単に受け入れられませんでした。著者は、ダニエル・カーネマンの価値理論に大きく影響を受け、行動経済学の分野に足を踏み入れることになりましたが、そこで、メンタル・アカウンティングについて研究することとなります。

その後、行動経済学が徐々に、伝統的経済学のフレームを修正していきますが、その過程は、読む人を惹きつけます。自伝ですが、読みやすい文章で、行動経済学を学ぶだけでなく、当たり前と考えられている従来の定説を覆す姿勢も参考になると思います。

ファスト&スロー(上) (下) あなたの意思はどのように決まるか – Thinking, Fast and Slow

ダニエル・カーネマン (著) , 村井章子 (翻訳)
早川書房 (2014/6/20)、出典:出版社HP

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本書は、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カールマンの代表的な著書です。著者は、ヒューリスティクスとバイアスが人間の意識の中に存在することを示したことが高く評価されていますが、本書では、第2部でそれらがテーマとして扱われています。

統計に関する直感が専門家であっても、バイアスが確認される事例や、アンカリング効果やハロー効果、利用可能性ヒューリスティクスなどの判断を誤らせる要因について説明しています。その前の第1部では、ファスト&スローのタイトルにもなっている早い思考のシステム1と遅い思考のシステム2について解説しています。直感的な思考であるヒューリスティクスと深く考える遅い思考の違いや関連の説明もしています。第3部では、自信過剰になりやすい人間の心理についてまとめています。

下巻の第3部の最後には、資本主義の原動力と題して、起業家が楽観主義であるとし、自信過剰であることの危険性を指摘しています。第4部では、プロスペクト理論や保有効果、メンタル・アカウンティングについてまとめています。人間は損失を回避したがり、買い物や株式投資の際に非合理的な判断をよく行いますが、それらの判断がなぜ取られるか、を理論的に説明しているため、普段、そのようなことを意識していない方には、新たな発見があるかもしれません。

第5部では、経験する自己と記憶する自己の二つの自己の関係性について解説しています。結論を下巻の後半に記しており、意思決定に関して、多くの視点があることに気付かされます。

データで見る行動経済学 全世界大規模調査で見えてきた「ナッジの真実」

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ナッジの有効性はどのくらいあるのか?

ナッジのアイデアに基づいて、その有効性を世界的な研究から導き出された結果のデータを研究する専門的な暑いかをしております。「行動経済学とは何か」「ナッジとは」を大まかに理解しているとしたら?
この研究の面白さは次第に面白くなくなります。

キャス・サンスティーン (著), ルチア・ライシュ (著), 大竹 文雄 (その他), 遠藤 真美 (翻訳)
日経BP (2020/4/17)、出典:出版社HP

解説 ナッジが備えるべき条件 – 大阪大学大学院经济学研究科 大竹文雄

1.ナッジとは何か
ナッジと呼ばれる政策手段が世界各地の政府で注目を集めている。ナッジとは、「一人ひとりが自分自身で判断してどうするかを選択する自由も残しながら、人々を特定の方向に導く介入」である。ナッジにはさまざまなものがあるが、大きく、情報提供型ナッジとデフォルト設定型ナッジに分けられる。

⑴ 情報提供型ナッジ
コンビニでレジに顧客が一列に並ぶように、レジの前の床に足跡の絵を描くのはナッジの例だと言える。顧客に対して何も強制していない。顧客は床のデザインを見て自発的に並んでいる。「レジの前に一列に並んでください」と表記するのも足跡が並んでいる絵を床に描くのも同じ情報提供であるが、その表現の方法が異なる。情報を提供するだけではなく、情報提供の方法、文章、デザインを工夫することでよりよい方向に意思決定を変えていくものがナッジである。

どのような表現に私たちの意思決定が影響を受けやすいかは、心理学や行動経済学で、ある程度知られている。私たちのそのような特性を利用したナッジは「情報提供型ナッジ」と呼ばれている。
人々に情報提供をする、あるいは情報提供することを義務づけるという単純なナッジでも、人々の行動が変わることがある。たとえば、ファストフードレストランのメニューでカロリー表示を義務づけるとか、タバコのパッケージに健康警告画像を表示することを義務づけるというのは、情報提供型のナッジである。また、同じ情報であっても、私たちはその表現方法(フレーミング)で意思決定が変わる傾向をもっている。損失を強調した表現によって、私たちの意思決定が変わる例を示してみよう。ある手術を行うかどうかについて、次の情報が与えられたとき、あなたは手術をすることを選択するだろうか。

A 「術後1ヵ月の生存率は10%です」
では、次の情報が与えられたときのあなたの選択はどうだろう。
B 「術後1ヵ月の死亡率は10%です」
医療者にこの質問をした場合に、Aの場合なら約80%の人が手術をすると答えたが、Bの場合な ら約10%の人しか手術をすると答えなかったという研究がある。AもBも情報としては、同じ内容である。しかし、損失を強調したBの表現の場合には、手術を選びたくないと考えるのである。
このタイプのナッジが日本でも用いられた例がある。八王子市は大腸がん検診の受診勧告のダイレクトメールに、次の二つのタイプのものを用いた。一方のグループのキットには、「今年度、大腸がん検診を受診された方には、来年度、『大腸がん検査キット』をご自宅へお送りします」という利得メッセージが記されている。もう一方のグループのキットには、「今年度、大腸がん検診を受診されないと、来年度、ご自宅へ『大腸がん検査キット』をお送りすることができません」と損失メッセージが記されている。利得メッセージを受け取ったグループで、実際に受診した割合は9・7%であり、損失メッセージを受け取ったグループでは3.9%であった。つまり、論理的には同じ内容の情報提供メッセージであっても、表現方法で人々の行動が変わるのである。
情報提供型ナッジには、社会規範を用いるものもある。たとえば、臓器提供を呼びかける際に、「臓器移植が必要になったとき、あなたは臓器を提供してもらいますか。もしそうなら、あなたも人を助けよう」といった互恵性に訴えるメッセージや「すでにたくさんの人が臓器提供の意思表示をしています」という同調性に訴えるメッセージを使うのである。

⑵ デフォルト設定型ナッジ
デフォルト設定もナッジの一つである。デフォルトとは、何も明示的意思表示をしていないときにみなされる意思決定のことである。
最高裁判所裁判官国民審査では、審査を受ける裁判官の氏名のところに×を記入した場合に「その裁判官を辞めさせたい」という意思表示になり、何も書かなければ「その裁判官を辞めさせたくない」という意思表示をしたとみなされる。つまり、この場合は、裁判官を信任するという意思決定がデフォルトになっている。
脳死状態になった場合の臓器提供の意思表示も、「臓器提供の意思なし」が日本でのデフォルトである。フランスやオーストリアでは、「臓器提供の意思あり」がデフォルトになっている。
日本では公的年金に加入することは義務となっているが、iDeCo(イデコ)という税制上の優遇 措置がある個人型確定拠出年金は任意加入である。能動的にiDeCoへの加入申し込みをしないかぎり、iDeCoに加入できない。iDeCoへの加入はたしかに任意である。仮に、iDeCoに日本人は自動加入することになっているが、簡単に脱退できるという制度だったとしよう。この場合も、iDeCoは義務ではなく任意加入だと言える。
両者の違いは、何も意思表示をしない場合の意思決定が、現行のiDeCoでは非加入とみなされるのに対し、自動加入制度の場合では加入とみなされることである。選択の自由は確保されているが、何も能動的選択をしない場合の意思決定が逆になるのである。
海外ではこのような私的年金制度への加入をデフォルト、すなわち自動加入にしている国がある。イギリスとニュージーランドがその例だ。イギリスでは2008年に成立した年金法で、⑴「職域年金制度への自動加入化」、⑵「確定拠 出型年金の導入を扶助する目的での公共機関(NEST)の設立」、そして ⑶「確定拠出型年金に おけるデフォルト運用方法の設定を義務化」した。つまり、確定拠出型年金への加入をデフォルトとする制度に大きく変更したのだ。
ニュージーランドでは、2007年にキウイセイバーという私的年金制度が設立され、新規雇用 される18歳以上の被用者を対象に自動加入方式(希望者は脱退可能)が採用されている。イギリス、ニュージーランドとも、私的年金の加入者数が大幅に増加している。
加入や脱退の申し込みの手間が簡単であれば、デフォルトが何であれ、選択の自由は確保されている。自動加入型の私的年金では簡単な手続きで脱退できる。最高裁裁判官の国民審査ではデフォルトを変更する手間は×を記入するだけである。
ところが、デフォルトからの変更の手間がどれだけ小さくでも、私たちはデフォルトの選択を選ぶ傾向がある。現状維持を続けたいという気持ち、デフォルトを何らかの参照基準にしてしまいそこからの変更を損失と考える特性、デフォルトから変更しようとは思うがそれを先延ばししてしまう特性などが理由だ。行動経済学では、こうした特性をそれぞれ、「現状維持バイアス」「損失回避」「現在バイアス」と呼んでいる。
このように、ナッジは行動経済学の理論的な枠組みに基づいて、メッセージやデザインによって情報提供の方法を工夫したり、申請の仕方や選択肢の提示の仕方を工夫したりするものである。従来の行政手法は、法律を定めて法律を遵守しない人に罰金や刑罰を与えるという罰則か、税金や補助金という金銭的インセンティブを用いるというものが主流であった。これに対し、ナッジは大きな金銭的インセンティブや罰則を使わないで、人々の行動に影響を与える政策手段である。

2.世界でも日本でも活用が進む
OECD(経済協力開発機構)によれば、欧州・米国・豪州を中心に、世界で200を超える組織・ 機関が公共政策にナッジを活用している。最も有名なのは、イギリスの行動洞察チーム(Behavioural Insights Team/BIT)である。BITは2010年にイギリスの内閣府の中に設置され、2014年からは海外の政府との連携を行いやすくするために政府とNestaという慈善団体とが出資する組織になった。日本でも2015年に環境省ナッジPT、2017年4月に日本版ナッジ・ユニット(BEST)、2019年2月に横浜市行動デザインチーム、2019年5月に経済産業省METIナッジユニットなどが設置され、ナッジについての研究を行うとともに、さまざまな研究事例が紹介されている。厚生労働省もがん検診対象者に対して受診率向上のためのナッジを用いた解説ハンドブックを公表している。
ナッジが政策担当者の注目を集める理由は、金銭的インセンティブを使わないため低コストであるというのが大きい。情報提供型ナッジであれば、企業に情報提供を義務づけるだけであり、デフォルト設定型ナッジであれば自動加入に関する法律を整備すればよく、こうした制度の実行には、税負担増を伴わない。
低コストであるというのは単に税金をそれほど使わないという意味だけではなく、ナッジを実施する行政コストも低いという意味もある。たとえば、申請書類の書式、広報メッセージ、通知文などを変更するのもナッジである。こうしたナッジは、法律改正を伴わなくても実施できるものが多い。逆に言えば、同じ法律や規制であっても、その表現方法に注意を払えば、政策効果を大きくできる可能性がある。

3. ナッジ の 問題点と世界各国の国民の態度
⑴ ナッジの問題点
ナッジには問題点もある。それは、「選択する自由も残しながら、人々を特定の方向に導く介入」というナッジの特徴を知った人の中には、ナッジによって自分が政府に誘導されているようで嫌な気持ちになる人もいるということだ。
ナッジの中には、多くの人が反対するものもある。一方で、多くの人が支持するナッジもあるだろう。どのようなタイプのナッジなら人々は賛成するのだろうか。ナッジへの賛否には、同じ国でも違いがあるだろうか。また、同じナッジでも賛成率には、国による違いがあるだろうか。ナッジを政策に使う場合には、そのようなナッジに対する人々の好みや倫理的判断を知っておく必要があるだろう。
本書は、政策への使用を賛成されるナッジと反対されるナッジの特徴を世界各国におけるアンケート調査をもとに分析し、ナッジが備えなければならない条件を「ナッジの権利章典(第9章)」として整理したものだ。ナッジを政策に用いることを検討している政策担当者だけではなく、ナッジに警戒心をもっている人々にとって、本書は必読書である。
本書の著者のうちキャス・サンスティーン教授は、ハーバード大学の法学者であるが、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー教授との共著『実践行動経済学』(原題「Nudge」)の出版でナッジの提唱者として知られる。バラク・オバマ政権では行政管理予算局情報・規制問題室(OIRA)室長として2009年から2012年まで働き、アメリカの政策にナッジを活用した。また、もうひとりの本書の著者のルチア・ライシュ教授は、コペンハーゲン大学の行動経済学者である。消費者政策と健康政策に関わる行動経済学的研究で非常に多くの実績をあげているだけでなく、ドイツの政策にさまざまなアドバイスをしている。ナッジを実際の政策に応用してきた二人の著者は、ナッジに対するさまざまな批判に真剣に対応してきた。その成果の一つが、世界各国でのアンケート調査をもとにした本書である。
調査対象となった国は、アメリカ、ヨーロッパ(デンマーク、フランス、ドイツ、ハンガリー、アイルランド、イタリア、イギリス、ベルギー)、その他(オーストラリア、ブラジル、カナダ、中国、日本、メ キシコ、ロシア、南アフリカ、韓国)である。この中で、日本はナッジへの賛成率が他の国よりも低めになっている点は興味深い。その理由は、日本では政府への信頼が低いことが原因だと推測されている。

⑵ アメリカでの結果
アメリカにおける調査結果は次のようにまとめられる。「第一に、大半のアメリカ人は、民主的社会が近年とりいれているか、とりいれることを真剣に検討しているナッジを支持している。第二に、選択アーキテクト(選択の枠組みの設計者)の動機に不信を抱くときや惰性や不注意のせいで市民の価値観や利益に反する結果になるかもしれないと不安を感じているときには、ナッジに対する支持が減る。「チェーンレストランでのカロリー表示の義務づけ」という情報提供型ナッジには、アメリカ人の87%、「タバコのパッケージへの健康警告画像の表示義務づけ」にも74%が賛成している。「貯蓄プ ランへの自動加入」というデフォルト設定型ナッジにも80%が賛成している。「グリーン(環境にやさしい)エネルギー事業者の自動使用」というデフォルト設定にも72%が支持している。「運転免許を取得するときに、臓器提供をしたいと思うかどうか答えることを求める」というナッジも70%の人が支持している。
一方、デフォルト設定型ナッジでも、「デフォルトとして民主党支持者として登録されるが、共和党支持者か無党派層として登録したい人は、その意思を明示すればオプトアウトできる」というナッジは26%、「国勢調査では特に明記しないかぎり、人々はキリスト教信者であるものとされる」というナッジは21%、「税還付時には50ドルを赤十字に寄付するものとし、寄付したくない場合は、 その意思を明示すればオプトアウトできる」というナッジは27%と賛成率が低かった。情報提供型ナッジでも賛成率が低いものがある。「新しく選ばれた大統領が、自分の決定を批判するのは非愛国的であり、国の安全保障を損なうおそれがあると人々に説く啓発キャンペーンを行う」の賛成率は23%、「母親は家にいて小さな子どもの世話をするべきだと説く啓発キャンペーンを連邦政府が行う」は33%の賛成率である。

⑶ ヨーロッパでの結果
ヨーロッパ6ヵ国(デンマーク、フランス、ドイツ、ハンガリー、イタリア、イギリス)の結果もアメリカと似ている。「子どもの肥満を減らすための啓発キャンペーン」「わき見運転による死者・負傷者を減らすための啓発キャンペーン」「喫煙と過食をなくすための映画館での啓発キャンペーン」といった情報提供型のナッジの6ヵ国での平均賛成率は76・9%と高い。「カロリーのラベル表示」「塩分が非常に多い食品のラベル表示」などの情報提供の義務づけ型ナッジにも78・0%が賛成している。「グリーンエネルギーの使用をデフォルトとすることを政府が義務づけ」については、どの国でも過半数の人が賛成しているが、「納税者が赤十字に50ユーロ(相当額)を支払うことをデフォルト」のように積極的同意なしに人のお金を取り上げるナッジでは、過半数の人が反対している。
ヨーロッパでの結果は次のようにまとめられる。第一に、いくつかの国ですでにとりいれられていたり、導入が検討されていたりするタイプのナッジについては、ヨーロッパでは大多数が支持している。なかでも、その目的が正当なものであるか、大半の人々の利益につながるか、価値観に合うと考えられるナッジの支持率は高い。一方で、「政府は明確な同意を得ないで人々のお金を取り上げてはならない」という原則と「政府は人を操作してはならない」という原則に反するナッジは拒否される。ハンガリーとデンマークは、ヨーロッパ諸国の中では際立ってナッジに対する支持率が低い。このうちハンガリーは政府に対する信頼の水準が低いことで説明がつくが、デンマークについては説明が難しいという。

⑷ 世界のさまざまな国での結果
世界のさまざまな国々(オーストラリア、ブラジル、カナダ、中国、日本、ロシア、南アフリカ、韓国) の調査結果では、大多数がナッジを支持しているが、日本は支持率が低い例外であるとされている。逆に、中国と韓国は賛成率が非常に高い。
これらの国は3つのグループに分けられる。健康と安全に関するナッジを大多数が賛成している「原則的ナッジ支持国」、圧倒的多数がほとんどすべてのナッジに賛成している「圧倒的ナッジ支持国」、過半数がナッジをおおむね支持しているがその水準が著しく低い「慎重型ナッジ支持国」である。日本は「慎重型ナッジ支持国」であり、ヨーロッパの国ではハンガリーと同じである。
日本で賛成率が他の国より低いナッジとしては、「健康によい食品かどうかを赤、黄、緑の交通信号形式で表示することを義務づける」という情報提供義務づけ型ナッジがある。日本以外の国では約80%の人がこのナッジに賛成しているが、日本では55%しか賛成していない。「グリーンエネルギーの使用をデフォルトとすることを政府が義務づけ」については、多くの国で8割を超える人が賛成しているが、日本では59%の賛成率である。「大規模食料品店に対し、健康によい食品を目立つところに陳列して、買い物客が手にとりやすくすることを義務づける」というナッジについては、日本以外の国では7割以上の人が賛成しているが、日本では47%しか賛成しない。「運転免許を取得するときに臓器提供をしたいと思うかどうか答えるように義務づける」というナッジでは6 割から8割の人が賛成している国が多いが、日本はロシアと並んで47%しか賛成していない。「レジ周辺に菓子類を置かない」というナッジについては、日本以外の国では過半数の人が賛成しているが、日本では35%の人しか賛成していない。「公共機関のカフェテリア方式の食堂に肉料理を提供しない日をつくることを義務づける」というナッジに日本人は28%しか賛成しないが、日本以外の国では過半数の人が賛成している。なかでも中国では78%の人が賛成している。
日本人がナッジに対して賛成しないことについて、著者たちは政府への信頼が低いことが原因ではないかと推測している。ただ、日本人が外国人よりもナッジに強く反応する傾向があることを知っているからこそ、ナッジに対して慎重だという可能性もあると筆者(編集注 : 大竹氏)は考えている。
日本では、2020年2月からの新型コロナウイルス感染対策で、学校の休校、大規模イベント の自粛を政府が要請することで多くの国民が従った。同じことを達成するために、法律や命令によって都市を封鎖したり、移動を禁止したり、ハグやキスを禁止する必要がある国もある。

4. ナッジの権利章典とナッジへの誤解
著者たちは本書でのアンケート調査の結果から、ナッジが満たすべき条件を6つの「ナッジの権利章典」としてまとめている。

権利章典1 ナッジは正当な目的を促進しなければならない。
権利章典2 ナッジは個人の権利を尊重しなければならない。
権利章典3 ナッジは人々の価値観や利益と一致しなければならない。
権利章典4 ナッジは人を操作してはならない。
権利章典5 原則として、ナッジは明確な同意がないまま人からものを取り上げて、それを人に与えるようなものであってはならない。
権利章典6 ナッジは隠さず、透明性をもって扱われなければいけない。

いずれももっともなものである。税金・補助金や法律による規制であれば、それらを実施するためには、議会での審議という民主主義的な手続きを踏む必要がある。しかし、ナッジの中には、そのような政治的・行政的手続きを経ないでも実行可能なものもある。そのような場合こそ、政策担当者はこの6つの権利章典を厳守することが必要である。ナッジを政策に使う場合には、その効果検証を行った上で実施することが透明性確保の点で特に重要だろう。詳しい解説は、本書の第9章を読んでほしい。
ただし、著者たちは、ナッジが誤解されているが故に、支持されていないこともあるという。誤解されているポイントは7つある。

誤解1 ナッジは人間の行為主体性をないがしろにしている。
誤解2 ナッジは政府への過度の信頼がベースになっている。
誤解3 ナッジは目に見えない。
誤解4 ナッジは人を操る。
誤解5 ナッジは行動バイアスにつけこむ。
誤解6 「人間は不合理だ」というナッジの前提は間違っている。
誤解7 ナッジが機能するのは周縁の問題だけなので、大きな成果はあげられない。

いずれもナッジに対する批判としてよく目にする。しかし、こうした批判は、ナッジに対する誤解であることは、本書の第8章に詳しく説明されている。ナッジを政策に用いる場合には、こうしたナッジへの誤解に基づく批判が存在することを前提に、十分な説明を行っておくことが求められる。
多くの人に本書が読まれることで、ナッジが正しく活用されて、私たちの社会がよりよいものになっていくことを期待したい。

キャス・サンスティーン (著), ルチア・ライシュ (著), 大竹 文雄 (その他), 遠藤 真美 (翻訳)
日経BP (2020/4/17)、出典:出版社HP

データで見る行動経済学・もくじ

解説ナッジが備えるべき条件
大阪大学大学院経済学研究科 大竹文雄 | –

はじめに 行動経済学を最も有効に活用する方法
潤滑剤としてのナッジ・反発を生むナッジ

第1章 ナッジ導入における「世論」の重要性
「ナッジ」とは何か?
世界各国の政府がナッジに注目する理由
ナッジが生み出すのは快適な生活か、政府によるコントロールか
ナッジがもつ「操作」のカ
ナッジの価値は目的と効果で決まる?

第2章 アメリカ① 調査結果のまとめ
アメリカにおけるナッジの評価
アメリカで人気のあるナッジ
啓発キャンペーンに対する評価
物議をかもすと思われるナッジに対する評価
アメリカ人はどんなナッジを嫌うのか?
情報と教育にかかわる不人気のナッジ

第3章 アメリカ② 調査から明らかになったナッジへの反応
アメリカで受け入れられるナッジ・拒否されるナッジは何が違うのか?
政党への支持とナッジへの許容度
「ナッジ S命令」―どちらがどれだけ受け入れられる?
支持政党によるナッジバイアス
アメリカにおけるナッジへの評価――二つの結論

第4章 ヨーロッパでの調査結果とナッジへの評価
ヨーロッパにおけるナッジへの反応
ヨーロッパを代表する六つの国
ヨーロッパ6ヵ国に対する調査のまとめ
調査結果の分析
ヨーロッパにおける調査方法
「15の介入」に対する反応
社会人口統計学的変数の選択と政治的選好の測定
統計分析の方法|
ヨーロッパ6ヵ国における調査結果の分析
「純粋な政府のキャンペーン」に対する評価
「義務づけ型の情報提供ナッジ」に対する評価
「義務づけ型のデフォルトルール」に対する評価
「義務づけ型のサブリミナル広告」に対する評価
「義務づけ型の選択アーキテクチャー」に対する
評価、 性別、年齢、政治的選好(支持政党)による賛成率の違い
ヨーロッパ6ヵ国の人々はナッジをどうとらえているのか?
全体的な特徴
国ごとの特徴
政治的選好(支持政党)と人口統計学的属性
ヨーロッパ6ヵ国におけるナッジへの評価のまとめ

第5章 ナッジに対する世界的な評価は定まっているのか?
世界的なナッジへの評価の検討
日本をはじめとする8カ国の調査方法
サンプリングと調査の方法
社会人口統計学的変数と政治的態度の測定
日本をはじめとする8カ国の調査結果の分析
そもそもの賛成率
人口統計学的属性と政治的態度
三つの国カテゴリー
本調査のまとめ

第6章 ナッジの真実
「相手への信頼感」はどの程度、人々の判断を変えるのか?
ナッジへの賛成・反対は何によって決まるのか?
サンプリングと調査の概要
調查手段
統計分析の方法
ナッジへの賛成を決める要素の正体
年齢、性別とナッジへの賛成
「公的制度への信頼」と「ナッジへの賛成」
結果の概要
ナッジを賢く役立てるために

第7章 教育的ナッジと非教育的ナッジ――主体性からナッジを見る
主体性の度合いは、ナッジへの評価を左右するのか?
人間の脳の二つのシステム
アメリカにおける「主体性」の意味
「貯蓄、喫煙、環境」についての結果のまとめ
「中立条件」(条件1)での調査結果
「システム1のナッジのほうが効果が有意に高い」と伝えた場合(条件2)の調査結果
「システム1のナッジのほうが効果が高い」ことを定量的に伝えた場合(条件3)の調査結果
「システム2のナッジのほうが効果が有意に高い」と伝えた場合(条件4)の調査結果
政治的な意見の違いは選択にどのような影響を与えるか
「有権者登録、子どもの肥満、中絶」についての結果のまとめ
結果の概要
支持政党による意見の違い
被験者内調査での回答の変化に着目する
人々を動かすための「世論、法律、公共政策」の扱い方
「主体性」の度合いとナッジの評価

第8章 ナッジについての7つの誤解
「ナッジ」はいま、大いに誤解されている

第9章 あらゆるナッジに適用されるべきわれわれの権利とは?
ナッジの正当性
ナッジの権利章典を策定する
公共の福祉と自律性について

謝辞
註釈

はじめに 行動経済学を最も有効に活用する方法

「ナッジ」による政策――つまり、「行動情報を活用した政策」は、すでに世界各地の政府で導入 されている。人間の本質とはどういうものか、そしてどのように考え行動するのかに関する新しい 発見を踏まえて政策が立てられているということだ。こうした政策はその都度検証され、さらによりよく機能させる方法の研究が進んでいる。
では、それらの国々で暮らす人々は、「行動情報を活用した政策」をどのように考えているのだろう。そもそも賛成しているのか。
ロシア人とアメリカ人では意見が違うのか。もし違うなら、厳密にはどこが、どれくらい違っているのか。中国、日本、韓国の人々ではどんな違いがあるのか。オーストラリアとブラジルでは? フランスとデンマークでは?アイルランドとイギリスでは? ハンガリーとドイツでは?
われわれ二人(キャス・サンスティーンとルチア・ライシュ)は何年もかけて、こうした疑問を探ってきた。これまで、次に示す18ヵ国に対して、全国規模のサンプル調査、あるいは地域ごとの調査を実施してきた。
アイルランド アメリカ イギリス イタリア オーストラリア カナダ 韓国 中国
デンマーク ドイツ日本 ハンガリー ブラジル フランス ベルギー南アフリカ
メキシコ ロシア
いうまでもなく、このリストで全世界を網羅しているとはいえないが、世界の主要国をある程度おさえることができた。

潤滑剤としてのナッジ・反発を生むナッジ

この調査では、その焦点を行動科学、より具体的には行動経済学に関心がある人から特に注目を 集めている政策に絞って質問している。これによって世界の人々の考え方の違いを的確に比較できるようになるだろう。自由、厚生、信頼、パターナリズム(父権的温情主義。強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のために、本人の意志は問わないまま介入・支援すること)に関するさまざまな考え方を明らかにする助けとなるはずだ。このような調査によって、国境を越えて意見が一致しているところ、国境をまたぐだけで意見に統計的に有意な差が生じるところが浮かび上がってくる。あるいは、国内における意見の違いや国同士での考え方の差がどうして生まれるのかについても、少し推測していくことができるだろう。
理想をいえば、できるだけ多くの政策について幅広い網羅的な質問をして、回答を得たいという気持ちはもちろんある。それでも、今回の焦点を絞り込んだアプローチによる調査を通して、より幅広い質問をするとどのようなことが明らかになるのかについても考えうる最初の手がかりを示せると思う。本書では、より幅広い調査・研究に続く第一段階として、右記の調査でわかったことを報告していきたい。
なお、本書の最終章では、結論に代えて、「いかなるナッジに対しても尊重されるべき、われわれの基本的な権利(ナッジの権利章典)」を提言する。 「これは、本調査で明らかになったさまざまな国の人々の考え方についての発見を踏まえて、合理的に導き出されたものである。われわれのいう権利章典とは、司法的に執行できる権利のことではなく、公務に携わる者が尊重するべき一連の理念と権利であり、操作の禁止、人々の価値観と利益 の尊重、透明性の確保の重要性、不正な目的のためのナッジ使用の禁止が盛り込まれている。
さらに、そうした権利章典の概略を説明する過程で、人間の自律性の本質やよりよい社会的厚生のあり方についても触れていくことになるだろう。

キャス・サンスティーン (著), ルチア・ライシュ (著), 大竹 文雄 (その他), 遠藤 真美 (翻訳)
日経BP (2020/4/17)、出典:出版社HP

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やさしい行動経済学 (日経ビジネス人文庫)

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身近に感じる行動経済学

日本経済新聞での連載で筆者が丁寧に、コンパクトに解説したものの文庫版となります。筆者数が多い分、様々な場面で観察される、使われる行動経済学が説明されております。

日本経済新聞社 (編集)
日本経済新聞出版 (2017/12/2)、出典:出版社HP

文庫版まえがき

2017年のノーベル経済学賞は米国のシカゴ大学のリチャード・セイラー教授が受賞し、例年以上に注目を浴びました。それはセイラー氏の功績が人の心を扱う「行動経済学」だったことと無縁ではないと思います。
経済学は数式やグラフばかりが使われていて、小難しくて近寄りがたい。金融関係など一部の人の仕事には役立っているのかもしれないが、自分の生活とは関係ない――。それがこれまで経済学と縁遠い人が持つ印象ではなかったでしょうか。

でも、実は行動経済学をはじめとして、経済学は身近な問題を解くヒントをたくさん与えてくれます。それを広く知ってもらおうというのが本書の狙いです。
職業や老若男女を問わず、最も身近に感じるテーマは「こころ」ではないでしょうか。日本経済は「失われたり年」と呼ばれる景気低迷を経験し、経済格差が広がっています。少子高齢化の影響もあり、これまでのような経済成長が期待できない中、将来の生活に不安を抱えている人も多いと思います。人は何かしら「こころ」のよりどころを求めています。

一方で、経済学になじみのない一般の人にとって、「こころ」と最も縁遠い存在が経済学ではないでしょうか。「金もうけ優先で弱者に優しくない」学問で、そこで描かれる人間像は、「自らの利益を最大化することを最優先し、感情に流されず常に合理的な判断をする存在」。そんなイメージが浸透してしまっているかもしれません。
本書を読んでいただければ、そうした誤解が解けるはずです。経済学は、そもそも人々を豊かにし、幸福をもたらすために生まれた学問です。経済学の父と呼ばれるアダム・スミスの時代から、人の心の動きを観察することが学問の出発点になっている面があるのです。

確かに、経済学に長らく人の心や精神面への関心が薄かった面があったことは否定できません。ただ、世の中が成熟し、価値観が多様化するにつれ、新たなアプローチや理解の方法も広がっています。その1つが、実際の人間がどのように選択・判断するかを重視した行動経済学です。

本書では、ベテランから新進気鋭まで3人の学者が、それぞれの専門分野の視点から、「こころ」を切り口に、現代社会が抱える問題を読み解くヒントを提示しています。テーマは行動経済学だけではなく、幸福論や希望の持ち方、倫理観から男女の行動の違いまで多岐にわたります。

読み進めるにつれて、経済学の多様性や間口の広さを感じ取っていただけるのではないかと思います。そして読み終わった後、これまでの「食わず嫌い」をやめて、経済学の奥深さをもう少し味わってみたいと思っていただければ幸いです。

本書は、日本経済新聞朝刊「経済教室面」に「やさしい こころと経済学」と題して、第1部を2014年9月から同年12月に、さらに第2部として2015年4月から同年6月にかけて連載したシリーズをまとめた『こころ動かす経済学』(2015年10月刊)を『やさしい行動経済学』と改題し、巻末に2017年ノーベル経済学賞を受賞したセイラー教授の業績に関する日経電子版の解説を掲載し、文庫化したものです。なお、執筆者、文中の肩書などは掲載当時のものです。

連載にあたっては経済解説部の中村厚史、松林薫、福士譲、井上円佳が担当し、文庫版の巻末解説は福山絵里子が執筆しました。また、「こころ」の問題を経済学で分析するコラムを着想し、闘病生活の傍ら連載に向け助言・尽力した故・道善敏則編集委員に深く感謝いたします。
2017年11月
日本経済新聞社

日本経済新聞社 (編集)
日本経済新聞出版 (2017/12/2)、出典:出版社HP

目次

文庫版まえがき
第1章 日本人は競争が嫌い?――精神性の特徴
1 「競争」への認識に違い
2 「同情」から「共感」へ変化
3 「公平な観察者」が道徳を生む
4 適度な距離感が「和」を保つ
5 「多事争論」が重要に?
6 「思慮」こそ国富増大の源
7 不利益を被った人に「共感」
8 伝統的雇用慣行に「憤慨」
9 「自制」を通じ弱者に共感
10 2つの「正義」の両立が必要

第2章 倫理観・価値観と絆
1 善悪をどう捉えるか
2 用いる概念で結論に差
3 経済モデルから考える
4 親子のつながりを分析
5 最適な税率にも影響
6 奉仕活動を通し幸福感
7 震災は幸福感に影響
8 他人の役に立ち幸福に
9 共同体を重視する時期
10 幸福感への誤解を解く

第3章 男女の行動の違い
1 リスクのとり方に差
2 男性のほうが自信過剰
3 性差の刷り込みも影響
4 社会環境が男女差を生む
5 女性は交渉を避ける傾向
6 ホルモンの関与も考慮
7 女性のほうが平等重視
8 人とのかかわり方に差
9 性差を超えた取り組みを

第4章 差別と偏見のメカニズム –
1 「行動」から「心」を探る
2 選択と選好に置き換え方
3 市場理論から分析
4 統計が助長する場合も
5 ゲーム理論で分析
6 住民の独立意向を解析
7 女性同士でも立場で溝
8 家事分担の固定化
9 我々の心が「障害」を生む
10 心次第で未来も変化

第5章 希望の役割を科学する
1 大切な何かの実現を目指す
2 他国に比べ低い水準
3 年齢・健康と密接な関係
4 人とのつながりが重要に
5 挫折は好影響を与える
6 無駄を恐れの気持ちが大事
7 少年期に得た信頼が影響
8 震災後は家族重視に
9 地方再生は自らの手で
10 望ましい未来を見据えて

第6章 幸福とは何か
1 お金と幸せの関係を探る
2 生活水準が満足度を左右
3 承認メカニズムが複雑に
4 商品の入手が不可欠に
5 「豊かな家族生活」を目指す
6 ガイドラインを共有
7 格差が若者の希望を阻む
8 多様化する満たされ方
9 人との結びつきが重要
10 一定程度の豊かさが必要

第7章 幸福度を測るポイント
1 数値化により比較・検証
2 社会全体の豊かさを把握
3 要因を金銭と非金銭に分類
4 「大事件」でピークに
5 結果に加え過程も寄与
6 精神と生活面で違いも
7 政策反映には注意が必要
8 稼得以外のほうが持続
9 データ収集・集計を工夫
10 比較には慎重さが必要

第8章 「おもてなし」――心情をくむサービスー
1 新たな仕組みを考え出す
2 「おもてなし」は日本独特
3 4類型に分けられる
4 モノにない特徴を考慮
5 接客態度で価値が向上
6 相対的満足感が重要に
7 品質評価に4要因活用
8 従業員満足を高める
9 組織文化で方向性を示す
10 介護の質の向上が不可欠

第9章 日本の組織と心理的契約
1 会社と社員の間の約束
2 外から見た日本の特徴
3 文章化されない理由
4 評判を考慮し約束を守る
5 日本と欧米の混合型に
6 不履行に2つの理由
7 異動・昇進の効果的
8 双方の期待の明確化を
9 「特別扱い」が効果を生む
10 「沈黙」に目を向ける必要

第10章 やる気を引き出す仕組み
1 理解を深め日常に応用
2 モチベーションの定義
3 褒美とやりがいの両立
4 内面から湧く動機付け
5 喚起に必要な2要因
6 褒め言葉で欲求を満たす
7 上司の働きかけが重要
8 組織としての取り組み
9 ビジョンで方向性を示す
10 奉仕の精神を持つ

第11章 メンタルヘルスをどう守る
1 深刻化する精神面の病
2 「個人の問題」を除去し分析
3 仕事の特性なども影響
4 隠す傾向が事態を悪化
5 雇用慣行が損失に影響
6 企業全体で利益率低下
7 悪化防止策が重要に
8 多様な働き方が必要に
9 全社的取り組みが不可欠如
10 望まれる学際的研究

終章 経済学どこころはどう付き合ってきたか
l こころをどう扱ってきたか
2 合理的な「経済人」を生む
3 満足を高める均衡点を探る
4 人に備わる利他性
5 合理的説明を超えた衝動
6 不確実性に極端な反応
7 最適を選ぶとは限らず
8 進化の過程に着目
9 幸福調査は使い方次第
10 脳科学との融合

【解説】人の「こころ」を組み込むモデルを提唱―|2017年ノーベル経済学賞を読み解く

日本経済新聞社 (編集)
日本経済新聞出版 (2017/12/2)、出典:出版社HP

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行動経済学~経済は「感情」で動いている~

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内容がギュッと詰まった新書

若干古めの新書となりますが、かなり濃い内容の新書となっております。人間の意思決定での最新研究内容は直近のものを手に取らなければなりませんが、行動経済学そのものの柱になる理論の説明は充実しています。

友野 典男 (著)
光文社 (2006/5/20)、出典:出版社HP

はじめに

経済は感情で動いている。
流行遅れと言われるのがイヤだからはやりの洋服を着て、はやりの音楽を聴き、はやりのレストランに行き、はやりの本を買う。BSEが怖いから、牛肉はなるべく食べない。株に投資する時にも最後は直感で決める。景気の良し悪しは肌で感じる。

老後に備えて計画的に貯金すれば、年金に頼らなくても困らないのに、つい衝動買いしてしまう。ダイエットした方が健康でいられることはわかっているのに、つい甘いものの誘惑に負けてしまう。掃除当番をサボって他の人に任せてしまえば楽なのに、サボると不快だからサボれない。たとえ誰も見ていなくても、良心が許さないからゴミのポイ捨てはしない。
経済行動を感情や直感で決め、経済を直感で把握する例は数多い。しかし、経済は感情だけで動いていると言っているのではない。

経済は心で動いている。
心と言っても、思いやりとか優しさとか人間性で経済が動いているというのではないし、道徳を主張するのでもない。心は知覚、認知、記憶、判断、決定、感情、意志、動機などを担っている。ハートというよりマインドである。
心は合理的推論や計算もするし、感情や直感も生み出す。心が人間行動を決定し、人間行動が経済を動かしているのであるから、経済は心で動いている。標準的経済学では、人は合理的な計算や推論によって行動を決定するとされている。
しかし感情や直感も重要な役割を果たしていることが次第に明らかになってきた。抜け目ない人々の合理的な損得勘定から、感情の役割も重視する方向への変化である。いわば「勘定から感情へ」という転換だ。

二〇〇二年一〇月、小柴昌俊さんの物理学賞と田中耕一さんの化学賞というノーベル賞ダブル受賞に日本中がわきかえっていた頃、ノーベル経済学賞の記事が新聞の片隅に載った。受賞者は米国人二人で、そのうち一人がプリンストン大学のダニエル・カーネマン教授であった。
カーネマンは、共同研究者にして親友であった故エイモス・トヴェルスキーと共に本書のテーマである行動経済学の最大の立役者である。しかし、わが国ではあまり知られておらず、経済学者からでさえ「カーネマンって誰?」という声が聞かれた。それから三年半の歳月が流れたが、わが国では事情はそれほど変わっているとは思われず、行動経済学はまだ市民権を獲得したとはいいがたい。

本書は、「勘定から感情へ」というテーマを通奏低音としつつ、行動経済学という新しい経済学の基礎について広く紹介し、検討することを目的としている。基礎といっても単なる入門という意味ではなく、構築物の土台・根元という意味を持つ。本書は、行動経済学の入門書であると同時に、経済行動の背後にある心理的・社会的・生物的基盤を探り、行動経済学の基礎を固めることを目指す。
行動経済学はまさに現在進行形の学問であり、今こうしている間にも新しい重要な貢献が生まれているに違いないから、このような小さな書物でそのすべてをカバーすることはできない。しかし本書によって行動経済学に関心を持つ人が少しでも増えてくれれば幸いである。

友野 典男 (著)
光文社 (2006/5/20)、出典:出版社HP

目次

はじめに

第1章 経済学と心理学の復縁……行動経済学の誕生
第2章 人は限定合理的に行動する……合理的決定の難しさ
第3章 ヒューリスティクスとバイアス……「直感」のはたらき
第4章 プロスペクト理論(1) 理論……リスクのもとでの判断
第5章 プロスペクト理論(2) 応用……「持っているもの」へのこだわり
第6章 フレーミング効果と選好の形成……選好はうつろいやすい
第7章 近視眼的な心……時間選好
第8章 他者を顧みる心……社会的選好
第9章 理性と感情のダンス……行動経済学最前線

主要参考文献

おわりに

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セイラー教授の行動経済学入門

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ノーベル賞経済学受賞者の行動経済学

2017年のノーベル経済学賞の受賞者となるシカゴ大学のリチャード・セイラー教授筆者となり、1987年から1990年にかけて行動経済学のさきがけとなる作品になります。

リチャード・セイラー (著)
ダイヤモンド社 (2007/10/26)、出典:出版社HP

刊行に寄せて―すぐれた意思決定のトレーニングに

楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元

本書は一九八八年から、ジャーナル・オブ・エコノミック・パースペクティブという経済学会の専門誌に連載された論文を一冊にまとめたものです。著者のリチャード・セイラー教授は、投資業界では「長期のリターン・リバーサル」に注目した研究者としてよく知られていました。「長期のリターン・リバーサル」とは簡単に言えば、「過去五年ぐらい相対的なパフォーマンスが悪かった株を買うと、その後の相対的パフォーマンスはよくなる」という現象を指しています。

このような現象は、既存のファイナンス(投資)理論では説明できないアノマリー(例外事象)と呼ばれ、たとえば「時価総額の小さい小型株のリターンが継続的に高い」とか、「PBR(株価純資産倍率)が低い株式のリターンは高い」など、さまざまな事象が研究されてきました。こうした研究は現実の投資に応用されることも多く、実務家の関心を集めていましたが、セイラー教授もパイオニアの一人です。

そのセイラー教授が、それぞれのテーマの第一線の研究者と一緒に連載を始めたということで、当時、投資を研究する部署にいた私は、職業上の興味もありましたが、新しい野心的な議論に興奮しつつ、毎回楽しみに読んでいました。

その後、一九九二年に一冊の本にまとまってからも、改めて読み直し、取り上げているテーマの幅広さ、興味深さに関心したものです。「同じ仕事でも産業によって賃金格差があるのはなぜか」「オークションで高値づかみしない戦略はあるか」といったところから、「競馬」「宝クジ」「株式市場」といった身近な機会についての分析から、「公共財ゲーム」「最終提案ゲーム」といった行動経済学的なアプローチによる、人間の現実の行動の分析といったことまで、切れ味鋭く解説しています。

本書の最初の論文が書かれてからかれこれ二〇年近く経とうとしていますが、その着眼やテーマ設定、思考の方向性などきわめて先見性があります。いま読み返してみても一章、一章のテーマが議論として実に刺激的で、わかりやすい記述ですが内容的に高度です。今回の新版でもう一度読めるのは非常にうれしいことです。

伝統ファイナンスに対する批判

既存のファイナンス理論は、一九六〇年代、七〇年代を通じて、高度に数理的に発展してきました。金融工学と呼ばれる分野にその掉尾があります。しかし、それはどちらかといえば、かならず解けるようにつくった詰め将棋のようなもので、現実の資本市場や投資家行動の説明力には、疑問があるところです。そこへ、八〇年代に行動経済学の研究が勃興してきたことによって、伝統ファイナンスの「例外事象」に系統的な説明が試みられるようになり、「行動ファイナンス」という分野が確立しました。行動ファイナンスにより、伝統ファイナンスが前提とするものの非現実性を示す証拠が次々に明らかにされており、もはやファイナンスの基礎はすっかり書き換えられた、と私は見ています。

行動経済学におけるキーワードの一つに「バイアス」という言葉があります。いわゆる合理的な判断の意思決定から系統的に起こる判断の「偏り」を指します。そのバイアスを一貫して説明できる理論として組み立てられた代表的なものが、二〇〇二年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンとその共同研究者であるエイモス・トバスキー(残念ながら故人です)によってまとめられた「プロスペクト理論」です。この理論は、不確実な将来の意思決定において人間はかならずしも合理的に行動しないこと、特に「参照点」と言われる自分が意識している点(たとえば株式の取得価格がしばしばこれに当たります)からの上下で行動が変わることなどを説明しています。本書には、カーネマンもトバスキーも共同執筆者として参加しています。本書第6章では、まさにこの理論に収斂していく議論が展開されています。

行動ファイナンスが現実的に有効と思われる身近な例を挙げましょう。毎月分配型の投資信託という投資商品が日本では人気です。伝統ファイナンス的な考え方からすると、そもそもキャピタル・ゲインとインカム・ゲインとは区別しないで、収益は総合的に損得を考えるとされています。この商品は、頻繁に分配金が得られるといっても、それは、元本を減らして支払われています。なので、分配自体がけっして得になっているわけではないのです。しかも、分配を早くたくさん出すということは、課税のタイミングが前倒しされ、それだけよけいに税金もかかるわけです。

そうしてみると、毎月分配型のファンドは、伝統ファイナンス的には得ではない商品、ダメな商品ということになります。しかし、現実には売れているわけです。つまり、経済学説的にはダメなのに、でもよく売れている。その秘密は行動ファイナンスで説明できるのです。

一つは金銭的な報酬が、毎月という短期のサイクルであるということ。人間は、非常に先にある報酬と、わりと目先にある報酬とを正確に比べることができないのです(くわしくは、本書第8章を参照してください)。これは、行動経済学では「双曲割引」と呼ばれる現象です。本来、現在価値に対する係数は時間に対して指数関数的になだらかに割り引かれなければいけないのですが、実際の人間の価値判断には、目先にある金銭報酬の価値がきわめて高く、将来に向かって急速に落ち込んでいくゆがみがあります。どうも目先の報酬を得た、ということに心地よさがあるようです。

また、インカム・ゲインとキャピタル・ゲインを分けて考えてしまいます。これは、いわゆる「メンタル・アカウンティング」と呼ばれる現象です。本来、価値に差がないはずのお金のありがた味が、収入の名目や使途などで別々に評価される傾向を指します(本書第9章を参照してください)。たとえば月給で高額なフランス料理を食べるのは贅沢だと判断しても、競馬で当てた払戻金で食べるのは「まあいいや」と思ってしまうようなことです。合理的には、稼いだ手段に関わりなく同額のお金の価値は同じはずなのですが、収入の名目などによって「心の中の勘定科目」が違うかのように処理されるのです。

加えて、プロスペクト理論によると、元本(参照点)を割れた状態にあっては、人は、むしろリスクのある状態を好みますが、毎月分配型のファンドは為替などのリスクを負っており、この点もちょうどよくできています。心のツボにはまった巧みな商品設計であり、行動経済学理論の応用例になっています。

自然的合理性とゲーム論的合理性のギャップ

「合理性」という言葉の意味を整理する必要がありそうです。おそらく、過去の経済学説が言っているものは、あえて名前をつけるなら「ゲーム論的合理性」とでも呼ぶべきもので、取引の上で損にならない合理性のことです。これに対し、人間の自然な感じ方に基づいて評価すると心地よいという意味での合理性があります。あえて名前をつけるなら「自然的合理性」でしょうか。これらの「二つの合理性」の間には大きなギャップがあり、先ほどの毎月分配型のファンドなどは結果的にこのギャップをうまく使っているのです。

いわゆるマーケティングというものを考えたとき、うまくいくマーケティング、儲かるマーケティングの背景には、「自然的合理性」と「ゲーム論的合理性」のギャップを巧みに利用する工夫が潜んでいます。一方、消費者や投資家としては、人間のバイアスを知り、それを克服することで、損を回避したり、マーケティングに対する免疫をつけたりすることができる。そのために利用できるのが行動経済学です。

行動経済学が次に取り組まなければいけないテーマは、各種のバイアスが生じる原因を明らかにすることでしょう。最近は「バイアス」を脳の働きと関連づけて研究するということが進んでいます。ファイナンスや経済学にとどまらず、倫理であったり法律であったり、かなり広い範囲で急速に脳の働きとの関連が研究されています。

よく「投資家はリスクとリターンとを合わせて意思決定すべきだ」と言われますが、実は脳の中では、リスクに対して反応する場所とリターンに対して反応する場所は違うようなのです。したがって、両者をバランスよく考えろということは、口で言うほど簡単ではないのかもしれません。

筋肉にたとえるなら、別々の筋肉を一つの目的のためにバランスよく使わなければいけない、というようなことが、すぐれた意思決定の過程にもあるようです。そのためには、意図的な努力が必要です。たとえばテニスでいいプレーをしようと思えば、少なくとも本能のままに振り回せば強いボールが返せるわけではありません。ラケットの動かし方一つをとっても、テニスに最適化された体の使い方や動きというものがあります。ゴルフもそうです。人間の動きとしては不自然ですが、ゴルフというゲームに最適な動き方をしなければならない。同じように、経済にまつわる意思決定についても、頭の使い方にある意図的な努力が必要なのではないかと思えてきます。

そういう意味で本書の一章、一章は、すぐれた意思決定のために、投資に勝つために(負けないために)、新しい発想のトレーニングに最適な、きわめて中身の濃い良書です。

リチャード・セイラー (著)
ダイヤモンド社 (2007/10/26)、出典:出版社HP

目次

セイラー教授の行動経済学入門

刊行に寄せて―山崎元

目次

第1章 経済理論と「例外」
合理的行動モデルはどこまで正しいか INTRODUCTION

第2章 協調戦略
人はいつどんな理由から協力するようになるか COOPERATION
解説 協調の供給曲線は右肩上がりのカーブを示す

第3章 最終提案ゲーム
「不公平なら断ってしまえ」という意思 THE ULTIMATUM GAME
解説「公平な人間」と「かけひき屋」の間にあるもの

第4章 産業間賃金格差
同じ職種なのになぜ給料に差が出るのか INTERINDUSTRY WAGE DIFFERENTIALS
解説 市場の失敗としての賃金格差

第5章 オークション
勝者は「敗者」となる呪いをかけられている THE WINNER’S CURSE
解説 相手が間違いを犯していることに気付いたとき、どうすればいいか

第6章 損失回避
手放すものは得るものより価値がある THE ENDOWMENT EFFECT, LOSS AVERSION, AND STATUS QUO BIAS
解説 この考え方は私たちに託された「保有物」である

第7章 選好の逆転現象
選好の順位付けはプロセスのなかで構築される PREFERENCE REVERSALS
解説 価値の本質をめぐるそれぞれ異なる三つの意見

第8章 期間選択
金利と割引率についての損得勘定 INTERTEMPORAL CHOICE
解説 実証研究の成果を活用して効用理論を修正せよ

第9章 心理会計
貯蓄と消費は人間的に行われる SAVINGS, FUNGIBILITY, AND MENTAL ACCOUNTS
解説 誰の行動がモデルになるのか

第10章 ギャンブル市場
競馬と宝クジにみる「市場の効率性と合理性」 PARI-MUTUEL BETTING MARKETS
解説 合理的な市場リスクの追求は、理論的に可能か

第11章 株価予測(1)
CALENDAR EFFECTS IN THE STOCK MARKET
解説 謎を解く手がかりは、実証主義者の手に委ねられている

第12章 株価予測(2)
株価は平均値に回帰する A MEAN REVERTING WALK DOWN WALL STREET
解説 新しい資産価格決定理論をつくり出すという課題

第13章 投資家感情仮説
クローズド・エンド型ファンドの不思議 CLOSED-END MUTUAL FUNDS
解説 非合理な信念に基づいているにしても、需要は価格を動かしうる

第14章 外国為替市場
金利差と為替レートの謎 FOREIGN EXCHANGE
解説 外国為替市場の非効率性と政策介入の問題
エピローグ
行動経済学が描く新しいパラダイム EPILOGUE

本書が生まれた秘密と謝辞

訳者あとがき

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予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

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行動経済学のベストセラー

身近な実例をどう説明すればいいのか、行動経済学の学ぶ楽しさを一気に広めたベストセラーになります。、難しい言葉や数式もなく、どういう実験をしてみて、結果の考察として行動経済学の観点からどのように説明できるかの議論を大切にし、丁寧に物好を色々な角度からの視点を与えてくれます。

目次

はじめに

1章 相対性の真相
なぜあらゆるものは――そうであってはならないものまで――相対的なのか

2章 需要と供給の誤謬
なぜ真珠の値段は――そしてあらゆるものの値段は――定まっていないのか

3章 ゼロコストのコスト
なぜ何も払わないのに払いすぎになるのか

4章 社会規範のコスト
なぜ楽しみでやっていたことが、報酬をもらったとたん楽しくなくなるのか

5章 無料のクッキーの力
無料!はいかにわたしたちの利己心に歯止めをかけるか

6章 性的興奮の影響

7章 先延ばしの問題と自制心
なぜ自分のしたいことを自分にさせることができないのか

8章 高価な所有意識
なぜ自分の持っているものを過大評価するのか

9章 扉をあけておく
なぜ選択の自由のせいで本来の目的からそれてしまうのか

10章 予測の効果
なぜ心は予測したとおりのものを手に入れるのか

11章 価格のカ
なぜ一セントのアスピリンにできないことが五〇セントのアスピリンならできるのか

12章 不信の輪
なぜわたしたちはマーケティング担当者の話を信じないのか

13章 わたしたちの品性について その1
なぜわたしたちは不正直なのか、そして、それについて何ができるか

14章 わたしたちの品性について その2

15章 ビールと無料のランチ
行動経済学とは何か、そして、無料のランチはどこにあるのか

謝辞
共同研究者
訳者あとがき
参考文献
原注

はじめに

一度のけががいかにわたしを不合理へと導き、ここで紹介する研究へといざなったかよく言われるのだが、どうやらわたしは、人とはちがったふうに世界を見ているらしい。おかげで、これまでの二〇年ばかりの研究者人生では、日々の決断に影響をおよぼしているものの正体を探り、(わたしたちが、ときにぜったいの自信を持ってこれにちがいないと思っているものではなく)ほんとうは何が影響しているのかつきとめるのをずいぶん楽しんだ。

ダイエットするぞと心に誓ったはずなのに、デザートを載せたカートが近づいてくると決意がどこかへ行ってしまうのはなぜだろう。べつに必要なものでもなかったのに、気づいたら目の色を変えて買いあさっていたりするのはなぜだろう。一セントのアスピリンを飲んでも治らなかったのに、五〇セントのアスピリンだと頭痛がうそのように消えてしまうのはなぜだろう。

モーセの十戒を思いだすように言われると、そう言われなかった人たちより(少なくとも直後は)正直になりやすいのはなぜだろう。それに、職場の倫理規定が実際に不正を減らすのはなぜだろう。本書を読みおえるころには、こうした疑問だけでなく、あなた個人の生活や、仕事や、世界観にかかわるさまざまな疑問への答えが見つかっていることだろう。

たとえば、先ほどのアスピリンの問題ひとつとってみても、その答えを知ることは、自分の薬をどう選ぶかだけでなく、わたしたちの社会が直面している重大な問題のひとつ、健康保険の費用と効果の問題にもかかわりがある。十戒が不正の抑制にどんな影響を与えるかを理解すれば、第二のエンロン事件を防ぐ助けになるかもしれない。また、衝動的にどか食いしたくなる仕組みを知ることは、人生のなかで衝動的にくだしてしまうあらゆる決断にかかわってくる。たとえば、まさかのときのために貯蓄することがなぜこうもむずかしいのかにも関係している。

この本を通じてのわたしの目標は、自分やまわりの人たちを動かしているものがなんなのかを根本から見つめなおす手助けをすることだ。さまざまな(そして、たいていはかなり愉快な)科学的実験や研究成果、逸話などを紹介することがよい道しるべになるのではないかと思う。ある種の失敗がいかに一貫しているか――わたしたちがいかに何度も同じ失敗を繰り返すかーがわかるようになれば、そのうちの一部は、どうすれば防げるかが見えてくるだろう。

これから、食事、買い物、恋愛、お金、ものごとの先延ばし、ビール、正直さなど、人生のいろいろな面について調べた、実用的で好奇心をそそるおもしろい(ときにはおいしい)研究を紹介する。だがその前に、わたしがいささか型破りなものの見方をするようになった原点であり、したがってこの本の原点でもあるできごとについて話しておくべきだと思う。悲劇的なことに、わたしがこの世界にはいったのは、何年も前の、愉快でもなんでもない事故がきっかけだった。

何も起こらなければ、一八歳のイスラエルの若者にとってごくふつうだったはずのある金曜日の午後のことだ。一瞬のうちにすべてが取り返しのつかないほど大きく変わってしまった。夜間に戦場を照らすためにかつて使われていたマグネシウム光が炸裂し、わたしは全身の七〇パーセントに三度のやけどを負った。

それから三年のあいだ、わたしは全身を包帯に覆われたまま病院ですごした。その後も、ごくたまに人前に出るような場合は、ぴったりした合成素材のスーツとマスクに身を包んで、できの悪いスパイダーマンのような格好をしなければならなかった。友人や家族と同じ毎日をすごすことができなくなり、社会から半分切りはなされたように感じた。そのため、以前は自分にとってあたりまえだった日々の行動を、第三者のように外から観察するようになった。

まるでべつの文化から(あるいは、べつの惑星から)来たよそ者のように、自分やほかの人のさまざまな行動について、なぜそうするのかを考えはじめた。たとえば、なぜわたしには好きになる女の子とそうでない女の子がいるのか。なぜわたしの毎日のスケジュールは、わたしではなく医師に都合よく組まれているのか。なぜわたしはロッククライミングが好きで、歴史の勉強は嫌いなのか。なぜわたしはまわりの人がわたしをどう思うか、こんなに気にするのか。そして何より、人生の何が人をその気にさせ、その行動をとらせるのかと考えた。

事故のあと、病院で何年かすごすあいだに、さまざまな種類の痛みをたっぷり経験した。そして、治療や手術のあいまに痛みについて考える時間もたっぷりあった。入院当初の毎日の苦痛は、ほぼ「入浴」につきた。この処置では、消毒液にひたされ、包帯をはずされ、死んだ皮膚をこすり落とされる。皮膚がちゃんとあれば、消毒液は少ししみるだけだし、包帯もたいていはすんなりはずせる。

しかし、重症のやけどを負ったわたしのように、皮膚があるかないかという状態だと、消毒液は耐えがたいほどしみるし、包帯は肉にくっついて、それをはずす(というより、むしり取ることが多い)のは、ことばでは言いあらわせないほどの激痛をともなう。「やけど病棟に入院してまだまもないころから、わたしは毎日の入浴を担当している看護師に積極的に話しかけるようにした。治療するときにどんなやり方をするのか知りたかった。

看護師たちは包帯をつかむと、きまってすばやく一気にはぎとった。短めの急激な痛みがくる。これを一時間ばかり繰り返して、すべての包帯をはずす。はずしおえると、体じゅうに軟膏を塗り、新しい包帯をする。そして、翌日にまた同じ作業の繰り返しとなる。

すぐにわかったのだが、看護師たちは包帯を勢いよく引っぱる鋭い急激な痛みのほうが、ゆっくり引きはがすよりも(患者にとって)好ましいという持論を打ちたてていた。ゆっくりはがすと、痛みはそれほど強くないが、処置の時間を長引かせることになるため、全体としてつらく感じるだろうというわけだ。

また、看護師たちは、包帯をはずす順序―体のもっとも痛いところからはじめてあまり痛くないところに向かうか、あまり痛くないところからはじめてもっとも激しく痛むところに向かうか―に差はないと判断していた。

包帯をはずすときの痛みを実際に体験した者として、わたしは看護師たちの(科学的に調べたわけではない)持論に賛成できなかった。そのうえ、看護師たちの理論には、まったく配慮できていない点もあった。処置を控えた患者が感じる恐怖や、時間とともに急激に変化する痛みに対処するむずかしさ、痛みがいつはじまり、いつやわらぐのか予測できないこと、痛みはだんだん治まりますよという元気づけの効果などが考慮されていなかった。しかし、どうしようもない立場にいたわたしは、自分が受ける処置のやり方についてどうすることもできなかった。

長期の退院ができるようになると(その後も五年のあいだは、手術や処置のためにときどき病院へもどらなければならなかったが、わたしはすぐにテルアビブ大学で学びはじめた。その最初の学期にとった授業が、研究というものに対するわたしの考えをすっかり変え、その後の人生をほとんど決めてしまった。ハナン・フレンク教授による大脳生理学の授業だ。

脳の働きについての興味をそそられる講義内容に加えて、わたしがいちばん感銘を受けたのは、疑問や異説に対するフレンク教授の姿勢だった。わたしは何度も授業中に手をあげ、教授の研究室に立ちよっては、授業で説明された実験結果はこうも解釈できるのではないかと提案した。すると教授は、わたしの仮説もたしかにひとつの可能性だ(見込みは低いが、それでも可能性は可能性だ)と答えて、その説と従来の説のちがいを示せるような実験を考えてごらんとけしかけた。

そのような実験を考えつくのはたしかに簡単ではなかった。だが、科学は実験の積みかさねであり、これにたずさわる人はだれでも(たとえわたしのような新入生でも)、仮説を検証する実験方法さえ見つけることができるなら新説を打ちたてられるのだという考えは、新たな世界を開いてくれた。あるとき、わたしはフレンク教授の研究室へ行って、てんかんのある症状が出る理由を説明する仮説と、それをラットでたしかめる方法を提案した。

フレンク教授が案を気に入ってくれたので、それからの三か月間、わたしは五〇匹ほどのラットの脊髄に手術でカテーテルを挿入し、そこからさまざまな物質を与えててんかん発作を起こさせたり、緩和させたりすることになった。このやり方の現実的な問題は、やけどのけがのせいで手が思うように動かないため、ラットの手術がむずかしいことだった。さいわい、親友のロン・ワイズバーグが(熱烈な菜食主義者で動物愛好家にもかかわらず)、何度か週末にいっしょに研究室に来て、手術を手伝ってくれた。

真の友情をためすテストがあるとすれば、これはそのひとつだろう。
結局、わたしの仮説はまちがっていることがわかった。しかし、わたしの熱意が消えることはなかった。なんといっても、自分の仮説についてなにがしか知ることができたのだし、たとえ仮説がまちがっていたにしろ、それをしっかり確認できたのはよかった。わたしはずっと、ものごとの働きや人間の行動についてたくさんの疑問を抱いていた。

だから、なんでも興味を持ったことをたしかめる手段と機会を科学が与えてくれると気づいたことで、人間の行動を研究する道にはまっていった。この新しい手段を得たわたしは、まず、人が痛みをどのように経験するかという問題に取りくんだ。当然ながら、入浴治療のように、患者に長いあいだ痛みを与えるにちがいない状況にもっとも関心があった。そのような痛みからくる全体的な苦痛を減らすことは可能だろうか?それからの数年間、わたしは自分や友人や志願者を対象に、熱や冷水や圧迫や大音量などによって引きおこされる肉体的な苦痛、さらには株式市場でお金を失うという心理的な苦痛を使って研究室で実験をおこない、その答えを探った。

研究を終えたときには、やけど病棟の看護師が患者の痛みを最小にする正しい方法論を持っていないことがはっきりした。みんな親切でやさしかったし(まあ、ひとり例外もいたか)、消毒液にひたしたり、包帯をはずしたりという経験は豊富だったが、それでも考えちがいをしていた。たっぷり経験を積んでいるはずなのに、これほどまちがってしまうのはどういうわけだろう。わたしはこの看護師たちを個人的に知っていたから、悪意や愚かさや怠慢のせいでないことはよくわかっていた。そうではなく、特有の先入観が邪魔をして、患者の痛みを正しく認識できないのだろうと思った。どうやらこの先入観は、豊富な経験をもってしても変えることができないらしい。

そんなわけで、ある朝、研究の成果をたずさえて、うきうきしながらやけど病棟にもどった。ほかの患者の包帯をはずす処置に役立てるかもしれない。わたしは、看護師や医師に、消毒液のなかで包帯をはずすような処置をするときは、強い力で短い時間でするより、もっと弱い力で長い時間をかけてするほうが痛みが少ないことが研究でわかったと話した。つまり、包帯を勢いよくはぎとるのではなく、ゆっくり引きはがしていれば、わたしもあれほど苦しまずにすんだ、ということだ。この結論を聞いて看護師たちは心底驚いていたが、わたしのほうも、エティという仲のよかった看護師のことばに同じくらい驚かされた。

エティは、自分たちが痛みについての理解に欠けていたことや、やり方を変えるべきかもしれないことを認めて、さらにこうつづけた。入浴治療で引きおこされる痛みを議論するときは、痛みに絶叫する患者を前にして看護師が経験する心理的な苦痛も考慮する必要がある。勢いよく包帯をはぎとるのも、ほんとうは看護師自身の苦痛を軽くするためだと考えれば(たしかに看護師たちはよくつらそうにしていた)、もっと納得がいくのではないか、というのだ。それでも、最後には処置のやり方を変えたほうがいいということで意見が一致し、実際に何人かの看護師はわたしの提案どおりに処置するようにもなった。

わたしの提案で包帯はがしの方法が(わたしの知るかぎり)もっと大々的に変わることはなかったが、このできごとは特別な印象となって心に残った。経験豊富な看護師たちが、これほど患者を気にかけているにもかかわらず、患者にとっての現実を取りちがえてしまうのだとしたら、ほかの人も同じように自分の行動の結果を取りちがえたり、そのせいで、繰り返し判断を誤ったりするのではないか。そう考えて、痛みの研究から視野を広げ、経験を積んでもそこから学ぶことなく失敗を繰り返してしまう状況について研究しようと決めたのだ。

というわけで、わたしたちがみんなどんなふうに不合理かを追求しようというのがこの本の目的だ。この問題を扱えるようにしてくれる学問分野は、「行動経済学」、あるいは「判断・意思決定科学」という。

行動経済学はわりあい新しい分野で、心理学と経済学の両方の面を持っている。わたしも行動経済学を応用して、退職後に備えての貯蓄が思うようにできないことや、性的に興奮していると頭がしっかり働かないことなど、あらゆる行動を研究してきた。といっても、わたしが理解したかったのは、行動だけではない。

その行動の背後にある、あなたやわたしやほかのみんなの意思決定という営みを理解しようと努めてきた。先をつづける前に、行動経済学とはなんなのか、ふつうの経済学とどうちがうのかを簡単に説明しておこう。まず、シェークスピアの一節からはじめたい。

人間とはなんとすばらしい傑作か!その崇高な理性!限りのない能力!形と動きのなんと的確でみごとなことか!その行動は天使のごとく、理解力は神のごとく!この世の美しさそのもの、
まさに生き物の鑑。
「ハムレット」第二幕第二場
人間性を優れたものととらえる見方は、経済学者も、政策立案者も、専門職でない人も、どこにでもいるふつうの人も共通に抱いているが、それがこの引用に反映されている。もちろん、この見方はだいたいにおいて正しい。

わたしたちの心と体は驚くべきことをなしとげる。遠くからボールが投げられたのが見えれば、その軌道と衝撃を瞬時に計算し、体や手を動かしてボールを捕ることができる。子どものうちはとくに、簡単に新しい言語を学ぶこともできる。チェスを習得することもできる。何千もの顔を混同することなく見わけることもできる。音楽、文学、科学技術、芸術を生みだすこともできる。あげていけばきりがない。

人間の心を高く評価しているのはシェークスピアだけではない。もっと言えば、わたしたちはみんな、自分のことをシェークスピアが言ったとおりの人間だと考えている(そのくせ、隣人、夫や妻、上司のこととなると、かならずしもこの基準にかなっているとは言えないと気づいている)。科学の領域では、わたしたちが完璧な理性を持っているというこの仮定が、経済学にはいりこんでいる。経済学では、まさにこの「合理性」とよばれる基本概念が経済理論や予測や提案の基盤になっている。

このように考えると、人間の合理性を信じるかぎり、わたしたちはだれもが経済学者だ。わたしはなにも、だれでも複雑なゲーム理論のモデルを直観的につくりあげたり、顕示選好の公理などというものをさらりと理解したりできると言っているのではない。そうではなく、経済学が基盤にしている人間性についての基本的な考えをだれもが持っているということだ。本書では、「合理的な」経済モデルと言った場合、経済学者の大半とわたしたちの多くが信じている人間性についての基本的な仮定を指す。つまり、わたしたちが自分について正しい決断をくだせるという、単純で説得力のある考え方のことだ。

人間の能力に畏怖の念を感じるのはたしかにもっともなことだが、人間の能力を心から感嘆することと、人間の理性が完璧だと仮定することのあいだには、大きなちがいがある。実を言うと、この本は、人間の不合理性、つまり、わたしたちがどれほど完璧とはほど遠いのかについて書いている。どこが理想とちがっているのか認識することは、自分自身をほんとうに理解するための探求に必要だし、実用面でも大いに役立つ可能性があると思う。不合理性を理解することは、毎日の行動と決断に役立ち、わたしたちを取りまく状況や、そこで示される選択肢がどのようにつくられているかを理解するうえでも重要になる。

もうひとつ、わたしの考えでは、わたしたちは不合理なだけでなく、「予想どおりに不合理」だ。つまり、不合理性はいつも同じように起こり、何度も繰り返される。消費者であれ、実業家であれ、政策立案者であれ、わたしたちがいかに予想どおりに不合理かを知ることは、よりよい決断をしたり、生活を改善したりするための出発点になる。

このことは、ふつうの経済学と行動経済学とのあいだでわたしをひどく悩ませる(シェークスピアなら*それが問題だ。と言ったかもしれない)。ふつうの経済学では、わたしたちはみんな合理的なため、日々の生活で直面するすべての選択肢について価値を計算し、最善の行動をとっていると予想する。

もし、まちがいを犯して、なにか不合理なことをしてしまったら?そんなときも、ふつうの経済学は答えを用意している。「市場原理の力」が降りかかり、わたしたちをただちに正しい合理的な道に押しもどすのだ。この仮定のもと、アダム・スミス以後、何世代もの経済学者たちは、課税から健康保険制度、商品やサービスの価格設定にいたるまで、さまざまなものに結論を与えてきた。

ところが、本書でこれから見ていくように、わたしたちはふつうの経済理論が想定するより、はるかに合理性を欠いている。そのうえ、わたしたちの不合理な行動はでたらめでも無分別でもない。規則性があって、何度も繰り返してしまうため、予想もできる。だとすれば、ふつうの経済学を修正し、未検証の心理学という状態(推論や、考察や、何より重要な実証的な研究による検証に堪えないことが多い)から抜けだすのが賢明ではないだろうか。これこそまさに、行動経済学という新しい分野であり、その小さな一端を担う本書の目指すところだ。

これから読んでもらう各章は、長年にわたってすばらしい研究仲間とおこなってきた実験にもとづいている(この優秀な共同研究者の面々を巻末で簡単に紹介している)。なぜ実験なのか?人生は複雑で、複数の力が同時にわたしたちに影響をおよぼしている。この複雑さのために、それぞれの力がわたしたちの行動をどう左右しているか正確に見きわめるのはむずかしい。社会科学では、実験は顕微鏡やストロボのようなものだ。

人間の行動のペースを遅らせてできごとをコマ送りで見られるようにし、それぞれの力を切りわけて、ひとつひとつ念入りに細かいところまで調べることができる。実験によって、わたしたちを動かしているものがなんなのか、じかに確実に検証できる。
もうひとつ、実験について強調しておきたいことがある。どんな実験も、その実験の条件にだけあてはまる教訓しか得られないのなら、実験の価値もかぎられたものになってしまう。そうではなく、実験は一般的な原理をあきらかにし、わたしたちがどのように考え、どのように判断をくだすのか――実験という状況にかぎらず、そこから推測して、人生のいろいろな状況においてどうなのかを見きわめる手がかりになるものと考えてもらえたらと思う。

そのため、どの章でも、実験から得られた結果を一歩進めてべつの状況にあてはめ、生活や仕事や政策にどうかかわりうるかという例を示した。もちろん、この例はほんの一部にすぎない。
ここから(そして社会科学一般から)真の価値を引きだすには、実験であきらかになった人間の行動の原理が自分の人生にどうかかわるか、読者であるあなた自身が少し考えてみる必要がある。そこで、一章読みおえるごとに立ちどまって自問することを提案したい。実験であきらかになった原理で、あなたの人生がよくなったり悪くなったりするだろうか。そして、もっと重要な問いはこれだ。人間性について新たに理解したことで、何かちがったやり方ができるだろうか。そこに、本物の冒険が待っている。
さあ、冒険に出発だ。

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「ココロ」の経済学: 行動経済学から読み解く人間のふしぎ

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「新しい経済学」への入門書

他の新書の行動経済学、または入門書と違うところでいうと、第4,5章の「利他主義の経済学」「不確実性と予想外の経済学」の章は解説が丁寧です。リスクと不確実性の説明はとしては、サイコロの目のように 客観的な統計的確率が与えられるリスクと、起こる出来事だけどそれがどのくらいの頻度で起こるかがわからないような不確実性。 その結果、人間には常に最適を目指せるホモ・エコノミクス。 それは感情から通常の経済学では判断できない出来事から受ける人間の限界を理解する必要があります。

目次

まえがき

第1章 経済学の中のココロ
1 合理的なホモエコノミカス
2 ブラックボックス化されたココロ
3 感情に揺れるココロ
4 行動経済学の誕生

第2章 躍る行動経済学
1 主役はサイモンからカーネマンへ
2 リスクの下の行動経済学
3 時間の上の行動経済学
4 踊り場の行動経済学

第3章 モラルサイエンスの系譜
l 偉大なスコットランド啓蒙主義
2 モラルサイエンスの曲がり角
3 経済学の制度化
4 経済倫理学の復権

第4章 利他性の経済学
l 情けは人のためならずか
2 内的動機に訴えかける
3 利他性の根源に迫る

第5章 不確実性と想定外の経済学
1 真の不確実性を探る
2 主観的確率の罠
3 想定外のリスクを織り込む
4 アニマルスピリッツの復活? ―行動ファイナンスの誕生

第6章 進化と神経の経済学
1 進化論という異端の見方
2 進化論からココロを考える
3 ニューロエコノミクスの挑戦

第7章 行動変容とナッジの経済学
1 ココロは変わらない?
2 ナッジでココロを変える 3 ココロの経済学の向こうに

あとがき
参考文献

イラスト石川恭子

まえがき

本書のタイトルを『「ココロ」の経済学』としました。経済心理学でもなく、行動経済学で もなく、『「ココロ」の経済学』としたのは、既存の枠に囚われず、私なりのアプローチで、
「ココロ」と「経済学」という相容れない2つの要素を統一感をもって、語り通したいという 決意の表れです。
そうした決意の背景には、大学を巡る環境の変化があります。最近、高校生や予備校生、経
済学部以外の大学新入生にも、経済学の魅力を分かりやすく伝えなければならない場面が増え てきたからです。もちろん、私はやり甲斐を持って、若者に経済学の魅力を伝える機会を楽し んでいます。文系・理系を問わず、「ココロ」と「経済学」の奇妙な組み合わせについて語る と、目を輝かして聞き入ってくれるという嬉しい体験を重ねてきました。本書には、そうした経験値も盛り込まれています。

2009年に上梓した『行動経済学』(中公新書)は、行動経済学研究20年、渾身の力を込めて、京都大学経済学部の講義録を一冊にまとめました。読書のプロフェッショナルからは、巷に行動経済学本が溢れる中、「遅れて来た正当派」(小飼弾『新書がベスト』ベスト新書)という評価も頂戴しましたが、どちらかと言えば、数式もあったりして、新書としては、中身の濃過ぎた本だったかもしれません。

本書では、肩の力を抜いて、平易な言葉で、しかし、中身のレベルは落とさず、通常の行動 経済学よりも広めのテーマを扱うことにしました。例えば、行動経済学の啓蒙書では、人間の 行動の合理的ではない部分(限定合理性)が強調され、人間の面白い行動のエピソード集になっていることが多いのですが、本書では、経済学の起源から、必ずしも合理的とは言えない人間の感情的な側面が重視されてきたことを明らかにします。
また、一見、非合理的に見える人間の行動も、時間の不可逆性、真の不確実性が支配していた古代においては、進化論的に見て、種や個体の生存に有利な戦略であった可能性を指摘しました。人間の限定合理性には、生理学的な裏付けがあるのです。

本書は、全7章から構成されています。第1章では、「経済学の中のココロ」と題して、合理的なホモエコノミカス (経済人)を批判しながら、経済学の中に「ココロ」を取り戻す運動を説明します。第2章では、「躍る行動経済学」と題して、行動経済学の立役者であるサイモンやカーネマンの学問内容を説き明かします。第3章では、「モラルサイエンスの系譜」と題 して、スコットランド啓蒙主義から、ケンブリッジのモラルサイエンスまで、行動経済学の歴史的起源を探ります。第4章では、「利他性の経済学」と題して、人間の見せかけの利他性と真の利他性を区別して論じます。

続けて、第5章では、「不確実性と想定外の経済学」と題して、確率的に扱えない不確実性と想定外の出来事を経済学的に掘り起こします。第6章では、「進化と神経の経済学」と題して、人間の限定合理性を進化心理学的立場から解き明かすと共に、その生理学的基礎を裏付けます。第7章では、「行動変容とナッジの経済学」と題して、分かっていても変われない人間の心のクセに注目し、より良い行動変容のための工夫(ナッジ)を論じます。読者の皆さまの興味ある章から、読み始めて頂ければ結構です。

今、経済学は戦国時代に入っています。ともすれば、形式的で無味乾燥になりがちだった経済学が、目の前の現実に答えられる生き生きとした学問になっています。私の先生である伊東光晴京都大学名誉教授から、新書というものは、平易に見えても、研究者としての先端の苦悩が伝わるものでなければならないと教えられて育ちました。本書の最後では、行動経済学に、近年の私の研究テーマでもある実験経済学やビッグデータ経済学を加えて、エビデンスを重視する3世紀の経済学の三本柱と名付けました。そうした経済学の新しい息吹の一端も、読者の 皆さまが、本書から感じとって頂ければ、著者として幸いです。 本書の執筆において、筑摩書房の永田士郎氏からは、毎章に対して、感想を頂きました。根井雅弘京都大学教授からは、新書化にあたって、いつもながら温かい助言を頂きました。瀧澤弘和中央大学教授との議論は第1章、竹澤祐丈京都大学准教授との議論は第3章の参考になりました。記して感謝します。

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行動経済学入門 (日経文庫)

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入門書の後に最適

本書の導入としては、一度数式無しでの行動経済学の書籍の後だとかなりの良書となります。一定の数式も本書では使いますが、最低限の知識で式を追えるので具体的な思考能力も磨けながら行動経済学を学べます。

多田 洋介 (著)
日本経済新聞出版 (2014/7/16)、出典:出版社HP

まえがき

●10年ぶりに訪れた「行動経済学」への注目
2013年のノーベル経済学賞は、金融資産市場の分析に対する貢献として、シカゴ大学のユージン・ファーマ教授、ラース・ハンセン教授とともに、イエール大学のロバート・シラー教授が受賞しました。この同時受賞、特にファーマ教授とシラー教授が名を連ねるというのは、ある意味衝撃的なものでした。両氏は、株式や債券などの資産価格の将来の動きは果たして予測可能なのかどうかという研究が受賞理由ということでは共通していますが、その思想は正反対と言ってもよいくらいだからです。

つまり、ファーマ教授は、本書でも紹介する、金融資産市場は市場参加者が最大限合理的に行動することで資産価格が形成されるという「効率的市場仮説」の重鎮である一方、シラー教授は、必ずしも合理的ではない市場参加者の影響によって資産価格が動くという「行動経済学」(behavioral economics)の代表選手です。シラー教授といえば、2008年のリーマンショックにつながったサブプライム・ローン問題に代表されるアメリカ住宅市場の状況にいち早く警鐘を鳴らしていたということや、アメリカの代表的な住宅価格指数(ケース=シラー指数)の考案者として有名ですが、行動経済学中興の祖でもあります。氏のノーベル経済学賞受賞は、「行動経済学」という学問分野が再び注目を集めるきっかけになったと言えるでしょう。

ここで「再び」としたのは、ノーベル経済学賞を契機に「行動経済学」が大きく脚光を浴びた時期が約10年前にもあったからです。読者の皆さんの中には、ジョージメーソン大学のバーノン・スミス教授とともに、プリンストン大学の心理学者ダニエル・カーネマン教授が2002年のノーベル経済学賞を受賞したことを記憶している方も多いでしょう。受賞の理由は、簡単に「不確実性下における人間の判断や意思決定に関して、心理学の研究成果を経済学の考え方に統合したこと」とされていますが、これは経済学の歴史の中でも一つの画期的な転換点たりうる業績でした。

多田 洋介 (著)
日本経済新聞出版 (2014/7/16)、出典:出版社HP

カーネマン教授の業績については本書の中で詳しく紹介していきます。特筆すべきは、教授に代表される、心理学の発想を経済学の理解に活かそうという研究グループは、それまでノーベル経済学賞を総なめにしてきたような伝統的な経済学の考え方、つまり新古典派経済学のように経済プレーヤーとしての人間を完璧なクールヘッド(理性の持ち主)である「合理的」な者と捉えるのではなく、間違いも起こせば、感情に流されたりもする、より身近で現実味のある人間像を前提として経済活動や経済現象の分析にアプローチしようとしている点にありました。

我々に近い、より「普通の」人間を経済主体として位置付け、資産選択や消費と貯蓄の選択、労働契約関係などを分析することにより、後々見ていくように伝統的な経済学では答えることのできなかった様々な謎や矛盾(これを本書では「アノマリー」と呼ぶことにします)を解くきっかけが発見されており、経済学の新しい可能性が広がってきています。

例えば、1980年代の日本における土地パブルの現象や、近年のアメリカにおけるIT(情報技術)バブル、はたまた2000年代のアメリカ住宅価格の高騰などは、株価や地価などの資産価格がいわゆるファンダメンタルズから乖離して推移しているという点で、標準的な経済理論だけで説明が可能でしょうか。また、30年代に起こった通貨危機(90年代初めの欧州通貨危機、90年代後半のアジア危機)に見られた投資家行動は真に「合理的な」行動だったのかについても疑問があるところでしょう。

本書は、先述のカーネマン教授の研究を礎とする「新しい」経済学の分野である「行動経済学」あるいは「経済心理学」(psychology and economics)についての入門書です。改めて行動経済学とは、ここ3年ほどの間に急速に広まった経済学の一つの分野です。新古典派による標準的な経済学のように、数学的に一貫した整合的なモデルを提供するというよりは、経済学の標準モデルをベースにしつつ、現実の経済現象や人間行動を説明するようこれを補完するアプローチが中心となっています。このため、本書においても一つの整合的なモデル体系を提示するのではなく、代わりに、カーネマンらの古典的な論文やいくつかのトピックスを紹介しつつ、行動経済学に関わるいくつかのモデルや考え方の断片を「つまみ食い」するという方法論をとります。

多田 洋介 (著)
日本経済新聞出版 (2014/7/16)、出典:出版社HP

●本書の構成

本書の構成は以下の通りです。第1章では、イントロダクションとして、標準的な経済学が前提としている経済主体としての人間の見方にどのような問題があるのかを考えます。また、標準的な経済学の基本的な分析道具である期待効用仮説や異時点間の消費決定モデルなどを批判的におさらいします。
第2章は、前章で見た経済学における人間像の問題点の一つである「超合理性」という仮定を緩め、合理性に限界があるような場合(「限定合理性」と言います)の人間の行動や社会へのインパクトについて、具体例を用いて考えます。

第3章では、限定合理性に関連して、不確実性が存在するような環境において、人々が陥りやすい思考方法や判断プロセスを見ます。具体的には、前述したカーネマンと共同研究者のトヴェルスキーが提唱した「近道選び」(ヒューリスティックス)という行動原理を紹介します。

第4章は、前章に引き続き、カーネマンとトヴェルスキーによるもう1つの重要な理論である「プロスペクト理論」とその応用について主に見ていきます。プロスペクト理論は、リスクが存在するような状況で、人々がどのような選択を行うかについて、経済学が基本とする「リスク回避」とは異なる視点から説明するものです。
第5章では、ここまでの復習も兼ねて、行動経済学の応用分野として最もポピュラーなファイナンスの分野について考えます。行動経済学の金融・資本市場分析への応用は、一般に「行動ファイナンス」と呼称されています。ここでは、株価リスク・プレミアムの存在や、価格バブルの形成など、有名な事例を中心にこれまでの研究成果を紹介します。

第6章は、前章までと視点を少し変えて、時間を通じた人々の行動に焦点をあてます。特に、人々があらかじめ決めた将来の計画を実行するに際して、誘惑などに負けずにどの程度自分を律することができるか(どの程度自制が働くか)という論点を吟味します。経済学の標準理論では、消費者などの経済主体は自分を完全に律することができると仮定しています。これに対し、この章では、計画した行動と実行する行動が食い違うという「時間非整合性」の存在を指摘し、その応用研究について紹介していきます。

第7章では、人々は利己的なのか、そうではないのかという点を見ていきます。ここではいわゆる利他的な動機に基づく行動のみならず、相手が自分に好意的な行動をとれば好意的に、敵対的な行動に対しては敵対的に振る舞うという動機付け(これを「相互応報的動機」と呼びます)にウェートを置き、このような動機付けがもたらすインプリケーション(含意)について幅広く議論します。
終章では、全体の議論を簡単におさらいしつつ、行動経済学の可能性と限界について考察して、本書の結びとします。

本書は、最初2003年に単行本として日本経済新聞社より刊行しました。行動経済学や経済心理学の分野に関する日本語の書物は、当時もいくつか存在しましたが、その後、翻訳や国内オリジナルを問わず数多く出版されています。一方、行動経済学の理論的な基盤は2003年時点と現在とで大きく変わるものではないことから、今回の文庫化にあたって内容は大きく変更せず、行動経済学の「古典」文献に則り、限定合理性、時間を通じた行動、利他的モデルといった基礎的理論をカバーしつつ、できる限りマクロ経済への応用例に言及するというスタイルを維持しています。一方、よりアップ・デートな内容を補完するという意味で、巻末には筆者なりに選んだ行動経済学(応用を含む)に関するブックガイドを用意しました。

単行本の刊行時には、日本経済新聞社(当時)の堀口祐介氏から、多数の貴重な資料の提供や、幾度にもわたる打ち合わせ、拙稿へのアドバイスに至るまで多くのご支援をいただきました。文庫化に際しては、日本経済新聞出版社の平井修一氏に、「先延ばし行動」をしがちな筆者を叱咤激励いただきました。また、ハーバード大学において行動経済学の教鞭をとられていたデビッド・レイブソン、アンドレイ・シュライファーの両教授には、講義を通じて、筆者が本書を手がける上での多大なインスピレーションを与えていただきました。本書で紹介する具体例のいくつかは、両教授の講義を参考にしたものです。
本書の記述は最新の研究成果まで十分にカバーされておらず、拙いところもありますが、再び注目を集めている行動経済学の理解に少しでも貢献できれば望外の喜びです。

2014年6月
多田洋介

多田 洋介 (著)
日本経済新聞出版 (2014/7/16)、出典:出版社HP

行動経済学入門 – [目次]

第1章 行動経済学とは何か?―「限界知らずの経済人間」への挑戦
1 経済学の世界に生きる人間の3つの限界
「ホモ・エコノミカス」は人にして人にあらず?/人々は「超」がつくほど合理的ではない
人々は先送りの誘惑にかられる/人々は常に利己的とは限らない
経済学がホモ・エコノミカスを多用する2つの理由―簡便さと学習効果
2 人々は確率を「正しく」判断するか?−ベイズ・ルール
3 ゲームのプレーヤーはすべて合理的か?―ゲーム理論と人間の合理性
囚人のジレンマと「強く支配される戦略の逐次消去」/囚人のジレンマとナッシュ均衡
伝統的な均衡概念は完璧か?
4 間違いの多い経済学の「くじ」選び−期待効用仮説とその限界
効用の平均が最大になるように行動する―期待効用仮説
アレのパラドックスと期待効用仮説の欠点
5 将来の消費の選択は難しく移ろいやすい−時間を通じた行動モデルと欠点
人々が2期間のみ生きる簡単なモデル/応用としての多期間モデル
標準的なモデルの様々な限界
補論1 ベイズ・ルールの定式化
補論2 同時手番ゲームの均衡概念
補論3 逐次手番ゲームの均衡
補論4 時間を通じた消費モデル(オイラー条件の導出)

第2章 「人間はどこまで合理的か?―限定合理性の経済学
1 人々は日々合理的に過ごしているわけではない
経済学の「合理性」に関する小話/心理学的には人々は必ずしも合理的ではない
経済学の反論は妥当か?
2 物を考えるにもコストがかかる―最適化コストと限定合理性
人は完璧な答えを見つける前に満足してしまう
最適化を実行するためのコストの存在
3 限定合理性の存在を示す事例―ゲーム理論の実証研究から
名目価格をとるか実質価格をとるか―貨幣錯覚の現象
合理的な人はゼロの利得を追い求める?−美人投票の現実
オークションでは損がつきもの―逆選択と「勝者の呪い」
4 非合理的な人間の存在は市場を動かす―限定合理性のインパクト
再び美人投票モデル/アカロフの近似合理性と貨幣錯覚、価格の硬直性
マンキューの支出者・貯蓄者モデル
補論5 「よい実験」を行うには…
補論6 限定合理的な消費者の裏をかく企業?

第3章 近道を選ぶと失敗する―信念や判断に潜む罠
1 我々につきまとう「近道選び」の誘惑
人々がよく陥る「手短」な判断方法−3つの事例
不確実性が存在する下で頻繁に起こる近道選び
2 法則がないところにあえて法則を見出す―代表性の近道選び
「AかつBである確率」が「Aである確率」より大きい?−結合効果
母集団の情報を無視する−基準確率の無視
サンブルが大きい方がバラツキが大きい?―標本数の無視
「小数の法則」あるいは「ギャンブラーの過ち」/将来の予測を歪める代表性の近道遣び
異常値の扱いと「平均への回帰」
3 手っ取り早く手に入る情報を優先する―利用可能性の近道選び
4 情報は時に必要以上に影響力を持つ―係留効果
問題文に書かれた情報に潜む罠
連続して起こる事象には高めの確率を予想する
5 企業や投資家を惑わす自信過剰の問題
6 人は間違いを認めたがらない―「認知不協和」を避ける

第4章 プロスペクト理論―リスクが存在する下での選好理論
1 不確実性が存在する下で人々はどういう行動パターンに従うのか
「不確実性をどのように認識するか」と「不確実性下でどのように行動するか」
カーネマンとトヴェルスキーのもう1つの発見−プロスペクト理論
2 プロスペクト理論とは―リスクに直面する人間行動の妙を見事に示すモデル
出発点からの相対的な変化が重要―価値関数の「参照点」
利益に比べて損失は2倍−価値関数の「損失回避性」/損得の期待値がゼロの賭けに乗るべきか?
得するときはリスクを回避し、損するときはリスクを追い求める
わずかな確率でも見た目より大きい確率ウェート関数
3 プロスペクト理論の応用例
毎日のノルマは体に毒―NYのタクシー運転手の労働供給の謎
一度手にしたものは手放しにくいもの―現状バイアス
困ったときは大穴に賭けろ?−競馬ギャンブルにおける大穴バイアス
事故の可能性は低くても心配過剰な保険加入
現職候補は顔が知られているから選挙に強い?―選挙とブロスペクト理論
4 お金の捉え方次第で人の行動は変わる―心の家計簿
心の家計簿=頭の中の会計処理/どれくらい得をしたかが重要海の家よりもホテルのバー
「先払い」は人々の心を変える/定額制は魅力的?
お金をどこに貯めるかにより使い方が異なる
5 人は曖昧さを嫌う–ナイト流の不確実性と曖昧性回避
補論7 フィリップス曲線の「謎」

第5章 非合理的な投資家は市場を狂わす―行動ファイナンスの世界
1 行動ファイナンスは行動経済学の最先端の応用分野
2 伝統的に正しいとされるファイナンス理論とは?−効率的市場仮説
金融・資本市場の分析と伝統的な合理性経済学の関係
効率的市場仮説の2つの仮定―投資家の合理性と市場裁定の可達性
効率的市場仮説の3つのバリエーション/効率的市場仮説への反動(1)―「投資家の合理性」への批判
3 非合理的な投資家のせいで市場裁定が機能しない−ノイズ・トレーダー・モデル
効率的市場仮説への反動(2)−市場裁定の限界/非合理的な投資家=ノイズ・トレーダーのモデル
ノイズ・トレーダー・モデルの現実への応用例
4 逆張り戦略は有効か?–投資家心理と株価の予測可能性
非合理的な投資家の内面/投資家が現在の株の動きに過剰に反応するから逆張り戦略は有効
合理性経済学の反論は「合理的」か?/投資家はニュースに反応しない場合もある―保守的行動
5 株式プレミアム・パズルと近視眼的損失回避性
プロスペクト理論のファイナンス分析への応用
歴史的に株式は貴方よりもかなりリターンが高い−株式プレミアムの謎
行動経済学による株式ブレミアム・パズルの解明―近視眼的損失回避性
プロスペクト理論を用いたその他の事例
6 合理的な投資家も非合理的な投資家も共犯?–価格バブルと行動経済学
ファンダメンタルズから乖離した価格は「合理的」に説明できるか?
行動経済学によるバブルの解明―ポジティブ・フィードパック
補論8 資産価格のファンダメンタルズとは

第6章 人間は「超」自制的か―先送り、その場の快楽、自己制御
1 時間を通じた行動を現実的に捉える試み
2 いつまで経っても「今」が大事?−伝統的モデルのパズル
選好の逆転−時間が経つと好みが変わる/引関数、割引因子、割引率
単純な割引モデルとしての時間緊合性の仮定は現実的ではない
3 双曲的割引モデル――常に近い将来を大きく割り引く行動
準双曲的割引モデル―経済学に頻繁に応用される開易モデル
4 双曲的割引関数を持つ意思決定者のパターン―洗練された者vs.ナイーブな者
コミットメントが可能な人の場合/コミットメントが不可能な人(1)−洗練された人
コミットメントが不可能な人(2)−単純な人/3つのパターンにおける行動の違い−宿題の例
時間非整合的モデルの理論的な欠点
5 双曲的割引モデルを使った応用例
①アメリカ人は借金がお好き?/②タバコ・麻薬中毒は合理的か否か?
③401(k)は不十分か?/④その他の応用例
6 時間を通じた選好に関するその他のモデル−限定合理性、習恒形成、本能
合理性に限界があるから将来のことを考えるのが難しい
人が行動を決める際にはこれまでの習慣が重要/本能に流されることにより行動は移ろいやすくなる
時間を迫って「効用」の捉え方が変化する

第7章 人間は他人の目を気にするもの―「目には目を歯には歯を」の経済学
1 「超」利己的な人間像は完璧ではない
2 人が純粋に利己的ではないことを示す3つのゲーム
人は「貢献」に価値を見出す―公共財ゲーム/分け前は相応に最後通牒ゲーム
権力者にも悲悲の心がある?−独裁者ゲーム
3 利己的?利他的?第三の道?―人々の動機付けの数々
「他人のことを思う」「他人のことを思うことに満足を覚える」−2つの利他的動機
目には目を歯には歯を―相互応報的動機/平等志向
4 相互応報的な行動がもたらすもの―具体的な応用例
応用例1:独占的供給者の価格設定/応用例2:労働契約−高賃金と努力の交換
5 さらなる応用例−日本人はより「公平」か?(社会規範と相互応報性)

終章 心理学的アプローチの限界と可能性
本書のおさらい/行動経済学に対する「いわれなき」批判
行動経済学が抱える「本質的」な限界規範的学問としての機能
政策面への行動経済学の応用可能性/行動経済学の可能性

ブックガイド

参考文献

カバー・イラスト−©️Pushnova Liudmyla / Shutterstock.com

多田 洋介 (著)
日本経済新聞出版 (2014/7/16)、出典:出版社HP

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不合理だからうまくいく: 行動経済学で「人を動かす」

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ダン・アリエリー代表作2

前作『予想どおりに不合理』からこちらも人間社会にある様々な現場、状況で、人間が理屈に照らし合わせると不合理な行動をしてしてしまう、そして、それを防ぐためにはどうしたらよいか。事例とともに今回も楽しめながら行動経済学を学べる形式となっております。

ダン・アリエリー (著), 櫻井 祐子 (翻訳)
早川書房 (2014/3/20)、出典:出版社HP

目次

序 章 先延ばしと治療の副作用からの教訓
第一部 職場での理屈に合わない不合理な行動

第1章 高い報酬は逆効果
なぜ巨額のボーナスに効果があるとは限らないのか
第2章働くことの意味
レゴが仕事の喜びについて教えてくれること
第3章 イケア効果
なぜわたしたちは自分の作るものを過大評価するのか
第4章 自前主義のバイアス
なぜ「自分」のアイデアは「他人」のアイデアよりいいのか
第5章 報復が正当化されるとき
なぜわたしたちは正義を求めるのか

第二部 家庭での理屈に合わない不合理な行動
第6章 順応について
なぜわたしたちはものごとに慣れるのか (ただし、いつでもどんなものにも慣れるとは限らない)
第7章 イケてる?イケてない?
順応、同類婚、そして美の市場
第8章 市場が失敗するとき
オンラインデートの例
第9章 感情と共感について
なぜわたしたちは困っている一人は助けるのに、おおぜいを助けようとはしないのか
第10章 短期的な感情がおよぼす長期的な影響.
なぜ悪感情にまかせて行動してはいけないのか
第11章 わたしたちの不合理性が教えてくれること
なぜすべてを検証する必要があるのか

謝辞
共同研究者
訳者あとがき
参考文献
原注

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実践 行動経済学

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ナッジの原点

シカゴ大学のリチャードセーラー教授(2017年にノーベル経済学賞)とハーバード大学のキャス・サンスティーンによる、「ナッジ」がタイトルとなった本です。今でこそナッジという言葉が広く知れ渡っていますが「コツっとひじを軽くたたく」という意味で、強制的な指示に頼らず、インセンティブ設計をどう作っていくかのかを理解できます。

リチャード・セイラー (著), キャス・サンスティーン (著), 遠藤 真美 (翻訳)
日経BP (2009/7/9)、出典:出版社HP

 

実践 行動経済学
健康、富、幸福への聡明な選択
リチャード・セイラー
キャス・サンスティーン 著
遠藤真美 訳

人生のすべてを、そしてこの本でさえ、より良いものに
してくれるフランスへ - RHT
毎日を喜びに変えてくれるサマンサへ ➖ CRS

読者のみなさん、ナッジ(nudge;原著タイトル)をnoodgeと混同しないでいただきたい。政治ジャーナリストのウィリアム・サファイヤがニューヨーク・タイムズ・マガジン誌(二○○○年一〇月八日号)のコラム「オン・ランゲージ」で説明しているように、「イディッシュ語のnoodge」は、「『厄介者、うるさく小言を言う迷惑者、不平ばかり言っている者』を意味する名詞である。一方、nudgeは『注意や合図のために人の横腹を特にひじでやさしく押したり、軽く突いたりすること』である。

そのような形でnudgeする人、つまり、『他人に注意を喚起させたり、気づかせたり、控えめに警告したりする』人は、はた迷惑な泣き言をこぼしてばかりいるnoodgeとは似ても似つかない」。nudgeはjudgeと同韻で、noodgeのooはbookと同じように発音する。

謝辞

本書の研究は、シカゴ大学経営大学院、シカゴ大学法科大学院の法学・経済学プログラムの資金によって可能になった。また、ジョンテンプルトン財団からも意思決定研究センターへの助成金を通じて多大な支援を得ている。

本書を執筆するに当たっては、数多くの方々にご助力をいただいた。エージェントのサイデル・クレイマーは終始一貫してすばらしい助言を与えてくれた。編集者のマイケル・オマリーは原稿に対して貴重な意見を述べてくれた。二度の夏を越える時を共に過ごしてきた愉快で優秀な研究アシスタントチームの面々、ジョナサン・ベルッ(私たちのために二度の夏を耐えてくれたことに二重に感謝する)、レイチェル・ディザード、キャシー・フロンク、ハイジ・リュー、マシュー・ジョンソン、ブレット・レイノルズ、マシュー・トクソン、アダム・ウェルズに心から感謝する 。

本書はたくさんの同僚の力によって磨き上げられた。なかでもシュロモ・ベナルチ、エリザベス・イメンズ、ニック・エプリー、ダン・ギルバート、トム・ギロビッチ、ジョンサン・ガーヤン、ジャスティン・ヘイスティング ス、エリック・ジョンソン、クリスティン・ジョルス、ダニエル・カーネマン、ディーン・カーラン、エミール・カメニカ、デービッド・レオナルド、 マイケル・ルイス、ブリジット・マドリアン、フィル・メイキン、ケイド・マッシー、センディル・ムッライナタン、ドン・ノーマン、エリック・ポズナー、リチャード・ポズナー、デニス・リーガン、ラグ・ラジャン、トム・ ラッセル、ジェシー・シャピロ、エルダー・シャフィール、エドナー・ウルマン・マーガリット、エイドリアン・バーミュール、エリック・ワナー、エルケ・ウェバー、ローマン・ワイル、スーザン・ウッドワード、マリオン・ ローベルは、数々の洞察、示唆に加えて、友情と義務の領域を超えるナッジまで与えてくれた。

最も厳しく、最も思慮深い助言をしてくれたのが、フランス・ルクレールとマーサ・ナスバウムだった。フランス、マーサには、数えきれないほどの改良を加える手助けをしてくれたことに厚く感謝する。ビッキー・ドロッドはいつものようにあらゆる手助けをしてくれた。研究アシスタント全員が確実に報酬を受けとるようにしてくれたことにはみな感謝していた。有用な議論、忍耐、行動経済学に関するセンスと感興、温かい励ましを与えてくれたエリン・ルディックーサンスティーンにも感謝している。

五七番通りにあるレストラン、ヌードルズの全スタッフにも心から感謝の意を表したい。何年ものあいだ、私たちのために食事をつくり、私たちが本のプランを練り、議論するのに熱心に耳を傾けてくれた。来週またおじゃまする。
国際版に関しては、本書のアーキテクトとして欠かすことのできない存在であるジョン・バルツに改めて謝意を示したい。クリス・シー、ダン・マル ドゥーン、キアラ・モンティコーネ、アデール・ターナーにも感謝を捧げる。

リチャード・セイラー (著), キャス・サンスティーン (著), 遠藤 真美 (翻訳)
日経BP (2009/7/9)、出典:出版社HP

目次

謝辞
はじめに ● 「自由放任」でも「押しつけ」でもなく

第1部 ■ ヒューマンの世界とエコノの世界
第1章 ● バイアスと誤謬
第2章 ● 「誘惑」の先回りをする
第3章 ● 言動は群れに従う
第4章 ● ナッジはいつ必要なのか
第5章 ● 選択アーキテクチャー

第2部 ■ 個人における貯蓄、投資、借金
第6章 ● 意志力を問わない貯蓄戦略
第7章 ● オメデタ過ぎる投資法
第8章 ●借金市場」に油断は禁物

第3部 ■ 社会における医療、環境、婚姻制度
第9章 ● 社会保障制度の民営化―――ビュッフェ方式
第10章 ● 複雑きわまりない薬剤給付プログラム
第11章 ● 臓器提供者を増やす方法
第12章 ● われわれの地球を救え
第13章 ● 結婚を民営化する

第4部 ■ナッジの拡張と想定される異論
第14章 ●一二のミニナッジ
第15章 ● 異論に答えよう
第16章 ● 真の第三の道へ

あとがき ● ヒューマン投資家と二〇〇八年金融危機


参考文献

はじめに――「自由放任」でも「押しつけ」でもなく

■最良のカフェテリアとは
あなたの友人、キャロリンは大規模な公立学校給食サービスを統括する責任者である。何百もの学校を担当しており、何十万人という子どもたちが毎日キャロリンのカフェテリアで食事をする。キャロリンは栄養学の正規教育を受けていて(州立大学で修士号を取得している)、既成の枠にとらわれないやり方で物事を考えるのが好きな創造的なタイプの人間である。

ある日の夕方、キャロリンは友人のアダムとおいしいワインを飲んでいた。アダムは統計重視派の経営コンサルタントで、スーパーマーケット・チェーンを担当している。そのとき、二人は面白いアイデアを思いついた。カフェテリアのメニューはいっさい変えず、陳列の仕方や並べ方が子どもの選択に影響を与えるかどうか、学校で実験して確認してみるのである。キャロ リンは何十校ものカフェテリアの責任者に食品の陳列方法を具体的に指示した。デザートを最初に置いた学校もあれば、最後に置いた学校もあり、別のところに離して置いた学校まであった。食べ物を置く場所は学校ごとに変え、ある学校では目線の高さにフライドポテトを置き、別の学校ではニンジンスティックを置いた。

アダムにはスーパーマーケットのフロア計画を立案した経験があり、実験は劇的な結果を示すだろうと予測した。アダムの見立ては正しかった。カフェテリアの配列を変えるだけで、数多くの食品の消費量を最大で二五パーセ ントも増減できたのだ。キャロリンは大きな教訓を学んだ。生徒たちは大人と同じように、文脈のちょっとした変化に大きく影響されうるのである。そうした影響力は良い方向にも悪い方向にも使うことができる。キャロリンなら、体に良い食べ物の消費量を増やし、体に悪い食べ物の消費量を減らせる。

この実験には何百もの学校が協力し、大学院生のボランティアを募ってデータを収集・分析した。自分には子どもたちが食べるものを大きく左右する影響力があることを知ったキャロリンは、新しく見つけ出した力をどう使おうか思案しているところだ。キャロリンのもとには、日頃はまじめだが、たまにいたずら好きな一面をのぞかせる友人や同僚からいくつかの提案が寄せられている。

1 総合的に判断して、生徒たちにとって最善の利益になる食品を並べる。
2 食品を並べる順序をランダムに選ぶ。
3 子どもたちが自分で選ぶだろう食品を選べるように並べる。
4 最高額の賄賂を差しだす供給会社から調達する食品の売上高を最大化する。
5 儲けを最大化することに徹する。

1は誰の目にも魅力的に映るが、押しつけのような感じがしなくもない。パターナリズム的でさえある。しかし、それ以外の選択肢はもっと悪い!

食べ物をランダムに並べる2は、公正で筋が通っているように思われるかもしれない。ある意味では中立的でもある。だが、食品を並べる順序をすべての学校に対してランダムに決めると、一部の学校の生徒はほかの学校の生徒よりも健康に良い食べ物を食べられなくなってしまう。これは望ましいといえるだろうか。キャロリンは健康を増進するという点で大半の生徒の効用を容易に高められるのだとしたら、その種の中立性を選ぶべきなのだろうか。

3は押しつけを避ける賞賛すべき取り組みのように見えるかもしれない。子どもが自分で選ぶだろう食品を並べるようにするのである。それは真に中立的な選択であるかもしれないし、キャロリンは人々の望みを(少なくとも 高学年の生徒を相手にする場合には)中立的な立場でかなえるべきなのかもしれない。しかし少し考えれば、この選択肢を実行するのは難しいことがわかる。アダムの実験で、子どもたちの選択は食べ物の陳列順序に左右されることが実証されている。そうだとすると、子どもたちの真の選好とはどのようなものになるのだろう。キャロリンは生徒が自分たちで、選ぶだろうものを把握しなければならないのだろうか。カフェテリアでは食品をなんらかの形で系統立てて並べなければいけない。

4はキャロリンと取引する悪徳業者には魅力的に映るかもしれず、影響力を行使する手段を格納する兵器庫に「食品の並べ方を操作する」という武器がまた一つ加わることになるだろう。だが、キャロリンは高潔で誠実な人物であり、この選択肢は切り捨てる。2、3と同じく、5もなかなか魅力的である。最高のカフェテリアとは最高に儲かるカフェテリアだ、とキャロリン が考えているならなおさらだ。しかし、そのために子どもたちの健康が脅かされるのだとしたら、キャロリンは儲けを最大化することを追求するべきなのだろうか。キャロリンはほかでもない学区のために働いているのだ。

キャロリンは「選択アーキテクト (設計者)」である。選択アーキテクトは人々が意思決定する文脈を体系化して整理する責任を負う。キャロリンは 想像上の人物だが、現実の世界でも実は選択アーキテクトだという人はたくさんおり、そうとは気づいていないケースがほとんどだ。有権者がどの候補者に投票するかを選ぶ際に使う投票用紙をデザインする人は選択アーキテクトである。患者が利用できる治療方法の選択肢を提示しなければならない医師も選択アーキテクトである。新しい社員が会社の医療制度に加入する際に記入する書類をつくる人だって選択アーキテクトである。自分の子どもに考えられる教育の選択肢を示す親も選択アーキテクトだ。セールス担当者も選択アーキテクトなのである(改めて言うまでもないことだが)。

従来からある建築と選択アーキテクチャーには類似点がいくつもある。きわめて重要な類似点は、「中立的」な設計などないということだ。新しい大学の校舎を設計する仕事を考えてみよう。設計者にはいくつかの要件が与えられる。新校舎には一二〇の研究室、八つの教室、一二の学生集会室などがなければならない。校舎は決められた場所に建てなければならないー。

それ以外にも、法律の問題、美観の問題、実用上の問題など、何百という制限がある。設計者は最後にはドアと階段と窓と廊下のある現実の建物をつくらなければならない。優秀な設計者なら知っているように、トイレをどこにつくるかという、これといった根拠がなさそうな意思決定が、校舎を使う人々がどのように相互交流するかに微妙な影響を与える。トイレに行くたびに同僚に偶然出会う機会が生まれるからだ(良い意味でも、悪い意味でもだが)。良い建物は魅力的なだけではない。「機能」も備えている。

後で明らかになるように、なんでもなさそうな小さな要素が人々の行動に大きなインパクトを与えることがある。そのため、「あらゆることが重要な意味をもつ」という想定をおくことが優れた経験則になる。利用者の注意をある特定の方向に向かせると細部が力をもつようになるケースは多い。この原理を示す秀逸な例に、アムステルダム・スキポール空港の男性用トイレがある。空港の小便器には黒いハエの絵が描かれている。男というものは用を足すときにはどうも注意が散漫になるようで、周囲を少しばかり汚してしまいがちだが、目標があると注意力が格段に高まり、精度も大幅に向上する。

発案者の話では、このアイデアは目覚ましい成果を上げているという。「これがあると狙いを定めやすくなります。男はハエを見つけると、それを狙い たくなるものなのです」と、アード・キーボームは語る。キーボームは経済 学者で、スキポール空港の施設拡張計画を統括している。スタッフがハエ実 験を行った結果、ハエマークの効果で飛沫の汚れが八〇パーセントも減ることが明らかになった注1。

「あらゆることが重要な意味をもつ」という洞察は、機能を麻痺させるものにも、力を与えるものにもなる。優れた設計者は、完璧なビルを建てることはできないが、有益な効果をもたらす設計選択はできると考える。例えば、吹き抜け空間を取り入れれば職場内の交流が促されるだろうし、人々が頻繁に行き来するようにもなるだろう。どちらも望ましいことだといえる。そして、ビルの設計者が最後には特定のビルを建てなければならないのとまったく同じように、キャロリンのような選択の設計者、つまり「選択アーキテクト」は給食の食品の選択肢を並べる特定の順序を選ばなければならない。キャロリンはそれをどう選択するかによって、人がなにを食べるかに影響を与えることができる。キャロリンはナッジ”できるのである。

■リバタリアン・パターナリズム
総合的に判断すると、キャロリンは子どもが自分たちにとってより良い食品を選ぶようにナッジする機会を利用するべきであり、1の選択肢を選ぶべきだ――。そう思われたのなら、われわれが提唱する新しい潮流「リバタリアン・パターナリズム」の世界にようこそと申し上げたい。この言葉は読者の心を引きつけるようなものではないことは重々承知している。

「リバタリアン」も「パターナリズム」も少し嫌悪感をもよおさせるところがあり、大衆文化や政治の固定観念が重くのしかかって、多くの人には魅力に欠けるものになっている。しかも、この概念は矛盾しているように感じられる。どうして悪く言われている相反する二つの概念を組み合わせるのだろう。正しく理解されれば、リバタリアンもパターナリズムも常識的な考え方であり、別々に見るよりも組み合わせたほうがはるかに魅力的になる。

問題は、それぞれの言葉が教条主義者たちのもつ強固なイメージのなかにとらわれてしまっていることだ。「人は一般に自分がしたいと思うことをして、望ましくない取り決めを拒否したいのなら、オプト・アウト(拒絶の選択)する自由を与えられるべきである」――。このストレートな主張がわれわれの戦略のリバタリアン的な側面である。リバタリアン・パターナリストは、故ミルトン・フリードマンの言葉を借りるなら、人は「選択の自由」をもつべきだと強く訴える注2。われわれは選択の自由を維持したり、高めたりする政策を設計しようと懸命に努力している。

「パターナリズム」という言葉の意味を限定するために「リバタリアン」という言葉を使うときには、自由を維持していることを意味するにすぎない。そして、「自由を維持する」と言うときには、まさにその言葉通りのことを言っているのである。リバタリアン・パターナリストは人々 が思い通りに行動できるようにしたいと考えているのであって、自由を行使 したいと思っている人に重い負担をかけようとは考えていない。

「人々がより長生きし、より健康で、より良い暮らしを送れるようにするために、選択アーキテクトが人々の行動に影響を与えようとするのは当然であ る」―。これがわれわれの戦略のパターナリズム的な側面である。言い換 えると、われわれは、民間部門の組織だけでなく、政府も自覚的な取り組み を進めて、人々が自分たちの暮らしが良くなるような選択をするように誘導するべきだと主張しているのである。

われわれの理解によるなら、選択者が自分自身で判断して自らの効用を高めるような選択に影響を与えようとするのであれば、その政策は「パターナリズム的」である注3。個人は様々なケースで、もし十分な注意を払い、完璧な情報をもち、非常に高い認識能力を備え、自制心を完璧に働かせていたなら、しなかっただろうと思われるような間違った意思決定をする。本書では、社会科学の分野で確立されている知見を活用して、それを示していく。

リバタリアン・パターナリズムは相対的に弱く、ソフトで、押しつけ的ではない形のパターナリズムである。選択の自由が妨げられているわけでも、選択肢が制限されているわけでも、選択が大きな負担になるわけでもない。タバコを吸いたいとか、キャンディーをたくさん食べたいとか、続けられないような医療保険プランを選びたいとか、老後の資金を貯められなくてもかまわないとかいう人がいても、リバタリアン・パターナリストはそうしないように強制することはないし、そうしづらくすることさえしない。それでもわれわれが勧めるアプローチはパターナリズムの一種とみなされる。

民間部門や公的部門の選択アーキテクトは、ただ単に人々がどのような選択をするかを突きとめたり、予測される選択を実行させようとしたりしようとしているのではない。人々をより良い生活が送れる方向に進ませるように自覚的に取り組んでいるのである。選択アーキテクトはナッジしているのだ。

われわれの言う「ナッジ」は、選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素を意味する。純粋なナッジとみなすには、介入を低コストで容易に避けられなければいけない。ナッジは命令ではない。

果物を目の高さに置くことはナッジであり、ジャンクフードを禁止することはナッジではない。われわれが勧める政策は、政府のナッジがあるかないかに関係なく、民間部門で実行できるものが多く、実際に実行されている。例えば雇用主はこの本で論じる様々な事例の重要な選択アーキテクトである。医療保険プランや退職貯蓄プランに関する分野では、雇用主は従業員に有用なナッジを与えることができるだろう。儲けながら良いことをしたい民間企業であれば、環境ナッジを与え、大気汚染(そして温室効果ガスの排出量)を減らす後押しをして、利益を上げることだってできる。しかし後で明らかになるように、民間企業のリバタリアン・パターナリズムを正当化する論理は政府にもそのまま当てはまる。

■われわれ「ヒューマン」と完璧な経済人「エコノ」
パターナリズムを認めない人はたいていこう主張する。人間は高い選択能力をもっていて、すばらしい選択はしていないとしても、ほかの誰かがするであろう選択よりも良い選択をしていることは間違いない、その誰かが政府 の人間である場合は特にそうだ――。経済学を学んだことがあるかどうかに 関係なく、「私たちの誰もが間違うことなく適切に考えて選択しており、経済学者が示す教科書的な人間モデルに合致する」という「ホモ・エコノミクス」(経済人)の仮定に、少なくとも暗黙のうちに与している人は多いように思われる。

経済学の教科書を見ると、ホモ・エコノミクスはアルベルト・アインシュタインのように考えることができ、IBMのスーパーコンピューター「ブルージーン」と肩を並べる記憶容量を備え、マハトマ・ガンディー並みに強い意志をもっていることがわかる。本当にそうなのだ。しかし市井の人々はそうではない。現実の人間は電卓がなければ長い割り算に悪戦苦闘するし、配偶者の誕生日を忘れることもあるし、二日酔いで新年を迎えたりもする。こんな人はホモ・エコノミクスではない。ホモ・サピエンスである。ラテン語 の使用を最小限にするため、これから先はこの想像上の種を「エコノ」、実在する種を「ヒューマン」と呼ぶことにする。

肥満の問題を考えてみよう。アメリカの肥満率はいまや二〇パーセントに達しつつあり、アメリカ国民の六割以上が肥満か太り過ぎだと考えられている。世界全体では太り過ぎの成人は約一○億人いて、そのうち三億人は肥満である。肥満率は、日本、中国、一部のアフリカ諸国の五パーセント未満から、サモアの都市部の七五パーセント超まで幅がある。世界保健機関(WH 0)によると、北アメリカ、イギリス、東ヨーロッパ、中東、太平洋諸島、オーストラリア、中国の一部の地域では一九八〇年以降、肥満率が三倍になっている。

肥満が心臓病や糖尿病のリスクを高め、早死にする確率が高いことを示す証拠は数えきれないほどある。これでは誰もが適切な食事(いくつかのナッジを与えることによって生みだされるであろう結果よりも望ましい食事)を選んでいるとはとてもいえない。もちろん、良識ある人々は健康だけでなく、味にも注意を払っている。食べることはもともとそれ自体が快楽の源泉である。われわれは太り過ぎの人はみんな合理的に行動していないと主張しているのではない。すべてのアメリカ人、あるいはほとんどすべてのアメリカ人は食品を最適に選んでいるという主張を退けているのである。

食事に当てはまることは、喫煙や飲酒など のリスクを伴う行動にも当てはまる。喫煙や飲酒が原因で毎年五〇万人以上が早死にしている。食事、喫煙、飲酒については、人々の現時点での選択がそれぞれの幸福を増進する最高の手段になっているとはいいがたい。実際、多くの喫煙者、飲酒者、過食者が第三者にお金を払って、より良い選択ができるように手助けしてもらっている。

これに対して、本書では新たに台頭しつつある選択の科学が基本的な情報源になっている。選択の科学は過去四〇年間の社会科学者による綿密な調査を基礎としている。こうした研究によって、人々が行う様々な判断や意思決定の合理性に対して、重大な疑問が投げかけられている。エコノとみなされるには完璧な予測をする必要はない(それには全知が求められる)。必要なのはバイアスのない予測をすることだ。

つまり、エコノは予測を誤る可能性はあるが、予測可能な方向性を系統的に誤る可能性はない。エコノと違ってヒューマンは誤りを犯す。この点を「計画錯誤」を例に説明しよう。計画錯誤とは、計画を実行するのに必要な時間を過度に楽観的に見積もってしまう体系的な傾向を指す。請負業者を雇った際、計画錯誤について知っていたのに、すべてにおいて考えている以上に時間がかかってしまったという経験のある人なら、こう聞いても少しも驚かないだろう。

何百という研究によって、人間の予測には欠陥があり、バイアスがかかっていることが確認されている。人間の意思決定もそんなにたいしたことはない。ここでも一つだけ例を挙げて、「現状維持バイアス」と呼ばれる傾向を考えてみよう。現状維持バイアスとは「惰性」のしゃれた言い方である。人はいくつもの理由から現状維持やデフォルト(選択者がなにもしなかったら選ぶことになる初期設定)の選択肢に従う強い傾向を示す(この問題については後で検討する)。

例えば、新しい携帯電話を買うときには一連の選択をする。携帯電話の機能が高まれば高まるほど、背景画面からの呼び出し音、電話をかけてきた相手にボイスメールを送る呼び出し音の回数まで、突きつけられる選択肢は増える。メーカー側はこうした選択ごとに一つの選択肢をデフォルトとして設定している。デフォルトの選択肢がどのようなものであるかに関係なく、大勢の人がデフォルトに固執することを示す調査がある。着信音の選択よりずっと利害の大きい重要な選択のときでもそうするのだ。この研究から二つの重要な教訓を導き出せる。一つは「決して惰性の力をあなどってはならない」、もう一つは「その力は利用できる」――である。

民間企業や政府当局がある政策のほうがより良い結果を生みだすと考えている場合には、それをデフォルトに選べば結果に大きな影響を与えることができる。後で示すように、デフォルト・オプションを設定するなど、一見するとなんでもないようなメニュー変更戦略は、「貯蓄が増える」「医療が向上する」「患者の命を救う移植手術に臓器が提供されるようになる」といった 非常に大きな影響を生みだすことがある。

デフォルト・オプションをうまく設定すると大きな効果が生まれるが、これはナッジが緩やかな力をもっていることを示す事例の一つにすぎない。われわれの定義に従えば、「ナッジ」とは、エコノには無視されるものの、ヒューマンの行動は大きく変えるあらゆる要素を意味する。エコノは主にインセンティブに反応する。政府がキャンディーに課税すると、エコノはキャンディーを買う量を減らすが、選択肢を並べる順番のような「関係のない」要因には影響されない。ヒューマンもインセンティブに反応するが、ナッジにも影響される*。インセンティブとナッジを適切に配置することによって、人々の生活を向上させる能力が高まり、社会の重大な問題の多くを解決できるようになる。しかも、すべての人の選択の自由を強く主張しながらそうできる。

*鋭い読者ならインセンティブの形が変わる可能性があることに気づくだろう。果物を目の高さに置き、キャンディーをもっとわかりにくい場所に置くなど、人々の認知努力を増やす方法がとられると、キャンディーを選択する「コスト」は高まるといえるかもしれない。われわれが提案するナッジのなかには、ある意味で認知コスト(物質的コストではない)を課し、その意味ではインセンティブを変えるものがある。いかなるコストも低い場合にのみ、ナッジはナッジとみなされ、リバタリアン・パターナリズムと認められる。

本文の注が登場したところで、本書の注と参考文献一覧に関するアーキテクチャーに少し触れておきたい。読む価値があると思われる注は、見つけやすいように*記号をつけて本文の近くに置いている。注は最小限に抑えた。番号がついた注のほうは巻末に基礎資料に関する情報として記載しており、この部分については学究肌の読者以外は読みとばしていただいてかまわない。本文のなかで引用した文献の著者に言及するときには、「スミス (Smith [1982])」のように年号を括弧書きで記して、後注に当たらなくても参考文献一覧で直接調べられるようになっていることもある。

■一つの誤った前提と二つの誤解
選択の自由を支持する多くの人々はパターナリズムをいっさい拒絶し、政府が市民に自分の意思で選択させるようにすることを望む。こうした考え方に基づくなら、できるかぎり多くの選択肢を与えて、最も気に入った選択肢を選ばせるようにすることが標準的な政策提言になる。政府の介入やナッジはできるかぎり少なくする。この考え方の長所は、複雑に入り組んだ様々な問題にシンプルな解が提示されることだ。

「選択肢(の数と種類)を最大化しろ、以上!」である。この政策は教育から処方薬保険プランまで様々な領域で推進されている。「選択肢の最大化」が政策の呪文になっている分野もある。この呪文に対する唯一の代替策は「画一的アプローチ」と揶揄される政府命令だとされるときがある。「選択肢の最大化」を支持する人は、自分たちの方針と一律的な命令とのあいだに大きな余地が残されていることに気づいていない。パターナリズムに反対するか反対派を自認し、ナッジに疑いの目を向ける。そんな疑念は、一つの誤った前提と二つの誤解から生じていると考えられる。

誤った前提とは、「ほとんどすべての人が、ほとんどすべての場合に、自分たちの最大の利益になる選択をしているか、最低でも第三者がするより良い選択ができる」というものである。この前提はどう見ても間違っている。実際、よくよく考えた上でこの前提を信じる人などいないだろう。

チェスの初心者が経験豊富なプレーヤーと対戦すると仮定してみよう。初心者はまさに「選択能力に劣る」という理由で負けることは予測がつく。役に立つヒントがあれば、選択能力はすぐに高まるだろう。多くの分野で一般消費者は初心者であり、そこにモノを売り込もうとする経験豊富なプロが住む世界でやりとりしている。

もっと一般的な話をすると、どれだけ上手に選択するかは経験に左右され、答えは領域によって違うものになる公算が大きい。人は自分が経験をもち、十分な情報があり、即座にフィードバックを得られる文脈では適切な選択をするといってよい。一例がアイスクリームの味の選択である。人は自分がチョコレートやバニラ、コーヒー、甘草などが好 きかどうかわかっている。

ところが、経験がなく、情報が多くなく、フィードバックが遅かったり少なかったりする文脈になると、うまく判断できなくなる。果物かアイスクリームのどちらかを選ぶケース(長期的な効果が表れるまでに時間がかかり、フィードバックが乏しい)や、治療方法や投資の選択肢を選ぶケースがそうだ。多種多様で様々な特徴をもつ五○種類の処方薬プランを提示される場合には、ちょっとした手助けがあると役に立つだろう。

人は完璧な選択をしていないのだとすると、選択アーキテクチャーを少 し変えれば、人々の生活は(官僚の選好ではなく、人々の選好を基準に判断して)より良いものになる可能性がある。これから明らかにしていくように、人々の効用を高める選択アーキテクチャーを設計するのは可能なだけではない。多くの場合、簡単にできる。

一つ目の誤解は、「人々の選択に影響を与えないようにすることは可能である」というものだ。様々な状況で組織や行為者がほかの人々の行動に影響を及ぼす選択をしなければならない場合がある。そうした状況では、なんら かの方向にナッジすることは避けられず、意図的かどうかに関係なく、ナッジは人々の選択に影響を与える。キャロリンのカフェテリアが例証しているように、人の選択は選択アーキテクトが選ぶ設計要素に全面的に影響される。もちろん、知らず知らずにナッジしている場合があることは事実である。

雇用主が従業員に月一回給与を支払うか、隔週にするかどうかを、ナッジを与えるという意図をいっさいもたずに決めるとする。ところが、隔週で給与をもらうと、給与を三回もらえる月が年二回あるため、貯蓄が予想外に増える、といったケースがそうだ。また、民間組織や公的組織が、無作為に選ぶ、大半の人がなにを望んでいるか把握しようとするといった形で、なんらかの中立性を確保しようと尽力することがあるのも事実である。しかし、意図せぬナッジが大きな影響を与えることがあり、そうした中立性に魅力がない文脈もある。本書にはそんな事例がたくさんでてくる。

民間組織についてはこの点を進んで受け入れても、人々の生活を向上させる目的で選択に影響を与える政府の取り組みには猛反対する人もいる。そうした人は、政府は能力が高いわけでも、慈悲深いわけでもない、選挙で選ばれた公職者や官僚は自己の利益を第一に考えたり、利己的な民間団体の偏狭な要求に注意を向けたりするかもしれないと恐れているのだ。われわれもそう危惧している。政府が間違いを犯し、バイアスをかけ、行き過ぎてしまうリスクは現実にあり、ときに深刻であるという点には強く同意する。

われわれが命令や要求、禁止よりもナッジを支持するのはそれが一因である。しかし、カフェテリアと同じように、政府はなんらかの起点を示さなければならない(政府がカフェテリアを運営していることもよくある)。これは避けられない。本書で強く主張していくように、政府は自ら定めたルールを通じて日々そうしており、結果的に選択や結果に影響を与えている。この点で、ナッジに反対するのはまったく無意味である。

二つ目の誤解は、「パターナリズムには常に強制が伴う」というものだ。先のカフェテリアの例では、食品を並べる順序を選んでも誰にも特定の食品を食べるように強制することはないが、キャロリンのような立場にある人は、われわれが言う意味でのパターナリズム的な見地から、食品の並べ方を選ぶかもしれない。小学校のカフェテリアでデザートの前に果物やサラダを置き、結果的に子どもたちがリンゴを食べる量を増やして、スナック菓子を食べる量を減らすように誘導したとしても、誰がそれに異議を唱えるだろう。この問題は、顧客が一○代の少年少女、さらには大人だと根本的に違ってくるのだろうか。

このパターナリズムは強制をいっさい伴わないため、ある種のパターナリズムは選択の自由を強く信奉している人にも受け入れられるはずだと思われる。本書では、貯蓄、臓器提供、結婚、医療などの様々な領域で、われわれの基本的なアプローチに沿って具体的な提案をしていく。選択の自由を尊重すると強く主張することで、不適切な設計や、さらには不正が横行するような 設計が行われるリスクを減らせるだろう。選択の自由は、ずさんな選択アーキテクチャーが構築されるのを防ぐ最高の安全装置になる。

■選択アーキテクチャーの実例
選択アーキテクトは、利用者に優しい環境を設計することによって、人々の生活を目覚ましく向上させられる。繁栄している企業の多くは、まさにそうすることで人々を助けたり、市場で成功したりしている。選択アーキテクチャーがはっきりと目に見え、それによって消費者や雇用主が大きな満足を得るときもある(iPodやiPhoneはその好例である。スタイルがエレガントであるだけでなく、ユーザーは自分の思い通りのことが簡単にできる)。

また、選択アーキテクチャーが当たり前のものとされていて、注意深く見るとわかるようなケースもある。われわれ自身の雇用主、シカゴ大学の実例を考えてみよう。大規模な雇用主の例にもれず、シカゴ大学は毎年一一月、健康保険や退職貯蓄などの給付に関する選択を変えることができる「一般登録」期間を設けている。選択は オンラインで行わなければならない (インターネットにアクセスする手段をもたない人は公開端末を利用できる)。従業員には選択肢とログオン方法を説明する資料が郵送されるほか、紙と電子メールの備忘録も送られる。

従業員は人間の常として、なかにはログオンするのをうっかり忘れてしまう人もいる。そのため、多忙で忘れっぽい従業員のためにデフォルトの選択肢をどのようなものにするかを決めることが非常に重要になる。話を簡単にするために、検討されている選択肢が二つあると仮定しよう。能動的に選択をしていない人については「前年と同じ選択が継続されるものとする」か、 「選択を『ゼロ』に戻すものとする」か、である。従業員のジャネットは前の年に退職貯蓄プランに一○○○ドルを拠出したとしよう。

ジャネットが新年度の拠出金を能動的に選択しない場合には、新年度の拠出金は一○○○ド ルか○ドルかのどちらかに設定される。前者を「現状維持」オプション、後者を「ゼロ設定」オプションと呼ぶことにする。選択アーキテクトはこの二つのデフォルトをどう選ぶべきなのだろうか。

リバタリアン・パターナリストなら、ジャネットのような思慮深い従業員に本当はどうしたいのか聞いてデフォルトを設定しようとするだろう。この方法だと必ずしも最適な選択ができるとはかぎらないが、デフォルトをランダムに選んだり、「現状維持」か「ゼロ設定」かを一律に選ぶよりも良いことは間違いない。例えば、従業員のほとんどは高額の補助が出されている健康保険をキャンセルしたいとはまず思わないだろう。そのため、健康保険については現状維持デフォルト(前年と同じプラン)のほうがゼロ設定デフォルト(健康保険なしでやっていくことになる)よりも強く選好されるのではないか。

これを従業員の「フレキシブル支出口座」と比較してみよう。フレキシブル支出口座は、従業員が毎月、給与天引で自己負担の医療費や保育費などの費用を貯めておく制度である。この口座に入れたお金はその年に使わないと失効するが、必要な金額は年によって大きく変わるかもしれない(例えば子どもが学校に入ると保育費は減る)。このケースでは、現状維持デフォルト よりもゼロ設定デフォルトのほうがおそらく理にかなう。

これは単なる仮定上の問題ではない。われわれは以前、シカゴ大学の三人 の事務部門の幹部職員と会って、同じような問題について話し合ったことがある。その日はたまたま、従業員の一般登録期間の最終日だった。われわれはそれを指摘し、三人に締め切りを守ることを覚えていたかどうか質問した。一人はその日中に処理するつもりだったと答え、今日が締め切り日だと思い出させてくれたことに感謝していた。

もう一人はすっかり忘れていたことを認め、残る一人は妻が忘れずにそうしてくれただろうと言ったのだ!その後、補助的な給与天引プログラム(節税対策となる貯蓄制度)のデフォルトをどのようなものにするべきかという問題に話題を移した。それまでのデフォルトは「ゼロ設定」オプションだった。しかし、この制度はいつでも利用を中止することができたため、「前年と同じ」現状維持オプションに切り替えたほうがいいだろうという点で意見が一致した。これで大勢の忘れっぽい教授たちは、間違いなくより快適な老後を過ごせるようになるだろう。

この例は良い選択アーキテクチャーの基本原則を示している。選択者は人間なので、制度設計者はできるだけ問題が起こらないようにしなければならない。備忘録を送り、あなた(あるいは本人たち)としては最善を尽くしているにもかかわらず、ぼんやりやりすごしてしまったことに対するコストが最小限になるようにする。後で明らかになるように、こうした原則(これ以外にもたくさんある)は民間部門にも公的部門にも適用でき、現在のシステムを改良する余地は大いにある。

■より望ましい社会への新たな道
民間のナッジについて言いたいことはたくさんある。しかし、リバタリアン・パターナリズムのきわめて重要な応用例の多くは政府に関連しており、 本書では公共政策や法律に関す様々な提言をしていく。本書の提言は左右両派の政治家の注目を集めると期待される。実際、リバタリアン・パターナ リズムが提唱する政策は保守派にもリベラル派にも受け入れられるだろう。一部は既にイギリス保守党党首、デービッド・キャメロンや、アメリカのバラク・オバマ新大統領に支持されている。こうした政策の多くはコストがきわめて低く、納税者には負担がかからない。

多くの共和党議員は政府の行動にただ反対するだけでなく、その先を見すえ始めている。ハリケーン「カトリーナ」の経験が示しているように、政府はしばしば行動を起こすように求められる。必要な資源をかき集め、整理し、配置するにはそれ以外に方法がない。共和党議員は人々の生活をより良いものにしたいと考えている。共和党議員は選択肢をなくすことに懐疑的なだけであり、それにも正当な理由がある。一方、多くの民主党議員は野心的な政府計画を打ちだそうとする強硬な姿勢を転換しつつある。良識的な民主党議員が公的制度によって人々の生活を良くすることができると信じているのは確かだ。しかし、様々な領域で、選択の自由は善であり、公共政策に不可欠な基盤であるとさえ認めるようになっている。これは党派の垣根を超える真の基盤になる。リバタリアン・パターナリズムは共和、民主両党の協調路線を実現する礎になると期待される。

本書では、環境保護や家族法など、様々な領域で統治能力を高めるには、政府による強制や制約を減らし、選択の自由を増やす必要があることを論じていく。インセンティブとナッジが要求と禁止にとって代われば、政府は小さくなると同時に、より穏当になるだろう。ここで要点を明確にしておこう。われわれはより大きな政府を求めているのではない。より良い統治を求めているだけである。

実際に、われわれの楽観的なシナリオ(バイアスがかかっているかもしれないことは認める)は単なる夢物語ではないことを示す証拠がある。第6章 で論じる貯蓄に関するリバタリアン・パターナリズムは、ロバート・ベネット(ユタ州選出)、リック・サントラム(ペンシルベニア州選出)などの保守派の共和党上院現職議員・元議員、リベラル派のラム・エマニュエル民主 党議員(イリノイ州選出)をはじめ、議会で超党派の熱烈な支持を幅広く集めている。

二〇〇六年にはいくつかの主要なアイデアが平穏無事に立法化された。新法は数多くのアメリカ国民がより快適な老後を送る手助けになるとみられるが、納税者のコスト負担はないに等しい。要するに、リバタリアン・パターナリズムは右でも左でもなく、民主党寄りでも共和党寄りでもない。様々な分野で、非常に思慮深い民主党議員は選択を排除するプログラムを推進しようとする強硬路線を超えようとしており、同様にとても思慮深い共和党議員は建設的な政府の取り組みにやみくもに反対することをやめるようになっている。民主、共和両党が路線の対立を乗り越えて歩み寄り、緩やかなナッジを支持するようになることを願っている。

リチャード・セイラー (著), キャス・サンスティーン (著), 遠藤 真美 (翻訳)
日経BP (2009/7/9)、出典:出版社HP

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