行動経済学の逆襲

行動経済学を知る6冊 – 入門・基本から最先端・応用まで –も確認する

目次 – 行動経済学の逆襲

まえがき
第1部 エコンの経済学に疑問を抱く1970~78年
第1章 経済学にとって“無関係”なこと
第2章 観戦チケットと保有効果
第3章 黒板の「おかしな行動リスト」
第4章 カーネマンの「価値理論」という衝撃
第5章 “神”を追いかけて西海岸へ
第6章 大御所たちから受けた「棒打ち刑」

第2部 メンタル・アカウンティングで行動を読み解く1979~85年
第7章 お得感とぼったくり感
第8章 サンクコストは無視できない
第9章 お金にラベルはつけられない?
第10章 勝っているときの心理、負けているときの心理

第3部 セルフコントロール問題に取り組む1975~88年
第11章 いま消費するか、後で消費するか
第12章 自分の中にいる「計画者」と「実行者」
幕間
第13章 行動経済学とビジネス戦略

第4部 カーネマンの研究室に入り浸る 1984~85年
第14章 何を「公正」と感じるか
第15章 不公正な人は罰したい
第16章 マグカップの「インスタント保有効果」

第5部 経済学者と闘う 1986~94年
第17章 論争の幕開け
第18章 アノマリーを連載する
第19章 最強チームの結成
第20章 「狭いフレーミング」は損になる

第6部 効率的市場仮説に抗う 1983~2003年
第21章 市場に勝つことはできない?
第22章 株式市場は過剰反応を起こす
第23章 勝ち組のほうが負け組よりリスクが高い
第24章 価格は正しくない!
第25章 一物一価のウソ
第26章 市場は足し算と引き算ができない

第7部 シカゴ大学に赴任する 1995年~現在
第27章 「法と経済学」に挑む
第28章 研究室を「公正」に割り振る
第29章 ドラフト指名の不合理
第30章 ゲーム番組出場者の「おかしな行動」

第8部 意思決定をナッジする2004年~現在
第31章 貯蓄を促す仕掛け
第32章 予測可能なエラーを減らす
第33章 行動科学とイギリス気鋭の政治家たち 終 章 今後の経済学に期待すること

謝辞
図表の出典
参考文献
原注

「政治経済の基礎、そして社会科学全般の基礎は、まぎれもなく心理学にある。社会科学の法則を心理学の原理から演繹できるようになる日が、いつかきっと来るだろう」
ヴィルフレド・パレート(1906年(1))

リチャード・セイラー (著) , Richard H. Thaler (その他), 遠藤 真美 (翻訳)
早川書房 (2016/7/22)、出典:出版社HP

まえがき

本論に入る前に、私の友人であり、メンターであるエイモス・トヴェルスキーとダニエル・カーネマンについて、少し話をさせてほしい。この2つのストーリーを読めば、本書でこれからどんなことが語られるのか、多少なりとも感じとることができるだろう。

エイモス・テスト
いつも鍵をどこに置いたか忘れてしまうような人にも、人生で忘れられない瞬間がある。その中には社会の出来事もある。私と同じくらいの年の人であれば、ジョン・F・ケネディが暗殺された日がそうだろう(当時、私は大学1年生で、大学の体育館で友人とバスケットボールに興じていたときにそのニュースを知った)。この本を読むような年齢の人だったら、2001年9月1日の同時多発テロもそうだ(そのとき私は寝起きの頭で、公共ラジオ局NPRから流れてくるニュースを聞きながら、何が起きたのか把握しようとしていた)。

そしてまた、個人的な出来事もある。結婚もあれば、ホールインワンもあるが、私にとっては、ダニエル・カーネマンからかかってきた1本の電話がそうだ。私たちはことあるごとに話をしているし、電話はそれこそ何百回もしていて、もはや記憶の欠片もないが、この電話に関しては、どこで受けたか、はっきりと覚えている。それは1996年初めのことだった。ダニエルから、彼の友人で、共同研究者であるエイモス・トヴェルスキーが末期がんを患い、残された時間は約半年だと知らされた。私は愕然とし、受話器を妻に預けて、気持ちを落ち着かせた。親しい友が余命わずかであると知れば誰だってショックを受ける。だが、エイモス・トヴェルスキーは、18歳で死ぬような人間ではけっしてなかった。論文も発言も的確かつ完璧で、机の上には紙とエンピツだけが、きちんと並んで置かれていた。そんなエイモスは、最期までエイモスであり続けた。

エイモスは研究室に通えなくなるまで、病気のことは周囲に伏せたままにしていた。病状はごく一部の人にしか伝えられず、その中に私の親しい友人が2人いた。このことを配偶者以外に話すのは許されなかったため、エイモスの病状が公表されるまでの5カ月の間、事情を知る者同士で慰め合った。エイモスが自分の病気のことを公表するのを望まなかったのは、残された月日を死にゆく者として生きたくなかったからだった。彼にはやるべきことがあった。エイモスとダニエルは、判断と意思決定の研究という、2人が切り拓いた心理学の分野に関する多くの著者の論考をまとめた論文集を、2人の共編著で刊行することを決めた。そして2人は、この本に『選択、価値、フレーム」というタイトルをつけた。エイモスは残された時間を、自分の愛してやまないことに使おうとした。仕事をすること、家族と過ごすこと、そして、バスケットボールを観戦することだ。この間、エイモスは病気の見舞いは断ったが、「仕事」での訪問は受け入れたので、エイモスが亡くなる6週間前、私は、共同執筆していた論文を完成させたい、と見え透いた理由をつけて、彼に会いに行った。しばらく論文の話をした後、NBA(北米プロバスケットボールリーグ)のプレーオフを観た。

エイモスは、人生のほとんどすべての側面において賢明であり、病気との向き合い方でもそうだった。自分の予後についてスタンフォード大学の専門家と話し合った後、意味のない治療を続けても、ひどい副作用に苦しむばかりで、寿命がせいぜい数週間長くなるだけであり、残された時間を治療に費やすのはもったいないと考えた。エイモスの鋭いウィットは最期まで健在だった。主治医であるがん専門医には、がんはゼロサムゲームではないと説いている。「がんにとって悪いことが、私にとっていいことだとは限りません」。ある日、私はエイモスに電話をかけて、体の具合はどうですかと尋ねた。するとこんな答えが返ってきた。「じつにおもしろいよ。インフルエンザになったときはいまにも死にそうに感じるのに、もうすぐ死ぬとなると、とても元気に感じるんだ」

エイモスは6月に帰らぬ人となり、家族とともに暮らしていたカリフォルニア州パロアルトで葬儀が営まれた。エイモスの息子のオーレンは参列者に短い挨拶の言葉を述べ、エイモスが最後に記した言葉を紹介した。

この何日かで、子どもたちに逸話や物語を伝えられたのではないか。少なくともしばらくの間は、それを記憶に刻んでおいてほしい。歴史や知恵を次の世代に伝えるときには、講義や歴史書を通じてではなく、逸話や笑い話、気の利いたジョークを通じて伝えるというのが、長く息づくユダヤの伝統だろうから。

葬儀が終わると、残された家族はユダヤの伝統にのっとって「シヴァ」と呼ばれる7日間の喪に服し、自宅に弔問客を招き入れて、故人の想い出を語り合った。それは日曜日の午後のことだった。やがて何人かがテレビのある部屋に移動していった。NBAプレーオフの結果を確認するためだ。私たちは少し後ろめたさを感じたのだが、エイモスの息子のタルがこう言ってくれた。「もし父がここにいたら、葬式は録画でいいから試合を観ようってけしかけていたでしょう」

1977年にエイモスに初めて会ってから、私は論文を書くたびに、こんなテストを自分に課していた。「エイモスはこれを認めるだろうか」。私の友人で、本書にも登場するエリック・ジョンソンがその証人だ。私たちはある論文を共同執筆したのだが、学術誌への掲載を受理されてから出版されるまでに3年もかかっている。学術誌の編集委員も、査読者も、エリックも、その論文に満足していたが、エイモスがある1つの点に反論したため、私はそれを修正しようとしたのだ。私がいつまでも論文を書き直していたものだから、エリックは研究業績にその論文を載せられないまま、昇進審査を受けるはめになってしまった。幸い、エリックは他にも強力な論文をたくさん書いていたので、終身在職権を得ることができた。その後、エイモスは修正に納得した。

本書を書くにあたっては、エイモスがオーレンに宛てて残した言葉を胸に刻んだ。この本は、およそ経済学の教授らしからぬ本である。学術論文でもなければ、学術論争でもない。もちろん研究の議論はあるが、逸話もあれば、(たぶん)笑い話もあるし、たまにジョークまで登場する。

ダニエルの最高のほめ言葉
2001年初めのある日、私はバークレーにあるダニエル・カーネマンの自宅を訪れていた。私たちはよく長話をするのだが、その日も居間であれこれおしゃべりしていた。するとダニエルが突然、予定が入っていたことを思い出した。ジャーナリストのロジャー・ローウェンスタインから電話がかかってくるのだという。「最強ヘッジファンドLTCMの興亡』などの著作で知られるロジャーは、ニューヨーク・タイムズ・マガジン誌向けに私の研究に関する記事を書いており、その流れで私の古くからの友人であるダニエルに話を聞きたいと思ったのだった。私は迷った。席を外すべきか、このまま残るべきか。「ここにいなさい」。ダニエルは言った。「これは楽しくなりそうだぞ」

かくしてインタビューが始まった。友人が自分の昔話をしているのを聞いたところで何もわくわくしないし、誰かが自分をほめるのを聞くというのは、居心地が悪いものだ。退屈しのぎにそこらにあるものを手に取って読んでいたところに、ダニエルの言葉が耳に飛び込んできた。「そうです、セイラーのいちばんよいところは、彼がぐうたらであることです。セイラーはほんとうにぐうたらなんです」

そういうわけで、この本を読み進めるにあたっては、これはどうしようもなくぐうたらな男が書いた本だということを頭に入れておいたほうがいい。だからといって、悪いことばかりではない。ダニエルの言葉に従うなら、この本にはおもしろいこと、少なくとも私にとっておもしろいことしか書かれていないのだから。

リチャード・セイラー (著) , Richard H. Thaler (その他), 遠藤 真美 (翻訳)
早川書房 (2016/7/22)、出典:出版社HP