エスター・デュフロおすすめ本 – 貧困、開発経済学専門のノーベル賞受賞者(アビジット・V・バナジーとの共著も)

世界の貧困と戦う経済学者 – エスター・デュフロ

フランス人のエコノミストであり、マサチューセッツ工科大学(MIT)とAbdul Latif Jameel Poverty Action Labの教授として途上国の貧困と開発を専門としています。デュフロは「世界の貧困を緩和するための実験的なアプローチ」のために、2019年のノーベル経済学賞をアビジット・V・バナジーとマイケル・クレーマーと共有しました。今回は貧困からグローバル経済、また開発経済学の専門書をこれまで出しています。

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出典:出版社HP

 

 

貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える

開発経済学者2人の途上国・貧困についての渾身の一冊

ジェフリーサックス(コロンビア大学)のベストセラーである貧困の終焉において、裕福な世界が2005年から2025年の間に年間1900億ドルの対外援助を約束したとすれば、この期間の終わりまでに貧困は完全に解消された可能性があると言います。対して、これは間違っていると信じている他の人々もいます。その急先鋒となるのがウィリアムイースターリー(ニューヨーク大学)やダンビーサモヨ(世界銀行)は、人々の自助努力こそ、市場機能に任せることが解決の優先すべき事と言います。さらに悪いことに、援助は人々が自分の解決策を模索することを妨げ、一方で地元の制度を腐敗させ、援助機関の自己永続的なロビーを作り出します。

筆者達はこの2つの極端な議論ではなく、しっかりと途上国の援助が役に立っているのかを評価した上で考えていく必要があるとときます。また貧しい人々の意見に耳を傾け、彼らがどのように対処するかの論理を、個人として、また家族や村のコミュニティとして理解するという事も必要とあります。

内容としては、各章で途上国の抱える問題をターゲット別で記載されており、最終章でビッグピクチャーとしての援助のイデオロギーとしての意見を述べています。

アビジット・V・バナジー (著), エスター・デュフロ (著), 山形浩生 (翻訳)
出版社: みすず書房 (2012/4/2)、出典:出版社HP

 

 

目次

わたしたちの母二人、ニルマラ・バナジーとヴィオレーヌ・デュフロに

はじめに
第1章 もう一度考え直そう、もう一度
貧困にとらわれる?

第1部 個人の暮らし

第2章10億人が飢えている?
本当に1億人が飢えているのか?
貧乏な人々は本当にしっかり十分に食べているのか?
なぜ貧乏な人々は少ししか食べないのか?
だれも知らない?
食べ物より大事結局、栄養摂取による貧困の罠は実在するのか?

第3章 お手軽に(世界の)健康を増進?
健康の罠
なぜこれらの技術はもっと利用されないのか?
十分に活用されない奇跡
健康改善願望
お金をドブに捨てる
みんな政府が悪いのか?
健康追求行動を理解する無料は無価値のあかし?
信仰?
弱い信念と希望の必要性
新年の誓い
あと押しか説得か?
ソファからの眺

第4章 クラスで一番
需要供給戦争
需要ワラーの言い分
条件付き補助金の風変わりな歴史
トップダウン型の教育政策は機能するか?
私立学校
プラサム対私立学校
期待の呪い
幻のS字曲線
エリート主義的な学校制度
なぜ学校は失敗するのか
教育の再設計

第5章 スダルノさんの大家族
大家族の何が問題か?
貧乏人は子作りの意思決定をコントロールするのか?
セックス、制服、金持ちおじさん
だれの選択?
金融資産としての子供
家族

第2部 制度

第6章 はだしのファンドマネージャ
貧乏のもたらす危険
ヘッジをかける
助け合い
貧乏人向けの保険会社はないの?
なぜ貧乏人は保険を買いたがらないの?

第7章 カブールから来た男とインドの宦官たち
貧乏人に貸す
貧乏人融資のやさしい(わけではない)経済学
マクロ計画のためのマイクロ洞察
マイクロ融資はうまくいくのか?
マイクロ融資の限界
少し大きめの企業はどうやって資金調達を?

第8章 レンガひとつずつ貯蓄
なぜ貧乏な人はもっと貯蓄しないのか
貯蓄の心理
貯蓄と自制心
貧困と自制心の論理
罠から抜け出す

第9章 起業家たちは気乗り薄
資本なき資本家たち
貧乏な人のビジネス
とても小さく儲からないビジネス
限界と平均起業はむずかしすぎる
職を買う
よい仕事

第10章 政策と政治
政治経済
周縁部での変化
分権化と民主主義の実態
権力を人々に
民族分断をごまかす
政治経済に抗して

網羅的な結論にかえて
謝辞
訳者解説
原注

アビジット・V・バナジー (著), エスター・デュフロ (著), 山形浩生 (翻訳)
出版社: みすず書房 (2012/4/2)、出典:出版社HP

はじめに

エスターは6歳のとき、マザー・テレサのマンガを読みました。当時カルカッタと呼ばれていた都市はすごく混雑していて、人の暮らす場所が1人1平方メートルずつしかないのだと書かれていました。それを読んだエスターは、巨大な碁盤のような都市を思い浮かべました。それが縦横1メートルずつ区切られて、そのマス目に1人ずつ人間が、駒のようにしゃがみこんでいるのです。どうしましょう、と彼女は思いました。

やっと実際にカルカッタを訪れたのは4歳、マサチューセッツ工科大学(MIT)の大学院生になったときでした。街へ向かうタクシーから外を見た彼女は、ちょっとがっかりしたのです。どこを見ても空き地だらけ。木や草むらや、無人の歩道。マンガで赤裸々に描かれていた悲惨はどこにあるの?人はみんなどこへいっちゃったの?

6歳のアビジットは貧乏な人がどこに住んでいるか知っていました。カルカッタの自宅の裏にある、小さな掘っ立て小屋に住んでいるのです。そこの子たちはいつも遊ぶ時間がいっぱいあって、どんなスポーツでもアビジットより上手でした。その子たちとビー玉遊びをしたら、ビー玉はぜったいにそのおんぼろショーツのポケットに収まることになります。ずるいや、とアビジットは思ったものです。

貧乏な人々を紋切り型の束に還元しようという衝動は、貧困が存在するのと同じくらい昔からあります。貧乏な人は、文学は言うにおよばず社会理論でも、ぐうたらだったり働き者だったり、高貴だったり泥棒だったり、怒っていたり無気力だったり、無力だったり自立していたりします。当然ながら、そうした貧乏人についての見方に対応した政策的な立場も、単純な図式におさまっています。「貧乏人に自由市場を」「人権を大幅に充実」「まずは紛争を解決すべき」「最貧者にもっとお金を」「外国援助が発展を潰す」等々。こうした発想はどれも、重要な真実を部分的に含んではいるのですが、希望と疑念、限界と野心、信念と混乱を抱いた実際の平均的な貧乏人にはほとんど出番がありません。貧乏人がたまに登場するのは、何やらいいお話や悲惨な話の盛り立て役としてであって、感心されたり哀れまれたりはしても、知識の源泉にはならず、何を考えたりほしがったり行なったりしているかについて、まともに話を聞いてはもらえません。貧乏な人の経済学は、貧困の経済学と混同されることがあまりに多いのです。貧乏な人はあまり物を持っていないから、その経済的な存在について興味深いことは何もないと思われがちです。残念ながら、この誤解は世界の貧困に対する戦いをひどくダメなものにしてしまいます。単純な問題には単純な答えしか出てきません。反貧困の分野は、モノにならなかった即席奇跡の死屍累々。先に進みたいなら、貧乏人をマンガの登場人物に還元する癖を捨てて、本当にその生活を、複雑さと豊かさのすべてにおいて理解するだけの手間暇をかけるところから始めなくては。過去2年にわたり、わたしたちはまさにそれをやろうとしてきました。

わたしたちは学者で、学者の多くと同様に、理論を構築してはデータとにらめっこをします。でもこの研究の性質のため、わたしたちはまた、何年にもわたりのべ何カ月も現場にでかけ、NGO(非政府組織)活動家や政府の官僚、ヘルスワーカーやマイクロ融資家たちといっしょに働いてきました。このために貧乏な人々が住む裏道や村に出かけ、質問をして、データを探します。本書は、そこで出会った人々の親切なくしては書けませんでした。ふらりと立ち寄っただけのことが多かったのに、しょっちゅうお客として歓待してもらえました。かなりピント外れな質問をしても、辛抱強くつきあってくれました。そして多くのお話を聞かせてもらえたのです(1)。

オフィスに戻ったわたしたちは、そうしたお話を思い出しつつデータを分析し、魅了されつつも困惑して、見聞きしたことを単純なモデルに当てはめようと苦闘しました。プロの開発経済学者や政策立案者たちは(特に西洋人や西洋で訓練を受けた人だと)貧乏人の生活を考えるのに、伝統的にそうした単純なモデルに頼ってきたのです。得られた証拠を根拠に手持ちの理論を見直したり、あるいは放棄したりする必要もしばしば生じます。でも放棄するのはさいごの最後で、なぜそのモデルがうまくいかないかをズバリ理解して、それを手直しして世界を記述できないか考えようとあれこれ努力もしました。本書はそのやりとりから生まれたものです。それは貧乏な人たちがどんな暮らしを送っているかについて、一貫性のあるお話をまとめようとする試みの成果なのです。
わたしたちが注目するのは世界の最貧者たちです。貧乏な人々がいちばん多い世界の3カ国で、平均の貧困線は1人1日インドルピーになります(2)。

それ以下で暮らす人々は、自国政府の基準で貧困と見なされているのです。いまの為替レートだと、6ルピーというのは0円くらい。でもほとんどの発展途上国では物価が安いから、貧乏な人たちが自国と同じものを日本で買ったとしたら、もう少しお金がかかります

―換算するとそれが120円(;セント)くらいになります。だから貧乏な人の暮らしを想像するには、日本で暮らして日々の生活に必要なものすべて(家賃以外)を1日120円で賄えるかどうか想像してみればいいでしょう。なかなかつらいでしょう――例えばインドでは、これに相当する金額で小さなバナナ5本くらいか、低質の米を1・5キロほどが買えます。それで暮らしていけますか?でも2005年の世界では、8.5億人(世界人口の3パーセント)がまさにそれをやっていました。

驚くのは、これほど貧乏な人たちでも、ほとんどあらゆる点でわたしたちみんなと何も変わらないということです。同じ欲望と弱みを持っているのです。貧乏人は、他のみんなと比べて合理性に劣るわけでもありません――その正反対。まさに持ち物があまりに少ないからこそ、彼らは選択をきわめて慎重に考えることが多いのです。生きるだけでも、高度なエコノミストにならなくてはやっていけないのです。それなのに、わたしたちと貧乏な人々の生活は酒と肴くらいかけ離れています。そしてこれは、わたしたちの生活のなかで、みんなが当然だとして考えもしない各種の側面のおかげが大きいのです。1日120円(セント)で暮らすということは、情報へのアクセスが限られるということです新聞、テレビ、本はどれもお金がかかりますーだから世界の他の人々が当然だと思っているいくつかの事実をまったく知らないことがあるのです。例えばワクチンで子供がはしかにかからずにすむ、といった事実がわからなかったりします。各種の制度が自分たちのような人々を念頭においていない世界に暮らすことにもなります。ほとんどの貧乏人には月給なんかないし、ましてそこから年金が自動天引きされることもありません。いろいろ細かい但し書きのついてくるものについて判断しなくてはならないのに、細かくない記述のほうすらあまりきちんと読めない、ということでもあります。字の読めない人は、発音もできない病気をあれこれカバーしてくれない健康保険商品について、どう考えればいいでしょう?政治体制についての唯一の体験は、いろいろ約束されても何一つ実現しないということなのに、それでも選挙に行くということにもなります。そしてお金を安全にしまっておくこともできません。銀行があなたのわずかな貯金から得られる儲けは、それを扱うためのコストに足りないから……。こんなことばかりなのです。

これが総じて何を意味するかといえば、自分の技能を最大限に活かし、家族の未来を確保するにあたり、貧乏な人はずっと多くの技能や意志力やがんばりが必要だ、ということです。そしてその裏面として、わたしたちがほとんど考えずにすむ、ちょっとした費用やつまらない障害、わずかなまちがいが、貧乏な人の人生では実に大きいのです。

貧困から抜け出すのは難しいけれど、可能性を感じさせて、ツボを押さえた手助け(ちょっとした情報やあと押し)をすると、時には驚くほどの成果が出ます。一方で、期待をはきちがえ、必要な信念が欠け、ごくわずかに見える障害があるだけで、ひどい結果になってしまいます。正しいレバーを押すだけで巨大なちがいが生じるけれど、そのレバーがどれかを見極めるのはむずかしい。何よりも、一本ですべての問題を解決するようなレバーがないのははっきりしています。

本書『貧乏人の経済学」は、貧乏な人の経済生活を理解することで生まれる、とても豊かな経済学についての本です。それは貧乏な人が何を実現できて、そのためにどこでなぜあと押しすべきかを理解するための理論についての本です。本書のそれぞれの章は、各種の障害がどこにあるかを見つける探求を描き、それを克服する方法を探しています。まずは人々の家族生活の重要側面から始めましょう。何を買うか、子供の学校をどうするか、自分や親子供の医療はどうするか?それから、市場や制度が貧乏な人々をどう支援できるか説明します。直面するリスクに備えて、借りたり貯金したり保険に入ったりできるでしょうか?

政府は彼らのために何をしてくれて、どんなときに失望させるでしょうか?本書を通じて、同じ基本的な問いが繰り返されます。貧乏な人は生活改善できるのか、そしていまそれを妨げているのは何?それは取りかかる費用が高いのか、それとも続けるのに苦労するのか?なぜそれが高くつくのか?人々は便益がどんなものかわかるか?わからないなら、何が学習の妨げになるのか?

『貧乏人の経済学」は結局のところ、貧乏な人の暮らしや選択が、世界の貧困と戦う方法について教えてくれることについての本です。例えばマイクロファイナンスは便利だけれど、なぜ一部の人が期待したような奇跡ではないか理解できるようにします。あるいはなぜ貧乏人が、便益より害のほうが大きいような健康保険にしか入れないのか。なぜ貧乏人の子供たちは、何年も学校に通うのに何一つ学べないのか。なぜ貧乏人が健康保険をほしがらないか。そして本書は、なぜかつて万能の解決策と言われた施策が、今日の失敗したアイデアの山に投げ捨てられるかを明らかにします。

本書はまた、希望がどこにあるかもいろいろ述べています。なぜ形ばかりの補助金が、形ばかりなどでない効果をもたらせるのか。保険をもっとうまく売る方法、なぜ教育では少ないほうが成果が高いこともあるのか。なぜ成長のためにはよい職が重要か。そして何よりも、なぜ希望が必須で知識が不可欠かも明らかにし、なぜ課題があまりに大きく見えても、努力を続ける必要があるのかも明らかにするのが本書です。成功は必ずしも、見た目ほど遠いわけではないのですから。

第1章 もう一度考え直そう、もう一度

毎年、5歳の誕生日を迎える前に900万人の子供が死にます(1)サブサハラアフリカの女性は、出産時に死亡する確率が30分の1です――先進国では5600分の1なのに。平均期待寿命が5年以下の国は
少なくとも9カ国、そのほとんどがサブサハラアフリカにあります。インドだけでも、学童5000万人が、ごく簡単な文ですら読めません(2)。
こんな段落を見たら、みなさんはすぐに本書を閉じて、世界貧困なんてものについて、できればきれいに忘れてしまいたいと思うかもしれません。問題が大きすぎて、手のつけようがないと思えるのです。本書でのわたしたちの狙いは、閉じずに読んでくれるよう納得してもらうことです。

ペンシルバニア大学で最近行なわれた実験は、人が問題の規模にすぐに圧倒されてしまうことを実証するものでした(3)研究者たちは、学生たちに5ドルあげて、簡単なアンケートに答えさせました。それからチラシを見せて、世界有数の慈善団体であるセーブ・ザ・チルドレンに寄付してくれないかと言いました。チラシは2種類ありました。一部の学生(選択はランダム)はこんなチラシを見ました。
マラウィでの食糧難で、300万人の子供に影響が出ています。ザンビアでは、極度の干ばつでトウモロコシ生産は2000年に比べてパーセント下がりました。結果としてザンビア人の推定300万人が飢餓に瀕しています。アンゴラ人400万人全国人口の3分の1は自分の家を追われました。エチオピアでは1100万人以上が、いますぐ食糧援助を必要としています。
ほかの学生が見たチラシには、女の子の写真と以下の文面がついていました。

ロキアはアフリカのマリにいる7歳の少女で、とても貧しく、極度の飢餓に直面し、ヘタをすると餓死しかねません。あなたがお金をあげれば、彼女の人生はよい方向に変わります。あなたや、他の親切なスポンサーの支援により、セーブ・ザ・チルドレンはロキアの家族や他のコミュニティの人々と力をあわせて彼女に食事をさせ、教育を与え、基本医療と衛生教育を行ないます。
最初のチラシは学生平均1・6ドルの寄付につながりました。2番目のチラシでは、何百万人もの危機がたった一人の悲惨に還元されましたが、平均2・3ドルの寄付を集めました。どうも学生たちは、ロキアを

アビジット・V・バナジー (著), エスター・デュフロ (著), 山形浩生 (翻訳)
出版社: みすず書房 (2012/4/2)、出典:出版社HP

絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか

現在のグローバル問題をどう解決すべきか?

エステル・デュフロが夫アビジット・V・バナジーと共著で書いた2冊目の書籍となり、ノーベル経済学賞受賞後のものとなります。

本書は前著「Poor Economics (貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える」とは、大幅に書いてある内容は違います。前著では主に彼らの専門となる開発経済学の知見について書かれていますが、本書では途上国だけでなく先進国も絡むグローバルな問題について(移民、環境問題、貿易、不平等など)について書かれています。これらの問題はミクロ経済学的なアプローチをする筆者の二人の専門ではないのですが、これらのマクロ的な問題でもどのような論争があるのか、どのように変えていくべきなのかと書かれています。今一度地球規模での問題が何になるのか確認できます。

アビジット・V・バナジー (著), エステル・デュフロ (著), 村井章子 (翻訳)
出版社: 日経BP (2020/5/22)、出典:出版社HP

目次

子供たち、ノエミとミランへ、 もっと公正で人間らしく生きられる世界で育つことを願って そしてサーシャ、チャンスをもらえなかった君に

Contents
Preface 序文
Chapter1 経済学が信頼を取り戻すために
Chapter2 鮫の口から逃げて
Chapter3自由貿易はいいことか?
Chapter4 好きなもの・欲しいもの・必要なもの
Chapter5 成長の終焉?
Chapter6 気温が二度上がったら
Chapter7 不平等はなぜ拡大したか
Chapter8 政府には何ができるか
Chapter9 救済と尊厳のはざまで
Conclusion 結論よい経済学と悪い経済学
謝辞
原曲

アビジット・V・バナジー (著), エステル・デュフロ (著), 村井章子 (翻訳)
出版社: 日経BP (2020/5/22)、出典:出版社HP

Preface

序文
二年前に自分たちの研究についての本を書いたところ、読んでくれる人がいるといううれしい驚きに恵まれた。なんと褒めてくれる人もいたが、それはもちろんお世辞である。経済学者は本を書くことが本業ではないし、人間がまともに読めるような本を書けるはずもない。それなのに私たちは無謀に挑戦し、さしたる天罰も受けずに済んだ。いつもの仕事に戻る時が来た。つまり論文を書いて発表することである。

オバマ政権初期の希望の光が、ブレグジットや黄色いベスト運動や「ウォール街を占拠せよ」の混乱に取って代わられる中、そして専横な独裁者(選挙で選ばれたにしても同じことだが)がアラブの春の楽観主義を一掃する中、私たちはそんな仕事をしていた。不平等が蔓延し、環境破壊と政策の失敗が世界に暗い影を落としているというのに、それに立ち向かうために私たちが使えるのは陳腐な言葉しかない。

そこで私たちはまた本を書くことにした。本書を書いたのは、希望を持ち続けるためである。どこで道を誤ったのか、それはなぜかを自戒するだけでなく、うまくいったこともこんなにあると確認するために。本書では問題を提起するとともに、分析結果に誠実に向き合い、よりよい世界にするための方法も提案する。 経済政策はどこでまちがったのか、イデオロギーはどこで私たちに良識を失わせたのか、私たちはどこで自明のことを見失ったのか。そして、よい経済学は、とりわけ今日の世界のどこでどのように役に立つのか。

もっとも、そのような本が書かれるべきだとしても、私たちが適任だということにはならない。いま世界が抱える問題の多くが富裕な北半球で頭在化しているが、私たちの専門は貧しい国に住む貧しい人々についての研究である。北半球の現在の問題について書くなら、多くの新しい文献と格闘しなければならず、大事なことを見落としてしまう可能性が大いにある。それでも書くべきだと確信するまでにはずいぶん時間がかかった。

そしてとうとう私たちは、思い切ってやってみることにした。重要な経済問題、たとえば移民、貿易、成長、不平等、環境に関する議論がどんどんおかしな方向に進むのを外野で見ているのがいやになった、というのも理由の一つだ。だがもう一つ大きな理由は、富裕国が直面している問題は、発展途上国で私たちが研究してきた問題と気味が悪いほどよく似ていることに気づいたことである。発展途上国にも経済成長から取り残された人々がいたし、拡大する不平等、政府に対する不信、分裂する社会と政治といった問題があっ た。そうした問題を研究する過程で私たちは多くを学んだ。とくに、経済学者としてどうあるべきかを学んだと自負している。事実から目をそらさず、見てくれのいい対策や特効薬的な解決を疑ってかかり、自分の 知識や理解につねに謙虚で誠実であること。そしておそらくいちばん重要なのは、アイデアを試し、まちが う勇気を持つことだ。より人間らしく生きられる世界をつくるという目標に近づくために。

Chapter1 経済学が信頼を取り戻すために

あるご婦人がかかりつけの医者から、余命はあと半年と告げられた。医者はご婦人に、経済学者と結婚し てサウスダコタの田舎に住むことを勧める。 「それで私の病気が治りますの?」 「いや。しかし半年をとても長く感じることができるでしょう」

世界では二極化が進んでいる。ヨーロッパからアメリカ、アジア、ラテンアメリカにいたるまで、公の場 での右派と左派の議論は大声で怒鳴り合うようなありさまだ。刺々しい言葉が何の慎みもなく投げつけら れ、歩み寄る余地はほとんどない。私たちが住んでいるアメリカでは、支持政党以外の候補者も認めようと いう人はごく少なく、過去最低の水準まで落ち込んだ。支持政党が決まっている人の八一%が、他の政党に対して否定的な先入観を抱いている。具体的には、民主党支持者の六一%は、共和党を人種差別主義者で男 女差別主義者で偏屈者だとみなす。共和党支持者の五四%は、民主党をずる賢い悪人とみている。さらにアメリカ人の三分の一は、家族や近しい親戚が敵対政党の支持者と結婚したらがっかりするという。

私たちがそれぞれ生まれ育ったフランスとインドでも、賢明であるべきリベラルなエリート層が、政治的 右派の台頭をこの世の終わりだと決めつけている。民主主義と話し合いに基づいていた文明がいまや風前の 灯だと、誰もがひしひしと感じるようになった。

私たちは社会科学者の端くれとして、事実を示し、事実の解釈を世に問う。それが分裂した世界の橋渡し をし、互いに相手の言い分を理解し、たとえ意見の一致にはいたらなくとも、すくなくとも理性に基づく不 一致に到達する助けになると期待するからだ。双方が互いの意見を尊重する限り、民主主義は意見対立と共 存することができる。だが相手を尊重するためには一定の理解が必要だ。

現在の状況でとりわけ心配なのは、互いが意見を交わす場がどんどん狭まっているように見えることであ る。言うなれば意見の「部族対決」が起きている。政治だけではない。

アビジット・V・バナジー (著), エステル・デュフロ (著), 村井章子 (翻訳)
出版社: 日経BP (2020/5/22)、出典:出版社HP

貧困と闘う知――教育、医療、金融、ガバナンス

途上国の教育、医療、金融、ガバナンスについて

本書はDufloがフランス政府での協力を得ての講座内容の議事録的な内容を書籍化したものです。( LE DÉVELOPPEMENT HUMAIN: Lutter contre la pauvreté (I) LA POLITIQUE DE L’AUTONOMIE: Lutter contre la pauvreté (II) )。

内容としては「貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える」同様研究結果の一般向けの解説的な流れになります。途上国の教育、医療、金融、ガバナンス以外の箇所は「貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える」を参考にしつつ、。途上国の教育、医療、金融、ガバナンスは本書と掛け合わせると更に知識の定着が図れます。

エステル・デュフロ (著), 峯 陽一 (翻訳), コザ・アリーン (翻訳)
出版社: みすず書房 (2017/2/18)、出典:出版社HP

謝辞

本書は、フランス開発庁(AFD)の協力で資金供与を受けた年間講座「貧困と闘う知」の一環として、二〇〇九年一月に行われた四つの講義に基づくものである。同講座の初代教授に就任する名誉を与えてくれたピエール・コルボ ル、フィリップ・クリルスキー、ピエール・ロサンバロンに、とりわけ感謝す る。エレーヌ・ジャコビノは、原稿の起草にあたって重要な役割を果たしてく れた。バンサン・ポンスは注と図表を追加してくれた。コラ・デュフロとイワ ン・ジャブロンカは草稿を通読し、その改善に大いに貢献してくれた。本書は 研究者、アシスタント、パートナー機関のネットワークによる共同研究の巨大 な氷山の一部にすぎない。密接な共同作業を行っている私の協力者たち、すな わちアニー・デュフロ、パスカリーヌ・デュパ、レイチェル・グレナースター、 マイケル・クレマー、ロヒニ・パンデ、クザイ・タカバラシャに、そしてとり わけ、私の考察に常にインスピレーションを与えてくれるアビジット・バナジーに、心から感謝する。ビオレーヌ・デュフロは私に奉仕への情熱を与え、ミ シェル・デュフロは知ることへの情熱を与えてくれた。本書をふたりに捧げたい。

エステル・デュフロ (著), 峯 陽一 (翻訳), コザ・アリーン (翻訳)
出版社: みすず書房 (2017/2/18)、出典:出版社HP

目次

謝辞
第I部 人間開発
第I部の序
第1章
教育| ー通わせるか、学ばせるか。
教育を普及させる――伝統的アプローチ
学校教育に補助金を出す
親に支払う
伝統的アプローチの限界
学校教育への参加を促す
教育の価値を知らせる
生徒たちの健康状態
費用と便益
知識の伝播
「同じものを増やす」という失敗
追加的な資源を利用して教育法とモチベーションを変える
教員にモチベーションを与える――金銭的インセンティブが果たす役割
制度を改革する
親にすべての権力を?
学校の民営化?
学校を改革する

第2章 健 康――行動と制度
ウダイプルにおける保健医療
保健医療の供給と需要――切り離せない諸要因
階層的アプローチ
利用者の動員
良質なサービスに対する需要が弱いのはなぜか
予防行動の価格感受性が強いのはなぜかな
予防医学に関する情報の伝達――戦略、成功、失敗
保健医療政策にかかわる含意
第I部の結論
第1部自立政策%
第1部の序

第3章 マイクロファイナンスを問い直す
貧困と、融資へのアクセス
信用市場の経済分析
高い金利で需要は縮小するのか
高い金利は信用の質を悪化させるか
マイクロファイナンスの成功の秘訣
女性にお金を貸す
毎週の返済
連帯責任による貸付
グループでお金を借りる
マイクロファイナンスと取引費用
マイクロクレジットのインパクト!
クレジットを超えて
強制的な規律
保険の効力
マイクロファイナンスにはどのような未来があるか

第4章 ガバナンスと汚職
どうやって汚職と闘うか
汚職を計測する
汚職を理解する
汚職と闘う
地方のガバナンスを改善する
地方分権の利点と弱点
民衆参加の効率性
ルールと政策決定
クオータ制によって女性蔑視を緩和することができるか
能力か、イデオロギーか
ガバナンスと、貧困に対する闘い
第1部の結論
訳者解説
原注

フランス開発庁(AFD)とのパートナーシップのもとで、コレージュ・ド・ フランスは、国際講座「貧困と闘う知」を創設した。この講座には、開発の 様々な次元(経済のみならず、水やエネルギーに対するアクセス、保健衛生、都市化な ど)にかかわるハイレベルの専門家たちが結集している。そこで実施される講 義は、現場におけるAFDの活動のよりよい理解と、その改善に貢献するもの である。同講座は、これらの問題に関する質の高い考察を一般の人々の間に普 及させる活動にも参加している。
公共機関であるAFDは、南の国々において貧困と闘い、開発を促進するために、六〇年以上にわたって活動してきた。AFDは、フランス政府が定めた 開発政策を実行に移している。開発プロジェクトに対する資金供与を超えて、 AFDは知識の生産という重要な活動をも担っている。AFDは国際的な大論 争に活発に関与しながら、テーマ別、セクター別、および地理的な分析を行う ことで、公共の開発援助を運用する戦略の立案に貢献している。

エステル・デュフロ (著), 峯 陽一 (翻訳), コザ・アリーン (翻訳)
出版社: みすず書房 (2017/2/18)、出典:出版社HP

政策評価のための因果関係の見つけ方 ランダム化比較試験入門

フィールドワーク/開発経済学の本格RCTs実践本

本書はDufloの他Glennerster, and Kremer が筆者である、Handbook of Development Economics 第4巻第61章 Duflo, Glennerster, and Kremer (2008) “Using Randomization in Development Economics Research: A Toolkit”の訳書です。こちらは本格的な研究者、リサーチポジション、大学院生などが開発経済学におけるテーマでの実験的なところからRCTsを行う上で必須となる書籍です。

エステル・デュフロ (著), レイチェル・グレナスター (著), マイケル・クレーマー (著), 小林 庸平 (監修, 翻訳), 石川 貴之 (翻訳), 井上 領介 (翻訳), 名取 淳 (翻訳)
出版社: 日本評論社 (2019/7/25)、出典:出版社HP

訳者まえがき

本書は、Handbook of Development Economics 第4巻第61章 Duflo, Glennerster, and Kremer (2008) “Using Randomization in Development Economics Research: A Toolkit”の訳書である。

経済学の実証研究の世界では、フィールド実験と呼ばれる手法が近年急速 に発展してきた。フィールド実験とは、医療をはじめとした自然科学の分野 で使われてきた「ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial: RCT)」 と呼ばれる手法を、現実社会のなか(フィールド)で適用することによって、 政策等の効果を厳密に測定する手法である。RCT・フィールド実験をいち早く取り入れたのが開発経済学であり、著者の一人であるマサチューセッツ 工科大学のエステル・デュフロ教授はそのパイオニアである。そのため本書 の内容も、基本的には開発経済学においてRCT・フィールド実験を適用することを念頭において執筆されている。しかしながら本書は、理論的な解説 や実践的なノウハウが数多く盛り込まれており、社会科学の実証研究において幅広く役に立つ内容となっている。

とりわけ近年は、先進国を中心として「エビデンスに基づく政策形成 (Evidence-Based Policy Making: EBPM)」が重視されるようになってきた。 EBPM の基本的な考え方や政策形成における RCT・フィールド実験の活用 方法については本文および解説をご覧いただきたいが、RCTフィールド 実験は政策等の効果を精緻に検証するための有用な分析ツールであり、現実 の政策形成のなかでも EBPM のための重要な分析道具のひとつとして位置 づけられるようになってきた。

本書翻訳のきっかけは2015年にさかのぼる。当時の日本では、まだ 「EBPM」という言葉自体ほとんど普及していなかったが、私は、エビデンスを政策形成にもっと活用していくことの必要性を感じていた。本文や解説 をご覧になればお分かりいただけると思うが、政策の意思決定に活用可能な エビデンスを「つくる(=効果検証する)」ためには、経済学の実証研究で広く活用されてきた「後ろ向き評価(retrospective evaluation)」がはっ RCTやフィールド実験といった「前向き評価(prospective evaluatin)」を活用していくことが求められる。また、行政は政策の執行主体であるが、 向き評価を自ら仕込んでいける立場にもある。

しかしながら、私が計量経済学を本格的に学んだ大学院修士理」だけでなく執行主体であるため、前学院修士課程の頃 部的に分析する後ろ向(2004~2006年)は既存のデータを用いて経済現象を実証的に分析する後ろ向き評価が中心だった。前向き評価と後ろ向き評価は、外形的な分析方法>2 似ているものの、その発想は大きく異なる。例えば後ろ向き評価では、呼 存在しているデータや経済現象を観察し、そこから興味深い仮説が構築できるか考え、原因と結果の因果関係が特定可能な条件が満たされているかを検討し、統計的な分析を行う。しかしながら前向き評価の場合は、検証したい 問いを立て、それを検証するためのフィールドを探し、政策(介入)を実際 に実施し、データを収集して分析を行う。伝統的な後ろ向き評価では先にデータがある場合がほとんどであるのに対して、前向き評価ではデータが最後 に収集されるのである。つまり、個々のステップごとにみれば前向き評価と 後ろ向き評価は類似しているものの、全体を貫く発想が大きく異なるのである。そのため私は、RCT やフィールド実験の理論・実践を一度体系的にき ちんと勉強したいと思うようになった。

その頃、旧知の伊藤公一朗さん(現:シカゴ大学公共政策大学院准教授)か ら推薦されたのが本書の原論文だった。伊藤公一朗さんのお名前は、2017年 に出版された『データ分析の力因果関係に迫る思考法』(光文社新書)という書籍でご存知の方も多いと思うが、若手の経済学の実証研究者の世界的な トップランナーの一人で、自身でも数多くの RCT・フィールド実験を手掛けている方である。

原論文を一読して、じっくり読むに値するものであると感じた。私は民間 のシンクタンクに勤務する研究員だが、勉強するのであれば、一人でではなく関心のあるメンバーを集めて勉強会を開催しようと考え、若手メンバー 声を掛けて始まったのが本書の輪読会である。当初、輪読会はあくまでも 分たちの勉強のために開始したものであり、翻訳出版をしようという意図 持っていなかった。しかし読み進むにつれて、その内容が理論面・実践的に双方でとても素晴らしく、ぜひとも日本国内での共有知にしたいと思うよう になった。軌を一にして、日本において EBPM に少しずつ注目が集まり始 め、EBPM のツールのひとつとして RCT が紹介されるようになってきた。 しかしながら本文や解説で述べられているように、RCT はその原理こそ簡 単であるものの、現実社会のなかでそれを実施してくためには、数々の困難 や知っておくべき知識がある。そのため本書の翻訳書の出版には社会的意義 があるのではないかという思いを強く持つようになった。
その頃に相談に乗っていただいたのが後藤康雄さん(現:成城大学社会イ ノベーション学部教授)である。後藤さんは私にとって民間シンクタンク業 界の大先輩であり、日本を代表するエコノミストのお一人であるが、同時に 学術的な深い知見も兼ね備えていらっしゃる稀有な方である。当時経済産業 研究所に所属されていた後藤さんに本書の翻訳書出版についてご相談したと ころ、日本評論社の担当者を早速ご紹介いただき、とんとん拍子で出版が決 まったのである(ただしこの話には後日談があり、出版自体はとんとん拍子で決 まったものの、翻訳・解説に予想以上の時間を要してしまい、当初の出版予定日 から大幅に後ろ倒しになってしまったことは、日本評論社の皆様にお詫びしなければならない。
本書をお読みいただくとお分かりいただけると思うが、決して初歩的な内 容ではなく、統計学や経済学に関する基本的な理解があった方が、より正確 に読み進めることが可能だろう。しかし直感的に理解可能な内容も多く含まれており、数式やテクニカルな記述を読み飛ばしたとしても一読に値するも のである。また、本書を読み進める上で参考になると思われる情報を可能な 限り訳注で補ったため、一見して理解しにくい内容であったとしても、訳注 で理解を補いながら読んでいただけるのではないかと考えている。加えて本 書末尾の解説では、EBPM の基本的な考え方や、EBPM における RCT の 位置づけ、そして本書のエッセンスを説明しているため、本文で理解しにくい部分があれば、適宜解説を参照していただきたい。場合によっては、解説 を先にお読みいただき、全体像を把握した上で本文をお読みいただくと、より一層理解が深まるのではないかと考えている。

本書の翻訳や訳注、そして解説は、内容の正確性に留意しながらも、できるだけ分かりやすい日本語となるように努めた。我々の試みが成功しているかどうかは読者の皆様のご判断に委ねたいが、誤りなどあればご指摘いただければ幸いである。
前述の通り、本書執筆の過程では、伊藤公一朗さんや後藤康雄さんなど数 多くの方にお世話になった。特に日本評論社の道中真紀さんには、原稿を丁 寧にお読みいただき、数多くの改善点をご指摘いただいた。記して感謝申し 上げたい。
本書の内容が日本国内に広まることで、より良い政策形成の一助となれば 幸いである。

令和への改元の日に
訳者を代表して小林 庸平

エステル・デュフロ (著), レイチェル・グレナスター (著), マイケル・クレーマー (著), 小林 庸平 (監修, 翻訳), 石川 貴之 (翻訳), 井上 領介 (翻訳), 名取 淳 (翻訳)
出版社: 日本評論社 (2019/7/25)、出典:出版社HP

目次

訳者まえがき
第1章 はじめに
第2章 なぜランダム化が必要なのか?
2.1 因果推論の問題
2.2 ランダム化による選択バイアス問題の解決
2.3 選択バイアスを補正するその他の方法
2.3.1 観測可能な変数を用いた選択バイアスの制御
2.3.2 回帰不連続デザイン
2.3.3 差の差推定と固定効果推定
2.4 実験的手法と非実験的手法の比較
2.5 出版バイアス
2.5.1 非実験的研究における出版バイアス
2.5.2 ランダム化と出版バイアス
第3章 調査設計におけるランダム化比較試験の導入
3.1 パートナー
3.2 パイロットプロジェクト:プログラム評価からフィールド実験へ
3.3 特殊な RCTの例
3.3.1 応募超過法
3.3.2 段階的導入の順番のランダム化
3.3.3 グループ内ランダム化
3.3.4 奨励設計
第4章 サンプルサイズ、実験設計、検出力
4.1 基本原理
4.2 グループ化されたエラー
4.3 不完全コンプライアンス
4.4 制御変数
4. 5層化
4.6 実践的な検出力の計算
第5章 実際の調査設計と実施にあたっての留意事項
5.1 ランダム化の単位
5.2 横断的手法について
5.3 データ収集
5.3.1 事前調査の実施
5.3.2 行政データの利用
第6章 「完全なランダム化」が行われない場合の分析
6.1 割当率が層別に異なる場合
6.2 不完全コンプライアンス
6.2.1 ITTからATE(平均処置効果)へ
6.2.2 IV が適切でない場合
6.3 外部性
6.4 脱落
第7章 推論に関する問題
7.1 グループ化されたデータ
7.2 複数アウトカム
7.3 サブグループ化
7.4 共変量
第8章 外的妥当性とランダム化比較試験から
得られた結果の一般化
8.1 部分均衡効果と一般均衡効果
8.2 ホーソン効果とジョンヘンリー効果
8.3 特定のプログラムやサンプルを越えての一般化
8.4 RCT の結果の一般化可能性に関するエビデンス
8.5 フィールド実験と理論モデル

解説 エビデンスに基づく政策形成の考え方と本書のエッセンス
参考文献
索引
著訳者紹介

第1章

はじめに
ランダム化は、経済学者にとって不可欠な研究ツールになっている。 2000年代以降、経済学者が直接的もしくは間接的に関与する形でランダム化 を用いた評価が行われており、その数はますます増加している。ランダム化 比較試験(Randomized Controlled Trial: RCT)の適用範囲は多岐に渡る。例え ば、学校での教育施策が学習に及ぼす影響や(Glewwe and Kremer 2006)、農 業における新技術の採用の効果(Duflo et al. 2006)、運転免許行政における不 正の影響(Betrand et al. 2006)、消費者金融市場におけるモラルハザード・逆 選択の影響(Karlan amd Zinman 2007)の評価などに利用されてきた。いずれ の研究も重要な政策的課題に解を与えようとするものであり、経済学の理論 の検証にも使われている。

アメリカで行われてきた初期の「社会実験」では、多額の予算と多くの人 員を使って、複雑な介入を行ってきた。しかし、途上国で近年行われている RCT の多くは、非常に少額の予算で実施されており、開発経済学者にとって十分実践可能なものである。こうした小規模な RCT は、現地のパートナーと協働して行われることになるため、研究者にとってはより柔軟に調査を 設計し、評価を行うことが可能となる。その結果、RCT は強力な研究ツー ルになってきている。

ランダム化を用いた研究事例の数は開発経済学の分野全体のなかではまだ まだ少ないが、RCT を行うための理論的な知見や実践的な経験がこれまでに多く蓄積されてきた。本書では、RCT を行う際の教訓をまとめると共に、研究者が RCT を進める上での指針を示したい。つまり本書では、途上 国において RCT をどのように行い、分析し、解釈すべきかについて実践的 なガイダンスを示すと共に、経済行動に関する疑問に解を与えるために、 RCT をどのように利用すればよいのかを紹介する。

本書の目的は、開発経済学においてランダム化を利用した研究を概観する ことではない3)。また、他の研究手法を補完や代替する手段として RCT を 活用することに言及するものの、それを正当化することも本書の目的ではない。本書は、RCT を調査設計の一部として活用することに興味がある人 たちに対して、実践的なガイダンスを提供することを目的としている。

本書の構成は以下の通りである。第2章では、「潜在アウトカム」という 枠組みを紹介しつつ、「過去に遡る形」で行われてきた従来の評価手法(以 下、「後ろ向き [retrospective] 評価」と言う)に特有の問題が、RCT によってどのように解決されるのかを議論する。ここでは、特に「選択バイア ス」に焦点を当てる。選択バイアスは、アウトカムに影響を与えるような特 性に基づいて個人やグループが処置群に割り当てられる場合に生じる問題だ が、選択バイアスがあると処置効果を測定することが難しくなってしまう。 また、後ろ向き評価を行う研究では、事前仮説を裏付ける結果や、統計的に 有意な結果が報告されやすく、それは出版バイアスと呼ばれるが、第2章で はこの問題についても議論する。

第3章では、現実世界においてどのようにランダム化を行うことが可能かを議論する。どういったパートナーと協働すべきか、パイロットプロジェク トをどのように利用すべきか、倫理的・政治的に受け入れられる形でランダ ム化する方法は何かを議論する。

第4章では、研究者が評価設計の検出力にどのように影響を与えることが できるか、もしくは統計的に意味のある結論を得るにはどうすればよいかを 議論する。ここでは、サンプルサイズをどのように決定するべきか、ランダ ム化の単位や、制御変数の利用可能性、層化によって、検出力にどういった 影響が出るのかを議論する。
第5章では、RCT を行う際に直面する実際の評価設計、具体的には「ラ ンダム化の単位をどう設定すべきか(個人、家族、村、地域など、どの単位で ランダム化するか)」について議論する。ここでは、クロスカッティングデザ インと呼ばれる横断的手法のメリットとデメリットや、いつどのようなデー タを集めるべきかについても検討する。

第6章では、理想的なランダム化ができなかった場合に、どのようにデー タを分析すべきかを議論する。ここでは、グループごとに割当率(処置群か 対照群かに割り当てられる確率)が異なる場合の対処方法や不完全コンプライ アンス、外部性について議論する。

第7章では、データがグループ化されている時や、複数のアウトカムやサ ブグループが存在する時に、処置効果を正確に推定する方法を議論する。
最後に第8章では、RCT の結果を一般化する際の課題について議論する。 RCT の設計時やそこから得られた分析結果を解釈する際に、経済理論をどのように活用するかについても議論する。

1)(訳注)原著は開発経済学での RCT の適用を念頭に執筆されたものであるため、後 出の事例は当該分野におけるものが多用されている。
2)〔訳注)原著は2008年に執筆されたものであるが、以降これまでの間に、開発経済学
の分野全体のなかで RCT が用いられた事例数は増えており、状況は変わってきている。 3) 【原注] Kremer(2003) や Glewwe and Kremer(2006)は、教育に関する RCT を 概観している。Banerjee and Duflo (2006)は、RCTの結果から、途上国において教師 や看護師の出席率を改善するためにはどうすればよいかを整理している。Duflo(2006) は、インセンティブや社会的学習、双曲割引について概説している。
4)(原注)これについては、Duflo(2004) や Duflo and Krener(2005)を参照された
5)(訳注)既存の評価手法の多くは「過去に遡る形で行われてきた。つまり、研究者 は、ある政策が実施された後で、過去のデータを用いて当該政策の評価を行おうとして きたのである。しかし、後述の通りそうした後ろ向き評価は多くの問題をはらんでおり、 RCT はそれらの問題を解決する手段となりえる。

エステル・デュフロ (著), レイチェル・グレナスター (著), マイケル・クレーマー (著), 小林 庸平 (監修, 翻訳), 石川 貴之 (翻訳), 井上 領介 (翻訳), 名取 淳 (翻訳)
出版社: 日本評論社 (2019/7/25)、出典:出版社HP