【最新】金融・貨幣の歴史について学ぶためのおすすめ本 – 日本のお金から各国の経済史まで

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歴史を学び、金融・貨幣について考える

私たちにとって身近な存在である貨幣といえば硬貨や紙幣が思いつきますが、昔は貝や石などが通貨として使われていました。近年では、電子マネーの普及などによりキャッシュレス化が進み、貨幣のあり方が変わってきています。金融や貨幣の歴史を学ぶことで、貨幣の未来について考えるきっかけとなるかもしれません。今回は、金融や貨幣の日本史・世界史を学ぶことのできる本をご紹介します。

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出典:出版社HP

 

21世紀の貨幣論

お金とは何か?

本書は、歴史を振り返り、マネーの本質を捉え直している本です。定説とは異なる歴史の検証を行い、世界的に関心が高まっている資本主義の今後についても考えるきっかけになります。著者が本書で、従来のマネー論を覆していく様は、多くの読者に知的な刺激を与えます。

フェリックス マーティン (著), Felix Martin (原著), 遠藤 真美 (翻訳)
出版社 : 東洋経済新報社 (2014/9/26)、出典:出版社HP

21世紀の貨幣論――目次

第1章 マネーとは何か
石貨の島、ヤップ
標準的な貨幣論の過ち
石器時代の経済学?
信用取引・決済のシステムこそマネー
タリーの悲劇
陸に上がった魚――マネーが「見えない」理由
銀行のない経済におけるマネー
マネーという問題の核心
視点を変えれば世界が変わる

第2章 マネー前夜
マネーの歴史――思想が紡ぐ物語
アキレスの怒り――マネーが発明される前の世界
古代メソポタミア――官僚主義の原点
古代世界のシリコンバレー
測定単位の統一――国際度量衡総会へ

第3章 エーゲ文明の発明―経済的価値を標準化する
ドルは何を測っているのか?
マネーの欠けた環――普遍的な経済的価値
マネーの約束――社会移動と政治の安定
昔からあった市場帝国主義の問題

第4章 マネーの支配者はだれか?
アルゼンチンの通貨危機
国民通貨の統治を逃れる――プライベートマネー
ユートピアのマネーvs現実世界のマネー
「天下を平安におさめる」――マネーシステムという道具

第5章 マネー権力の誕生
失楽園――古代ローマのマネー社会
ヨーロッパにおけるマネーのルネッサンス
マネー権力の誕生
オレームのマネー改革案

第6章 「吸血イカ」の自然史――「銀行」の発明
リヨンの謎の商人
信用ピラミッドの秘密
銀行業の本質とは
ハイリスクの国内銀行業
順風そのものの国際銀行業

第7章 マネーの大和解
プライベートマネーと市場の規律
マネー権力者の成功
イングランド銀行の設立
現代マネーシステムの祖先

第8章 ロック氏の経済的帰結――マネーの神格化
大改鋳論争
ジョン・ロックの改鋳案
オリュンピア祭のシュロの葉の冠
金本位制
マネー社会の神格化

第9章 鏡の国のマネー
マネー社会のアキレス腱
古典学派の根本的な欠陥
鏡の国のマネー――それは夢
アイルランドへの援助問題
見えざる手の信奉者たちの失敗

第10章 マネー懐疑派の戦略――スパルタ式とソビエト式
マネーに対する不信の起源
関係を断ち切る社会的技術
スパルタ人の解決策
ソビエトの解決策

第11章 マネーの構造改革――ジョン・ローの天才とソロンの知恵
ジョン・ローの解決策
フランス王国のフィアットマネー
ミシシッピ会社
「システム」の破綻
ソロンの知恵
誰がマネーの価値を決めるのか――神、専制君主、民主政治

第12章 王子のいない『ハムレット』――マネーを忘れた経済学
女王エリザベス2世の質問
オーバレンド・ガーニー商会
「事業運営におけるあらゆる悪弊の典型例」
パジョット『ロンパード街』
経済学が忘れたもの

第13章 正統と異端の貨幣観
バジョットの指摘vsセイの法則
頭のいい馬鹿の経済学
ケインズの古典派批判
一般均衡理論の登場
なぜそれが問題なのか――女王の質問に対する答え

第14章 バッタを蜂に変える――クレジット市場の肥大化
「社会の役に立つ銀行」は幻想か
ノーザン・ロックへの支援
ノーザン・ロックの国有化が意味するもの
武装した軍隊よりも恐ろしい
「互恵」から「一方的な贈与」へ
クレジット市場のクーデター
クレジット市場でのマネー創造
新しい「影の軍隊」

第15章 大胆な安全策
マネーの反乱鎮圧戦略
歪んだリスク配分
リスクを個人化するか、社会化するか
異端の貨幣観から導かれる三原則

第16章 マネーと正面から向き合う
マネーの誕生からロックの貨幣観まで
経済学を一から作り直す
マネーを管理するのは誰か

謝辞
訳者あとがき
参考文献
本書全体に大きな影響を与えた文献について

フェリックス マーティン (著), Felix Martin (原著), 遠藤 真美 (翻訳)
出版社 : 東洋経済新報社 (2014/9/26)、出典:出版社HP

ビジュアル 日本のお金の歴史 【明治時代~現代】

日本の通貨の近代以降の歴史

本書は、日本の明治時代から現代までのお金の歴史について解説されています。日本が近代化を進めていく上で、お金という一つの基準をつくる苦労や、国際情勢を反映した通貨制度の変化、近年の貨幣の形式の変化、といったことがテーマになっています。図や写真が豊富で、より内容が理解しやすくなっています。

草野 正裕 (著)
出版社 : ゆまに書房 (2016/1/23)、出典:出版社HP

もくじ

近代国家になり、円が誕生する
◎江戸幕府は、お金をコントロールできなかった
◎価値のあるお金とないお金がある?
◎数多くの銀行が、紙幣を発行できた

日本銀行の創立と松方正義
◎金銀と交換できる紙幣とできない紙幣
◎お金をたくさん発行すると、物価が上がる
◎松方正義は、お金を焼き捨てた!?
◎日本銀行が開業し、近代国家の仲間入り

「銀から金」で、円の価値が安定
◎銀価格の下落により、円も下落した
◎日清戦争の賠償金で、銀から金へ
◎円の価値が安定した理由

円の裏付けを金にしたり、やめたり……
◎かつてない大不況にみまわれる
◎ふたたび円の裏付けを金に
◎世界恐慌により、金本位制から離脱

軍事費の増大で、大量にお金を印刷
◎戦争突入で、軍事費がふくれ上がる
◎高橋是清が、命をかけて行ったこと
◎打ち出の小槌のように、お金を印刷させる

悪性インフレーションと新円の発行
◎悪性インフレーションとは何か
◎新円の発行と旧円預金の引き出し禁止
◎「1ドル=360円」のレートの設定

経済のグローバル化とお金の電子化
◎アメリカは金を裏付けとする体制から離れる
◎円相場が、変動制になる
◎またしても、打ち出の小槌
◎「失われた20年」はもどらない
◎貨幣の電子化が急速に進む

※本書で使用している貨幣写真は、特に断りのあるもの以外は、すべて「日本銀行貨幣博物館所蔵」のものです。また、貨幣の大きさについては、適宜拡大縮小しています。

草野 正裕 (著)
出版社 : ゆまに書房 (2016/1/23)、出典:出版社HP

マネーの進化史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

マネーの進化を学べば、教訓が得られる

マネーは時を経るごとに様々な災いともいえる出来事を起こしますが、マネーの持つ社会的役割も徐々に大きくなっています。利子や保険といった、これまでのマネーに関する発明の歴史などを省みて、人々を魅了し、惑わせるマネーの性質にどのように向き合うべきか、考えるきっかけとなる本です。

ニーアル・ファーガソン (著), 仙名 紀 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2015/10/22)、出典:出版社HP

マネーの進化史


レオナルド・フィボナッチが1202年に著した「算盤の書」。インドやアラビアで使われていた数字や演算の方法をヨーロッパに導入したことによって、利子の計算などが容易になり、金融上の難問解決に貢献した
(Ministero per i Beni e le Attivita Culturali, Italy, Biblioteca Nazionale Centrale Firenze)


(上)ボッティチェリの「マギの礼拝(東方三博士の礼拝)」。キリストの生誕を描いたこの名画に集う主な面々は、メディチー族の名士である銀行家たちの顔を模している(Alinari)
(右)ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド。19世紀はじめの債券市場を牛耳り、「金融界のナポレオン」とも呼ばれる (N. M. Rothschild & Sons)


フランスの風刺雑誌「ル・リール」(1898年)の表紙に掲載された、ロスチャイルドの域面。反ユダヤ感情を露骨に示している (Mary Evans Picture Library)


アメリカ南北戦争の決戦場の一つ。ミシシッピ川に沿ったヴィックスバーグで、北軍の戦艦 が猛火を浴びせている (Museum of the Confederacy)

オランダ理国の東インド会社が、初期のころインド洋からアジア地域にかけて保有していた貿易拠点を示す地図 (Dutch National Archives)


オランダの画家ヨブ・ベルクヘイデが1670~1690年ごろに描いた、アムステルダム証券取引所の風景。世界で最初の本格的な証券取引市場で、ここで東インド会社の株も売買された (Rijksmuseum Amsterdam)


ジョン・ローの肖像。彼は決闘による殺人罪で投獄されたこともあるが、金融の理論を打ち立て、やがて世界ではじめて株式市場のバブルをもたらした (Louisiana State Museum)


(上)アメリカ・ルイジアナの地図、フランス・ミシシッピ会社の宣伝によると、豊かな土地で、多大な利益をもたらすはずだった (Louisiana State Museum)
(下)ミシシッビ会社に投資した人びとに向けて描かれたルイジアナのイメージ (Louisiana State Museum)


ミシシッピ会社の崩壊によって、投資家たちは、大損した。それを自ら嘲笑するオランダ製の皿。上は、「なんとまあ、オレの株はみんなオシャカだ」。下は「不良株や、風まかせの貿易などクソくらえ」と書かれている


1923(大正12)年に、東京など関東一帯を襲った関東大震災の光景。日本の保険産業に大打撃を与えた災害の一つ


(上)「不正行為訴訟のキング」と呼ばれたリチャード・ディッキー”・スクラッグスは、ハリケーン・カトリーナによって大打撃を受け、パスカグーラの海岸にあるオフィスで茫然自失 (New York Times)
(右)シカゴを本拠とするヘッジファンド「シタデル」の創設者で、CEOのケン(ケネス)・グリフィン。現代のリスクマネジメントの旗手ともてはやされた (Citadel)


グレンヴィル家の二つ折り書板。2代目バッキンガム公爵時代の、一族の719家の紋章を集めたもの。どれほど莫大な資産を受け継いでも、多額の負債により遺産は失われていく一方だった


(上)自動車の町デトロイトのイメージを、メキシコの共産主義のディエゴ・リベラのコンセプトで描いたデトロイト美術館の庭園北側の壁画(Deervi Instinute of ken)
(右)同じく、南側の壁画(部分) (Detret Intinuted Arts)


チャールズ・ダロウが最初に作った「モノポリー」の一部分で、舞台は高級リゾート地ニュージャージー州アトランティックシティになっている

不動産の二つの顔。オリジナルのミスター・モノポリー(右)と、「刑務所へ入れ」のマス(左)


経済発展が始まる以前の中国・重慶の風景 (G. H. Thomas)


経済発展を遂げたあとの重慶

目次

はじめに

第1章 一攫千金の夢
カネの山/高利貸し/銀行の誕生/銀行業務の進化/破産国家

第2章 人間と債券の絆
負債の山/金融界のナポレオン/南部連合の敗退/利子生活者の安楽死/利子生活者の復活

第3章 バブルと戯れて
あなたの持ち会社/最初のバブル/牡牛と熊/ファットテールの話

第4章 リスクの逆襲
大いなる不安/屋根の下に避難する/戦争から福祉へ/南米チリの大寒波/「ヘッジあり」と「ヘッジなし」

第5章 わが家ほど安全なところはない
不動産を所有する貴族階級/住宅所有民主主義/S&Lからサブプライムへ/主婦ほど安全なものはない

第6章 帝国からチャイメリカへ
グローバリゼーションと最後の大決戦/エコノミック・ヒットマン「ショートターム・キャピタ
ル・ミスマネジメント」−−LTCMの皮肉な結末/チャイメリカ

終章 マネーの系譜と退歩

ニーアル・ファーガソン (著), 仙名 紀 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2015/10/22)、出典:出版社HP

はじめに

マネーの呼び名はさまざまで、食いぶち、現金、ゼニ、余禄、上がり、おアシ、手持ち、元手などの呼称があるが、貴重なものであることには変わりがない。キリスト教社会では、金銭への執着が諸悪の根源だと見なされていた時期もある。軍人にとっては戦闘を可能にするものであり、革命家にとっては労働者を縛るものだ。だが、マネーの本質とは、いったいなんなのだろうか。かつてスペインの征服者たちが考えたような、金銀財宝の山なのだろうか。あるいは、単に粘土板で作られたり、紙に印刷された代用品に過ぎないのだろうか。私たちはいつごろから、現在のようにたいていのマネーは目に見えるものではなく、コンピューターのディスプレー画面に数字で示されるだけの世の中で暮らすようになってしまったのだろうか。マネーは、いったいどこからやってきて、どこへ消えて行くのだろうか。

二〇〇七年に、アメリカ人の平均年収は三万四〇〇〇ドル弱で、その前年と比べて五パーセント近く上昇した(1)。ところが、その期間に生活費は三・五パーセント上昇しているので、平均的な「ミスター・アベレッジ」の暮らしぶりは、一・五パーセントほど改善されたに過ぎない。さらにインフレ率を勘案すると、アメリカの標準家庭では、一九九〇年から家計状況はほぼ足踏み状態で、年収は一八年間で七パーセント伸びたにとどまっている。ではこのミスター・アベレッジの収入を、投資銀行ゴールドマン・サックスの最高経営責任者(CEO)ロイド・ブランクファインの場合と比較してみよう。二〇〇七年のブランクファインの年収は、給与、ボーナス、株式報酬をひっくるめて七三七〇万ドルだった。前年と比べて、二五パーセントも増えていて、ミスター・アベレッジの約二〇〇〇倍になる。この年のゴールドマン・サックスの純収益は四六〇億ドルで、次に列挙するような一〇〇あまりの国ぐにの国内総生産(GDP)を上回る。たとえば、クロアチア、セルビア、スロヴェニア、ボリビア、エクアドル、グアテマラ、アンゴラ、シリア、チュニジアなど。ゴールドマン・サックスの資産総額は、同社の年次報告によると、はじめて一兆ドルを超えた。ウォールストリートで名高い大手企業のCEOも相当な収入を得ているが、驚嘆するほどの額ではない。「フォーブス」誌によると、リーマン・ブラザーズのリチャード・S・ファルドの年収は七一九〇万ドル、JPモルガン・チェースのジェイムズ・ダイモンが二〇七〇万ドル、バンク・オブ・アメリカのケン・ルイスが二〇一〇万ドル、そのすぐ後を追っているのが、シティグループのチャールズ・O・プリンス(一九九〇万ドル)、モルガン・スタンレーのジョン・マック(一七六〇万ドル)、メリルリンチのジョン・セイン(一五八〇万ドル)などだ。だがロイド・ブランクファインの二〇〇七年の年収は、財界一の高額所得者とはほど遠い。カントリーワイド・ファイナンシャルのアンジェロ・R・モジーロは、一億二八〇万ドルを得ている。それでも、ヘッジファンドの大物たちの前では影が薄くなる。投機家のジョージ・ソロスは二九億ドルもの年収があるし、シタデルを運営するケネス・グリフィンも二〇億ドルを超える実入りがある。二〇〇七年にアメリカ金融業界のなかで最も収入が少なかったCEOは、ベアー・スターンズのジェイムズ・E・ケインの六九万七五七ドルで、その前九年間の二億九〇〇〇万ドルから急落した。その一方で、一日に一ドルを得るために四苦八苦している人びとが、世界には一〇億人近くも存在する(2)。

いまから振り返ってみると、一九二九年から始まった大恐慌以後で最大の金融危機が世界を見舞う兆しは、二〇〇七年に芽生えていたことが分かる。金融業界で働く人は、とくにリスクマネジメントなどにおける特殊な技能を持つため、潤沢な報酬を受け取るのは当然だとされていたが、そのような主張が笑い草になるようなできごとが、わずか一年あまりの間で相次いで起こった。ベアー・スターンズは倒産こそ免れたがJPモルガンに買収され、パンク・オブ・アメリカがメリルリンチとカントリーワイドを買収した。リーマン・ブラザーズは、破綻した。シティグループは二〇〇八年に一八七億ドルの損失を出し、二〇〇五年から蓄積してきた利益をあらかた吐き出してしまった。メリルリンチも三五八億ドルもの損失を出し、一九九六年からの累積黒字を帳消しにした。ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーはともに、投資銀行から銀行持ち株会社に転換せざるを得なくなった。これは一九三〇年代から持続してきたビジネスモデルが終わりを告げる、象徴的なできごとだった。生き延びたすべての銀行が、不良資産救済プログラムによって、アメリカ財務省から資本注入を受けた。だが政府から支援を受けたにもかかわらず、株価は下落する一方で、いくつかの組織は遠からず国有化されるのではないか、という憶測も生まれた。たとえばシティグループの株価は、二〇〇七年六月時点の五五ドルから、二〇〇九年三月には二・五九ドルまで暴落した。

銀行ばかり救済されるのは不公平だ、と怒る人がいるかもしれない。「太ったネコ」の資本家や、何十億ドルものボーナスをもらう銀行マンなど許せない、という人がいてもおかしくない。「持てる者」(あるいは「ヨットを持つ者」)と「持たざる者」の広がる格差に憤慨する者が出るのも不思議ではない。西洋文明の歴史を概観すると、金融業や金融業者を敵視する風潮がつねに存在していた。あの連中は、農業や製造業などの実業的な経済に寄与するのではなく、人にカネを貸して儲ける寄生虫だ、という嫌悪感が根源にある。敵視する理由は、三つある。まずたいていは債務者の数が債権者より多く、借り手はたいてい貸し手にいい感情を持たないからだ。次に、金融危機やスキャンダルが起こると、金融業は繁栄よりも貧困、安定よりも不安をもたらす存在のように見えるからだ。さらに何世紀にもわたる歴史を振り返ると、金融業を牛耳っているのは人種的または宗教的に少数派である場合が多かった。そのようなマイノリティは地主になったり政府の重要な役職に就いたりできないため、逆に結束が強まって身内の信頼感も高まり、金融業で成功することが多かった。

「汚いゼニ」に対する嫌悪感は強かったものの、マネーは進歩を生む助けになってきた。ジェイコブ・ブロノフアセント・オブ・マネースキー(イギリスBBCのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズ「人類の進化」のナレーターを務めた科学者。一九〇八〜七四。科学の進歩を扱ったこの番組に、少年時代の私は熱中して見入ったものだ)のタイトルをもじると、マネーの進化は、人類の進化には不可欠な要素だった。人間の生き血を吸うヒルのように債務者の家族からも過酷に貸しを取り立て、未亡人や孤児の貯蓄まで奪おうとするというイメージとは裏腹に、金融システムが進歩したおかげで、庶民の暮らしは「みじめな自給自足生活」を脱し、多くの人たちは現在のようにキラキラ輝く「豊かな物質文明」を満喫できるようになった。さまざまな技術革新と同様、信用や債務などのシステムの進化も、古代バビロニアから現代の香港にいたるまで、さまざまな文明の勃興に重要な役割を果たした。銀行や債券市場の誕生が、イタリア・ルネサンスに見られる栄華の物質的な素地を作った。オランダやイギリスの帝国が覇権を唱えるうえで、企業金融という基盤は欠かせなかった。二〇世紀になってアメリカがのし上がってきた背景には、保険、住宅ローン金融、消費者信用(たとえば、カード決済)が普及してきたという状況がある。ところがこのような仕組みが逆に世界的な金融危機を生み、アメリカの優位を揺るがす原因になりつつあるのかもしれない。

世界史に残るような大変動が起こった場合、その底流には必ず金融面における秘密が隠されている。この本では、そのように歴史上でとりわけ重要な事例に焦点を当てていく。たとえば、ルネサンス期のイタリアでは、美術や建築のマーケットでブームが沸き起こった。メディチ家など大手の金融業者は東洋の算法を用いて大きな財産を築いた。オランダがハプスブルク王朝より優位に立てたのは、世界で最初の株式市場を確立したためで、それは世界で最大の銀鉱山を保有するより、金融面では有利な条件だった。フランスの君主制は革命でしか解決しないような問題を抱えていた。なぜかといえば、脱獄した殺人犯のジョン・ローというスコットランド人が、世界で最初の株式市場におけるバブルを引き起こし、フランスの金融システムを混乱させたためだ(第3章で詳述)。ウェリントン公爵がワーテルローの戦いでナポレオン軍を敗北させたことは事実だが、ネイサン・ロスチャイルドもそれに匹敵するほどの貢献をしている(第2章で詳述)。アルゼンチンは一八八〇年代には世界で六番目に豊かな国だったのだが、一九八〇年代になると、ハイパーインフレに悩まされる国になり下がってしまった。その原因は金融面における大失敗にあり、債務不履行と為替レート切り下げの繰り返しによって、自己崩壊したためだった(第2章で詳述)。

世界で最も安全な国に住んでいる人間が、一見すると矛盾するように見えるが、なぜ最も多くの保険を掛けられているのか、この本を読めばお分かりになるはずだ。英語圏の人びとはどうして、いつごろから、ひんぱんに家を売り買いしたがるようになったのか、その特異な性癖も、本書をお読みになれば理解できるはずだ。だがおそらく最も重要な点は、金融のグローバリゼーションによって、先進国と新興国のマーケットの区別があいまいになったことだろう。中国は、アメリカの銀行になった。具体的に言えば、共産主義者が債権者に、資本主義者が債務者になった――。これは、画期的な大変革だ。

マネーの進化は、もはや止められないように見えることもある。二〇〇六年における世界全体のGDP合計は、四八兆六〇〇〇億ドルだった。世界中の株式市場の時価総額は、五〇兆六〇〇〇億ドルで、GDPより四パーセントほど多い。世界の債券市場の規模は六七兆九〇〇億ドルで、四〇パーセントも多い。金融という惑星は、地球自体よりも大きく膨れ上がろうとしている。しかも金融の自転スピードは、地球の自転より速まっている。外貨市場では毎日、三兆一〇〇〇億ドルが取引されている。株式市場では毎月、五兆八〇〇〇億ドルが売買される。連日、どの瞬間を取っても、だれかがどこかで市場での取引をおこなっている。しかも、金融市場はつねに新たな展開を見せている。たとえば、二〇〇六年におけるレバレッジド・パイアウト(LBO=買収先の資産や収益を担保に資金調達して買収すること)の額は、七五三〇億ドルに達した。「セキュリタイゼーション(金融の証券化)」が激増し、住宅ローンなど個々の債務が「トランシェ」に切り分けられ、ふたたび束ねられて売りに出される。住宅ローン担保証券、資産担保証券、債務担保証券(CDO)などを合わせると、年間の発行額は三兆ドルを超えた。すべての金融派生商品、つまり、金利スワップやクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)など、既存の金融商品から派生した取引の成長率はさらにいちじるしく、二〇〇六年末までに、店頭デリバティブ(公開市場を介さず取引される)の総額は、四〇〇兆ドルを超えた。一九八〇年代以前には、このような取引はほとんど知られていなかった。新たな金融機関も、続々と登場した。ヘッジファンドがはじめて登場したのは一九四〇年代だが、このハイリスク・ハイリターンのファンドを扱う組織は一九九〇年には六一〇社にも達し、三八九億ドルの資金を動かしていた。二〇〇六年末には九四六二社に急増し、運用額も一兆五〇〇〇億ドルに跳ね上がった。非上場企業に投資するプライベート・エクイティ・ファンドも、雨後のタケノコのように林立した。銀行も、証券化を前提にした「導管体」や「ストラクチャード・インベストメント・ビークル(SIV)」と呼ばれる、数々の運用会社を新設した。それらを通して、貸借対照表には記載しにくい、リスク含みの資産を運用するためだ。まるで、新たなシャドーパンキング・システムが出現したかのようだ。要するに、人類四〇〇〇年史の間に考えるヒトは進化したが、最近では銀行マンがとりわけいちじるしい進化を見せている。

一九四七年の時点で、アメリカのGDPのなかで金融部門が占める割合は二・三パーセントというわずかなものだったが、二〇〇七年になると、金融部門の貢献度はGDPの八・一パーセントまで跳ね上がった。言い換えれば、アメリカでは従業員に支払われる約一三ドルのうちの一ドルが、金融関係の人件費に充てられていることになる。イギリスでは金融部門の比重がさらに高く、二〇〇六年にはGDPの九・四パーセントを占めていた。大学卒業生の就職先としても、金融業界には人気が出ている。私が教えているハーヴァード大学で、一九七〇年に金融界を選んだ学生はわずか五パーセント前後だった。だが一九九〇年になるといっきょに一五パーセントに増え(3)、二〇〇七年にはさらに増えた。学内紙「ハーヴァード・クリムゾン」によると、二〇〇七年の卒業生のうち、男子の二割あまり、女子の一割が最初の就職先として銀行を希望している。そうなるのも、無理はない。東部の名門大学群であるアイヴィーリーグを卒業した場合、ほかの業界に就職するよりも、金融業界に進めば三倍も給与がいいのだから。

二〇〇七年の卒業生が巣立ったころ、世界金融業界の上昇機運はとどまるところを知らないかに思われた。ニューヨークやロンドンが、テロの襲撃に遭っても、金融業界の勢いは止まらなかった。中東での戦争も、気候変動も、どこ吹く風だ。二〇〇一年から〇七年までの間に、世界貿易センタービルなどへの同時多発テロはあったし、アフガニスタンとイラクに対する米軍による軍事侵攻があり、異常気象が頻発するようになったが、金融面では拡大傾向が持続していた。たしかに9・11のテロ直後には、ダウ平均株価が一時的に一四パーセントも下落した。だが二か月あまりで、9・11以前の状態に持ち直した。アメリカにおける株の投資家にとって、二〇〇二年は失望の年だったが、その後には市場に上昇気流が戻り、二〇〇六年の秋には前回のピーク時(ドットコム・バブル)を超えた。さらに二〇〇七年一〇月のはじめには、ダウ平均株価は五年前に記録した最安値の二倍に達しそうな勢いだった。アメリカだけが好調だったわけではない。二〇〇七年七月末までの五年間の年間統計を見ると、世界中の株式市場では、二か所の例外を除き、年率換算でふた桁の利回りを計上している。新興市場債券も伸び、不動産市場も、とくに英語圏ではいちじるしく上昇している。投資家たちは、コモディティ、美術品、ヴィンテージもののワイン、外国の資産担保証券などすべて、資金を投じれば、間違いなく利益を上げることができた。

一時期このように好調だった理由は、どう説明できるのだろうか。ある学説によると、このところ金融業における技術革新が進んだため、世界的な資本市場では基本的に効率が改善され、リスクはそれを負う能力のあるもののところに集まる、と言われていた。「気まぐれな変動など、もう過去のものになった」と断言するエコノミストさえいた。自信満々の銀行マンたちは、「卓越性の進化」と名づけた会議を開いたほどだ。二〇〇六年一一月、私はパハマのライフォード・キイという豪華なリゾート施設で開かれたそのような会議に出席した。私は講演のなかで、いまのところ国際的な金融システムには潤沢な流動性があるが、いつそれが急激に低下しないとも限らないし、いい時代が永遠に続くと期待してはいけない、と述べた。聴衆は、明らかに感服した様子ではなかった。私の論旨は、杞憂だとして問題にされなかった。あるベテラン投資家は、会議の事務局に提出した文書のなかで、「来年の会議には外部からわざわざ講師など招ぶのはやめて、『メリー・ポピンズ』のように楽しい映画でも上映したほうがマシだ」とまで直言した。だがそこで私は、少年時代に見たこの永遠のミュージカル映画(一九六四)のことを思い出した。歌手ジュリー・アンドリュースのファンであれば筋を覚えておいでかもしれないが、映画が作られた一九六〇年代には、この筋立てはすでに時代遅れの感があった。銀行経営が破綻して、人びとが預金を引き出して取り付け騒ぎが起きる。そのような事態は、ロンドンでは一八六六年以来、起こっていなかった。

メリー・ポピンズを家庭教師として雇うのは、その名もバンクス家。主人のミスター・パンクスは、名前にそむかず銀行マンだ。彼はドーズ・トウムズ・マウスリー・グラッブス・フィデリティ・フィデューシアリー銀行の中堅社員。バンクスの二人の子どもたちは、父親に連れられて父の勤務場所である銀行にやってくる。経営者であるドーズ・シニアは、バンクスの息子マイケルが手にしている小銭(二ペンス)を預金するよう勧めて預かる。だがマイケル坊やはこの二ペンスで、銀行の外にたむろしているハトにやるエサを買いたいと思い、「おカネを返して。ボクのおカネなんだから」と叫ぶ。銀行に来ていた客たちがそれを耳にして、たちどころに自分たちの預金をこぞって引き出そうとする。銀行はすぐに払い戻しを停止し、ミスター・バンクスは当然ながらクピになり、働きざかりの年齢で失職し破滅したと嘆く。ところが二〇〇七年九月には、この物語に類似したことが、イギリスにノーザンロック銀行のCEOだったアダム・アップルガースの身に起きた。複数の同行支店で、預金を引き出そうとする客が列をなした。ノーザンロック銀行が、イングランド銀行に「流動性支援の供与」を要請した、というニュースが流れたためだった。

二〇〇七年の夏に欧米を襲った金融危機は、金融史のなかで繰り返し起こっている現象だ。遅かれ早かれ、パブルははじける。弱気になった売り手の数が、強気の買い手を上回る時期が、やがてやってくる。貪欲さが恐怖に転じるときが、いずれ訪れる。私がこの本をまとめるための調べものを終えた二〇〇八年のはじめごろ、アメリカ経済が景気の後退に陥りそうな気配が明確に感じられてきた。その一年後、私がペーパーバック版のためにこの「はじめに」を書き直している段階では、一九八〇年代以来で最悪の不況に陥っていることが明らかになった。しかも、長期の大不況に落ち込む懸念も強かった。これは、アメリカの企業がすぐれた新製品を作り出せないためなのだろうか。あるいは、技術革新のペースがにわかに鈍化したのか。いや、そのような状況はない。二〇〇八年から〇九年にかけての経済の縮小は、もっぱら金融の問題だ。もう少し具体的に言えば、信用システムが発作を起こしたためだ。それは、サブプライム住宅ローンという婉曲的な表現をされている債務の不履行が増加したために起きた。世界の金融制度は、きわめて複雑な仕組みになっている。アラバマ州からウィスコンシン州に至るまで、アメリカ全土の割に貧しい層の人びとはそのような仕組みは知らなくても住宅を買うことができたし、複雑なローンに借り換えることも可能だった。それらのローンはほかの似たようなローンとともに債務担保証券(CDO)というパッケージにくくり直され、ニューヨークやロンドンの銀行から、たとえばドイツの地方銀行やノルウェーの地方自治体に売却される。買い手はいわば、住宅ローンの貸し手になる。これらのCDOは細分化されているため、最初の借り手からの利子収入は、アメリカの一〇年国債の運用と同じくらい安定していると主張することも可能だった。したがってトリプルAのランクが付けられて、もてはやされた。金融業界では、まるで鉛を金に変える、高度で新たな錬金術のように受け取られた。

ところが、住宅ローンの契約をして最初の一、二年の「お試し期間」が過ぎ、金利が引き上げられると、借り手の支払いはしだいに滞る。このようにして、アメリカの不動産業界でバブルがはじけ、住宅の価格は一九三〇年代以来の安値に暴落した。そこから連鎖反応が広がり、ゆるやかながら壊滅に向かって進行した。資産担保証券は、たとえサブプライムローンに関連していなくても、価値が大きく下落した。銀行が設立したコンデュイットやSIVは甚だしい苦境に追い込まれた。銀行がこのような証券を引き取るにつれて、自己資本比率は低下して、状況は悪化の一途をたどった。欧米の中央銀行は、市中銀行の負担を軽減するために金利を引き下げ、短期の有担保貸出を用立てた。だが銀行が借り入れられる融資の金利は、コマーシャル・ペーパー(企業が発行する約束手形)を振り出すにしても、社債を売るにしても、銀行間貸出で資金を融通するにしても、政策金利の誘導目標をかなり上回っていた。企業買収のためのプライベート・エクイティへの貸付金も、二束三文でしか売却できなかった。アメリカやヨーロッパの大手銀行の多くは大幅な損失を出し、準備金を補強するため、欧米の中央銀行に短期の支援を要請するばかりでなく、自己資本増強のためアジアや中東の政府系ファンドからの投資を求めた。だが二〇〇八年の初頭になると、投資家たちは下げ一方の銀行株を買う意欲を失った。

いまから振り返ると、サブプライム住宅ローンの危機から全面的な世界金融危機への移行過程は、スローモーションで進んでいたように思える。アメリカにおける不動産価格の下落は早くも二〇〇七年一月には始まっていたのだが、株価の上昇は同年の一〇月まで続いた。二〇〇八年五月になっても、スタンダード・アンド・プアーズ五〇〇種株価指数(S&P500)は、前年のピーク時と比べてまだ一〇パーセント下がっただけだった。全米経済研究所(NBER)は、不況は二〇〇七年一二月に始まったとしているが、アメリカの消費者はその時点ではまだ下り坂の気配を感じ取っておらず、消費を抑えて買い控えに転じるのは、二〇〇八年の第3四半期に入ってからだった。やがて二〇〇八年九月という運命の転換点を過ぎると、「大沈滞」という言い逃れは影をひそめ、アメリカの危機はグローバリゼーション下の全面的な危機へなだれ込んだ。アジアやヨーロッパからの輸出は激減し、商品市場のバブルがはじけて、石油価格は一バレル当たり一三三ドルあまりという高値から、一気に下落した。

いったい、どうしてこのようなことが起こったのだろうか。何千万ドルを賭けた者が、なぜ何百億ドルも失うことになったのか。共和党政権は、いったいなぜ、連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)、連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)、大手保険会社のアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)を国有化しなければならなかったのだろうか。そして最大の疑問は、アメリカで起こった住宅ローンのつまずきが、なぜアメリカ国内だけにとどまらず、世界全体の不況につながっていったのか、という点だ。これらのナゾに答えるためには、国際金融の現象には、少なくとも次の六つの疑問点が相互に絡み合っていることを理解しておく必要がある。

①欧米の銀行の多くが、どうしてこれほどまでバランスシートのレバレッジを拡大したのか。言い換えれば、なぜ自己資本に不釣り合いなほど大きな借り入れをして貸し出すようになったのか、という疑問がある。
②住宅ローンやクレジットカードを含めてさまざまな負債があり、それらが「証券化」され、束ねたうえで分割され、別の債券のような形にされるようになったのはなぜか。
③各中央銀行の金融政策が狭義のインフレにこだわりすぎるようになり、株価のバブルがはじけることを十分に警戒せず、やがて不動産価格の崩壊につながっていく危険性に顧慮しなかったのはなぜか。
④大手のAIGを筆頭とする保険業界は、どうして本来のリスク保障業務に加えてさまざまなデリバティブに手を出し、不確定なリスクを抱え込んだのだろうか。
⑤欧米の政治家たちは、なぜ住宅ローン市場を活性化する数々の施策によって、持ち家の比率を増やそうとしたのだろうか。
⑥なぜ中国を中心とするアジア諸国は、何兆ドルもの外貨準備を積み上げて、アメリカの経営赤字を補填しようとしたのだろうか。

どれもとっつきにくい問題と思えるかもしれない。だが銀行が保有する資産に対する自己資本の割合は、学術的な興味以上の意味がある。それというのも、銀行史で最悪だと言われる一九二九年から三三年までの大恐慌は、アメリカの銀行システムにおける「大収縮」によって引き起こされたとされるからだ。

この本の目的の一つは、金融、とくに金融史になじみの薄い方のために、入門書の役割を果たすことだ。英語圏の人たちの圧倒的多数が、金融に関して無知であることはよく知られている。二〇〇七年におこなわれたある調査によると、クレジットカードを持っているアメリカ人一〇人のうち四人は、最もひんぱんに使うカードの請求額に対し、毎月、全額は払っていないという。翌月以降に返済を繰り越すと、かなり高率の延滞利息をカード会社に取られるというのに返済しない。三分の一に近い(二九パーセント)人が、自分のカードの延滞利息がどれほど生じるのかさえ知らない。約三分の一が、一〇パーセント未満だと思っているかもしれないが、実際には大多数のカード会社が一〇パーセントをはるかに超える延滞利息を課している。回答者の半数あまりは、学校で金融については「あまり学ばなかった」、あるいは「まったく習わなかった」と答えている。二〇〇八年の調査では、アメリカ人の三分の二は、「複利」とはどのようなものかを理解していなかった。ニューヨーク州立大学バッファロー校の経営学部が高校三年生を対象にしておこなった調査では、個人の資産管理や経済に関する質問の正解率は五二パーセントにとどまったという。一八年間、株を保有していれば、アメリカの国債を持っているより高額の利益が得られる可能性が高いことを理解できたのは、わずか一四パーセントだけだった。預金の利子に対し所得税が課されることを知っていたのは、二三パーセントたらずだった。五九パーセントもの人が、企業年金と社会保障、あるいは401(k)プランの違いを知らなかった(4)。

ただしこのように嘆かわしい状況は、アメリカだけの現象ではない。二〇〇六年にイギリス金融サービス庁が国民の金融リテラシー(熟知度)を調査したが、インフレ率が五パーセントになり、利率が三パーセントであった場合、貯蓄の価値がどうなるのか、まったく見当のつかない人が、五人に一人いた。また二五〇ポンドするテレビが値下げになる場合、三〇ポンド引きになるのと一割引きになるのとではどちらが得か、という設問にも、一〇人に一人が正解できなかった。これらは、かなり基礎的な設問だ。まして、プット・オプション(一定期間内に特定の価格で売る権利)とコール・オプション(一定期間内に特定の価格で買う権利)の区別を説明できる人となると、調査対象のうちごくわずかの人だけに違いない。CDOとCDSの字面は似ているがまったく別ものであると説明できる人となると、きわめて少数だろう。

政治家や中央銀行のお偉方、ビジネスマンたちは、一般の人びとが経済に疎いことを、つねに嘆いている。そう考えるのも、当然だ。多くの人は自らの税引き後の収入や支出に責任を持たなければならず、自分の家を持つことを期待され、退職後のためにどれほどの預金を残しておくべきかも、健康保険に加入するかどうかに関しても、個人の裁量にゆだねられている。賢明な家計の将来図を作っておくことも期待されている。だが現実には、今回の危機も、人びとが金融の歴史に無知だったことがかなり大きな要素だった、と私は信じている。それは、一般の国民だけではない。「世界の支配者」と謳われた金融マンたちも、過去の歴史からあまりにも学んでいなさすぎるし、彼らが信仰した高度な数理モデルは、「インチキ神さま」に過ぎなかったからだ。

現在の複雑な金融システムや専門用語を理解する第一歩は、その根源にさかのぼって調べてみることだ。金融システムや金融商品の起源を知っていれば、現時点における役割が容易に理解できる。したがって、現在の金融制度がどのようにして確立されてきたのか、その要点を時系列に沿って紹介していきたい。第1章では、マネーの歴史や信用制度の発達過程。第2章では債券市場。第3章は株式市場。第4章は保険。第5章は不動産市場。第6章は国際金融市場の興亡について詳述する。各章のなかで、歴史上の画期的な事態を概観する。たとえば、マネーはいつ金属から紙に移行したのか。だがその双方とも消え去ろうとしている現状は、いつごろから始まったのか。債券市場が長期金利を決定していて、世界経済を動かしているというのは本当なのだろうか。株式市場でバブルが生じたりはじけたりしたときに、中央銀行はどのような役割を果たすべきなのだろうか。自らをリスクから守る最善の方法は、必ずしも保険であるとは限らないのはなぜか。不動産に投資することのメリットは誇張されすぎているのだろうか。中国とアメリカが経済的に依存し合う状況は、国際金融を安定させているのだろうか、それとも、そのような錯覚を起こしているだけなのだろうか。

はるか紀元前の古代メソポタミア時代から現代のミクロ金融の時代まで、すべてをカバーしようというのは不可能に思える作業だ。思い切った省略や単純化も必要だ。だが現在の金融制度を正確に把握したいという読者の関心にかなうのであれば、努力も報いられるに違いない。

私もこの本の執筆過程で、大いに学んだ。そのなかでも、三つの点が際立っていた。第一点。貧困は、強欲な金融業者が搾取した結果として生じたものではない。むしろ、金融機関が不足していたため、つまり銀行が存在したからではなく、逆に銀行が身近に不在だったために貧しさが助長されてきた、といえる。マネーの借り手が効率のいい形の信用を供与されてはじめて、高利貸しから逃れることができる。また信頼できる銀行に預金できれば、のほほんと暮らす金持ちのカネが、勤勉な貧しい者に流れる仕組みができる。これは、世界の貧しい国ぐにに適用できるだけではない。先進国と思われている国ぐにの、貧しい地区にも当てはまる。このような「内なるアフリカ」は、私が生まれたスコットランドのグラスゴーの低所得者向け住宅でも見られた。貧しい家庭では、歯磨きから交通費まで一日六ポンドでなんとかやりくりしていたが、高利貸しから借りると、金利は年率に直すと最高で一一〇〇万パーセントも払わなければならなかった。

二つ目に私が学んだことは、平等が存在するのかしないのか、という問題だ。もし金融システムがなんらかの欠陥を内包しているとすれば、それは人間の性質をはっきり映し出し、誇張すらしてしまうところだと言えるだろう。行動ファイナンスという分野における数々の研究によってはっきりしたのは、金銭がらみの状況で、私たちは過剰に反応しやすい傾向がある、という点だ。つまり好調のときは有頂天になるが、事態が悪い方向に陥ると深く沈み込む。バブルとその崩壊は、根源的には私たちの気分のゆらぎに基づくことが多い。金融の一つの特性は、幸運で賢い者と、不運であまり賢くない者との差を拡大する傾向だ。金融がグローバル化したため、これまでの三〇〇年あまりにわたって図式化されてきたような、豊かな先進国と貧しい途上国の区分があいまいになってきた。国際金融市場が一本化されるにつれて、その分野の知識を持つ人間であれば、たとえどこに住んでいても、儲けるチャンスは増大する。その反面、金融知識が乏しい者は、損をするリスクが大きくなる。収入の分配という意味で、地球は決してフラット化していない。投資に対する見返りは、非熟練労働者や半熟練労働者の労働対価に比べて、格段に高くなったからだ。「情報収集」の成果が、いまほど大きい時代はない。金融知識が乏しければ、成果はまるきり望めない。

最後の第三点は、金融危機の時期や規模を正確に予測することは、すべての予言のなかでおそらく最も困難だろう、ということだ。なぜかといえば、金融システムはきわめて入り組んでいてひと筋縄ではいかない、ある意味では混沌とした状況にあるためだ。マネーの進化は、決してスムーズに進んできたわけではない。新たな難問に直面するたびに、銀行マンや金融界の人びとは対応策を講じてきた。金融史の変遷を見ると、一方的な上り調子で推移してきたわけではなく、アンデス山脈の稜線のように、不規則で鋭角の山あり谷ありの連続だった。別のたとえを使えば、金融史は典型的な進化の過程を経てきたのだが、自然界の進化と比べると、はるかに短期間に凝縮されている。アメリカのアンソニー・W・ライアン財務次官補は、二〇〇七年九月に、議会で次のように述べた。「自然界で絶滅する種があるように、新たな金融技術のなかにも、成功するものとしないものとがある」。このようなダーウィン的な淘汰過程の事例が、これからの本文で何回も出てくる。

地球の歴史においては、種の大量絶滅という事態が、繰り返し起こっている。たとえば、ペルム紀の末期には、地上の種の九割が姿を消した。また白亜紀第三紀には、大変動が起こって恐竜が姿を消した。私たちは、そのような状況に似た金界の「大絶滅」前夜にいるのだろうか。多くの生物学者がデータを目の前にして危惧しているように、人為的に引き起こされた気候変動が、地上の生物生息環境を破壊し尽くしてしまうのだろうか。だが、金融システムが大絶滅するとなると、もう一つの人為的な大惨事が起こるわけで、それはゆっくりながら、全地球規模の惨禍を引き起こしかねない。金融界の大ベテランであるアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン元議長やヘンリー・ポールソン元財務長官などを含め、多くのエキスパートたちが、このたびの金融危機は「一〇〇年に一度」の規模だと語っている。たしかに一九三〇年代以降、これほどのスケールで多くの金融機関が存亡の危機に立たされたケースはない。だからと言って、今回の危機を予測できなかったことの言いわけにはならない。歴史をひもとけば、大きな危機はしばしば一世紀に複数回の頻度で起こっていることが分かる。

このような理由から、家計の収支を合わせることに苦労する人にしても、巨大マネーゲームの王者を目指して邁進している人であっても、マネーの進化に精通していることがいまほど必要な時代はない。もし本書が、金融の知識とそのほかの知識を隔てている壁を打破するうえで役立つとすれば、私の執筆努力は無益でなかったことになる。

*1 正確にいえば、一人当たりの可処分所得の増加を意味する。時期は二〇〇六年の第3四半期から、二〇〇七年の第3四半期まで。それ以後はほとんど変動がなく、二〇〇七年三月から二〇〇八年三月にかけては増加していない。二〇〇八年の「大統領の経済報告」から
http:/www.gpoaccess.gov/eop/)。
*2 ポール・コリアー『最底辺の10億人−−最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?』(中谷和男・訳、日経BP社)
*3 金融界を選ぶ女子学生の比率は二・三パーセントから三・四パーセントに増えただけだった。金融を志すのは男子の方が女子より圧倒的に多いようだ。
*4 401(k)プランは、一九八〇年に導入された確定拠出型年金制度。401(k)は、アメリカ歳入法の条項番号を借用したもの。企業の従業員は、給与の一部を退職後のために積み立て、運用商品を選択できるし、利益分については、おおむね非課税の特典が与えられる。

ニーアル・ファーガソン (著), 仙名 紀 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2015/10/22)、出典:出版社HP

貨幣システムの世界史 (岩波現代文庫)

貨幣の価値を歴史的に検証する

本書は、世界史における貨幣を人文科学的に詳細に解説している本です。現代のように、取引に関するインフラや様々な条件が整備されていなかった時代において、貨幣の価値がどのように扱われていたのかがわかります。ただ、専門的な内容で、世界史と貨幣の関係を研究したい方向けの本でもあります。

黒田 明伸 (著)
出版社 : 岩波書店 (2020/2/16)、出典:出版社HP

目次

序章 貨幣の非対称性
1 合算できない貨幣たち/2 手渡される貨幣の論理/3 還らない貨幣/4 多元的貨幣識へ

第一章 越境する回路――紅海のマリア・テレジア銀貨
1 マリア・テレジア銀貨の謎/2 英仏伊白による鋳造競争/3 銀貨流通の実態/4 回路としての貨幣/5 マリア・テレジア銀貨が語る貨幣論

第二章 貨幣システムの世界史
1 見えざる合意/2 地域流動性と支払協同体/3 銅貨の世界と金銀貨の世界――手交貨幣の二極面/4 分水嶺としての一三世紀/5 本位貨幣制と世界経済システム

第三章 競存する貨幣たち――一八世紀末ベンガル、そして中国
1 錯綜する貨幣/2 超零細額面貨幣、貝貨の世界/3 競存する銀貨/4 市場の重層性と通貨の競存/5 銀流入はインド・中国に何をもたらしたのか

第四章 中国貨幣の世界――画一性と多様性の均衡構造
1 時代を超越する枠組――「土銭」・「郷価」の世界/2 銅銭経済の論理/3 二つの紙製通貨――鈔と票/4 上下「不」通の構造――秤量銀制度創出の動機/5 自律的個別性と他律的画一性

第五章 海を越えた銅銭―環シナ海銭貨共同体とその解体
1 ジャワの万暦通宝/2 中国における基準銭/3 中世日本における基準銭の形成とその消失/4 中世日本における銭貨流通の特質/5 東南アジアにおける銭貨流通/6 環シナ海銭貨共同体の遠近

第六章 社会制度、市場、そして貨幣―地域流動性の比較史
1 貨幣と制度的枠組/2 自己組織化された地域流動性――伝統中国における小農と市場町/3 地域流動性の他律的調整――絶対王政期以前の西欧/4 地域流動性の座標/5 地域的信用と地方銀行/6 伝統市場の四類型

第七章 本位制の勝利――埋没する地域流動性
1 一国一通貨原則の歴史性/2 小農経済と在来通貨の変容/3 紙幣と兌換性/4 脱現地通貨化と恐慌

終章 市場の非対称性
1 貨幣需要の季節性と通貨の非還流性/2 「財の交換」と「時の交換」/3 市場階層の不整合/4 市場の水平的連鎖と垂直的統合

補論 東アジア貨幣史の中の中世後期日本
1 常識の非「常識」/2 明代私鋳の北宋銭、開元銭、そして永楽銭/3 階層化する環シナ海の銭貨――悪貨は良貨を駆逐せず/4 分岐する近世東アジア

あとがき
増補新版あとがき
岩波現代文庫版あとがき

参考文献

黒田 明伸 (著)
出版社 : 岩波書店 (2020/2/16)、出典:出版社HP

貨幣の「新」世界史──ハンムラビ法典からビットコインまで (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

お金の性質を多角的に考える

本書は、お金の起源とお金と人間の関係について様々な視点からアプローチしている本です。生物学や宗教といった、お金とはあまり直接的な関連がないように思える項目から、お金のルーツを探ろうとしていく過程には、知的な刺激があります。多角的な見方について触れたい方には、参考となるでしょう。

カビール セガール (著), 小坂 恵理 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2018/10/4)、出典:出版社HP

貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで 【目次】

序文 ムハマド・ユヌス(ノーベル平和賞受賞者・グラミン銀行創設者)
はじめに

第1部 精神
アイデアのルーツ
第1章 ジャングルは危険がいっぱい 交換の生物学的起源
第2章 私の心のかけら お金の心理学的分析
第3章 借金にはまる理由 債務の人類学

第2部 身体
お金の物質的形態
第4章 ハードな手ごたえ ハードマネーの簡単な歴史
第5章 ソフトなのがお好き? ソフトマネーの簡単な歴史
第6章 バック・トゥ・ザ・フューチャー お金の未来

第3部 魂
価値の象徴
第7章 投資家は天使のごとく 宗教とお金
第8章 貨幣は語る お金に表現された芸術

エピローグ
謝辞
訳者あとがき
写真クレジット
主要参考文献
原注

カビール セガール (著), 小坂 恵理 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2018/10/4)、出典:出版社HP

序文

一九七四年、私はバングラデシュのチッタゴン大学で経済学を教えていた。新しく建てられた大学キャンパスの隣には、パングラデシュの典型的な農村ジョブラがあって、キャンパスへ行くための通り道になっていた。この年は国じゅうが深刻な飢饉に見舞われ、何百万人もの国民が苦しんだ。そして、この苦しみのいっさいを和らげるために自分は何もできないことを認識すると、学問や知識に裏付けられた私の思い上がりは消え去っていった。無力な自分に何ができるか悩んだすえ、一度にひとりでもよいから、救いの手を差し伸べたいという発想がわいてきたのだった。

ささやかな使命を胸に秘め、私は毎日村の様子を観察し始めた。しかし仕事は山ほどあって、どこから手を付けてよいかわからない。やがて、村全体に高利貸しが蔓延している実態が目につくようになった。最も貧しい人たちを食いものにするこのメカニズムを目の当たりにして、私の胸は痛んだ。そこで、一度にひとりでもよいから助けようと決めた目標を実行に移すため、ポケットマネーを貧しい村人に貸し出すようになった。こうしてマイクロクレジットというアイデアは生まれたのである。

貧しい人たちの銀行としての活動を始めると、私はお金に対する評価を改めた。従来の経済学においてお金の定義は範囲が限定され、自己利益の最大化を図る手段、もしくは慈善のための施しのどちらかだった。しかしお金は、貧困の減少や環境保護など、重要な社会的目標を促進するためにも利用することができるのだ。ただしそれには、お金を斬新な形で応用し、新たな視点から、言うなれば複数の学問のレンズを通して積極的に見直していかなければならない。カビール・セガールの新著である本書は、まさにそれを実践している。

私は二〇一〇年にニューヨーク市でカビールとの初対面を果たした。当時の彼は、二〇〇八年の金融危機が世界中の何百万もの人たちを悲惨な状況に追い込んだ現実を深く憂慮していた。無責任で排他的な金融機関は設計し直すべきだという点でふたりの意見は一致したが、カビールは私よりもさらに踏み込んでいた。お金はなぜ、どのような形で私たちの人生を左右しているのか解明する作業に、積極的に取り組もうとしていたのだ。お金が私たちの人生でどんな役割を果たしているのか、評価し直したいとさえ考えていたのではないか。お金に対する私たちの理解を豊かにし、視点を広げ、金融リテラシーを高めるような本を執筆したいと語っていた。

カビールの努力から生まれた本書は、ユニークで興味深い視点からお金を研究している。モノを売買する手段としてだけでなく、人類の長年の進化の延長としてお金は生まれたという発想に基づいている。そして、人間に備わっている多面性を反映するかのように、生物学、人類学、歴史学、宗教学など、様々な学問の視点を通してお金や交換行為について探究している。お金がどのように発明され、利用され、時間と共に変化して、未来はどうなるのか。なぜ私たちの生活を大きく左右する存在になったのか、結局のところどのように利用したらよいのか、カビールは様々な角度から分析している。

本書のなかでカビールは、お金の過去と現在を考察し、未来の姿を予想している。そのなかで特に私は、お金の未来に興味を持っている。どんな姿に発展し、どのような影響力で社会に変化を引き起こしていくのだろう。私はマイクロクレジットを通じてお金の力を認識した。お金は人びとを勇気づけ、社会に意義と持続可能な変化をもたらしてくれる存在でもある。ソーシャルビジネスにおいては、無配企業がこのような形でお金を利用すれば、人間の直面する問題の解決に貢献できる。少しでも多くの方々が本書を読み、お金は貯めこむだけの存在ではないことを理解して、将来的にソーシャルビジネスを立ち上げてくれれば幸いだ。

しかしお金が将来どのような形になるにせよ、本書を執筆してくれたカビール・セガールの貢献は大きい。過去何世紀にもわたってお金が人びとに対してどのような意味を持ってきたのか、そのいっさいが大局的な視点から紹介されている。言うなれば私たちは、セガールから前進基地を提供された。本書を出発点としてお金に新しい意味を加え、生活における新たな役割を提供し、未来の理想の世界を構築するための土台としてあるべき姿を想像していけばよいのだ。ありがとう、カビール。

ムハマド・ユヌス
ノーベル平和賞受賞者
グラミン銀行創設者

カビール セガール (著), 小坂 恵理 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2018/10/4)、出典:出版社HP

貨幣の日本史 (朝日選書)

日本の貨幣の歴史を俯瞰的に見る

本書では、日本における貨幣のダイナミックな歴史を俯瞰的に捉えて体系的に整理しています。歴史の振り返りにもなりますが、内容が具体的で、歴史の面白さを貨幣によってうまく引き出していると言えます。また、一般的な世界史の授業には見られない、日本と世界のつながりを描き出しています。

東野 治之 (著)
出版社 : 朝日新聞社 (1997/3/1)、出典:出版社HP

貨幣の日本史 目次

はしがき

1 貨幣の誕生とまじない銭
富本銭の発見 / 和同銭と同時期に / 流通用でない厭勝銭 / いろいろな厭勝銭の存在 / 鋳銭司任命はなんのために
2 和同開珎の銀銭と銅銭
最初の通貨発行 / 試験答案に残る貨幣政策 / 導入期の貨幣の価値 / 流通のための蓄銭叙位の法 / 金銭と銀銭 / 鋳造と鍛造 / 銀銭発行の意味
3 和同開珎と唐の開元通宝
和同開珎の手本 / 開元通宝か、開通元宝か / トルファンの貨幣の文字 / 日本銭を手がかりに / 開元通宝そのままに / 桓武“新王朝”の独自色
日日
4 東の貨幣と西の貨幣
形・製法・価値 / 世界各地のドラクマ銀貨 / 閉鎖的な東洋世界 / 海を越えた和同開珎 / 東西交渉の接点
5 宋銭の輸入
貨幣流通の浸透 / 贋金造りと乱脈発行 / 東アジアの北宋銭流通 / 新安沈船の銅銭 / 土地売買に宋銭 / 選択受容の日本
6 銭の重さ
銭貨を束ねる / 紙幣の誕生 / 日本では為替 / 埋められた銅銭 / 紙幣流通の条件 / 贋札対策
7 永楽銭に筆蹟を残した日本僧
日本で人気の水楽通宝 / 五山僧の筆蹟 / 能筆の日本人 / 義満外交のなかで / 大銭は避ける / 明の鎖国と貿易
8 倭寇の輸入銭
倭寇と密貿易 / 倭人の好むもの / 銅銭の粗悪化 / 悪銭を嫌う / 悪銭をどう流通させるか / 銀精錬法の普及 / 銅銭から米、そして銀へ
9 世界史を動かした日本銀
生糸と日本銀と倭寇 / ポルトガル人の参入 / 東西貿易資金として / 布教活動の経済的背景 / イエズス会神父の役割
10 金貨の相場、銀貨の相場
家康の金銀貨 / 小判が流通用 / 別体系の相場 / 金座・後藤家 / 銀座・大黒家 / 銅銭は認可制
11 貨幣の海外流出と改鋳
貨幣増量が目的 / オランダの東アジア貿易 / 日本の金銀輸出 / 貿易高制限で流出防止 / 狙われる日本銅 / 相場安定策
12 輸出された銅と銅銭
銅銭輸出国への転換 / 日本製北宋銭をアジアへ / アダム・スミスと日本銅 / 輸出銅の行方
13 田沼意次の新貨幣的
田沼の改革 / 田沼の金銀輸入策 / 名目貨幣の定着 / 銅銭も名目貨幣に / 大型銅銭、天保通宝
14 貨幣収集家、朽木昌綱
江戸版貨幣カタログ / 蘭学大名、朽木昌綱 / 蘭学の花開く時代に / オランダ商館長と物々交換
15 流出した金と小さな小判
開国と金流出 / 不利な条件を呑む / 安政小判、大量に国外へ / 閉鎖社会の経済失策 / 銀本位制へ / 職人芸の生きる明治貨
16 紙幣の神功皇后と藤原鎌足
紙幣のデザイン / 神功皇后の肖像画 / なぜ神功皇后か / 紙幣に選ばれる人々 / 藤原鎌足像のモデル

あとがき
参考文献
索引

図版/モリヤマ

東野 治之 (著)
出版社 : 朝日新聞社 (1997/3/1)、出典:出版社HP

はしがき

歴史の語り手として、貨幣は大きな意味を持っている。文献資料の乏しい西アジアやヨーロッパの場合はもちろんだが、そうでない日本のような国でも、その意義は変わるまい。しかしこれまでに書かれた歴史のなかで、貨幣が十分生かされてきたかといえば、そうではないだろう。もちろん貨幣を抜きにした歴史などありえないが、具体的な実物となると影が薄いのである。しかし貨幣をモノとしてながめれば、そこからまた独自の歴史を聞きとることができるのではないだろうか。

実物の重要さということは、主に貨幣収集を趣味とする古銭家によって、早くから指摘されてきた。しかし古代や近世の一部を除けば、歴史学との連携は、あまり進んではいない。これには、実物の世界が容易に極められない奥深さを持っていることや、歴史にとってそれはさほど大きな意義がないという意識が災いしていたといえよう。しかし近年、こうした通念は、ゆるぎつつあるように思われる。古代から近世まで、ほぼ全時代にわたり、出土銭が大量に発見されるようになったからである。銅銭のなかには、銭の文字から一見中国銭のようにみえても、実は日本で鋳造されたものもある。これは出土銭の意義を見定める上で見逃せないポイントといってよい。しかしこの判別は、一般の日本史研究者や考古学者には無理で、古来、古銭家の得意としてきたところだった。一方、古銭家の泣き所は、種類分けには詳しくても、それが実際の年代に結びつきにくいことである。古銭家の扱ってきた貨幣は、たとえもともと出土品でも、どのような遺跡から、どういう状態で出土したかが、ほとんどわからない。それでは年代を決めるにも定点が定められないのである。この点については考古学者の発言が重みを持つ。どのようなタイプの貨幣が、いかなる遺跡から出てくるかを押さえてゆけば、貨幣のさまざまなタイプを、ある程度時期分けしてゆくことも不可能ではないだろう。

このようにみてくると、貨幣に歴史を語らせるには、日本史家、古銭家、考古学者の相互乗り入れが、どうしても必要なことがわかる。現に出土銭を研究する新しい学会が生まれるなど、こうした気運が盛りあがりつつあるのは歓迎すべきことである。理論でも文献研究でもなく、古銭研究でもない、新しい貨幣史が書かれねばならないだろう。

本書をその試みだというつもりはないし、にわかにそれをものする能力も私にはない。ただモノとしての貨幣に、もう少し光を当てたいという思いを、本書に託してみた。今までにないなにかを読みとっていただければ、これに過ぎる喜びはない。

東野 治之 (著)
出版社 : 朝日新聞社 (1997/3/1)、出典:出版社HP

貨幣進化論―「成長なき時代」の通貨システム (新潮選書)

低成長経済の閉塞感を経済学で読み解く

資本主義社会は、経済を急速に成長させ、人々に多くの恩恵をもたらしました。しかし、近年では、経済の低成長が続き、貨幣のシステムがうまく機能していないような現象が見られます。本書では、低成長でも機能するお金の仕組みについて、経済史を通じて、著者がユニークな解決策を提唱しています。

岩村 充 (著)
出版社 : 新潮社 (2010/9/23)、出典:出版社HP

貨幣進化論 「成長なき時代」の通貨システム 目次

はじめに

第一章 パンの木の島の物語
一 物語の始まり
腐ってしまうパンの実を替える方法
助け合いから契約へ
資本市場の成立
貯蓄と投資そして利子
二 貨幣という発明
貨幣の誕生
シニョレッジの始まり
バンクの誕生
政府とバンクそして国債
未来の物語
三 最後の日の貨幣
船がやって来た
最後の日の貨幣価値
後日譚として
パネル1:ドーキンスとスミス
パネル2:文字の起源
パネル3:需要と供給そして「見えざる手」
パネル4:4000年明の利子規制
パネル5:貨幣としての宝貝
パネル6:リディアの刻印貨幣と中国の布銭
パネル7:中国の交子とストックホルム銀行券
パネル8:国債が誕生したころ
パネル9:貨幣としての銀と金
パネル10-1:最後の日の貨幣
パネル10-2:最後の日の貨幣

第二章 金本位制への旅
一 利子は罪悪か
時間を盗む罪
成長へのギア・チェンジ
中世日本の利子感覚
ヨゼフの黄金
二つの利子率
二 金貨から銀行券へ
金貨と銀貨の時代
イングランド銀行の生い立ち
スレッドニードル通りの老婦人
そして中央銀行へ
三 金融政策が始まる
ニュートン比価と金本位制
金融政策の始まり
ピクトリアの英国
米国、遅れてきた青年
四 戦争の時代に
危機への処方箋
ドイツの奇跡とフランスの奇跡
呪縛にかかった英国と日本
そして大不況に
五 金本位制の舞台裏
黒衣はロンドンにいた
中央銀行は何をしていたのか
パネル11:ウェルギリウスに海かれて地獄を巡るダンテ
パネル12:成長へのギア・チェンジ
パネル13:中世日本人の貨幣観
パネル14:ゲゼルとケインズ
パネル15:自然利子率の発見者
パネル16:価格革命
パネル17:山田羽書と落札
パネル18:歴史に残るバブルたち
パネル19:日本銀行の設立と銀行券
パネル20:ニュートン造幣局長官
パネル21:19世紀英国の鉄道ブーム
パネル22:ブリタニアが波頭を制した
パネル23:合衆国銀行と連邦準備制度
パネル24:図解・金兌換停止と物価のシナリオ
パネル25:ヘルフェリッヒ対ボワンカレ
パネル26:金解禁のお祭り騒ぎと反動
パネル27:高橋財政
パネル28:第二次世界大戦後の金価格
パネル29:マネタリストとフリードマン

第三章 私たちの時代
一 ブレトンウッズの世界
ブレトンウッズ体制の仕組み
幻のバンコール
黄金の六〇年代
不思議の国のSDR
日本は奇跡だったか
三六〇円という規律がもたらしたもの
そしてニクソン・ショック
二 私たちの時代
漂わなかった貨幣たち
貨幣価値とは政府の株価
金利とマネーサプライ
律儀な政府と中央銀行
パネル30:フォートノックスの金保管施設
パネル31:ケインズとホワイト
パネル32:ブレトンウッズ体制の舞台裏
パネル33:IMFとSDR
パネル34:戦争経済の遺産
パネル35:焼け跡と一銭五厘の旗
パネル36:天皇とマッカーサーそしてドッジ・ライン
パネル37:ニクソン・ショックとオイル・ショック
パネル38:変動相場制移行後のインフレ率の推移
パネル39:倒産する国、しない国
バネル40:ヘリコプターとケチャップと不良債権
パネル41:変動相場制移行後の円とドル

第四章 貨幣はどこに行く
一 統合のベクトルと離散のベクトル
統合のベクトル
離散のベクトル
競争する政府たち
ユーロからの教訓
二 貨幣はどこに行く
金融政策のルール
技術と人口
フィリップス曲線の異変
水平化と消失、二つの脅威
貨幣を変えられるか
キーワードはシニョレッジ
カエサルのものだけをカエサルに
パネル42:ユーロを生み出したもの
パネル43:良貨が悪貨を駆逐する
パネル44:通貨はどこにあるか
パネル45:囚人のジレンマ
パネル46:フィッシャー方程式とイスラム金融
パネル47:テイラールール
パネル48:技術と人口
パネル49:フィリップス曲線の異変
パネル50:愚者の船
パネル51:貨幣に金利を付ける方法

おわりに――変化は突然やってくる

岩村 充 (著)
出版社 : 新潮社 (2010/9/23)、出典:出版社HP

はじめに

貨幣の何かがおかしい。そう思うことはありませんか。格差、金融危機、デフレ、バブル経済、今日の私たちの悩みの多くに貨幣がかかわっています。それは貨幣というシステムの何か本質的な欠陥によるものではないか。貨幣を変えた方が良いのではないか。そうした疑問が、金融や経済あるいは社会のあり方を巡って繰り返される論争の根底にあるように感じるのは私だけではないでしょう。その答を、貨幣の歴史を振り返りながら探してみたい。そう思いながら私はこの本を書き始めました。

貨幣はシステムです。コインの一枚一枚、紙幣の一枚一枚は、それだけでは何の意味もありません。貨幣の意味は、それを貨幣だとみんなで認める、その仕組み自体にあります。だから貨幣はシステムなのです。便利なシステムです。そして困ったシステムでもあります。貨幣を変えたいと私たちが思うことがあるのは、その困った面が行き過ぎていると感じることが少なくないからなのでしょう。
では、問題は貨幣が作り出したものなのでしょうか。貨幣を変えれば問題は解決するのでしょうか。それを問うのならば、まずは貨幣というシステムの便利さとは何かを考えておく必要があります。
貨幣は便利なものです。貨幣があれば、いつでもさまざまなものを手に入れることができます。私たちが、外出先でお腹が空いたとき、ステーキを奮発しようかラーメンで済ませようか、そう迷うことができるのもポケットにオカネがあるからです。あるいは、ちょっと多めの残業手当をもらった給料日に、将来の結婚や出産に備えて貯金をしておこうかと考えることができるのもオカネつまり貨幣があるからです。もし貨幣がなかったら、今日は何をするか、明日にどう備えようか、それを計算しつくさなければ、家から一歩も出られないかもしれません。私たちが財布を持ちさえすれば気軽に外出できるのは、貨幣というシステムのおかげなのです。
しかし、貨幣は悩みの種にもなります。貨幣を持っていると、いろんな人に出会うことになります。出会うのは、おいしいランチを作ってくれる親父さんや真面目な銀行員ばかりではありません。スリにも詐欺師にも強盗にも出会います。でも、それは仕方がないことでしょう。
昔、鉄道が世の中に登場したとき、反対する人たちは、鉄道に乗って多くの悪いものが運ばれて来るだろうということをその理由にしました。平和に暮らしている町や村に鉄道が開通すると、悪しき心を持った人や不道徳な文化の産物が流れ込んで来るのではないかと案じたのです。それは必ずしも間違った予想ではありませんでした。でも、そうした反対は、鉄道に乗って便利な商品や新しい働き口など、良いものがたくさん運ばれてくると感じる人が増えるにつれ消えて行ったのです。
貨幣も同じことです。貨幣とは要するに「価値の乗り物」ですから、鉄道と同じで一定の手順を踏めば何でも乗せてしまいます。良いものも悪いものも乗せてしまうのです。ですが、それで貨幣を批判するのはお門違いというものでしょう。批判されるべきは、悪しきものや悪しき心であって、その「乗り物」ではないのです。
貨幣に対する批判のなかには、貨幣そのものへの批判ではなくて、貨幣が何でも乗せてしまうことへの批判、要するに貨幣が便利すぎることへの批判もあります。私は、そうした批判に反論したいとは思いませんが同調するつもりもありません。貨幣という「価値の乗り物」の乗客のうちで、「良き」と評価すべきものが多いか、「悪しき」と評価すべきものが多いと思うかは、突き詰めれば個人の価値観の問題だからです。信念に基づいて貨幣どころか商品経済全体を拒否して農村で自立生活をする人々がいます。そうした人々の理想の高さと意志の強さは尊敬に値しますが、彼らに合流する人は多くないでしょう。それは世界観あるいは価値観が違うからです。貨幣に対する批判のうちのいくらかは、そうした世界観や価値観の持ち方の相違から来るものであるように思えます。

しかし、貨幣の問題はそれだけではなさそうです。私たちが貨幣の何かがおかしいと感じることがある背景には、現代の貨幣が、それが本来持つべき機能を果たさず、果たすべき目的からの逸脱すら生じているという認識も隠れているからです。

この本を書いている二〇一〇年の今、世界は二〇〇八年の秋に始まる「リーマン・ショック」と呼ばれる経済危機から立ち直っていません。危機の原因が何であったかについての議論はさておきましょう。しかし、危機の発生と連鎖のメカニズムに貨幣というものが深く介在していたことを否定する人はいません。それは貨幣というものに対する人々の見方や考え方にも大きな傷を与えたと思います。貨幣は人々の感情を傷つけたのです。
もっとも、感情と勘定は別ものです。危機の発生と拡大に貨幣が介在していたにもかかわらず、人々が実際に取った行動は石油や不動産などの実物的な価値を捨て、とりあえず貨幣の世界へと逃げ込もうというものでした。経済危機の発生と同時に、これらの価格は大きく値を下げたのです。危機を通じて、貨幣は「感情」の世界でますます嫌われるようになり、「勘定」の世界でますます強く抱き寄せられるようになったわけです。

ところが、そうした危機の過程で別の動き方をした資産もありました。それは「金」です。金は、危機勃発の時点では、他の実物資産と同じく大きく売り込まれました。しかし、二カ月もしないうちに値を上げ始め、危機の一年後には史上最高値を更新するまでに高騰してしまったのです。これは何を示唆するのでしょうか。
かつて金は貨幣そのものでした。金貨の時代の話です。それが、金を支払準備として金庫に納めたままにし、代わりに銀行券を流通させる制度である「金本位制」へと移行したのは一九世紀半ばのことです。金本位制の下で人々の請求に応じて銀行券を金へと交換することを「兌換」といいます。金本位制では金そのものが貨幣として使われることは少なくなったのですが、金は兌換という仕組みを通じて貨幣の価値を支えていると信じられていたのです。
しかし、現在は違います。現在の貨幣制度は「管理通貨制」といって、貨幣価値の体系のなかに金を介在させません。貨幣を発行する仕組みそのものへの信用によって支えようというシステムなのです。それは第二次世界大戦中の一九四四年に開かれた国際会議、いわゆるブレトンウッズ会議での合意を始まりにするものですが、現代の貨幣が金と完全に縁を切ったのは、一九七一年に米国のニクソン大統領がドルと金との交換を停止すると宣言したことによってです。後に「ニクソン・ショック」と呼ばれるようになった事件ですが、以来、金は貨幣という劇場から退場したことになっていたのです。
その金が危機に際して急速に値を上げた背景には、現在の貨幣たちに対する不信があるように思います。それどころか、それは単なる不信の現れではなく金本位制復活の予兆に違いないとまで言う人たちもいます。しかし、私はそうした金価格の高騰を金本位制復活の予兆とみるのはナンセンスだと思っています。
金本位制の歴史というのは、戦争や恐慌などの危機に際しての兌換停止と、危機後の再開の繰り返しだったといえます。金あるいは金貨の輝きは危機の時にこそ魅力を発揮しますが、金本位制という制度そのものは危機に弱いのです。ですから、現在の貨幣たちの成績が芳しくないからと言って、引退したはずの金という役者を、危機再発の恐れが消えないうちに貨幣劇場の舞台に呼び戻そうというのは賢い選択ではありません。私たちが考えるべきは、ドルをはじめとする現役の貨幣たちが評判を落とすと、理由ははっきりしないままで金が買われたということの方でしょう。その原因の多くは、貨幣価値の基礎がどこにあるのかを分かりにくくしてしまった現在の貨幣制度の側にあると思えるからです。
それをどう直すか、そもそも直すことが可能なのか、それがこの本に私が託したいテーマです。

この本では、まず貨幣というシステムが、どうして成り立っているのかを説明したいと思います。説明の仕方はいろいろあるでしょうが、ここでは経済とか社会というものが生まれ発展する過程を一つの物語として描いて、そこに貨幣というものが入って来るシナリオと、貨幣価値の決まり方について考えてみようと思います。それが第一章「パンの木の島の物語」です。少しの事実と少なくない想像から作り上げた仮想世界での物語ですが、いわゆる思考実験の一種だと思ってそこはお許しください。
第二章「金本位制への旅」では、今の私たちの貨幣制度の直接の源流である金本位制が成立するまでの貨幣の歴史を辿ります。旅のテーマは貨幣価値と時間との関係、具体的には金利の問題です。貨幣が金利を生むということには二千年を超える歴史がありますが、それは貨幣が人々の懐疑と憎悪の的となる理由にもなってきました。『モモ』そして『はてしない物語』などで知られる作家ミヒャエル・エンデは、時間や価値あるいは貨幣というものについての洞察でも多くの人の心をとらえています。その彼の感性のなかにも金利への重い疑念があるように思います。私は、そうした疑念の全部が正しいとは思いませんが、それでも彼が訴えようとした事柄の多くは貨幣を論じる者として無視すべきでないと思っています。ここでは、この金利という概念をキーワードにして、金貨や銀貨の時代が銀行券と中央銀行の時代へと移り変わった過程を追ってみましょう。そのなかで、銀行券と中央銀行とが生み出した金融政策という仕組みについても考えてみたいと思います。扱う時代は、金本位制が終局を迎える第二次世界大戦の前夜までです。
第三章「私たちの時代」で扱うのは現在の問題です。この章では、第二次大戦後の固定相場制時代とその崩壊から始まった変動相場制の時代におけるさまざまな出来事を辿りながら、金と訣別した現代の貨幣の価値の拠り所とは何か、そこでの政府と中央銀行の役割はどんなものなのかを考えます。そして、そうした世界の動きを踏まえて、第二次大戦後の日本に何が起こったのかと、その日本が抱える問題とは何かを探ります。マネーサプライとかインフレターゲットというような話題についても触れておこうと思います。
第四章「貨幣はどこに行く」は本書の締めくくりです。貨幣の未来を考えるうえで見落としてはいけないことは、世界経済が「成長」といえるほどの発展を示し始めたのは一九世紀の出来事であり、それは現代の貨幣制度の前身たる金本位制が世界に普及していった時期に重なるということです。このことは、貨幣と金融の制度が大発展した一九世紀そして二〇世紀という時代が、実は人類史の中では特殊な時間だったのかもしれないということを示唆するものでもあります。現代の貨幣制度は一九世紀に始まった「経済の持続的な成長」ということを大きな前提とするものなのかもしれないのです。しかし、二一世紀の世界がこれまでと同じやり方では成長を続けられないことは、人口や技術進歩の状況そして環境制約からみても明らかでしょう。もちろん、人類はそうした制約を乗り越え、新しいやり方で経済成長を続けさせることができるかもしれません。でも、できなかったとき貨幣をどうすべきか、それは、貨幣の問題を真剣に考えるのならば、一度は思いを巡らせるべきテーマなのではないでしょうか。この章では、そうした大きな歴史の流れをも踏まえて、私たちの貨幣がどこに行くのかを考えていくことになります。これにはいろいろな考え方ができます。いろいろな考え方ができますから、考えることの中身はここには書きません。どうか最後までお読みください。そのうえで貨幣というシステムを変えることができるかどうか、それを皆さん自身でお考え頂けたらと思います。

では、第一章の物語を始めます。

岩村 充 (著)
出版社 : 新潮社 (2010/9/23)、出典:出版社HP

金融の世界史

主要国の金融の歴史から金融の現状を紐解く

本書は、主要国の金融の歴史を網羅しており、金融の発展の経緯について学べる本です。産業の投資やイノベーションを促すサポート役であった金融が、徐々に自己拡大し、経済活動の主役になるまでの過程が描かれています。現代の金融の課題から将来の金融のあり方を考えるきっかけになるかもしれません。

国際銀行史研究会 (著)
出版社 : 悠書館 (2012/10/5)、出典:出版社HP

まえがき

2008年9月に起きた米国の投資銀行リーマン・ブラザーズ社の倒産をきっかけに、銀行経営者の高額報酬をめぐり、金融業に対する批判が社会で急速に高まっていった。最近も、米国政府の銀行に対する救済支援、富裕層優遇措置、失業や年金などに対する憤りから、世界の金融業の総本山のひとつであるニューヨークのウォール街には、「ウォール街を占拠せよ」の掛け声の下に激しい抗議行動が押しかけたりした。

以前から銀行には、投機的なマネー・ゲームを仕掛ける首謀者という悪評がついてまわった。原油や穀物のように、本来、人間の使用に供すべき商品に対してもマネーの暴走が押し寄せ、ヘッジファンドの容赦のない投機活動がみられたが、この背後には、年金ファンドとともに資金を融資する銀行の存在があげられていた。実際、米国の銀行業界では、儲かるものなら何でも手を出し、相手をひたすら蹴落として利己的に勝ち進む、「貪欲は善」という金儲け主義が蔓延し、倫理観が失われていた。旧世代の投資銀行家は、信頼と親密さで支えられていた顧客との関係が、取引優先の倫理観に取って代わられてしまったと嘆く。その頂点に達したのが、住宅価格の上昇をあてに金融機関が低所得者層に貸し出したサブプライム・ローンと、そのセキュリタイゼーション(証券化)、レバレッジ(少ない資産で大きな取引を行なうこと)を利用した「自己勘定」ビジネス、そして破綻という一連の悪夢であった。
マネーを貸し出す人と借り入れる人の間を効率的に仲介するのが、金融業の本来の役割である。資金をもたないが起業家精神あふれる技術者や実業家に融資して、経済や産業の工業化に大きく貢献したのである。このように、金融業は実体経済の補佐役に徹すべき性質のものであるが、これが一人歩きして自己運動を開始し肥大化して、経済活動の主役の地位に躍り出てしまったのである。金融業は、何故このような状態に陥ってしまったのであろうか?
『金融の世界史』と題する本書は、主要国の金融業の発生と発展の歴史を国際的に比較するなかから、このような問題に答えようとしたものである。

本書の分析方法と構成

最初に本書のもつ分析方法の特徴と構成について、簡単に言及しておく必要がある。

1 歴史的側面の重視
現代のような激動と変革の時代において社会経済の将来を見透すためには、歴史にもとづく分析方法が最も有効性を発揮する。投資銀行ソロモン・ブラザーズ社の副会長を務めたヘンリィ・カウフマンは、現状に警鐘を打ち鳴らす性癖があることからウォール街の〈陰鬱博士〉の異名をもつが、彼は「歴史は比較的平穏な時期よりも、激動期にこそ、より重要であり役に立つ。長期的な展望だけが長期的なパターンを検証し、長続きし突出したものと、短命で一時的な流行にすぎないものとを区別する手助けになってくれる」と、歴史の教訓を強調する(伊豆村房一訳『カウフマンの証言――ウォール街』東洋経済新報社、2001年)。

2 金融業と実体経済の関係に着目
ふたつ目の特徴となるのは、金融業の制度的な変遷に過度にこだわることを避け(制度的な説明に意味がないと言うつもりは毛頭ないが)、金融業と実体経済の関係に注意を払ったことである。本書の内容から明らかなように、世界には実にさまざまな銀行業態が出現した。その国が置かれた歴史的な背景や発展経路により、独自の金融制度や金融構造が形成されたのである。これらの多種多様な金融業を把握するためには、執筆者の間で統一した分析視角を共有することが不可欠となる。この点で、米国の金融史家ロンド・キャメロンが組織した、銀行業が先進工業国の工業化に果たした役割を国際的に比較した共同研究が大いに参考になる(正田健一郎訳『産業革命と銀行業』日本評論社、1973年)。彼は、「金融的発展と経済的発展との間にある因果関係」に着目する。われわれも、彼の分析方法に学びつつ、対象時期および対象国(先進工業国、後発工業国、発展途上国)を広げることにした。また、記述に際しては、可能な限りGNPデータのようなマクロ経済指標の利用に留意した。このような試みがどこまで成功を収めているのかは、本書を読まれた読者諸賢の判断を待たなければならないが、本書のもつ方法上の特徴として指摘しておきたい。

3 本書の構成
本書の構成は、序論として貨幣と利子の問題を含めた近世の国際金融市場の発展が取り上げられ、次いで、先進工業国であるイギリス、フランス、ドイツ、米国にみられた金融業の発達史が論じられる。同様に、後発工業国となる帝政ロシア、日本、アルゼンチン、中国、インドを論じた章、さらに発展途上国であるバングラデシュのマイクロファイナンスの事例が論述される。このような国別の縦割りの金融史に加えて、戦間期の国際通貨制度の章やロンドンの金融市場改革(ビッグ・バン)からリーマン・ショックにいたる現代国際金融市場を論じた章においては、世界経済における各国間の横の繋がりとなる関係が重視される。
このようにして、読者は、個別国の金融史に同時代の国際関係的な金融史が加わるという重層的な視角から、金融の世界史を概観することができるのである。

本書は多くの国々の金融史を長期間にわたり取り上げることで、類書にはみられない広範な視点を持つものとなっている。また、正確な史実を読者に伝えることを念頭に置きつつも、聞きなれない金融用語に関しては注釈を入れるように努め、えてして陥りがちな難解な記述を避け、平易な文章で説明することを心がけている。
また、各章を読みおえた読者の多くは大きな充足感とともに、いっそう詳細かつ広範な知識を得たいという欲求をお持ちになるのではなかろうか。これに答えるべく、各章の末尾に「さらに詳しく知りたい人のための読書案内」と称して、そのような方々のために相応しいと思われる文献紹介を用意した。ご参照いただければ幸いである。なお、各章の参考文献は一括して巻末に掲載した。

国際銀行史研究会 (著)
出版社 : 悠書館 (2012/10/5)、出典:出版社HP

金融の世界史 目次

まえがき

序論 中世から近世へ――国際金融の始まり 鈴木俊夫
はじめに
貨幣と利子
1 高利の制限
2 高利引き下げと信用制度の発達
地中海やハンザ同盟諸都市の交易活動と大市(メッセ)
1 ヨーロッパ世界の誕生と「商業の復活」
2 「中世のグローバル市場」
3 遠隔地取引と富豪の登場
メディチ家/フッガー家
初期の金融市場と銀行の発達
1 アントウェルペンとアムステルダムの金融市場
2 中世イタリアの銀行業
3 振替銀行――アムステルダム銀行
4 東インド会社
オランダ/イギリス/フランス
5 チューリップ恐慌
6 「南海泡沫」事件
さらに詳しく知りたい人のための読書案内

第1章 イギリス 小林襄治
はじめに
金本位制の展開
金本位制/ポンド・スターリングの誕生/金貨の導入/銀の洪水と大改悪/ギニー金貨の時代/銀貨大改造と銀の流出/ニュートン比価で実質金本位制/兌換停止の銀行券時代/地金委員会報告、金単一本位法、金兌換再開/19世紀の金銀生産動向/物価の動向/金本位制の国際的波及/金本位制と金保有額
銀行制度の発展
金属貨幣から信用貨幣の時代へ/銀行の誕生/金匠銀行/イングランド銀行の創設/地方銀行の勃興/預金銀行(株式銀行)の時代/1844年(ピール)銀行法/銀行合同運動の進展と五大銀行体制
貨幣・資本市場の発展
ビルブローカー・割引市場/「中央銀行」/「最後の貸し手」/国際金融センター/国債市場の生成/減債基金、コンソル/株式市場の生成・発展/国際資本市場としてのロンドン/マーチャント・バンク(引受商会)
さらに詳しく知りたい人のための読書案内

第2章 フランス 矢後和彦
はじめに
絶対王政期の金融システムとフランス革命
フランス銀行とオート・バンク
近代的信用制度の成立科
1 フランス銀行の改革
2 クレディ・モビリエの展開と挫折
3 預金銀行・事業銀行の形成
パリ割引銀行/クレディ・リヨネ/ソシエテ・ジェネラル/パリ・オランダ銀行
4 パリ証券取引所
大衆貯蓄、農業信用、地域金融――独自の領域
1 大衆貯蓄機関――貯蓄金庫と預金供託金庫
2 農業信用金庫――クレディ・アグリコルの前身
3 地方銀行――預金銀行・フランス銀行との関係
両大戦間期の変化
1 1920年代の通貨危機と通貨安定化――「ボワンカレ・フラン」
2 1930年代初頭の金融危機――中期信用と金融市場調整
3 人民戦線期前後の改革――フランス銀行の進化
おわりに――フランスの金融システムの特異性
さらに詳しく知りたい人のための読書案内所

第3章 ドイツ 赤川元章
はじめに
通貨制度の形成およびライヒスバンクの成立と役割
1 ドイツ通貨、マルクの誕生
2 ライヒスバンクの成立と役割
金融システムの成立と展開
1 個人銀行の発生と展開
2 ドイツ産業と大模株式銀行の成立
第一次企業創業ブーム/第二次企業創業ブーム
3 専門金融機関の成立と業務の特色
貯蓄金庫/信用協同組合/抵当銀行
大銀行と産業金融仲
1 大銀行の発展とその業務命
銀行業務の主要勘定項目と内容/銀行の証券業務
2 銀行の産業に対する関係
大銀行の資金調達と支店網の拡充/大銀行と産業諸企業との関係および大銀行グループの特色
取引所の発達と証券市場の特色
1 主要取引所の成立と展開
2 ドイツ証券市場と取引所
ドイツの国際銀行業――海外銀行の活動と世界市場
1 資本輸出
2 海外諸地域におけるドイツ銀行業の活動
中南米地域/中近東地域/アジア地域/北米地域/南欧地域/東欧地域
3 ロンドン金融市場とドイツ銀行業の関係
激動の両大戦間期における金融問題
1 ドイツ金融恐慌と銀行業
2 大インフレーション期の国家とライヒスバンク
さらに詳しく知りたい人のための読書案内

第4章 帝政ロシア ソフィア・ソロマティーナ *訳=矢後和彦
帝政ロシアの経済成長――1860年代~1910年代
帝政ロシアの金融システム――19世紀後半~20世紀初頭
1 金融機関の諸類型
ロシア国立銀行/株式商業銀行とその他の銀行
2 初期の株式商業銀行――1864~74年
ペテルブルク私営商業銀行/モスクワ商業銀行/その他の諸銀行/ヴォルガ・カマ銀行
3 景気後退と新たな飛躍の準備――1875~92年
「ウィーン恐慌」の衝撃/ロシア証券市場の発展
4 1890年代における投資銀行の活況
投資業務の概況/ベテルブルク国際商業銀行の投資業務/ロシア外国貿易銀行とロシア商業銀行/収益構造と企業金融
20世紀初頭の変化
1 1899~1908年における「ニューエコノミー」の危機
銀行危機と政府・国民銀行/リスク管理のネットワーク
2 ユニバーサル・バンキングへ――1909~13年の新生
露亜銀行/その他の諸銀行
戦争と革命の時代におけるロシアの銀行――1914~17年
第一次大戦とロシア経済/戦時の銀行システム/戦時のコンツェルン/二月革命から一〇月革命へ
帝政ロシアの銀行システムの経験とその特徴――結論にかえて
さらに詳しく知りたい人のための読書案内

第5章 アメリカ合衆国 菅原歩
アメリカ金融史の特徴
植民地時代
建国期
1 大陸紙幣
2 ドルの成立
3 最初の銀行設立
4 第一合衆国銀行の設立から清算
設立とその背景/銀行の清算
5 第二合衆国銀行の設立から清算
設立とその背景/銀行戦争と清算
州法銀行期
1 銀行の発展
サフォーク、システム/ニューヨーク自国銀行法
2 アメリカ銀行制度の特徴
3 ニューヨーク証券市場の発展
南北戦争期
1 グリーンバックの発行
2 国銀行の設立
金本位制の成立
1 金本位制への道
2 自由銀運動
3 金本位利への巻き返し
4 自由銀運動の退潮
中央銀行制度の成立
1 1907年恐慌
2 連邦準備到達の成立
1920年代の繁栄
1 第一次世界大戦の影響
2 1920年代の株式ブーム
大恐慌とニューディール
1 大恐慌
2 ニューディール
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第6章 アルゼンチン 北林雅志
はじめに
アルゼンチン国家形成期における通貨と金融
1 独立当初の通貨と金融
2 ブエノスアイレス銀行
3 リオ・デ・ラ・プラタ諸州連合銀行
4 ロサス独裁体制下の通貨と金融
5 ブエノスアイレス州とアルゼンチン連合
6 貨幣制度統一に向けた動き
7 兌換部の開設と銀行券兌換開始
8 1876年の兌換停止
9 ナショナル銀行の創設
通貨・銀行制度の改革(1880年代)からベアリング恐慌へ
1 アルゼンチン・ペソの創設
2 金本位制の採用と兌換制度の再開
3 国家保証銀行制度の導入
4 不動産銀行と土地ブームの実態
5 1880年代後半の外国資本の流入
6 1890年アルゼンチン恐慌
7 ベアリング恐慌
国際金本位制とアルゼンチン
1 アルゼンチン国民銀行創設と兌換局の開設
2 恐慌からの回復過程とその後の経済発展
3 1899年兌換法の成立
アルゼンチンにおける中央銀行の設立過程
1 金本位制の停止と再開
2 世界恐慌と金本位制からの離脱
3 中央銀行の設立
4 アルゼンチン中央銀行
5 アルゼンチン中央銀行の国有化
むすび
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第7章 インド 西村雄志
はじめに
インド経済の概観
金融制度の展開
1 概要
2 在来金融機関の役割
19世紀以前の在来金融機関/近代銀行業との関係/在来金融機関のインド金融市場における役割
3 為替銀行の発展
インドにおける為替銀行/為替銀行とインド省証券/第一次世界大戦後の為替銀行の活動
4 管区銀行の設立
5 株式銀行の発展と役割
6 中央銀行制度の発展
銀行業と信用制度
おわりに
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第8章 中国 蕭文嫻
はじめに
中国における財政通貨制度の展開
中国の伝統的金融機関
1 地方金融機関である銭荘
2 国内送金業務の専門金融機関である票号
3 地方官銀銭号
中国に進出した外国銀行
1 外国銀行の進出過程――1840~1914年
2 1914年以降の外国銀行
中国系近代銀行の発展
1 中国の最初の株式銀行の設立
2 政府系銀行の設立
3 1912~36年の発展
4 近代銀行の銀行券発行業務
5 近代銀行と内国債引受業務
6 銀行業務の近代化
7 政府系銀行と政府との関係
戦時期および戦後直後の金融変革――1937~49年
計画経済時代の金融システム――1949~78年
改革開放後の銀行システムの変革
おわりに
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第9章 日本 粕谷誠
江戸時代の金融システム
1 金融を支える制度
2 貨幣制度
3 金融の仕組み
近代的金融システムの形成
1 金融を支える制度
2 貨幣制度
3 普通銀行と貯蓄銀行
4 中央銀行をはじめとする特殊銀行
5 株式会社制度の普及と株式取引所
6 銀行の外国業務
戦間期の金融
1 戦間期の経済
2 銀行動揺の発生と銀行合同政策
3 株式市場と社債市場
4 外国業務の発展
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第10章 世界大恐慌と国際通貨制度 平岡賢司
第一次世界大戦後の世界経済上の構造変化
1 戦債・賠償問題
戰債問題/賠償問題
2 国際金融市場の変化
ロンドン国際金融市場の地位後退/ニューヨーク国際金融市場の台頭
再建金本位制の成立と展開
1 イギリスの金本位復帰とポンドの脆弱化
旧平価での金本位復帰/イギリス経済の停滞/国際収支の赤字定着と対外短期債務の累積
2 国際通貨ドルの台頭とアメリカの資本輸出
アメリカ経済の繁栄の1920年代/アメリカの資本輸出とドル供給/アメリカの資本輸出急減とニューヨークへの資金流入
世界大恐慌と再建金本位制の崩壊
1 アメリカ大恐慌の勃発
ニューヨーク株式恐慌/スムート=ホーレー関税法の成立
2 ヨーロッパ金融恐慌
オーストリア金融恐慌/ドイツ金融恐慌/イギリスの金本位制停止
3 イギリスのボンド切下げとスターリング・ブロック形成
為替平衡勘定の創設と低為替政策/スターリング・ブロック形成
4 アメリカの金本位制停止
アメリカの銀行恐慌の進展
ローズヴェルトの通貨政策の展開と為替安定化の枠組構築
1 ローズヴェルトの金政策評
2 金準備法の成立
三国通貨協定
1 金ブロックの結成と崩壊
2 三国通貨協定の成立
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第11章 現代国際金融の諸相 入江恭平
ブレトンウッズ体制とユーロカレンシー市場の出現――1950年代~60年代
1 ブレトンウッズ体制
ブレトンウッズ体制の理念と現実/対外交換性回復期以前での外国為替市場の復活
2 ユーロカレンシー市場の出現と国際銀行業
国際短期金融市場に依存した国際銀行業
ドルの金交換停止と変動相場制移行――1970年代以降
1 ドル危機からブレトンウッズ体制の崩壊
金プール/スワップ協定
2 ブレトンウッズ体制の崩壊と変動相場制への移行
3 ヨーロッパ通貨統合への胎動――スネーク(ヘビ)からEMSへ
証券取引システムの変貌――「メーデー」から「ビッグ・バン」へ
1 ニューヨーク証券取引所のメーデー(1975年)と全米市場システム
2 NASDAQの登場(1971年)
3 メーデーからビッグ・バンへ(1986年)
2000年代の世界金融危機
1 規制緩和・シャドーバンキング・金融コングロマリット
2 証券化とSPL問題
3 証券化過程と金融機関
4 世界金融危機の発現・展開
2008年の危機の進行過程
世界金融危機と「ドル不足」
欧州の銀行における「ドル不足」の発現
グローバルなスワップ網形成と歴史的な意義
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補論 開発経済とグラミンバンク――モハマド・マイン・ウディン *訳=伊藤大輔
はじめに
グラミンバンク・モデル
女性が顧客である意味
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あとがき
参考文献/索引/著者略歴

国際銀行史研究会 (著)
出版社 : 悠書館 (2012/10/5)、出典:出版社HP

金融の世界史: バブルと戦争と株式市場 (新潮選書)

金融から歴史を広く学ぶ

本書は、世界史における金融について俯瞰的にまとめている本です。古代から現代まで、長い時間軸での歴史を扱っており、人間の生活と金融の結びつきの強さを理解できると思います。現代の金融については、様々な恩恵とともに、リスクの肥大化を招く側面を持っていることが示されています。

板谷 敏彦 (著)
出版社 : 新潮社 (2013/5/24)、出典:出版社HP

まえがき

「金融」というだけで何か難しいものだと感じる人も多いのではないでしょうか。「金融」という言葉は英語のfinanceに対してあてがわれた明治時代の造語だといわれています。福沢諭吉の『西洋事情』の中に「金貨の融通を盛んにし世の便益となり」とありますから、この「金貨の融通」が短く省略されたのでしょう。
また「融通」とは幕末頃にはお金のやり取りの意味になっていましたが、元々は仏教用語で「滞りなく通じること」とありますから、「金融」とは単なるお金の貸し借りだけではなく、お金の貸し借りがスムーズにかつ盛んに行われている社会システムを表現しているのだと思います。
一方で、英語で「金融」を意味するファイナンス(finance)は、一七世紀頃から見られますが、接頭語のfinはフランス映画のエンドロールのfin=The Endと同じで、もともとは借金を終わらせて完済することを意味していました。返す気がないものは強奪であってfinanceとは呼べない。当時は王侯による借金の踏み倒しが日常だった時代から、国債発行への進化が見られた時代です。そうした背景から区別する言葉が使われたのかもしれません。この解釈はあくまで仮説ですが。

一対一のお金の貸し借りの場合、借りた人は利子と元本返済の期限を借用証書に書いて、お金を貸してくれた人に渡します。これが金融の基本形であって、後述しますがメソポタミア文明の時代に既にみられます。当時の粘土でできた借用証書も残っています。しかしこれでは知り合いや仲間内の間でしか取引が成立しませんから大きな金額には対応できません。もっとたくさんの金額を借りたい人がいるような場合には、より広い範囲で多くの人からお金を借りる必要がでてきます。そこで専門の仲介業者が登場してきます。仲介業者は借用証書に対してお金を貸してくれる人を仲間内以外のコミュニティーから探してきます。借金を返済しないような人ばかり紹介していては仲介業者も相手にされませんから慎重に借り手を選びます。こうして仲介業者は紹介料として手数料を得ます。このように借り手の発行した借用証書に対して貸し手が直接お金を融資するのが直接金融です。借用証書は債券と呼ばれ、仲介業は証券業務です。ここでは仲介業者は自分の資金を使っていません。仲介業者としては、いつも自分で貸し手を探し回っていては効率が悪いでしょうから(コストがかかる)、そのうちに業者たちが集まって市場が形成されていくようになったのです。

一方でお金を借りるたびに貸し手を探していては手間がかかるし、資金が必要な時にタイミングが合わないことも多いでしょう。そこで金持ちで信用のある人が、とりあえず貸したいという人のお金を全部借りて(預かって)、その資金をプールして皆に借用証書を発行します。この借用証書が預金通帳です。そうしてもう一方で借りたい人がいれば、そのプールしたお金の中から随時貸し出していきます。これはもともとの貸し手と借り手の間に直接的な借用証書のやり取りがないので間接金融であり、貸し出しは融資(ローン)と呼ばれる銀行業務なのです。さらに銀行は預金者が一度に返済(引き出し)を迫らないだろうと予想して、預かったお金よりも多めに貸し出しをするテクニック(信用創造)を次第に身につけていきます。しかし銀行にはよほどの信用がないとたくさんの人がお金を預けたり(貸したり)はしないでしょう。歴史的に銀行の建物が立派なのはこのためです。

では株式とは一体何なのでしょうか。金融とはお金の貸し借りだけではありません。債券には基本的にいついつまでにお金を返せと返済期限があるけれども、株式にはそれがないのが特徴です。でも実は返済期限が無くなったのは結構最近の話であって、昔は株式も貿易商人の一航海を単位としたり、一年単位で出資金を返したりしてリセットしていたのです。株式はお金を貸すことの延長だけれども、元本返済や利子を約束する必要が無い。その代わり借りた者が事業で儲けたら分け前(配当)を支払うという約束でした。お金を貸すよりも、返してもらえないリスクは高いが、それなりに高いリターン(収益)が期待できた。そうでなければ誰もお金を貸したりはしないでしょう。それが一七世紀初頭のオランダ東インド会社あたりから事業のスパンが長くなって、つまり何年かかけてアジアに貿易拠点を設けようとしているのに、一年目で清算しても儲かるわけがないので、返済期間(決算期間)を長くしたのが始まりです。

さて、出資者たち(株主)が資金を出して会社を創ります。しかし中には私は大儲けなどいらないからきちんと利息を支払って、元本を期限までに返して欲しいという出資者(債券保有者)も出てきます。あるいは信用を重んじ、人から借りた(預かった)資金で運用する銀行などは、大儲けよりも確実な収益が欲しいので株式よりも融資や債券を好むでしょう。
そこで会社としては株式とは別に債券(借用証書)を発行してお金を借ります。お金を借りて儲かるのは株主です。なぜなら自分の出資金以上の資金を事業に投下できるからです。そして大儲けしても債権者の要求は利子だけです。しかしこれはいつもうまくいくとは限りません。事業が失敗した時には債権者は経営者と株主に対して貸した金を返せと迫るでしょう。実は一九世紀以前の株主は基本的に無限責任だったのです。つまり債権者から請求があれば出資金以上に(株が無価値になった上に)、債権者に返済しなければなりませんでした。ですから昔は株主になるには、いざという時に出資金以上にお金を支払えるだけの充分な資産があるかという関門があったのです。しかしこれでは株主になれる人は一部の大金持ちに限定されてしまいますし、実際にこうした会社はあまり設立されなかったのです。

もともと一七世紀初頭の世界で、金融の最先端にあったオランダ東インド会社だけは株主有限責任制だったのですが、徐々にこれが広まり、一九世紀のアメリカで制度として株主の有限責任制が確立されました。このおかげで取引所では相手の素性を気にせずに売り買いの注文だけを見て、株式の売買ができるようになったのです。これがなければ現在のような資本主義経済の発展はなかったでしょう。もちろん、これに伴い債権者は会社にお金を貸すことに対して、以前より慎重になったことは間違いありません。責任の限定された株主に対して余分な配当を支払っていないか、資本金を崩して配当にまわしていないか決算書を厳しくチェックするようになりました。
どうでしょうか。金融の仕組みの説明をしているうちにすっかり歴史の話になってしまいました。それに多分、世界史で習ったはずのオランダ東インド会社の存在が、読者が理解していたよりもずっと重要なものだったのではないでしょうか。
金融の中心地、言い換えると金融市場の中心はイタリアからブリュージュ、アントウェルペン(アントワープ)、アムステルダム、ロンドン、ニューヨークと変遷してきましたが、それぞれに移転の明確な理由があります。何故ヨーロッパの金融家たちは移動したのか。ロンドンの金融街であるロンバード・ストリートはミラノがあるイタリアのロンバルディア地方出身の人が多かったからつけられた名前です。これまで習った世界史も視点を変えて金融の側面から眺めることによって、違った歴史観が浮かび上がってくるのです。できるならば、この本では「お酒の歴史」や「食べ物の歴史」などと同じように「金融の歴史」を楽しんでもらえればと思います。

私は長いあいだ内外の機関投資家を対象とするビジネスをしてきましたが、前作『日露戦争、資金調達の戦い』を出版して以来、個人投資家の方々と対話する機会が増えました。そうした中で分かり易い通史的な金融史が読みたいとの要望が多かったことがこの本を書く直接のきっかけとなりました。目的は単純です。現在の経済や市況の説明を理解しやすいように歴史の知識をつけてもらうこと。そのために、イデオロギーを伴う史観や、あるいは「金儲けの歴史」だとか、「繰り返すおろかなバブル」だとか、日本が崩壊したり、あるいは大繁盛したりするような特別なテーマにバイアスがかかることを意識的に避けています。
その代わりに、これまで殆ど顧みられなかった先の戦争中の株価がどうだったのか、戦後のインフレに国民はどう対応したのか、あるいは長期のドル円の推移などをシンプルに記述することに努めました。
そうはいっても金融史とはお金に形を変えた人間の欲望の歴史でもあります。五年ほど前にもリーマン・ショックがありました。人類はその欲望のために、昔から同じ間違いを何度も繰り返しています。しかしながら一方で、金融技術は長い年月をかけて少しずつ改良されてきたことも確かなのです。金融は戦争の軍資金集めに利用されてきた一方で、国債を発明し、会社を誕生させ、才能ある望む者に資金を提供する役目を果たしてきました。鉄道の敷設を助け、飛行機を開発し、新薬の発見を促し、インターネットによる情報網が世界を覆う手助けをしてきたのです。これを機会に「金融」のことをもう少しだけ知っていただければと思います。

この本はフジサンケイ・グループの「ビジネスアイ」に二〇一二年七月から一三年二月にかけて七一話にわたって連載された「投資家のための金融史」に「週刊エコノミスト」への寄稿記事を加え、新潮選書用に大幅に加筆修正したものです。

板谷 敏彦 (著)
出版社 : 新潮社 (2013/5/24)、出典:出版社HP

目次

まえがき

第一章 金利も銀行もお金より先にあった
一話 メソポタミアのタブレット
二話 ハムラビ法典の上限金利規制
三話 紀元前のマーチャント・パンク
四話 牛や穀物で利子を考える

第二章 貨幣の幻想
五話 ディオニュシオスの借金返済
六話 紙幣は中国の発明
七話 日本の貨幣の話
八話 大きな石の貨幣の物語

第三章 アリストテレスの考え方
九話 世界初のオプション取引
一〇話 アリストテレスの財獲得術
一一話 ギリシャの両替商
一二話 ローマ法による財産権の確立

第四章 中世の宗教と金融
一三話 中世キリスト教の考え方
一四話 パクス・イスラミカの恩恵
一五話 フィボナッチの偉大な貢献
一六話 ダティーニ文書――活気あふれる地中海世界
一七話 簿記の父ルカ・パチョリ
一八話 銀行創設の功績はヴェネツィアのもの

第五章 大航海時代
一九話 起業家の時代
二〇話 新大陸からの銀流入――価格革命
二一話 ドルの起源
二二話 英国繁栄の礎を築いた海賊
二三話 『ヴェニスの商人の資本論」再考

第六章 東インド会社と取引所
二四話 会社の誕生――特許株式と無限責任
二五話 東インド会社
二六話 取引所の歴史
二七話 チューリップ・パブルとカルヴァン派と欲得

第七章 国債と保険の始まり
二八話 国債の誕生――財政制度の大改革
二九話 損害保険の誕生――ロイズ・コーヒーハウス
三〇話 多岐にわたる生命保険の起源

第八章 ミシシッピ会社と南海会社
三一話 戦争債務処理――南海会社の株式募集
三二話 ジョン・ローのミシシッピ会社買収
三三話 はじけた英仏バブル――資本蓄積に明暗
三四話 すずかけの木の下で
三五話 大坂堂島米会所

第九章 アムステルダムからロンドンへ
三六話 スコティッシュ・ウィドウズとコンソル国債
三七話 ナポレオンとロンドン市場
三八話 ニュートンが金本位制にした
三九話 国際通貨会議と通貨同盟

第一〇章 イギリスからアメリカへ
四〇話 有限責任制と株式市場発展の基礎
四一話 鉄道と株式市場
四二話 南北戦争とリテール・セールス
四三話 メディアとダウ・ジョーンズ株価指数

第一一章 戦争と恐慌と
四四話 日露戦争に見る国際協調融資
四五話 第一次世界大戦と有価証券の大衆化
四六話 ワイマール共和国のハイパー・インフレーション
四七話 大暴落とチャップリンの『街の灯』
四八話 長期投資の幻と株価の回復
四九話 ペコラ委員会とグラス・スティーガル法

第一二章 大戦前後の日本の金融市場
五〇話 戦前の株価指数
五一話 戦前のドル円相場
五二話 第二次世界大戦と東京株式市場
五三話 戦前の投資信託の話
五四話 焼け跡の二つの株式ブーム

第一三章 戦後からニクソン・ショックまで
五五話 第二次世界大戦とニューヨーク市場
五六話 ブレトン・ウッズ協定とGATT
五七話 「黄金の六〇年代」と利回り革命
五八話 欧米に追いついた日本の高度経済成長
五九話 戦後の投資信託の盛衰と証券恐慌
六〇話 ニクソン・ショックと金融テクノロジー

第一四章 日本のバブル形成まで
六一話 七〇年代のインフレとレーガン大統領
六二話 プラザ合意
六三話 ブラック・マンデーと流動性
六四話 金融制度から見る日本のパブル形成

第一五章 投資理論の展開
六五話 テクニカル分析と投資銀行
六六話 コウルズ委員会と株式市場の予想
六七話 ランダム・ウォーク理論と効率的市場仮説
六八話 オペレーションズ・リサーチとアセット・アロケーション
六九話 インデックス・ファンド
七〇話 パフェット対ジェンセン
七一話 効率的市場仮説への攻撃
七二話 最後に――グレート・モデレーションとリーマン・ショック

あとがき
注(参考文献)

図版製作 アトリエ・プラン

板谷 敏彦 (著)
出版社 : 新潮社 (2013/5/24)、出典:出版社HP

金融史がわかれば世界がわかる[新版]: 「金融力」とは何か (ちくま新書 1260)

金融の歴史を振り返り、今後の金融を考える

本書は、金融システムを幅広く、歴史的に解説している本です。金融がどのように発展してきたかが、わかる内容となっています。金融の歴史の基本的なポイントがしっかりと抑えられていて、比較的理解しやすい内容となっているため、金融について少し興味がある方に適した本でしょう。

目次

はじめに

第1章 英国金融の興亡
1 ポンドと銀貨の長い歴史
2 ポンドがめぐり英国経済はまわる
3 金が主役の時代へ
4 基軸通貨ポンドの誕生
5 英国金融の始祖「マーチャントバンク」

第2章 米国の金融覇権
1 英国はなぜ動脈硬化に陥ったのか
2 新興国アメリカの挑戦
3 世界を動かすウォール街の金融資本
4 遅れてきたFRB
5 ドル覇権の完成

第3章 為替変動システムの選択
1 ブレトンウッズ体制の時代へ
2 変動相場制の幕開け
3 金本位制の終焉は何を意味するのか
4 変動相場制とドル不安
5 為替をめぐる欧州と米国のかけひき

第4章 変化する資本市場
1 金融技術の発展
2 世界が怯えた金融危機
3 中央銀行が主役となった日
4 二十一世紀の通貨戦争
5 マイナス金利と銀行再編

第5章 課題に直面する現代の金融力
1 ユーロと英国シティの危機
2 人民元はどこへ行く
3 銀行からノンパンクへ
4 日本金融の光と影
5 フィンテックは救世主か

おわりに

はじめに

「金融力」とは何か?

本書は二〇〇五年一月に上梓した「金融史がわかれば世界がわかる」を、一二年ぶりに改訂したものである。その間、リーマン危機やユーロ債務危機、新興国不安などさまざまな金融事件が起こり、日本でも日銀による未曽有の金融緩和時代に突入するなど、世界の金融像は大きな変化に見舞われることになった。だが、筆者が主張してきた「金融力」の意味や重要性は少しも変わっていない。
原版では最初に次のように述べた。

本書は、貿易決済取引や資本取引など、世界の金融取引がどのように発展してきたかを観察しながら、今後の国際金融の変貌について実務的な視点から考えてみたものである。国際金融という場には、金や銀という一時代前の地金の問題や、中央銀行の役割の問題もあれば、変動する為替市場や、金融技術、資本市場といった現代的な問題もある。これを網羅的に歴史的に捉えることは、とても難しい。
そこで、敢えて「金融力」という言葉でそうした金融に関連する事象を一括りにしてみた。「経済力」は一般的に用いられる用語だが、金融力という言葉はあまり用いられない。だが、経済と金融とは、明らかに異なる分野(密接な関係にはあるが)であって、経済力という概念があるのなら金融力という捉え方もできるはずだ。たとえば、日本には経済力はあるが金融力は乏しい、ということができそうだ。一方、現代の米国は、経済力も金融力も世界一だといえば、誰もが納得するだろう。
現代世界の金融力とは、金融政策への信頼性、民間金融機関の経営力の強さ、市場構造の効率性、金融理論の浸透度、新技術や新商品の開発力、会計や税制などのインフラの強さ、お金の運用力、金融情報提供・分析力など、さまざまに組み合わされる構成要素が、総合的な眼で評価されるものだと考えることができる。したがって、GDPの絶対額が巨大であって、経済力があったとしても、金融力が高く評価されるとは限らないのである。

以上の前置きは、現代経済社会のなかでも全く修正する必要を感じない。それどころか、日本のみならず世界の金融界において、長引く金融緩和政策に麻痺し本来の「金融力とは何か」という問題意識すら薄れつつあることが懸念される。

本書の構成

改訂を試みた本書では、第1章から第3章までは原版の構成を踏襲したが、時代の変化を踏まえて第4章と第5章はほとんどの部分を書き換えることにした。以下、簡単にその内容を概観しておくことにしよう。
まず第1章では原版通り英国の興亡を振り返ってみる。英国も、先行する欧州諸国への挑戦者の立場であった。植民地政策をベースとする貿易政策で徐々に富を蓄積し、いち早く産業革命を成し遂げ、金本位制を導入した。世界の金融覇権を築いた英国は、まさに現代的な金融力を備えた国として栄えたが、二度にわたる世界大戦を契機に国力は疲弊し、経済力も衰えていく。だが、現代においても英国の金融機能は世界の最先端を走り続けており、ニューヨークと並ぶ国際金融市場の要の地位を保っている。
第2章では、その英国への挑戦者として台頭する米国を眺めてみる。欧州の植民地から、世界の工業地帯へ変身を遂げたのち、金融において驚くべき発展を遂げるのが米国である。もちろん欧州を舞台とした第一次・第二次世界大戦という、米国にとってはある意味で幸運な事件を経て経済力が蓄積されたという背景もあるが、その機を捉えてドルを基軸通貨とした国家戦略の妙は、二十一世紀の現在も連綿と続いている。
この二つの章は、いわば本書のイントロダクションであり、英国の登場、そして英国から米国へと移りゆく金融力の覇権の流れを読み取るのが目的である。第3章以降は、世界の金融構造が大きく変化する一九七〇年代から今日までの風景を、為替市場の変動や金融技術と資本市場の拡大、金融機関の暴走による世界的な危機の発生、中央銀行の非伝統的な政策投入、中国金融の台頭といったトピックスを交えながら、それらが現代の金融像に与える影響や将来像に及ぼすイメージを概観していく。
まず第3章では、変動相場制という未知の世界に踏み込んだ為替市場をメインのトピックスにおき、金の役割を再考しつつ、さらに欧州の通貨戦略の芽生えを取り上げる。金とは一体どういう存在だったのかという問題意識を念頭に置きながら、ポンドから主役の座を奪ったはずのドルはなぜ金との脈絡を断たねばならなかったのか、欧州はそのドルに対して何を考えたのか、といったドルが胚胎する不安要素に焦点を当てる。
第4章では、金融技術の発展が示した光と影の部分に焦点を当てながら、中央銀行の役割がどう変化していったか、通貨切り下げ戦争がどんな展開を生んだのか、マイナス金利という異様な金融政策が金融機関にどんな影響を与えたのか、といった現代が抱え込んだ金融問題を、金融力との関連を意識しながら述べてみる。
そして最後の第5章では、共通通貨ユーロの構造問題、中国経済の問題を凝縮して抱え込んだ人民元の将来性、ノンバンクの存在感の台頭といった課題を採り上げて、日本の金融像を客観的な視点から整理し、フィンテックという新しい金融と技術の融合がどんなインプリケーションを持つのかに、思いを巡らせてみることにしよう。

金融という観点から多極化する現代を眺める

金融を実務として経験されていない読者には、金融技術の分野はややわかりづらい点も少なくないかもしれない。原版においてもそうした声が少なからず寄せられていたので、簡単にその点を概観しておこう。
各国が金本位制から離脱して、金や銀という地金を通貨の信頼尺度とする制度から国家や中央銀行の信用力に依存する制度へ移行したことは、金融上の大きな変革であったが、一九七三年の通貨間のレートを市場変動に任せるという選択もまた未知との遭遇であった。
その過程で、価格変動リスクと直面した金融市場はデリバティプズなどの金融技術を開発する。また、従来は貿易取引に付随していた各国間の資金移動が、急速な富の蓄積や規制の撤廃・自由化を通じて、時に実体経済と大幅に乖離しがちな資本取引に圧倒されていく。
株価や金利、為替など変動する価格への対応の必要性と拡大する資本市場の活用は、一九八〇年代の金融機関の巨大なビジネス機会となった。それは金融技術の高度化を促すとともに、ヘッジファンドなどの新しい金融プレーヤーを生み出すことになる。
だが、こうした金融の急発展は社会から遊離した投機的な賭博化であり、経済を混乱させて貧富の差を拡大した、との批判も増えた。二〇〇八年にはリーマン・ブラザーズの破綻を契機に世界経済が急縮小し、大恐慌再来かといった恐怖感のなかで各国の株式市場が大暴落したことはまだ記憶に新しい。
金融技術は、たしかにレバレッジ(テコの原理)を使って巨額の資本移動を生むが、それは資本主義が内包する基本原理でもある。過激な相場変動を生むこともあるが、価格変動自体は柔軟なシステム維持のための必要悪でもある。つまり、金融は為替変動や株価変動などに対処する手段を企業や投資家に提供すると同時に、市場の暴走を生む土壌にもなり得る、という、アンビバレントな側面を持っているのである。それを上手くバランスさせるパワーこそが、望ましい金融力といっても良いかもしれない。
我々が盲目的に馴染んできた米国一極主義の世界から、多様化、多極化し始めた世界に移行するなかで、金融力がどういう意味を持つのか、あるいはどういう金融力を指向すべきか、といった問題意識を持つことの重要性は、金融関係者だけに狭く止まるものではないだろう。それには、本書で示したような過去一五〇年程度の歴史の概観が役立つこともあるのではないだろうか。
原版でも述べた通り、本書は実際に孤独なディーリングルームのなかであれこれ思案しながら心の中に描いてきた金融力のイメージと、荒れ狂う相場との戦いの中で培ってきた現実的な感覚とがベースとなっている。学者でもジャーナリストでもない実務家なりの「金融世界を見る目」を、どうかゆっくりと味わっていただきたい。

知っておきたい「お金」の世界史 (角川ソフィア文庫)

世界史の視点からお金を考える

「お金」は、古代から存在するものですが、その姿やかたちは時代や地域で異なっています。文明の進歩により、交易が活発になると、為替や小切手も使用され、信用経済がシステムとして誕生します。その後も、経済発展が続き、現在の貨幣制度へと繋がっていきますが、このダイナミックな動きを本書で学べます。

宮崎 正勝 (著)
出版社 : 角川学芸出版 (2009/4/25)、出典:出版社HP

目次

第一章 世界の文明とさまざまな「お金」
l 貴金属の「お金」と権威が生んだ「お金」
2 地中海世界に広がるコイン
3 皇帝の権威が価値づけた中国のコイン
4 イスラーム大商圏を支えた「お金」
5 イタリアから起こった銀行と簿記
6 銅不足が生んだ世界最初の紙幣

第二章 膨張する「お金」と投資と投機
l 黄金への熱き思いと大航海時代のはじまり
2 新大陸からの銀ラッシュが生んだ投資と投機
3 為替取引と東西のアントウェルペン
4 オランダのチューリップ・バブルと東インド会社
5 イギリスからはじまったバブル経済
6 莫大な「お金」を生んだ砂糖と奴隷
7 ロンドンではじまった近代保険と近代銀行

第三章 市民革命も産業革命も「お金」で動いた
l アメリカ独立戦争とドルの誕生
2 ヨーロッパの経済を変えたフランス銀行とロスチャイルド財閥
3 産業革命で世界規模で動きはじめた「お金」

第四章 金本位制と国際通貨ゴールド
1 鉄道による開発の波と先物取引
2 アメリカ西部を覆った土地投機熱
3 国民国家の中央銀行と通貨の誕生
4 国際金本位制とゴールドの世界化
5 南北戦争とアメリカでの通貨統一
6 鉄道王国アメリカとピッグ・ピジネス
7 第二次産業革命と銀行の変貌

第五章 地球をめぐるドル
l ドルの台頭とポンドの没落
2 ドイツ経済の崩壊と金本位制の再建
3 「繁栄の二〇年代」から世界恐慌へ
4 世界の基軸通貨となったドル

第六章 電子マネー・ドルと証券バブルの大崩壊
1 カジノ化する世界経済
2 記号化するマネーと金融大国
3 世界各地で繰り返された経済危機
4 サブプライム問題に端を発した証券バブル崩壊

参考文献

宮崎 正勝 (著)
出版社 : 角川学芸出版 (2009/4/25)、出典:出版社HP

通貨の日本史 – 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで (中公新書)

日本の通貨の歴史を辿る

本書は、初めて発行された通貨から現代に至るまでの日本の通貨の歴史を解説している本です。古代から近世の通貨の記述が多いと言えます。経済を安定させるために、為政者が採った政策から、お金の普遍的な性質を読み取れるでしょう。現在の通貨を取り巻く環境をもう一度考え直すきっかけになるかもしれません。

高木 久史 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2016/8/18)、出典:出版社HP

まえがき

比較的最近のエピソードから始めたい。一九六〇年代前半の日本で、一円硬貨が不足したため、銀行は一円硬貨への両替に対応することが難しくなった。結果、小売業者はおつりに必要な数の一円硬貨を調達できなくなった。

対策として、あるスーパーマーケットは、客が一円硬貨のみで支払う場合に特別割引価格を設定した。例えば価格一〇〇円の歯磨きを一円硬貨なら五〇枚で売った。また、ある菓子メーカーは、「おつりガム」と包装紙に書いた一枚一円のガムを駅売店向けに売り、好評を得た。ある商店に至っては、ボール紙に店名と簡単な模様を描いた「一円硬貨」をつくっておつりの支払いに使い、受け取った客が次回の買い物で一円として使えるようにした。これは通貨偽造の疑いがあったが、当局は一種の商品券と見なし、おとがめなしとした。

高度経済成長の時代、マクロ的に見れば一人あたりの国民所得は増えていったのだから、一円硬貨の不足など些末な話ではないか……といってしまうのは傲慢である。一円硬貨が円滑に流通していたならば、かの商店主は通貨偽造罪に問われるリスクを負ってボール紙一円硬貨をつくる必要はなく、その時間とエネルギーを営業活動に使って売り上げをさらに増やせたかもしれない。商店主の悔しさや苦労、察して余りある。

ちなみに一円硬貨の流通高は一九五五年から一九六三年の間に三億三〇〇〇万円から四〇億円余りと、一二倍以上に増えた。同じ期間の日本銀行券の発行高が約三倍に増えたことと比べると、増加率の大きさがわかる。当時、政府は、一円硬貨の流通高は人々の需要を満たしているはずなのだが……、と語っていた。にもかかわらず、売買の現場では不足した。

これらのエピソードが示すことは何か。①同じ円単位の通貨でも、種類によっては、好況だからといって、また供給の量が理論上十分あるからといって、円滑に流通しているとは限らない。②とはいえ、それならそれで人々は不足している通貨の価値を変えて対応した。割引価格を設定したスーパーの場合、一円硬貨に二円分の購買力を与えている。③場合によっては、「おつりガム」や「ボール紙一円硬貨」など、事実上の独自の通貨をつくりだした。

①②③のような現象は、実は日本史上しばしば起きている。とくに③だが、民間でできた通貨システムを政府が採用することすらあった。詳しくは本論で述べるが、例えば平安時代末期から室町時代にかけて、大陸から輸入した銭が、政府の統制に関係なくなし崩しに広く使われるようになったケースがそうである。また江戸時代の三貨制度、すなわち銭と金貨と銀貨を併用するしくみもそうである。江戸幕府が大々的に発行した寛永通宝は、一四~一六世紀に民間が中国の銭を模造したもののなれの果てだった。金貨・銀貨の使用も、戦国から織田信長・豊臣秀吉の時代の社会慣行を幕府が追認したものである。なぜこのようなことが起きたのか。

経済史の教科書では通貨に関して、政府や金融や国際関係に関することが主に語られ、先のエピソードのような、庶民の日常取引の現場のことはあまり語られない。とはいえ本文で述べるように、歴史上は、社会の圧倒的多数を占める庶民の通貨への需要こそが、通貨のありようを左右してきた。その経緯を知れば、通貨についてまた違ったイメージが得られるのではないか。現在残っている記録が政府側のものが主であるため、政策の話がどうしても多くなるが、各時代の通貨政策が庶民にどういう影響を与えたか、という点に重きを置いて語ることにする。以上の問題意識によりつつ、日本の通貨の歴史を見てみよう。

高木 久史 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2016/8/18)、出典:出版社HP

目次

まえがき

第1章 銭の登場 〈古代~中世〉
1 都の建設のために
通貨とは何か
金・銀・銅の特性
初の金属通貨、無文銀銭
最古の国産銅貨、富本銭
和同開珎の目論見
和同開珎は債務証書?
奈良時代の皇朝銭
平安京建設と裁不足
都市民の生活のため
銭の発行停止
米や布の再浮上
中世の兆し――輸入裁と切符系文書
金と銀

2 外国銭の奔流、国産銭の復活
南宋からの波
積極的な清盛
朝廷と鎌倉幕府の裁使用禁止
金からの波
元からの波
民間の模造銭と後醍醐天皇の計画
僧侶の夢日記
銭の密貿易
輸入量の実情
一枚一文、九七枚一〇〇文
撰銭と階層化
撰銭令の再登場
紙幣の端緒、割符
祠堂銭預状
中世の北海道と沖縄

第2章 三貨制度の形成 〈戦国~江戸前期〉
1 シルバーラッシュの中の信長・秀吉
模造銭生産の拡大
無文銭と銭の輸出
大判・小判のプロトタイプ
石見銀山の世界史的意義
国内での銀貨使用
近世的政策の始まり
信長、最初の通貨政策
減価銭が基準銭に、基準銭が計算貨幣に
ビタの基準銭化
秀吉の継承と転換
金・銀統制と朝鮮出兵
家康の金貨

2 江戸開幕、通貨の「天下統一」
慶長金銀
領因貨幣
金・銀・ピタの比価を法定
ピタの後継者、寛永通宝
家綱政権の管理強化
金貨・銀貨の輸出
銭の輸出
日本初の紙幣、山田羽書
藩札の登場
綱吉期の金貨・銀貨改定
荻原銭と紙幣禁止

第3章 江戸の財政再建と通貨政策 〈江戸中期~後期〉
1 改革政治家たちの悪戦苦闘
家宣期の規格改定
新井白石のデフレ政策
吉宗の政策継承
増量路線へ転換
寛永通宝鉄戴
田沼政権、定量銀貨の挫折
明和二朱銀の意義
寛永通宝四文黄銅銭の普及
生き残った藩札と私札
銭匁札
松平定信と長谷川平蔵

2 開港前夜の経済成長と小額通貨
水野忠成の積極財政
発行益依存の強まり
通貨の天保改革
藩札・私札の全盛
近世の北海道と沖縄

第4章 円の時代へ 〈幕末維新~現代〉
1 通貨近代化の試行錯誤
日米修好通商条約と通貨交渉
金貨流出のメカニズム
したたかな通貨外交
万延金と経済混乱
銭不足対策
新政府を悩ませた悪魔貨
太政官金札・民部省金札
為替会社紙幣
円・十進法・金本位制
新貨条例
幕府通貨の退場
藩札処分
「紙幣専用ノ時世」
国立銀行開業
紙幣安問題
日本銀行と兌換銀行券
金本位制再び
幕末維新期の北海道と沖縄

2 帝国の通貨と戦後
円系通貨の帝国主義的拡大
南樺太・南洋群島
関東州・満鉄付属地
第一次世界大戦と関東大震災
金輸出禁止、解禁、再禁止
通貨素材の迷走
占領地通貨
戦後のインフレ
高度成長による高額化
「通貨の戦後」の終わり
戦後の沖縄

おわりに――これからの通貨
主要参考文献
本書に登場する主な通貨
図版出典一覧

凡例
(1)暦年につき、本書では西暦のみ示す。ただし、太陽暦を採用した一八七三年(明治六年)まで、西暦と和暦には一ヵ月程度のずれが生じている(和暦の方が遅い)。なお行論上必要に応じて日本年号を併記する場合がある。
(2)本書で登場する通貨・質量の主な単位は次の通りである。
(銭)一貫文=一〇〇〇文 一疋=一〇文
(金)一両=四分=一六朱=四・四匁=一六・五グラム *一六世紀以降
(銀)一匁=一〇分=三・七五グラム 一貫=一〇〇〇匁 一両=四・三匁 *厳密には、促音(っ)・撥音(ん)に続くときは「ぷん」となる
(金・銀)一枚=10両
なお一匁=三・七五グラムという定義は一八九一年に公布された度量衡法による。これは前近代の実態と必ずしも一致しないが、本書では便宜上、現在の定義による。
(3)旧字体の記録につき、本書では新字体で統一して表記する。

高木 久史 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2016/8/18)、出典:出版社HP