【最新】ベーシックインカムについて考えるためのおすすめ本 – 入門から導入例まで

ベーシックインカムとは?実現できる?

ベーシックインカムとは、最低限の生活のために必要な額の現金を、全ての国民に対し、無条件で給付するという政策のことです。日本ではまだ導入されていませんが、世界各国では実験的に導入した事例もあります。現在、新型コロナウイルスの影響でベーシックインカムが注目を集めています。そこで今回は、ベーシックインカムについて、入門から議論の内容、世界の導入事例まで学ぶことのできる本をご紹介します。

ランキングも確認する
出典:出版社HP

ベーシックインカムへの道 ―正義・自由・安全の社会インフラを実現させるには

ベーシックインカムの全体像を掴む入門書

本書は、ベーシックインカムについてわかりやすく網羅的にまとめられた入門書です。ベーシックインカムの歴史、及ぼす社会的・経済的影響、導入事例などを解説しています。また、賛成と反対の両方の議論を紹介しており、ベーシックインカムの全体像を掴むことができます。

ガイ・スタンディング (著), 池村千秋 (翻訳)
出版社 : プレジデント社 (2018/2/10) 、出典:出版社HP

目次

はじめに

第1章 ベーシックインカムの起源
第2章 社会正義の手段
第3章 ベーシックインカムと自由
第4章 貧困、不平等、不安定の緩和
第5章 経済的議論
第6章 よくある批判
第7章 財源の問題
第8章 仕事と労働への影響
第9章 そのほかの選択肢
第10章 ベーシックインカムと開発
第11章 推進運動と試験プロジェクト
第12章 政治的課題と実現への道

付録 試験プロジェクトの進め方
謝辞
世界のベーシックインカム推進団体
原注

BASIC INCOME
By Guy Standing
Original English language edition first published by
Penguin Books Ltd., London
Text copyright © Guy Standing 2017
The author has asserted his moral rights
All rights reserved
Japanese translation published by arrangement with
Penguin Books Ltd. through The English Agency (Japan) Ltd.

ガイ・スタンディング (著), 池村千秋 (翻訳)
出版社 : プレジデント社 (2018/2/10) 、出典:出版社HP

はじめに

進化の原動力となる創造性を生み出すのは、「可能なこと」の奴隷になっている人物ではなく、「不可能なこと」に挑もうとする人物である。
――バーバラ・ウートン(二〇世紀イギリスの社会学者・経済学者)

少なくとも、一五一六年にイギリスの思想家トマス・モアが『ユートピア』という著書を発表して以降、多くの思想家がなんらかのかたちの「ベーシックインカム」について論じてきた。社会のすべてのメンバーが権利として、一定額の所得を定期的に受け取れるようにしようという考え方のことだ。そのあまりに大胆な発想におののく人もいれば、現実離れした夢物語、さらには文明に対する脅威だと嘲笑する人もいた。「どうせ無理だよ」と、このアイデアへの憧憬を心の奥底にしまい込む人もいたし、熱烈に支持を訴えすぎて辟易される人もいた。ベーシックインカムという考え方は、実にさまざまな感情や反応を呼び起こしてきた。
しかし、議論を促進するための国際的なネットワークが誕生するには、一九八〇年代まで待たなくてはならなかった。「ベーシックインカム欧州ネットワーク(BIEN)」が正式に発足したのは、一九八六年九月のことだ。西欧の少数の経済学者や哲学者、その他の社会科学者たちがベルギーの大学都市ルーバンラヌーブ(フランス語で「新しいルーバン」という意味)に集まった。これは象徴的なことだった。公的な資金によるベーシックインカムの実現をはじめて訴えた著作である『ユートピア』が刊行されたのが、ルーバン(ルーベン)だったのだ。わたしはこのときの創設メンバーの一人で、「ベーシックインカム欧州ネットワーク(BIEN)」という名称の考案者でもある。「BIEN」という呼び名は、「よい」という意味のフランス語「bien」とも重なり、ベーシックインカムが幸福をもたらせることを示唆できると考えた。
その後、ヨーロッパ以外のメンバーが増えるにつれて、「欧州」という名称が実態に合わなくなってきた。そこで二〇〇四年、BIENの「E」を「欧州(European)」から「世界(Earth)」に変更した。それでも、主流派の評論家や研究者、政治家たちは最近まで、すべての人に権利としてベーシックインカムを支給すべきだという考え方にほとんど関心を示してこなかった(フランスのミシェル・ロカール元首相や、ノーベル平和賞を受賞した南アフリカのデズモンド・ツツ大主教などの素晴らしい例外はいた。この二人はBIENの世界会議で演説したことがある)。状況が変わったのは、二〇〇七~〇八年の世界金融危機がきっかけだった。これ以降、ベーシックインカムへの関心が高まりはじめている。
長い停滞期にBIENの活動を通じて理念を守り続け、研究と執筆に打ち込むことにより、無関心な政府に代わってベーシックインカムの考え方をかたちづくってきた人々に、称賛の言葉を贈りたい。BIENは一貫して、あらゆる政治的な立場の人たちを受け入れるよう努めてきた。ジェンダーの平等、人種の平等、そして自由で民主的な社会を否定しない限りは。
ベーシックインカム推進派のなかでも、リバタリアン(自由至上主義)的な考え方の持ち主と平等主義的な考え方の持ち主の間に、また、ほかの政策と切り離して推進したい人と、進歩主義的な政治戦略の一環と位置づける人の間には、つねに対立があった。それでも、あらゆる政治的な立場の人たちを歓迎する方針を採用してきたからこそ、BIENは大きな成功を収め、「機は熟した」と言える日のために、このアイデアの知的基盤を充実させてこられたのだ。

政治的な必須課題?
昨今、ベーシックインカムへの関心が高まっている一因は、現在の経済政策と社会政策の下で、持続不可能な規模の不平等と不正義が生まれているという認識にある。猛烈なグローバル化が進み、いわゆる「新自由主義」の経済が浸透し、テクノロジーの進化により労働市場が根本から様変わりするなかで、二〇世紀型の所得分配の仕組みは破綻してしまった。「プレカリアート」と呼ばれる人たちの増加は、その一つの結果だ。プレカリアートとは、雇用が不安定で、職業上のアイデンティティを持てず、実質賃金が減少もしくは不安定化していて、福祉を削減され、つねに債務を抱えているような人たちを指す言葉である。
以前は、国民所得のうち「資本家」と「労働者」がそれぞれ手にする割合はおおむね一定だった。しかし、昔の常識は崩れた。ごく一握りの「不労所得生活者(ランティエ)」——物的資産や金融資産、知的財産などの資産が生み出す利益により、豊かな暮らしを謳歌する人たち——への所得の集中が加速している。このような状態は、道義的にも経済的にも正当化できるものではない。社会の不平等が拡大し、人々の怒りも高まっている。不安、無関心、疎外、怒りが混ざり合う結果、社会は最悪の危機に飲み込まれつつある。ポピュリスト(大衆迎合主義者)の政治家たちが人々の不安を煽り、支持を広げやすい環境が生まれているのだ。これは、一九世紀の金ぴか時代[「金ぴか時代」とは、一九世紀後半のアメリカで資本主義が急速に発展を遂げ、貧富の格差が拡大した時期のこと]にアメリカで起きたのと同じ醜悪な事態だ。
新しい所得分配の仕組みの確立に向けた確かな一歩を踏み出せなければ、社会はますます極右に傾斜していくだろう。二〇一六年にイギリスの国民投票でEU離脱(ブレグジット)が選択され、アメリカ大統領選でドナルド・トランプが当選した底流にあるのは、そうした社会の右傾化だった。このような潮流に抗し、より平等で自由な社会を築くためには、ベーシックインカムの導入が政治的な必須課題だとわたしは考えている。この本を執筆した理由の一つはそこにある。

本書について
この本は、ベーシックインカムへの賛成論と反対論を一とおり読者に紹介することを目的としている。ここで言うベーシックインカムとは、年齢や性別、婚姻状態、就労状況、就労歴に関係なくすべての個人に、権利として、現金(もしくはそれと同等のもの)を給付する制度のことだ。本書の内容は、この三〇年間にわたり多くの人たちが取り組んできた研究、政策提言、市民運動、とくに、これまでのBIENの活動、二〇一六年七月のソウル大会にいたるまで一六回の世界会議と、そこで発表された何百本もの論文を土台にしている。関心がある読者のために、できるだけ参考文献や引用文献も示した。
しかし、本書の目的はあくまでも、読者にベーシックインカムの基礎知識を提供し、掘り下げた紹介をすることにある。ベーシックインカムとはどういうものか、この制度が必要な理由として挙げられてきた三つの側面、すなわち正義と自由と安全について論じ、あわせて経済面での意義にも触れる。また、さまざまな反対論も紹介する。とくに財源面での実現可能性の問題と、労働力供給への影響についても検討する。さらに、実際に制度を導入するうえでの実務的・政治的な課題も見ていく。
本書が政治家や政策立案者だけでなく、いわゆる「一般読者」(いささか上から見下ろすような表現だが)にも役立てば幸いだ。「すべての人にベーシックインカムを」という主張は、一見シンプルだが、実際にはいくつもの複雑な問題が絡み合っている。実際の証拠に目を向けず、深く考えることもせずに、頑なな持論をいだいている人も多い。読者は、できるだけオープンな精神で本書を読んでほしい。
わたし自身はBIENの創設メンバーで現在は名誉共同理事長を務めており、筋金入りのベーシックインカム推進派を自任している。それでも、本書の執筆に当たっては、反対派の意見を最大限フェアに紹介するよう努めた。賛成派と反対派が互いの主張に耳を貸さずに、自分たちの言いたいことだけを主張するのではなく、冷静な会話をすべきだと考えているからだ。その会話の内容を実行に移すのは、政治の役割である。
では、ベーシックインカムに前向きな政治家たちがそうした主張を堂々と発信し、実現に向けて行動するよう背中を押すためには、どうすればいいのか?
有力政治家が内輪の席でベーシックインカムへの賛意を表明しつつ、どうすれば「カミングアウト」できるのかと述べるのは、もう聞き飽きた。ポピュリズムの隆盛という、近年の世界の政治的動向にも裏打ちされて、本書の議論が政治家たちに気骨を持たせる一助になれば、幸いである。

ガイ・スタンディング (著), 池村千秋 (翻訳)
出版社 : プレジデント社 (2018/2/10) 、出典:出版社HP

ベーシック・インカム―基本所得のある社会へ

労働に関する考え方を見直す

本書は、労働に対する考え方を中心として、ベーシックインカム議論について考えていきます。労働について、根本的に考え方を見直すような内容となっています。ベーシックインカムに関する議論の外観を掴むのに適した入門書といえます。

ゲッツ・W. ヴェルナー (著), G¨otz W. Werner (原著) , 渡辺 一男 (翻訳)
出版社 : 現代書館 (2007/11/1) 、出典:出版社HP

目次

序言――私たちは転換点に立っているのだろうか?

第一章 ゲッツ・W・ヴェルナーの提言、および彼とのインタビュー
未来への基礎: ベーシック・インカム
つねに種を蒔くこと
月並みの改革ではなく、根本的な改革を
私たちの生活はパラダイス状態にある
労働をマニアック視することで、みんな病気になる
根本的に考えて、一歩一歩行動しなければならない

第二章 ベーシック・インカムの効果について――論考とインタビュー
不安の報酬
労働市場と社会保障政策の分離
賃金は非課税
租税改革とは新たな分配を学ぶこと
自由を可能にし、共同体を強化する

第三章 反応
異議と回答
読者からの手紙

[解題] ゲッツ・W・ヴェルナー著『ベーシック・インカム――基本所得のある社会へ』に寄せて
小沢修司

参考文献およびリンク
訳者あとがき

装幀 渡辺将史

凡例
一、本書はGötz W. Werner: Ein Grund für die Zukunft: das Grundeinkommen, Stuttgart 2006の全訳である。
一、原注は( )で示した。
一、訳者による注記は[ ]で示した。
一、読者の便宜を図るため、適時、解説も併記した。

ゲッツ・W. ヴェルナー (著), G¨otz W. Werner (原著) , 渡辺 一男 (翻訳)
出版社 : 現代書館 (2007/11/1) 、出典:出版社HP

序言――私たちは転換点に立っているのだろうか?

数千年にわたって、人間の大小の共同体の基本的な生活の糧は、奴隷の労働によって賄われていた。その後徐々に、奴隷ではない自由人への労働の委託に対しては、対価が支払われるようになっていった。その結果、人びとは労働対価によって自身と家族を多少なりとも養えるようになったのである。そして、組織的な分業と生産の産業化にともなって、生産性は予測しえなかったほどに上昇した。人間の手による労働は、その後も創意に富む人びとによってますます大規模に節約されつつある。もはや以前のように人間によって処理されねばならない仕事は多くはない。すでにだいぶ前から、経済学者や社会学者のなかでも先見の明のある人たちは、就労希望者全員に稼得労働を提供するという意味での完全雇用はもはや保証しえないことに注目している。しかしこの事実は、政党間にあっては、少なくとも公的には認知されておらず、またこの事実が社会生活の形成にいかなる結果をもたらすかについての認識も欠けている。

私たちは、労働能力を有する者すべてを完全に雇用するというのは近代工業国家における過去の現象であるという認識に立って、労働と所得の関係がいかに新たに秩序づけられうるかを考慮しなければならないであろう。

二〇〇四年一二月に、「デーエム・ドゥロゲリー・マルクト」〔全欧規模で展開されているドラッグストアのチェーン・ストア〕の創業者ゲッツ・ヴェルナーは生活マガジン『ア・テンポ』においてすべての人に対する無条件のベーシック・インカム〔ドイツ語ではGrundeinkommenで、「基本所得」とも訳せるが、以下ではベーシック・インカムと訳す。本書で出てくる「市民所得」も「基本所得」と同意である〕の導入に賛意を公表した。二〇〇五年四月には、先進的な企業家の経済マガジン『ブラント・アインス』に、ベーシック・インカム構想に関するゲッツ・ヴェルナーの詳細なインタビューが掲載されると、その後数ヵ月間に他の主導的な雑誌や新聞において種々のインタビューがあらわれた。雑誌『シュテルン』におけるインタビューもその一つである。

全員に無条件のベーシック・インカムを導入することによって、ドイツは世界でパイオニアの地位を占めることになるかもしれない。

私たちが社会的・歴史的な転換点に立っているというにはまだ早すぎる。しかし、ますます多くの人びとがベーシック・インカム構想を支持するならば、私たちは転換点にいくらか近づくことになる。

二〇〇六年七月、シュトゥットガルトにて、

ジャン=クロード・リン(出版者)

ゲッツ・W. ヴェルナー (著), G¨otz W. Werner (原著) , 渡辺 一男 (翻訳)
出版社 : 現代書館 (2007/11/1) 、出典:出版社HP

ベーシックインカム 分配する最小国家の可能性

ベーシックインカムを含む分配について考える

本書は、ベーシックインカムだけでは不十分ということを前提として、ベーシックインカムを含む社会の分配の方法に焦点を当てた内容となっています。ベーシックインカムの入門的な説明は書かれていないため、研究向けといえます。

立岩真也 (著) , 齊藤拓 (著)
出版社 : 青土社 (2010/3/20) 、出典:出版社HP

目次

はじめに

第1部 BIは行けているか?(立岩真也)
第1章 此の世の分け方
1 BI
2 此の世の分け方についての案
3 あるかもしれない違い
4 『ベーシック・インカムの哲学』

第2章 何が支持するのか
1 「資産としての職」という理解
2 どれだけを私が作ったかという理路
3 その道を行かなかったこと
4 生産の理解の変更という道
5 死者の遺したもの
6 なぜ違う道を行ったか
7 なお使うとすれば

第3章 所得(再)分配に限る必要はないこと
1 他にも分ける場がある
2 他でも分けてよい理由
3 だけでよい理由があるか
4 阻害・介入という批判
5 BIによって実現するという説

第4章 簡素そしてスティグマの回避という主張について
1 本章の要約
2 選別主義・普遍主義
3 見ないことができるか
4 「社会サービス」
5 簡素な手続き・小さな政府?
6 スティグマ
7 変位について

第5章 労働の義務について
1 本章途中までの要約
2 義務について
3 自由?
4 義務の性格・強さ
5 だが押しつけることはない
6 足りてしまっている、にしても
7 問題は消滅することはない、のだが

第6章 差異とのつきあい方
1 非優越的多様性という案
2 知らない人が判断する+実現されるわけではない
3 どんな人の選好が採用されるか
4 普通は何をするか(するべきか)
5 なぜそうなる(ならない)のか?
6 分けられないものを分けてしまう
7 よしあしを間違える
8 ぎこちなくなる

第2部 政治哲学的理念としてのベーシックインカム(齊藤拓)
一 いわゆる雇用レント説という理解
二 ヴァン・パリース政治哲学の全体像
三 「ギフト」の公正分配
四 資産としてのジョブ
五 「ジョブ」概念に関する注記
六 給料が違うのは労働生産性が違うから?
七 「生産性」を上げろ?
八 ベーシックインカム論者の「市場原理主義」
九 「機会の平等」批判
一○ 個人所得への最適課税
一一 シンプルであることはそれほど魅力的か?
一二 法人課税 企業と家族はどう違うのか
一三 「ギフト」は個人間分配すべきなのか?
一四 市場とは認識装置である
一五 「ニーズに基づいて」という主張
一六 現物給付のBI
一七 最大限に分配する最小国家
一八 市場に対する信頼――「どのように」信頼するか
一九 生存経済と市場の外部
二○ 「労働」は「生産」とは限らない
二一 ラディカルな個人主義と消極的自由
二二 市場至上主義

第3部 日本のBIをめぐる言説(齊藤拓)
財政コストの見積もり
フラット税
フランス/南ア/シチズンシップ
「生きていることは労働だ!」
経営者のBI論/消費税/他給自足社会
自発性/コモンズ/コミュニタリアン
二〇〇九年の盛り上がり
著名人たちのBI論
BI批判
終わりに

あとがき
文献表

立岩真也 (著) , 齊藤拓 (著)
出版社 : 青土社 (2010/3/20) 、出典:出版社HP

はじめに

本書は、『税を直す』(立岩・村上・橋口[2009])に続き、世界にあるものの分け方について、具体的にはベーシックインカム(BI)というアイディアについて、考えるべきことをいくつか考えてみようとする。第1部は、立岩の『現代思想』での連載(おもに二〇〇九年九月号~二〇一〇年三月号分から「政権交代」について書いた二○○九年一〇号の分等を省いた)がもとになっている。第2部は、第1部で検討されているヴァン・パリースの著作の訳者でもある齊藤が、その議論を紹介しつつ、自らの主張を展開している。第3部では、齊藤がBIについての近年の議論・言論を、齊藤の視点から紹介し解説し評している。

本書は「立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」の成果でもあり、拠点のウェブサイト(http://www.arsvi.com)に関連情報がある。この本の書名で検索すると関連する項目が出てくる。例えばこの本の文献リストに対応するファイルがあり、そこから本を注文することもできる。

また視覚障害などで活字版が不便な人にこの本のテキスト・ファイルを提供する。立岩(TAE01303@nifty.ne.jp)まで連絡をください。

[凡例] ※ 引用文中で[…]は中略を示す。「/」は原文の段落の変わり目を示す。
※ 文献表示は、立岩の連載(立岩[2005-)の表記が変則的である――例えば立岩[2005-(52)2010-3]の(52)は連載の第52回を示し、2010-3は二〇一〇年三月号を示す――他は、おおむね「ソシオロゴス方式」にしたがっている。本文及び注では、著者名[出版年(=訳書の出版年):頁]のように記され、当該の文献は巻末の文献表で知ることができる。また文献表では、当該の文献が本書のどこに出てくるかを、<>内の数字(頁を示す)によって知ることができる。

立岩真也 (著) , 齊藤拓 (著)
出版社 : 青土社 (2010/3/20) 、出典:出版社HP

みんなにお金を配ったらー―ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?

ユニバーサル・ベーシックインカムの可能性

すべての人に一定額を支給するユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)。その導入により、貧困、格差のほか、AIの進化による労働の変化などといった社会問題を解消することができるのか。本書は、世界のUBIの実験的導入例や社会問題の実情などを紹介しており、UBIの可能性について学ぶことができます。

アニー・ローリー (著) , 上原 裕美子 (翻訳)
出版社 : みすず書房 (2019/10/11) 、出典:出版社HP

目次

はじめに 賃金支払いの条件は、あなたが、ただそこで生きていること

1 トラックが無人で走る世界
AIとUBI
2 働くことはみじめなこと、つまらないこと
経済的不平等とUBI
3 働くことへの執着と思い入れ
仕事とUBI
4 貧困をテクノロジーでハックする
世界的貧困とUBI
5 ツギ当ての貧困対策
インドのUBI
6 崖っぷちにしがみつく暮らし
福祉政策とUBI
7 格差と差別の歴史
人種差別とUBI
8 彼女たちの10兆ドル
女性とUBI
9 共生を成り立たせるために
多様性とUBI
10 毎月1000ドル
UBIの財源

あとがき 未来のビジョン

謝辞
索引
原注

アニー・ローリー (著) , 上原 裕美子 (翻訳)
出版社 : みすず書房 (2019/10/11) 、出典:出版社HP

はじめに 賃金支払いの条件は、あなたが、ただそこで生きていること

うだるように蒸し暑い7月のある日のこと。韓国と北朝鮮のあいだの非武装地帯を見下ろす都羅山という高台、その頂に建つ軍事施設に、わたしはいた。中央の建物は迷彩模様に塗装され、「分断の終わり、統一の始まり」という、希望のこもった言葉が掲げられている。建物の片側は大きく開けた展望台で、据え付けられた多数の望遠鏡が開城工業地区という特別区域のほうを向いている。つい最近まで、境界線の北に住む共産主義の労働者たちが、境界線の南に拠点を置く資本主義の企業のために、そこで汗を流して働いて全体で年間9000万ドルの賃金を稼いでいた(1)。展望台そばの小さな土産物屋でも、北の労働者が作った蒸留酒ソジュに並んで、非武装地帯で栽培される大豆にチョコレートをまぶした菓子が売られていた(お気に召さない場合は返品・返金に対応します、とパッケージに書かれている)。

展望台と別の側にはシアタールームがある。座席の前に広がるのはスクリーンではなく、北朝鮮の方角に開けた窓だ。手前のジオラマにラベルで説明がついている。旗がここ。ここが工場。これは主体思想を打ち立てた金日成の銅像。ほら、これの本物があそこにある、金日成の顔と手が見えるだろう?――と、中国人観光客がジオラマと窓を比べながら、暑さでぼんやりかすむ景色を指さす。

南北4キロにわたる非武装地帯の向こうから、北朝鮮が流すプロパガンダ音楽が鳴り響いている。メロディどころか言葉まで聞き取れる音量だ。ツアーガイドのスジンという女性に歌の意味を尋ねると、彼女は「いつものやつですよ」と答えた。「韓国人はアメリカ人にいいように利用されてるとか、資本主義の奴隷になってる韓国を北朝鮮が解放しに来るんだとか」。殺風景な荒れ野を前にしていると、そのいささかうぬぼれが過ぎるメッセージは、ひどく物哀しく感じられた。足元に伸びる未完成の南侵トンネルにも、展望台から見える位置に北朝鮮が建設したポチョムキン村〔国の貧しい実態を隠すために作った偽りの街並み。ここで言っているのは機井洞(キジョンドン)という村のこと〕にも、悲哀を禁じえない。この村には200世帯が居住していることになっており、平壌側の主張によれば、人々が集団農場で働き、保育園や学校や病院といった施設を利用している。だがソウル側の認識では、誰も住んでいないし、建物はがらんどうだ。兵士が照明をつけたり消したりして、生活実態があるように見せかけているにすぎない。北朝鮮が「平和の村」と呼ぶその場所を、スジンは「宣伝村」だと説明した。

わたしが参加していたツアーグループの何人かは、前後に広がる光景のあまりの落差に、思わず涙を浮かべていた。わたしもその一人だ。人間の選択が政府方針という形をとったとき、どれほど決定的に生死を分かつ威力を振るうか、これ以上にまざまざと体現する場所は存在しないだろう。ほんの少し前、ひと一人の寿命よりも短い年月を隔てただけの過去において、北朝鮮と韓国は一つの国家だったのだ。政治は一つ、経済の構造も一つだった。しかし冷戦で資本主義と共産主義がイデオロギーおよび政治の両面から対立するようになり、国は分断され、家族は引き離され、双方の国家に深い傷を残したのである。スジンは、北朝鮮が韓国から離れたことについて、「わたしたちの国家的悲劇」と言い切った。

大韓民国、すなわち韓国のほうは、第三世界から第一世界へ一気にステイタスをかけのぼるという、戦後それをなしえた数少ない国家の一つとなった。半島の分断から約15年後の1960年には、韓国の国民はコートジボワールやシエラレオネの人々と同じ程度に裕福になっていた(2)。2016年には、かつて韓国を植民地として無慈悲に支配した日本にも、所得レベルでほぼ並ぶほどに近づいている。金融会社シティグループの調べでは、韓国は2040年までに世界で最も経済的にゆたかな国家の仲間入りをして、いくつかの指標ではアメリカをもしのぐほど裕福となる可能性がある(3)。

一方で朝鮮民主主義人民共和国、すなわち北朝鮮のほうは低迷し、特に1990年代以降は深刻な破綻が進行している。国民は飢え、困窮し、道理のとおらぬ政治と増大する軍事力に支配されている。天災や戦禍を被っていない国家がこれほど悲惨な成長パターンに陥るのは稀なことだ。現在から2年ほど前の時点で、人口の推定40%は極貧状態にあった(4)。スーダンの2倍の割合だ(5)。この上に戦争でも起きたとしたら、40%どころでは済まなくなるのは間違いない。

もやに包まれ、有刺鉄線に囲まれ、アサルトライフルを携えた若い監視兵が行き来する展望台を離れても、2国の差はやはり歴然としていた。目に見えてわかるのだ。わたしにもはっきり見てとれた。境界線から韓国側には緑なす森が広がり、きちんとした高速道路が走っている。電線があり、列車があり、港があり、高層ビルがある。南へ1時間も行けばソウルだ。パリと同じくらいに国際的で文化的にもゆたかな都市で、インフラ面の充実ではニューヨークやロサンゼルスをはるかにしのぐ。ところが北朝鮮側は木々すら剥ぎ取られている。切り倒して薪にしたり、簡素な住宅建材として使ったりするからだ、とスジンが言っていた。道路の整備は最低限で車通りもない。建物は低く小さいものばかり。人間も同じだ。現在の北朝鮮の人々は、韓国の国民と比べて明らかに身長が低い(6)。栄養不足で成長が阻害されているのが一因だ。

わたしたちがたいてい「経済状況」と考えるものが、実はもっぱら政策の産物にほかならないのだということを、この2国はありありと、まざまざと、浮かび上がらせている。ものごとのありようは、そうなる選択をした結果だ。「その選択をしなかった場合」の可能性はつねに存在している。北朝鮮と韓国を隔てる非武装地帯ほど、落差を決定的につきつけてくる局面は他にないかもしれないが、しかし、どんな選択にも必ず「その選択をしなかった場合」の道がある。

想像してみてほしい。あなたの家の郵便受けに配達される小切手という形で、もしくは銀行口座への入金という形で、毎月お金が届けられる。

それで生活は維持できるが、あくまでぎりぎりという金額だ。シェアハウスなら家賃を払い、食費とバス代くらいはまかなえるかもしれない。刑務所から出所したばかりだとか、DVをはたらくパートナーから逃げなければならなかったとか、どうしても仕事が見つからないとか、そうした状態にあるとしたら、このお金で極貧状態には陥らずに済むだろう。何不自由なく暮らせるというほどではない。だが、使い道は自由だ。条件や制約はついていない。光熱費などの支払いに充ててもいいし、学費にしてもいい。家を買う頭金として貯めてもいい。煙草や酒に使ってしまってもかまわないし、なんなら、実家であてがわれた地下室で一日中アプリゲームやネットにふける暮らしに使ってもかまわない。仕事を辞めて芸術家になる、慈善活動に専念する、病児のケアにかかりきりになるといった使い道を選んでも問題ない。しかも、そのお金をもらうために何かをする必要は一切ない。ただ、毎月必ず、生きている限り受け取り続ける。年齢制限もない。子持ちかどうかは関係ない。住宅所有の有無も、犯罪歴の有無も関係ない。あなたはそのお金を受け取る。近所に住む人たちもみな同じようにお金を受け取る。

シンプルで、ラディカルで、そしてエレガントなこの提案には、名前がある。ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)だ。ユニバーサル(普遍的、全員一律)と呼ぶのは、コミュニティまたは国家の住民全員が皆同じように受け取ることを指している。ベーシック(基礎的)と呼ぶのは、最低限の生活が実現する金額であることを指している。そしてこのお金はインカム(所得)という位置づけであることを指している。

この発想自体は非常に古く、ルーツはイギリスのチューダー朝にまでさかのぼる。哲学者のトマス・ペインが著書で構想を書き記した。以降、歴史という大海をたゆたう知性の漂流物のように、過去500年のあいだ何度も海岸に流れ着き、打ち上げられを繰り返している(7)。特に経済革命の波と共に運ばれてくることが多かった。そしてここ数年ほど――中間層が縮小し、政府に対する信頼が薄れ、技術進歩が急速に進み、経済全体が“ウーバライゼーション(ウーバー化)”し、貧困対策として現金の力に注目した研究が多数登場している昨今――は、驚くほどの存在感をもち始め、ぼんやりした仮定の話ではなく、一部においてはほぼ現実の話として語られるようになった。マーク・ザッカーバーグ、ヒラリー・クリントン、黒人の人権を主張するブラック・ライブズ・マター運動、ビル・ゲイツ、イーロン・マスク……UBIへの心変わり、転向、支持を表明する著名人や活動の例には事欠かない(8)。ドイツ、オランダ、フィンランド、カナダ、ケニアでは試験運用を開始または進行しているし、インドも運用を検討中だ(9)。カリフォルニアでは一部の政治家が導入を試みている(10)。スイスではすでに国民投票にかけられ、導入は否決されたものの、推進派の期待を上回る支持が集まった(11)。

きわめて抜本的な政策変更であることは間違いない。社会契約、セーフティネット、そして働き方の本質を根幹から変える試みである。なぜそのような仕組みを採り入れようとするのか。しかもUBIを推す側の陣営には、普段なら決して一堂に会することのない主義主張が集まっている。フェミニズム、環境保護政策、政治哲学、勤労意欲に関する研究、人種差別に関する社会学研究など、実に多彩な領域がUBIについて声をあげている。

なかでも最も声高に叫んでいるのは、技術進歩に伴う失業問題という領域ではないだろうか。遠からず人間の仕事はすべてロボットに奪われると言われている。オックスフォード大学の経済学者らの試算では、大勢のホワイトカラーを含めアメリカの雇用の約半分が、技術進歩によって今にも消滅する可能性がある(12)。アナリストらの警告によると、トラック運転手、倉庫の箱詰め作業員、薬剤師、会計士、弁護士助手、レジ係、通訳・翻訳者、病理診断医、株式仲買人、住宅鑑定士などなど、ありとあらゆる仕事が危うい(13)。人間の労働に対する需要が今よりもはるかに少なくなる世界で、大衆が生活を成り立たせていくためには、UBIが必要不可欠だ、と推進派は述べる。全国200万人が加入するサービス従業員国際労働組合(SEIU)の元議長で、UBIを支持しているアンディ・スターンは、経済学者やアナリストが予測する雇用の先行きについて、「未来がわかるなどとは言わないし、絶対にそのとおりになるとは言わない」と断りつつも、「(もし)台風が来るのだとすれば、われわれの家に雨戸があるかどうか、ちゃんと考えたほうがいい」と語った(14)。

UBI推進の理由として、もう一つよく挙げられる点がある。こちらは明日の問題というより今日の問題に根差しており、推測の要素は少ない。アメリカをはじめとする高所得国家は、富の格差拡大および深刻な賃金低迷という悩みを抱えている。UBIはそれを改善する仕組みになるというのだ。中間層は縮小している。経済成長は富裕層の証券口座を太らせるだけで、労働階級の財布はふくらませていない。UBIは上位20%に入らない世帯への直接的な家計補助になる、と支持派は主張する。また、労働者の交渉力を高めると共に、雇用主に圧力をかけて、人材を維持するために賃金上昇と福利厚生の充実と労働条件改善に取り組ませるラディカルな力になる。毎月確実に入る1000ドルを当てにできるとしたら、時給7.25ドルの劣悪な仕事に従事する必要もないからだ。UBIを支持するシンクタンク「エコノミック・セキュリティ・プロジェクト」は、「莫大な富が存在する時代に、誰かが困窮生活を強いられるべきではないし、中間層の未来が永遠の低迷や不安しか望めないものであってはならない」と述べている(15)。

UBIは世界規模でも、アメリカ国内でも、貧困撲滅の強力な助っ人になりうる。2016年の時点で、アメリカではおよそ4100万人が貧困線を下回る暮らしをしていた(16)。月1000ドルの給付があれば、多くが貧困線の下から浮上する。そうなれば、パートナーから虐待を受けたり、病気がちだったり、天災に見舞われたり、突然に失職したりという事態がそのまま極貧生活に直結することはなくなるはずだ。地球上の最も裕福な文明圏ですら、そうした問答無用の転落が起きているのだから、低所得国家においてはなおのこと厳しい。すでに多数の国が貧困率低減のため、全員一律に無条件とまでは言わないまでも、何らかの形で現金支給の策を採り始めている。結果に手ごたえを感じた政策立案者や政治団体が本格的なUBI提供の道を模索している例もある。ケニアでは、アメリカに拠点を置く慈善団体「ギブ・ダイレクトリー」が、10年以上にわたって成人数千人を対象に毎月およそ20ドルの支給を行ない、UBIが安価かつ大規模に貧困撲滅に寄与しうると実証しようとしている。ギブ・ダイレクトリー共同創設者のマイケル・フェイは、わたしの取材に対し「極度の貧困を今すぐ根絶したいと願うのは、夢物語じゃない。実現できることだ」と語っている(17)。

自由至上主義寄りの推進派に言わせると、UBIによる貧困撲滅の試みは効果的であるだけではなく、効率的でもある。現在のアメリカの社会福祉制度をそっくりUBIに置き換えれば、役所仕事が大幅に軽減し、国民の生活に対する国家の干渉も減る。ようこそUBI、さよなら、保健福祉省、住宅都市開発省、社会保障局(18)。もろもろの政府事務所および地方自治体事務所を減らして、ついでに農務省の仕事も大幅に閉店だ。中道右派のシンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」に所属する政治学者チャールズ・マレーは、「ただお金を渡す、それがきわめて自然なソリューションだ」と言う(19)。「厄介な難題を一気に断つ手段だ。これ以上に洗練された解決策はない」

ロボットによって人間が駆逐される事態を防ぎ、労働者に交渉力を与え、中間層に活力をもたらし、貧困を撲滅し、役所仕事の煩雑さを軽減する……とても結構なことに思える。だが、UBIを導入するなら、政府は国民が生きている限り永遠に、いかなる状況においても定期的にお金を送り続けることになるのだから、その衡平性や政府支出や労働の意味について、さまざまな疑問が生じるのは当然だ。

わたしがこの構想を初めて耳にしたときにも、働き方への影響に懸念を抱いた。毎月1000ドルが配られるとなれば、大勢の労働者が仕事を投げ出してしまうのではないか。そうなるとアメリカは、ごくわずかな労働者の課税所得に頼って、賃金労働に従事しない膨大な国民を食わせていくはめになるのではないか。実際、賃金低迷のせいで、そしておそらくゲームやストリーミング動画のような低コストの娯楽に逃げ場所があるせいで、昨今では少なからぬ人たちが労働からドロップアウトしている(20)。そう考えると懸念を抱くのは当たり前だ。UBIを導入すれば、国家の最大の資產、すなわち国民の大多数が、生産性や創意工夫の意欲を失うのではないか。いや、それ以前に、技術進歩に伴う失業問題の対策としてUBIを実施するなら、ある意味でアメリカの労働者を見捨てることになるかもしれない。テクノロジーが支える活発な経済に労働者を参加させるのではなく、お金を握らせて体良く追っ払う形になるからだ。政治的信条の垣根を越えて、あらゆる経済学者たちが、同様の懸念を口に出している。

そしてUBIの狙いを実現するには莫大な費用がかかる。たとえばアメリカ国民の一人ひとりに毎月1000ドルを配りたいとしよう。ちょっと計算するだけで、この政策には年間およそ3.9兆ドルがかかることがわかる。それほどの支出が、現時点の他のあらゆる政府支出に加われば、連邦経費の総額は2倍以上になる(21)。当然、税金も2倍必要だ。そうなれば景気は冷え込み、裕福な世帯や大企業が外国へ逃げ出していくだろう。仮に現状の社会保障や、その他の貧困対策プログラムの多くをUBIに置き換えるのだとしても、なお年間に何千億ドルという支出増加は免れない。

さらにもう一歩下がって根本的なことを考えてみたい。UBIは本当に、希少な財源の使い道として最善と言えるのだろうか。労働階級に属する世帯、隠退した高齢者、子ども、失業者と同列に、マーク・ザッカーバーグやビル・ゲイツのような人々にも毎月1000ドルを与える仕組みのために増税するなど、合理的と言えるだろうか。金持ちに課税したうえで、ミーンズテスト〔給付金の受給要件を満たすかどうか行政側が審査すること。資力調査〕を通じて貧困と認定された人々だけに直接お金を配ったほうが、より効率的ではないのか。実際、メディケイド〔低所得者向けの医療費扶助〕や補助的栄養支援プログラム(SNAP)〔旧フードスタンプ〕は、そうした制度として導入されている。社会主義の北欧諸国でさえ、国家による補助には条件をつけるのだ。それにアメリカでも、その他の国でも、低・中所得層の世帯の多くは現時点でも一人当たり月1000ドル以上を何らかの形で政府から支給されている。SNAPや住宅補助などのプログラムを一掃し、その予算をUBIに架け替えるとして、現状のシステムよりも公正で効果的になる保証はあるだろうか。

哲学的な面からUBIに反対する見解もある。王子や王女ならともかく、国家やコミュニティに属する一般個人が生まれながらの権利として自動的に手当を与えられるなど、アラスカのような“産油国”でもなければ成立しえないことだ。なぜ無条件で人にお金をやらなければならないのか。見返りにコミュニティへの奉仕活動を義務づけたり、せめて就労努力はするよう求めたりしてはいけないのか。そもそもアメリカは、人が他人の施しで食いつなぐのではなく、自助努力で身を立てていくことをよしとする国だったのではないのか。

わたしはワシントンで経済および経済政策を報道する記者として、こうした議論や反論をさまざまに耳にしながら、漠然とした前例のない構想が世界的な関心事として育っていくのを目の当たりにしてきた。社会政策の秘策めいたものが、一般社会にも広く知られる話題になるとは、わたしのジャーナリスト人生で一度も経験したことのない事態だ。グーグルの集計によると、UBIを調べる検索回数は2011年から2016年で倍以上に増えた(22)。2000年代半ばの時点で、UBIがニュース記事で言及されることは皆無に等しかったが、それ以降は爆発的に増えている(23)。書籍、カンファレンス、政治家の会合、進歩主義者や自由至上主義者の議論、そして家庭の夕食の席でも話題にのぼるようになった。

わたしはこの経緯をずっと追い続けている。否決されたスイスの国民投票について記事を書いたし、現在の議論でもエビデンスの一つとして注目されるカナダのベーシックインカム実験についても記事を書いた。雇用のない未来を憂うシリコンバレーの投資家たちに取材し、無人走行車に試乗したりしながら、わたし自身の仕事がAIにおびやかされる時期が来るのはいつだろうかと思いをめぐらせたりもした。民主・共和双方の議員とも話をして、破綻しつつある中間層を支えるために国家は新しく大胆な再分配政策を採るべきか意見を聞いた。ベーシックインカム構想を熱狂的に支持するヨーロッパの知識人と酒を酌み交わしたこともある。国会議員の側近という立場の人たちから、UBIは2020年の大統領選の争点の一つになる、という意見も一度ならず耳にした。その他にもわたしが話を聞いたさまざまな支持者たちが、毎月の現金給付を当てにできる仕組みがなければ10年以内に世界中で数百万人が生活と雇用の安定を得られないプレカリアートに堕ちてしまうだろう、と断言した。そして哲学者たちは、仕事に対する考え方と、社会契約と、経済の土台が、今まさに革命的な転換を迎えようとしている、と確信している。

UBIについて知れば知るほど、わたしは夢中になる気持ちを抑えられなくなった。UBIは現代の経済と政治について実に興味深い問いを投げかけてくるからだ。アメリカのリバタリアンと、インドの経済学者と、ブラック・ライブズ・マター運動の活動家たちと、シリコンバレーのテクノロジー企業を牛耳る君臨者たちが同じことを望むなど、本当にありえるのだろうか。1日60セントで暮らすケニアの村人たちに適した政策が、スイスの中でも最も裕福な州の市民にも等しく適しているなど、そんなことがあるだろうか。UBIは魔法の特効薬なのか、それとも、見境なく釘を叩きたがる政策のハンマーなのか。哲学的な観点からも疑問がつのった。対価なしに育児や介護に携わる人々に何らかの補償はあってしかるべきではないのか。アメリカはこれほど裕福な国なのに、貧困に苦しむ児童が存在する事実がなぜ許容されているのか。この国のセーフティネットは人種差別主義的ではないのか。ロボットが仕事を奪う未来は具体的にどうなっていくのか。

本書は、新しく世界で広がりつつある政策のムーブメントについて解説し賛否を主張したいという狙いではなく、今掲げたような問いにわたし自身答えを出したいという思いで執筆を決意したものだ。リサーチの過程で、遠く離れたケニアの村々に足を運んだり、インドでも1、2を争うほど貧しい村でモンスーンが降らす雨のもと開かれる結婚式に列席したりもした。ホームレスのシェルターにも、議員のオフィスにも赴いた。経済学者、政治家、自給自足の農業従事者、哲学者にも取材をした。韓国で開催されたUBIカンファレンスに出席し、この構想の代表的な支持者や思索家たちと多く出会った。韓国と北朝鮮のあいだの非武装地帯で、人間の政治的選択がもたらす影響の恐ろしさと希望と深遠さについて考えずにいられなかったのも、本書のリサーチの途中で遭遇した体験だ。

こうしたプロセスを経て、今のわたしは確信している。UBIは、政策としての実現性が問われる具体的な提案であると同時に、一つの価値理念でもあるのだ。この構想は、全員一律、無条件、インクルージョン、シンプルさといった原則を掲げながら、すべての人間は経済への参加と、選択の自由と、困窮に苦しまない人生を享受するに値する存在なのだと訴えている。政府にはそれらを享受させる力があるし、実際にそう選択していくべきなのだ――月額1000ドルの給付という形になるにせよ、ならないにせよ。

本書は三部構成になっている。前半(第1章~第3章)では、UBIと仕事をめぐる問題を考察する。中盤(第4章~第6章)では、UBIと貧困という切り口から追究する。そして後半(第7章~第9章)で、UBIとソーシャル・インクルージョンについて掘り下げていく。最後に、さまざまな現金給付プログラムの約束、ポテンシャル、設計を探っていきたい。わたしがそうだったように、読者のあなたにも、この複雑で、斬新で、心奪われる方策の検討から多くを学んでいただければ幸いである。

アニー・ローリー (著) , 上原 裕美子 (翻訳)
出版社 : みすず書房 (2019/10/11) 、出典:出版社HP

ベーシック・インカム – 国家は貧困問題を解決できるか (中公新書)

ベーシックインカムで貧困問題は解決できるのか

本書は、貧困問題解決に焦点を当ててベーシックインカムについて考える一冊です。財源は確保できるのか、労働意欲を阻害しないかといった疑問に対する著者の考え方が示されています。特に財源面について具体的な検討がなされており、一読の価値があります。

原田 泰 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2015/2/24) 、出典:出版社HP

はじめに――ベーシック・インカムとは何か

「ベーシック・インカム(BI、基礎的所得)とは、すべての人に最低限の健康で文化的な生活をするための所得を給付するという制度である。そう言うと、なぜそうするのか、そんなことをしたらただでさえ財政赤字がひどいのに、さらにとんでもないことにならないか、という批判があるだろう。福祉を充実させるべきだと考えている人からも、貧困は単に所得がないことから生まれるのではなくて、仕事がない、社会から排除されるなどの、社会的な根深い問題から生まれるのであって、単にお金を配れば解決できるという問題ではないという批判がすぐさま返ってくるだろう。

これらに対する私の答えは簡単である。なぜそうするのかという疑問には、人々の生活を保障することは現代の先進工業国家がすでにしていることだからであると答える。日本国憲法第二五条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあり、その第二項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。

そのためにすでに生活保護制度がある。憲法第九条を変えよという人はいるが、憲法第二五条を変えよという人を私は知らない。多くの子どもや高齢者がホームレスになってあちこち食料をあさりながら歩き回っているという社会に住みたい人はいないだろう。だから、人々は憲法第二五条にも、生活保護制度にも賛同していると言ってよいだろう。働けるのに働かないで生活保護給付を受けている人、子どもが高額所得者なのに生活保護給付を受けている人に国民は批判的だが、生活保護制度そのものに反対しているわけではない。だから、BIを給付すべきだという主張に反対する人は本来いないはずだと私は考える。

そんなことをしたら財政赤字がさらにひどいことになるという批判には、すでに行っていることを別の形でするだけだから、赤字がさらに膨らむことはないと答える。むしろ、BIは、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるようにするうえで、もっとも効率的な手段だから、財政支出を減らすことができる。ただし、これは多くのデータによって説明しなければならないことなので、「第3章 ベーシック・インカムは実現できるか」できちんと答えることにしたい。

貧困とは単に所得がないことではないという批判には、そういう面があることは事実だが、現行の制度で、貧困を取り巻く根深い問題を解決できているのだろうかと反論したい。幼い子どもや女性が、貧困と家庭内暴力の犠牲になるという痛ましい事実がある。このような問題に対しては、もちろん、BIを給付しても解決することはできない。しかし、現行の福祉制度は、これらの問題を解決できているのだろうか。

大部分の人は、たまたま所得を得る能力が低くても、子どもや女性に乱暴を働いたり、その所得を分別なく使ってしまったりはしない。まともでない人はごく少数だ。しかし、貧困は、ごく少数のまともでない人々の問題ではない。であるなら、貧困とは、大部分の人々には、所得が少ないという問題なのだから、すべての人々にBIを給付し、現在の福祉制度は、まともでない人々にまともになってもらうように尽力するような制度に改組すべきである。児童相談所は、無責任な、あるいは残虐ですらある親から、子どもを断固として守らなければならない。BIは、福祉官僚の仕事を減らし、彼らがしなければならない本来の仕事をする余裕をもたらすはずである。

貧困とは所得が少ないことだ。本文で詳しく述べるが、現行の生活保護制度の問題点は、その給付額が十分か否かではなくて、そこにアクセスできない、つまりもらうべき人がもらっていないことだ。BIという制度にアクセスできれば、人々は生活費を得られ、絶対的な貧困から脱却することができる。BIの利点は、すべての人々を貧困から救うことができるということだ。

BIについては、日本において、二十一世紀の最初の一〇年間の後半に議論が盛り上がった時期があった。BIについての解説本や翻訳書が立て続けに出版された。その主なものは、ゲッツ・W・ヴェルナー『ベーシック・インカム――基本所得のある社会へ』(渡辺一男訳、現代書館、二〇〇七年)、フィリップ・ヴァン・パリース『ベーシック・インカムの哲学――すべての人にリアルな自由を』(後藤玲子・齊藤拓訳、勁草書房、二〇〇九年)、山森亮『ベーシック・インカム入門――無条件給付の基本所得を考える』(光文社新書、二〇〇九年)、立岩真也・齊藤拓『ベーシックインカム分配する最小国家の可能性』(青土社、二○一○年)などである。

また、元ライブドア代表取締役社長の堀江貴文氏、楽天証券経済研究所客員研究員の山崎元氏、脳科学者の茂木健一郎氏、サントリーHD代表取締役社長(前ローソン代表取締役社長)の新浪剛史氏など多彩な人々がBIを支持したことが、多くの人々の関心を呼んだ。ネットでも雑誌でも、BIに関する議論が見られるようになった。

その後、議論は低調になったようだ。その理由は、すでに説明したように、BIは巨額の財政支出をともなうという誤解と、貧困はお金のないことではなく生活をめぐる根深い問題なのだという考えが流布したからだろう。本書は、これらの誤解をただし、超高齢社会に向かう今こそ、BIについて正しく理解していただきたいと思って書いたものである。BIは世代間の不公平をもたらさない公平な制度でもある。

本書は三つの章と短い「おわりに」からなる。第1章では、日本における所得分配と貧困の現実を説明し、貧困の問題を解決するために、BIが有用な方法であることを示す。第2章では、所得分配とBIをめぐるさまざまな思想とその対立軸を説明し、本書の立場を明らかにする。第3章では、BIを実現するための財政的裏付けを議論する。短い「おわりに」はまとめである。

原田 泰 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2015/2/24) 、出典:出版社HP

ベーシック・インカム
目次

はじめに――ベーシック・インカムとは何か

第1章 所得分配と貧困の現実
――生活の安心は企業ではなく国家が守るべし
はじめに
国家が国民の生活を守る以前の時代
自営経済における資本財としての子
雇用が生活の安心を守っていた
男性の非正規も増えている
会社福祉から取り残された人もいる
日本の社会保障の機能と仕組み
これまでのやり方ではよい雇用を増やせない
最低賃金の引き上げは失業率を上昇させる
最低賃金の問題ではなく生活保護の問題
日本の生活保護水準は高い
保険原理の欠陥
雇用重視の財政金融政策の重要性
企業を生活保障から解放しよう
日本の特徴はワーキングプアーが多いこと
昔の日本は平等だったのか
戦前の格差はどうだったのか
ベーシック・インカムの提案

第2章 ベーシック・インカムの思想と対立軸
はじめに
功利主義の再分配理論
リベラリズムの所得再分配理論
リバタリアンの所得分配論
現実の所得分配状況と再分配政策
BIの発想
BI思想の活性化
負の所得税の概念図
自由な社会と負の所得税
負の所得税と現実
給付レベルに現れる哲学の相違
権利としてのBI
BIと富の正当性
近衛の危険思想の背景
世界革命的共産主義者としての近衛文麿
アジアの共産化をもたらした日本のアジア侵略
存在しえなかったABCD包囲網
明治の元勲の富の認識
ウォール街を占拠する人はいても……
富の正当性が疑われている
報酬返還の議論
報酬返還の実例
BIと家父長主義
パレンス・パトリエ政策の限界
日本政府はパレンス・パトリエであるのか
貧困とパターナリズム
ケースワーカーの不正関与
日本政府は必要な家父長の役割を果たしていない
BIの思想を整理する

第3章 ベーシック・インカムは実現できるか
はじめに
BIは給付と税が一体の制度である
代替財源と考えられるもの
貧しい人々の人数とBIの水準
二兆円とインセンティブのための費用
BIと所得階級ごとの関係
給付水準と実行可能性
比例税についての修正の余地
日米の所得格差と累進課税の影響
BIの水準は低すぎるか
医療保険制度をどう扱うか
なぜ豊かな人にもBIを支給するのか
結婚税を避ける
BIと資産保有
労働意欲を阻害するか
BIは賃金を引き下げるか
BIと移民
夢追い人を増やさないか
BIの付随的利点
BIと地域
事実として地方にもさまざまな産業がある
BIと富の正当性
パラマキ政策は悪くない
バラマキでない農業政策は何をもたらしたか
バラマキでない林業政策とはいかなるものか
震災復興も一律給付で可能となる
高台移転のコスト
結語

おわりに
――国家は貧困を解消できるか

原田 泰 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2015/2/24) 、出典:出版社HP

AI時代の新・ベーシックインカム論 (光文社新書)

ベーシックインカムとAIの関係について考える

本書は、経済学者である著者がベーシックインカムとAIとの関係を論じる一冊です。ベーシックインカムとは何かという入門的な内容に始まり、AI時代におけるベーシックインカムの必要性について説明しています。ベーシックインカムだけでなくAIにも興味のある方に特におすすめです。

井上智洋 (著)
出版社 : 光文社 (2018/4/17) 、出典:出版社HP

はじめに

私は裕福な家庭で育ったわけではなく、学生の時には昼ご飯として非常用の乾パンを食べていたくらいにお金がなかった。にもかかわらず、お金を稼ぐために労力を費やすという気がそれほど起こらなかった。
お金が嫌いなわけではないのだが、楽しい活動をしたついでにもらいたいというくらいの意識しか持ち合わせていなかったのである。我ながら世の中をなめ切っていて、今となっては反省することしきりだ。
そんな調子だから、就職活動からして、応募した二社のうち、一つは書類選考で、もう一つは一次面接で落とされて、それきり嫌になってやめてしまった。
しょうがないんでバイト先の会社の社長に泣きついて正社員にしてもらったけれど、申し訳ないことにその会社も3年弱で退職してしまった。会社員には向いていなかったのである。
そんな私にもちょっとした救いがあって、勉強が嫌いではなかったので大学院に入り直して経済学を学び、なんとか大学教員になることができた。
大学院に入っても出られるかどうか分からないし、大学院を出て博士号を取得しても大学教員になれないことは多々ある。だから、自分はラッキーだったとしかいいようがない。
だが、それよりもなによりも、お金儲けの意欲が乏しい代わりに、勉強意欲をかろうじて持ち合わせていたということが最大のラッキーだ。それすらもなければ、私は今頃ニートになっていたかもしれない。
そう考えると、今、私がニートやホームレスではなく大学教員でいられるのは、究極的なところ偶然に過ぎない。そして、私だけでなく、今順調な人生を歩んでいるという人は、等し並みに運が良いのではないだろうか。
努力したとしても、成功するか否かは運で決まるということを強調したいわけではない。それよりも重要なのは、「努力する能力」を授かったこと自体が運の賜物だということだ。
ただし、全てが運だからといって、お金儲けにいそしんだ人がたくさんの所得を得ることを私は否定しない。全ての人の所得を等しくしたら、経済は立ちいかなくなるだろう。
私にはないお金儲けの才能を持った人を私は尊敬するし、そうした人が家邸に住んだり高級車を乗り回したりするのも結構なことだと思っている。その一方で、誰もが最低限の暮らしを営めるような社会であってほしいとも願っている。
人は、病気や障害、高齢、失業など様々な理由で貧困に陥る。純粋に労働意欲がなく怠けているというケースも中にはあるかもしれない。
だが、勉強意欲や労働意欲がないことも、広い意味でハンディキャップといえないだろうか?そうした人たちにも、生きる権利があってしかるべきではないだろうか?生まれる前にまで遡行すれば、自分がホームレスになる人生を歩んでいたという可能性を私は全く否定できなくなる。その可能性に想いを馳せた時、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障された社会であってほしいと願わずにはおれない。
生活保護は、まさにそのための制度のはずだが、実際にはそうした高邁な理想を実現する制度にはなっていない。日本では、生活保護基準以下の収入しかない世帯のうち、給付を受けていない世帯が8割だといわれている。
貧困層の生活は、生活保護の受給を受けられるかどうかで、天国と地獄ほどの開きが生じてしまう。つまり、8割の世帯が地獄のような生活を強いられているわけだ。だから、現在の生活保護を拡充して、残り8割の人も給付を受けられるようにしようという改善案がさしあたり考えられる。しかし、それで本当に貧しい人々が漏れなく受給できるようになるのか、はなはだ疑わしい。
それだったらいっそのこと、全ての国民にお金を給付して、その分お金持ちの人たちから余計に税金をとったらどうだろうかという考えも浮かんでくる。
このような制度を「ベーシックインカム」(BI)という。収入の水準に拠らずに全ての人々に無条件に、最低限の生活を送るのに必要なお金を一律に給付する制度だ。例えば、毎月7万円のお金が老若男女を問わず国民全員に給付される。世帯毎ではなく個人を単位として給付されるというのも重要な特徴だ。
毎月7万円の場合、3人家族だったら1万円、4人家族だったら28万円の給付が受けられるようになる。それにプラスして、月15万円くらい稼ぐことができたら、暮らしていくには十分だろう。
重い病気や障害などのハンディキャップを負っている人に対しては、別途給付が必要だろうが、それ以外のあらゆる貧困にはBIで対処できるはずだ。
全く労働意欲がなく7万円のみで暮らしたいという独身者の場合、都市部であってもルームシェアをすれば暮らせるし、地方に行けば一人暮らしを営むこともできる。
なによりBIが優れているのは、全ての貧しい人を余すことなく救済できることだ。食いっぱぐれる心配が要らなくなれば、貧困に直面している人々の暮らしはもっと明るく健康的なものとなるだろう。おまけに、生活保護と違って働いた分だけ給付額を減らされるということもないので、労働意欲を削がれることはない。BIは、「貧困の罠」から抜け出しにくいという生活保護の欠点を克服した制度となっているのである。
BIを夢物語のように思う人も多いかもしれない。しかし、フィンランドでは政権与党が導入に向けての準備を進めているし、インドでは2020年までに一つか二つの州で導入する予定である。イランでは石油から得られる公的収益が国民に分配されており、既にそれだけで最低限の生活が送れるようになっている。にもかかわらず、イランの人々の労働意欲はほとんど低下していない。
現在、世界ではBIに関する議論がかつてないほど盛り上がっている。その背景には、人工知能(AI)やロボットが多くの人々の雇用を奪うようになるのではないかという予想がある。
日本でもこうした議論がなされるようになってきたので、いずれBIが導入されるだろうと私は楽観的に考えている。だが、できる限り早くBIを導入するには、この制度を多くの人々に知ってもらう必要がある。本書は、まずはそのために書かれている。
ただ、既にBIについての良書が幾つか出版されているので、本書ではBIという制度を単に紹介するだけでなく、BIと貨幣制度やAIとの関わりについて、私独自の視点で論じていきたい。
なお、本書の内容は一部、既に出版されている拙著『人工知能と経済の未来』と『ヘリコプター・マネー』と重なっていることを最初にお断りしておきたい。

本書の第1章では、BIに関する基礎的な知識について紹介し、第2章では、BIの財源と具体的な制度について論じる。BIには、常に財源の問題が付きまとっている。この問題の解消を図るとともに、具体的な制度として、固定BIと変動BIからなる「二階建てBI」を提案したい。
第3章では、貨幣制度について議論する。私は、貨幣制度の変革がいずれ必要だと思っているが、これはBIの導入に不可欠なわけではない。しかし、貨幣制度の変革は、より平等でより豊かなBI制度を可能にするだろう。
第4章では、今後AIの急速な進歩が失業や貧困を増大させる可能性について論じ、そうした問題の対処のためにBIが必要になるということを主張する。
第5章では、様々な政治経済思想について論じ、その中にBIを位置付ける。怠け者にもBIを給付することが、どうして正しいといえるのか。そもそも怠けることは悪いことなのか。私たち日本人が常識として持つ勤労道徳は、普遍的な価値を持つ規範なのか。そういった問題についても掘り下げていきたい。

井上智洋 (著)
出版社 : 光文社 (2018/4/17) 、出典:出版社HP

AI時代の新・ベーシックインカム論 目次

はじめに

第1章 ベーシックインカム入門
1.1 ベーシックインカムとは何か?
1.2 ベーシックインカムvs生活保護
1.3 起源と歴史
1.4 現代のムーブメント

第2章 財源論と制度設計
2.1 なぜ生活保護よりもベーシックインカムの方が安上がりなのか?
2.2 負の所得税・生活保護との制度上の違い
2.3 所得税以外の財源
2.4 日本の財政危機は本当か?
2.5 貨幣発行益を財源としたベーシックインカム

第3章 貨幣制度改革とベーシックインカム
3.1 貨幣発行益をベーシックインカムとして国民に配当せよ
3.2 貨幣制度の変遷
3.3 銀行中心の貨幣制度の問題点
3.4 国民中心の貨幣制度へ

第4章 AI時代になぜベーシックインカムが必要なのか?
4.1 AIは雇用を奪うか? 格差を拡大させるか?
4.2 日本の雇用の未来
4.3 人間並みの人工知能が出現したら仕事はなくなるか?
4.4 脱労働社会にベーシックインカムは不可欠となる
4.5 資本主義の未来

第5章 政治経済思想とベーシックインカム
5.1 右翼と左翼は対立しない
5.2 なぜ右派も左派もベーシックインカムを支持するのか?
5.3 儒教的エートスがベーシックインカム導入の障壁となる
5.4 なぜ怠け者も救済されるべきなのか?
5.5 労働は美徳か?
5.6 人が人であるために

おわりに

注釈
引用文献

井上智洋 (著)
出版社 : 光文社 (2018/4/17) 、出典:出版社HP

ベーシックインカム (井上 真偽)

近未来が舞台のSFミステリー短編集

本書は、ベーシックインカムのほかAI、遺伝子操作などの技術革新が進んだ近未来を舞台とした、SFミステリー短編集です。ベーシックインカムについて学ぶというより、ベーシックインカムを題材にした短編ミステリー小説として楽しむことができます。

井上 真偽 (著)
出版社 : 集英社 (2019/10/4) 、出典:出版社HP

目次

言の葉の子ら
存在しないゼロ
もう一度、君と
目に見えない愛情
ベーシックインカム

井上 真偽 (著)
出版社 : 集英社 (2019/10/4) 、出典:出版社HP