かくて行動経済学は生まれり

ベストセラー作家が書いたカーネマン

世紀の空売りやマネーボールといったベストセラーを生み出したマイケル・ルイスの新作となります。本書では行動経済学の背後にある基本的な研究の多くをした2人の心理学者であるノーベル賞受賞者であるダニエル・カーネマンと共同研究者であるエイモス・トベルスキーの2人の伝記になる位置づけです。

カーネマンのこれまでのやってきたことなどは、「ファスト&スロー」でのまとまりがありますが、本書ではそのような研究がどのようになされたのかというバックグラウンド、この2人がどのような生い立ちに焦点を当てています。

マイケル ルイス (著), Michael Lewis (原著), 渡会 圭子 (翻訳)
文藝春秋 (2017/7/14)、出典:出版社HP

 

目次

序 章 見落としていた物語
野球界にはびこるさまざまなバイアスと、それを逆手にとった貧乏球団のGMを描いた『マネー・ボール』。その刊行後、わたしはある批判的な書評を目にした。「著者は、野球選手の市場がなぜ非効率的なのか、もっと深い理由があることを知らないようだ」。その記事には二人の心理学者の名前が挙げられていた。

第1章 専門家はなぜ判断を誤るのか?
あるNBAチームのGMは、スカウトの直感に不信感を抱いていた。彼らは自分にとって都合の良い証拠ばかりを集める「確証バイアス」に陥っていたのだ。彼らの頭の中では、いったい何が起きているのか。それは、かつてダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーが直面し、解き明かした問題だった。

第2章 ダニエル・カーネマンは信用しない
ナチスからの過酷な逃亡生活を経たダニエルは、終戦後、独立戦争さなかのイスラエルに向 かった。戦争中の体験から「人の頭の中」に強い興味を抱いた彼は、軍の心理学部隊に配属
される。そこで課せられたのは、国家の軍事力を高めるべく、新人兵士の適性を正確に見抜
く方法を作成せよという難問だった。

第3章 エイモス・トヴェルスキーは発見する
高校卒業後、イスラエル軍の落下傘部隊に志願したエイモス。闘士として戦場を駆け回った 彼は、創設直後のヘブライ大学心理学部に入学する。「CよりB、BよりAが好きな人は、
必ずCよりAが好き」という人間像を前提とした既存の経済理論に疑問を持った彼は、刑務
所の囚人を集めてある実験を行なった。

第4章 無意識の世界を可視化する
人間の脳は無意識のうちにどんな働きをしているのか。その研究にとりかかったダニエルは やがて視覚に辿りつく。人の瞳孔は、好ましいものを見ると大きくなり、不快なものを見る と小さくなる。そしてその変化のスピードは、人が自分の好みを意識するより早かった。彼 –
は、目から人の頭の中をのぞき始めた。

第5章 直感は間違える
「人の直感は、統計的に正しい答えを導き出す」。長らく信じられてきたその通説を打ち破
ったのは、ヘブライ大学で出会ったダニエルとエイモスの二人だった。たとえ統計学者で
も、その直感に頼った判断はいとも簡単に間違うことを証明した二人の共同論文は、それま
での社会科学に反旗を翻すものだった。

第6章 脳は記憶にだまされる
専門家の複雑な思考を解明するため、オレゴン研究所の心理学者たちは医師に簡単な質問を
して、ごく単純なアルゴリズムを作成した。だが、手始めに作られたその「未完成のモデ
ル」は、どの有能な医師よりも正確にがんの診断を下せる「最高の医師」になってしまっ
た。いったいなぜそんなことが起きたのか?

第7章 人はストーリーを求める
歴史研究家は偶然にすぎない出来事の数々に、辻褄のあった物語をあてはめてきた。それ
は、結果を知ってから過去が予測可能だったと思い込む「後知恵バイアス」のせいだ。スポ
ーツの試合や選挙結果に対しても、人の脳は過去の事実を組み立て直し、それが当たり前だ
ったかのような筋書きを勝手に作り出す。

第8章 まず医療の現場が注目した
北米大陸では、自動車事故よりも多くの人が、医療事故で命を落としていた。医師の直感的
な判断に大きな不信感が漂うなか、医学界はダニエルとエイモスの研究に注目。医師の協力
者を得た二人は、バイアスの研究を次々と医療に応用し始める。そしてダニエルは、患者の
「苦痛の記憶の書き換え」に成功する。

第9章 そして経済学も
「人は効用を最大にするように行動する」。この期待効用理論は、経済学の大前提として広 く受け入れられてきた。だがそれでは、人が宝くじを買う理由すら説明できない。その矛盾
に気づいたダニエルとエイモスは、心理学の知見から新たな理論を提唱する。その鍵となっ たのは、効用ではなく「後悔」だった。

第10章 説明のしかたで選択は変わる
六百人中、二百人が助かる治療法と、四百人が死ぬ治療法。この二つの選択肢はまったく同
じ意味であるにもかかわらず、人はその説明の違いに応じて異なる反応を見せる。ダニエル
とエイモスが見つけたこの「プロスペクト理論」は、合理的な人間像を掲げてきた既存の経
済学を、根底から揺るがすことになる。

第11章 終わりの始まり
共同研究に対する賞賛は、エイモス一人に集中した。その状況に対し、徐々に妬ましさを感
じ始めたダニエルは、エイモス抜きで新たな研究に取り掛かる。人が「もう一つの現実」を
想像するときのバイアスに注目したそのプロジェクトが進行するなか、十年間に及ぶ二人の
友情の物語は終焉へと近づいていく。

第12章 最後の共同研究
ダニエルとエイモスの格差は広がる一方だった。そんななか、かつての指導教官をはじめ、 彼らの研究は各方面からの攻撃に曝される。その反撃のため二人は再び手を組むも、ダニエ ルはその途中でエイモスと縁を切る決意を固める。二人の関係が終わったその直後、エイモ スは医師から余命六か月と宣告される。

終 章 そして行動経済学は生まれた
脳には限界があり、人の注意力には穴がある。ダニエルとエイモスが切り拓いたその新たな
人間像をもとに、「行動経済学」は生まれた。エイモスの死後、その権威となったダニエル
は、ノーベル経済学賞の候補者に選ばれる。発表当日、一人連絡を待つダニエルの胸には、
エイモスへのさまざまな思いがよぎる。

参考文献について
謝辞
訳者あとがき

解説 「ポスト真実」のキメラ 月刊誌『FACTA』主筆 阿部重夫
タイトルをクリックするとその文章が表示されます。

マイケル ルイス (著), Michael Lewis (原著), 渡会 圭子 (翻訳)
文藝春秋 (2017/7/14)、出典:出版社HP

序 章 見落としていた物語

野球界にはびこるさまざまなパイアスと、それを逆手にとった貧乏球団のGMを描いた『マネー・ボール』。その刊行後、わたしはある批判的な書評を目にした。「著者は、野球選手の市場がなぜ非効率的な のか、もっと深い理由があることを知らないようだ」。その記事には二人の心理学者の名前が挙げられていた。

二〇〇三年、わたしは『マネー・ボール』という本を書いた。それは、いかに野球選手を評 価し、チームの戦略を立てていくかについて、新しく優れた方法を追い求めたオークランド・アスレチックスの物語だ。他球団よりも選手に使える資金が少ないために、アスレチックスのフロントは戦略を見直さざるをえなかった。新旧のデータを掘り起こし、それを野球の門外漢が分析することで、新しい戦略を見つけ出したのだ。それによって、彼らは他球団のフロントを出し抜くことができた。アスレチックスはそれまで見捨てられていた、あるいは見逃されて いた選手に価値を見いだし、野球界で常識だと考えられていたことの多くが間違いだったと気 がついた。

本が発売されると、頭の固いフロントやスカウト、ジャーナリストなどの一部の野球関係者 は憤慨して酷評したが、多くの読者はわたしと同じようにその物語をおもしろいと思ってくれ た。アスレチックスのチームのつくり方から、野球だけにとどまらない一般的な教訓を見いだ したのだ。一八六〇年代から続くプロ野球という世界で、高額の報酬を得て世間の目にさらさ れている選手であっても、市場から正しく評価されていないというのなら、他の業界でも同じ ことが起きているはずではないか? 野球選手の市場が非効率的というのなら、効率のいい市 場などあるのだろうか? 新たな分析法によって、野球の世界でこれまでにない戦略が見つか ったというのなら、人間のあらゆる活動においても、同じ手法が使えるのではないか?

この十年ほど、多くの人々がアスレチックスをロールモデルとして、よりよいデータを使 い、よりよい分析を行なって、市場の非効率性を指摘するようになってきた。わたしはありと あらゆる分野のマネー・ボールについての記事を読んだ。教育のためのマネー・ボール、映画 スタジオのためのマネー・ボール、メディケアのためのマネー・ボール、ゴルフのためのマネ ー・ボール、農場経営のためのマネー・ボール、出版のためのマネー・ボール(!)、大統領 選のためのマネー・ボール、政府のためのマネー・ボール、銀行員のためのマネー・ボールな どだ。 「いきなり、おれたちがオフェンシブ・ラインマンをマネー・ボールしている。なんて言わ れてさ」と、二〇一二年にニューヨーク・ジェッツのあるコーチが不平をもらした。

また、ノースカロライナ州議会がデータをずる賢く利用して、アフリカ系アメリカ人が投票しづらくする法律をつくろうとしたのを見て、コメディアンのジョン・オリヴァーは「マネー・ボール的人種差別だ」と皮肉った。しかし、古い専門家の知識を新しいデータ分析に置きかえようとする挑戦は、表面的であることが多かった。データに基づいて下された重大な意思決定が、すぐ結果につながらないと―ときには結果につながったとしてもー、昔ながらのやり方を用いたときにはなかったほどの、容赦ない攻撃にさらされた。

二〇〇四年、アスレチックスをまねたボストン・レッドソックスは、ほぼ百年ぶりにワール ド・シリーズを制覇した。同じ手法で二〇〇七年と二〇一三年にも優勝した。だが不本意な三 シーズンを経た二〇一六年、レッドソックスはデータに基づく手法を捨て、専門家の判断に再 び任せることにしたと発表した(「われわれはおそらく数字に頼りすぎたんだ……」と、オーナーのジョン・ヘンリーは言った)。ライターのネイト・シルバーは数年間、ニューヨークタイムズ紙でアメリカ大統領選の結果を正確に予測し、目覚ましい成功をおさめた。彼は、野球記事を書くときに身につけた統計学的手法を用いたのだ。一介の新聞が選挙予測で他をリードしたのは、記憶にあるかぎり初めてのことだった。

ところが、シルバーがニューヨークタイムズを去り、ドナルド・トランプの快進撃を予測し損ねると、彼の統計学的手法に疑問が突きつけられた。それも、ほかならぬニューヨークタイムズからだ!「足で稼ぐ地道な報道に勝るものはない。政治は本質的に人間の営みだ。だから、予測や理屈を裏切ることもある」と、二〇一六年春の終わりにニューヨークタ イムズのコラムニストが書いている(とはいえ、地道な取材を重ねた記者のほとんどもトラン プの躍進を予測できなかったし、シルバーものちに、トランプは型破りであるために、予測に いつになく主観が入り込んでしまったと認めているが、それらはとりあえず置いておこう)。

たしかに、データを使って現状を把握し、業界の非効率性を突いたと主張する人々への批判 には、的を射た部分もある。しかし、アスレチックスが逆手に取った人間心理に潜む何か、す なわち確実なことなど何もない状況でも、確実だと言ってくれる専門家を求めてしまう心の働 きは、しぶとく生き残り続ける。殺されたはずなのに、なぜか最後の場面で生き返る映画の怪 獣のようなものである。やがてわたしの本への反応も落ち着いたが、その指摘の中にきわだって重要と思えるものが一つあった。当時はシカゴ大学に所属していた二人組、リチャード・セイラーという経済学者 と、キャス・サンスティーンという法律学教授による書評だ。

二〇〇三年八月三十一日付の『ニューリパブリック』に掲載されたその書評は、好意的であると同時に手厳しいものだった。プロスポーツの市場は混乱しているので、その非効率性を逆手に取って、アスレチックスのような貧乏チームが潤沢な資金を持つチームの多くを出し抜けるのは興味深い現象だというこ とについては、彼らも賛同してくれた。しかし、と二人は続けていた。『マネー・ボール』の著者は、野球選手の市場がなぜ非効率的なのか、もっと深い理由があることを知らないようだ、と。

それは人間の頭の中の働きから生じている――そして、野球の専門家がなぜ選手を見誤るのか、またどんな分野の専門家でも、その人自身の頭の中でなぜ判断が歪められてしまう のかについては、すでに何年も前に説明がなされている。それを行なったのは、二人のイスラ エル人心理学者、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーである、と。わたしの本 はそれまで誰も気づかなかったことを明らかにしたわけではなかった。わたしは単に、何十年 も前から取り沙汰されていたのに、わたしも含め世間からきちんと評価されていなかったアイ デアを書き出しただけだったのだ。

いや、それどころではない。その記事が出るまで、わたしはカーネマンのこともトヴェルス キーのことも知らなかった。そのうちの一人はノーベル経済学賞まで受賞しているというの に。それに実を言えば『マネー・ボール」の心理学的側面など、ほとんど考えたこともなかった。野球選手の市場は非効率なことで溢れている。それはなぜなのか? アスレチックスのフロントは市場におけるバイアス” について語っていた。たとえば足の速さが必要以上に評価されるのは、それが目に見えやすいからだし、選球眼があまり評価されないのは、四球がすぐに忘れられるからだ―四球を選んでも、ただ立っていただけだと思われる。

アスレチックスのフロントが語るこうしたバイアスを、わたしはおもしろいと思ったが、さらに踏み込んで尋ねることはしなかった。そのバイアスはどこから来ているのか? なぜ人間はそのようなバイアスを持つのか?
わたしは特に、人を評価するときに市場がどう働くのか、あるいはなぜうまく働かないのか についての話を書こうとしていた。しかし、判断を下したり意思決定を行なったりするとき、人の頭がどう働くのか、あるいはなぜうまく働かないのかについては、また別の話として心の 奥底にしまいこみ、深く掘り下げることも語ることもしなかった。

投資や人物評価などの不確実なことを目前にしたとき、人はどのようにして結論に辿りつく のだろうか? 野球の試合から収益報告書、実験、健康診断、お見合いパーティーにいたるま で、わたしたちは目の前のデータをどう処理しているのだろうか?また、その道のプロと言われる人であっても判断を誤り、専門家ではなくデータに頼る人の踏み台にされている。その 判断ミスをする人の頭の中では、何が起きているのだろうか? そして二人のイスラエル人心 理学者が、なぜこうした問題について多くを明らかにするようになったのだろうか? まるで何十年かあとに、アメリカのプロ野球についての本が出るのを予想していたかのように 。

何が二人の中東の男をとらえ、野球選手や投資や大統領候補者について判断するときの脳の 働きについて、奥深い研究へと向かわせたのだろうか? そしていったいなぜ心理学者がノー ベル経済学賞を受賞したのだろうか? これらの疑問に答えるために、また語るべき物語が浮 かび上がった。それをこれから語っていこう。

第1章 専門家はなぜ判断を誤るのか?

あるNBAチームのGMは、スカウトの直感に不信感を抱いていた。彼らは自分にとって都合の良い証拠ばかりを集める「確証バイアス」に陥っていたのだ。彼らの頭の中では、いったい何が起きているのか。それは、かつてダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーが直面し、解き明かした問題だった。

面接室にいる若者が何を言い出すか、誰にも予想がつかない。ときにまどろんだ意識からハッと目覚めて、注意を惹きつけられる言葉が飛び出すものだ。いったん気にしだすと、彼らが 言ったことを必要以上に重く捉えてしまう。全米バスケットボール協会(NBA)の面接でもっとも忘れがたい瞬間の数々は、ふつうの頭では処理しきれないようなものばかりだ。ときに は、その場を選手がぶち壊しにかかっているのではないかとさえ感じることもある。

マイケル ルイス (著), Michael Lewis (原著), 渡会 圭子 (翻訳)
文藝春秋 (2017/7/14)、出典:出版社HP