ゴッホ (「知の再発見」双書3)

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ゴッホの生き様から生まれた色彩

本書は、ゴッホの生涯と画家としての活動の道のりについて詳しく解説している本です。彼の苦しい時期の不安感や孤独感、色彩の変化に影響を与えた要因などが書かれています。また、ゴッホの書簡や論評も解説され、一人の人間としてのゴッホを知ることができます。

パスカル ボナフー (著), 高橋 啓 (翻訳), 嘉門 安雄 (翻訳)
出版社 : 創元社 (1990/10/1)、出典:出版社HP

日本語版監修者序文 嘉門安雄

◇今年1990年はフィンセント・ファン・ゴッホ没後100年の記念の年である。波乱に富んだ、だが、37歳という若さで、しかも画家としての僅か10年間に、驚異という以外に表現の仕様がないほどの多くの作品を遺して、パリの西北、オワーズ河畔の小村オーヴェル・シュール・オワーズのカフェ・ラボオーの一室に生涯を閉じている。それから100年である。
◇その記念の年——故国オランダをはじめ、世界各地で、さまざまの記念行事が計画され、開始されている。このチチェローネ風(解説風)の、しかし極めてコンパクトな冊子の日本語版もまた、そのことに思いを至しての作業である。
◇改めて言うまでもなく、フィンセント・ファン・ゴッホの名は、芸術は、今日最もよく知られ、愛されている一人であり、絵画である。私の口ぐせではあるが、ゴッホを想うとき、まさに生命の呼吸のまま、リズムのままに、ただ、ひたすらに生きて描いた——としか言いようがないのである。彼に関する評伝、伝記類、さらに伝記小説まで加えると、限りなく多い。彼は全方位から眺められ、解明されている。にもかかわらず、その作品を眺め、彼を想うごとに、新たな情熱も湧き、新たな発見もある。

◇このようなことが許されるのは、いや、出来るのは、もとより彼の芸術がすぐれているからであり、その生涯が波乱に富み、多岐にわたっているからではある。しかし、それを支え、それを誘導してくれるのは、あの、作品数にも匹敵する多くの書簡…特に弟テオに宛てた650通をこえる、日記にも等しい手紙をはじめとする、友人、妹に宛てた100通以上、さらにテオから彼に宛てたもののうち残る60通に近い数の書簡の存在である。ゴッホを識る上において、作品をタテ糸とすれば、これら書簡類は、そのタテ糸と見事に綾なすヨコ糸である。そして更につけ加えるならば、その尨大な数の作品の中に、まさに日記の如く描いた自画像の多いことである。
◇総て……と言ってよいほど、ゴッホの伝記、評伝、伝記小説類の著書もまた、当然、こうした基盤から出発している。
◇この日本語版の原著者もまた例外ではない。それどころか、それらの基盤材料を十分に咀嚼し、ゴッホを識る啓蒙書としての役割を果たしている。特に、ゴッホに限らず、画家たちの自画像に深い関心と洞察をもつこの著者にとっては、ゴッホこそ、自身と情熱をもって取扱うに相応(ふさわ)しい画家だとも言えるであろう。

◇かつて——そう、30余年前、ゴッホ研究家として知られる、しかも、やがてそのカタレトログ・レゾーネ(総目録)の仕事も成しとげたヤン・フルスカーが、ゴッホ生誕100年を記念して、まさに読み観る年表とも言える200ページに近いポケット版型の啓蒙書を出版でした。今回のガリマールの原著は、フルスカーのその年表風の著書とはまったく違った、明らかに著者のゴッホ観に基づく略伝であり、解説である。
◇この一書は、ゴッホの生涯と芸術を直接、それもエッセイ風に語る第一部(第一章から五章)と、第二部とも言える「資料」から成り立っている。その第一部の視点のあて方もさることながら、「資料」篇における書簡の活用の的確さ、特に、最後のゴッホをめぐる論評の取り上げ方にみられるこの著者の鋭い批評眼は見事である。しかし、いずれにせよ、この著者もまた、ゴッホに魅せられた人であり、その頌歌を高らかに歌いあげる人である。
◇さて、日本語版であるが、原著書の相(すがた)をそのまま活かすことを主眼とする叢書の一冊とすることでは、いわゆる翻訳書とは違って、かなりの制約と困難を伴う。第一、原文をそのまま日本語に訳したのでは、原書の一ページ分は日本語訳では一ページ分を超える場合が多い。したがって、日本語版でも原型にしたがうためには、原文の真意を損うことなく、日本文を縮少、もしくは要約しなければならぬ。そのためには、訳者に単に語学力だけではなく、ゴッホについての十分な知識が要求される。
◇ここでは、訳者はその困難と制約を、これまた見事に克服している。私は原文と訳文を照し合せながら、むしろ教えられることが多かった。かつて、前述のヤン・フルスカーの一冊が愛用のポケット版であったように、今後は、この日本語版も、もう一つの、より新鮮なポケット版として、私のゴッホ巡礼を助けてくれるであろう。そして、その思いのまま、敢て読者に推せんする所以である。

運命は過酷で、栄光は悲惨なもの。
フィンセント・ファン・ゴッホの画家としての活動は、わずか10年にも満たない。
27歳から、37歳で命を絶つまでの、わずか10年である。
だがその間に彼は、劇的なスタイルの変遷を遂げ、
ついに死の2年半前、あの燃え上がるような色彩を獲得した。
彼が生きている間、その作品に目をとめるものは、ほとんどいなかった。
冷笑され、軽蔑され、無名のまま生涯を終えた。
現在、巨万の富と交換されるその作品は、
生前たったの一枚しか売れなかった。
だが、それでもゴッホは描いた。
そして、何度も何度も自分の顔を見つめた。
苦しみに満ちた青年期を経て、
自分を救うものは絵しかないことを知っていたから。
ゴッホが残した数多い自画像は、そのことを雄弁に物語っている。


ゴッホの使っていたパレット

パスカル ボナフー (著), 高橋 啓 (翻訳), 嘉門 安雄 (翻訳)
出版社 : 創元社 (1990/10/1)、出典:出版社HP

CONTENTS

第1章 不安と孤独
第2章 福音伝道とデッサン
第3章 人物画と貧困
第4章 色彩を求めて
第5章 色彩の果てに

資料篇―目撃者たちの証言―
1 ゴッホの手紙
2 ゴッホをめぐる論評
3 ゴッホとひまわり
4 ボリナージュの坑夫たち
5 ゴッホの生きた場所
略年譜
INDEX
出典(図版)

パスカル ボナフー (著), 高橋 啓 (翻訳), 嘉門 安雄 (翻訳)
出版社 : 創元社 (1990/10/1)、出典:出版社HP