観察力を磨く 名画読解

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アートの見かたがわかる

本書は、アートの観察のための知覚的技法を解説している本です。アートを見るためには、様々な能力が必要ですが、本書では、観察と分析、伝達、応用という観点から、知覚の技法を紹介しています。章ごとについているタイトルは、キャッチーなものが多く、一般の方でも入りやすい内容でしょう。

エイミー・E・ハーマン (著), 岡本 由香子 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2016/10/6)、出典:出版社HP


イアンに。あなたが与えてくれるすべてに感謝を。この先もずっと。

この世界はたくさんの不思議をたたえ、
私たちの気づきを、辛抱強く待っている。
——発言者不明

目次

著者より
始まり

第一部 観察
第一章 レオナルド・ダ・ヴィンチの力の秘密——大事なものを見る
第二章 名探偵、参上——観察の技をマスターする
第三章 カモノハシと泥棒紳士——どうして人によって見え方がちがうのか
第四章 客室乗務員が無意識に行なうこと——客観的観察のポイント
第五章 マヨネーズはどこに? ——全体も細部も見る

第二部 分析
第六章 全周に目を配れ——あらゆる角度から分析する
第七章 私はなぜ、引き金を引いたのか——情報の優先順位

第三部 伝達
第八章 ワインの値段——コミュニケーションの不具合を防ぐ方法
第九章 ビッグ・スー——厳しい現実を適切に伝えるには

第四部 応用
第一○章 介護施設でストリップショー——生まれ持ったバイアスを克服する
第一一章 担架がないときはどうするか——不確かな状況に対応する方法

終わりに——知覚の技法をマスターする

謝辞
原注
作品クレジット

エイミー・E・ハーマン (著), 岡本 由香子 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2016/10/6)、出典:出版社HP

著者より

“知覚の技法”を教えはじめて、今年で一四年になる。セミナーを通じて世界中の人から、アートにまつわる話や、観察、分析、伝達に関する貴重な体験を聞かせていただいた。これまでセミナーに参加してくださった方々は、自分の体験談が本で紹介されるなど想像もしていなかっただろうし、厳格な守秘義務のある職業についている人も少なくない。よってプライバシー保護の観点から、個人的な話を紹介する際は仮名を使い、本人だと特定できないよう配慮した。実在の人物(故人を含む)とのいかなる類似も偶然である。
本書はノンフィクションだ。すべてのエピソードは、事実または当事者の話に基づき、できるかぎり正確に記録するよう努めた。個人的体験のすべてに裏づけをとったわけではないが、ここで紹介させていただくのはいずれも、私が真実だと確信した話である。

エイミー・E・ハーマン (著), 岡本 由香子 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2016/10/6)、出典:出版社HP

始まり

私は、アパートメントの外廊下に立っている。目に映るすべてが、ぼやけて、スローモーションに見える。ドアの向こうから怒声が響いてくる。蛍光灯の光に、宙を漂う埃が浮かびあがる。左側のどこかでネコが鳴いた。目の前の警官が、扉をノックしようとこぶしを振りあげる。もうひとりの警官が武器を構え、全身を緊張させて、援護の位置につく。扉の向こうから聞こえる口論が、脳内に反響する。拳銃の黒い銃口が、無言の叫びをあげているように見える。
どうして、こんなことになったのだろう?
私は子どもの頃から、あらゆるものにアートを見いだす癖があった。木漏れ日の繊細で非対称な光の流れにも、波打ち際に残る小石や貝殻の柄にも。自分でアートを生みだす才能はなかったので、大学では美術史を専攻した。ただ卒業後は、科学者の父と超現実的な母の影響を受けて、また人の役に立ちたいという個人的な思いもあって、ロー・スクールへ進学した。そこで警察の仕事を体験するカリキュラムに参加し、前述のような緊迫した場面に立ち会うことになったわけである。
不安で押しつぶされそうになった私は、アート作品を見るようにアパートメントの廊下を観察した。ひとつひとつのニュアンスを分析し、前景や背景を確かめて、一見するとささいな不調和に意味を見いだそうとした。ふつうの人はそんなことをしない。変わっているね、とよく言われる。それでも美術史の研究で習得した手法は、客観性が重視される法律の分野で大いに役立っている。
ふと、不吉な考えが頭をよぎった。目の前の警官に客観的観察力がなかったらどうしよう。アパートメントの扉が開いたときに警官が目にするのは、泣いている赤ん坊かもしれないし、困惑した年配の女性かもしれないし、はたまた銃を振りまわす精神錯乱者かもしれない。そのとき警官のとる行動が、私たち全員の運命を決める。私の命は、ほとんど赤の他人といってもいいこの警官に——彼の観察力とコミュニケーションカに——委ねられているのだ。

幸い、警官はうまく事態を収めてくれた。しかし初めて人に銃口が向けられるところを目撃し、死を生々しく意識した記憶は、その後、何年も私につきまとった。
私たちの人生において、わが身の安全を他人の手に委ねる機会はどのくらいあるだろう。飛行機や電車、タクシーに乗るときもそうだし、外科手術を受けるときもそう……多すぎて数えきれない。たとえ生死がかかっていなかったとしても、自分の仕事や、評判や、安全や、成功が、他者の観察力と行動力に左右される状況などいくらでもある。裏を返せば、私たちも周囲の人々に対して同じ影響力を持っている。誰かの昇進を降格に、勝利を敗退に変え、九月のなんでもない火曜日を、九・一一にする力がある。
私たちはふだん、当たり前のように何かを見て、それについて誰かに伝えている。ただし正確に見て、適切に伝えているかどうかは疑問だ。空港でまちがったゲートからまちがった飛行機に乗ろうとしたり、書くべきでないことを書いたメールを、送るべきでない人に送ったり、目の前にある大事な情報を、いとも簡単に見逃したりする。なぜか?見ることや話すことと同様に、まちがうことも、生来、私たちのなかに組み込まれているからだ。
人間が一度に見られるものの数は限られており、脳が処理できる数となるとさらに少ない。弁護士だった頃、私は目撃者の証言や当事者の話がどれほどあてにならないかを思い知らされた。ただし、ものの見方や伝え方について本気で考えるようになったのは、転職してからだ。ニューヨーク市にあるフリック・コレクションで教育部門のディレクターに就任した私は、イェール大学医学部の皮膚科学教授から、アートの分析を通じて医大生の診断スキルをあげることはできないかという相談を受けた。そして医大生をフリック・コレクションに招いてアートの分析を体験させたところ、体験しなかった学生と比較して五六パーセントも診断能力が向上したのである(1)。私はがぜん興味を持った。アートを見るという単純な行為が、どうして医大生の診断能力を向上させたのか、その科学的根拠を知りたかった。
すっかり神経科学オタクになった私は、学術論文を読みあさり、研究者に会いにいった。神経科学者が開発したオンラインゲームに登録もした。すると、ものを見るという行為に関して、自分がまちがった認識を持っていたことがわかった(たとえば網膜は、目ではなく脳の一部なのだ!)。ただ、肝心な点において、私の直感は当たっていた。つまり訓練さえすれば実際に、より細かく、より正確に見られるようになるのである。
すばらしい発見をすると、すぐ人に教えたくなるのが私の性分だ。九・一一のあと、まだニューヨークの街にテロの恐怖が蔓延し、武勇伝や胸のつぶれるような悲話が飛び交っていた頃、友人たちと外食をした際に、さっそくこの発見を披露した。すると友人のひとりが、警官や救急隊員に教えたら社会の役に立つのではないかと言った。そんなことはまったく考えていなかったけれど、ロー・スクール時代に怒声が響く廊下に立ったときのことを思い出して、なるほどと思った。だいいち警官にレンブラントを見せるなんて画期的だ。次の月
曜日、さっそくニューヨーク市警に電話をかけた。
「警官を美術館に招いて、アート作品を見せたいのですが」
電話を受けた警察委員は困惑していた。唐突な提案で、電話を切られても仕方のない状況だった。しかしその人は、やってみようと言ってくれた。数週間後、フリック・コレクションに初めて拳銃が持ちこまれた。私のセミナー”知覚の技法”が産声をあげた瞬間である。
それから一四年のあいだに、ニューヨーク市警の一三の部署がセミナーを受け、さらにワシントンDC、シカゴ、フィラデルフィアの警察も、バージニア州警察、オハイオ警察署長協会も、私を講師に招いてくれた。知覚の技法の評判は口コミで広がって、FBIや国土安全保障省、スコットランドヤード、アメリカ陸海軍、ナショナルガード、シークレットサービス、連邦保安局、連邦準備銀行、司法省、国務省、国立公園局からも依頼があった。
『ウォール・ストリート・ジャーナル』は私のセミナーを取りあげて、知覚の技法が警察や軍の要員によい効果をもたらしていると評価してくれた。さらにセミナーを受けて観察力があがったというFBI捜査員の話を掲載してくれたのである(2)。その捜査員は、セミナーで習った手法を活かして、ギャングによるゴミ回収シンジケートを摘発し、三四の有罪判決を勝ちとって、六〇〇〇万ドルから一億ドルの資産を没収したという(3)。この記事が掲載されるやいなや、企業や教育機関、そして労働組合から問い合わせが殺到した。日々の生活においてはあらゆる人が——親も教師も、客室乗務員も投資銀行家も、ホテルのドアマンも、一定の観察力と伝達力を必要としているからだ。
国防総省は私のセミナーを”たいへん価値がある”と評し、海軍作戦部長は,将来の戦いに活かせる革新的な技法”と太鼓判を押してくれた。FBIナショナル・アカデミーでセミナーに参加したベンジャミン・ネイシュ警部は「(セミナーで)目を開かれた気分だ。警官としてあんなに風変わりな訓練を受けることもないだろう(4)」と述べ、フィラデルフィア市警にセミナーを推薦してくれた。乳房が腹まで垂れた全裸の女性を教材に観察力やコミュニケーション力を鍛えようというのだから、風変わりといわれても仕方ない。
しかも効果は抜群だ。
これまで、弁護士事務所、図書館、オークション運営会社、病院、大学、大手企業、エンタメ業界、銀行、労働組合、そして教会に至るまで、さまざまな組織に属する何千人という人々が私のセミナーに参加し、観察力をのばしてきた。次は、あなたの番だ。
核となる情報を見いだし、優先順位をつけて、結論を導き、誰かに伝えるという行為は、何も医者や警官の専売特許ではない。カプチーノの注文をまちがえたり、一○○万ドルの契約をふいにしたりするのも、ささいな見落としやコミュニケーションの不具合が原因だ。大統領でも、郵便局員でも、ベビーシッターでも、脳神経外科医でも、見落としをしない人などいない。
一方、訓練すれば見落としが減るのも事実である。技術者であれ、画家であれ、文書係であれ、学生であれ、監視員であれ、セミナーに参加した受講生たちは漏れなく、観察力が向上した。次は、あなたの番だ。
[1]はJRというアーティストのセルフ・ポートレイトである。少なくとも誰かの目に映るJRの写真だ。JRは、人物写真を大きく引きのばして、世界各地の建物に貼りつけてきた。とくに”世界の最貧地域に顔を飾る(5)”ことで有名だ。ところが建物の所有者に許可をとらないため、複数の国で逮捕状が出ている。だからセルフ・ポートレイトを撮ることになったとき、人相がわからない方法を考え、思いついたのが、女性の目に映る自分を撮ることだった。

私はこの写真がとても好きだ。知覚の技法のすべてが集約されている。視点を変えれば、知らなかった世界が広がることを、よく表している。この写真と同じく、本書をあなたの新しいセルフ・ポートレイトだと思ってほしい。一歩さがって、新たな目で自分自身を見つめてみよう。自分は周囲の人にどんな印象を与えているのだろう。他人とうまくコミュニケーションをとれているだろうか。身のまわりのものをきちんと観察できているだろうか。あなたの背後には、周囲には、そして心の内には、何が隠れているのだろう。
本書の目的は、目という驚異のコンピュータを使って、情報収集能力、思考力、判断力、伝達力、質問力を向上させることだ。しかもこの本は、読むと同時に体験できる。睡蓮や、ぴったりしたドレスを着た女性や、全裸の女性の助けを借りて、大きな概念を具体的事象と結びつけ、五感から入る情報を統合し、正確かつ客観的に他者に伝える方法を学ぶことができる。
たとえば[2]の写真を見てほしい。加工や修正は一切ない、現実の光景だ。写真のなかで、いったい何が起きているのだろう。これはどこを写したものだろう。

いちばん多い答えは、使われなくなった古いビルで行なわれた、花を使ったインスタレーションというもの。そしてこの答えは部分的に正しい。古い建物に、あるアーティストが意図的に花を飾ったのは事実だ。では、なんの建物だろう。エアコンがあって、廊下の両側にはたくさんの扉が並び、奥の部屋には椅子が並んでいる。オフィスビルか学校?ちがう。日常生活ではあまり思い浮かばない建物——実は精神病棟だ。
マサチューセッツ精神保健センターが、建て替えのために築九〇年の施設をとり壊すことになったとき、アーティストのアナ・シューライト・ハーバーが、この施設に常に欠けていたものにインスピレーションを得て創造した(早期回復の見込みがない精神科病院の入院患者たちが花を贈られることはめったにない)。『ブルーム』と名づけられたインスタレーションは、精神病治療に関する固定概念をひっくり返した。精神病棟の廊下が、これほど生命力にあふれたこともないだろう。
本書もこのインスタレーションのように、世界に対するあなたの見方をひっくり返したい。うまくいけば、思いもよらなかったところに色や光、ディテールやチャンスを見いだすことができるだろう。何もないと思っていた空間に、命や可能性、そして真理が見つかるだろう。これ以上ないほどの混沌のなかに、秩序と答えが見つかるだろう。そうなれば二度と、昔のように世界を捉えることはなくなる。
私のセミナーは、光栄にも受講生の口コミで広まってきた。感謝のメールもたくさんいただいた。仕事に自信が持てるようになったとか、昇進したとか、サービス向上に役立ったとか、会社の経費を大幅に節約できたとか、事業資金が二倍、三倍も集まるようになったとか、試験の点数がよくなったとか、なかには特別学級に入ったほうがいいと言われていた子どもが、ふつうの子どもたちと同じクラスで勉強できるようになったというメールもあった。
大事なものを見る力は世界を変える。本書を読めばあなたも、ずっと目を閉じて生きてきたことに気づくのではないだろうか。

エイミー・E・ハーマン (著), 岡本 由香子 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2016/10/6)、出典:出版社HP