【最新】茶の湯について学ぶためのおすすめ本 – 正しい作法から茶の湯の魅力まで

茶の湯と茶道の違いとは?初心者でも大丈夫?

茶道は日本伝統の湯を沸かし、茶を点て、振舞う行為を基本とした芸道であるのに対して、茶の湯はお茶を飲む行為そのものを楽しむことが真髄です。正しい作法を身につけることで、茶の湯を心から楽しみ、おもてなしの心を学ぶことができます。ここでは、初心者の方に入門書としておすすめの茶の湯について学べる本をご紹介します。

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出典:出版社HP

茶の湯:時代とともに生きた美 (別冊太陽 日本のこころ)

茶の湯のビジュアル入門書

2017年上半期に東京国立博物館で開催された特別展〈茶の湯〉と時を同じくして出版された別冊太陽の記念号です。特別展で会した名器が誌面に再集結したかのような貴重な図版と、整然と体系化され、丁寧に紹介された茶の湯の思想や歴史の解説がとても興味深い本です。

別冊太陽編集部 (編集)
出版社 : 平凡社 (2017/5/15) 、出典:出版社HP

目次

茶の湯
時代とともに生きた美

茶の心をたずねる
――茶の湯名言により文=筒井紘一写真=井上隆雄

第一章 茶の湯の前史神津朝夫
〈コラム〉大乗院文書紙背の茶勝負記録

第二章 わび茶の大成 神津朝夫
〈コラム〉茶の秘伝書『山上宗二記』

第三章 武家の茶谷端昭夫
〈コラム〉光悦と鷹峯の風流

第四章 茶道への展開と利休の道統 原田茂弘—
〈コラム〉七事式

第五章 近代の茶道 依田徹
〈コラム》岡倉天心『茶の本』の知的茶道観

〈スペシャル対談〉
林屋晴三さん 千 宗屋さん
想いを重ねて見える「茶の美」
創刊3周年記念エッセイ 茶の湯によせて
お茶の作法 葉室麟
茶室の外観はなぜ印象に残らないのか 藤森照信
「茶禅一味」の心泉田玉堂

逸品の茶道具に出合える美術館
トピックス茶の美にふれる展覧会
茶の湯関連年表 依田 徹
揭載作品一覽

表紙:志野茶碗 銘「卯花婚」
桃山時代,16~17世紀三井記念美術館藏 国宝
大屏;摄影一并上隆雄
目次:茶室「如庵」有栗苑外觀国宝 写真一有棠苑(犬山市)
黑果茶碗 銘「時雨」本阿弥光悦作 名古屋市 博物館藏董要文化財(104頁)

凡例
・作品の名称は基本的に所蔵館の表記に従った。
・作品データに掲げた法量の単位はセンチメートル。

茶の心をたずねる
――茶の湯名言により

文=筒井紘一
写真=井上隆雄

別冊太陽編集部 (編集)
出版社 : 平凡社 (2017/5/15) 、出典:出版社HP

春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さんて涼しかりけり

自然と人間生活との美しい調和を、ひとつの境地にまでおしすすめたのは、いにしえの人々の知恵と教養であった。「春に子の日の松を曳く」ことから始まる四季折々の催しの中で、王朝の人々の美感は豊かに養われ、やがて美の類型を生み出す。冒頭の歌は、いうまでもなく僧道元の一首であるが、ここには平安朝以来類型化された季節の美感と景物とが、見事に詠み込まれている。そして、この類型は、日本文化の土壌の中に伝統的に受け継がれてきた。その中心をなす文化が茶道であった。
移ろうものにおのが人生を重ね、ほのかな色、かすかな音にさえ心の陰影を微妙に映し得た王朝人であったが、こと月に関しては何故か完全な姿の満月を好んだ。それが春の月であれ、秋の月であれ、寒天にかかる冬の月であれ、彼等が憧憬し、美しいと感じたのは「望月」であった。
しかし、十一世紀の中頃になると、この美意識は一変する。末法時代への恐れが、人々を無常観へとかりたてたからである。鴨長明のいう「うたかたの世」という意識が、王朝時代の美意識にとってかわる。すこしあとの兼好法師は『徒然草』の中で、満開や満月を見ることは本当に花や月を見ることになろうかと語る。王朝人との美意識との落差を鮮明にあらわしている。満開の花や満月を否定的に見るような美意識は、国文学者の西尾実によって「期待美」「追懐美」「想像美」という言葉があてられている(『中世的なものとその展開』)。そしてそれは、中世以来の美意識として定着する。
では、兼好は月や花をどのように見ればよいというのだろう。兼好は「すべて月、花をばさのみ目にて見るものかは」という、真に物を見るのは目ではなく、心で感じるのだといっている。なぜなら外見の美だけを見るのであれば、半月や雲のかかった月よりは満月のほうが美しいのは当然であり、満開の花のほうが、しおれた花より美しいのもまた当然である。望月よりは欠けた月のほうがよいというのは、心で感じるからにほかならない。兼好のいう美意識は、その後「不完全美」として、特に茶の湯の世界で重要な役目を荷うことになる。
草庵茶の創始者珠光に関する確実な資料に、室町後期の能役者金春禅鳳の『禅鳳雑談』がある。その中の一条に、
珠光の物語とて、月も雲間のなきはいやにて候、これおもしろく候、池の坊の花の弟子、花のしほつけの事、細々物語り候、是れも、後して面白がらせ候はん事、さのみおもしろからす候
とある。禅鳳は珠光と同時代人で同じょうに大徳寺の一休和尚に参禅したとされているから、どこかで珠光に会ったとも考えられる。その禅鳳が珠光の言葉として、月は雲間から漏れる月でなくてはいやだといったのを取り上げ、面白い見方だと評しているのである。禅鳳自身が持つ能の美もまた、珠光と同じく「雲間の月」をみることにあったことがわかる。
そうした意識を近代になって「不完全の美」と定義した岡倉天心は、『茶の本』の冒頭で「茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、(中略)茶道の要義は『不完全なもの』を崇拝するに在り」(村岡博訳)と書いている。
雲間の月をよしとした珠光以後の茶道界は、唐物趣味を捨てて、高麗茶碗や和物に美を見出してきた。ア・シンメトリー(不均衡)の美はシンメトリー(均衡)の美を超えたところにあるという考え方は、芭蕉が『笈の小文』でいった「貫道するものは一なり」と同様の茶道界を貫く一本の柱であった。
『南方録』の中では、わび茶道の道具の取り合わせは、万事において完全ではなく、不足のある方がよいと利休がいったとされている。利休自身が発した言葉とは言い難いが、これは利休がわび草庵茶の真髄を語った箇所といえる。利休は「不完全」すなわち「わび」の美だと考えていたということになる。
しかし何でも不完全であればよいというのではない。唐物茶入などは漆継をしたものなどをむしろ喜んで使いたいものであるが、楽などの繕ったものは使用すべきではないと述べている。いつでも入手できるからであろうか。『南方録』が書かれた元禄時代の頃の茶道具に対する総体的な意識だと考えられる。
利休の道統である三千家の茶は、利休の茶法を守ることで進展していくことになるが、江戸時代に入ってからの茶道界は大きく展開していく。古田織部、細川三斎、小堀遠州、金森宗和と続く大名茶と千家の茶とは、ある時には交錯し、ある時には離反しながらも、四百年の伝統を守り続けている。

月も雲間のなきはいやにて候―金春禅鳳『禅鳳雑談』より
望月を助めることが美であると感じていた平安貴族の世界に、末法思想の到来によって人生に無借を感じるようになったのは平安末期のことであった。コペルニクス的転回、つまり物事の見方が真逆に変わってしまうことによって、美の世界は不完全なものにこそあるといわれるようになった乳女注師が書いたとされる『徒然草』の「花はさかりに、月は隈なきをのみみるものかは」がその典型である。それが、想像美、期待美、不完全美といわれる中世的な美の世界である。
珠光による草庵茶は、「月も雲間のなきはいやにて候」という美の世界だといったのか能の金者社鷹であった。雲間からあらわれる月にこそ美があるというところには、完全なものに感じる美とは違った世界ではなかったろうか。

仏法も茶の湯の中にあり―『山上宗二記』より
草庵茶の祖珠光は、奈良称名寺の僧でありながら豪華な闘茶などに耽っていたため勘当されて、諸国を放浪した末に上洛し、大徳寺の一休和尚に参禅したといわれる。そこで会得したのが、この境地であった。禅僧が悟りを得るために坐禅をするのと同じように、一休は珠光に対して、茶の湯に心を入れさせることで「茶禅一味」をわからせようとしたのであった。草庵茶が始まった瞬間であった。

心の師とはなれ心を師とせざれ―村田珠光「心の一紙」より
珠光は、奈良の豪族で茶人の古市播磨に対して、およそ草庵茶を志すほどの人ならば、心が師匠だと考えて、それに盲従してはいけない。心を支配することによって、慢心や我儘を抑えなさいと教えた。心のおもむくままに行動してはいけないという教えは、古今東西変わらないものではなかろうか。

藁屋に名馬繋ぎたるがよし―『山上宗二記』
東山文化の足利義政の時代は、唐物一辺倒の書院の茶であった。そこに和物の美を混在させたのが珠光であった。珠光は「心の一紙」で*和漢のさかひを紛らかすこと肝要々々。といっている。唐物の中に、備前焼や信楽焼を取り合わせるところに、草庵茶の妙味があるというのだった。
これを敷衍させたのがこの語である。藁屋は二畳敷、三畳敷の小間のことである。ここに、伝来の唐物の名物を置くことによって不均衡の美が生まれる。

座敷よきほどかろかろと―珠光「お尋のこと」より
珠光が古市播磨の質問に対して応えたのが「お尋のこと」である。香の焚き方についても、強く匂わない程度に抑えるようにといっている。草庵の美は、目立たない軽い所作にあると教えた中の一つか座敷の広さに応じて花を軽く入れるのが良いということであった。
この教えを踏襲した利休の花の入れ方は「花はかならず一色を一枝か二枝かるくいけたるがよし」(『南方録』)であったという。

正直につつしみ深くおごらぬさまをわびという―「解賜門弟への法度」より
茶の湯の世界で「わび」の語を使った最初の文章である。和学を重んじる武野紹介鸚だからこそ発したことばであろうが、生きる姿勢を述べているといえよう。茶の湯をたしなんでいくうちに身についた豊かな人間性を紹嶋は「わび」だととらえていたことになる。
それゆえに筆者は、「わび」を体感の美だと考えている。わびの体感は、各人によって異なることになる。すなわち、千利休、古田織部、小堀遠州、金森宗和、それぞれの茶人によって「わび」の感じ方が異なっているはずである。象徴概念としての、「幽玄」「ひえ」枯れ」「さび」などとは違う世界だと考えられる。

珍客たりとも茶の湯相応に一汁三菜に過ぐべからざる事—「紹鳴門弟への法度」より
いかなる珍客が訪れてきても、茶会の料理は一汁三菜を超えないように出しなさいと言ったのが紹鷗であり、それを守ったのが利休による「もてなし」であった。
ちなみに一汁三菜とは、一種の汁と館(向付)、平皿(煮合物)、焼物の三種の菜のことである。

心の内より綺麗好き―『山上宗二記』より
茶の湯をたしなむものは、心の中がきれいでなければならないという利体の教えである。
草庵茶は、「わび」を最高の美として発展してきたが、「わび」はむさくるしさとは一致しないものであった。それゆえ、心の中だけがきれいだからといって、表面がむさくるしくては「わび」にならなかった。画面の一致が必要であるというのである。しかし表面の「きれい」とは美しい衣装を身に着け、良い物を持つということでは決してなく、むしろ心を清潔にするということであった。

万事に嗜み、気遣い―『山上宗二記』より
「茶湯者覚悟十体」という教えが『山上宗二記』にある。その中の一条である。「たしなみ」とは身に足されたものである。生業は生きていくための職業であり、たしなみとはいえない。心を豊かにする芸や技を身につけることが、たしなみであった。まず、茶人のたしなみとは礼を欠かないことであった。それ故に、前礼、後礼を始め、茶会が一座建立するように、亭主と客がともに「気」を配ることが大切である、と教えたのであろう。

一期一会―『山上宗二記』より
わび茶の真髄は、生涯で一度限りの会という考えのもとに金をかけるものとされてきた。『山上宗二記』に路地へ入ヨリ出ルマデ一期二一度ノ会ノヤウニ亭主)可敬畏とある。客として招かれた人は露地へ一歩足を踏み入れた時から、会が終わって席を立つまで、一生に一度の会だと思って臨まなければならないというものである。『南方録』「滅後」でも、この心をとらえて「一座一会」ということばで表現している。同様のことは幕末の大老井伊直弼の著書『茶湯一会集』にも見られる。
一抑茶湯の交会は、一期一会といひて、たとへば幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思へば、実に我一世一度の会なり、去るにより、主人は万事に心を配り、聊も鹿末なきやう深切実意を尽し、客にも此会に又逢ひがたき事を弁へ、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、実意を以て交るべきなり、是を一期一会といふ
茶会では同じ主客が何度顔を合わせることがあっても、その会は一生一度の会だと思い、亭主は客に対して、客は亭主に対して最大限の心配りをし、迎える側も、もてなしを受ける側も、ともに心を尽くし、実意をもって交わることが肝要である。最初であって最後だという心で茶会をするのが「一期一会」だということである。「一期一会」とは白刃をつき合わせた二人の真剣勝負と同じことである。それは他念のない心ということである。他念のない心とは、すなわち「無」の境地であり、茶道でいう「自他一如」のことである。「一期一会」とは、その自他一如の境地に入るための手段だと考えられる。
※「滅後」利休自刃後に南坊宗啓が記録した回想録。

守・破・離―「利休道歌」ほか
利休道歌とされる和歌に
規矩作法守りつくして破るとも離るるとてももとをわするなという一首がある。茶道ではこのように、点前作法の進行を段階的に称して「守・破・離」という言葉でいいならわしている。横井淡所の『茶話抄』には、点前の上手下手について次のような一節が伝えられている。
――或時、武家万上手下手を問ふ、予答ていふ、守破離と云事軍法用、応用方違ひ候へ共、茶道二取て申候ハ、守ハ下手尤常琳ノ下手トハ違ヒ候、事サチシテ夫二ツナカレタル物也、守株待兎破(株を守りて兎を待つ)ハー手先常琳ノ破トハ違申候、守テ破ル也、時二寄テ守ルモ法、破ルモ法也、見風遣帆(風を見て帆を遣う)離ハ名人常ノ離タルトハ違候、事サチ尽シ、離レテ守し、応無所住而生其心(ま「さに住する所無くしてその心を生ずべし)
ある武士があらゆる物事の上手下手の相違を尋ねてきたので、軍法で使う「守破離」を参考にしながら答えたというものである。茶の方では軍法とはいささか使い方は違っているけれども、「守」は下手、「破」は上手、「離」は名人の位をいう。「守」は『韓非子』でいう「株を守って兎を待つ」ようなもので、点前にばかり縛られていて他の事が目に入らない下手な状態である。規矩作法にばかり固執している茶人である。「破」は上手の位であり、規則を守りつつも、そこから一歩出た状態にあって、茶室内でもその場に応じた臨機の作法ができる茶人をいう。帆走の途中で、風の状態に応じて帆を張れるような作意ができる茶人である。「離」は名人の位であるから、一見規矩には合致していないようでありながら、そのくせきちんと法にかなっている状態がつくれる茶人のことである。これは『金剛経』にある「まさに、住するところなくして、その心を生ずべし」の精神と同様に、何物にもとらわれない心をいったものである。
『山上宗二記』に、利休の創意になる一畳半の茶席のことを述べた部分がある。
宗易、京二テ一畳半チ始テ作ラレタリ、当時ハ珍敷ケレトモ、是平人、無用他、宗易ハ名人ナレハ、山ヶ谷、西チ東ト、茶湯ノ法ヲ破り、自由セラレテモ面白シ、平人ソレチ其儘似セタラハ、茶湯ニテハ在ルマシキソ
利休は名人の位に達しているから、自分の作意でもって茶室を極小にしても、風ではなくなるが、他の人がそれを真似たならば、茶の湯ではなくなるというのである。一畳半の茶席は一道に達した人の作意としてのみ適用するものであった。
(つつい・ひろいち。千家今日庵文庫賞)

別冊太陽編集部 (編集)
出版社 : 平凡社 (2017/5/15) 、出典:出版社HP

茶の湯入門 (ムック/和樂ムック)

茶の湯の真髄がわかる

茶の湯について、あらゆる角度から楽しめる茶の湯手引書です。いま注目される茶人、武者小路千家家元後嗣・千 宗屋氏による章を中心に、そのほか反響が高かった企画も集め、凝縮した一冊です。和樂ならではの美しいビジュアルを通して茶の湯の真髄に触れられる、日本文化に興味を持つ人すべてに、手にとっていただきたい一冊です。

千 宗屋 (監修)
出版社 : 小学館 (2012/6/14) 、出典:出版社HP

アートディレクション
木村裕治

デザイン
木村裕治
斋藤心介
金田一 亜弥
佐藤幹
木村デザイン事務所

制作
望月公栄
森雅彦
速水健司

宣伝
栗原弘

販売
中山智子

編集
小竹智子
福持名保美
和樂編集部

監修
千宗屋(せんそうあく)
1975年生まれ、 武者小路千家家元後嗣。 慶應義塾大学大学院修士課程修了。 2003年後嗣号「宗屋」を襲名。 2008年度文化庁派遣文化交流使として、 1年間ニューヨークを拠点に 茶の湯の普及に努める。 明治学院大学非常勤講師。 著書に「茶利休と今をつなぐ】 (新潮新書)などが。

表紙
利休型黒大棗
利休作の茶杓(個人蔵)

表紙・裏表紙
撮影/鈴木心

和樂ムック
茶の湯入門
2012年6月16日 初版第1刷発行 2017年3月21日 第3刷発行

編集人
五十嵐佳世

発行人
橋本記一

発行所
株式会社 小学館
〒101-8001 千代田区一ツ橋2-3-1 編集03・3230-5675 販売03-5281・3555

印刷
大日本印刷株式会社

製本
株式会社 若林製本工場

本書は雑誌和楽に掲載された記事を 加筆・修正の上一冊にまとめたものです。 掲載商品の表示価格は2012年5月15日 現在のもの、またメーカーや店舗では 取り扱いのない商品もあります。

造本には十分注意しておりますが、 印刷、製本など製造上の不備がございましたら 「制作局コールセンター」 (フリーダイヤル0120-336-340)に ご連絡ください。 (電話受付は、土・日・祝休日を除く9:30~17:30)

本書の無断での複写(コピー)、 上演、放送等の二次利用、翻案等は、 著作権法上の例外を除き禁じられています。 また、本書の電子データ化等の無断複製は 著作権法上での例外を除き 禁じられています。 代行業者等の第三者による本書の電子的複製も認められておりません。
©Shogakukan 2012 Printed in Japan
ISBN978-4-09-105462-3

千 宗屋 (監修)
出版社 : 小学館 (2012/6/14) 、出典:出版社HP

別冊和樂 目次

和樂ムック
茶の湯入門
千宗屋

利休さんに学ぶ 「茶の湯」のき
「わび茶」の基本/林屋晴三さん×千宗屋さん 特別対談「偉大な目利き、千利休」/ 利休さんの眼鏡にかなった「茶道具」の名品拝見/人物相関図,
利休の伝説エピソード/イラストで再現! 北野大茶湯

誌上体感
茶室の美
待庵/如庵/残月亭/又隠/燕庵/忘冬/激看席/庭玉軒/時雨亭

千宗屋さんに学ぶ 「茶の湯」の心得
千利休と12人の大茶人/茶室の心得/茶道具の心得/食事の心得/はじめて茶会に行く前に…素朴な疑問集

きもので茶席へ。 茶箱なら、いつでも一服。
千宗屋の 「茶箱は愉しい!」
利休時代に伝来、蒟醤茶箱/原三溪が愛した高麗来の茶箱 湯木貞一が愉しんだ猿鶴蒔絵の茶箱/戸田商店の先代が生涯かけて集めた白騎の茶籠/山田宗春コレクションから光琳樫蒔絵茶/ 小堀遠州が所持した半文茶箱/異国の香り南蛮蒔絵の洋標茶箱/ 長谷川竹次郎さんの3つの茶箱/究極の豪華さ 黒漆地三番叟蒔絵茶箱/ 茶三昧の数寄者が組んだ大らかな茶箱/茶箱を組む愉しみ

(コラム)今に生きる利休style
茶席のお菓子
「茶の湯」をもっと知るための11冊

茶と庭の美術館を訪ねて京都へ
京都・東京「茶の湯」の美にふれる美術館
日本の「茶家」を巡る
遠州茶道宗家/茶道上田宗箇流/宗偏流 松尾流/江戸千家/江戸千家宗家/大日本茶道学会
月刊誌 和樂のご案内/和樂ムックバックナンバー

利休さんに学ぶ「茶の湯」のき
織田信長や豊臣秀吉の「お茶のよろず係」、茶頭として仕えた千利休は、わび茶を大成させた人物といわれています。茶道具から茶室・露地にいたるまで独特の美意識を巡らせ、それまでのお茶とはまったく異なるスタイルを提案。それらは茶の本道、として、後世へと受け継がれていきます。『茶利休と今をつなぐ』(新潮新書)や、「もしも利休があなたを招いたら(角川oneテーマ21)を著した武者小路千家家元後嗣の千宗屋さんに、ご先祖さまである。”利休さん”の茶の湯について習います。
撮影/鈴木心(P46)、水田忠彦(PA〜M)撮影協力/武者小路千家(財)官休庵、聚光院、瀬津雅陶堂イラスト/峰岸達~四)、亀川秀樹(P8~3)構成,植田伊津子、浦野芳子、高橋木綿子(本誌)

花は野の花のように
炭は湯の沸くように
夏は涼しく
冬は暖かに
刻限は早めに
降らずとも雨用意
相客に心をつけよ
利休七ヶ条

簡素でありながら贅沢。豊かな心と心の交わりを目指した「わび茶」。利休さんによって確立したわび茶の基礎知識を、一緒に学んでみませんか?
真髄は一千利休の『わび茶』にあります

「わび茶」の基本、一
あたたかなお茶をまるで掌で飲んでいるかのような「黒楽茶碗」
楽茶碗はひとつひとつが手づくりで、やわらかいやきものです。そのため熱がゆっくり伝わるので、まるで人肌のように手になじみ、口当たりもやさしい。これは、茶の湯のために純粋な目的でつくられた茶碗でした。
黒楽茶碗・銘利休、長次郎作(個人蔵)。上から見ると真円、茶を点てやすい半筒のかたち。作意を抑えたシンメトリックなフォルムが、宗易形(宗易とは利休のこと)と呼ばれる所以です。利休の孫・千宗の箱書がつき、芸州浅野家旧蔵の由来。色や触感ともに皮膚感覚に近い赤楽、ほの暗い茶室空間に溶け込む黒楽。千宗屋さんは、利休の茶の湯は物の存在を消そうとしたところに意図があるといいます。

大徳寺の塔頭、聚光院の開席(重要文化財)へ続く露地蹲踞、飛び石、井戸、灯籠がバランスよく配されています。もともと茶室は家の裏側にあり、そこへと回り込む細い通路を「路地」とよびました。現在の露地は、腰掛(待合)という簡易な設備から茶室までの動線を取り囲む庭の総称。露地は俗世界から非日常空間へと変わるスイッチの役割をしています。

「わび茶」の基本、二
『市中の山居』のような。茶室へ誘う通路が「露地」です
露地が「お茶に意識を向けていくためのプロセスの場」であると認識させたのは、おそらく利休。秀吉時代、大坂城のような公式な場に茶室がつくられ、整えられていくようになると、当然そこにわびに向かう利休の創意、作意が大きく関わったと推察されています。

これまでの定番であった四畳半の茶室から、わび茶人が好んだ二畳や三畳の茶室を主流にしたのが利休です。また窓の数も減らして、サイズも小さくしました。そのため小間は、極端に光を絞った薄暗い座敷へと変わります。視覚を極力制限することで、お茶そのものに集中させたい意図を感じます。

「わび茶」の基本、三
空間を狭めることで主客の心が通い合う『直心』の場が「小間」
茶室の基本はまず四畳半。それより大きいと「人間(書院)」、小さいと「小間」とよびます。聚光院閑隠席は、利休の150年忌に表千家7代如心斎から寄進されたもの。客量と点前畳の間がまっすぐな中柱で区切られた三畳の茶室です。造作すべてが、利休の精神を映したわび空間として知られています。床の間の軸は、利休筆の消息(武者小路千家蔵)。利休作の尺八竹花入の添え状です。「この花入を秘蔵していたけれど、あなたがたびたび所望したから差し上げます」という内容。

かつて「潜り」とよばれた?口は、その名のとおり身をかがめないと入れません。利休によって定着した躙口は、いわば芝居小屋の木戸のようなもの。世俗の身分を離れ、非日常空間へと気持ちを切り換える有効な装置でした。

「わび茶」の基本、四
身分に関係なく客全員が身をみて「躙口」から別世界に入ります
閑隠席躙口から床を拝見。入室するときは、鋼口前の沓脱石に乗り、木戸を引いて、内部のたたずまいや床の様子を見てから踊って入室するきまり。茶室に入ると、自然に意識が床の間に集中し、亭主がしつらえた掛け物や花を静かに鑑賞する心持ちとなります。そこに漂うのは香の匂い。利休は外界を遠ざけるために、さまざまな工夫を仕掛けました。

「わび茶」の基本、五
貴人や武将に広まったわび茶人のお茶のスタイルが「平点前」です
利休以前に広間(書院)でおこなわれたお茶は、「飾り付け重視」の茶の湯です。中国から渡来した珍しい絵画や名物のやきものを見せるためには、あらたまった空間が必要でした。そのため茶道具は、台子とよばれる棚に飾られた状態ではじめられるものでした。利休の最大の功績は「お茶のための道具」「お茶のための茶室」を整えたことです。そして何もない空間に、水指、茶碗や求などの茶道具を全部持ち出す点前も考案しました。いわゆる「平点前」の誕生です。これのまたの名を「運び点前」ともいいます。
平点前はとくに小間にふさわしいもの。「無」から「有」、そして道具を下げて「無」に帰するわび数寄の点前です。それを茶の湯の「本道」としたのが利休でした。「平点前にはじまり、平点前に終わる」のが千家流茶道の基本。ここでは、真中欠、赤楽茶碗・銘小手巻(長次郎作、利休作の茶杓を取り合わせました。シンプルな丸金(写次郎作)、木地曲建水引切の養竹蓋置など、いずれも利休好みの道具。

「わび茶」の基本、六
手近な素材でつくられた究極の茶道具です。「竹の茶杓」と「棗」
室町時代までは、茶道具の価値基準と
いえば舶来品の唐物。しかし利休は、それに匹敵する別の美を完成させます。一見簡素ながら格調の高い塗のや釣瓶の水指、竹茶杓など材そのものを生かし切った茶道具をつくりました

(下)利休作の茶杓(個人蔵)と、究極のシンプルデザインである利休形黒大棗。東はおもに薄茶を入れるための木の容器。「草」のお茶を大切にした利休は、塗師にやわらかい漆塗のうつわをつくらせました。真ん中に節のある中節のもので、これが利休が好んだスタイル。茶杓は亭主みずからが竹を削り、筒を添え、筒に名前を書き付ける行為から、もっとも茶人の思いを伝える道具として親しまれるようになりました。

(左)利休作の尺八竹花入(武者小路千家蔵)に白椿を入れて。竹の花入には、寸胴形の尺八、ひとつだけ窓を開けた一重切、窓2つの二重切(6ページ参照)などのさまざまなバリエーションがつくられました。利休が見出し、手がけた茶道具は、どれも最大の創意を盛り込みながら、それを感じさせない工夫を凝らすことで、永遠の評価が与えられています。

「竹花入」
身近な素材であっても、利休は相当竹を吟味し、間合いをはかって竹花入をつくりました。当時の天下一宗匠が床の間に飾るあたらしい花入をつくるとき、名物道具と同等以上のものを創しなくてはいけないという高い意識あったはずです。

千 宗屋 (監修)
出版社 : 小学館 (2012/6/14) 、出典:出版社HP

茶の湯足運びブック 日々のお稽古からお茶会まで (淡交ムック)

初心者におすすめの入門書

本書は茶室での足の運びに焦点をしぼり、普段の稽古の予習・復習に役立つ広間や四畳半及び台目席での足運びを、風炉・炉ともそれぞれに見やすく紹介しています。お客様としての席入りから退出までの進みかたも紹介しているので、初心者の方々にもお勧めしたい一冊です。

淡交社編集局 (編集)
出版社 : 淡交社 (2020/4/20) 、出典:出版社HP

本書は、裏千家の点前や所作に基づく足運びを紹介しました。
点前のお稽古と同じく、自然に歩けるようになるまで くり返し練習することが大切です。

本書のイラストの説明


注 体格や年齢により、歩数や足を置く角度などは個人差があります。
足運びのポイントについては本文をご参照ください。

目次

はじめに

畳の名称

茶室での立ち居ふるまい

点前での足運び
盆略点前
広間
風炉

四畳半
風炉

台日语
風炉

客の歩きかた
広間(八畳)
四置半

はじめに

畳の名称
茶室に敷かれている畳には、その役割に応じた名称があります。ここでは足運びの説明を理解するために必要な畳の名称を覚え、その役割を確認しましょう。

点前畳
点前のための道具を置く畳。道具畳、亭主畳ともいいます。

踏込畳
茶道口から入ったところの畳。亭主が茶道口から茶室に入る時、最初に踏み込むところからの名称です。

貴人畳
貴人の座に見立てられるところに敷 かれる畳で、多くは床前の畳をさしていいます。

通い畳
茶事や茶会において、亭主や半東が 給仕の折に歩く畳をいいます。

炉畳
炉を切る畳のことで、炉の部分が欠いてあります。

客畳
広義には点前畳以外を、狭義には客 が着座するための畳をいいます。

これらの畳は、一畳につき一つの役割とは限らず、茶室の つくりによって複数の役割を兼ねることもありますが、まずは一般的な八畳と四畳半について覚えましょう。

茶室での立ち居ふるまい

歩きかた

畳の上を歩くときは、腰を落として固定し、爪先を揃えて、踏み出した足の、足の裏全体で着地し、足を軽く畳にするようにして進みます。これを「すり足」といい、茶室での歩
きかたの基本となります。
歩幅は狭く、やや前傾姿勢で、上下の動きを少なくして静かに歩き、畳の縁や敷き合わせは踏みません。
原則として、茶道口の敷居、畳の縁、敷き合わせは、客付の足でこします。したがって亭主の場合(点前を する場合)は、客が亭主の右手に座る本勝手の席であれば、右足で畳の縁や敷き合わせをこして点前座に進み、帰るときは左足でこしてさがります。
亭主が道具を運び出すときは、体の正面でバランスよく持ち、亭主、客とも何も持たずに進むときは、子の指先を閉じ、自然におろして太腿 のあたりにくるようにします。このとき、女性は前におろし、男性は指先を軽くまるめて体の横につけます。客の席入りの際は、右手で扇子を軽く握って持ちます。

立ちかた

正座の姿勢から立つときは、両足の かかとを揃えて両足とも爪立てます (跪座)。そのまま立つほうの膝を立て、半足ほど前に出して立ち上がります。このとき、手は軽く両膝において体の動きに合わせ、立ち上がると男性は自然に体の横におろし、女 性は自然に前におろします。

座りかた

静かに上体を沈め、跪座の姿勢となり、足を寝かせて座ります。座る際には、男性は両膝を握りこぶし二つ分、女性は一つ分あけます。

躙りかた

席入りの際や、小間の席中で進むと きに立ち上がることなく座ったまま進むことがあり、この所作を「躙る」といいます。このときは、正座のまま両腕を膝より前に伸ばし、両手を 軽く握って畳につけ、体を支えて膝 を少し浮かせながら少しずつ進みます。
後ろにさがるときは、両腕をまっすぐ下におろし、同様に両手で体を支えてさがります。

淡交社編集局 (編集)
出版社 : 淡交社 (2020/4/20) 、出典:出版社HP

茶の湯と日本人と

新しい日常を生き抜くヒント

江戸時代初期の大名茶人・小堀遠州を流祖とする遠州流茶道の13世宗家が、「日本」と「日本人」について各界の第一人者と語り尽くします。茶道に対する固定概念が変わるような一冊となっています。

小堀 宗実 (著)
出版社 : 幻冬舎 (2020/12/17) 、出典:出版社HP

はじめに

「茶の湯を通して心を豊かに」
これは、二〇〇一年元旦に私が、遠州茶道宗家十三世家元を継承したときのモットーである。以来、茶道宗家として伝統文化の発展・普及に日々を過ごして来た。
家元という仕事は、茶道指導はもとより、出張稽古、講演や著述、建築や造園、茶道具のデザインなど、けっこうすることが多い。父から受け継いだこれらに加えて、幼稚園・ 保育園を訪ねてのこども茶会や海外文化交流を自分のオリジナルのものとして行っている。
最近は、アスリートを対象とした茶道体験にも取り組んでいる。よくよく考えると、こういったことは、私の先祖である小堀遠州が原点である。
小堀遠州は一五七九(天正七)年に近江の国小堀村(現・長浜市小堀町)に生まれた。 戦国時代、主君が浅井、豊臣、徳川と、めまぐるしく替わる戦乱を生きぬき、最後は将軍 家茶道指南役となり、幕閣の一員として政治・経済を担い寛永文化の中心人物となった。 遠州の関係していた人脈は、天皇、公家、将軍、大名、僧侶、神職、文化人、芸術家、商 人、職人とあらゆる分野にわたっている。それはまさしく茶の湯を中心としたネットワー クであった。ここまでのスケールには及ばないが、その流れを汲む私も、さまざまな人と の出逢いは必然となってくる。
前述のごとく私の人との出逢いは、茶の湯を通ずる形で行われてきた。茶会でいえば、 亭主役と客の関係ということになる。当然、私は亭主役であり、その日の茶会の取り合わせなど、すべてを仕切る形である。そういうなか、私の思いに、対談という形式を経験したいという気持ちが強くなった。機関誌『遠州』でとなれば、私は聞き役である。ホストであっても受け身の立場であり、話の中心はお客さまのほうにある。多くの内容は、茶の湯を離れて、私にとって初めて耳にする話も多く、たいへん意義深いものになった。
詳しくは本編でお楽しみいただきたいが、磯田道史さんとは、和歌を通しての茶の湯へ の考え方を話しながら、歴史を俯瞰する姿を感じた。加えて弾丸のような話は楽しかった。 漆紫穂子さんには教育一家で育った環境で既存の価値観を大切にしながら、かつ新たな試 みに向かう姿勢にアスリート魂があり、私と同じものを感じた。井上康生さんには、指導 者としての矜持とともに、物事にオープンマインドで謙虚な人間性に触れさせていただい た。石井リーサ明理さんとは、世界と日本の光の陰影についての話題から、私の好きな映 画の話にもつながった。モーリー・ロバートソンさんは、日本と外国の教育制度の違いを うかがいながら、反骨精神をもちつつ、日本の奥深さを理解する懐の深さを感じた。千田
さんとは、城郭建築を通してみる人間関係、人と人とをつなぐ方法の話をおもしろく
せていただいた。葉室麟さんは、利休でも織部でもなく、遠州自身の人間性に興味をもたれたということで、親近感をより強くしつつ、文章を書くことは「心の声を出すこと」とおっしゃったその一言に大いに共感したものであった。あらためてみなさまに感謝申し上げたい。
さて、二一世紀の始まりに家を継承して二〇年経過した本年、まさか世界中にコロナ禍という、大いなる危機が訪れるとは夢にも思わなかった。いま私たちの日々の生活は変化をしていくことになる。しかしながら、たとえそうであっても、人間が生きていくという ことには変わりはない。抗うよりも、受け止めて、なにをしていくかと考えていくべきで ある。
私は「教えることは学ぶこと」と常々申し上げている。学ぶということは、自分が謙虚 になるということと同じであると思っている。その学びは、多くの人との出逢い、語り合 いで得ることができると信じている。この本がその一助になれば幸いである。

令和二年臘月
遠州茶道宗家十三世家元 小堀宗実

小堀 宗実 (著)
出版社 : 幻冬舎 (2020/12/17) 、出典:出版社HP

目次

はじめに 遠州流茶道と小堀遠州のこと―
対談1・歴史学者 磯田道史さんと 茶道と和歌と「定家様」との、切っても切れない関係のことなど。
Column お点前だけではない茶道/そこに息づく日本文化1 書
対談2・品川女子学院理事長 漆 紫穂子さんと日本のすばらしさを世界に発信できる女性を育てたい。
Column お点前だけではない茶道/そこに息づく日本文化 2 和歌
対談3・柔道全日本男子監督 井上康生さんと 柔道と茶道と、それぞれの「道」を求めて。
Column お点前だけではない茶道/そこに息づく日本文化 3 お菓子
対談4・照明デザイナー 石井リーサ明理さんと 世界の都市の夜を、光でデザインするということ。
Column お点前だけではない茶道/そこに息づく日本文化 4 香
対談5・国際ジャーナリスト モーリー・ロバートソンさんと 外から見た日本。内から見た日本。
Column お点前だけではない茶道/そこに息づく日本文化 5 花
対談6・城郭考古学者 千田嘉博さんと 今宵は築城家としての遠州の話を、たっぷりと。
Column お点前だけではない茶道/そこに息づく日本文化の会席
対談7・直木賞作家 故・葉室 麟さんと小說と茶の湯はそれぞれ、人の心に何を見せてくれるのか。
Column お点前だけではない茶道/そこに息づく日本文化の茶道具

遠州流茶道と小堀遠州のこと
遠州流茶道は、江戸時代初期の大名茶人、小堀遠州(一五七九~一六四七)を流祖とす る代表的な武家茶道です。流祖以来約四○○年の歴史をもつ格式ある茶道として、今日ま で受け継がれています。その真髄は「綺麗さび」と称され、「わび・さび」の精神に、美 しさ、明るさ、豊かさを加え、誰からも美しいといわれる客観性の美、調和の美を創り上 げています。
小堀遠州は、近江国小室藩初代藩主でした。千利休、古田織部と続いた茶道の本流を受 け継ぎ、徳川将軍家茶道指南役となります。一六○八年駿府城作事奉行を務め、その功に より諸大夫従五位下遠江守に叙せられ、「遠州」と呼ばれるようになりました。書画、和 歌に優れ、また、作事奉行として仙洞御所、二条城、名古屋城などの建築、造園に才能を 発揮しました。豊臣から徳川へという激動の時代を生き抜き、日本の美の系譜を再構築し、 平和な時代に向けて、新たに明るい息吹と瀟洒を極める美意識を生み出しました。

小堀 宗実 (著)
出版社 : 幻冬舎 (2020/12/17) 、出典:出版社HP

歴史上の人物たちがガイド役! 古典で旅する茶の湯八〇〇年史

茶の湯入門ガイド

本書では茶の湯を知る上で欠かせない古典24冊と、それらに関わる人物22名をガイド役に、先人たちの茶の湯愛を体感できる全50話を収録しています。「茶の湯」は敷居が高そうと感じる方、「古典」は難しそうと思っている方にも分かりやすい、初心者向けの茶の湯入門ガイドです。

竹本 千鶴 (著)
出版社 : 淡交社 (2020/11/4) 、出典:出版社HP

はじめに

私たち日本人の生活で、欠かすことのできない飲み物と言えば、お茶です。コーヒーや紅茶 を飲まない日があっても、お茶を口にしない日はないと言ってもいいでしょう。そのことは「日 常茶飯事」という表現があることからもうかがえます。
ところが、この最も身近な飲み物が「茶の湯」あるいは「茶道」と呼ばれた途端に、日常で はなくなり、遠い存在になってしまいます。その上、さらに「古典」などとつくと、歴史は苦手、と敬遠する方も多いかもしれません。一方で、その特別な空間をちょっとのぞいてみたいな、と思う方もいらっしゃるでしょう。そこで、ペットボトルも含め、日々お茶を飲むすべて の方々のために、茶の湯の古典をたどりながら、歴史の歩みをまとめました。その際、入門ガイドであることを念頭に、次の二点を意識して執筆しました。
一、古典は決して難しいものではないこと
二、茶道のイロハを知らなくとも、茶の湯を身近に感じてもらえることもともとお茶は、七○○年代半ばに中国から入ってきました。ただそれは茶葉を含むハーブティーであったり、団茶という、茶葉の塊を砕いて飲んだりするスタイルでした。いわゆる抹茶(粉末の茶葉を攪拌する)が中国より伝わったのは、一一〇〇年代のことでした。本書はそこを出発点として、しだいに抹茶が定着していき、ついに茶の湯の大流行を見、そして茶道が生 まれ、我が国を代表する文化のひとつになった昭和時代初期までの軌跡八○○年を五十話にわけてお話しするものです。急須で入れて飲む煎茶は一八〇〇年代に、ペットボトルのお茶は一九九〇年代に生まれたものですが、これらも壮大な抹茶文化から派生したスタイルと考えれば、茶の湯に夢中になった歴史上のヒーローや名茶人たちとの距離も縮まるでしょうか。
本書では、そうしたお茶とその発展に寄与したはるか昔の人たちを身近に感じてもらえるよう、茶の湯の歴史を知る上で欠かすことのできない古典二十四冊と、それぞれの古典に関わる人物二十二名を選び、時代ごとに六章にわけています。一見しておわかりのように、織田信長と豊臣秀吉の時代が半分を占めるという偏りようです。これには相応の理由があります。第一に、茶の湯界のスーパースター千利休の生きた時代であること。第二に、トラディショナルな 「大名茶の湯」が下火となり、モダンな「わび茶」が大流行して現代の茶道の基礎が作られた画期であること。これらの理由から、信長と秀吉の時代はより丁寧に描く必要がありました。
さぁ、お茶でも飲みながら、いにしえの人々の話に耳を傾けてみませんか。

竹本 千鶴 (著)
出版社 : 淡交社 (2020/11/4) 、出典:出版社HP

目次

はじめに

第一章 鎌倉・室町時代:
第一話 『喫茶養生記』――苦いお茶のすすめ/第二話 喫茶伝来のシンボル・栄西/第三話 空前の ロングセラー『君台観左右帳記』/第四話 文化の立役者・足利義教 /第五話 珠光から弟子へ贈る 『心の文』/第六話 伝説の名人・珠光

第二章 戦国時代:
第七話 『松屋会記』――武野紹鴎よりのお招き/第八話 茶禅一味の人・武野紹鴎必/第九話 「宗達 他会記』――多聞山城へ行ってきました /第十話 名物大好き! 松永久秀 /第十一話 戦国時代 のタイムカプセル『烏鼠集』その一/第十二話 戦国時代のタイムカプセル『烏鼠集」その二

第三章 織田信長の時代
第十三話 『フロイス日本史』――滞日三十一年間の記録/第十四話 ルイス・フロイスin岐阜城/第 十五話 まぼろしの茶の湯を伝える『茶湯之書次第不同』/第十六話 織田信長に抜擢された茶人・不 住庵梅雪 /第十七話 『宗及自会記』その一 津田宗及、堺の代官を招く /第十八話 白むくげの人・ 松井友閑/第十九話 津田宗及のメモだった『信長茶会記』/第二十話 側近が語る織田信長/第 二十一話『宗及自会記』その二 戦略会議としての茶会/第二十二話 宝の山を残した津田宗及/第 二十三話 まるで暗号のような『宗及他会記』/第二十四話 二度生きた荒木村重(道薫)/第二十五話 『天正六年茶湯記』――安土城から中継します/第二十六話 早世の貴公子・織田信忠

第四章 豊臣秀吉の時代
第二十七話 千利休の教えを伝える「山上宗二記』その一/第二十八話 弟子が語る千利休/第二十九 話 千利休の教えを伝える『山上宗二記』そのニ」/第三十話 ホンモノの茶人・山上宗二/第三十一話 『明記集』――息子へ託した名物のエピソード集い/第三十二話 お坊ちゃま佐久間信栄 (不干斎)の茶の湯 /第三十三話 千利休の肉声を書きとめた『宗湛日記』/第三十四話 メモ魔の神屋宗湛/第 三十五話『島津家文書』――回し飲みが生まれたわけ/第三十六話 亭主対決! 信長、秀吉

第五章 伝承の中の利休
第三十七話 江戸時代のテキスト『草人木』8/第三十八話 千家に伝わる利休伝『江岑之覚』/第三十九話 さびの茶人・千宗旦/第四十話『茶話指月集』――茶席で語られた利休の逸話集/第四十一話 秀吉と利休と/第四十二話『源流茶話』―利休がわび茶を語るなら

第六章 江戸時代から近代:
第四十三話『古今名物類聚』――名物ってなに? 8/第四十四話 松平不味からのメッセージ/第四十五話 茶会での心技体を説く『茶湯一会集』明/第四十六話 心と向き合ったお殿様・井伊直弼 /第四十七話 外国人向けのテキスト『The Book of Tea 茶の本』/第四十八話 岡倉天心の語る死と芸術/第 四十九話 みんなのバイブル『大正名器鑑』/第五十話 研究の道筋を示した高橋箒庵

むすびにかえて
参考文献

本書は小社刊、月刊「淡交』連載「茶の湯の古典に親しむ」 (二〇一九年一月号~1月号)に加筆修正のも、まとめたものです。

ブックデザイン○大久保裕文務上知子(Better Days)
カバー装画○小林マキ
本文イラスト○瞳堂

竹本 千鶴 (著)
出版社 : 淡交社 (2020/11/4) 、出典:出版社HP