【最新】妖怪について学ぶためのおすすめ本 – 子供図鑑から学問として学びたい方まで

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妖怪とは?全国にはどんな妖怪がいる?

妖怪というと、ゲゲゲの鬼太郎や妖怪ウォッチのアニメなどで馴染みのある方も多いはず。最近では、新型コロナウイルスの感染拡大に際して「アマビエ」という妖怪も注目されました。それだけでなく、河童や座敷童など、私たちがいつの間にか知っているという妖怪もいます。このように、日本人にとって妖怪というのは、古来から身近な存在でありました。しかし、そもそも妖怪とは何なのか、実在するのか、どのようにして生まれたのかなど、妖怪に関する疑問は多くあります。ここでは、このような疑問を少しでも解決できるよう、全国の妖怪の紹介から学問としての妖怪学まで学ぶことのできる本をご紹介します。

ランキングも確認する
出典:出版社HP

ゲゲゲの鬼太郎 妖怪ファイル

イラストで楽しむ妖怪図鑑

ゲゲゲの鬼太郎の作者水木しげる先生が書いた妖怪大全集です。ゲゲゲの鬼太郎の登場キャラクターのほか、日本全国の妖怪を水木先生の大迫力のイラストで楽しむことができます。子どもから大人まで楽しめる一冊です。

水木 しげる (著)
出版社 : 講談社 (2018/3/17)、出典:出版社HP

『ゲゲゲの鬼太郎』の人気妖怪たち!

鬼太郎

妖怪の世界で名門とされる「幽霊族」最後の生き残りだ。のんびり屋で誰にでもやさしく、争いごとを好まない。しかし、妖怪、人間を問わず悪事を働くヤノには全身全霊をかけて立ち向かう。正義感がとても強いのだ。
ふだんは、父親の目玉おやじといっしょに妖怪世界で暮らしている。そして、妖怪ボストに助けを求める手紙が届くと「カランコロン」と下駄を鳴らしながら現れ、怪事件を解決してゆくのだ。

左目
目玉おやじが入ることもある。

ちゃんちゃんこ
幽霊族の祖先の「霊毛」で編んだもの。攻撃にも防御にも大活躍する。


仙人のヒゲで作られている。100年たっても破れない。


胃の中にヘビを飼っており、ピンチのときには出てきて、助けてくれる。また強力な胃でなんでも溶かしてしまう。

体内電気
鬼太郎の体内には高圧電流がたくわえられている。放置すると強力な武器になる。

髪の毛
妖怪の気配を感じると、頭のてっぺんの毛がピンと立つ。これを「妖気アンテナ」と呼ぶ。また、髪の毛を使い針のように変えて飛ばす「髪の毛針」は、鬼太郎の必殺技のひとつだ。
髪の毛針


舌を長くのばして敵をつかまえる。また口からは火を吐くことができる。
カメレオン舌


手首から先を切り離して、遠隔操作することができる「リモコン手」、10本の指を弾丸のように飛ばす「指鉄砲」など、さまざまな変化をする。
指鉄砲
リモコン手

目玉おやじ

鬼太郎のお父さん。正確には、鬼太郎を残して亡くなった父親の目玉に魂が宿った姿だ。妖怪のことならなんでも知っていて、その性質にもくわしいことから、戦いのときには司令塔の役目を担っている。身長9.9センチメートル、体重33グラムの体はとても小さいが、重要な戦力なのだ。

趣味は茶わん風呂!
茶わんを浴槽にして、ゆったりつかるのが日課。湯の質と温度には強いこだわりを持っているようだ。

ねずみ男

人間と妖怪のあいだに生まれた半妖怪で、年齢300歳以上。金ともうけ話が大好きで、富を手に入れるためなら手段を選ばない。が、欲に目がくらんで墓穴を掘ってばかりだ。自称「鬼太郎の親友」で、自称「妖怪研究家」。なのに強い妖怪が現れると、いともあっさり鬼太郎を裏切ってしまう。それでいて鬼太郎が勝利をおさめると、なにごともなかったかのように元の親友にもどるのだから、あつかましいかぎりだ。

天敵
「ネズミ」なのでネコ系の妖怪に弱い。天敵はねこ娘だ。

不潔
風呂に入らないし、腐ったモノを食べるので、とにかく臭い。その臭気は妖怪ですら失神してしまうほどだという。

口臭
吐く息で10メートル先のハエが落ちるという。


一枚の布を巻いただけ。そしてこれがねずみ男の全財産だ。洗濯したことはない。

ねこ娘

ふだんは、かわいい女の子だ。しかし、ネズミや魚を見つけたり、怒ったりすると表情が一変。鋭い牙がむきだしになって、妖怪としての本性が現れる。鬼太郎のよき理解者であり、恋人とも言われているが、ほんとうのところはよくわからない。

女子モード
戦闘モード

砂かけばばあ

とても面倒見が良く、鬼太郎の母親がわりのような存在だ。名前のとおり砂を使った攻撃が得意で、指や髪の毛から砂を発射する。目に当たると、とても危険だ。

子泣きじじい

老人の姿をしているが、なかなかの強豪。赤ん坊の泣き声をだしておびきよせては、敵にしがみつく。すると、子泣きじじいの体はどんどん重くなってゆき、最後は敵を押しつぶしてしまう。頭突きも得意だ。

一反もめん

体長は一反(約10メートル)ほど。白い布の妖怪だ。ひらひらと空を舞い、敵の体に巻き付いて締めあげてしまう。鬼太郎を乗せて空を飛ぶこともしばしばだ。苦手なモノは、ハサミや火。

ぬりかべ

巨大な壁の妖怪。怪力とがんじょうさを生かした押しつぶし戦法が得意だ。なかまを守る壁として活躍することが多い。

水木 しげる (著)
出版社 : 講談社 (2018/3/17)、出典:出版社HP

少年少女版 日本妖怪図鑑

親子で楽しめる妖怪図鑑

本書は、日本全国に出没する妖怪たち80種類を収録しています。独創的なイラストと短く的確な解説で妖怪を紹介しています。子ども向けではありますが、大人も十分に楽しむことができ、親子で楽しむことのできる一冊となっています。

岩井 宏実 (著), 川端 誠 (イラスト)
出版社 : 文化出版局 (1987/6/27)
、出典:出版社HP

少年少女版 日本妖怪図鑑

鬼と山の怪
天狗と山の怪
山路と野辺の怪
河童と水の怪
海底の怪
海浜の怪
雪と氷の怪
火の怪
町の怪
屋敷の怪
音の怪
女と男の怪
物の怪
花と木と虫の怪

岩井 宏実 (著), 川端 誠 (イラスト)
出版社 : 文化出版局 (1987/6/27)
、出典:出版社HP

鬼と山の怪


恐しい形をして人にたたりをする妖怪。一般に牛の角や虎の牙をもち、裸で虎の皮の褌を締めた姿を想像している。怪力で性質はきわめて荒く、老婆や童子、美男・美女などさまざまな姿に化けて現われ、人を喰ったり、さらったりする。だが反対に、鬼のほうがいためつけられたり、また人間に感恵を与えるということもある。「一寸法師」の話などに現われる恩はそうした鬼である。さらに音楽・詩歌・双六など学芸にすぐれたものとして、人間世界に現われる鬼もいるし、悪霊を払って人々に幸せをもたらせてくれる鬼もいる。

山爺
奥山にすむ老人姿の妖怪。たいへん大きな声で、いちど叫ぶと天地が震え、生木の葉も震い落ちるという。山爺は山姥の夫だともいわれている。山姥にくらべて、やや性格がおとなしい。

山姥
老女の姿をした山にすむ妖怪。眼光鋭く、口は耳のあたりまで裂け、髪は長く、背の高い色白の女で、人をとって喰う。だが、一面でユーモラスな間の抜けた性格をもっている。ときには里人に幸運を与えてくれることもある。

一つ目小僧・一本だたら
この妖怪は山の神で全国に現われる。一つ目一本足で、目が皿のように大きい。関東地方では旧暦二月と十二月の八日の夜、中部地方では旧暦二月二十五日、近畿地方では「果ての二十日」といって、十二月二十日はこの妖怪が峠や山道に現われて危険だという。山中だけでなく野に現われることもある。

岩井 宏実 (著), 川端 誠 (イラスト)
出版社 : 文化出版局 (1987/6/27)
、出典:出版社HP

図解大事典 日本の妖怪

出現場所ごとにまとめた妖怪図鑑

本書は、山里、水辺、町中、家屋といった出現場所ごとに妖怪をまとめているのが特徴です。その場所に出現する妖怪にはどのような特徴があるのかといった情報がイラストとともに掲載されており、出現場所ごとに共通する特徴などを探しながら読む楽しみ方もできそうです。

ながた みかこ (監修)
出版社 : 新星出版社 (2015/12/1)、出典:出版社HP

妖怪とは……

暗闇にひそんでいたり、人気のないところで待ち構えていたりする妖怪。その正体は一体なんだろう。
日本人は身の回りのありとあらゆるものに生命が宿ると考えてきた。生き物や植物に生命があるのは当然のことだが、山や川などの大自然にも生命があると考えた。また、木や石などにも、目に見えない空気などにも生命があると考えたのである。人間が作り出した道具や建物なども同様だ。
生命が宿っていないものなどない——妖怪が誕生するきっかけはここにあった。すべてのものには生命があり、これらに悪い考えや悪い行いが混じって、災いを起こすようなったもの。これが妖怪なのである。
悪さをすることで知られる妖怪だが、悪いやつばかりではない。人間の手伝いをしてくれたり、福を運んでくれたりするものもいる。妖怪のことを知れば付き合い方や対処方法も分かり、必要以上に怖がることもなくなるだろう。
人間の味方となったり敵となったり、怖かったり可愛かったりと、妖怪は知れば知るほど面白い存在だ。ページをめくるごとに現れる、奥深い妖怪の世界をじっくりと楽しんでいただきたい。

妖怪データについて
【別名】金毛九尾の狐
【伝承】日本各地
【特徴】尻尾が9本 金色の毛
【型】動物タイプ

【伝承】には、主にどこの地域に伝わる妖怪かが書いてある。
【型】には妖怪のタイプが書かれている。タイプは3種類。「人間タイブ」は人間に近い姿をしている妖怪。「動物タイプ」は全身が毛むくじゃらで獣のように見える妖怪。「異形タイプ」は器物や形のない妖怪。

ながた みかこ (監修)
出版社 : 新星出版社 (2015/12/1)、出典:出版社HP

日本の妖怪
もくじ

山里の妖怪

九尾の狐 きゅうびのきつね
山姥 やまうば
鵺 ぬえ
狢 むじな
土蜘蛛 つちぐも
油ずまし あぶらずまし
酒呑童子 しゅてんどうじ
山童 やまわろ
八岐大蛇 やまたのおろち
雨降り小僧 あめふりこぞう
山男 やまおとこ
手長足長 てながあしなが
以津真天 いつまて
天邪鬼 あまのじゃく
山彦 やまびこ
送り犬 おくりいぬ
雪女 ゆきおんな
鬼熊 おにくま
天狗 てんぐ
木霊 こだま
野鉄砲 のでっぽう
がしゃどくろ
山地乳 やまちち
野槌 のづち
雷獸 らいじゅう
ひょうすべ
石妖 せきよう
一本だたら いっぽんだたら
鬼 おに
狐の嫁入り きつねのよめいり
覚 さとり
だいだらぼっち
カシャンボ
コロボックル
赤子の怪 あかごのかい
キジムナー
岩魚坊主 いわなぼうず
山爺 やまじじ
白坊主 しろぼうず
狒々 ひひ
坊主理 ぼうずだぬき
管狐 くだぎつね

水辺の妖怪

小豆洗い あずきあらい
磯撫 いそなで
泥田坊 どろたほう
牛鬼 うしおに
川赤子 かわあかご
人魚 にんぎょ
河童 かっぱ
赤えいの魚 あかえいのうお
舞道 まいくび
龍 りゅう
需れ女 ぬれおんな
清姫 きよひめ
船幽靈 ふなゆうれい
海坊主 うみぼうず
磯女 いそおんな
橋姫 はしひめ
和尚魚 おしょううお
川瀬 かわうそ
共潜 ともかづき

町中の妖怪

一反木綿 いったんもめん
産女 うぶめ
髪切り かみきり
大首 おおくび
子泣き爺 こなきじじい
ぬらりひょん
釣瓶おとし つるべおとし
お歯黒べったり おはぐろべったり
塗壁 ぬりかべ
猫又 ねこまた
袖引き小僧 そでひきこぞう
べとべとさん
見越し入道 みこしにゅうどう
砂かけ婆 すなかけばばあ
化け猫 ばけねこ
崇徳上皇 すとくじょうこう
元興寺 がござ
輪入道 わにゅうどう
ぬっぺぼう
百々爺 ももんじい
長壁 おさかべ
火車 かしゃ
脛こすり すねこすり
一つ目小僧 ひとつめこぞう
鎌鼬 かまいたち
豆腐小僧 とうふこぞう
蟹坊主 かにぼうず
手の目 てのめ
骨女 ほねおんな
朱の盤 しゅのばん
傘化け かさばけ
百々目鬼 どどめき
三吉鬼 さんきちおに
大入道 おおにゅうどう
白粉婆 おしろいばばあ
朧車 おぼろぐるま
七人同行 しちにんどうぎょう
蛇骨婆 じゃこつばばあ
人魂 ひとだま
倩兮女 けらけらおんな
野寺坊 のでらぼう

家屋の妖怪

垢なめ あかなめ
うわん
天井なめ てんじょうなめ
煙々羅 えんえんら
座敷わらし ざしきわらし
二口女 ふたくちおんな
応声虫 おうせいちゅう
震々 ぶるぶる
天井くだり てんじょうくだり
ろくろ首 ろくろくび
金雲 かねだま
絡新婦 じょろうぐも
目目連 もくもくれん
おとろし
犬神 いぬがみ
油赤子 あぶらあかご
大蜘蛛 おおぐも
件 くだん
毛羽毛現 けうけげん
旧鼠 きゅうそ
黒坊主 くろぼうず
暮露暮露団 ぼろぼろとん
畳叩き たたみたたき
火消婆 ひけしばばあ
火間虫入道 ひまむしにゅうとう
かいなで
枕返し まくらがえし

◉百鬼夜行絵巻
◉付喪神
◉百種怪談妖物雙六
索引

ながた みかこ (監修)
出版社 : 新星出版社 (2015/12/1)、出典:出版社HP

日本の妖怪完全ビジュアルガイド

妖怪のビジュアル大図鑑

本書は、150種類以上の妖怪をフルカラーのイラスト付きで紹介しています。各妖怪の昔話、逸話や伝承を紹介しているほか、昔の人が描いた妖怪の絵も掲載されており、幅広い層が楽しめる一冊となっています。また、妖怪研究の第一人者で本書を監修した小林和彦氏のインタビューも必見です。

小松和彦 (監修), 飯倉義之 (監修)
出版社 : カンゼン (2014/6/20)、出典:出版社HP

妖怪は日本が誇る幻想文化

マンガやアニメ、ゲームの世界においては、ドラゴンや魔法といった神話や伝承などをもとにした西洋ファンタジーはおなじみのモチーフとなっている。しかし日本にも、それに負けないほど魅力的な幻想世界の住人たちがいる。それが「妖怪」という存在だ。

妖怪とは、おもに身の回りで起きる不思議や怪異な現象を引き起こす、とりわけ怖いことをするお化けたちのことである。怪異現象の理由づけをして安心するために、人々はそれを妖怪のせいだとし、名付けをして、独立したキャラクターをどんどん想像のなかで生み出していった。こうした妖怪たちの世界は、日本の人たちが楽しみながら増やしていった独特の存在で海外にはないものなのである。

妖怪の存在は怪異・恐怖の方向を向いているとはいえ、立派な幻想=ファンタジーだ。昔の人が体験した話や伝承、また昔の人が描いた妖怪画の数々を見れば見るほど、そのフクフクやドキドキが表現されているのがわかるだろう。怖いけれども、ちょっと面白い。面白いのにやっぱり怖い。そんなキャラクターたちの世界は、世界中を探してもなかなかないのではないだろうか。

かつての日本には、こうした妖怪という存在を想像する環境、風土があった。ところが明治時代以降に近代化がどんどん進み「妖怪は迷信である」と排除され、一時期は忘れ去られた……はずだった。だが、妖怪たちは生きていた。口裂け女などの都市伝説のうわさは、メディアを通して全国をかけめぐり、「絶対にウソだ」と思いながらも心のどこかで日本の人たちは恐れている。西洋ファンタジーの世界においても、それらを絵空事だとバカにされながらも、マンガやゲームといった文化のなかで展開されるそれは、我々を魅了してやまない。本当にいるいないはともかく、そうした怪異や幻想を想像する心は、決して忘れようもないものなのだ。

本書はそんな日本の妖怪たちを、描き下ろしイラストや昔の妖怪画を交え、多数紹介している。こんな妖怪たちが日本にはたくさんいた。いや、いるのだ。そんなことを想像しながら、ぜひとも妖怪の世界を堪能していただきたい。

小松和彦 (監修), 飯倉義之 (監修)
出版社 : カンゼン (2014/6/20)、出典:出版社HP

全国妖怪マップ

本書で紹介している妖怪たちがどこに伝承されているのか、その妖怪の掲載ページといっしょに地図にしてみた。

北海道地方

大入道
木霊
大蛇


コロボックル
妖狐

関東地方

大入道
送り犬

木霊

猿神
大蛇
ダイダラボッチ

天狗
山姥
雪女
小豆洗い
安宅丸
イクチ(あやかし)
岩魚坊主
産女
海坊主
河童

人魚
船幽霊
舞首

天邪鬼
火車
髪切り

鬼女
頽馬
のっぺらぼう
化け狸
一つ目小僧
見越し入道

妖狐
雷獣
ろくろ首
金霊

化け猫
枕返し

東北地方

大入道
送り犬

おばりよん
木霊

大蛇
ダイダラボッチ
手長足長

天狗
山姥
雪女
小豆洗い
岩魚坊主
産女
海坊主
河童
猩猩

水虎
人魚
化け蟹(蟹坊主)
船幽霊
舞首

天邪鬼
火車
鎌鼬

鬼女
頽馬
のっぺらぼう
化け狸
一つ目小僧
見越し入道

妖狐
雷獣
ろくろ首
かいなで
座敷童子

化け猫
枕返し

中部地方

大入道
送り犬

おばりよん
木霊

大蛇
ダイダラボッチ
手長足長

天狗
山姥
雪女
小豆洗い
岩魚坊主
牛鬼
産女
海坊主
河童
猩猩
絡新婦

共潜
波小僧
人魚
化け蟹(蟹坊主)
船幽霊

天邪鬼
火車
鎌鼬
髪切り

鬼女
頽馬
のっぺらぼう
化け狸
一つ目小僧
べとべとさん
見越し入道

妖狐
雷獣
ろくろ首
金霊

化け猫
枕返し
夜泣き婆

小松和彦 (監修), 飯倉義之 (監修)
出版社 : カンゼン (2014/6/20)、出典:出版社HP

近畿地方

猪笹王
大入道
送り犬

木霊

大蛇
ダイダラボッチ
土蜘蛛

天狗
ひだる神
山姥
雪女
小豆洗い
イクチ(あやかし)
磯撫で
牛鬼
産女
海坊主
河童
猩猩

共潜
人魚
船幽霊

天邪鬼
姥ヶ火
朧車
火車
片輪車

鬼女
砂かけ婆
頽馬
手の目

のっぺらぼう
化け狸
一つ目小僧
べとべとさん
見越し入道

妖狐
雷獣
ろくろ首
以津真天
小坂部姫
かいなで
金霊
清姫

鉄鼠

化け猫
目競

四国地方

大入道
送り犬

子泣き爺
三目八面
大蛇
ダイダラボッチ

天狗
ぬりかべ
ひだる神
古杣
山彦
山姥
雪女
小豆洗い
牛鬼
産女
海坊主
河童
川姫
七人みさき

人魚
船幽霊

天邪鬼
火車

鬼女
頽馬
のっぺらぼう
化け狸
見越し入道

夜行さん
妖狐
雷獣
ろくろ首
犬神


化け猫
枕返し

中国地方

大入道
送り犬

おばりよん
木霊
すねこすり
大蛇
ダイダラボッチ
天狗
山彦
山姥
雪女
小豆洗い
牛鬼
産女
海坊主
河童
七人みさき
猩猩

人魚
濡れ女
ハンザキ
船幽霊

天邪鬼
火車

鬼女
頽馬
のっぺらぼう
化け狸
一つ目小僧
見越し入道

妖狐
雷獣
ろくろ首
犬神

山ン本五郎左衛門

化け猫

九州・沖縄地方

油ずまし
大入道
送り犬

キジムナー
木霊
大蛇
ダイダラボッチ
手長足長
天狗
ぬりかべ
ひだる神
山童
山姥
小豆洗い
アマビエ
イクチ(あやかし)
磯撫で
磯女
牛鬼
産女
海坊主
河童
川姫

人魚
船幽霊

天邪鬼
一反木綿
火車

鬼女
ケンムン
のっぺらぼう
化け狸
一つ目小僧
ひょうすべ
見越し入道

妖狐
ろくろ首
犬神


化け猫

小松和彦 (監修), 飯倉義之 (監修)
出版社 : カンゼン (2014/6/20)、出典:出版社HP

日本の妖怪 完全ビジュアルガイド 目次

妖怪は日本が誇る幻想文化
全国妖怪マップ
東日本
西日本
この本の見方

第一章 山林の妖怪
油ずまし
猪笹王
大入道
送り犬

おばりよん
キジムナー
木霊
子泣き爺

猿神
三目八面
すねこすり
大蛇
ダイダラボッチ
土蜘蛛
手長足長

天狗
ぬりかべ
ひだる神
古杣
百足
山彦
山童
山姥
雪女

第二章 海川の妖怪
小豆洗い
安宅丸
アマビエ
イクチ(あやかし)
磯撫で
磯女
岩魚坊主
牛鬼
産女
海坊主
河童
川姫
七人みさき
猩猩
絡新婦

水虎
共潜
波小僧
人魚
濡れ女
化け蟹(蟹坊主)
ハンザキ
船幽霊
舞首
魍魎

第三章 人里の妖怪
天邪鬼
一反木綿
姥ヶ火
朧車
火車
片輪車
髪切り

鬼女
倩兮女
ケンムン
コロポックル
砂かけ婆
頽馬
手の目
百々目鬼
泥田坊

ぬらりひょん
のっぺらぼう
化け狸
一つ目小僧
ひょうすべ
震々
べとべとさん
見越し入道

百々爺
夜行さん
妖狐
雷獣
ろくろ首

第四章 人里の妖怪
垢嘗
縊鬼
以津真天
犬神
煙々羅
小坂部姫
おとろし
陰摩羅鬼
かいなで
金霊
加牟波理入道
清姫

座敷童子
山ン本五郎左衛門
しょうけら
鉄鼠
天井嘗
付喪神

化け猫
二口女
枕返し
目競
目目連
家鳴
夜泣き婆

妖怪時点

小松和彦先生のお話

妖怪用語集

妖怪索引
第一夜 『人を怨み鬼と化す』
第二夜 『羅生門の鬼』
第三夜 『鍛冶ヶ谷の蛇』
第四夜 『朝日山の大蛇』
第五夜 『源頼光の土蜘蛛退治その1』
第六夜 『源頼光の土蜘蛛退治その2』
第七夜 『天狗隠し』
第八夜 『3枚の札』
第九夜 『雪女』
第十夜 『海坊主の話』
第十一夜 『河童のあやまり証文』
第十二夜 『八百比丘尼』
第十三夜 『船幽霊』
第十四夜 『3つの湖のものがたり』
第十五夜 『身を捨て油壺』
第十六夜 『越後新潟にかまいたちある事』
第十七夜 『旋風怪の事』
第十八夜 『安達ヶ原の鬼婆』
第十九夜 『鵺』
第二十夜 『むじな』
第二十一夜 『阿波狸合戦』
第二十二夜 『一眼国』
第二十二夜 『白面金毛九尾の狐』
第二十四夜 『姫路城の化け物』
第二十五夜 『家の盛衰』
第二十六夜 『鍋島の猫騒動』

コラム
京の都を騒がせた鬼の頭目
妖怪旅めぐり1〜鬼編
日本神話に登場する蛇の妖怪
各地に伝わる天狗の妖怪
妖怪旅めぐり2〜天狗編
石も妖怪?不思議な石たち
鬼の大将を討ちとった源頼光
妖怪と戦った名将たち
全国の七不思議1〜本所七不思議
海坊主の仲間
河童の仲間
九頭龍伝説
妖怪画の世界
妖怪旅めぐり3~河童編
鬼火と怪火
有名な鬼女たち
妖怪旅めぐり4~妖狐編
妖怪旅めぐり5~化け狸編
のっぺらぼうの仲間
有名な化け狸
全国の七不思議2~遠州七不思議など
有名な妖狐
妖怪研究人物伝
都市伝説と妖怪
妖怪旅めぐり6~化け猫編
座敷童子の仲間
有名な化け猫

小松和彦 (監修), 飯倉義之 (監修)
出版社 : カンゼン (2014/6/20)、出典:出版社HP

この本の見方

1 タイプ
見た目による妖怪のタイプ。人型・獣型・異形型の3つに分類した。

2 出現する場所
山林 山や森などに出現。
海川 海や川、湖など水辺に出現。
人里 村の中や田んぼなど、人が住む場所の近くに出現。
家屋 家のなかに出現。

3 名前
妖怪の名前。

4 伝承がある地域
その妖怪を見た、出会ったという話などが伝わっている地域を赤くぬっている。

5 妖怪の解説
どんな妖怪なのかを解説している。

6 妖怪のイラスト
伝承から想像する妖怪の姿。

7 昔の人が描いた絵
昔の画集などで描かれている妖怪の絵。

8 妖怪の能力
強さ、妖力、怖さ、奇怪さ、知名度の5つの項目について5段階で評価。なかでも特徴的なふたつの項目について解説をしている。

強さ 腕力が強そうな妖怪ほど高い。
妖力 より怪しい力を振るう妖怪ほど高い。
怖さ 人にとってより危険な妖怪ほど高い。
奇怪さ 見た目や性格、特徴などが、変わっている妖怪ほど高い。
知名度 より多くの人々に知られている妖怪ほど高い。

小松和彦 (監修), 飯倉義之 (監修)
出版社 : カンゼン (2014/6/20)、出典:出版社HP

ビジュアル版 日本の妖怪百科【普及版】

古来の妖怪画から見る妖怪百科

本書は、妖怪に関する伝承、言い伝えとともに、古来日本で描かれてきた妖怪画を紹介しています。昔の人々が描いた妖怪画を通して、日本人が妖怪をどのように思い描いてきたのかを知ることができます。

岩井宏實 (監修)
出版社 : 河出書房新社; 普及版 (2020/1/21)、出典:出版社HP

目次

◉妖怪大集合

1 山の妖怪
妖怪とはなんだろう 岩井宏實
鬼【人を恐れさせる鬼と人に恵みをもたらす鬼】
天狗【鼻の高い赤ら顔、山奥にする空を飛びまわる】
ダイダラボウ【富士山を背負い、沼をつくった巨人】
木霊【樹木に宿る精霊】
蛇【執念深い妖怪に変身する水の神・山の神】
狼【老婆に化けて旅人をおそう】
山姥・山爺【恐ろしい姿で人をおそう落ちぶれた山の神】
山童【祭っていれば助けてくれる山の神の子ども】
一つ目小僧・一本ダタラ【一つ目一本足は神さまの尊さのシンボル】
ヒダルガミ【山道で待ちかまえている腹をすかせた亡者】
覚【人の心を読みとる大猿に似た怪物】
鵺【真夜中に出るつかみどころのない妖怪】
大百足【体が鉄でおおわれた巨大な虫】
狒々【猿に似た姿で、動物を取って食う】
狢【狸に似て、二匹が示しあわせて化ける】
モモンガ・モモンジイ【毛むくじゃらで木から木へと飛びまわる】
鼬【眉毛につばをつければだまされない】
猩々【海からあらわれる酒好きな妖怪】
コナキ爺・粉挽き爺【泣いているので抱き上げると離れない】
山彦【呼びかければ叫び返す山の妖怪たち】
手長足長【山から長い手足をのばして悪さをする】

2 水の妖怪
妖怪と幽霊はどう違うのだろう 岩井宏實
河童【川や沼にあらわれるなじみの深い妖怪】
蟇【岩かと間違えるほどの大きなヒキガエルの妖怪】
スッポン【食用の亀も執念深い妖怪に】
牛鬼・濡れ女【谷川の淵や海にいて、人とおそう】
人魚【顔は人間、体は魚の女の妖怪】
小豆洗い・小豆とぎ・小豆はかり【小豆を洗う音だけさせて、姿は見えない】
シバテン・ケンモン【河童に似て、相撲が大好き】
亡者舟・海難法師【海上にあらわれる水死者の亡霊】
海坊主【ヌルヌル頭の巨大怪物】
舟幽霊【柄杓で水をくみ入れて船を沈めようとする幽鬼】
橋姫【橋の上に出現するしっと深い姫】
川姫【若者を惑わす川の美女】
川天狗【天孤に嫁入りした美しい妖怪】
獺【子どもや美人に化けて人をたぶらかす】
川熊【川のなかからのびる黒い手の持ち主】
アヤカシ【仲間を探す海で死んだ人の霊】
磯撫で【尻尾の針で海中に人を引き込む怪魚】
共潜【海女が海底で出会う自分と同じ姿の妖怪】
赤鱏【島ほどもある巨大魚』

【表紙】
『楠多門丸古狸退治之図』(早稲田大学図書館蔵)
『新形三十六怪撰 おもゐつづら』(静岡県立中央図書館所蔵)
『妖怪図』(早稲田大学図書館蔵)
【裏表紙】
『和漢百物語 宮本無三四』(国立国会図書館所蔵)
【扉】
『百怪図巻』より「くはしや」(福岡市博物館所蔵/画像提供:DNPartcom)
【目次】
『百鬼夜行絵巻』(国立国会図書館所蔵)

3 里の妖怪
妖怪があらわれるのはどんな場所だろう 岩井宏實
狐【稲荷神の使いも、いっぽうでは人を化かす】
理【八化けといわれるほどの化けの名人】
土蜘蛛【どこからともなくあらわれ、糸でからめとる】
産女・柳女【赤ん坊を抱いてくれと頼む母親の妖怪】
雪女【白い着物の女の姿であらわれる雪の精】
大首【雨上がりにとつぜんあらわれる笑う首】
魃・赤舌【日照りのときに出現する怪物】
鎌鼬【とつぜん鎌で切ったような傷を負わせる怪】
見越し入道【見上げれば見上げるだけ大きくなる坊主頭の巨人】
片輪車・輪入道・朧車【走りまわっては人々を恐れさせる車輪のお化け】
塗り壁・ノブスマ【夜道に立ちはだかり、人の行く手をさえぎる】
ずんべらぼう【顔に目も鼻も口もなく、人とおどろかす】
タテクリカエシ【山道ところがってくる目鼻手足のない奇妙な胴体】
釣瓶下し【木の上から急に下りてくる妖怪】
ミノ火【人里に出現する怪しい火】
ジャンジャン火・天火【怨霊が火となって飛びまわる】
夜行さん・首無し馬【首のない馬に乗って夜あらわれる】
泥田坊【「田んぼを返せ」と呼ぶ目一つの妖怪】
朱の盤【真っ赤な顔をした大皿の妖怪】
バタバタ・ベトベトさん【姿を見せずに音だけが聞こえる】
袖引き小僧【だれが引っ張るのか着物の袖】
そろばん坊主【そろばんをはじく音の正体】
手目坊主【手に目ができた坊主の執念】
一反木綿【空中を飛んで首に巻きつく白い布】
雷獣【雷といっしょに落ちてくる獣姿の怪物】
雨女【雨の降る日にあらわれる】
雨降小僧【傘をかぶった雨の神の召使】
小雨坊【修験道の霊地で物乞いする】

4 屋敷の妖怪
妖怪はいつあらわれるのだろうか 岩井宏實
化け猫【尻尾の先が二つに分かれて魔力をもつ古猫】
鼠【猫さえ食い殺すほどの力をもつ古鼠】
轆轤首【長くのびた首が空中を浮遊】
犬神【人間についてたたりをする犬の霊】
元興寺【毎晩、寺の鐘つき童子をおそう鬼】
ザシキワラシ【子どもの姿をした家の守り神】
油坊・油赤子・油返し【貴重な油を盗んだ者の亡霊】
垢なめ・天井なめ【風呂場の垢や天井をなめる不潔な妖怪】
枕返し【寝ているあいだに枕を動かす霊のいたずら】
恙虫・吉六虫・常元虫・お菊虫【虫の妖怪になった死者の魂】

●絵巻をよむ
稲生物怪録 稲生平太郎少年の妖怪退治
付喪神 道具の妖怪たち
装帧 佐藤大介(sato design.)
編集協力 小山茂樹・龍野真知子(有限会社ブックポケット)

銭神・金霊【天から降る金銀のふしぎ】
長壁【姫路城天守閣にすむ老婆】
加牟波理入道【便所に出現する大入道】
毛羽毛現【めったにお目にかかれない毛だらけの妖怪】
古庫裏婆【山寺の台所にすみついた老婆の妖怪】
目競【平清盛をにらんだ何千万もの骸骨の目】
小袖の手【着物に残った着ていた人のうらみ】
面癘鬼【古い面が化けて出た妖怪】
目目連【障子にできたたくさんの目】
二口女【二つの口でご飯を食べる】

妖怪は現代にもいるのだろうか 岩井宏實

索引
参考文献

岩井宏實 (監修)
出版社 : 河出書房新社; 普及版 (2020/1/21)、出典:出版社HP

決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様 (講談社文庫)

妖怪を網羅した辞典

本書は、妖怪や神様など全895もの項目を網羅した大ボリュームの一冊です。水木しげる先生の緻密なイラスト、充実した解説、圧倒的な掲載数など、妖怪を知るならこの一冊で十分といってもよいでしょう。

水木 しげる (著)
出版社 : 講談社 (2014/2/14)、出典:出版社HP

決定版 日本妖怪大全 もくじ

妖怪

[あ行] 青行灯
青鷺火
青女房
赤頭と小僧の妖怪
赤えい
アカカナジャー
赤舌
アカナー
あかなめ
灯無蕎麦
悪四郎妖怪
悪路神の火
足洗邸
足長手長
足まがり
小豆洗い
小豆はかり
小豆婆
アゼハシリ
安宅丸
悪鬼
後追い小僧
鐙口
油赤子
油返し
油すまし
油坊
天草の河童
尼入道
天逆毎
天邪鬼
アマビエ
アマビト
網切
雨女
雨降り小僧
飴屋の幽霊
あやかし
いきすだま
生霊憑き
池の魔
囲碁の精
イジコ
いしなげんじょ
イジャロコロガシカ
異獣
磯女
いそがし
磯撫で
板鬼
イタコ
鼬寄せ
イチジャマ
一目入道
一軒家の妖獣
イッシャ
一反木綿
五つ塚の怪女
一本足
一本ダタラ
以津真天
犬神
隠神刑部狸
井守
いやみ
岩魚坊主
陰火
インガメ
インネン
遺念火
うきもの
牛打ち坊
牛鬼
丑の刻参り
後神
臼負い婆
姥火
産女
馬鹿
馬憑き
馬の足
海狼
海和尚
海小僧
海座頭
海女房
海人魚
海坊主
うわん
雲外鏡
江戸の金霊
江戸の管狐
絵馬の精
襟立衣
エンコウ
エンコ婆
槐の邪神
煙羅煙羅
おいがかり
置行堀
笈の化物
応声虫
苧うに
大頭小僧
狼の霊
大かむろ
大首
大蜘蛛
大鯉
大座頭
大蛸の足
大旅淵の蛇神
大入道
大坊主
御釜踊り
拝む者
於菊虫
送り犬
送り提灯
送り拍子木
オケツ
オゴメ
長壁
おさん狐
和尚の幽霊
白粉婆
恐山の霊
オッケルイペ
オッパショ石
音霊
おとろし

鬼熊
鬼火
鬼一口
お歯黒べったり
オハチスエ
オバリヨン
オボ
朧車
オマク
おまん稲荷
オモカゲ
女の人魂
陰摩羅鬼

[か行] 怪井守
怪地蔵
海人
貝児
海難法師
貝吹き坊
海妖
餓鬼
餓鬼憑き
隠れ里
隠れ婆
影女
元興寺

傘化け
鍛冶媼
火車
がしゃどくろ
カシャボ
カゼ
火前坊
片脚上﨟
がたがた橋
片耳豚
帷子辻
片輪車
河童
河童石
河童から身を守る方法
河童憑き
河童の尻子玉取り
河童火
河童文字
桂男
金槌坊
蟹坊主
金霊
金の神の火
かぶきり小僧
かぶそ
蝦蟇
鎌鼬
髪鬼
髪切り
髪舞い
瓶長
亀姫
蚊帳吊り狸
烏天狗
ガラッパ
画霊
川赤子
川獺
川獺の化け物
カワエロ
川男
川熊
河虎
川猿
カワソ
川太郎
川天狗
川者
川姫
カワボタル
岸涯小僧
カンチキ
カンテメ
関東のオサキ
龕の精
加牟波理入道
鬼撃病
キジムナー
鬼女
鬼女紅葉
鬼神
狐憑き
狐の風
狐の祟り
狐の嫁入り
狐火
鬼童
絹狸
木の子
馬魔
窮鬼
旧鼠
九尾の狐
狂骨
経凜々
清姫
切籠灯籠
金魚の幽霊
金長狸
クダ
くた部

口裂け女
沓頬
クネユスリ
首かじり
縊鬼
蜘蛛火
海月の火の玉
倉ぼっこ
くら虫
鞍野郎
黒髪切
黒玉
クロッポコ人
黒手
黒坊主
毛羽毛現
血塊
ゲド
ゲドガキのバケモン
外法頭
倩兮女
水蝹
小池婆
小右衛門火
虚空太鼓
古庫裏婆
小雨坊
コシュンプ
瞽女の幽霊
古戦場火
こそこそ岩
小袖の手
五体面
木霊
コックリさん
五徳猫
琴古主
児啼爺
子生弁天の大入道
木葉天狗
小坊主
護法童子
小法師
コボッチ
狐狸の闘い
古籠火
コロポックル
狐者異
こんにゃく坊主
こんにゃく幽霊
牛蒡種

[さ行] 囀り石
逆女
逆柱
さがり
佐倉惣五郎の霊
さざえ鬼
座敷坊主
座敷童子
さとり
寒戸の婆
皿数え
猿鬼
猿神
ザン
三吉鬼
三尺坊
山精
山中の幽霊屋敷
山ン本五郎左衛門
山霊
黒𤯝
地黄煎火
塩の長司
式王子
式神
敷次郎
ジキトリ
シズカモチ
次第高
舌長婆
シチ
七人同行
七本鮫
信濃の別界
篠崎狐
芝右衛門狸
しばかき
シバテン
死人憑き
島原の船幽霊
蛇骨婆
蛇帯
邪魅
三味長老
じゃんじゃん火
集団亡霊
十二神将
執念の鬼
出世螺
朱の盤
樹木子
小鬼
正吉河童
しょうけら
鉦五郎
精霊田
精霊風
絡新婦
白髪山の怪物
不知火
しらみゆうれん
尻目
死霊に化けた理
死霊の森
白容裔
白猿
白坊主

心火
神社姫
人面犬
人面樹
人面瘡
スイカツラ
水虎
水虎様と水神様
水釈様
水精の翁
菅原道真の怨霊
硯の精
すっぽんの怨霊
すっぽんの幽霊
崇徳院(白峰)
砂かけ婆
すねこすり
ずんべら坊
精霊
石塔飛行
石塔磨き
石妖
セコ
瀬戸大将
禅釜尚と虎隠良
センポクカンポク
袖引き小僧
卒都婆小町
空神
算盤坊主
そんつる

[た行] 大魚悪楼
大光寺の怪異
大山の狐神
松明丸
高女
高須の化け猫
高入道
高橋六兵衛の狸憑き
高坊主
ダキ
たくろう火
竹切狸
但馬の騒霊
畳叩き
たたりもっけ
タテクリカエシ
狸憑き
狸の婚礼
狸囃子
狸火
タマガイ
タマセ
ダラシ
ダリ
タンコロリン
力持ち幽霊
千々古
地の神
茶袋
チュウコ
蝶化身
提灯お岩
提灯お化け
提灯小僧
提灯火
蝶の幽霊
長面妖女
猪口暮露
塵塚怪王
ちんちろり
衝立理
付喪神
辻神
土蜘蛛
土転び
槌蛇
恙虫
常元虫
角盥漱
つらら女
釣瓶落とし
釣瓶火
手洗鬼
手負い蛇
手形傘
鉄鼠
てっち
手長婆
手の目
手の目かじり
寺つつき

天火
天狗
天狗倒し
天狗憑き
天狗礫
天狗火
天子
天井下がり
天井嘗め
天吊るし
天女の宿
豆腐小僧
東方朔
東北の釣瓶落とし
どうもこうも
通り物
鳥取の牛鬼
百々目鬼
利根川の火の玉
共潜
トリダシ
泥田坊
土瓶神
トンボツイタチ

水木 しげる (著)
出版社 : 講談社 (2014/2/14)、出典:出版社HP
[な行] 長井戸の妖怪
長崎の水虎
泣き婆
波切大王
ナベソコ狸
生首
浪小僧
嘗女
鳴釜
ナワスジ
ナンジャモンジャ
納戸婆
二階の怪
苦笑
肉吸い
二恨坊の火
二本の足
入道坊主
入内雀
乳鉢坊と瓢箪小僧
如意自在
ニライの大主
鶏の僧
人魚灯
人形の霊

鵺の亡霊
ぬっぺふほふ
沼御前
ぬらりひょん
塗壁
塗坊
塗仏
ぬるぬる坊主
濡れ女子
濡れ女
猫男
猫憑き
猫の神通力
猫又
猫又山
鼠の怨霊
祢々子河童
ネブッチョウ
寝肥り
ノイポロイクシ
ノウマ
野宿火
ノツゴ
野槌
野寺坊
野火
のびあがり
野衾
野守

[は行] パウチ
ハカゼ

白蔵主
化け銀杏の精
化け鯨
化け草履
化け狸
化け灯籠
化け猫
化け鼠
化けの皮衣
化け火
とうち
化け雛
化け古下駄
狸伝膏
化け物の結納
化け物屋敷
波山
橋姫
芭蕉の精
場所に住む霊
畑怨霊
ばたばた
機尋
魃鬼
髪魚
八百八狸
花子さん
婆狐
針女
反魂香
ハンザキ大明神
般若
般若憑き
引亡霊
ヒザマ
ぴしゃがつく

一声叫び
人魂
一つ目小僧
一つ目理
一つ目入道
一つ目の大坊主
一つ目の黒坊主
一つ目坊
一人相撲
火取魔
飛縁魔
火の車
ヒバゴン
狒々
火間虫入道
百目
百鬼夜行
ひょうすえ
ヒョウズンボ
病虫
ひょうとく
屏風のぞき
日和坊
比良夫貝
姪持ち
琵琶牧々
人形神
貧乏神
風狸
吹き消し婆
文車妖妃
袋下げ
袋狢

札返し
二口女
二つ塚の化け物
淵猿
船板の琴
ブナガヤ火
船亡霊
船幽霊
浮遊霊
不落不落
ふらり火
古空穂
古杣
古椿
震々
古屋の妖怪
風呂桶の火の玉
ぶんぶん岩
平家一族の怨霊
幣六
べか太郎
べとべとさん
蛇の怪
蛇蠱
弁慶堀の河太郎
ほいほい火
箒や笛の霊
坊主狸
疱瘡婆
頬撫で
ホゼ
細手
牡丹灯籠
払子守
仏の幽霊
骨女
骨傘
ホヤウカムイ
暮露暮露団

[ま行] 舞首
枕返し
真面目な幻獣
松の精霊
招く手の幽霊
マブイコメ
魔法様
豆狸
麻桶毛
迷い家
迷い火
迷い船
迷わし神
丸い玉の幽霊
見上入道
みかり婆
飯笥
溝出
三面乳母と一つ目小僧
蓑火
蓑虫火
蓑草鞋
耳無豚
ミンツチ
百足
無垢行騰

無人車幽霊
ムチ
ムラサ
夢霊
目競
飯食い幽霊
面霊気
魍魎
木魚達磨
目々連
モクリコクリ
物の怪
百々爺
茂林寺の釜
モンジャ

[や行] 野干
ヤカンヅル
夜行さん
夜具と座頭
疫病神
野狐
夜行遊女
屋島の禿
夜道怪
ヤナ
柳の精
柳婆
家鳴り
山嵐
山犬
山姥
山オサキ
山男
山鬼
山颪
山女

山爺
八岐大蛇
山地乳
山天狗
山猫
幽谷響
山彦
山みこ
山ミサキ
山童
山𤢖
山婆
ヤマンバ憑き
ヤマンボ
病田
鎗毛長
遣ろか水
八幡知らずの森
やんぼし
遺言幽靈
幽霊赤児
幽霊毛虫
幽霊紙魚
幽霊狸
幽霊問答
幽霊屋敷
行き逢い神
雪女
雪爺
ユナワ
妖怪石
妖怪風の神
妖怪蜃気楼
妖怪すっぽん
妖怪宅地
妖怪万年竹
妖鶏
夜雀
夜泣石
呼子

[ら・わ行] 雷獣

龍灯
礼を言う幽霊
老人火
飛頭蛮
わいら
若狭の人魚
若松の幽霊
渡柄杓
鰐鮫
輪入道
笑い地蔵
悪い風

あの世

村長の交易 アイヌのあの世①
死者たちの住む村 アイヌのあの世②
アイヌの地獄 アイヌのあの世③
六道絵の世界 『往生要集』①
仏教の根本戒律・五戒 『往生要集』②
三途の川 『往生要集』③
閻魔大王、裁きの日々 『往生要集』④
往生要集の地獄 『往生要集』⑤
八大地獄の光景1 『往生要集』⑥
八大地獄の光景2 『往生要集』⑦
餓鬼・畜生・修羅 『往生要集』⑧
阿弥陀の浄土 『往生要集』⑨
決死の渡海 補陀落浄土
迎え火送り火
不死の国からの来訪者 常世国
神とエリートたちの国 高天原
伊邪那美のすむ国 黄泉の国①
死の国のありか 黄泉の国②
先祖のすむ世界 根の国③

神仏

[あ行] アエノコト
赤城山の百足神
あかなし様
足の神
アマメハギ
アンモ
石神
一目連
井戸の神
稲荷神
疣取り神
いやだにさん
牛御前
姥神
厩神
蛤貝比売
オイツキ様
大元神
オクダマ様
お産の神
オシッコ様
オシラ様
鬼あざみ

[か行] ガータロ
蚕神
蛙神
案山子神
勝宿大明神
風の三郎さま
門神
カナヤマサマ
兜稲荷
竈神
川倉地蔵堂
木の神
愛の神
釘抜き地蔵尊
クサビラ神
首塚大明神
熊神
黒仏
鍬山大明神
荒神様
ゴマンドサン
子安神
根源様

[さ行] 佐助稲荷
山神
獅子頭様
地蔵憑き
柴神
ショウキサマ
シロマタ
神鹿
神農さん
水神様
スネカ
スネ力の行事
銭洗い弁天
蒼前神
ソキサマ
袖もぎ様

[た行] 田県神社
だきつきばしら
滝霊王
焼火権現
蛸神様
七夕神
多爾具久
田の神
杖立様
憑神
手足の神
道通様
トキの神
トシドン
土用坊主

[な行] なまず神
生団子
ナマトヌカナシ
生剥
仁王さん
ニンギョウサマ
盗人神

[は行] ハカセサマ
パントゥ
はんぴどん
ビジンサマ
一言主神
枚方の御陰の神
びんずる尊者
福の神
フサマラー
船玉様
箒神
疱瘡神
方相氏
ボゼ神
ホットンボウ神

[ま行] マユンガナシ
水の神
メンドン
森殿
モーモードン

[や・ら行] 厄抜け戒壇
八咫烏
藪神
ヤマドッサン
山の神婆
雷神
六所大明神

水木 しげる (著)
出版社 : 講談社 (2014/2/14)、出典:出版社HP

改訂・携帯版 日本妖怪大事典

大ボリュームの妖怪大辞典

本書は、全国各地で語り継がれてきた妖怪の特徴、言い伝え、出没地域、参考文献などを網羅的に収めた妖怪辞典です。総項目数1602、水木しげる氏の妖怪画357点を収録している大ボリュームだけでなく、詳細な説明、細かい出典など、その情報量の多さも特徴的です。コンパクトサイズで読みやすいため、妖怪について本格的に学びたい人はぜひ手にしたい一冊です。

村上 健司 (編集), 水木 しげる (イラスト), 村上 健司 (その他)
出版社 : KADOKAWA/角川書店; 改訂・携帯版 (2015/4/25)、出典:出版社HP

日本妖怪大事典

改訂携带版
日本妖怪大事典
水木しげる=画
村上健司=編著
角川文庫
19075
協力 水木プロダクション
編集協力 フォルスタッフ
(梅沢一孔・今村恵子)

凡例
●この事典は日本の文献(民俗資料、怪談集、随筆、その他)に見える妖怪を50音順に並べ、極力原典を元にした解説を付したものである。固有名詞のあるものが中心だが、名前がないものについては、千葉幹夫氏の『全国妖怪事典』にならい、「○○ノカイ」というように統一させた。また、「目だらけの化け物」のような説明的な名称も、便宜上固有名詞として扱った。
●資料はでき得る限り原典に拠ったが、入手困難なものについては二次資料を使用した。
●水木しげるの妖怪画は原則としてその妖怪の解説文の前後、もしくは解説文中に置いた。また、妖怪画の妖怪名について、水木しげるの妖怪名と解説文の妖怪名が異なる場合は、「水木しげるの妖怪名(解説文の妖怪名)」とした。
●文中の古い地名は、原則的に底本となる『日本妖怪大事典』発行当時(平成17年7月)の地名をカッコ内に示した。不明のものについては、資料にあるとおりの地名を載せた。
●参考資料は妖怪項目ごとに記した。書籍は『 』、雑誌に掲載された論文などは「 」を用い、引用した部分は【 】で示した。参考資料の掲載順については、とくに意味を持たせてはいない。
●引用文、解説文のなかには、現代の観点から見て、人間を不当に差別したり、好ましからざる表現もあるが、編著者にはそのような意図はなく、原典に則ったままの表現にした。

村上 健司 (編集), 水木 しげる (イラスト), 村上 健司 (その他)
出版社 : KADOKAWA/角川書店; 改訂・携帯版 (2015/4/25)、出典:出版社HP

妖怪学新考 妖怪からみる日本人の心 (講談社学術文庫)

妖怪学の入門書

本書は妖怪を学問として学ぶための入門書です。妖怪とは何なのか、どのように妖怪が生まれたのかといった妖怪の背景・歴史、日本人の心と妖怪の関係とは、といった点を考察しながら、妖怪学について学ぶことのできる一冊です。

小松 和彦 (著)
出版社 : 講談社 (2015/7/11)、出典:出版社HP

目次 妖怪学新考

はじめに――新しい妖怪学のために
妖怪学とはなにか/妖怪学の三つの潮流/柳田国男の妖怪学/柳田以降の妖怪学

第一部 妖怪と日本人

一 妖怪とはなにか
恐怖・空間・妖怪/不思議・災厄・妖怪/妖怪を定義する/妖怪と社会関係/自然の妖怪と人間の妖怪/妖怪の予防と駆除/「生活社会」の三類型と妖怪

二 妖怪のいるランドスケープ
日本人の「ふるさと」としての小盆地宇宙/ムラのコスモロジー、マチのコスモロジー/水木しげる少年の妖怪体験/奥能登・七浦の妖怪たち

三 遠野盆地宇宙の妖怪たち
遠野のムラの妖怪たち/遠野のマチの妖怪たち

四 妖怪と都市のコスモロジー
前近代の都市の妖怪たち/平安京の恐怖空間/江戸の怪異空間

五 変貌する都市のコスモロジー
「闇」の喪失/妖怪の近代

六 妖怪と現代人
妖怪の存立と前提条件/現代都市の「闇」/「学校の怪談」/「化け物屋敷」/現代の妖怪の特徴と現代人の不安

第二部 魔と妖怪

一 祭祀される妖怪、退治される神霊
「神」と「妖怪」の相違/祀り上げられる「妖怪」/棄てられた「神」/退治される「妖怪」

二 「妖怪」の民俗的起源論
どのようにして妖怪は生じるのか/非人間起源の妖怪/「妖怪」に変身する人間/怨霊と御霊/人に見える死霊=幽霊

三 呪詛と憑霊
呪詛――魔に身を任せた人々/生霊憑き・死霊憑き・動物霊憑き/二種類の「憑きもの筋」

四 外法使い――民間の宗教者
宗教者の両義性/陰陽師と式神/修験者と護法/外法神

五 異界・妖怪・異人
異界とは何か/異界と妖怪/異界と異人/秩序・災厄・異人(妖怪)

おわりに――妖怪と現代文化
あとがき

解説――小松和彦の世界 高田 衛

小松 和彦 (著)
出版社 : 講談社 (2015/7/11)、出典:出版社HP

はじめに――新しい妖怪学のために

「人間文化の進歩の道程に於て発明され創作された色々の作品の中でも『化物』などは最も優れた傑作と云はなければなるまい」
(寺田寅彦)(1)

妖怪学とはなにか

人間は想像する。その想像力はまた、さまざまな文化を創りだす創造力でもある。そしていま私たちはその創造力が作りだした膨大な種類の文化を所有しているわけであるが、そのなかでもっとも興味深いものの一つが「妖怪」と称されているものであろう。この「妖怪」を研究する学問が、ここでいう「妖怪学」である。

しかしながら、現在まで、「妖怪学」という学問はまともな形で存在していなかった。すなわち、学問の範囲や目的、研究方法、いずれの面でもまともな論議がなされてこなかったのである。たしかに「妖怪学」という名称は早くも明治の後半に現れており、妖怪を研究する学者も何人かはいたのだが、その研究目的は研究者によって異なり、したがって、妖怪を研究する人たちを「妖怪学」の名のもとに結集させる学会や研究機関を作りだすまでには至らなかったのであった。

「学問としての「妖怪学」の整備の遅れの理由は、研究者の不足もあったが、「妖怪」が近代の科学において撲滅すべき「迷信」とされたことが大きかったように思われる。妖怪は近代人には必要ないものであり、妖怪研究はその妖怪撲滅・否定のための学問か、あるいは滅びゆく「迷信」を記録する学問で、近代における人間の生活にあまり積極的な意義を見いだせない研究とみなされたのである。

近代の科学、物質文明の発達・浸透は現実世界から妖怪を撲滅してきた。しかし、現代においても妖怪たちは滅びていない。活動の場を、都市の、それも主としてうわさ話やフィクションの世界に移して生き続けている。その意味で、現代人も妖怪を必要としているのである。このことは、妖怪が「迷信」としてかたづけてしまうわけにはいかない、つまり人間にとってとても重要な存在なのだということを物語っている。それは人間の精神生活の根源にかかわる事柄と関係しているらしいのだ。それが何なのか。それを明らかにするための学問として、新しい「妖怪学」は整備される必要があるといえる。

この新しい妖怪学は、やみくもに妖怪信仰を撲滅するわけでもなければ、妖怪信仰を保存しようというわけでもなく、妖怪文化の考察を通じて、人間の精神の歴史や心のあり方を探る学問として構築されるべきである。もっとも、この試みはまだ十分な成果を収めているわけではない。むしろ、これから本格的研究が開始されるというべきであろう。その意味で私は、本書をあえて『妖怪学新考』と名づけてみたのである。

それでは、私が考える「妖怪学」の輪郭とはどのようなものであろうか。簡単に以下で説明しておこう。新しい妖怪学は、人間が想像(創造)した妖怪、つまり文化現象としての妖怪を研究する学問である。妖怪存在は、動物や植物、鉱物のように、人間との関係を考えずにその形や属性を観察することができるものではなく、つねに人間との関係のなかで、人間の想像世界のなかで、生きているものである。したがって、妖怪を研究するということは、妖怪を生み出した人間を研究するということにほかならない。要するに、妖怪学は「妖怪文化学」であり、妖怪を通じて人間の理解を深める「人間学」なのである。

妖怪学はいろいろな問題を設定する。なぜ人々は妖怪を想像するのか、そのような妖怪のイメージはどのように形成されたのか、どのような種類の妖怪(妖怪種目)があるか、あるいはそうした妖怪を創造することの利点や欠点はどこにあるのか、日本の妖怪文化と諸外国の妖怪文化との違いはどこか、現代の科学ではかつての人々が妖怪現象とみなしたことをどのように説明できるか、等々。

この「妖怪学」の研究領域は大きく二つのレベルに分けられる。一つは現実世界において妖怪現象、妖怪存在を信じている人々の語る妖怪に関する研究であり、もう一つは文学や芸能、絵画などに物語られ、演じられ、描かれる、フィクションとしての妖怪についての研究である。だが、やっかいなのは、この二つの領域は互いに影響関係にあり、現実世界で語られている妖怪をめぐる話の多くが、こうした研究領域つまりフィクションとノンフィクションの境界から立ち現れていることであろう。

現実世界における妖怪を信じている人々の研究では、まずどのような妖怪が信じられているかや、その姿かたちや出没する場所、性格などを知るために、多くの妖怪体験談を採集する必要がある。そしてその分析から、それを信じている個人の心のなかにある恐怖心や不安、あるいは社会が抱えもっている恐怖心や不安およびそれとの葛藤・戦いなどを浮かび上がらせることも可能となってくるであろう。これはいわば「妖怪の民俗誌」や「妖怪の心理学」「妖怪の社会学」である。

古代から現代に至るまで妖怪の存在を信じる人々がいた。したがって、妖怪研究者はそれぞれの時代について、史料さえあれば、これと同様の研究を試みることができ、さらに妖怪の盛衰史つまり「妖怪の歴史学」を描き出すこともできるであろう。そしてこのレベルの研究のなかには、怪異・妖怪現象とみなされるものを科学的に解き明かす自然科学的な研究も含まれている。

ところで、右の妖怪研究が現実世界の妖怪信仰の研究であるとすると、その一方にそうした妖怪信仰の影響を受けて作られた、妖怪の登場する物語や儀礼、芸能、絵画たなどの研究が想定される。これらの作品は実際にあったことを忠実に記録したというスタイルをとった作り話から明らかな作り話までさまざまであるが、いちおう現実世界で語られる妖怪とは異なるレベルに属するものと考える必要がある。そこに描かれた妖怪が現実の世界において人々に実在すると信じられていたとは限らないからである。この領域の研究は「妖怪の文学史」「妖怪の芸能史」「妖怪の絵画史」「妖怪の口承文芸史」ということになるだろう。さらにこの研究をもとにして、こうした作品がたくさん作られた社会的背景を探る「妖怪の歴史社会学」も生まれてくるはずである。

要するに、私が考えている「妖怪学」は、「妖怪」に関する研究を可能なかぎり網羅するような形で構想されている。したがって、いうまでもなく一人の妖怪研究者がすべての分野にかかわる必要はない。人文科学、社会科学、そして自然科学の諸分野に属する妖怪研究者が、それぞれの立場から妖怪を研究すればいいわけであるが、その成果を共有し総合していくための場として「妖怪学」の必要を提唱しているのである。

妖怪学の三つの潮流

右に述べたように、広い意味で「妖怪学」を設定してみたが、その場合、この妖怪学には、妖怪研究の目的の異なる研究者がたくさん集まることになる。したがって、このような「妖怪学」の学会が設立され全国の妖怪研究者が結集したとき、初めて、その内容が明らかになるであろう。当然のことながら、そこに集まった妖怪研究者が考えるこれまでの「妖怪学」の歴史も、研究分野や研究対象、研究目的の違いによって、かなり異なっているはずである。以下では、参考のために、私が振り返ってみた「妖怪学」の歴史を簡単に述べておこう。

私自身の妖怪研究は、「妖怪の民俗学」「妖怪の社会学」「妖怪の口承文芸学」「妖怪の宗教学」といった分野に属している。そうした分野からみると、妖怪学の流れとして、次の三つが目立っている。

その一つの研究の流れが、妖怪現象や妖怪存在を信じる人々に対して、科学的知識を動員してそれを否定していく研究である。簡単にいえば、妖怪を「迷信」としてとらえ、それを科学で撲滅し、人々を迷信から解放しようという目的での「妖怪学」である。「タヌキ囃し」と信じられていたのは、タヌキの仕業ではなく、遠くの祭り囃しが風の関係で近くで聞こえるように感じられたものだったとか、夜道で出会った大入道は、月影が作った大木の影を見誤ったものだ、といった具合に合理的に解き明かし、妖怪を信じる人々のそれまでのコスモロジー、つまり世界の認識の体系を破壊し、近代の科学的・合理的なコスモロジーを身につけさせようとするわけである。日本で最初に「妖怪学」という学問を提唱した井上円了の妖怪学は、このような意味での妖怪学であった(2)。したがって、この種の妖怪学者は、この世から妖怪を信じる者が一人もいなくなるまで妖怪退治を続けることになる。この研究を支えているのは、妖怪がいなくなることが人間の幸福な生活だとする信念である。井上は明治中期から大正にかけて精力的に妖怪現象を調査し、その撲滅を続けた。

井上のような妖怪を迷信とみなして撲滅する「妖怪学」と並行して、同じような妖怪撲滅・否定を行なっていたのが、黎明期の近代医学であった。人間は自然との関係や人間関係のなかで生活しており、そのなかから生じるさまざまな不安や恐怖、精神的あるいは肉体的疲れから、「妖怪」を生み出し呼び招くことがある。たとえば、幻覚や幻聴、妄想現象などのなかの「妖怪」がそれである。そして不安が高じると社会生活を送っていくことが困難な状態つまり病気になることもあった。社会学的あるいは心理学的には妖怪は存在し体験されていたのである。

それはたとえば「キツネ憑き」のような現象であった。これを近代医学は「精神病」(当初は祈禱性精神病などと称された)と診断した。近代医学はキツネの霊の関与を否定し、さまざまな抑圧や不安によって妄想・精神の錯乱が生じたものと判断した。この場合の大きな問題は、病気がキツネの仕業ではなく、妄想だ、精神の病だ、と説明したところで、つまりキツネの妖怪を否定したところで、病気は治らないことである。社会や個人の生活のなかから、不安や怖れ、疲労などを取り除かなければ、妖怪を撲滅したところで病気は治らないのである。極言すれば、この場合のキツネは、社会や心のなかに生じている不安や抑圧、社会関係の歪みの象徴的表現であり、このキツネが否定されれば、別の象徴がその位置に立ち現れてくることになる。伝統的コスモロジーによって説明し、ときには治療さえすることのできた心の病気を、それまでの伝統的コスモロジーを否定しつつ、西洋医学によって治療をしなければならなかった日本の近代精神医学は、患者の社会からの隔離という「治療」方法を選ばざるをえなかったのは周知のことであろう。この分野での妖怪研究は、妖怪の撲滅の流れに身を置きながらも、井上円了ほど楽天的ではなかった。治療のための患者の心の診断、患者が属している家族やその他の社会現象・関係の診断が必要になってきていたのである(3)。

その一方では、妖怪を迷信とみなして撲滅すべきだといった具体的対応はとりあえず脇に置き、日常生活を送っている人間が信じている妖怪とその社会的背景を調査し、その機能や信仰生活、コスモロジーを探っていくことを目的とした社会学的「妖怪学」や、妖怪伝承を採集し、その分布から妖怪信仰の変遷の過程を復元する民俗学的「妖怪学」も存在していた。

この系統の妖怪学は、人間の生活から、妖怪発生の温床ともいえる不思議だと思うことや不安をかきたてることを除くことができるのだろうか、人間は妖怪を完全に否定して生きられるのだろうか、と自問しつつ、その答えを求めて妖怪信仰の実態を多角的に解明しようとする。そこでは、妖怪が即「迷信」であり、撲滅すべきものとはみなされない。そういう側面が今日では与えられているが、人間が精神生活・社会生活を営んでいくうえで重要な役割を果たしているという側面もあることを認めようとする。さらにそれがその時代の社会の様子を描き出すきわめて有効な手段として利用されていたこともあることを見いだす。たとえば、幕末の安政の江戸大地震(一八五五)のさいに、今日「鯰絵」と呼ばれる刷り絵のたぐいが大量に江戸市中に出回った。大地の奥深くにいる大鯰が地震を引き起こすのだという当時の民間信仰(今日では「迷信」とされる)に基づくもので、人々はその絵を地震除けの護符(安心の獲得)にしたり、その絵に社会の矛盾が描かれているのを読み取ったり、来たるべき新しい世のなかの到来を予感したりしていたのである。こうした欲求は地震鯰の信仰を否定しても、欲求それ自体を否定したわけではないので、新しい状況に対応する形で別の象徴物が発現してくるといっていいだろう(4)。

こうした「妖怪学」を構想していたのが、民俗学者の柳田国男だった。そして、その柳田国男の「妖怪学」の延長上に、その後の必ずしも多いとはいえない妖怪研究が展開されてきたようである。そして、私の研究もこの流れのなかに位置づけられるべきものだと考えている。

柳田国男の妖怪学

右に述べたように、柳田国男は、井上円了の「妖怪学」に対抗するかのように、それとは異なる妖怪研究を提唱した。しかし、柳田の妖怪研究への関心は、井上の研究に対する反発だけではなかった。彼が妖怪研究に向かうことになった直接のきっかけは、風俗史家の江馬務の『日本妖怪変化史』(5)が刊行されたことによっているように思われる。江馬の著作は小さなものであったが、日本の説話や絵巻、図絵などに描かれた妖怪を歴史的にたどりながら、その分類や属性を解明しようとした最初の試みであった。実際、この本が刊行されたあとあたりから、柳田は妖怪研究に精力的に取り組んでいる。井上や江馬の仕事に刺激され、そしてそれに不満を感じて、民俗学からの妖怪研究の必要性を感じ取ったのであろう。

柳田はしばしば井上と同じように「妖怪学」という呼称を用いている。しかし彼はそれを独立した学問とは考えず、民俗学の一分野として位置づけた。というのは、彼が発見し学問の対象にした「民俗社会」(彼ははじめは「民俗」という用語を用いるのを嫌い、「郷土」とか「民間伝承」といった言葉でそれを表現しようとしていたが)それ自体が、近代化によって否定されようとしていた社会であった。そしてその社会は妖怪を信じその伝承を豊富にもっていたのである。したがって、柳田は妖怪研究をする必要を痛感していたのだ。もっとも柳田の民俗学において妖怪研究はあまり強調されているとはいえない。主な仕事としては、「妖怪談義」(6)以外には「幽霊思想の変遷」(7)「狸とデモノロジー」(8)などがあるにすぎないのだが、「巫女考」(9)「一目小僧その他」(10)を初めとして多くの民間信仰・伝説・昔話などについての著作が妖怪にも関係する研究であって、見方によっては柳田の民俗学は妖怪研究と密接な関係をもった内容になっているといっていいだろう。

柳田国男は、妖怪研究において主として次の三点を強調した。その第一は、全国各地の妖怪種目(種類)を採集し、その分布を知る。第二は、妖怪と幽霊の区別をする。第三は、妖怪の発生を神の信仰の衰退とみなすことで妖怪を説明する。このうちの第一点は、妖怪研究の基礎作業で今日でも重要なこととされているが、第二点と第三点は、その後の研究によって、いろいろと異論が出てきた。

柳田は、妖怪と幽霊を次のように区別する。妖怪(お化け)は出現する場所が決まっているが、幽霊はどこにでも現れる。妖怪は相手を選ばないが、幽霊の現れる相手は決まっている。妖怪の出現する時刻は宵と暁の薄明かりの「かわたれどき」(たそがれどき)であるのに対し、幽霊は夜中の「丑満つ時」(丑三つ、まよなか)である。この分類はその後の妖怪・幽霊研究の指標となった。

しかし、この分類は妖怪と幽霊の違いを考えるときの目安になるが、具体的に事例を検討するとこれにあてはまらない例が多いことに気づく。たとえば、いわゆる「お化け屋敷」に出現する「妖怪」をみてみると、寛延二年(一七四九)の出来事を記したとされている『稲生物怪録』(11)に描かれているように、毎晩のように、次々にさまざまな「妖怪」たちが出現してくる。この「妖怪」は「恨めしや」と出てくる幽霊ではない。これによっても、妖怪の出没時刻が「かわたれどき」に限られないことがわかる。また、同じ「お化け屋敷」でも、かつての所有者などの幽霊がたんにその家を借りて住んでいるだけの、縁もゆかりもない人の前に現れることがある。この場合は、幽霊にも出現する場所が決まっているものがあり、しかも相手を選ばないわけである。

柳田の研究を発展させようとした研究者も妖怪と幽霊を区別しようとしているが、柳田の分類にあてはまらない事例が多いのに苦しんでいる。たとえば、池田弥三郎は『日本の幽霊』(12)のなかで、多くの例外のあることを認めつつ、妖怪・幽霊のたぐいを、特定の場所に出る妖怪、人を目指す幽霊、家に憑く怨霊、の三つのカテゴリーに分けており、諏訪春雄はさらに慎重に「もともと人間であったものが死んだのち人の属性をそなえて出現するものを幽霊、人以外のもの、または人が、人以外の形をとって現われるものを妖怪というように考えておく」(13)としている。

「幽霊」については諏訪の定義が現在においてもっとも妥当だと思われる。しかし、「幽霊」を除いた、その他の「信仰性を失って人間に悪意を持つようになったカミ」を「妖怪」とするについては、私自身は異なった考え方をもっている。というのは、「幽霊」と「妖怪」を分離・対立させて定義したとき、その上位概念つまり「幽霊」と「妖怪」の双方を包み込んだカテゴリーを指示する名称が見つからないからである。たしかに、「お化け」という語はばけるもの、つまり「化け物」を畏怖するところから生まれた語であるが、しかし、実際には「お化け」といいつつ「幽霊」を意味していたりすることが多い。そうしたことをふまえ、私は「妖怪」を「幽霊」と同じ次元の異なるカテゴリーと考えるのではなく、その両者を包み込んだもう一つ上位の概念として規定しようとしているのである。この次元での「妖怪」(祭祀されていないカミ)に対置される概念ないしカテゴリーは、「神」(祭祀されているカミ)と「生きている人間」である。「幽霊」とはこうしたレベルの「妖怪」の下位概念といえるのである。とすると、「幽霊」の上位概念として「妖怪」という用語を使うとすれば、「幽霊」に対置される「妖怪」をどのように表現すべきかという問題が生じてくる。私は「ばける」という特徴に注目し「化け物」とするのがいいのではないかと考えているが、いかがなものだろうか。あるいは諏訪の説を採って、上位概念の「妖怪」のほうを別の用語にするのもよいであろう。これについては、本書のなかで、もう少しくわしく議論している。

柳田の妖怪論の第三の特徴として挙げた、妖怪の発生を神の信仰の衰退とみなすことで妖怪を説明できる、という仮説についても問題が多い。この点も本書のなかで検討していることであるが、ここでも多少論じておこう。

柳田は日本人の信仰の歴史をふまえつつ、神の零落=妖怪への人間の対応の変化を「カッパ」を例にしながら四つの段階に区分する。第一段階は人間がひたすら神を信じ、神が現れれば逃げ出すという段階で、カッパ(水の神)が人間の前に出現して相撲をとろう、といっても逃げ出すことになる。その結果、出現場所はカッパの支配地となる。第二段階は神への信仰が半信半疑となる時代で、カッパを水の神として信仰する気持ちがまだある一方で、その力を疑う気持ちが生じてきたというわけである。この時期がカッパが神から妖怪へと変化する過渡期ということになる。第三段階はカッパを神として信じなくなり、知恵者や力持ちがカッパと対決し、これを退治してしまう時代である。カッパが完全な妖怪になってしまったわけで、これが現代(大正から昭和初期の時代)だという。そして第四段階として、愚鈍な者がカッパにばかされる程度になり、やがて話題にもされない時代がくる、と予想している。その時代が私たちの現代ということになるだろう。

この仮説のいちばんの問題点は、日本の信仰全体の歴史を繁栄から衰退へと変化しているということ、個々の妖怪の歴史もやはり繁栄から衰退へと向かうということ、それぞれの時代にはその時代なりの神や妖怪がいることを、はっきり把握し区別しないまま論じているために生じているように思われる。

まず、日本の信仰全体の歴史を繁栄から衰退へと変化しているという考えは正しい指摘であろう。一○○○年前のある個人の信仰心と現代の個人の信仰心を比較したならば、明らかに現代人のほうが信仰心は少ないといえる。現代でも信仰心の厚い人も多いが、一○○○年前に比べれば割合が減っているというのも理解できる。私たち現代人の日常生活において神や仏にかかわる部分は大きく減少してきているのである。しかし、この信仰衰退史をもって、神が妖怪に零落したとするのは誤っている。信仰の衰退とは、神についての信仰の低下とそれに対置される妖怪の信仰の低下が、同時に生じていることなのである。つまり、時代が下るにつれて、信仰される神が減少し、逆に妖怪が増加しているわけではなく、神も妖怪もその活動領域が狭まっていったのである。いいかえれば、時代をさかのぼればさかのぼるほど、神や妖怪の両者の活動領域はともに拡大していくことになる。当然のことながら、古代には古代なりのたくさんの妖怪が活動していたわけである。ただし、ここでいう「たくさん」とは妖の種類が多いということではなく、妖怪の仕業にされる事柄が多いということを意味している。

日本の妖怪の歴史をたどってみると、古代に勢力をふるった妖怪、中世に勢力をふるった妖怪、近世に勢力をふるった妖怪、等々、時代によって妖怪にも盛衰がある。たとえば、天狗の盛衰史、鬼の盛衰史、幽霊の盛衰史、カッパの盛衰史、口裂け女の盛衰史などを、私たちは個別に描きだすことができるが、これは信仰盛衰史とは直接関係するものではない。実際、信仰盛衰史の最先端に位置する現代でも、あいかわらず幽霊は活躍しているのだ。つまり、中世に勢力を誇った天狗族は近世になってあまり元気でなくなるが、その一方で、中世にはみられなかったカッパ族が農村を中心に勢力を誇るようになるというわけである。

さらに、妖怪一つひとつの個体史についても、その盛衰・属性変化を認めることができる。つまり、人々に害を与える妖怪が、祀られて人々に繁栄をもたらす神になったり、追放・退治されたりする。妖怪の個別史ともいうべき個体史のレベルでも、神の零落としての妖怪という仮説は、その個体史の部分的な把握にすぎないのである。

柳田国男の妖怪研究以降の妖怪研究は、こうした柳田の仮説を意識しつつその延長上に議論を展開したり、その仮説に触れずに、柳田が具体的に展開しなかった妖怪の実態を明らかにしたり、その仮説の吟味・批判から新しい妖怪研究の可能性を探ったりする形で展開してきた。日本の妖怪の本質と歴史、その分布を考えようとする「妖怪学者」にとって、今日の観点からいえばいろいろと問題はあるにせよ、柳田の「妖怪学」は妖怪研究の出発点の位置を占めているのである。

柳田以降の妖怪学

柳田国男が明治から昭和にかけて発表した妖怪関係の論文を集成した『妖怪談義』を昭和三一(一九五六)年に刊行してから、半世紀以上になる。その間の日本の妖怪の歴史と本質を探究する妖怪学の動向はどうなっていただろうか。主要な研究を、私の関心に沿って簡単にたどってみよう。

柳田の研究以後、妖怪文化の研究は、長い間低調の時代が続いた。阿部主計『妖怪学入門』(14)や阿部正路『日本の妖怪たち』(15)、今野円輔『怪談』(16)といった、日本の説話や芸能、民間伝承に現れた妖怪を紹介・解説する著書があったが、妖怪研究をそれほど進展させる内容ではなかった。しかし、妖怪研究ということを前面にうちだしてはいなかったが、この間、いくつかの注目すべき妖怪研究が刊行されている。

その一つは石塚尊俊の『日本の憑きもの』(17)である。これは「オサキ」「クダ」「イヌガミ」といった人に乗り移り病気や死を生じさせるという妖怪動物、いわゆる「憑きもの」を分布から属性、社会的機能、歴史にいたるまで多角的・総合的に論じたもので、民俗社会のなかに生きている妖怪動物の実態をじつにくわしく解明している。私の妖怪研究の出発点になった『憑霊信仰論』(18)も、この石塚の研究に刺激を受けて生みだされたものであった。

これに少し遅れて、日本の歴史と怨霊系の妖怪・妖異の恐るべき関係を明らかにした谷川健一の独自の民俗学研究が現れる。『魔の系譜』(19)はその代表作で、「普遍的な発展の法則にしたがっている日本歴史の裏側に、もう一つの奇怪至極な流れがある。それは死者の魔が支配する歴史だ。(中略)この魔の伝承の歴史――をぬきにして、私は日本の歴史は語れないと思う」と述べているように、この研究は、歴史における弱者や敗者が、死を契機に、怨霊となって強者・勝者を攻撃する(と信じられた)伝承の歴史を浮かび上がらせる。私がこの仕事から受けた衝撃はまことに大きかった。妖怪(怨霊=敗者)が生きている人間(勝者)を支配している。日本の歴史の形成にはじこの怨霊が重大な役割を果たしている。怨霊はそれを実現させるために「祟り」とか「呪い」と呼ばれる神秘的方法を用いた。こうした指摘は、私のそれまでの歴史観を大きく変え、妖怪の歴史が人間の歴史と不可分の関係にあるという、私の妖怪研究の基礎となったのである。谷川には、この他に鉱山文化と鬼や一つ目小僧などの妖怪を論じた、『青銅の神の足跡』(20)や『鍛冶屋の母』(21)などの研究がある。

民俗社会の調査に基づく研究はほとんど存在していないが、特定の地域における妖怪の伝承の実態を報告した井之口章次の論文「妖怪の地域性」(22)や、四国のノツゴという妖怪を民俗資料・文献史料の双方から解明しようとした桜井徳太郎の『民間信仰』(23)、カッパの民間伝承をくわしく整理・分析した石川純一郎の『河童の世界』(24)などが注目をひく。

文学の分野からの妖怪研究の注目作は、馬場あき子の『鬼の研究』(25)で、説話文学や謡曲の作品を考察しながら、抑圧された人間の情念(怨霊)が鬼になったことを解き明かしている。鬼の文学・芸能から人間がかかえる心のひだに分け入り、その「闇」の奥深くをのぞき込んだこの作品は、谷川の荒々しい人間の心から生まれる妖怪の歴史の研究に対し、人間の弱く繊細な心から生まれる妖怪を描いていて対照的である。最近は、鬼の文学や芸能、さらには美術についての基礎資料がたくさん紹介されているが、長い間、鬼のまとまった研究はこの『鬼の研究』であった。国文学の分野からの鬼の研究として忘れることができないのは、佐竹昭広の『酒呑童子異聞』(26)である。さらに、鬼の代名詞ともなっている酒呑童子伝説を、物語絵巻などの諸本を手がかりにその成立過程を考察したこの著作によって、酒呑童子が「捨てられた異形の童子」として、文字どおり再びその姿かたちを私たちの前に現したのである。

見逃すことができないのは藤沢衛彦の幅広い視点からの一連の伝説研究(27)で、妖怪伝説や絵巻などについて多くの新資料を発掘し、整理を行なっている。彼の仕事は今日あまりかえりみられないが、江馬務の『日本妖怪変化史』の延長上に位置づけることで、その研究の性格がみえてくると思われる。

さて、こうしてみると、柳田以降も、妖怪研究は盛んだったと思われるかもしれなない。しかし、こうした整理は、今日の立場からの、それも妖怪研究に関心をもってきた私の立場からの整理であって、これらの研究は「妖怪学」とか「妖怪研究」といった形をとっていなかったのである。おそらく、そうした仕事が「妖怪学」とか「妖怪研究」ということを前面に出したならば、その内容が優れたものであっても、いかがわしい本、人の好奇心をひきつけて金儲けしようとしている本とみなされかねなかったであろう。妖怪=迷信=現代人に不要なもの、といった雰囲気が、ちょうど高度成長期にあたっていた当時の日本には蔓延していたのであった。実際、私たちの現実世界から、本書の第一部で論じているように、「闇」が、「妖怪」が消滅していったのが、この高度成長期であった。

しかし、一九八〇年代に入って、こうした事情が大きく変わってきた。人々のあいだに妖怪に対する関心が生まれてきたのである。

私たち「妖怪学者」の仕事がそれをうながしたのか、それともこれまで妖怪を排除・撲滅する運動に身を任せてきた庶民がその消滅を目前にして、かつての妖怪文化に郷愁を覚えたのか、あるいは、それとは異なる現代社会・文化の事情があったのか。いずれにせよ、このころから一般の人々の妖怪への関心が高まってきた。ちょうど、そのような時期に刊行されたのが、宮田登の『妖怪の民俗学』(28)であった。

宮田はこの著書で、柳田の妖怪学を尊重しつつその枠組みをふみ越えて、前近代の都市の妖怪から現代の実生活やフィクションの世界の妖怪まで範囲を広げて妖怪を論じている。「現実のわれわれの日常生活には、不可思議な世界が生き残っており、しかもそれが現実に機能しており、そして何かの意味を日常生活のなかにもたらしているのだ」と説き、妖怪が遠い過去の世界や滅びゆく農村世界のことだけでなく、現代人の問題とも通底する問題をはらんでいることを訴えた。

興味深いのは、宮田が女性に特別な霊力を見いだしてきた日本の伝統の延長上に、現代の妖怪譚の語り手としての女性たちを現代都市のなかに発見していることである。彼はその著書の意図を次のようにいう。「われわれは民俗資料が、都市からしだいに消滅していくことがしばしば指摘されていることを知っている。しかし、一つの傾向から言えば、民俗は再生産されていくものであり、狐や理の仕業と言われている妖怪変化の具体像は、形を変えて、かつ若い女性を通しながら、やがてさまざまな形で今後も拡大発展していくと予想される。都会に住み、さっそうと町を歩く若い女性たちが、妖怪たちを現実化させる存在であるということを何気なく察知することが、いわば本書の一つの目的でもあったのである」。

農村地域で伝承されていた妖怪は、都市化の波とともに消滅していった。そうした地域では過疎化によって伝統的な妖怪譚の聞き手を失い、後継者を見つけられずに語り手も減少していった。しかし、人口の増大する現代都市では、妖怪否定の科学的言説を知りつつも、現代都市にふさわしい妖怪譚を語り育てる若い女性たちがいて、彼女たちがいるかぎり、妖怪は生き続けるであろうというのである。なぜ彼女たちが妖怪譚を語りたがるのか。それこそが現代妖怪学に課せられた大きな課題の一つである。

ところで、じつは現代都市社会における妖怪譚の語り手は若い女性たちだけではなかった。学校に通う子どもたちも、優れた語り手であり聞き手であった。この事実を豊富な採集資料から明らかにしたのが、松谷みよ子の『学校』(29)や常光徹の『学校の怪談』(30)であった。

現代の妖怪たちにとって、学校はまたとなく居心地のよい場所であるらしい。驚くほど多彩な妖怪類が学校空間のあちこちに棲みつき、ところ狭しとばかりにひしめき合っている。しばしば彼らが引き起こす怪異現象は、不思議を待ち望む子どもらのうわさ話に早変りして、さまざまに取沙汰されながら、学園に好奇と恐怖にみちた波紋を広げていく。こうした怪異に敏感な状況は、程度の差こそあれ、小学生から、いや幼稚園児から大学生までをも包みこむ現象として、今日顕在化しているとみてよいだろう。しかも近年妖怪の仲間は増殖の傾向にあるとみえて、新種の妖怪が話題にのぼることも珍しくない(『学校の怪談』)。

こうした状況を前にして、井上円了の後継者として、若い女性や子どもたちは「迷信」に染まりやすい性格をもっていると、彼らのもとに出かけていって、妖怪たちの撲滅を続ける妖怪学者がいてもいいだろう。しかし、この一○○年のあいだのわずかな妖怪研究の蓄積が明らかにしているのは、子どもが、いや大人たちさえも、不思議や妖怪の出現を恐怖しつつ待ち望んでいるということである。それは人間の精神活動の重要な一部分を構成しているのだ。否定しても否定しても、次々に新しい妖怪がたち現れてくる。社会のなかに、現代人の心のなかに、恐怖や不安を引き起こすものがあるかぎり、「闇」があるかぎり、妖怪はうわさ話の形をとったり、フィクションのなかの妖怪たちに姿を変えたりしながら、生き続ける。その媒介者・愛好者が、若い女性や子どもたちだというわけである。ということは、彼らはその敏感な感受性で、社会の変調や歪み、秩序の乱れなどをそれとなく察知しているともいえるのである。

妖怪学は、というか日本の妖怪文化は、近年、まったく新しい時代に入ったかにみえる。多くの人々が妖怪に関心をもちだし、かなりの数の妖怪研究書や妖怪図絵、解説書のたぐいが刊行されだしたからである。それらの著作の内容ははっきりいって玉石混交である。しかし、こうした妖怪ブームの到来は、しっかりした内容の妖怪研究が期待されていることを物語っているのである。それに対応できるような「新しい妖怪学」が構築されねばならないのである。

もとより、本書がこのような状況に十分応えた内容を備えているわけではない。むしろその前提となるような基礎的な事柄を概観しているにすぎない。第一部で、民衆の妖怪信仰を支えてきた「闇」に焦点を合わせて日常生活のなかでの妖怪のあり方を探り、第二部では、日本の妖怪信仰の基本的特徴を考察しているにとどまっている。

だが、私は本書で、「妖怪」が日本人の精神構造を探るための重要な研究領野であり、したがって、いかがわしいイメージがつきまとっていた「妖怪学」はじつは「人間学」というにふさわしい学問に生まれ変わる可能性があることを、できるかぎり語り示してみたいと思っている。

小松 和彦 (著)
出版社 : 講談社 (2015/7/11)、出典:出版社HP

日本妖怪変化史

大正時代の妖怪研究を知る

本書は、大正から昭和にかけて活躍した歴史学者である江馬務氏が大正12年に発表した論文を収録したものです。これは、民俗学で有名な柳田國男氏による妖怪研究に先駆けて発表されました。この論文は、妖怪について細かく分類・分析しており、妖怪の定義・解釈について現代と異なる点もありますが、妖怪学の原点ともいえる貴重な一冊となっています。

江馬 務 (著)
出版社 : 中央公論新社; 改版 (2004/6/1)、出典:出版社HP

目次

自序

日本妖怪変化史

第一章 序説
第二章 妖怪変化の沿革
第三章 妖怪変化の生成ならびに出現の原因
第四章 妖怪変化の出現の時期・場所と景物
第五章 陰火と音響
第六章 妖怪変化の容姿と言語
第七章 妖怪変化の性、年齢、職業
第八章 妖怪変化の能力と弱点
第九章 結語

文芸上に表われたる鬼
火の玉

解説 香川雅信
索引

江馬 務 (著)
出版社 : 中央公論新社; 改版 (2004/6/1)、出典:出版社HP

自序

妖怪変化を目して一に主観的幻覚錯覚の心的現象より生ずるものであると断ずるは、近世の学者しばしば皆同ぜざるはないという傾向である。妖は人によりて起こるという金言や、幽霊の正体見たり枯尾花という俳諧はけだし這般の消息を喝破し尽していると思う。しかしながら吾人の専攷せる風俗史の見地から、この妖怪変化の現象を観るときは、これが実在しょうがせまいが、かくのごとき枝葉の穿鑿は無用のことで、過去において吾人の祖先がこれをいかに見たか、これを実見していかなる態度を取りこれに対したかをありのまま、毫もその間に仮作の攙凜入なく材料を蒐集して組織的に編纂すれば、風俗史家の能事を終れりとすべきである。しこうして輓近の学界においてこの種の研究がある程度まで必要を感ぜられているにかかわらず、私の寡聞未だこの種の研究のやや纏まったものの世に出ているのを聞かない。私は夙に妖怪変化の話を嗜み、三高に在学せる頃すでに文学上より見たる幽霊という小冊子を手細工で作ったこともあり、爾来これを補訂して世に出したく思っていたが、大正四年からやや社会的に活動して来た私の主宰する風俗研究会において大正六年京都俱楽部において幽霊に関する書画展覧会を催したとき、陳列された多数の材料を補って同年十月「文学絵画上に見ゆる幽霊」を起草して、京都帝国大学文学会発行の「芸分」誌上に寄稿した。後大正八年九月三日風俗研究会は京都大雲院内家政高等女学校講堂に妖怪変化に関する書籍絵画を展観したが、また珍奇なる新材料が多数一時に集ったため、風俗研究会の機関誌「風俗研究」第二十に妖怪の史的研究と題して、主として妖怪の歴史的変遷を記し、巻末に芸文の前記幽霊に関する論文を付加して発行した。しかるになにしろ前古未曾有の珍書という呼び声高く、発行するや否や旬日を出でずしてたちまち売切れとなり、その後諸方から註文頻々たるにかかわらず、すべてその需に応ずることが出来なかった。その後私は京都絵画専門学校校友会の機関雑誌たる「美」に「文芸上に現われたる鬼」を寄稿し、爾来閑を偸んでなおこの種の材料の蒐集を懈らなかった。

近来風俗史の研究は漸次旺盛に赴き、私の邸を訪ずれる博雅の士もいよいよ多く、皆口を揃えて妖怪に関する書の再版を慫慂せらるるあり。私はすなわち学友として親呢なる江藤澂英氏の勤務しておられる新興気鋭の中外出版株式会社に江藤氏を通じてこの出版を諮ったところ、たちまち快諾せらるるところとなり、ついに本書のかく美装を凝らして発兌を見るに至ったのである。

本書は前述の趣旨によって編纂されたものであるから、その史料としては、一も創作家のみすみすの純仮作的作品は採らなかった。これ後世妖怪変化を多く取扱うている京伝、馬琴、種彦等の作品を採用せなかったゆえんである。しかしながら少々疑しいものでも伝説はことごとく採用した。もしこれを採用せなければ、到底編纂の運びに至らないからであった。その挿画は一も画家の実見したものもなく、また実見者からわざわざ聞いて特に揮毫せられたものも少ないと考えるが、当時の画家が口碑伝説のままに想像上から描出したものであるから、これは採用した。それでその参照した史料は一々その記事挿画の箇所に小字をもって記入しておいた。記事にも挿画にもともに御覧のごとくずいぶん荒誕無稽のことがあって、われながらいささか逡巡せざるを得ぬものもあったが、思い切ってこれも挙げて収用した。けだしこれ今日でこそ荒誕無稽なれ、その時代にはすべて真実と思っていたのであるから、これによって時代時代の思想を知るの一助になろうと思ったからである。読者はこの辺をよく諒察のうえ読んでいただきたい。

それから今一つ本書は妖怪変化史というといえども、明治以後にはまったく言及せなかった。これ明治以前と以後との境には明確なる一大溝渠があって、明治以後はすべてこれを客観的現象として観ず、一にその観者の心象と信ずるに至り、かつ文明の向上はこの種の例をいちじるしく減少せしめたからである。しこうしてかの妖怪学の泰斗井上円了博士の妖怪変化に関する著書などは、この明治以後において詳細であるから、本書を読まれし後に繙かれなば、上下三千年の妖怪変化の沿革は歴然として明らかなるものがあろう。

本書を編するに当りては、表紙絵および多数の挿画は風俗研究所の蔵本や会員諸君から借用した書物から抜萃し風俗研究会幹事小早川好古君、会員斎藤黒零君に模写を乞い、その余の挿画は風俗研究の妖怪の史的研究より抜抄した。またコロタイプ版の絵巻物はすべて京都絵画専門学校の所蔵に係るものであり、京大写真部山本君を煩わして撮影を乞うたその余の錦絵はまた好事家の珍蔵から撮影したもので、かつて芸文に出たものもある。また本書を出版するに当りては終始中外出版の江藤澂英氏に非常な尽力に与った。ここに絵画専門学校図書係堀十五郎氏およびこれらの諸君に対して厚く感謝の意を表する。

最後に私は風俗史を志して十有三年過去における上は至尊より下は乞丐の徒に至る各種風俗を考察して、現在に及ぼし未だ浅薄とはいえいささか一般的の研究を終った。今またここにその来世と神秘の世界を討究し得て、学は三界にわたるを得たのはわれながら欣快に堪えない。これを機として今後は研究の方針をも一転し、ますます専攷の学に一身を捧げたいと思う。
大正十二年八月下浣

俗研究所において
江馬 務識

江馬 務 (著)
出版社 : 中央公論新社; 改版 (2004/6/1)、出典:出版社HP

日本妖怪変化史
第一章 序説

日本の妖怪変化の変遷を説くに際して、まず妖怪変化の意義を確定しておく必要がある。大概の辞書を見れば、「妖怪」は変化と解し、「変化」は妖怪と解し、両語同一の義にとっている。しかしながら私は、年来この方面を研究して、明らかにその意義に差異あることを認めている。それで私の日頃考えている両語の意義を述べてみれば、「妖怪」は得体の知れない不思議なもの、「変化」はあるものが外観的にその正体を変えたものと解したらよいであろう。

こういえば、読者はこういわれるかも知れない。――昔も今も理は一つである。妖怪変化などいうものは世にあるはずのものでない、なるほど、あるいは主観的には存在するかも知れないが、客観的に存在しないから、今日、自動車だの飛行機などの動いている世に、こんな世迷い言は聞くにあたらぬ、と。一応は、ごもっともである。しかしながら、そうした論議で楯つく読者と、私との見地は、根本的に異なっていることをまず自覚していただきたい。本書は、妖怪変化を実在するものと仮定して、人間との交渉が古来どうであったか、換言すれば、われわれの祖先は妖怪変化をいかに見たか、いかに解したか、いかようにこれに対したかということを当面の問題として論ずるのである。

さて妖怪変化を論ずるにあたってまず論ずべきは、彼らの本体である。それを研究すると、
一、人
二、動物
三、植物
四、器物
五、自然物
の五種、およびこれらのうちのいずれか一つに類似した本体のわからないものとなる。この五種に類似したものは、すなわちこの五種に的確に入らないものであるから、「妖怪」と名づけるのが適当であろう。たとえば、川の中に住んでいる「河太郎」(河童)、海の中の「海坊主」というようなものである。また、単に動物に類似しているといっても、猿に似ているというような単純なのでなく、ある部分は猿に似、ある部分は虎に似、ある部分は蛇に似ているというような、きわめて複雑なのもある。源三位頼政に退治られた「鵺」というやつは、すなわちそれである。

次に一言しておくべきは、「化ける」ということである。変化に属するものは、すなわちこの化けることを特徴としている。化けることを静かに考察すると、
一、現世的 精神的
二、輪廻的 実体的
の四種がある。現世的に化けるとは、現世において、そのものの一種の能力により魔力に拠ってまったく前の姿態と変わったものとなることで、狸や狐の化けるのは、すなわちこれに属する。輪廻的に化けるとは、宗教的思想に拘束された結果起こったことのようで、死して後、すなわち後世で、また別の正体となることである。すなわち幽霊の類がこれに属する。しかしてこの変化の化け方の両方便がまた、精神的なのと、実体的なのと、二種に分類することができる。精神的というのは、その変化の精神だけが化けものの活動をするので、正体は実現されないものである。たとえば人の生霊というもののごとく、現在生存せる人の精神がさまざまの方面に働くのである。実体的というのは、これに反して、化けものが正体を現じて、ある活動をする場合である。しかるに妖怪は、変化に比すると、大概は融通のきかぬ手合が多く、たいてい勇士にかかると三尺の秋水などで斬り伏せられ、死んでしまって、お終いである。

ただ、ここにちょっと断っておくことは、妖怪と変化とはその区別が劃然としていないことで、たとえば「鬼」のごとき、人が死して鬼になることもあり、また妖怪として鬼というものもあり、かく両者共通のものもあることで、これはそのつど考えねばならぬ。

以上述べた妖怪変化はわれわれの祖先とはさほど縁の遠いものでなく、古からずいぶん密接な関係を有していて、現にあちこちに怪談が絶えず、狸に誑かされた人もあれば、枯尾花ならで幽霊を見た人もある。試みにわが国上下二千年の歴史を通覧すれば、この種の記事の散見しないことはないくらいである。しかしてこの妖怪変化がまた、時代によってさまざまに異なった色彩をもち、特殊な活動をとげている。あたかも人間の世界と軌を等しくしているのも可笑しいではないか。これから、まず眼を転じて、妖怪変化の沿革と種類から記していこう。

江馬 務 (著)
出版社 : 中央公論新社; 改版 (2004/6/1)、出典:出版社HP