ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか? 生命科学のテクノロジーによって生まれうる未来

ゲノムとはその人がもつ遺伝情報のことです。私達一人一人の外見や体質が違うのはゲノムに刻まれた情報がわずかに違うからです。今回紹介する「ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか」では今後社会で間違いなく浸透していくであろうゲノム技術についての知識を深め、来たる未来に備えることができます。

全目次 ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか?
[PROLOGUE]はじめに
私がここにきた理由
大学を飛び出したからこそできる新しいゲノム解析
ゲノムから似顔絵を描く未来
進歩するテクノロジーと人々の不安
テクノロジーの進歩と私たちの理解のギャップを考える

[Chapter1] テクノロジーが生物学を変えた
100歳の男性が父親になる日
未来のがんチェックはトイレで
ゲノムに刻まれた私たちの祖先
生物学・テクノロジー=生命科学
期待されすぎたヒトゲノム計画
ゲノムを知る時代が当たり前になる
成長が著しく、予想しづらいのがテクノロジー
生命科学は大量の生命データを相手にする
タイミングの予測はできるか
テクノロジーの「流れ」を知ることならできる

[Chapter2] ゲノム解析はデータ収集から始まる
生命の法則性とは「生命現象の再現・予測・変化」
法則性の解明にはデータが必要
遺伝子の一本釣りから底引き網漁法へ
ジーンクエストも、生命の法則性の解明を目指している
ジーンクエストのデータの信頼性をチェックしてみた
インターネットの活用が生命科学研究を変える
仮説構築力からデザイン力へ
30万人のデータをもとに高学歴遺伝子を発見
アートと実利、サイエンスの二面性
ジーンクエストの研究でモテ期遺伝子が見つかるかも?

[Chapter3] 「私」のすべてがデータ化されていく
ゲノム解析は当たり前のテクノロジーになった
アメリカ100万人、イギリス10万人、アジア10万人
ポジティブ遺伝子の探索が始まった
テラバイトのゲノムデータをどこに保存するか
ゲノムデータをシェアする時代へ
遺伝子は企業の特許?
ゲノム以外のデータも集められている
「腸内細菌」までもが徹底的に調べられている
ウェアラブルデバイスは今後どう使えるか
生命データが加速度的に集約されていく
そして、あらゆる生命データが統合されていく
データが活用されることへの期待と不安が生まれる

ゲノムで持ち主の顔がわかる!?生命科学のテクノロジーによって生まれる未来!

注目されているテクノロジー進歩の一つにゲノム解析があります。これまでゲノム解析は病気の原因に注目したものがほとんどでした。しかし筆者はゲノムのどこが何に関係しているのか、ゲノムそのものの明らかにすることに興味を持ち、新しいゲノム解析を行っています。今回は株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワンから発行されている、高橋祥子氏著の「ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか」について紹介していきます。

本書の著者はジーンクエスト代表取締役でもある高橋祥子氏です。高橋祥子氏は1988年生まれ、大阪出身。2010年京都大学農学部卒業。2013年6月、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在籍中に株式会社ジーンクエストを設立。生活習慣病など疾患のリスクや体質の特徴など約300項目に及ぶ遺伝子を調べ、病気や形質に関係する遺伝子をチェックできるベンチャービジネスを展開。第2回日本ベンチャー大賞、経済産業大臣賞など、多くの賞を受賞し、今注目の研究者であり起業家です。

本書は5つの章で構成されています。第1章「テクノロジーが世界を変えた」では小中高で学んだ生物と現在の生物学の違いについてテクノロジーの登場とともに説明してくれます。第2章「ゲノム解析はデータ収集から始まる」では筆者が設立したジーンクエストについて書かれています。第3章「『私』の全てがデータ化されていく」ではゲノムだけでなく、私たちのあらゆる生体情報をデータ化して解析することで生命の謎を解明しようとする取り組みを紹介しています。第4章「生命科学のテクノロジーが『私』の理解を超えるとき」では、なぜテクノロジーの発展に人々や社会の理解が追いつかないのか書かれています。第5章「生命科学の『流れ』を知れば『私』の世界と未来が見える」ではテクノロジーを有効活用するために一人ひとりができる心構えを述べています。

テクノロジーの進歩は人に希望を与えるとともに時には嫌悪感を抱かせることがあります。例えば、iPS細胞の技術を応用し、すでに皮膚に分化した細胞から精子を作ることが出来れば生殖能力が低下した100歳でも父親になることができます。また、ゲノム編集の進歩により受精卵のゲノムを編集することが出来れば思い通りの赤ちゃん、つまり、デザイナーベビーを授かることが可能になるというものです。100歳の父親もデザイナーベビーも世間には簡単に受け入れられるものではありません。

しかし、それはテクノロジーの進歩するスピードが私たちの理解できるスピードを超えてしまったためと筆者は言います。筆者による本書の目的はテクノロジーの進歩と私たちの理解の溝を埋めるためとしています。テクノロジーのメリットとデメリットを理解し今後の流れを予測できればテクノロジーは恐れるものではありません、本書を通してテクノロジーの未来について考えてみてはいかがでしょうか。

高橋 祥子 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2017/9/14)、出典:出版社HP

[PROLOGUE]はじめに

2014年10月4日、宮城県仙台市。
私はある学会の公開セッションに、パネルディスカッションの登壇者として参加しました。この公開セッションには、多くの聴衆が集まり、その様子がTwitterでハッシュタグ付きで実況されるほど盛り上がっていました。
私が登壇したのはセッションの後半ですが、その前半では、3人の研究者がある課題に挑みました。課題は、次のようなものでした。

「ある人物Xのゲノム情報を渡すので、どのような特徴があるのかを解析し、Xが誰か当ててください」

ゲノムとは 、その人がもつ遺伝情報のことです。A・T・G・Cのアルファベットが並んだ様子をイメージしてみましょう。これらの記号が暗号となって、私たちの体を作るための情報を刻んでいます。
私たち一人ひとりの外見や体質が違うのは、ゲノムに刻まれた情報がわずかに違うからです。つまり、ゲノム情報は人それぞれなのです。個人の違いはゲノムの違い。これが「ゲノムは究極の個人情報」と言われる理由です。
今後社会に間違いなく浸透していくであろうゲノム技術とどう向き合えばいいか、そのために解決すべき課題は何か。それを議論するためのパネルディスカッションの登壇者の1人として、私は学会に呼ばれました。

私がここにきた理由

なぜ私がこのような場に呼ばれたのかというと、私が事業としてゲノムというデータを扱っているからです。私はもともと、東京大学でゲノムを活用した研究をしていました。研究者としての知見をいかしながら、2013年にその研究室の仲間と「ジーンクエスト」という会社を立ち上げ、翌年からゲノム解析サービスを提供しています。
このサービスでは、300万から1000万箇所あると言われているゲームの個人差のうち約 30万箇所を調べます(2017年8月時点)。そして、学術論文で病気リスクや体質との関係が報告されている箇所については、それがどの程度関係しているかという情報を、ユーザーに提供しています。
例えば「この箇所は痛風と関連していることが報告されており、あなたと同じ遺伝子型をもつ人が痛風を発症するリスクは平均の1.5倍です」「あなたと同じ遺伝子型をもつ人は体脂肪率が低めのタイプです」というように表示します。2017年8月の時点で、病気リスクや体質について約300項目を提供しています。
ジーンクエストで調べるゲノムの個人差は、言ってみればデータそのものです。ユーザーには、さらにアンケートをお願いしており、病気の有無だけでなく、体質や性格、そして顔立ちなどの情報を集めています。
ゲノムとアンケートというデータを組み合わせることで、今までのゲノム研究ではわからなかったことを明らかにできると考えているからです。

ここで少しだけ、私自身のことについて書きます。
私が育った家庭や親戚には医師が多く、企業に勤める人は身近にいませんでした。私の父から、「自分は医師という仕事に誇りを持っている」と、幼いときに聞きました。「お金を儲けること自体は、自分にとって価値がない。とにかく目の前の患者さんを助けるために手術をしている。利益を上げることが働く目的となってしまうのはナンセンスだ」と父がよく言っていて、そのような考えが小さいころから私の脳裏に刻まれていました。
日本では大半の人が企業に勤めるという働き方をしているのは間違いない事実です。しかし私は、先述のような環境で育ったため、資本主義はあくまで世界の中のほんの一部のことを指しているだけにすぎない、という理解が子どものころからありました。
父は私に言いました。「自分の好きな研究をできる環境に身を置くというのは素晴らしいことだよ」と。
サイエンスは、私にとって純粋で崇高なものに該当します。そこには果てしない不思議な世界が広がっています。RPGゲームの中で冒険するよりも、サイエンスの世界を探求するほうがずっと面白いです。すべてを解明するのはとても難しいことですが、そこに利己的な思惑はなく、サイエンスを前にするとすべての人が平等に、幻想的とも言える世界の謎を突き付けられます。そして、そこで発見したものは、自分やその周りの世界とつながっています。
このような考えから、大学ではビジネスのことは眼中に全くなく、京都大学の農学部、東京大学大学院の農学生命科学研究科で生命科学の研究に没頭しました。このまま好きな研究をしながら、将来は教授になり、ノーベル賞を受賞するような研究をしたいと思っていました。
しかし、12年間研究に携わる中で、実際には、研究するための研究費を獲得することにとてもたくさんの時間を費やしていました。特に、大学で昇格すればするほど、研究費獲得のための事務作業の割合は増えていきます。
自分の一生の命をかけてでも、生命のすべてを解明できるかどうかわからない難しい挑戦なのに、これでは到底太刀打ちできない、という葛藤と焦りが芽生えました。「研究をもっともっと加速し、研究成果をきちんと社会へ還元するには、このままではいけない」と半ば恐怖のように思い始め、それを実現できる仕組みを模索しました。
その結果が、株式会社を設立して資本市場に飛び込んでいくというスタイルだったのです。自分にとって、資本主義の外にある崇高で尊いサイエンスを追い求めるためにたどり着いた結果が、資本主義の象徴である株式会社の設立というのは逆説的で不思議なものです。
私が今、研究者兼起業家として挑戦しているのは、サイエンスの追及と資本市場のいいところを融合して、テクノロジーの力で世界を前へ進めることです。その結果、何がわかるかは誰もわかりません。だからこそ、探求する価値があると思っています。

大学を飛び出したからこそできる新しいゲノム解析

今までのゲノム研究は、病気の原因に注目したものがほとんどでした。もちろん、病気の原因を解明し、治療に役立てることが重要であるのは間違いありません。社会的インパクトが大きく、公共の利益のみならず、事業として直接の利益につながる可能性は高いです。
でも私は、病気とは直接関係なくても、ゲノムのどこが何に関係しているのか 、それを明らかにすることに興味をもっています。
例えば、ゲノム解析サービスの先駆けともいえるアメリカの23andMeという会社は、朝型か夜型かに影響するゲノムの箇所を見つけたと、『ネイチャー・コミュニケーションズ』誌(2016年2月2日付)で発表しました。これは、約9万人のユーザーによる朝型か夜型かの自己申告と、ゲノムの個人差を比較して明らかにしたものです。
今までなら、「朝型か夜型か、それと関係する遺伝子を調べたい」と言っても、それだけのためにアンケートへの回答をお願いし、どの遺伝子を候補に挙げるかを考えるというのは困難でした。研究にかかる労力や費用に比べて、研究成果から得られる社会的インパクトが小さい、いわばコストパフォーマンスが低いとして研究対象となっていなかったのです。
ところが、ゲノム解析サービスでは 、大勢のユーザーが「サービスを利用する」という名目で研究に参加してくれます。もちろん、ゲノム全体を解析する費用が劇的に下がっているという技術的な進歩もあります。
膨大なデータが集まることで、今まで知りようがなかった関係を探ることができるようになったのです。

皆さんの中には「朝型か夜型かどうかなんて自分が一番よく知っている。そんなことを知ってどうするんだ」と思う方がいるかもしれません。
でも、このような発見は、何か他の研究に役立つかもしれないのです。
この報告によると、朝型に影響するゲノム上の個人差の箇所を15箇所発見し、そのうち7箇所は体内時計に関係する遺伝子の近くにあったといいます。これらは、体内時計に何らかの影響を与えているだろうと簡単に予想できます。
ところが、残り8箇所については、なぜ朝型に関係するのか、これまでの体内時計や睡眠の研究と照らし合わせても、説明できるものではありませんでした。
体内時計や睡眠の機能のうち、まだ知られていない秘密がここに隠されているのかもしれないのです。そうと考えると、私はわくわくします。
さらに結果を分析すると、調べた9万人のうち、朝型の人は約4万人、夜型は約5万人と、ほぼ半分ずっとなっていました。なぜ、睡眠リズムは人によって異なるのでしょうか。
もしかしたら、集団生活する中で、睡眠時間が重ならないような多様性を作ることで生き延びてきたのではないか、と仮説を立てることもできま す。
社会生活でも、出社時間を決めて全員が一斉に仕事を始めるよりも、人によって出社時間をずらしたほうが効率的になるのかもしれません。一般には早起きするほうが効率がいいと言われていますが、ゲノムによっては夜更かししたほうが効率がいいという人もいるかもしれません 。
一見無意味に思える研究も、実は意外なところにつながることもあり、面白さを感じるところです。
ジーンクエストのゲノムデータとアンケートからも、私が考えもしなかった関係性が大量に見つかっています。今はまだ詳細に解析している段階ですが、誰も知らなかったことを明らかにしていく瞬間はやはり興奮します。
調べてみないと何につながるか、事前予想は難しいのですが、何がわかるかわからない、だからこそ探求する価値があるというのが、研究の面白さです。

ゲノムから似顔絵を描く未来

何がわかるかわからない、だからこそ探求する価値がある。
改めてそう実感したのが、最初に紹介した公開セッションのテーマ「ある人物Xのゲノム情報を渡すので、どのような特徴があるのかを解析し、Xが誰か当ててください」です。

読者の皆さんは、どう予想しますか。個人の特定とまではいかなくても、おおまかな似顔絵くらいは描けるのではないか、と考える方もいるかもしれません。
あるいは、性別や血液型くらいしかわからないかも、と考える方もいるかもしれません。

この公開セッションは「生命医薬情報学連合大会」という学会の企画です。生物学や医学、薬学を情報という観点からとらえ、研究する人たちが一堂に会する場所です。
そして、この課題に挑んだ3組の研究グループとは、ゲノム情報というデータを扱う方たちでした。
彼らが相手にするのは生き物そのものではなく、生き物がもつデータです。そのため彼らは、バイオインフォマティシャン (日本語にするなら「生命情報学者」といったところでしょうか)と呼ばれています。
公開セッションはややエンターテインメント色が強く出ていて、司会は「バイオインフォマティシャンは探偵である」と煽るほどでした。つまり、ゲノム情報から持ち主Xを推理してみせよ 、ということです。

さて、結果はどうなったのでしょうか。
性別は男性、血液型はA型、アルコールを飲んでも赤くならない体質、近畿地方出身の可能性が31パーセント……。こういったことが、研究グループの代表者である3人のバイオインフォマティシャンによって推測されました。そして確かに、これらの特徴は当たっていました。
ところが、個人を特定するどころか、似顔絵を描くことすらできませんでした。

この結果から、皆さんは何を思いますか。やはり、ゲノムや遺伝子から個人は特定できない、顔なんてわかるわけがない、と考えるかもしれません。
しかし、それは違います。少なくとも、今は。
現在のゲノムの研究の多くは、病気との関係を調べるものとなっています。病気を引き起こす遺伝子、あるいは発症のリスクに関わる遺伝子については世界中で研究されていて、その成果も多く上がっています。
ところが、ゲノムと顔の関係については、まだあまり研究されていません。ゲームから顔や性格がわからなかったのは、ゲノムと顔が無関係だからではありません。ゲームのどの部分が顔と関係があるのか判断するためのデータが十分にないから、というだけです。
つまり、データを多く集めて解析すれば、ゲノムと顔との詳しい関係がわかるはずなのです。
ゲノムと顔が関係しているのは 、見た目がそっくりな一卵性双生児を考えれば明らかです。一卵性双生児はゲームが同じです。同じゲノムをもつ人間の顔がそっくりなのは、ゲノムと顔が関係しているからです。
今は、ゲノムのどの部分が顔のどのパーツに関係するのかわからないだけであって、ゲノムと顔のデータを大量に集めて解析すれば、今より多くのことがわかるでしょう。

東野圭吾さんの小説『プラチナデータ』(幻冬舎文庫)には、犯行現場に残された犯人の毛髪などからゲノムを解析し、犯人のCG似顔絵を作成する近未来(映画では2017年の設定)の捜査手法が描かれています。
このように、ゲノムから似顔絵を作り、犯罪捜査に活用する未来がやってくるかもしれません。
ゲノムは、あらゆる細胞に含まれています。
例えば、頬の内側から剥がれた細胞は唾液の中に混じり、タバコの吸い殻に付着します。ポイ捨てされたタバコの吸い殻に付いた唾液のゲノムから、誰が捨てたのか解析して、その似顔絵がポイ捨て現場にポスターとして貼り出されることが技術的には可能な未来だってありえるのです。

進歩するテクノロジーと人々の不安

病気や顔立ちに関係なく、ゲノムの研究で最も大事なことは、いかに多くのデータを集めるか、ということに収束します。そのためには、1人でも多くの方に協力してもらうことが欠かせません。
ジーンクエストという事業を展開することは、ユーザーと研究者がお互いにメリットを享受しながら、大量のゲノムデータを扱えるような社会の実現につながると考えています。
そして、そのような想定のもとで事業を進めていく中で、次第にゲノム研究と社会との関わり方を考えるようになってきました。
さらには、ゲノム研究に限らず、進歩するテクノロジーと、それを受け止めて活用する人々はどうつきあっていけばいいのか、その関係にも注目するようになっていきました。

テクノロジーという言葉には、期待だけでなく不安をもつ人もいるでしょう。ただし、どう感じるかによらず、人々の生活を変えてきたのはテクノロジーです。
印刷技術の開発は、文化や学問が伝わるスピードを大きく変えました。飛行機の登場は、人々の移動スピードを飛躍的に上げ、ビジネスやスポーツの交流に大きな影響を与えました。
テクノロジーは常に進歩します。しかも加速度的に。新しいテクノロジーが、さらに新しいテクノロジーを生み出すからです。
20世紀の終わりに登場したインターネットが現在の生活を支え、SNSや映画見放題サービスが登場しています。
今なお世界を変えていることを考えれば、いかにテクノロジーが急速に進歩し、私たちの社会に浸透しているかがわかるでしょう。

そして今、テクノロジーは生物学にも浸透してきています。 ゲノム解析は、ひとつの例にすぎません。ゲノムをピンポイントで改変できるゲノム編集 、再生医療や不妊治療に活用されようとしているiPS細胞、赤ちゃんが生まれる前に病気の有無を調べる出生前検査など、生命の領域にテクノロジーが進出しているのです。

しかし、進歩する(あるいは進歩しすぎる)テクノロジーには、不安がつきまといます。
この不安は、どこからやってくるのでしょうか。テクノロジーが人類を脅かす存在だとする考えも一部にはありますが 、ほとんどは「テクノロジーの進歩に私たちの理解が追いついていない」「何だかわからないけど怖い」からではないでしょうか。
少し前までは、ゆっくり進歩するテクノロジーについてゆっくり考え、どう活用すればいいのかじっくり議論する余裕がありました。
ライト兄弟が初めて空を飛んでから数十年かけて、今の航空産業は確立していきました。
ところが、インターネットが一般に登場してから普及するまでは、もっと短い時間しかかかっていません。スマートフォンに至っては、10年も経たないうちに劇的に進歩しています。ネット犯罪や悪質な出会い系サイトなどの問題が生まれては、テクノロジーをいかすための議論が行われてきました。
では、生物学に浸透してきたテクノロジーはどうでしょうか。病気を治したり、そもそも病気にならないようにしたりするための方法であるのは間違いないのですが、本当にそんなことをやっていいのか、常に反対意見は出てきます。
例えば、ゲノム編集は遺伝子が原因の病気を治すことができるテクノロジーとして注目されていますが 、受精卵のゲノムを編集すれば、思いどおりの人間を作ることも可能です。デザイナーベビーにつながるとして強く非難されることもありますが、だからといってゲノム編集というテクノロジーそのものを否定することはできるでしょうか。
せっかく有用なテクノロジーがあるのに、それを活用できないことは、今の社会、そして未来にとって大きな損失です。
テクノロジーの進歩は止められません。進歩することこそが、テクノロジーの本質だからです。そして、テクノロジーが進歩するスピードは、いよいよ私たちが理解できるスピードを超えてきました。
つまり、テクノロジーの進歩と私たちの理解との間にはギャップが生じつつあり、そのギャップは今後さらに広がるだろうと予想されます。
ならば、進歩するテクノロジーに向かって、私たちの理解はどうやって追いつけばいいのか、ということになります。

テクノロジーの進歩と私たちの理解のギャップを考える

テクノロジーの進歩と私たちの理解との間にあるギャップを埋めるにはどうすればいいのか。それを考えるのが本書の目的です。

第1章は、「テクノロジーが生物学を変えた」として、読者の皆さんが小中学校で習った生物の授業の内容と、今の生物学がいかに異なるものであるか、その理由としてテクノロジーの導入があったことを最初に紹介します。
第2章では、「ゲノム解析はデータ収集から始まる 」として、ゲノム解析では膨大な人々からの膨大なデータが必要であることを示します。ジーンクエストの具体的な取り組みについても紹介します。
第3章は、「『私』のすべてがデータ化されていく」と題して、ゲノムだけでなく、私たちのあらゆる生体情報をデータ化して解析することで生命の謎を解明しようとする取り組みを紹介します。

ここまできて、読者の中には「『私』がデータ化されると何が変わるのか」「未来は一体どうなってしまうのか」と不安に思う方も出てくると思います。
そこで第4章では、「生命科学のテクノロジーが『私』の理解を超えるとき」として、テクノロジーと社会の関係や、なぜテクノロジーの発展に人々や社会の理解が追いつかないのか、ジーンクエストの前日談とも言える大学祭のエピソードも交えながら考えていきます。
そして、第5章の「生命科学の『流れ』を知れば『私』の世界と未来が見える」では、テクノロジーを有効活用するために一人ひとりができる心構えを述べます。答えのキーワードを先に書くと、それは「流れ」です。流れを理解できれば、おのずと未来を思い描けるようになるのです。生命科学のテクノロジーにはどのようなメリットとリスクがあり、有効活用するためにはどうすればいいのか、未来に向けた考え方ができるようになるはずです。
私の事業や専門分野の関係上、ゲノム解析に関連する話題が多いのですが、実はこれは、テクノロジーと社会との関係を考える一例にすぎません。
今後も進歩を続けるテクノロジーをうまく活用するにはどう考え、どうつきあっていけばいいのか。皆さんの身近なテクノロジーを想像しながら考えていただきたいと思います。

[PROLOGUE]はじめに
私がここにきた理由
大学を飛び出したからこそできる新しいゲノム解析
ゲノムから似顔絵を描く未来
進歩するテクノロジーと人々の不安
テクノロジーの進歩と私たちの理解のギャップを考える

[Chapter1] テクノロジーが生物学を変えた
100歳の男性が父親になる日
未来のがんチェックはトイレで
ゲノムに刻まれた私たちの祖先
生物学・テクノロジー=生命科学
期待されすぎたヒトゲノム計画
ゲノムを知る時代が当たり前になる
成長が著しく、予想しづらいのがテクノロジー
生命科学は大量の生命データを相手にする
タイミングの予測はできるか
テクノロジーの「流れ」を知ることならできる

[Chapter2] ゲノム解析はデータ収集から始まる
生命の法則性とは「生命現象の再現・予測・変化」
法則性の解明にはデータが必要
遺伝子の一本釣りから底引き網漁法へ
ジーンクエストも、生命の法則性の解明を目指している
ジーンクエストのデータの信頼性をチェックしてみた
インターネットの活用が生命科学研究を変える
仮説構築力からデザイン力へ
30万人のデータをもとに高学歴遺伝子を発見
アートと実利、サイエンスの二面性
ジーンクエストの研究でモテ期遺伝子が見つかるかも?

[Chapter3] 「私」のすべてがデータ化されていく
ゲノム解析は当たり前のテクノロジーになった
アメリカ100万人、イギリス10万人、アジア10万人
ポジティブ遺伝子の探索が始まった
テラバイトのゲノムデータをどこに保存するか
ゲノムデータをシェアする時代へ
遺伝子は企業の特許?
ゲノム以外のデータも集められている
「腸内細菌」までもが徹底的に調べられている
ウェアラブルデバイスは今後どう使えるか
生命データが加速度的に集約されていく
そして、あらゆる生命データが統合されていく
データが活用されることへの期待と不安が生まれる

高橋 祥子 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2017/9/14)、出典:出版社HP