【最新】食の未来について学ぶためのおすすめ本 – フードテックの現状と今後の展望

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フードテックとは?これからの食はどうなる?

幅広い分野での技術革新が起こる中で、食糧分野でもさまざまなテクノロジーを組み合わせた食×テクノロジー「フードテック」への取り組みが進んでいます。将来ゲノム食品やクリーンミートが取り入れられるなど、今ある当たり前の食から大きく変化していく可能性があります。ここでは、私たちの生活を支えている食の未来について学ぶためにおすすめの本をご紹介します。

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出典:出版社HP

ゲノム編集食品が変える食の未来

難しい言葉や曖昧になりがちな知識を整理

ゲノム編集、遺伝子組み換え、自然変異など違いが曖昧で定義が難しい言葉が多く出てくる分野ですが、それらがわかりやすい言葉で丁寧に説明されています。また、日常生活でも使える知識も身に付けることできる一冊となっています。

松永和紀 (著)
出版社 : ウェッジ (2020/11/18)、出典:出版社HP

ゲノム編集食品が変える食の未来[目次]

序章 ポストコロナ時代のフードセキュリティ
パンデミックで揺らぐフードセキュリティ
品種改良は、フードセキュリティの礎になる
ゲノム編集へ高まる期待と暗い影
「遺伝子組換えでがんになる」の顛末
新型コロナで現実化したインフォデミック
原発事故後、情報災害が起きていた日本
パンデミックを超えレジリエンスを獲得する

第1章 誤解だらけのゲノム編集技術
生物はそれぞれ「ゲノム」を持っている
特定の遺伝子のみを変異させる技術
目的の遺伝子に結合しはさみで切る
[コラム]こぼれ落ちないイネは、たった一つの塩基置換から
外から追加する遺伝子組換えとは異なる
ゲノム編集は開発コストを減らせる
「オフターゲット変異」への大きな誤解
医療分野のオフターゲット変異とは異なる

第2章 ゲノム編集食品が食卓を変える
機能性成分を多く含むトマトが登場へ
研究開発を支える世界一のデータベース
収量の多いイネを目指す
魚の養殖が大きく変わる
肉厚マダイの誕生
期待高まる毒のないジャガイモ
[コラム]ジャガイモは、新規食品として認められない?
体によい油や茶色になりにくいレタス

第3章 ゲノム編集の安全を守る制度
「自然だからいい」は大間違い
普通の食品に、発がん物質が含まれている事実
[コラム]アクリルアミドの少ない調理法は?
研究が進んでいるがゆえに不安を招く
科学的には、従来食品と同等に安全
「食の安全」をめぐる日本の制度
届出制と言いながら事実上の審査がある
環境影響も農水省、環境省が検討
角のない牛が示した課題
表示を義務化できない本当の理由
届出第1号は高GABAトマトになる
EUは審査基準が決まらず膠着状態
[コラム]EUは遺伝子組換えを禁止しているわけではない
アメリカやEUに先んじた規制の枠組み

第4章 ポストコロナで進む食の技術革新
食料増産待ったなし
温暖化で求められる新品種の開発
新型コロナウイルスの影響は途上国で深刻
育種で高める農と食のレジリエンス
日持ちをよくして食品ロスを減らす
[コラム]賞味期限切れを捨ててはいけない
肉を減らし植物性食品を増やす
[コラム]新しい食は培養肉や昆虫へ
ゲノム編集の限界と可能性

第5章 ゲノム編集をめぐるメディア・バイアス
遺伝子組換えへの先入観が、理解を妨げる
遺伝子組換え技術の普及には、理由があった
過剰規制の教訓
[コラム]グリホサートのリスクは?
ゲノム編集でも繰り返される陰謀論
[コラム]ゴールデンライスはなぜ、普及しないのか?
モンサント法の誤解
種苗法の改正まで、ゲノム編集に結びつけられる
[コラム]種子の海外生産の意味
確証バイアスに陥る人々
[コラム]ゲノム編集技術はテロとしては“割に合わない”

第6章「置いてきぼりの日本」にならないために
「食料自給率38%」が本当に意味すること
[コラム]日本は食味優先。収量は上がっていない
国産は安全、高品質なのか?
有機農業は救世主ではない
新品種開発は日本の強みになる
国産技術がゲノム編集を進歩させる
消費者志向で迷走していないか
[コラム]遺伝子組換えカイコで検査薬を作る
フェイクニュースが生み出す危機
科学リテラシーを育てる

おわりに
参考文献

松永和紀 (著)
出版社 : ウェッジ (2020/11/18)、出典:出版社HP

序章 ポストコロナ時代のフードセキュリティ

パンデミックで揺らぐフードセキュリティ

2020年10月、スウェーデン王立科学アカデミーはゲノム編集の新技術を開発した2人の女性研究者にノーベル化学賞を授与する、と発表しました。
ゲノム編集は、生物のゲノムの特定の場所を人為的に切り遺伝子を変異させる技術です。ゲノム編集自体は従来、別の方法でも行われていたのですが、2人の科学者が開発したゲノムを切る“遺伝子のはさみ”の技術は、ゲノム編集をすばやく簡便、正確にできるようにした、という点で抜きんでていました。2人が2012年に発表すると、瞬く間に世界中でこの技術を用いた研究が広がり20年にはノーベル賞に。そのスピードを見れば、いかにすぐれた技術であるかがわかります。選考にあたったスウェーデン王立科学アカデミーの委員会は「革命的な基礎科学であるだけでなく、革新的な作物や医療につながるものだ」と称えています。
この本は、そんなゲノム編集技術を用いて品種改良された食品の安全性や意義についてわかりやすく解説するものです。報道を見ていると、品種改良と医療における応用を同一視し、期待の大きさと倫理面での懸念を語る評論家、科学者が目立ちます。しかし、品種改良と医療ではゲノム編集技術の用い方が大きく異なり、明確に区別しなければなりません。
ゲノム編集食品の重要性は今、著しく高まり期待も大きくなっています。なぜか?新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の地球規模の流行、すなわちパンデミックが、世界の人々の暮らしを大きく変えつつあるからです。フードセキュリティの危機が迫っています。ゲノム編集食品は、その解決に大きく貢献できる、とみられているのです。
「食の安全」とよく言いますが、3種類あるとされています。微生物や自然毒による食中毒を防いだり、農薬や食品添加物を適正使用したりするなどして守るフードセーフティ(Food Safety)、食品に毒性物質が仕込まれるなどの犯罪や破壊行為を防ぐフードディフェンス(Food Defense)、そして食料を安定的に生産し供給するという食料安全保障を意味するフードセキュリティ(Food Security)です。
豊かな日本ではフードセーフティばかりが話題となりますが、世界での深刻な課題はフードセキュリティです。国連食糧農業機関(FAO)は2020年7月、新型コロナに立ち向かうためのプログラムを公表しました。そこで強調されたのは新型コロナが世界的なフードセキュリティと人々の栄養に深刻な影響をもたらしており、各国が協調して闘わないと乗り越えられない、という見通しです。
国連が公表した「世界の食料安全保障と栄養の現状」というレポートによれば、新型コロナのパンデミックが起きる前の2019年の段階で、約6億9000万人が飢餓に陥っており、過去5年で約6000万人も増加しています。そして、何十億人もの人々が飢餓には至らずとも栄養のある食事をとれていません。
レポートは、新型コロナのパンデミックによりさらに、1億3000万人以上が慢性的な飢餓に陥る可能性がある、と予測しています。
パンデミックにより、生産や流通の場が感染を防ぐために操業を中止したり、働き手が減ったりするなどして、食品が滞るケースが出てきました。それに伴って食料価格の高騰が起きています。穀物は収穫時期の前には在庫を減らすために例年なら価格が下がるのですが、2020年は下げ幅が大きくありません。確保しておこうという思惑が強いようです。一方で、働けないために収入が得られなくなった人たちがおおぜい出てきており、食料を買えなかったり質を落としたりせざるを得ない状況にあります。
興味深いことに、中国では牛乳が含むたんぱく質「ラクトフェリン」が免疫を活性化する、という説が広まり、牛乳の消費量が急激に上がっている、と報道されています。牛乳を得るために多くの穀物が牛に与えられ消費されます。第4章でも触れますが、家畜と人が穀物を奪い合う状況を反省した欧米では近年、肉ではなく植物性食品を食べようというムーブメントが起きていました。家畜は大量の穀物を消費して肉や乳製品となるからです。
しかし、新型コロナへの恐怖はそれを覆すかもしれません。先進国がより栄養価、品質の高い食品を志向して新型コロナから我が身を守ろうとし、開発途上国はその煽りを受けて穀物を買えず飢餓、貧栄養に陥る、という構図が起こり得るのです。
途上国の人々が栄養不足となり体が弱くなっているところで新型コロナに感染すると、症状は重くなりがちとなり死の危機にさらされます。そして感染が拡大するとさらにフードセキュリティが脆弱になりパンデミックに拍車がかかり、一部の先進国はより質の高い食を求めて買い占めという悪循環へ……。
これまでも、食料を効率よく生産できたり購入できたりする先進国の人々がたっぷり食べ、残りを廃棄し、途上国は生産できず食料価格高騰により購入ができずに飢えに苦しむという矛盾が大きな問題でした。残念ながら、パンデミックによりその矛盾、不均衡がますます複雑に大きくなっていくことが予想されています。フードセキュリティは危うくなりそうなのです。

品種改良は、フードセキュリティの礎になる

パンデミックに対峙しフードセキュリティを守るためになにができるか?もちろん、先進国と途上国の矛盾を解決する分配策が必要ですが、今後のさまざまな課題を支えるためには技術革新が必要。私は品種改良、つまり新しいタネや子作りがその礎になると考えています。品種改良を専門家は「育種」と呼びます。これまでの農業や養殖漁業などにおいて、育種がさまざまな困難を克服する起爆剤となりフードセキュリティを担ってきたことを、一般の人たちは知りません。
20世紀に入ってから、人類はエネルギーを豊富に用い多様な科学技術を駆使して生活を大きく変えました。食料生産力が上がり、人口も急増しました。国連の推計では、世界の人口は19世紀初め頃に10億人を突破。20世紀初め頃は16億人でした。ところが20世紀半ばに25億人、20世紀末には60億人に急増し現在は78億人です(2020年)。100年あまりで5倍にも膨れ上がったのです。
20世紀になってから普及した化学肥料や化学合成農薬などが食料生産に大きく貢献しましたが、実は育種も大きな役割を果たしました。第1章で詳しく説明しますが、メンデルが遺伝の法則を見出したのは19世紀半ば。当時はあまりにも斬新であったがゆえに評価されず、1900年に育種研究者が再発見し、遺伝学研究が育種の実学に活かされるようになりました。交雑育種、突然変異育種、F1品種、遺伝子組換えなど、分子生物学の進捗も手伝って、次々に新技術による品種が登場しています。1866年から農業統計が記録されているアメリカのデータでは、トウモロコシの単位面積あたりの収量は150年でなんと7倍に達しています。育種技術の著しい進展が人々の暮らしを支えました。
しかし、これから直面するフードセキュリティの危機は、前述したように複雑で、これまでのように食料を増産するだけでは解決できないでしょう。先進国と途上国の配分を変え、人々の嗜好、消費動向を変えてゆく仕掛け、食品の流通ルートの変更、食品自体の質の向上など、さまざまな方策を積み重ねる必要があります。育種も、その目的が収量増から栄養成分の強化、毒性物質を少なくするなど安全性の向上、環境負荷の抑制……等々に研究が広がっています。
2015年の「国連サミット」で採択された持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals=SDGs)では、2030年までに実現すべき17の目標(ゴール)が定められました。「貧困を終わらせる」「飢餓を終わらせる」「すべての人々に健康的な生活を確保し福祉を促進する」「持続可能な消費生産形態を確保する」など重要な項目が並びます。フードセキュリティの確保はSDGsのすべての目標を支える基盤です。
また、SDGsでは今後の世界のありようを示す重要な言葉が提起されました。レジリエンス(resilience)です。打撃を受けてもしなやかに元に戻る弾力性を意味する言葉。パンデミック下で、レジリエンスのあるフードシステムを目指し、複雑化する問題に対処し、フードセキュリティを確保してゆくことがますます重視されるようになっています。そして、ゲノム編集食品は後述しますが、さまざまな特性によりまさに、このレジリエンスを実現するのにうってつけの技術です。

ゲノム編集へ高まる期待と暗い影

日本は育種技術では歴史上、世界的な実績を残してきました。民間企業の育種技術にも定評があります。ゲノム編集技術の改善や新品種開発の分野は後で詳しく解説しますが、研究コストがほかの方法に比べてかなり安くなると見込まれています。日本のように資源が少なく現在では研究資金が潤沢とは言えなくなった国でも、世界のフードセキュリティに貢献できる技術を生み出すチャンスがあります。技術をもっと進展させてゆきたい、日本独自の品種開発をさらに発展させ世界に貢献してゆきたい……。今、日本の育種業界ではその機運が盛り上がっています。
国もゲノム編集食品の実用化に向けて態勢を整えました。安全性を守りながらゲノム編集技術を用いた食品や飼料などを利用できるように規制を検討し、2019年度から制度の運用を始めたのです。国としての実践的な制度の構築は、世界的に見てもかなり早いほうです。2020年度にはゲノム編集食品の国への届出が始まるのではないか、とみられています。
ところが、新技術に暗雲が垂れ込めています。市民の反応がはかばかしくありません。ゲノム編集にかんする科学的な情報が市民に届かず理解されず、かなりの誤解を招いています。
NHKの番組「クローズアップ現代」で2019年9月、「解禁!“ゲノム編集食品”~食卓への影響は?」を放送した時に、象徴的な出来事がありました。
いくつかのゲノム編集食品の事例が紹介され、従来の食品と同等に安全だと専門家が説明し、懸念を示す海外の団体なども紹介されました。私から見ると、この海外の団体の主張は根拠が希薄。しかし、スタジオゲストとして招かれていた日本の消費者団体の事務局長が番組の最後に、こう述べたのです。「やっぱりゲノム遺伝子をいじるということは、非常に危険なことですので、きちんと社会的な議論を作っていくということが非常に重要じゃないかと思っています」。そして、キャスターが「議論が大事」と番組を締めてしまいました。
番組に登場して安全だと述べた専門家に後で、番組制作の裏話を聞きました。当初は、消費者団体幹部の言葉に続いて専門家がさらに説明する予定になっていたそうです。ところが生放送の番組の開始直前になって内容変更。専門家が説明するチャンスは失われてしまいました。
「議論が大事」と言うのはその通りで、だれも抗えない言葉です。しかし、この場合には妥当でしょうか?実は消費者団体幹部の「遺伝子をいじるのは危険」というのは、科学的にはナンセンスの一語に尽きます。なぜならば、遺伝子をいじるのはゲノム編集だけに限らないからです。昔から行われてきたおしべとめしべを掛け合わせる育種も、ゲノムの遺伝子をいじっています。
NHKとしては、内容をゲノム編集賛成派と反対派の両論併記にとどめたかったのかもしれません。しかしその結果、消費者団体幹部の明らかな誤解がそのまま公共の電波に乗り、正されませんでした。
残念なことに、私が生協などの勉強会や講演会などで出会う市民の多くも、「遺伝子をいじるなんて!」と述べ、ゲノム編集食品に拒否感を示しています。記事を書くと、反発されます。遺伝子やゲノムなど生殖にかかわる言葉が登場する技術は、拒否されがちです。子どもへの影響などが想起されやすいから、とみられています。人は、大人が影響を受けるよりも子どもが影響を受けるほうを深刻にとらえ、リスクを実際よりも大きく見積もる傾向があります。
実際には、生物は必ずゲノム、遺伝子を持ち、それらを食べて生きています。これまでも、生物のゲノムの遺伝子がいじられ変えられて、新しい品種が生み出されてきたからこそ、今ある米やトマトなどの作物が豊かに実り、家畜からはたくさんの肉や乳などがとれ、どれもおいしいのです。これまでの育種の実態を考慮せず、ゲノム編集食品に対してのみ「ゲノム遺伝子をいじるのは危険」と考えるのは感情的であり、科学的とは言えません。しかし、そのことが知られていません。

松永和紀 (著)
出版社 : ウェッジ (2020/11/18)、出典:出版社HP

「遺伝子組換えでがんになる」の顛末

私は、番組を見ながらある光景を思い出しました。2006年7月4日、私は福岡市にいました。市民団体などが招いたロシア人の女性科学者が、遺伝子組換え食品の危険性を訴えたのです。全国縦断講演会の第1回でした。
400人が詰めかけ満員となったホールで、女性科学者は遺伝子組換え大豆の危険性を訴えました。遺伝子組換え大豆を食べさせたラットで攻撃性が高まったうえ、子どもが異常に高い死亡率や低体重を示した、というのです。著しく小さいラットの写真やグラフが、いかにも科学的な雰囲気。会場は「こんな危険な食品を許してはならない」という怒りと熱気に包まれました。
女性科学者が語った危険は、科学的には事実にほど遠いものでした。実験のやり方に問題がありすぎたのです。飼料として生の大豆を与えていたことは致命的。生の大豆は遺伝子組換えの有無にかかわらず有害です。ほかにも数多くの不備が実験にはあり、論文にもなっていませんでした。
多くの国際機関が危険の根拠とはならない、と2005年の段階で声明を出しています。こうした動物実験は非常に難しいのに、不慣れな科学者が手を出してしまったのです。日本でも、東京都立衛生研究所が遺伝子組換え大豆を動物に長期に与える試験を行い、異常がなかったとする研究成果を2002年に公表していました。にもかかわらず、日本の市民団体は2006年にロシア人科学者を招聘し、全国紙がその主張と講演会をそのまま報じました。日本では彼女がしばらく反遺伝子組換えのシンボルでした。
同じようなことが2012年にも起きました。衝撃的なドキュメンタリー映画が公開されたのです。ラットに遺伝子組換えトウモロコシを食べさせたところ、体中にがんができたという実験をとりあげたもの。映画は、遺伝子組換え技術の恐ろしさを伝え、オーガニック食品などを褒め称える内容でした。日本で公開された時のタイトルは、「世界が食べられなくなる日」です。
この実験にかんする論文も学術誌に掲載され、書籍も出版されました。実験を行ったのはフランス人科学者で、論文公表と同時に映画や書籍も出すことで、社会にインパクトを与えようとしたようです。通常、学術論文は試験を行った動物の外見写真など出しません。ところが、論文には、大きながんで体がぼこぼこになったラットの姿が掲載され、一般の人たちも論文の内容はわからなくても衝撃を受けました。
当初はフランス首相も「研究が確かなら、遺伝子組換えの欧州全土での禁止措置を要請したい」と発言し、世界各国のメディアも「遺伝子組換えの危険性」として報じました。
ところがこの実験、世界中の科学者から「トンデモ」と猛批判を受けたのです。欧州の食の安全の総元締め組織である「欧州食品安全機関」(EFSA)が否定して、フランス政府も急にトーンダウン。ドイツ連邦リスク評価研究所や日本の食品安全委員会など、主要な国の科学機関が、試験に提供されたラットの種類や数が適正でないことや飼料の調製の仕方など、数々の疑問を指摘しました。
学術論文は、さまざまなデータが省かれてわかりやすく整理されて発表されます。論文に疑問が持たれた場合には、生データの提出が求められます。ニュージーランド政府当局が、フランス人科学者に生データを提出するように求めたのですが、科学者が提出を拒否しました。こうしたことから、研究結果は遺伝子組換えの毒性の根拠とはならない、というのが、各国の結論となりました。翌年には学術誌も掲載を撤回して、騒ぎは学術的には終了しました。研究を行ったフランス人科学者は、その後、レベルの低い学術誌に論文を再掲載していますが、国際機関、各国機関の評価はまったく変わっていません。
でも、日本のメディアの中には、科学的なチェックの甘いところが少なくありません。論文投稿や取り下げ、各国機関の見解など、英語で公表されておりインターネットを少し調べれば出てくるのに、メディアの基本作業が疎かになっています。日本の週刊誌やテレビ番組が、食品安全委員会などによる否定の後もその事実には触れずに「遺伝子組換えでがん」と煽りました。
遺伝子組換えは実用化されて20年以上がたち、安全性審査を経て利用を認められた遺伝子組換え食品では、安全性に疑念が生じた例はありません。ラットなどを用いた何世代にもわたる摂取試験で問題がないことが確認されていますし、世界中の人たちが遺伝子組換え食品を食べるだけでなく、飼料として遺伝子組換え品種を食べた家畜の肉や乳を食べています。にもかかわらず、いつまでたっても誤情報は残り、人々の不安が消えない、という不幸な状況が続いています。

新型コロナで現実化したインフォデミック

NHKの番組を見て、心配になりました。遺伝子組換えとゲノム編集は、同じものと誤解されがちです。このままでは、遺伝子組換えの二の舞になるのでは?ゲノム編集食品も、科学的に理解されず、人々は感情的な判断に流されるのではないか。メディアは非科学的で間違った情報を拡散したり、安易な両論併記を繰り返したりするのではないか。
現代社会において科学的な情報がいかに重要であるか。これも、新型コロナによって明白になったと考えます。流行初期には、こうしたら新型コロナを予防できる、という類いの情報が駆けめぐりました。にんにくが効く、熱いお湯を飲めば大丈夫などの情報が氾濫しました。アルコール性の消毒薬が効く、という情報を信じ込んだ人々がメタノールを飲み、死亡事故も起きました。学術論文は、効果のない消毒薬やサプリメントなどにより800人が亡くなり5800人が病院に搬送された、と報告しています。
また、携帯電話の5Gネットワークが新型コロナウイルスを拡大しているという情報を信じ込んだ人々が、5Gの基地局を襲撃して破壊する事件が世界各地で起きました。言うまでもなく、ウイルスは電波では広がりません。「あり得ない」とだれにでも考えてもらいたいところですが、パニックに陥っている人たちには通用しませんでした。
WHOは、情報が氾濫し正しい情報と誤った情報が拡散し、人々が信頼に値する情報源や指針にたどり着けず混乱している状態をインフォデミック(infodemic)と呼んでいます。インターネット、ソーシャルネットワーサービス(SNS)の普及に伴い、だれもが大量の情報を発信、伝達できるようになり、情報の真贋が吟味されることなく拡散しています。パンデミックはインフォデミックをも引き起こし、死亡事故や健康被害につながっているのです。
イリノイ大学の健康情報センターによれば2020年3月の1カ月間で、新型コロナウイルスやその感染症を指す言葉(coronavirus,COVID-19など)やパンデミックを含むツィートが全世界で約5億5000万も発せられました。その35%はアメリカから、7%は英国から。その後にブラジル、スペイン、インドと続きます。性別はあまり変わらず男性がわずかに多い程度。そして興味深いのは発した人の年齢で、全ツィートの70%は35歳以上の人が出しているのです。若者が間違った情報を広げている、と考えられがちですが、そんなことはありません。
日本でも流行初期にはトイレットペーパーの買い占め騒ぎが起こり、納豆が感染を予防するかも、と品薄状態になりました。2020年7月には吉村洋文・大阪府知事の発表をワイドショーが大々的に取り上げたことにより、「イソジンによるうがいが新型コロナを予防?」とイソジンが店頭から消える騒ぎとなりました。若者から高齢者まで、情報に振り回されたことがうかがえます。

原発事故後、情報災害が起きていた日本

実際のところ、誤情報が氾濫し人々の不安を煽り問題行動につながってしまう現象は、これまでもたびたび起きてきたように思います。日本は、諸外国よりももっと非科学的、感情的、と言えるかもしれません。私は10年間の新聞記者生活の後、フリーランスの科学ジャーナリストとして独立し、食の安全や環境影響を専門フィールドとして20年あまり活動してきましたが、とくに食の分野ではそれが顕著だと思います。
さまざまな科学技術が駆使され検査が行われて、現在の食の豊かさや安全性を支えています。ところが、その新規性と複雑さが大きなハードルとなり一般の人たちの理解にはつながらず、わかりやすい誤情報が氾濫しています。さらに、食は市民・消費者のあまりにも身近にあり日々の暮らしと結びついているせいか、感情的な判断につながりがち。「昔はよかった」になりがちです。
前述の遺伝子組換えの事例はもとより、農薬や食品添加物への根拠なき反対運動など、人々の安心感のために科学的な安全が損なわれたり、社会が莫大なコスト負担を強いられたり、という現象が実際に起きています。
とりわけ、東日本大震災後の福島第一原子力発電所事故により食品の放射能汚染が起きた際、誤情報が氾濫しました。福島県産食品が危険視されたのです。そのような説の根拠となるデータ、検査値は出ていませんでした。
私は当時、「第四の災害である情報災害が起きている」と述べ書籍や講演などで注意を促していました。地震、津波、原発事故という三つの災害だけでなく、科学的に間違った情報が人々に無用の不安を呼び起こし風評まで招くという第四の災害につながっている、と考えていました。
原発事故後の情報災害はまさに、インフォデミックだったのではないでしょうか?福島県産食品の風評被害や、不当な批判を受ける遺伝子組換え食品や食品添加物などの問題と、新型コロナをめぐる誤情報を信じ込んで健康被害を受ける人々の姿が、私の中で一つに重なります。情報を科学に基づいて理解し判断することの難しさは、現代社会の非常に深刻な課題なのです。

パンデミックを超えレジリエンスを獲得する

ポストコロナを見据え、フードセキュリティのために科学技術を発展させ、さらに努力
しなければならないのに、情報災害、インフォデミックにより、すぐれた科学技術が軽んじられ葬り去られることになりはしないか。まずは、科学的に適切な情報を伝え、多くの人たちの理解を求めてゆきたい。
そこで、科学者や国が大きく期待するゲノム編集食品、ノーベル化学賞の栄誉に浴する革新的な技術が用いられる食品の科学的な真実を通して日本の食を見つめ直し、未来の姿を考えてみたいと思います。とかく消費者の感情が優先され、「昔ながらのやり方」がよきものとされ、科学技術が軽んじられる日本がなにを変え、レジリエンスを獲得してゆくべきなのかを考えます。
本書前半では、ゲノム編集食品はどんなものなのかを、なるべく平易に解説します。第1章では技術の概要を、第2章で現在研究開発中の主な食品を紹介します。第3章は、もっとも関心の高いゲノム編集の安全性問題と国による規制の概要を説明します。
第4章からの後半では、技術革新を求めゲノム編集食品に期待を抱かざるを得ない世界の食の危機を伝えます。第4章は、新型コロナウイルス感染症の食分野への影響、人口増加が進む地球の危機、温暖化が及ぼす食への甚大な影響を、第5章はなぜ、人々がデマを信じ込み新技術に不安を抱くのか、心理学や行動経済学などからわかってきた人の気持ちと、誤情報が流れやすい日本特有の事情を具体的な事例を挙げて解説します。
第6章は、日本が置いてきぼりにならないため、食の科学をめぐる情報の取扱いのどんな点に注意を向けるべきなのか、“処方箋”を示します。食の科学と情報は極めて複雑です。情報を読み解き、総合的な判断を下すことが求められています。
本書が将来を見通す目を持つ読者のみなさんの冷静な判断の一助となることを願っています。

松永和紀 (著)
出版社 : ウェッジ (2020/11/18)、出典:出版社HP

クリーンミート 培養肉が世界を変える

家畜を育てずに肉食を続ける第1歩

クリーンミートとは、動物の細胞を人工的に培養して科学的に作った肉のことです。本書では肉だけでなく、皮革や鶏卵なども培養によって作ろうとしているベンチャー企業が紹介されており、様々な視点から現代の食について学ぶことができます。

ポール・シャピロ (著), ユヴァル・ノア・ハラリ(序文) (その他), 鈴木 素子 (翻訳)
出版社 : 日経BP (2020/1/9)、出典:出版社HP

目次

序文 ユヴァル・ノア・ハラリ
第1章 培養肉をつくる
第2章 科学の進歩で動物を救う
第3章 グーグル創業者からの支援を武器にする
第4章 培養レザーで先陣を切る
第5章 クリーンミート、アメリカ上陸
第6章 プロジェクト・ジェイク
第7章 食品(と物議)を醸す
第8章 未来を味わう
謝辞
訳者あとがき

序文

ユヴァル・ノア・ハラリ
いま、地球上の大型動物のほとんどは工場型の大規模農場で暮らしている。私たちが思い描く地球は、広大なサバンナをライオンやゾウが自由に歩き回り、ペンギンが海を自由に泳ぎ回る、そんな地球だ。ナショナル・ジオグラフィックTVやディズニー映画、子ども向けのおとぎ話の中では、そのとおりかもしれない。だが、テレビ画面の外の現実の世界には、もはやそんな地球は存在しない。
いま、世界にはライオン4万頭と家畜化された豚10億頭、象50万頭と家畜化された牛15億頭、ペンギン5000万羽と鶏500億羽が暮らしている。2009年の個体数調査では、ヨーロッパには全種合計で16億羽の野鳥がいることが確認された。同じ年にヨーロッパの養鶏場で飼育された鶏の数は70億羽近くにのぼる。地球上の脊椎動物の大半は、もはや自由には生きられなくなっている。ホモ・サピエンスというただ1種類の動物に所有され、支配されているのだ。

工業型の大規模農場にいる何十億もの動物たちは、痛みや苦しみを感じる生きものとしてではなく、食肉、牛乳、鶏卵を生産する機械として扱われている。工場に似た施設で大量に生み出される動物たちは、体そのものも、畜産業のニーズに合わせてつくり変えられている。そして一生を巨大な生産ラインの歯車として過ごし、生存の期間も質も、農業関連企業の損益計算によって決定されている。動物に与える苦痛の総量からすれば、工業的畜産はまちがいなく、史上最悪の犯罪のひとつに数えられるだろう。
これまでの科学的研究や技術的発明は、畜産動物の生活を悪化させるばかりだった。古代エジプト、ローマ帝国、中世の中国といった伝統的な社会では、生化学、遺伝学、動物学、疫学に対する人間の理解は非常に限られており、そのぶん人間にできることも限定的だ。中世の村では鶏は家々の間を自由に走り回り、ごみの山の中から種や虫をつつき出し、納屋に巣をつくっていた。もしも1000羽の鶏をひとつの小屋に押し込もうとする野心的な農民がいたら、おそらく致命的な鳥インフルエンザが流行し、すべての鶏が死滅しただけでなく、村民の多くも命を奪われたにちがいない。聖職者であろうとシャーマンや呪術医であろうと、それを防げる者はだれひとりいなかった。
だが、鳥、ウイルス、抗生物質の神秘が現代科学の力で解き明かされると、人間は動物を過酷な生活環境下に置けるようになった。いまでは予防接種や薬剤、ホルモン剤や殺虫剤、集中空調システムや自動給餌器、そのほか多くの目新しい機器のおかげで、何万もの鶏や動物を小さな小屋に詰め込んでおける。そこでは過去に例のないほど効率良く肉や卵が生産されていると同時に、動物たちは過去に例のないほど悲惨な状態に置かれている。

21世紀の人間は、科学と技術の発展により、動物に対するさらなる支配力を手にするだろう。40億年にわたって地球上の生命を支配してきた自然淘汰の法則は、まもなく、人間によるインテリジェント・デザインにその座を明け渡すだろう。しかし、技術はけっして決定論的なものではない。同じ技術革新を利用して、まったく異なる社会や状況をつくり出すこともできるのだ。たとえば20世紀の人間は、列車、電気、ラジオ、電話などの産業革命による新技術を使って、共産主義独裁政権、ファシスト政権、民主主義国家など、体制の異なる社会を生み出してきた。
同様に、21世紀のバイオテクノロジーにもさまざまな利用方法があるはずだ。動物たちの苦痛を顧みず、より早く、より多くの肉がとれるように牛、豚、鶏のゲノムを設計し直すこともできれば、動物を飼育することも1頭丸々殺すこともせずに細胞を培養し、クリーンミートという名の本物の肉をつくることもできる。後者の道を選ぶなら、バイオテクノロジーは家畜にとって、災厄から救済への180度の転換を果たすことになるだろう。培養肉の技術を使えば、非常に多くの人が熱望する食肉を、現在の畜産業が地球に強いている甚大な犠牲を払うことなく生み出せる。というのも、食肉は細胞から培養するほうが、動物を飼育したうえで同じ量の食肉を獲るよりも、はるかに効率が良いからだ。
クリーンミートはSFの産物ではない。本書にあるように、2013年には世界初の培養肉ハンバーグがつくられ、人間の口に入っている。たしかにこのハンバーグは、グーグル共同創業者のサーゲイ・ブリンの援助を得て、8万ドルもの資金をかけてつくられたかもしれない。だが、思い出してほしい。いまではわずか数百ドルでできるヒトゲノムの解読も、最初は何十億ドルもかかったのだ。実際、世界初のクリーンミート・ハンバーグをつくった研究チームは培養プロセスを改良し、初の試食会のわずか4年後の2017年には、以前よりずっと低いコストでハンバーグをつくれるようになっている。
すでに、競合する企業も続々と生まれている。あるアメリカ企業は2016年、世界初の培養ミートボールを1200ドルという比較的低価格でつくることに成功している。2017年には史上初の培養チキンサンドイッチと培養鴨肉のオレンジ風味(鴨のローストのビガレードソース添え)をさらに低コストで生産し、近い将来、商品化する構えだ。適切な研究と投資さえあれば、クリーンミートは今後10年か20年で、牛や鶏を飼育するよりも安く、大量に生産されるようになるだろう。ステーキが食べたくなったら、牛を1頭丸々育てて殺す代わりに、ステーキを育てるだけでよくなるのだ。
この技術に秘められた変革の力の大きさは、どれほど強調してもしきれない。価格さえ手ごろになれば、殺された動物の肉をすべてクリーンミートに置き換えることは、倫理的に意義深いだけでなく、経済的、環境的に見ても大きな意義がある。畜産業は地球温暖化の主要因のひとつであり、国連の調査によれば、畜産業から生じる温室効果ガスの排出量は、運輸部門全体のそれに匹敵する。

気候変動だけではない。畜産業は抗生物質とワクチンの消費市場としても、空気、土地、海の汚染原因としても、トップクラスにランクしている。ヒトによって引き起こされている地球規模の問題を嘆く場合、非難の矛先は石油や石炭会社に向かいがちだが、現代の食肉産業はそれに劣らぬ汚染源なのだ。化石燃料をクリーンエネルギーに置き換える必要があるのと同様、私たちは工業的畜産をクリーンミートに置き換える必要がある。破滅的な気候変動や環境汚染から地球を救うには、クリーンミートへの転換が不可欠だ。
希望にあふれた魅力的な本書で、ポール・シャピロは「細胞農業」と呼ばれる食品・衣料品の新たな生産方法の可能性を生き生きと描き出している。細胞農業の技術のおかげで、人間はまもなく、毎年何十億もの家畜を飼育し、殺すのをやめられるかもしれない。そしてさほど遠くない将来、工業的畜産を戦慄をもって振り返るのかもしれない。幸い、いまは過去の遺物となった、奴隷制と同じ人類史の汚点として。

21世紀のテクノロジーによって、人間は神に等しい創造と破壊の力を手にするだろう。しかしテクノロジーは、その力をどう使うべきかを教えてはくれない。「すばらしい新世界」の設計を任されることになったとき、人間はヒトだけでなく、感覚をもつすべての生き物の福祉を考慮すべきだ。私たちはバイオエンジニアリングの驚異を用い、楽園をつくることもできれば、地獄を生み出すこともできる。賢い選択ができるかどうかは、私たち一人ひとりの肩にかかっている。

ポール・シャピロ (著), ユヴァル・ノア・ハラリ(序文) (その他), 鈴木 素子 (翻訳)
出版社 : 日経BP (2020/1/9)、出典:出版社HP

食の実験場アメリカ-ファーストフード帝国のゆくえ (中公新書)

アメリカの食を歴史と関連付けて読み解く

本書では、多文化・異文化が集まっているアメリカの食文化史をアメリカの歴史と関連付けて見ています。ファーストフードが蔓延った歴史的な背景や、ファーストフードへの対抗運動が起き始めていることなどについて解説されており、日本人にとっても興味深い内容になっています。

鈴木 透 (著)
出版社 : 中央公論新社; 地域・文化版 (2019/4/19)、出典:出版社HP

まえがき

アメリカの食べ物といえば、ハンバーガーとフライドポテトを真っ先に思い浮かべる人が多いだろう。だが、アメリカ人が週に三回以上食べるとされるこれらはいずれも、北アメリカ大陸に暮らしていた先住インディアンの食べ物でもなければ、後のアメリカ合衆国となる植民地を築いた中心勢力であるイギリス系白人のレパートリーでもない。ハンバーグはドイツ料理だし、フレンチフライの異名からもわかるように、フライドポテトも元はフランスやベルギー式の食べ方だ。また、アメリカは世界最大のピザ消費国だが、そのピザも、イタリアが起源である。

しかも、こうした非イギリス起源ながら現在ではアメリカ人の食生活に欠かせない存在となっている食べ物に対しては、ファーストフード的な画一化された食というイメージを持っている人が多いだろう。だが、実際にはアメリカでは、グルメバーガーやグルメピザと呼ばれる、ファーストフードとは一線を画す路線を追求しているレストランも少なくないし、地方ごとのバリエーションもある。

例えばシカゴに行けば、シカゴスタイル・ホットドッグとか、シカゴスタイル・ピザと呼ばれるものがある。フランクフルト(ドイツ料理)もピザもイギリス起源ではないが、さらにそれが一風変わったスタイルに進化しているのだ。シカゴのホットドッグは、フランクフルト以外にも、トマト、タマネギ、ピクルス、ハラペーニョなどを、まるでハンバーガーのような感覚でパンに挟む一方、定番のケチャップは使わないことが多い。

また、シカゴのピザは、ディープディッシュ・ピザと呼ばれ、生地が分厚く、中にソーセージやマッシュルーム、ピーマンなどが埋め込まれている。アップルパイのような形状で、パイの中身の部分にチーズとともに具がぎっしり詰まっている姿を想像してもらえばよい。一九二九年の大恐慌から第二次世界大戦にかけての食糧難の時期に、一回の食事で十分な栄養を取れるようにしようと普及した食べ方が、今やローカルフードとして定着しているのだ。

このように、典型的なアメリカ料理と思われているものは、実際には非イギリス起源であるだけでなく、世界の他のどこにも存在しなかったようなユニークな姿に変身している例もある。

一方、日本では一般にはあまり知られていないことかもしれないが、映画観賞の必需品ともいうべき、アメリカを代表するスナックのポップコーンは先住インディアン由来の食べ物だし、フライドチキンは黒人奴隷と深い関わりを持つ。パーティメニューの定番、バーベキューに至っては、先住インディアンと黒人奴隷の両方の存在なくして成立しえなかった料理だ。

長らくアメリカ社会の実権を握ってきたのは、イギリス系の白人である。だが、このようにアメリカを代表する食べ物は、決して彼らの食文化の遺産というわけでもなければ、よその国の食べ物の単純なコピーという存在でもない。概してアメリカは、食に関しては後進国のように思われがちだ。だが、人為的集団統合を宿命づけられたアメリカは、イギリスのみならず、非西洋や移民の食文化の伝統から国民的食べ物を生み出すという、実は想像以上に複雑な過程を経て独自の食文化を築き上げたのだ。

ある集団がどのような料理を食べるのか、また、いつからいかなる理由で食べるようになったのかといったことは、その集団の正体を考える重要な糸口となるはずだ。そして、アメリカの食文化は、イギリス系の人々のアングロサクソン文化=アメリカ文化と単純に片づけるわけにはいかない、という事実を語っている。このことは、「アメリカは、イギリス系白人がアングロサクソン文化にその他の人々を同化させることによって国民統合を成し遂げてきた」という従来型のアメリカ観への疑問を突きつけるとともに、「アメリカ人とはいかなる集団か」、また、「アメリカ文化とは何か」という問いをあらためて提起する。

しかも、こうしたいわばよそ者の食文化が、ファーストフードという画一化への圧力を受けつつも、独自のローカルフードをも生み出してきた経緯は、アメリカのファーストフードの正体が単なる食の標準化現象として語りつくせないことを暗示する。実際、アメリカにおけるファーストフードの成立過程は、産業社会の食の変革と深く結びついていたのであり、そこには様々な創造性もはたらいていた。アメリカ食文化の歴史は、この国の異種混交的な背景が産業社会という器の中で新たな実験へと展開されていった軌跡でもあるのだ。

もっとも、その実験は、必ずしも良い成果ばかりを生んだわけではなかった。ファーストフードへの依存が高まるにつれ、アメリカは肥満大国と化し、低コスト化への圧力によって農業の形までもが歪められてしまった。だが現代アメリカでは、脱ファーストフードに向けた様々な試みが芽生えており、移民大国アメリカの食をめぐる実験は新たな段階を迎えつつある。

結果的にファーストフードの黄金時代を作り上げてしまった産業社会の食の変革は、今度は健康志向や、西洋料理という枠を超越した地域横断的で大胆な食の融合を強く意識するようになってきている。ベジタリアン・メニューの開発が盛んに行われ、メキシカンボウル(メキシコ丼)のようなラテンアメリカ料理とアジア料理を合体させた新たな創作エスニック料理が登場している状況は、食文化が貧しいと思われがちなアメリカが実は豊かな食文化のポテンシャルを持っているという、常識を覆す視点へと私たちを導いてくれる。そして、こうした潮流は、アメリカ発のファーストフードが世界を席巻したように、未来の世界にも大きな影響を与える可能性がある。

そもそも食べ物は、人間の身体を形作る存在であり、生命の安全に関わっている。つまり、何をどう口にするかは、一見すると極めて個人的な選択のように見えるが、食材をどう生産し流通させ、どのような食事として提供するかという営みは、食の安全や人々の健康といった公共の福祉と切り離すことはできない。個人という次元を超えた社会的合意(ないしは不服従)の次元を含んでいるのだ。
とすれば、食べ物の歴史は、人々による社会的選択(あるいはその失敗)をも体現しているのであり、そこにはその集団がたどってきた変革の記憶が刻まれている。食文化史は、アメリカ社会の価値観の変遷や対立を浮き彫りにするとともに、この国がどのように生まれ、現代アメリカがどのような社会へと向かいつつあるのかをも教えてくれる。

なぜアメリカではファーストフードが発達したのか、また、現代アメリカではなぜ国境横断的なフュージョン料理が流行しているのか、さらには、農家と消費者の新たな関係を模索する動きがなぜアメリカでは広がりつつあるのかといった疑問は、アメリカという国の社会的価値観や文化的創造力のゆくえを照射することに通じているのである。

このように食文化史は、アメリカという国の特質や創造性、現在位置を把握する貴重な情報を含んでいる。だが、日本で食べ物の研究というと、多くの場合は栄養学的なアプローチが中心で、外国文化研究に活用する発想はあまり見られない。しかし、上述したように、アメリカの食べ物が伝える記憶に目を止めることは、この国が何をしてきたのか、何ができなかったのか、何をこれからしようとしているのかといった、アメリカという国の核心と今後の動向の両方をより鮮明に捉えることにつながる。

本書は、普段あまり深く考えることのない、食が背負っている文化的・社会的意味こそが、実はアメリカという国の正体に迫る有力候補だという確信に基づいている。と同時に筆者は、生命の維持に直結する食べ物に刻まれた記憶と向き合うことが、混迷する超大国の現状を打開し、変革を呼び込む糸口になると考える。ここから得られる知見は、私たちが自分たちの食ベ物、さらには私たち自身を見つめ直す新たなきっかけにもなるだろう。

鈴木 透 (著)
出版社 : 中央公論新社; 地域・文化版 (2019/4/19)、出典:出版社HP

 

目次

まえがき
序章三つの記憶と一つの未来――アメリカ食文化史の見取り図ーー

第1章生き続ける非西洋の伝統ー食に刻まれたアメリカの原風景
1白人入植者の食を支えた先住インディアンと黒人奴隷
2パンプキンパイの兄弟――創作される混血地方料理
3飲み物の恨みは恐ろしい?――独立革命の食文化史

第2章ファーストフードへの道―産業社会への移行と食の変革の功罪ー
1ハンバーガーの登場――移民の流入とエスニックフードビジネスの遺産
2コカ・コーラの数奇な運命――健康食品市場の登場と変質
3食の安全から炊事のルールヘ ーー食肉工場、禁酒運動、台所
4自動車時代の外食――利便性・収益性追求の終着点としてのファーストフード

第3章ヒッピーたちの食文化革命―蘇生する健康志向とクレオール的創造力
1冷凍食品からの脱却――有機農業と自然食品
2ヘルシーからエスニックヘ――食の多様性をめぐる新展開
3開花するフュージョン料理――味覚のフロンティアを求めて

第4章ファーストフード帝国への挑戦――変わり始めた食の生産・流通・消費
1格差社会とシンクロするファーストフード
2肥満大国への警鐘とフードビジネスのパラダイムシフト
3農業共同体の再構築―――効率から公益へ

終章記憶から未来へ――新たなる冒険の始まり
1現代アメリカの歴史的位置と課題
2食に対する意識改革の射程
あとがき
参考文献

鈴木 透 (著)
出版社 : 中央公論新社; 地域・文化版 (2019/4/19)、出典:出版社HP

フードテック革命 世界700兆円の新産業 「食」の進化と再定義

近年注目されるフードテック

フードテックとは、最先端技術を用いて新しい商品開発や調理法を考えることを意味します。新型コロナウイルスの流行により食への見方が変わってきた現代において、フードテックは非常に重要な役割を持つと注目されています。食品関係者だけでなく消費者にとっても興味深い内容が述べられています。

田中宏隆 (著), 岡田亜希子 (著), 瀬川明秀 (著), 外村 仁 (監修)
出版社 : 日経BP (2020/7/23)、出典:出版社HP

序章 フードテック革命に「日本不在」という現実

2016年10月。私たちは米国シアトルにいた。スターバックスコーヒー発祥の地であり、マイクロソフトやアマゾン・ドット・コムが本社を構える地であることは知っていたが、ここがフードテックにとって重要な意味を持つことを当時は気づいていなかった。
シアトルを訪れたのは、3年に開催された食×テクノロジーのイベント「スマートキッチン・サミット(SKS)」に参加するためだ。当時、「キッチン領域にどんなテクノロジーが入ってきているのか」というテーマを追いかけていた私たちは、SKSのウェブサイトにたどり着いた。そのプログラムを見てまず驚いたのが、日本では聞いたことがないフレーズの数々だった。

“Kitchen OS”
“Kitchen Commerce”
“Big Data & Connected Food Platforms”

これは何かが起きている。
リサーチャーとしての直感が働き、即座にシアトル行きを決めた。すると、そこには料理のレシピがプログラム化され、IoT(Internet of Things)技術で調理家電をコントロールする、いわゆる「キッチンOS」の考え方がすでに存在し、実装された世界があった。そして、フード領域のスタートアップのみならず、アマゾンのような

巨大IT企業や大手家電メーカー、ネスレのようなメガ食品メーカーまでもが、こぞってSKSに集結していた。
彼らが熱心に議論していたのは、「これから何がキッチンにおけるキラーアイテムになるのか」ということだ。「スマートキッチン」とは、キッチンと家電の領域だけではなく、その先にある食品自体の在り方や生活者の行動までを含めた話であり、そこにデジタルテクノロジーを入れることで実現する「食の未来」を語るエコシステムである――。現地でそれに気づいた私たちの脳内には、激しい稲妻が走った。
そして、もっと衝撃的だったのは、SKSの議論の中で登壇者としても事例としても、日本企業の話が一切出てこなかったことだ。そればかりか、日本からの参加者すら見当たらなかった……。

食文化も、調理家電も、日本は「世界最先端」のはずではなかったか。

すぐさま頭をよぎったのは、かつて世界で最もイノベーティブだとされていた日本の携帯電話と、iモードQに代表される通信コンテンツが、米アップルのiPhone登場以降、勢いを失っていった姿だ。もしかすると、キッチン&フード領域でも同じことが起こるのではないか。そんな不安を胸に、私たちはシアトルから帰国の途についた。
帰国後、SKSで確認した世界の動きについて、私たちは必死に食品や家電、テクノロジー業界に伝え始めた。7年8月には、SKSの創設者であり、新興技術に焦点を当てた戦略アドバイザリーおよび調査会社Next Market Insights(ネクスト・マーケット・インサイツ)代表のMichael Wolf(マイケル・ウルフ)氏と組み、東京で「スマートキッチン・サミット・ジャパン(SKSジャパン)」を初開催した。パナソニック、ニチレイ、そしてクックパッドなどの国内プレーヤー、まだ数は少なかったがベースフードなど国内のスタートアップ、そして、海外のスタートアップを含めて約100社を集め、1日かけて最先端のトレンドについて議論した。
初回のテーマは、ずばり「スマートキッチンとは何か」だ。我々は、いち早く日本のメーカーに世界の動きを知ってほしかった。真っ先に反応を示したのは、食品メーカーだった。「自分たちは加工食品を提供しているが、家庭のキッチンの中で一体どういうトレンドが起こっているのか全く分からない」と言う。
これから先、生活者は従来と同じように料理を続けるのか、一体何を食べていくのか。食品メーカーの方々はずっとこの問いに対峙してきたが、答えが分からない。「もしかしたらSKSジャパンに解があるのかもしれない」と、参加を決めたそうだ。
また、とある食品メーカーの方はこう話した。「私たちはいろんな工夫を重ねて、健康にも気を使い、調理時間も短縮できる加工食品を作っています。でも、なぜか生活者は便利な加工食品を使うことに『罪悪感』を持つのです。私たちは、お客様に罪悪感を持たせるような製品を作り続けていいのでしょうか」と……。

こうして第1回目のSKSジャパンで、多様な業界の声を聞いた私たちは食品領域のイノベーションにも目を向け始めた。世界を見渡すと、SKS以外にも食×テクノロジー領域で、新しいカンファレンスが次々と開催され始めていた。7年11月には、Y Food(ワイフード、5年に設立されたイギリス発フードイノベーションコミュニティー)が、「London Food Tech Week(ロンドン・フードテック・ウィーク)」を開催。欧州のスタートアップと投資家らを集め、未来の食について1週間かけて議論された。また、フランス中部の都市ディジョンでは「Food Use Tech(フード・ユーズ・テック)」が、イタリアでは「Seeds & Chips(シーズ&チップス)」というフードテックイベントが開催されるといった具合。これまでの食品や家電の展示会、商談会とは違った趣向で、デジタルテックのギークたちと新しい食体験を作りたい起業家が入り交じったものになっていた。いずれも家電か、食品かというカテゴリーを取っ払い、それぞれ食の体験を構成する一要素という位置付けで見せていることが印象的だ。

そんな中、2年には植物性プロテイン(タンパク質)を用いた代替肉スタートアップのImpossible Foods(インポッシブルフーズ)が、世界最大の技術見本市である「CES2019」に初めて参加した。来場者にふるまった植物肉ハンバーガーの「Impossible Burger2.0(インポッシブルバーガー2.0)」が、テックギークのたちから大きな関心を集め、最先端のフードテックが広く世に知られる1つのターニングポイントとなった。実際、これ以降、欧米では植物性プロテインからできた代替肉が一般のファストフード(マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなど)や、食品スーパー(ホールフーズ・マーケットなど)の大手チェーンで販売され出している。インポッシブルバーガー2.0を試食した日本の食品メーカーの感想を聞くと、「この味のつくり方だと日本人には受け入れられない。うちの研究開発力をもってすれば、もっといいものができます」と言う。こんな声が、1社だけでなく数多く聞かれた。

では、なぜ日本発のイノベーションが世界に先駆けて出てこないのだろうか?

田中宏隆 (著), 岡田亜希子 (著), 瀬川明秀 (著), 外村 仁 (監修)
出版社 : 日経BP (2020/7/23)、出典:出版社HP

 

日本のフードテックは「iPhone前夜」

iPhoneが日本にやってきたのは、8年のことだ。それまでの日本の携帯電話市場は、パナソニックや富士通、シャープ、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ(現ソニーモバイルコミュニケーションズ)、京セラなどの日本メーカーがシェアを分け合っていた。日本の通信環境は世界最高速度だったこともあり、絵文字はもちろん、写メールや着メロといったコンテンツサービスも充実。お家芸であるデジタルカメラ技術や高精細ディスプレー技術、おサイフケータイなどの決済機能も端末に総結集し、機能軸で言えば海外のどんな端末にも負けていなかった。
そんな市場にスマートフォンであるiPhoneが投入されたころ、ここでいう「スマート」の部分が一体何を意味するのか、きちんと理解できている人はほとんどいなかったのではないか。物理的に違いがあった(あるように見えた)のは、画面の大きさとタッチパネルを採用していたことぐらいだ。日本の携帯メーカーのエンジニアたちは当時、iPhoneに載っている技術はどれも目新しくないと話していた。
しかし、iPhoneは日本の市場シェアをどんどん奪っていった。iPhoneが実現したのは、ハードウエアの機能進化ではなく、全く新しい体験を生み出したことであった。すでに普及していた数千曲の音楽を持ち運べるというiPodの機能が統合され、AppStoreというアプリ1つで何にでもなれる機能、そして今までになかった新たなインターフェース(画面スワイプという動作など)の導入。それらは従来のド携帯する電話、というデバイスの進化ではなく、日常生活がまさにスマートになる体験の進化であり、完全にパラダイムシフトを起こしたのだ。その結果、米グーグルのAndroid OSも加わり、市場はスマートフォン一色に切り替わった。
現在、スマートフォンは単に電話としてだけではなく、人々の生活になくてはならないインフラとなった。実はスマートフォンに置き換わっていく過程で、多くのアプリも国産から海外製になっていった。重要なのは、これらの変化は徐々にではなく、いろんな方向から、急速に起こったことだ。

翻って日本のフードテックの現状を考えると、我々は「iPhone前夜なのかもしれない」と考えるようになった。今起きている海外の「フードテック」の潮流は、日本人の目にはたいしたことがないようにも映る。「植物性代替肉のハンバーガー?」。そんなものは、たいていの日本人は食べたことも聞いたこともない。スマートフォンからオーブンレンジを操作することも、それほどインパクトがあることのように思えないかもしれない。
しかし、ポイントはそこではない。味や機能が進化している裏には、サイエンスと食の融合、フードビジネスとしてのプラットフォームの勃興、そしてライフスタイルの中での「顧客体験」に価値創造の主軸が移りつつあるという事実がある。この転換についていけなければ、日本の食産業はグローバルで加速するイノベーションの主導権を決して握れない。
これまで食分野に関しては、いわゆるGAFAB(Google・Apple・Facebook・Amazon)もそれほど注力してこなかった。アマゾンが高級スーパーのホールフーズを買収するといった動きはあったが、食関連のデータ獲得は複雑かつ手間がかかり過ぎるので、アマゾンが利用者の購買データを持つ程度にとどまっていた。しかし、食関連のビジネスもデジタル化が進んでいくと、GAFAがデータを握るのは時間の問題のようにも思える。

世界各地のフードテックカンファレンスに参加した私たちが強く感じるのは、このグローバルで起きているフードイノベーションを、日本流で「正しい方向」に導くことが必要だということだ。人間が欲望のままに食べ続けると、自身の健康も、地球環境も害する可能性が高い。今こそ、日本人が大切にしてきた食の価値観や考え方(おいしさ、健康、そして環境配慮のバランス、多様性を重視する食風土、「もったいない」という精神、安全・安心なものをつくるマインドなど)で、私たちがこのトレンドをけん引していく存在になるべきではないか。食に関して、日本企業には高度な技術やレシピなどの知見が蓄積されている。それを抱えたまま世界の潮流から外れることだけは避けるべきだ。ファストフードのハンバーガーを植物性代替肉に変えること以上に、心が豊かになる食のイノベーションの在り方を日本から発信することはできるはずだ。
このようなほぼ確信に近い強い動機の下、日本発のフードイノベーションを加速させるため、我々は本書の執筆に乗り出した。

日本発のフードイノベーションを目指して

本書の目的は大きく2つある。1つはフードテックの全体像が起こってきた背景と注目される個別トレンドの徹底解説を通して、フードテックのトレンドを理解することだ。そして、もう1つは事業創造のトレンドを知ることだ。食に関わる、あるいは今後関係し得る企業、研究者、投資家、あらゆる分野の専門家の方々が、どのように新産業を共創していくか、その道筋を示すことである。
第1章では、フードテックが興ってきた。その背景について、まず「社会課題と食」という観点から解説する。実際に現代の食産業が生み出している「負の価値」の分析から、食産業がこの課題に取り組んでいる現状について述べる。また、もう1つの観点として食の価値の再定義について、これからの食産業が生み出していくべき価値として「FoodforWell-being(ウェルビーイング)」という観点から考察する。
第2章では、私たちが世界各地のフードテックカンファレンスに参加したり、フードテックコミュニティーと情報交換したりする中で見えてきたトレンドの全体像を紹介する。食はローカル性が強いものだが、世界共通で確実に起こる「ベースとなる潮流」と、国によって受容性はまちまちながらも、いずれ日本にもやってくる「新アプリケーション領域」、そして「事業創造トレンド」の3カテゴリーで紹介する。また、今後のイノベーション領域を理解し、スタートアップや大企業が多くのビジネスチャンスを見いだす羅針盤となる「FoodInnovationMapVer2.0(フード・イノベーション・マップVer2.0)」も本書で初めて公開する。こちらは、9年に勃発し、世界を混乱の渦に巻き込んだ新型コロナウイルスが食領域にもたらす変化を考慮し、アフターコロナ時代に向けた光明を見いだせるよう作成したものだ。
続いて第3章では、今回の新型コロナ褐での生活変容や食産業への影響から、今後どのように産業構造をリセットし、再スタートさせていくべきなのか。with&アフターコロナ時代のフードテックとの歩みを考える。
そして第4章からは特に業界の関心が高い個別のイノベーション領域を解説していく。まず第4章では、植物性代替肉や培養肉といった代替プロテインの最新トレンドを解説。このトレンドの背景から国内を含む最先端のプレーヤーの動向をつかむとともに、私たちはどのように理解すべきなのか、その論点を提示する。第5章では、料理レシピやそれに応じた調理コマンドなど、幅広くキッチン関連のアプリケーションが動く基盤である「キッチンOS」について、理解すべきポイントと各業界にとっての意味合いを探る。第6章は食分野で進むパーソナライゼーションの動きについて、世界で家電メーカーを巻き込みどのようなサービスが出てきているのか、このトレンドが今後どのような方向性に進んでいくのかを説明する。
第7章では主に外食産業におけるイノベーションの動向を解説。市場の縮小と人手不足が続いてきたこの業界では、徹底的な効率化がトレンドの主軸であったが、ここにきて体験価値創造の動きが出てきている。新型コロナ禍で、ますます問われる外食の役割にも触れながら、今後の飲食店を取り巻くテクノロジー活用の方向性を見通す。そして第8章では、フードテックと食品リテール(小売り)の関わりについて見ていく。飲食店同様、新型コロナ禍でスーパーも厳しい状況に置かれてきたが、「Amazon Go(アマゾン・ゴー)」のような無人店舗ソリューションに代表される効率化だけではなく、体験価値向上に向けた動きが進んでいる。フードイノベーターにとっての重要な販売チャネルである流通業が、今後どう変わっていくべきか論じる。

第9章からは、フード領域の事業創造を加速させる仕組みとして、大企業とベンチャーの共創フードラボや、ベンチャー育成のコミュニティー形成、人財育成を担うアカデミアの動き、イノベーションをいち早く実装する新チャネル構築の動きを概説する。また、循環型エコノミーの構築や、閉鎖環境でも安定的な食料供給やQoL(クオリティ・オブ・ライフ)を維持できる仕組みづくりとして、長野県小布施町における先進的な取り組みと、さらに発展して「宇宙」を舞台に数十の企業が集まって具体的なユースケースづくりに取り組む「SPACE FOOD SPHERE(スペースフードスフィア)」を取り上げる。
最後に、第2章では日本から新しい食産業を構築していくに当たり、目指すべきビジョンを示し、ともにエコシステムを構築していくために、どんなアクションが必要なのか提言する。

本書は、伝統的な食品業界に直接携わる方々はもとより、周辺業界から食と掛け合わせることにより何かしらの事業機会を検討している方々、研究に従事されているテクノロジーやサイエンスの専門家、食や料理に関するベンチャー企業の方々、これから起業を考えている方々、そして将来食に関わる仕事に就きたいと考えている学生や若い方々にとっても、世界で巻き起こるフードイノベーションの全体感、およびフードテックがなぜ今熱いのかをつかむきっかけになるはずだ。そして、本書のインプットから明日からのアクションにつながることを期待している。
2020年7月吉日筆者一同

①NTTドコモの対応携帯電話(フィーチャーフォン)にてキャリアメールの送受信やウェブページ閲覧ができるサービスのこと
②「ギーク」は卓越した知識を持つ人のこと。本書では、コンピュータやインターネット技術に詳しい技術者、テクノロジー知識を持つ起業家予備軍を指す
③2020年4月、GAFAにマイクロソフトを加えたテクノロジー企業5社(GAFAM)の時価総額は、東証1部上場企業(2169社)の時価総額を初めて上回った

田中宏隆 (著), 岡田亜希子 (著), 瀬川明秀 (著), 外村 仁 (監修)
出版社 : 日経BP (2020/7/23)、出典:出版社HP

目次

序章フードテック革命に「日本不在」という現実

Chapter1
今、なぜ「フードテック」なのか
1.急増する食領域のスタートアップ投資
2.今求められる「食の価値の再定義」
3.食のウェルビーイングを実現する旗手たち

Chapter2
世界で巻き起こるフードイノベーションの全体像
1.そもそもフードテックとは何か
2.初公開「フード・イノベーション・マップ2・0」
3.食の進化を見通す「16のキートレンド」

Chapter3
With&アフターコロナ時代のフードテック
1.パンデミックで見えてきた食の課題とは
2.新型コロナ禍が変えた食の価値とビジネス
3.アフターコロナで求められる注目の5つの領域
Interview
予防医学研究者石川善樹氏

Chapter4
「代替プロテイン」の衝撃
1.代替プロテイン市場が急成長したワケ
2.代替肉の先端プレーヤーが成功した理由
3.日本にも眠る代替プロテイン技術
Interview
インポッシブルフーズSVP Internationalニック・ハラ氏
Interview
不二製油グループ本社代表取締役社長清水洋史氏

Chapter5
「食領域のGAFA」が生み出す新たな食体験
1.「キッチンOS」とは何か
2.1OT家電で見える化された食卓の姿
3.世界で台頭する「キッチンOS」プレーヤー
4.「食のデータ」がサービス連携の要に

Chapter6
超パーソナライゼーションが創る食の未来
1.「マス」から個別最適化された世界へ
2.パーソナライズに必要な3つのデータ
3.「食のネットフリックス」は現れるのか
HAJIMEオーナーシェフ米田華氏
Interview

Chapter7
フードテックによる外食産業のアップデート
1.外食産業を取り巻く「不都合な真実」
2.効率化を超えた「フードロボット」の可能性
3.移動型レストランとしての「自動販売機3・0」
4.急成長フードデリバリー&ピックアップ
5.デリバリーの裏側を支えるゴーストキッチン
6.外食ビジネスの未来、5つの方向性
Interview
ロイヤルホールディングス会長菊地唯夫氏
Interview
Mr.CHEESE CAKE田村浩二氏

Chapter8
フードテックを活用した食品リテールの進化
1.食品リテールの新たなミッション
2.地盤沈下し続ける食品リテール
3.AmazonGoが示した究極のリテールテック
4.食業態革新を目指す既存プレーヤーと異業種からの参入
Interview
ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス代表取締役社長藤田元宏氏

Chapter9
食のイノベーション社会実装への道
1.事業創造に向けた5つのトレンド
2.スタートアップ投資もオープンラボ型へ
3.日本でも始まった「食の共創」
4.企業の枠組みを超えたフードイノベーション
Interview
味の素
代表取締役社長西井孝明氏
代表取締役副社長/CD0福士博司氏
専務執行役員/CIO児島宏之氏

Chapter10
新産業「日本版フードテック市場」の創出に向けて
1.フードテックの本質的な役割と未来の姿
2.12項目のフューチャー・フード・ビジョン
3.求められる食の進化とカギとなる取り組み
4.グローバル視点で日本市場の可能性を考える

おわりに改めて思う「日本はすぐ動かねばならぬ」

巻末収録アフターコロナ時代の羅針盤「フード・イノベーション・マップ2・0」

田中宏隆 (著), 岡田亜希子 (著), 瀬川明秀 (著), 外村 仁 (監修)
出版社 : 日経BP (2020/7/23)、出典:出版社HP

ナショジオと考える 地球と食の未来(日経BPムック) (ナショナル ジオグラフィック特別編集)

地球の未来を考えるムック本

ナショナルジオグラフィックが2014年から展開してきたシリーズの1つで、その中でも大きな反響のあった特集を5本にまとめてあります。身近な食べ物の話題から世界の食料事情まで、食の現状と未来についてさまざまな角度から知ることができる1冊です。大きな誌面にテキストと写真が載っているので視覚的な理解がしやすいです。

目次

NATIONAL GEOGRAPHIC
ナショナル ジオグラフィック特別編集
ナショジオと考える地球と食の未来

こだわりのフォーク
料理に合わせて進化した、多彩なフォーク。

世界の食の未来
2050年までに、世界の人口は90億人に達する。
地球環境に負担をかけることなく、食料供給を増やす方法はあるか。

米国に広がる新たな飢餓
世界屈指の経済大国で、定職に就いていても、満足な食事ができず、十分な栄養をとれない人が増えている。この「新たな飢餓」の深層に迫った。

次世代の緑の革命
遺伝子組み換えなど、バイオ技術だけでは、未来の食料危機を回避できない。食料を増産する新たな「緑の革命」には、何が必要か。

食を支える未来の養殖
世界の水産養殖は急成長を遂げているが、大規模化に伴って環境問題も引き起こしてきた。水質汚染などを抑えつつ、より良い魚を育てる方法とは。

肉を食べるジレンマ
「残酷だ」「地球環境に悪い」といった、牛肉をめぐる主張は正しい?生産現場を訪ね、答えを探した。

このムックは月刊誌「ナショナルジオグラフィック日本版」に掲載した特集を再録したものです。
記載している内容は、雑誌掲載当時の情報に基づきます。
SAED 5): GEORGE STEINMETZ; AMY TOENSING; CRAIG CUTLER; BRIAN SKERRY; BRIAN SKERRY; BRIAN FINKE; CRAIG CUTLER; BRIAN FINKE
表紙の写真:Pixelbliss/Shutterstock/RightSmith

90億人の食
こだわりのフォーク
ヨーロッパでフォークが日常的に使われるようになったのは17世紀以降のこと。米国では19世紀後半、南北戦争直後の好況期に、1回の食事で使うフォークの数が急増した。エビやイワシ、ロブスター、カキなど、料理に合わせて30種類ものフォークが使い分けられるようになったのだ。「米国人はフォークに夢中になりました。フォークの数はステータス・シンボルだったのです」と、米クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館の学芸員サラ・コフィンは語る。

カキ用
カキの身を殻から外すのに最適な大きさと形をしたフォーク。

前菜用
1930年にデザインされたジョージ・ジェンセン社製のフォーク。

魚用
魚用とサラダ用は似た形が多く、どちらの料理にも使える。

エビ用
柄が長いため、深いボウルからエビを突き刺して取り出せる。

取り分け用
レモンやピクルス、ハムなど薄く切った食材を取り分けやすい。

イワシ用
歯の幅が広いので、魚の切り身を崩さずに口へ運ぶことができる。

ロブスター用
独特な形はロブスターの身を殻から引きはがすのに最適。

前菜用
19世紀、米国では魚介類の前菜が好まれたがるタコは不評だった。

写真:REBECCA HALE, NGM STAFF

「食べること」の進化史 培養肉・昆虫食・3Dフードプリンタ (光文社新書)

人間と食の密接な関わり合い

私たちが普段何気なく食べているごはんは、食材を生産・入手する技術、加工や調理法などによって支えられています。先人たちが試行錯誤を重ねてきた食の世界は、現代の技術や社会の影響を受けて激変してきています。そんな食の進化の多様性や未来について学べる1冊です。

はじめに

みなさんは、「人生最後の食事は何を食べたいか」を考えたことがあるでしょうか?
私がそれを強く感じさせられたのが、写真家ヘンリー・ハーグリーブス氏の「死刑囚の最後の食事」を再現した写真を見たときでした。
2011年、米国のテキサス州が死刑囚への最後の食事プログラムを廃止したことが大きく報道されました。テキサス州では、これまで死刑囚が死刑執行の日に「本人が望むメニュー」を出すことを伝統としてきました。 これに関心を抱いたハーグリーブス氏は、死刑執行前に死刑囚らが口にする最後の食事を再現するプロジェクトを始めました。彼のプロジェクトは、多くのマスコミなどに取り上げられ、世間から良くも悪くも大きな反響を呼びました。彼が「非常に不自然な瞬間」と呼ぶこの最後の食事において、ほとんどの死刑囚たちは、揚げもの などこれまで自分がよく食べてきたホッとする食べもの”を依頼します。死刑囚が最後に頼んだメニューに、何か意味があるのかないのかはわかりませんが、多くの人に「引っかかる何か」が、この最後の食事にはあるように感じます。
また、絵本作家の佐野洋子氏が、エッセイの中で、知り合いのマコトさんから聞いたお父さんの死について、次のような文を残しています。

「何か飲みたい?」ときくと「こう胸がスカッとするもの」と云うので、いつもサイダーをあげていた。サイダーを飲むと「ウム、スカッとした」と云うそうだ。「もう、お前、あのじいちゃん、サイダー、トラッ ク二台分は飲んだぜ」とマコトさんはげらげら笑いながら云っていた。 (中略) ある日、おじいちゃんが、「体をふいてくれ」と突然云ったので、何だろう、不思議だなと思って、体をきれいにふいてやった。ふだんと変わりは何もなかったそうだ。しばらくすると「何かスカッとするもの」と云ったので、吸い口にサイダーを入れて飲ませた 。それからすぐ、ヒクッとしてそのまま死んでしまったそうだ。

私たちは、「最後の食事への向きあい方が、その人となりを物語る」ことを暗に感じているのではないでしょうか。
生まれてきて、死ななかった人は一人もいないのにもかかわらず、私たちは死ぬことに対してなぜか”他人ごと”です。いつ死ぬかわかりませんが、生きているうちは、たいてい何かしら飲食して、生きていくほかありません。
もし、私が自分の人生最後の食事を幸運にも選べるとしたら、どんなメニューにするか、考え込んでしまいます。それまで食べてきたいつもの食事なのか、あるいは今までで一度も食べたことのないものなのか。最後に誰 と食べるかの方がはるかに重要である気もします。
「食と人の関わり」がどう変わってきたのか、そして、これからどう変わっていくのか、すなわち「食の未来」 を考えながら、誰にでも訪れる未来の「最後の晩餐」のヒントをみなさんと共有できたらと思います。

目次

はじめに

序章 食から未来を考えるわけ
(1)なぜ「食の未来」を考えるのか
(2)食がいかに私たちを変えてきたか
(3)食の未来の見方

第1章 「未来の料理」はどうなるか―料理の進化論―
過去 料理はこれまでどのように変わってきたか
(1) 料理の因数分解
(2)限られた食材、変わってきた調理法
(3)食材の拡散により誕生し、洗練され、融合する料理
現在 現在の料理の背景にあるもの
(1) 料理界における科学の勃興
(2) エビデンスに基づいた料理の解明と開発
(3)9世紀版「食材ハンター」
未来 未来の料理のかたち
(1) 「未来食」のヒントはここにある
(2)3Dフードプリンタの衝撃
(3)仮想と現実の狭間にある料理

第2章 「未来の身体」はどうなるか―食と身体の進化論―
過去 食と人類の進化物語
(1)食による祖先の自然選択
(2)肉に魅せられた人類
(3)大きな脳を可能にしたもの
現在 食と健康と病気
(1)食べることと健康の因果関係
(2)肥満の進化生物学
(3)食欲の制御と暴走
未来 食と身体の進化の未来図
(1) 健康になるためのテクノロジー
(2)ヒトは未来食によってどう進化するのか
(3)脱身体化するヒト、脱人間化するヒト

第3章 「未来の心」はどうなるか―食と心の進化論―
過去 人は食べる時、何を思ってきたか
(1) 食の思想、イデオロギー、アイデンティティ
(2)栄養思想、美食思想、ベジタリアニズム思想
(3) 食のタブー
現在 人は食に何を期待しているのか
(1) 私はどうしてこの料理を選んだのか(人→食)
(2)自分を映す鏡としての食(食→人)
(3)食べることは、交わること(人→食→社会)
未来 人は食に何を思い、何を求めていくのか
(1)食の価値観の未来
(2) 食の芸術性の未来
(3)おいしさの未来

第4章 「未来の環境」はどうなるか―食と環境の進化論―
過去 食の生産、キッチン、食卓の歴史
(1)人と食べものの量的・質的変化の予測
(2)キッチンテクノロジーの歴史
(3)共食の歴史、意義
現在 食の生産、キッチン、食卓の今
(1) 農業のアップデート
(2)キッチンからみえる現在の風景
(3) 食卓は、食事を共にする場なのか
未来 食の生産、キッチン、食卓のこれから
(1)農業と農業への意識の未来
(2)キッチンのハイテク化と手で作ることの意味
(3) コミュニケーションの未来における食の役割

おわりに

序章 食から未来を考えるわけ

(1) なぜ「食の未来」を考えるのか

「SF食」の出現

昔のSF作品の世界で見た「未来の食」は、手に届くところまで迫ってきています。たとえば、食糧不足や環 境問題など人類が抱える問題を解決するための、さまざまな「代替食」の開発が進んでいます。代表的なものの ひとつとして、細胞を培養して食肉とする「人工培養肉」が、現実化しています。また、調理の世界では、調理機器と情報通信技術(ICT)が融合し、キッチンの「スマート化」や「ロボット化」も進んでいます。
新しい食は、食の生産、製造、流通などだけでなく私たちの身の回りの食生活をも大きく変革し、最終的には私たちの身体や健康、さらには、家族団らんや個人のアイデンティティなどの心にも影響を及ぼしていくでしょ う。将来、私たちが何を食べるか、何を食べることができるかは、これからの「食のテクノロジー」にかかっています。
イギリス出身のSF作家、アーサー・C・クラーク氏が定義した「クラークの三法則」の第3法則の中に 「Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.(十分に発達した技術は、魔法と見 分けがつかない。)」という有名な言葉があります。
たとえば、平賀源内が今のスマートフォンを見て、その動作原理を理解できるでしょうか。静電気発生装置のエレキテルを開発した彼であろうと、電気で動くスマートフォンは全く理解できないからくり板』のように見えるでしょう。平賀源内に限らず、30年前でさえ、スマートフォンの登場をリアルに予想できた人は、決して多くはなかったはずです。
未来に発明されるかもしれないテクノロジーを予想するとき、現時点でその可能性や限界を明確に示すことは 非常に困難です。未来において発明されるかもしれない斬新なテクノロジーは、その斬新さゆえに、現在の価値観の延長線上では、なかなか理解されにくいからです。そのため、現時点で予測する未来の食は、まるでSFや 魔法のように扱われ、「ありえない」と切り捨てられるおそれがあります。

“マルチプレーヤー”としての食

フランスの思想家、アンテルム・ブリア サヴァランの「普段何を食べているのか言ってごらんなさい。あな たがどんな人だか言ってみせましょう」という有名な言葉があります。食は、自らを投影する鏡のようなもので あり、「食の未来」を思うことは、「私たちの未来」を思うことでもあります。
さらにいえば、食の未来予測は、人間の未来を考える上で最も身近なもののひとつです。食べるという行為 は、日常的かつ必須であり、私たちの肉体や精神などに直接的かつ間接的な影響を広く与えているため、人の未 来像を予測する上で、食のこれからを考えることは、大きな威力を発揮するでしょう。
本書では食べもののさまざまな~働き”をとりあげますが、新しい視点として、東京大学先端科学技術研究センターの稲見昌彦氏は、「料理はメディア・アート」と話しています。料理は、生産者の食材へのこだわりや、料理人のアイデアと技術などが介され、食べる人へと届きます。そういった性質から、食材や料理は、それらがもつ情報や食に携わった人の気持ちを媒介するメディア、体現するメディア・アートとしてもみてとれます。
カナダの英文学者マーシャル・マクルーハンは、1964年刊行の著書『メディア論』で、「メディアはメッ セージである」という言葉を残しています。そこには、「人々はメディアによる内容にとらわれがちだが、メディアが現実と違った媒体に再構成されているのであれば、そのメディアの形式や構造にこそある種のメッセージが含まれており、それに目を向けるべきだ」という主張が込められています。つまり、食べものがメディアであるなら、「食であることにメッセージ性がある」「食を仲介とするからこそ伝わることがある」ということです。
また、2018年に朝日新聞GLOBE+に掲載された記事の中で、マサチューセッツ工科大(MIT)メディアラボの石井裕氏は、「AIの時代にあっても、色あせず輝く才能、創造性とは何か」について、「アート、 デザイン、サイエンス、テクノロジー、どの分野でも楽しみながら異文化コミュニケーションできる資質が求められており、そんな性質をもった人材を育むには、異文化に身を投じて異なった考えをもつ者と議論し、自らの考えを鍛えていくこと、すなわち『他流試合』が大切である」と語っています。もともと、料理をきわめる人に とって、アート”の才能はとても重要な要素ですし、再現性を高めるための調理のサイエンス』を理解することも上達への道 標となります。さらに、料理の見た目だけでなく栄養バランスなどをヘデザイン”する意識も必 要ですし、料理を作る上での職人技ともいえる、テクノロジー”を有することも必須です。料理をする人の中に は、アーティスト、サイエンティスト、デザイナー、テクノロジストがそれぞれ存在し、自分の内なる世界の中で他流試合をしています。
料理を作ることや考えることは、科学や芸術といった多分野を融合しているため、自ずと幅広い創造性や独創性を育む訓練となります。料理と似た性質をもつものに、建築がありますが、一般の人々にとって家を作るよりも料理を作る方が、はるかにとっつきやすい行為です。
このようなマルチな性質や意味合いをもつ食の未来予測をすることが、先の読めない問い、たとえば「これからのAI時代に本当に求められるものは何か」などを想像する上で、有効な手段となるでしょう。

(2)食がいかに私たちを変えてきたか

私たちが食を変えたのか、それとも食が私たちを変えたのか

人類の長い歴史の時間軸で考えれば、たくさんの食べものの中から自分の食べたいものを選べるようになったのはつい最近、のことです。人類は250万年にわたって、植物を採集し、動物を狩り、食物にしてきました。これらの動植物は、人間の存在とは関係なく、繁殖していました。
しかし、1万年ほど前になると、私たちの祖先は、より多くの穀物や肉を手に入れるために、種を蒔いて、作物に水をやり、動物には餌を与え、草地に動物を移動させました。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、ホモ・サピエンスが文明を築いた重要な3つの革命として、認知革命と科学革命とともに、この「農業革命」を挙げています。
しかし、人類はこの農業革命によって、「手に入る食料の総量を増やすことができたが、実際はより良い食生活をもたらしたとは限らず、人口爆発と階級格差の誕生につながった」とハラリ氏は語っています。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのにもかかわらず、見返りに得られる食べものは劣っており、農業革命は、「史上最大の詐欺、であったと言っています。
農業革命以前の狩猟採集をしていた際の人類は、多種多様な食べものを食べ、小麦や米などの穀物はその中の ほんの一部を占めていたに過ぎませんでした。それが農業革命後は、穀類が食事の主体となり、現代の私たちの食生活、身体、そして社会全体にも影響を及ぼすことになりました。