【最新】霞が関の実態を知るためのおすすめ本 – 霞が関官僚の実態に迫る

霞が関の実態は?そこでは何が起きている?

かつて人気だった霞が関の官僚ですが、近年、就職を希望する人は減少し、20代、30代で退職する人が増加しています。このような不人気の原因はどこにあるのでしょうか。働き方改革が叫ばれる中、霞が関では平均残業時間が民間企業の倍以上と、過酷な労働環境で働いています。さらに近年では不祥事が頻発しています。このような「負のスパイラル」ともいえる現状の霞が関について、その実態を学ぶことのできる本をご紹介します。

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出典:出版社HP

ブラック霞が関 (新潮新書)

政治システムがよくわかる

読み進めるうちにリアルすぎて胸が苦しくなるページもありますが、著者の飾らない実直な人柄が良く出ており、霞が関が等身大に描かれていると感じます。役所を志望しているような方は、一読をお勧めします。

千正 康裕 (著)
出版社 : 新潮社 (2020/11/18)、出典:出版社HP

まえがき

2019年9月30日、僕は18年半勤めた厚生労働省を退官しました。どうしてもなりたかった職業に就き、育ててもらい、使われすぎるほど使ってもらいました。
例えば、年金、子育て、働き方、児童福祉、医療など幅広い分野で法律改正など、重要な仕事に携わることができました。政治家をサポートする秘書官の経験も得がたいものでしたし、外国(インド)でも仕事をする機会をいただきました。
僕は、官僚の仕事とは、「現場や人の生活の中にある課題を発見し、それを解決するための政策をつくること」だと思っています。そのために、厚労省の分野を中心に支援やビジネスの現場に足を運び、団体の代表や支援者、ビジネスマンたちと対話するのがライフワークでした。例えばホームレス、性犯罪やDVの被害者、児童虐待の被害児童、中途退学した若者や引きこもりの支援や自殺対策、子ども食堂、困難を抱える若年女性の支援、外国ルーツの子ども・若者支援、ヘルスケア関係の企業、中小企業などです。自分が霞が関でやっている法改正などの仕事がどうやって人に届いているのかをどうしても知りたくて、平日の夜や休日にこうした現場によく行っていました。NPOや企業などの民間の関係者と信頼関係を築きながら、現場の実態から政策を立案することを心がけてきました。

また、自分が携わった法改正の内容が、全く国民に届いていない状態で法律ができていくことに愕然として、10年くらい前から実名でブログやツイッターを使って情報発信もしてきました。法改正や政策を通じて本当に人の生活がよくなるためには、政策の中身や作り方を一般の人が理解できるようにして、人々の行動が変わるようにする必要があると考えたからです。
このように、よい政策をつくるために必要だと思ったことは、他の官僚がやっていないことでも素直に行動に移してきました。その意味では、自由な官僚だったと思いますが、そのことで一度も厚労省に怒られたことはありません。
こんな自分を受け入れ、思うとおりにさせてくれて、たくさんの活躍の場を与えてくれたのが厚労省でした。
その結果、厚労省や他省庁、そして民間企業や地方自治体、NPOなど民間団体にも、たくさんの仲間ができました。僕の考えにフィードバックをくれるブログやツイッターの読者もいます。今振り返っても、本当に最高の職業人生でした。この間、関わってくれたすべての方に感謝しかありません。
そんな自分が、大好きな厚労省・霞が関を離れる決断をしました。近年、見える景色が急に変わったからです。僕は、官僚としては少し変わっていたかもしれません。他人からの評価よりも自分がよいと思ったことを優先し、素直に行動に移します。組織に言われなくても社会に必要だと思えば、新しいことにも取り組んできました。
信頼する同期からも「やることが決まっている政策をちゃんとつくっていくことは誰でもできる。そういう仕事は俺たちに任せろ。お前は誰にもできない新しいことができるんだから、どんどん新しいことをやっていったらいいよ」と言われていました。
しかし、やらないといけない仕事をしっかりやった上で、さらに新しいことをやろうとすれば、仕事の量が増えます。それでも管理職になるまでは、プレイヤーである自分自身が頑張れば、増えた作業をこなすことができていました。

18年に僕が管理職になった頃、役所は深刻な人手不足に陥っていました。関係者の意見を聞きながら方向性を示し、若い人たちに作業をお願いしないといけません。ところが、作業を進める若い人たちが圧倒的に不足していました。新しいアイディアを思いついて、新しい事業をより効果的なものにしようとしたら、行政経験の長い年上の部下に止められたことがありました。「担当者は今でも死ぬほど残業しているのに、これ以上仕事が増えたらパンクしてしまう」と。
部下に、体を壊したり、家庭を崩壊させたりするような働き方を強いることはもちろんできません。組織全体を見わたしてみると、ほかの部署も状況は同じでした。最低限やらないといけない仕事すらこぼれ落ちそうな状況です。このままでは厚労省が崩壊してしまう、という危機感を覚えました。管理職としては、最低限の労力で、とはいえ税金を使っている仕事ですから、国民に怒られないギリギリの及第点を狙うようなマネジメントをするしかありません。
深夜・土日も働いている部下たちをつぶさずに、手がついていない埋もれた仕事がないか常に注意して、不祥事を起こさないようにうまくすり抜けていく。それは、技術的にはできないことではないですし、管理職の役割とも言えるでしょう。ただ、僕にはものすごく我慢が必要なことでした。国民のためにできることがあるのに、諦めなければならないのです。また、うまくこなしていくだけなら、僕みたいな自由な発想で新しいことをやる官僚でなくてもできる人がたくさんいるでしょう。
辞めるのを決意した時、僕は44歳。おそらく、今のペースで動けるのはあと20年くらいでしょう。その間、ずっと我慢をし続け、不祥事を起こさないように、部下をつぶさないように、そろそろとうまくすり抜ける。公務員ですから生活は安定していますし、給料も少しずつは増えていくでしょう。それなりに出世することも可能かもしれません。「でも、そんな人生の意味って何だろう」。そんな思いが、駆け巡るようになりました。
妻に、その思いを打ち明けました。

「このままの人生を送ると後悔すると思う。自由に動ける環境で、自分の能力を最大限使ってもらって社会に貢献したい」
「いいと思う!」

即座に賛成してくれました。僕が自由になることを妨げるものが、全くなくなった瞬間でした。
今になって振り返ってみると、もしかしたら、自分は官僚の仕事や厚労省が大好きだったので、そのままそこにいて、嫌いになりたくなかったのかもしれません。
自分が役所を辞めることについては迷いがなくなりましたが、厳しい状況の中で役所に残って踏ん張っている同僚や後輩たちのことはすごく気になりました。
自分が、これから幹部として厚労省を引っ張って変えていく。自分自身もそういう気持ちを持っていましたし、同僚や後輩たちの中にもそう思ってくれていた人が少なからずいたと思います。
19年8月22日、職場に退官の意思を伝えたあと、心からほっとして体から力が抜け、一日中脱力していました。好きな仕事を、自分のスタイルで楽しくやっていただけのつもりでしたが、思ったより重いものを背負っていたことに気づきました。僕が外部の人と接する時、それが仕事であろうとプライベートであろうと、片時も自分が厚労省の職員であり、官僚だということを忘れたことはありませんでした。相手が初めて官僚に会った、初めて厚労省の人に会ったというケースも珍しくありません。その時に、僕のことを「意外とフランクでいい人だ」と思ってくれるのか、「いやなやつだ」と思われるのかで、その人の厚労省や官僚に対するイメージができ上がってしまうからです。

官僚である僕らの活動や生活は、すべて税金で成り立っています。その税金を払っている皆さんが、僕らのことを「みんなのために働く、信頼できる人だ」と思うような社会の方が幸せですし、よい政策をつくるためには、そういう信頼が必要です。そう思ってきました。道で知らない人とすれ違った時にも、「この人たちはみんな僕のお客さんなんだな」と思いながらずっと生きてきました。
僕の場合は少し極端だったかもしれませんが、多かれ少なかれ公務員はそういう思いを背負っています。退官し、僕自身は、自由になって楽しく社会のために働けるかもしれない。だけど、そうした思いを背負い続けて踏ん張り続ける同僚たちはどうなるのだろうか。退官を心に決めてから、そんな思いにとらわれるようになりました。
厚労省を含め霞が関では、仕事が増え続ける一方で、人員は減り、長時間労働が常態化しています。長時間労働そのものの問題もありますが、より本質的なつらさは、社会の役に立ちたい、この国で暮らしている人たちの生活を少しでもよくしたい、そのための政策をつくれるはずだという思いで官僚になったのに、そういう実感が持てずにいることです。
今の霞が関に必要なのは、昔からの惰性でやっている非効率なやり方を変えて、官僚が働いている時間の多くを、国民のための政策の検討や執行に費やせる環境作りです。それは、官僚の生活を楽にするということではありません。体を壊したり、家庭を壊したりするほど働いている官僚たちは、忙しい部署に配置されている優秀な人たちです。いわゆるキャリア(幹部候補)に限らず、どの職種の人も転職しても十分やっていけます。後輩たち一人ひとりの人生を考えたら、辞めて別の道で家族を大事にしながら仕事をしていくという選択を僕は止めることはしません。

僕が心配しているのは官僚の生活よりも、この国に絶対必要な「政策をつくる」という機能をちゃんと存続できるのかということなのです。国民が困っている時に、解決策を「決める」のは政治家の仕事ですが、その解決策を提案したり、実務に落とし込めるかを考えて、うまく回る仕組みを考えるのは官僚です。どんなに政治家がよい議論をして正しい指示をしても、実務が崩壊すれば国民に政策の効果は届きません。
若手の離職や採用難が深刻化する中、霞が関はもはや崩壊の入り口にさしかかっています。今以上に、霞が関から若手が流出し、国家公務員を志望する学生が減っていけば、霞が関の仕事の質はどんどん落ちていくし、そもそも業務が回らなくなります。そうなれば、国民にも企業にもどんどん迷惑がかかっていく。
新型コロナウイルス対策で、保健所や10万円の特別定額給付金、雇用調整助成金などの給付事務で役所がパンクしたことは記憶に新しいと思います。通常の業務量をはるかに超えた仕事が突然発生して、国も地方自治体も混乱しました。このままでは同じことが、コロナのような未曾有の緊急事態でなくても、この国の役所のあちこちで常態化していきます。

若手が雪崩を打って離職したらもうおしまいです。崩壊するか変わるか。崩壊すると国民に迷惑がかかるので、僕は変える方にかけたいのです。自分の知見、発想、ネットワークなど、持てる力を存分に使って国民の役に立ちたい。そして外側から霞が関の働き方を変えていきたい。それが僕のやりたいことです。

そのためにまず、僕たちも含めて国民みんなで考えて取り組んでいかないといけないのは、霞が関の仕事を徹底的に効率化して、国民の生活と直接関係のない作業を全部やめさせることです。そして、特に若い官僚には、効率化して自由になった時間を使って、もっともっと外部の人と接したり、現場や企業を見に行ったり、最先端の技術を見たり、そういった経験をしてほしいのです。また、異常な長時間労働が改善され、多くの官僚が生活者としての時間を持つようになれば、制度を使う側の気持ちも分かるようになるはずです。
官僚は、制度を使う側である生活者の気持ちを理解し、また制度を運営している現場の人たちや、その受け手である最終的な”お客さん”と会って話して実情を知ることによって、初めて自分の作った法案や予算や答弁がどんな結果を生み出すのかをイメージできるようになるのです。しかし、普段、役所にいて会う人というのは、国の役人、地方自治体の役人、国会議員、審議会の委員になっているような有識者、業界団体、記者クラブに所属しているメディアといった限られた人たちです。人の世界観や想像力は、会う人の範囲に限定されてしまいます。人の生活をよくしたい、日本という国をもっとよくしたい、そういう思いを持って官僚になった人間も、いつしか一生懸命働くが故に悪気なく霞が関の論理に染まり、官邸や永田町の怖い国会議員の先生方を向いて仕事をするのが自然になってしまいます。

そもそも、学生時代にたくさん勉強してきて、いわゆるいい学校を出て官僚になっている人間というのは、誤解を恐れずに言えば世間知らずなのです。役所に入ってから、自分が担当している行政分野という窓からこの世界の隅々まで見渡すことができて、やっと世界をフラットに見ることができるようになります。さらに言えば、自分が担当している行政分野と直接関係ない人も納税者ですから、その人たちもみんなお客さんです。よい政策をつくるためには、そのくらいの広い視野を持つことが必要です。
でも、安心してください。彼らは、自由に使える時間さえあれば、もっと勉強したり現場を見に行ったりして、政策立案能力を高めます。自分の仕事が国民の役に立っていると実感すれば、喜んで頑張ります。各省庁の官僚同士がつながり、縦割りを超えて横のつながりを作っていきます。官民の交流ももっと進むでしょう。そう願う若い官僚はたくさんいます。
この本を書くことにしたのは、官僚を本当に国民のために働かせるためにはどうしたらよいか、それを皆さんと一緒に考えて実現していくためのきっかけとしたいからです。霞が関の仕事に最も大きな影響を与える、国会の運営も変えていかないといけません。今まで誰もそれに真剣に取り組んでこなかったと思います。最初は、僕の話を聞いても「必要なことだけど、実現するのは難しいんじゃないか」と半ば諦めている国会議員や官僚がたくさんいました。でも、新聞、雑誌、テレビなどのメディアでも繰り返し伝えていくうちに、同じ思いを持ってくれる人が増えてきています。
長年変わらなかったのだから簡単だとは思っていません。でも、世の中に変えられないことなんて何もないと思います。少しの時間と仲間が必要なだけです。
どうか最後までお付き合いください。そして、「そうだな。自分たちの税金で仕事をしている官僚には、国民のためになることに極力時間を使ってほしいな」。そう思ってくださったら、とても嬉しいです。社会を変える仲間の一人になってください。また、よいアイディアが浮かんだら、編集部や僕のツイッターでもnote(ブログ)でも結構です。お気軽に声をお寄せいただければ望外の喜びです。

千正 康裕 (著)
出版社 : 新潮社 (2020/11/18)、出典:出版社HP

目次

まえがき

第1章 ブラック企業も真っ青な霞が関の実態
〜政策の現場で何が起こっているのか〜

20年前の若手官僚の働き方
1年生は「窓口」に
「余裕」が生み出すコミュニケーション
今の若手官僚の働き方
管理職も幹部も異様な忙しさ
残業代は最低賃金を下回る
なくならないパワハラ
誰もが経験するカスハラ
形ばかりの女性活躍
女性のロールモデルがない
組織にも政策にもマイナス
定年延長が霞が関崩壊の引き金を引く
国会質問の意味
前日夜の質問通告が国会待機と深夜残業の元凶
激増する質問主意書
野党合同ヒアリングで答えられない官僚
目玉政策の後に残る作業
大量のコピー作業と配達に追われる若手

第2章 石を投げれば長期休職者に当たる
〜壊れていく官僚たちと離職の背景〜

誰もが長期休職のリスクを抱える
僕が休職したワケ
「タコ部屋」での生活に突入
ついに限界が来て胃潰瘍に
家族の犠牲と家庭崩壊
切迫早産や流産も
若手が求めているフィードバック
自分の仕事の意味が見えない
世の中は変わっているのに
離職した若手の思い
採用難に直面する霞が関
民間人と自治体職員にもしわ寄せが

第3章 そもそも官僚はなぜ必要なのか
〜民間と大きく違う公務の本質〜

「政策をつくる」という仕事
複雑な調整過程の意味
よい政策をつくるための3つのプロセス
中間組織の弱体化
官邸主導の内実
「これじゃない」政策ができるワケ
民間と公務の本質的な違い
官僚はいつの時代にも必要
霞が関の働き方改革は国民のためのもの
届用主としての視点を
今一番力があるのは間いなく国民

第4章 政策は現場から生まれる
〜政策と人の生活の間〜

初めての法律改正
年金は一番安心できる制度
「未納三兄弟」と「グリーンピア」
法律の先に何があるのか
霞が関の外で国の未来を考える
法律改正の残念な結末
役所の広報が弱い理由
児童虐待が教えてくれたこと
ベーシック・タイズ
NPOが教えてくれた仕事の意味
現場が官像を育てる
山中教授のノーベル賞受賞
最後の法律改正に挑む
母親のがん
いい法律を作れば研究が進む
インドに行ってこい
ミッションの見えない仕事
欧米企業との扱いに差
霞が関より自由な空気
現場を歩いて見つけた政策のタネが芽吹く時
若い女性の問題に注目が
現場のニーズを先取りする

第5章 「できる上司」と「偉い人」が悩みのタネ
〜霞が関の働き方改革の壁〜

スーパーサイヤ人ばかりが引っ張る組織
頻発する不祥事
負のスパイラル
実務を考えない政策決定
やることばかり決定される
事業仕分けのカラクリ
霞が関も年功序列
小泉進次郎議員の評判
国会には逆らえない
重鎮議員の理解がカギ
公務員の美学と沈黙
清潔さを求めすぎると
倒産しないことの難しさ

第6章 本当に官僚を国民のために働かせる方法
〜霞が関への10の提言〜

政府の改革
1. ペーパーレス化の推進
2. テレビ会議の活用
3. チャットなどビジネスツールの活用
4. テレワークの推進
5. 畑雑な手続の簡素化
6. 作業の外注
7. 国家公務員の兼業推進
8. 民間とのパートナーシップ
9. 官僚自身の意識改革
10. 霞が関全体の人員配置の適正化と柔軟化

第7章 本当に国会を国民のために動かす方法
〜永田町への10の提言〜

国会の改革
1. 委員会日程の決定と質問通告時刻の早期化・見える化
2. 質問主意書のルール見直し
3. 公務と関係ない発注の禁止
4. 議員立法は執行体制もセットで
5. 議論の場の効率的な設定
6. 国会、政党の会議や議員レクの対応者の柔軟な設定
7. コミュニケーションのオンライン化
8. 国会の入館証の大幅な増加
9. 国会議員の研修
10. 国会議員と官僚の交流

あとがき

千正 康裕 (著)
出版社 : 新潮社 (2020/11/18)、出典:出版社HP

日本を壊した霞が関の弱い人たち 新・官僚の責任

新しい官僚のトリセツ

教科書の様な存在で、まだ実現性が遠いかもと感じる項目も、長期的に向かうべき方向を軸にした抜本的な提言も含め、解説されています。古賀氏による官僚論は正論であり、これからの政治・行政の推移を見ていく上で大いに参考になる一冊です。

古賀 茂明 (著)
出版社 : 集英社 (2020/10/26)、出典:出版社HP

はじめに

2020年9月16日、菅義偉内閣が誕生した。
安倍晋三前総理は数々のスキャンダルで支持率が大きく落ち込んでいたが、辞任表明後は急回復。菅新内閣も7割前後の支持率を得て上々の滑り出しを見せた。突然の総理交代劇により、安倍前内閣の負のイメージは一掃され、「改革」を旗印に掲げる菅新内閣に対して、国民は、なぜか、無条件の信頼を寄せているように見える。
そんな状況を見て私の頭に浮かんだ言葉は、「リセット」。
安倍前内閣で問題となった官邸による官僚支配は、「付度」という言葉に象徴される。森友学園問題で起きた公文書改ざんとこれを強要された職員の自死は、その究極の結果だ。改ざんを強要した財務省幹部は誰ひとり責任を取らないまま、「リセット」されるのか。
新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて繰り出された安倍政権の対策はことごとく後手に回り、遅れて出てきた政策も実施段階で混乱と遅延が続いた。そのひとつの象徴が「アベノマスク」だが、これを考案した経済産業省出身の官邸官僚たちは、最後まで表に顔を出すことなく政権中枢から立ち去った。
官僚に起因する問題、あるいは、官僚の「付度」が生み出したといわれる数々のスキャンダルも、すべて何事もなかったように「リセット」されるのか。

私が経済産業省の現職官僚でありながら、『官僚の責任』(PHP新書)を出版したのは11年7月。同書の中で、私は、「政治主導」を標榜して政権に就いた民主党が、実際には財務省を頂点とする霞が関官僚たちの軍門に下り、天下り改革を大きく後退させたことを批判したが、それは民主党による「政治主導」が失敗したということも意味していた。

あれから9年。12年末に誕生した第2次安倍晋三内閣は、政治家と官僚の関係を大きく変えてしまったように見える。政治主導、なかでも「官邸主導」といわれる政治手法は、官邸側の一方的な「官僚支配」を生み、「付度」によって政治がゆがめられる結果を生んだという疑いも広まった。
菅新政権の誕生でこれらの問題すべてが「リセット」されてしまいそうなのだが、一方で、菅氏は「安倍政治の継承」を宣言している。「(官僚が)反対するのであれば異動してもらう」という発言は、安倍氏の「官僚支配」を受け継ぐという宣言なのかもしれない。

民主党政権の「政治主導」の失敗から安倍内閣の「官邸主導」、そして菅内閣への移行という過程において、官僚と政治の関係はどう変化したのか、また、政権交代を経ても変わらない本質はなんなのか。安倍政権のスキャンダルに必ずといってよいほど、重要なプレイヤーとして登場した「官僚」とはいったいどんな人たちなのか。今井尚哉総理補佐官兼秘書官(当時)を筆頭とした「官邸官僚」とはなんなのか。さまざまなスキャンダルや政策の失敗の陰で、官僚は何をして何をしなかったのか。そして、その理由は何か。さらに菅政権では何が起きると予想されるのか。こうした疑問を持つ人が多いのだろう。最近、これらの問題に関して、マスコミから非常に多くの取材依頼が入る。

本書では、こうした疑問にできるだけわかりやすく答えるために、制度論や問題となった事件の事実関係などに焦点を当てるだけではなく、官僚たちの「人間像」に、より光を当てる形で解説を試みた。それは、マスコミの取材や私が主催しているネットサロンなどでの対話を通じて、生身の人間である官僚の生い立ちや心理状態などの側面に焦点を当てた話をすると、「そういう視点で見たことはなかった」「官僚の人間的な側面がわかって彼らの行動が理解しやすくなった」という反応が来ることが多かったからだ。もちろん、そうした話のほうが読者にとっても「面白く」読めるということも期待している。

300ページを超える「官僚論」と聞いただけで、多くの人は敬遠するかもしれないが、そういう方は、目次の中から面白そうだと思ったところから読み始めていただきたい。例えば、第5章の森友学園問題をめぐる官僚の会話のページなどがおすすめだ。彼らの生態をもっと知りたいという好奇心が湧いてくると思う。

今、私たちは、20年1月に突如として日本を襲った新型コロナウイルス感染症と戦っている。いつ終息するか定かではないこの大禍は、日本社会を根底から揺さぶる「未曽有の危機」だ。しかも、コロナ禍を克服できたとしても「ポストコロナ」の時代に私たちを待ち受ける世界の変化は、凡人の「想像を超える」ものになるといわれる。
ところが、過去の歴史を見ると、日本の官僚は、「未曽有の危機」「想像を超える変化」にめっぽう弱いというのが実態だ。そうだとすれば、危機を乗り切り変化に対応するために新たな政策を提案する役割を担う官僚が、これまでと変わらなければ、アフターコロナ時代の変化に日本の国家が適応し、生き残っていくのは至難の業ということになる。
そう考えると、この混乱期だからこそ、新たな官僚論をまとめて、世に問うことには大きな意義があると思う。

最後にひとつ、触れておきたいことがある。
森友学園問題で公文書の改ざんを強要され、後に自殺された元財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さん。本書執筆中にその手記が公表された。それを読んで、私の心はブルブルと打ち震えた。

(赤木さんは)、同じマンションの方に「私の雇用主は日本国民なんですよ。その日本国民のために仕事ができる国家公務員に誇りを持っています」と話していたそうだ(『私は真実が知りたい」赤木雅子+相澤冬樹〈文藝春秋/28ページ)。これこそ、私たちが求める真の公務員像ではないか。
しかし、公務員の鑑といってもよい赤木俊夫さんが、同じ公務員である財務官僚と検察官僚によって、事実上「殺された」(そう考える理由は第5章)。
そして、公務員を指揮監督する政府のトップにあった安倍前総理も麻生太郎財務相も財務省の佐川宣寿理財局長(当時)も、不正に関わったほかの官僚たちも、見て見ぬふりをしたまま、無罪放免だ。さらに、遺された妻、赤木雅子さんが、「真実を知りたい」と声を上げても、菅新総理は一刀両断に再調査を拒否してしまった。
なんと理不尽なことか。
本文で述べるとおり、赤木さんの件は、決して突然降って湧いた災難ではない。起こるべくして起きたことだ。
だとすれば、第二、第三の赤木さんが生まれてもおかしくない。なぜなら、こうした理不尽なことが起きる仕組みも、それを操る権力者たちもまったく変わらないまま存在し続けるからだ。
赤木俊夫さんの命をかけた告発、そして雅子さんの、これもまた「命がけ」の訴えに報いるためにも、読者の皆さんが、赤木さんご夫妻の気持ちに思いを馳せながら本書を読み進めていただけたら。
それが、私の切なる願いである。

古賀 茂明 (著)
出版社 : 集英社 (2020/10/26)、出典:出版社HP

目次

はじめに

第1章 コロナと官僚
失敗だらけだった安倍政権のコロナ対策
「官邸主導」と「官僚主導」のハイブリッド
習近平ファーストで「外交の安倍」ブランドを守ろうとした
「五輪ファースト」で夢を追った安倍前総理
小池都知事の「五輪ファースト」
コロナ対策予算ゼロの悲劇
初動ミスの原因は「日の丸信仰」?
それでも日本はかたくなに韓国との協力を拒み続けた
医師からの警告「政府は俺たちを見限ったぞ!」
「アベノマスク」大失敗の理由
「アベノマスク」はこう発表するべきだった
補正予算は「2軍予算」
“官僚任せ”が招いた「10万円一律給付」のグダグダ
なぜ「星野源さん便乗動画」は炎上したのか?
突然の「一斉休校」要請はアメリカのテレビドラマの影響?
議事録は改ざんされる——会議はネット生配信を原則にすべし
コロナ禍で露呈した日本のデジタル後進性
官僚たちの行動は不思議なことだらけ

第2章 官僚とは何か
「官僚は優秀」という神話
「青雲の志」も神話
官僚の3類型——絶滅危惧種は「消防士」タイプ
官僚の性弱説——官僚は極悪人でも聖人君子でもない
「弱い人の集団」がしでかす、とんでもないこと
赤木俊夫さんは消防士タイプ
偉くなるのは、”ヒラメ”か”強面”か
「天下り」こそ官僚の命
天下りを差配する官房長の苦労
天下り”闇ルート”は今も健在
「天下り潰し」は反逆罪!?
「俺は寂しいよ」と言った局長
2年で異動する官僚にファンドをやらせると……
団体を設置、延命する官僚の手練手管
現役出向という奇策にNOと言った大臣
民主党政権時代に生まれた、もうひとつの天下り術
急増する「凡人型」の官僚

第3章 官僚と政治家
政治家は国民に、官僚は官僚に選ばれる
キャリア官僚に丸投げすると……
キャリア上司はすぐに異動する
安倍政権のパフォーマンスを見抜いた官僚たちの「逆付度」
内閣人事局はフル稼働させるべき
財務省が政治家に強いワケ
副大臣の屈辱。走馬灯のように駆け巡った「過少申告」の文字
朝食勉強会で官僚の論理に染まる政治家たち
「政策通」か「変人」かは官僚が決める
国会質問デビューは官僚の演出
陳情対応でわかる「デキる官僚」と「ダメ官僚」

第4章 官僚主導、官邸主導、独裁
民主党が失敗した官邸主導
小泉政権と安倍政権の官邸主導
空洞化していた大臣の人事権
内閣人事局をめぐる官僚との大バトル
官僚支配のために繰り出した秘策
安倍前総理が必要としたのは「自分のための官僚機構」だった
内閣人事局は官僚たちに政権との力関係を示すシンボル
官僚の劣化に見る「独裁政権」誕生のリスク
菅政権で官僚組織の再生はできるのか

第5章 森友と加計忖度への報酬と、その犠牲者
なぜ今、「森友」と「加計」なのか?
「官僚の会話」迫田理財局長と総理秘書官
「官僚の会話」佐川理財局長と事務次官
「官僚の会話」佐川理財局長と総理秘書官
森友文書改ざん発覚と職員自殺で追い詰められた佐川氏の心境
赤木さんが「殺された」と考えるわけ
安倍前総理への恐怖心と菅新総理の官僚支配への予感
「官僚格差」と「忖度の連鎖」
「強力なリーダーシップ」と「恐怖政治」の違い
柳瀬元総理秘書官の“気の毒な”立場
収賄疑惑をもみ消すために
報われなかった柳瀬氏の”命がけの付度”
役人の付度には色があり、報酬も特殊だ

第6章 官僚とマスコミ
官僚に使われる記者クラブのサラリーマンたち
官僚に使われる記者クラブ=大手マスコミ
インテリ記者の方がだまされやすい
財務省・福田次官のセクハラ事件は記者クラブが生んだ
菅義偉氏の”女性記者”イジメを官邸官僚と記者クラブが共同でサポート
「政府の言うことも信用してあげないと」と言った若手記者
アメとムチを使い分けてマスコミを操作する
守旧政治を抑え込む改革派官僚のマスコミ戦略
ダイエー再生で活躍したのは新聞・テレビではなく週刊誌
「取材しない、英語ができない、訂正しない」記者たちによる誤報「TAG」
実質賃金大幅マイナスを報じさせなかった官僚の技
基礎知識のない記者が日産と経産省に操られた「ゴーン事件」
先進国標準のマスコミを持たない日本の悲劇
対役所における、マスコミのあるべき姿とは
改革派官僚が頼りにするメディアとは
勉強と取材で官僚を超える記者はいるのか
サラリーマン記者が社会をダメにする
「サラリーマン」と「記者クラブ」という最悪の組み合わせ
テレビ局の報道を崩壊させるダメトップの介入
「放送法」という伝家の宝刀の威力
放送法4条撤廃議論の裏にある官僚の思惑は?
軽減税率は何度でも”使える”

第7章 官僚と公文書
「秘密だから出せません」で納得するな
公文書に関する官僚の4つの哲学
文書にこだわる官僚の性
前例にすがる官僚たち
官僚の公文書公開に関する6原則
「個人メモ」ほど「便利」なものはない
政権に不都合な文言を隠すためのガイドライン”改正”
大臣日程は「超危険文書」だから即日廃棄したことにする
特定秘密保護法による公文書隠しは、気軽に戦争判断を下す道を開いた
情報公開こそ国民の生命を守る王道
監視審査会は政府の特定秘密の運用にお墨付きを与えるだけの機関
すべての文書、メールの”とりあえず”保存義務を
審議会、研究会、有識者会議はネット生配信を
記録は廃棄前に公開義務を
情報公開の例外を限定する
「率直な意見交換」という名の「とんでもない悪巧み」
内部告発窓口を日弁連に委託せよ
政府が絶対に導入したくない「インカメラ」とは

第8章 経産省解体論ポストコロナに向けた緊急提言
コロナの専門家会議はガラス張りに
「DX省」創設を急げ
菅総理の「デジタル庁」構想は役人の作文
グリーンリカバリーのための資源エネルギー庁解体
経産省の産業部門+農水省=「産業省」
「日本版USTR」創設
分散革命を自治体主導で
内閣人事局があってもバランスが取れる官僚システムをDX省で
不正の告発に命をかけなくてもよい仕組みを
弱い官僚は監視が恐い

おわりに

古賀 茂明 (著)
出版社 : 集英社 (2020/10/26)、出典:出版社HP

霞が関残酷物語―さまよえる官僚たち (中公新書ラクレ)

霞ヶ関の問題点を概観

労働省元キャリアの書いた一冊です。本書は、中央省庁の役人が厳しいプレッシャーの環境にあることをテーマとしています。自己の経験と、長年の取材をもとに官僚達の本音を描き出しています。特に暴露話に偏ることもなく、その記述は具体的に真実に迫っています。

西村 健 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP

一〇年越しの重版に当たって

本書は二〇〇二年(平成十四年)、迷走の極みにあった公務員制度改革論議のあり方に一石を投じるべく、霞が関という町を知るための参考にでもなってくれれば、との思いから執筆したものである。筆者が中央官庁の勤務を離れ、執筆の世界に飛び込んでからちょうど一〇年という節目でもあり、自らの体験とその後の取材で知り得た官僚たちの生の声をできるだけ活かすべく心掛けた。おかげさまで好評をいただき、編集部の努力と読者の皆様の支持の賜物でこうして初版から一〇年もの時を経て、重版の運びとなった。心から感謝申し上げる次第である。

執筆当時は最新の情報をできるだけ織り込むよう心したつもりだが、読み返してみると当然のことながら、今となっては現状に合わない記述・説明も散見できる。特に二〇〇九年、民主党による政権交代は状況を大きく変え、例えば本文中、自民党の政務調査会を「”族議員”発生の温床」として指摘したが、鳩山由紀夫政権下では「与党・政府一元化」の旗印の下、自党の政策調査会(民主党では「政務〜」ではなく「政策調査会」)は会長職ともども廃止された。

ただし首尾一貫された政策方針ではなかったらしく、次の菅直人政権下で政策調査会長(ただし閣僚と兼務とされた)及び各部門会議が復活した。さらに野田佳彦政権では政策調査会長の閣僚との兼務も解かれ、権限の強化が図られた。自民党時代の制度に”先祖返り”した格好で、否定していた旧来のやり方が実は政策決定の迅速化に有効、と認めたようなものに他ならない。古臭い制度にも設立時には何らかの意義があったはずで、組船が出てきたとすれば長年続いたことによる内部癒着、現状と合わなくなってきた制度疲労などが考えられる。運用さえ改善すればよかったかもしれないものを、いきなり「廃止」としたから問題が生じたわけで、制度改革にはメリット・デメリットの細かな解析が不可欠との教訓ではあったろう。

新たに政権を担った政党がある程度の試行錯誤を繰り返すのは仕方がない、と許容すべき面もないわけではない。ただしあまりに迷走が過ぎることは既に国民にも見抜かれつつあり、現に自民党政権下で進められていた公務員制度改革も停滞しているのが実情で、人事院の見直しは今後どうするのか、内閣人事局は本当に設置されるのか等々、本格的な議論は端緒につくこともできないでいる。民主党政権による混乱はまだまだ、終息の兆しはどこにも見えないのが偽らざるところと言っていい。こうして意思決定機関である政権が右往左往するたびに、振り回されるのが霞が関の官僚である。「無意味に走り回らされるのはいい加減にしてもらいたい」「意思決定がどこでなされているのか分からない。あまりにもお粗末に過ぎる」「そもそも民主党に政権担当能力などなかったんだ」などなど現役官僚のボヤきを実際、筆者は多数、耳にしている。どうやら「霞が関=残酷な町」というテーゼは、なおしばらくは「真理」のまま引き継がれそうな雲行きである。

細部にはあれこれ現状と異なる部分が生じてはいても、本書で指摘した問題点の本質は何ら変わってはいない。変わらず霞が関という町を理解する一助として、本書をお役に立てていただければ幸いである。もっともそれは一〇年前の問題提起にもかかわらず、公務員制度に何の変化ももたらさなかったという意味で作者としては、忸怩たる思いの裏返しでもあるのだが……。

二〇一一年十月

西村 健

西村 健 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP

目次

一○年越しの重版に当たって

序章 無法の町、霞が関

1 キャリアとノンキャリア——「残酷人事」其の壱
2 事務官と技官——「残酷人事」其の弐
3 国家公務員法アンタッチャブル——無視される国法
4 永田町という雲上界——霞が関を上回る“特権階級”
5 辞めるか、死ぬか、諦めるか——官僚に残された”地獄の三択”

終章 それでも希望を探して……

あとがき

西村 健 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP

序章 無法の町、霞が関

●大蔵騒動と外務省スキャンダル

「またか……」
二〇〇一年十一月三十日。公金流用問題で揺れる外務省が三〇〇人を超える処分職員の内訳を発表したとき、誰もがそう感じたのではないだろうか。
ホテルに代金を水増し請求し、差額をプールしておいた裏金——四一一万円を私的に流用した新井隆二サンパウロ領事、同じくホテルの裏金三八七万円を着服した成田修三チェンナイ領事の両名は、懲戒免職。その他は懲戒停職、懲戒減給、懲戒勧告……といった、クビにもならない“処分”を受ける職員の名前がズラリと並ぶ。「『外交機密費』流用か外務省幹部口座に一億五〇〇〇万円」
二〇〇一年元旦、『読売新聞』のスクープで幕を開けた外務省スキャンダルは、その後の田中眞紀子前外相と同省との暗闘という伏線も手伝ってさまざまな話題をまき散らし、ほぼ一年近くにわたって国民の耳目を引きつけてきた。しかしそろそろそれも終わりにしたい。この異例の大耳処分をもって、スキャンダル追及は幕引きとしてもらいたい。そんな、外務省の嘆息が聞こえてくるような処分内容の記者会見だった。
結局この時までに外務省職員で逮捕・起訴されるにいたったのは、松尾克俊元要人外国訪問支援室長、小林祐武元経済局課長補佐、大隈勤元経済局事務官、浅川明男元西欧一課課長補佐の四人。いずれも霞が関でノンキャリアと言われる職員ばかりである。キャリアと呼ばれる幹部職員で、法的罪に問われた者は一人もいない。金額の多寡はあれ、ホテルやハイヤー代を水増し請求して公金をプールし、それを懐に入れたという罪の中身は同質だというのに……。

「またトカゲのシッポ切りで事件にフタをしてしまおうとしているんじゃないの?」
そう。それが事件の経過をつぶさに見てきた一般国民の、きわめて常識的な感覚であろう。ところが——
「あんな中途半端な処分でお茶を濁そうとしてしまったお陰で、省内には職員間の感情に拭い去れないしこりだけが残ってしまった……」

そんな外務省キャリアの義憤を証するかのように、現実には外務省の思惑。も空しく、その後も同省はスキャンダルにまみれるばかり。田中前外相の辞任と逮捕された鈴木宗男衆院議員との衝突、その鈴木議員によるアフガニスタン復興支援会議への非政府組織(NGO)排除圧力、川口順子新外相による「外務省改革の決意」表明、中国・瀋陽の日本総領事館への朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)亡命者駆け込み事件……等々など。ニュースやワイドショーに格好の騒動は、現在も連綿と引き起こされている。そしてついに二〇〇二年五月十四日、鈴木との異常な癒着関係をささやかれていた佐藤優元主任分析官(国際情報局)が、前島陽元大洋州課課長補佐(アジア大洋州局)とともに東京地検特捜部に逮捕されるにいたった。
この佐藤はいわゆるノンキャリア。前島のほうはキャリアだが、この二人については前四人の逮捕・起訴とは少々趣きが違うと見たほうがよいだろう。容疑はあくまで「背任」だが、地検の目線の先には本丸——鈴木逮捕があり、そのXデー(結果的にこれは二〇〇二年六月十九日になったわけだが)のための「外堀埋め」であったことは明らかだからだ。
「鈴木逮捕の橋頭堡として側近の佐藤をまず逮捕した。前島はあくまでスケープゴートでしょう。事件関係者の中でいちばん気が弱いからね。突つけばすぐベラベラ喋る奴だから、事前に証言を集めておいて鈴木逮捕の地盤固めに利用しよう……それくらいの意図なんじゃないの?そういう意味では気の毒にも思いますよね」(外務省キャリア)
いずれにせよ省まみれのスキャンダルは、いましばらくは続きそうな雲ゆきである。そしてつい数年前にも、霞が関で同じような事件があったことを嫌でも思い出してしまう。接待汚職問題で揺れた、旧大蔵省——。

一九九八年四月二十七日。大蔵省(現・財務省)は過剰接待に関する内部調査に基づき、一一二人に上る職員の処分を発表した。発表内容はすでに逮捕・起訴されている職員を除き、長野幡士証券局長(当時)らの懲戒減給”処分”等々などというもの。この事件をキッカケに国民による行政不審は頂点に達し、それを払拭しようと省庁再編まで引き起こしたスキャンダルにしては、あまりにあっけないケジメのつけ方だったと言えよう。たしかに大蔵省としてもこの醜聞が尾を引き、その後の行政改革で財務省へと組織を改編。その金融監督部門は切り離されて内閣府傘下の金融庁となるなど、省としてはそれなりの“傷”を負うこととなったが——職員に対する処分についてはこれで”幕”が下ろされることになった。
結局このとき逮捕・起訴までされたのは、宮川宏一元金融証券検査官室長、谷内敏美元金融検査部管理課長補佐、榊原隆元証券局総務課長補佐、宮野俊男元証券取引等監視委員会上席証券取引検査官の四人。このうち、いかにもスケープゴート的に逮捕された榊原元補佐(何と言っても事件当時まだ三十八歳の若手)のみがキャリアで、他は三人ともノンキャリ職員だった。スケープゴートのキャリアが一人だけという人数も、奇しくも今回の外務省事件とまったく同じである。おまけに外務省の前島は逮捕時三十七歳だから、「若手のスケープゴート」という意味でも両者は見事に符合している。
またこの一連の”大蔵騒動”では二名の自殺者まで出たが、これもどちらもノンキャリ職員。そもそもこの大蔵過剰接待疑獄の火つけ役となった、中島義雄元主計局次長、田谷廣明元東京税関長の二名(こちらはいずれもキャリア)については、懲戒免職を食らっただけで罪にも問われていない——現在はどちらも民間企業の幹部としてのうのうと過ごしていることからすれば、まさに「天と地の差」と言えるだろう。

結局何か事件が起こればノンキャリアから血を流す。キャリアの犠牲は最低限に留め、どうしようもなくなったら若手からスケープゴートを出す。これが霞が関における、一般的な決着のつけ方と言えそうだ。少なくともここ数年のうちに立て続けに起こった旧大蔵省、外務省のスキャンダルを見る限り、それが国民の率直な感想ではないか。そういえばお隣の永田町においても、似たようなセリフをしょっちゅう耳にするな……と嫌でも連想してしまう。疑惑の浮上した政治家による常套文句——「それは、秘書が勝手にやったことで……」。
「いや。処分内容は懲戒減給と言ったって、現実には自主退職を迫られる。これさえなければ将来事務次官になれたかもしれない幹部職員からすれば、その経歴を捨て去らねばならなかったということだけでも、社会的な罰は受けたと言えるのではないか?」
好意的に解釈すれば、このような弁護の声も聞こえてきそうである。実際、内部的な処分は”停職”や”減給”でも、その後これを機に追われるように省を離れた幹部たちも多い。
それでも法律で罪に問われたノンキャリたちの身の上からすれば、そんな社会的制裁などへみたいなものだろう。司法機関によりはっきり、”犯罪者”と名指しされた彼ら。理想論はどうあれ——いかに塀の中で罪を償ってこようとも、いったん“前科者”の烙印を押されれば一生社会で肩身の狭い思いをすることになるのがこの国の“現実”なのだから。

「いや。実際にキャリアは、省内で、自らの手で金を扱うようなドロドロした実務に従事していない。巧みな経理操作で裏金を捻出するような、そんな知恵も技術も持っていないんだ。そうした裏方の仕事は常日頃から、すべてノンキャリアがやっている。そしてそんなノンキャリから差し出された裏金を、出所も知らずにノホホンと使っているのがキャリア。本当に悪い事と知らずにやっているんだから、現実に法で罪に問うのは難しいんじゃないの?」
そういう指摘をする向きもあるかもしれない。なるほどそれは一理あろう。たしかに役所の中で、経理や人事という”キナ臭い”実務はすべてノンキャリがこなしているのが現状。そして裏でどんなドロドロした操作が行われているかトンと知らぬまま、対外交渉などの表の仕事をしているのがキャリアの実像なのだ。だから現実に法を適用する際は、ノンキャリに対するより、”技術的”困難があるのは事実かもしれない。

しかし忘れないでほしい。これまで名前の取り沙汰された”不逮捕”キャリアたちは、いずれも逮捕されたノンキャリ職員らを指揮する立場の高い地位にいた。当然彼らには監督責任というものがある。もちろんそれが問題とされて“懲戒減給”その他の処分になったわけだが、それにしても基本的に、全体的に処罰が甘過ぎないか。責任ある者ほど重い罪に問われる。それが一般社会における常識であろう。ましてやコトは、公的資金や権限を私的に活用し、国の信用をドン底まで貶めた犯罪”に対するものである。一般の使用者責任などよりずっと重い罪に問われるべきなのは、当然ではないのか。
しかも外務省におけるスキャンダルは、代金水増し請求からプール金の私的流用と、犯しているのは逮捕された者とまったく同じ行為である。松尾元室長の捻出した裏金で、飲み食いさせてもらっていたキャリアも数多いという。それどころか旧大蔵の中島元次長にいたっては、問題視されたのは中国の健康飲料輸入・販売契約を民間と取り交わすという、国家公務員法上の「兼職禁止」に触れるであろう違法行為。なのに彼は現在、民間企業から役員待遇で職を得ているというのだから何をか言わんや。塀の内に落ちた面々からすれば、まさに、”雲泥”の境遇であろう。
結局彼らの塀の内外の運命を分けたのは、懐に入れた金額の多寡ともうひとつ——何よりキャリアとノンキャリアの差。これであろう。責任ある地位にあるキャリア幹部が逮捕・起訴などされたのでは、省全体の名誉が失墜してしまう(そもそもそんなものとっくに失墜しているのだが)。職員の士気に与える影響も大きく、到底そういう事態は避けなければならない。つまりはそういう判断なのだろう。だから横の繋がりもある(首相官邸や内閣府などの出向先で席を並べることも多い)検察・警察上層部のキャリアと手打ちをして、ノンキャリアの首を差し出すだけで勘弁してもらう。そのあたりの思慮についてはおそらく、一般の国民も薄々感づいているところなのではないか。

●霞が関身分制度

キャリアとノンキャリアの差——
そう。霞が関にはいまも厳然として、身分制度。と呼ぶべきものが現存している。それも国家公務員採用I種試験合格者と、それ以外——この、キャリアとノンキャリの別だけではない。同じI種試験の中にも実は一三もの職種区分があり(二〇〇○年度の試験までは何と二八にも細分化されていた〔表2—1参照])、そのうちどの職種で合格したかによってその後の昇進に明確な“差異”が生じる。このことは第2章に詳しく述べるが、結局はこのときI種試験「法律職」で採用されたキャリアでなければ、まず官僚のトップ——事務次官にまで登り詰めることは難しいのだ。それどころか技官で採用された場合、ほとんどの省では本省の局長にさえなれることなく職場を後にすることになる。つまりは採用時の試験で、”身分”が定まり、その後の人生がほぼ決定してしまう。それが霞が関という——一般の感性とはおよそかけ離れた——一種異様な”ムラ”」における、犯すべからざる。”常識”なのだ。
しかし一方——これはまあ当然のことだろうが——そんな“身分差別”を「しなさい」と規定している法律など、この国にはありはしない。それどころか「そんな不透明な人事運用はしないように」と明確に定めている法律さえちゃんと存在しているのだ。先にも出てきた国家公務員法がそれである。
にもかかわらずこの法律は、霞が関では無視されたまま。戦後五十余年にわたる長い長い期間、国家公務員法は「死に体」のまま放置されてきたのである。これは明らかな法律違反——百歩譲っても法律無視の言動ではないか。このことは第3章に詳しく述べるが、要は霞が関という町は自国の法律さえ守らない「無法地帯」なのである。そんなところに一般国民が「法律を守りなさい」と言われて、誰が納得できようものか!?
筆者は一九八八年四月、「土木職」で旧労働省(現・厚生労働省)に技官として採用され、丸四年間その中で働かせていただいた。四年というきわめて短い期間ではあったが、その独特な社会の只中にいたことで、まったく外部の方よりは内部の雰囲気を理解しているつもりである。また、その後文筆の世界に身を投じてはや一〇年。取材の過程で多数の現職官僚に知己を得、その本音に耳を傾けてきた。
そこで言えることはただひとつ。一人一人の中央官僚は決して、巷間言われているような悪魔でも冷血動物でもないということだ。まあたしかに挫折の経験が少ないだけ独善に陥りやすく、人の痛みに疎いという面はあるかもしれないが——本来彼らだって、血も涙もある人間である。それもどちらかと言えば少年時代、世間の荒波に揉まれた経験に乏しい分だけ、根は純朴な人間である。そういえば筆者の旧労働省時代の先輩に、映画『あゝ野麦峠』を見て胸を打たれ、「こんな劣悪な環境に置かれた労働者を救わなければならない」との思いからこの職場を選んだ……という人さえいた。
最初から悪意を持って、霞が関に職を得る者などいない。少なくともほとんどの新規採用者はそうだ。大多数の職員は当初、「どうせやるなら大きなことをしたい」「この国のためになる仕事をしたい」。そう“青雲の志”に燃えて、中央省庁の門を潜ったのである。そのはずなのである。

しかしまた一方、役所で実際に仕事をしていて「こんなはずじゃなかった」と歯噛みする覚えがたびたびなのもまた事実である。「こんなことをするために俺は公務員になったんじゃない」「国民がわれわれに望んでいるのは、少なくともこんな仕事じゃないはずだ」。良心ある公務員ならば必ず、どこかにそんな無念を抱きつつ日々を過ごしているはずなのだ。世悩たる思いに責め苛まれつつ、現実と折り合っているはずなのだ。ではなぜそうなのか。なぜ霞が関というところはそうした、職員一人一人の良心さえ叩き潰して心にもない業務に従事せしめているのだろうか。
そこにはさまざまな要因が絡んでいよう。一言で断罪できる構造矛盾があるのなら、そんなものはとっくに改善されているはずだ(少なくともそう信じたい)。
それでも筆者は、この霞が関の“身分制度”こそがひとつのキーなのではないかと考えている。
役所だって人の組織である。そして組織の要は人事である。そんなことは組織論の、基本中の基本だ。
なのに霞が関ではその制度が曖昧なまま放置されてきた。それを規定した国家公務員法を、戦後五十余年にわたって無視し続けてきた。その無法行為が培った職員の士気喪失。政官関係の歪み。そしてすでに袋小路にいたった感のある、構造腐敗。それこそが霞が関における、あらゆる問題の根幹なのではないか。少なくともこれまでの体験と、取材の過程を通じて筆者はようやく、その確信を得るにいたった。

現在政府においても公務員制度改革論議が進められており、新人事制度に基づく国家公務員法改正案を二〇〇三年度中にも国会に提出予定だという。しかしその中間報告(あくまで報道された案)を見る限り、根本的な解決は到底期待できそうにない。それどころか問題の先送りであればまだしも、ヘタをすれば「現状改悪」という最悪の未来さえ招きかねないのだ。
もともと毎回方針ばかりが大仰で、最終的には「かけ声倒れ」の「大山鳴動鼠一匹」に収束するのは政府による、”自前”構造改革の常套手段。それは二〇〇一年一月六日の「戦後最大の行革」——省庁再編劇の結果を見てみても、ご覧のとおり、だ。そもそも実情がどうなっているのかをちゃんと見ようともしない——あるいは見たくもない——政府に、表層だけの議論を任せていても、結局問題に蓋をするだけに終わるのは自明の理。こんなことを繰り返していても時間と、何より公費の無駄遣いなのである。いま大切なのはまず第一に、霞が関の現状がどうなっているのか冷静に、客観的に見据えてみること以外にあるまい。すべての議論はそこから始められるべきではないのか。
役人がもはや完全にやる気をなくし、「国のための仕事」という観点を放棄してしまっては、最終的に番い目に遭うのは一般の国民であろう。しかも役人もまた国民の片割れ。その彼らもが現行の“霞が関身分制度”のせいで、窮屈な毎日を余儀なくされている——。
現状のままでは国民の誰をも幸せにしない霞が関というシステム。その無法の構造に本書では、できるだけ大胆かつ具体的に切り込んでみたいと思う。

西村 健 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP

官僚たちの冬 ~霞が関復活の処方箋~

霞が関の実態に元官僚がメスを入れる

公務員改革(霞ヶ関改革)の部分が、筆者の専門・実務経験者でもあるので、より濃密に書かれている。官僚OBによる内幕本や、ジャーナリストによる天下り叩きとは一線を画す、霞が関研究書です。

田中 秀明 (著)
出版社 : 小学館 (2019/2/1)、出典:出版社HP

目次

はじめに

第1章 ジャパン・アズ・ナンバーワンから失われた20年へ
戦後復興と官僚たちの夏/海外からの過大評価/バブル経済と日本経済の凋落/大蔵省接待汚職/鉄の三角形/与党・官僚内閣制/政界再編と選挙制度改革/橋本政権の「行政改革会議」/官僚の抵抗/小泉政権の衝撃/内閣府官僚の台頭/公務員制度改革は先送り/脱官僚・政治主導を掲げた民主党政権/なぜ挫折したか/政府をマネージするためには

第2章 安倍政権の光と影
第1次安倍政権の失敗/2度目はスタートダッシュに成功/異次元金融緩和の副作用/2度の消費増税延期/安保法制にも着手/安倍官邸の最高意思決定機関/次々に変わる看板政策/山のような報告書/経産官僚のカルチャー/教育無償化は選挙対策/モチベーション低下と付度/加計学園問題/森友学園問題/政治主導は成功しているのか

第3章 未完の行政改革
昭和の改革/中央省庁等改革を評価してみると/内閣官房と内閣府の肥大化/肥大化への対策/経済財政諮問会議の位置付け/省庁再編の失敗/世界標準から乖離する金融行政と財務省/理念は良かった独立行政法人/曖昧なコーポレート・ガバナンス/JIC高額報酬騒動/アリバイ作りの政策評価

第4章 公務員の「政治化」がとまらない
(1)基本的な仕組み
採用・昇進・退職/公務員の給与は高いか/制度の建前と実態/法的根拠なきキャリア・システム/国家公務員制度の亡霊
(2)改革の経緯と幹部公務員制度
大綱と挫折/国家公務員制度改革基本法を巡る確執/基本法の具体化/幹部公務員制度の仕組み/幹部公務員任命の実態
(3)霞が関の病理
最大の問題/任免プロセスに問題あり/公務員の自意識/東大出身者の減少/キャリア形成に難あり/天下りは必要悪か/再就職斡旋の禁止

第5章 先進国の公務員制度
政治任用か資格任用か/閉鎖型か開放型か/ニュー・パブリック・マネジメント/幹部人事がポイント/米国:幹部は大統領の好き嫌いで任免/フランス:高級官僚は特権を持ったエリート/ドイツ:野部公務員のさらなる政治化/英国:トップ200の育成を重視/オーストラリア:幹部公務員は全て公募/諸外国の経験から学ぶ

第6章 霞が関への処方箋
(1)改革の処方箋
「国士型官僚」から「下請け型官僚」へ/公務員に何をさせるのか/5つの提言/メンバーシップ型からジョブ型へ/省庁再々編/政府中枢の在り方
(2)財務省改革
財務省の不祥事/人事と組織の問題/財政の透明性が低い日本/幹部職員は1年で異動/次官は名誉職/マネージャーであるべき/「財務省再生プロジェクト」の中身/財務省立て直しは3度目/世界標準の財務省へ

おわりに

田中 秀明 (著)
出版社 : 小学館 (2019/2/1)、出典:出版社HP

はじめに

2012年末に発足した安倍晋三政権は6年が経過し、異例の安定を保っている。第2次世界大戦後の総理大臣の通算在職日数では、安倍総理は小泉純一郎を抜き、佐藤栄作、吉田茂に次いで、第3位である(明治以降の歴代では第5位)。こうした政治的な安定は、特に外交・防衛面で評価されており、安倍政権(第2次以降)は小泉政権以上に政治主導を確立しているとも言えるだろう。
しかし、これとは裏腹に、加計学園の獣医学部新設、裁量労働規制に関する労働時間調査、森友学園への国有地売却、陸上自衛隊の日報問題、文部科学省の違法天下りや、大学に便宜を図る見返りに息子を不正入学させる幹部まで現れるなど、行政レベルで問題事案が頻発している。
官僚の不祥事は珍しいものではないが、財務省の事務方トップである事務次官のセクハラ疑惑まで発生すると、霞が関、なかんずく省庁の中の省庁と言われた財務省は一体どうしたのか、疑問に思わざるを得ない。

今や官僚への信頼は著しく低下しているが、1980年代までは、第2次世界大戦後の日本の急速な経済発展の原動力として評価されていた。例えば、四年、米国の社会学者であるエズラ・ヴォーゲルは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と題する本を出版し、長期雇用などの日本型雇用と並んで、優秀な通商産業省や大蔵省の官僚たちが経済や産業を主導し、日本の競争力を高めていると、官僚の役割を絶賛した。
しかし、1990年代初頭のバブル崩壊を契機に日本経済は長期にわたり低迷し、接待汚職など官僚の不祥事も続いた。ヴォーゲルが評価した「優秀な官僚」はどこへ行ってしまったのか。つまり「昭和」は、城山三郎が称したように「官僚たちの夏」の時代。それならば、平成は官僚たちにとって「冬」と言えるかもしれない。

日本経済の低迷は官僚だけの責任ではないとしても、一体なぜ冬になってしまったのか。他方で、小泉政権、民主党政権から安倍政権へ移っていく中で政治主導が強化されていったが、そこに問題はなかったのか。
冬に至った背景の1つには、政と官の関係の変容がある。戦後半世紀にわたり続いた自民党政権では、政と官は、関係業界とともに「鉄の三角形」を形成し、それぞれの利益を拡大するためのパートナーであった。
それは、公共事業の談合などの弊害もあったが、全体としては戦後の高度成長に貢献したと言えるだろう。道路や学校・病院などの公共サービスが絶対的に不足しており、そうしたパートナーシップが供給拡大に寄与したからである。しかし、経済の低迷や官僚の不祥事を契機に、政治による官僚たたきが進み、脱官僚・政治主導の改革が始まる。
最初は、1994年の選挙制度改革と政党助成金導入である。続く政治主導を実現するための改革が、故橋本龍太郎が3年に始めた「中央省庁等改革」である。同改革に基づく中央省庁の再編は、2001年1月より開始。同改革は、中央省庁の再編、内閣機能の強化、行政組織のスリム化などを進めた。
1999年には、公務員の不祥事を契機に国家公務員倫理法が議員立法で制定された。さらに、その後紆余曲折を経るものの、公務員制度改革が進められ、2014年、幹部公務員の一元管理、内閣人事局の設置などのため国家公務員法等が改正され、1990年代から始まる一連の改革はほぼ完成した。政治主導と脱官僚主導を前面に掲げた民主党政権は成功しなかったが、小泉政権や第2次以降の安倍政権は、政治主導を確立したと言えるだろう。それでは、果たして政治主導―その意味するところはひとまず横に置く——は期待した通りに成功しているのか。

6年を超える安倍政権の政権運営をつぶさに観察すると、冒頭に紹介した問題事案だけではなく、成長戦略、地方創生、1億総活躍社会、人生100年時代構想など、重要政策が問題の分析や検証が十分になされないままに次々に入れ替わっており、そのパフォーマンスは手放しで評価できるものではない。
安倍政権では、異次元金融緩和により円安と株価上昇をもたらし、経済は一時的には上向いたものの、潜在成長率は高まってはおらず、社会保障や労働市場、税制改革など、日本の将来を左右する必要な改革や困難な改革は先送りされている。
筆者は、第2次以降の安倍政権で生じている霞が関の問題の底流には、これまで政治主導の名の下に行われてきた行政改革や公務員制度改革の設計及び運用に問題があったと考えている。国民が選挙で選んだ政治家が国家の舵取りに責任を持つという、政治主導の目的に異論はないが、実態は意図せざる結果を招いている。
官僚や霞が関に関する本や論考はたくさん出されている。典型的なものは、企業や特殊法人などへの天下り、政治家を陰で操り利益誘導を図る、省庁の縦割りと縄張り争い、法律によらない行政指導などなど、官僚批判と官僚たたきである。
筆者自身、しばしば霞が関を批判しており、こうした批判が的はずれなどと言うつもりはない。しかし、それでは、官僚だけが悪いのか。政治主導の主役である政治家はそんなに素晴らしいのか。「否」である。政治家は、次の選挙で勝つことを何よりも優先する。そのため、政策や政権運営は極めて短期的な視野で考えがちである。霞が関の劣化や凋落は、政府のガバナンスの問題として捉えなければならない。政と官は、コインの表裏の関係であり、官は政の下請けや下部ではない。霞が関には政治家から日々陳情が来るが、官僚はルールを破っても政治家に従うべきなのか。最近の一連の不祥事は、政と官の均衡が崩れた結果ではないか。
本書は、平成の30年間にわたる政治主導の改革の光と影を捉えながら、霞が関の病理を説く。本書は政治主導の改革を分析するのではなく、その改革と公務員の相互作用に焦点を当てる。霞が関の実態は、外からはなかなかうかがうことは難しいが、筆者は元財務省の公務員であり、その経験を踏まえて、できるだけ事実に即して問題を指摘したい。

筆者が行財政改革に関心を持ったことには経緯がある。1998年の夏、旧大蔵省大臣官房に異動になり、2年後の中央省庁等改革実施に向けて準備する担当になった。その後、オーストラリア国立大学で研究する機会を得て、先進国の行財政改革も調べた。
さらに、2008年、当時筆者は財務省を休職し一橋大学に在籍していたが、公務員制度改革に関わる検討会議に委員として参加して、実際の議論にも関わった。また、四年に発足した民主党政権では、当時の菅直人副総理の下で開催された「予算編成のあり方に関する検討会」に参加し、10年に一橋大学から霞が関に戻ってからは、内閣府に設置された行政刷新会議担当の参事官に就いた。筆者自身、改革の当事者として身を置いたこともあり、そうした経験を踏まえて、霞が関の冬を描こうと思う。
結論を先取りすれば、誤った政治主導の結果、官僚の自律性が低下し、それは政府全体のパフォーマンスやガパナンスの低下にもつながっている。
ただし、霞が関の問題の根元は、今に始まったことではなく、以前から存在している。霞が関の官僚は、政治家との緊密な関係、自ら利害や省益を追求するという意味で「政治化」し、本来発揮すべき「専門性」が疎かになっているのだ。
政治は、その結果の是非はともかく、1990年代以降自己改革を進めてきたが、霞が関は自ら本気になって自己改革を進めてきたとは言い難い。安倍政権におけるいわゆる官邸主導の人事は、新たな問題を生んでいるのではなく、以前から存在する霞が関の問題を悪化させているに過ぎない。
昨年来流行語になっている「忖度」は、官でも民でも、どこの組織にも存在するが、霞が関では、官僚たちが過度に付度に走っている。官邸が幹部人事を掌握することにより、官邸に異論を唱える者は更迭されているからであり、官邸に逆らえなくなっているのだ。
もとより、政治や行政は手段である。当面の日本の課題は、急速に進む少子高齢化を乗り切ることである。団塊の世代が後期高齢期に達する2025年ではなく、団塊ジュニアが後期高齢期に達する2050年に向けて、早急に経済・社会システムを改革しなければならない。日本が必要なのは痛みを伴う改革である。
そうした改革を進めるためには、省益にとらわれず専門性に基づき問題を分析する官僚機構が必要である。平成が終わり、新しい元号が始まるが、果たして、官僚は冬の時代に終わりを告げて、春を迎えることができるのか。政と官の在り方を改めて問い直したい。
本書の構成は次のとおりである。第1章では、これまでの政治・行政改革を振り返り、官僚たちの冬の時代を概観する。第2章では、そうした改革の結果としての安倍政権の政治主導や政策形成過程を考える。第3章は霞が関の組織である省庁再編、第4章は人である公務員制度に焦点を当てて、問題を掘り下げる。第5章では、先進国の公務員制度改革を学ぶ。そして第6章では、今後を展望し、どのような改革が必要かを考える。

政府部門で働く者(選挙で選ばれる政治家を除く)を表す言葉には、公務員、官史、官僚、役人などいろいろあるが、一般には「公務員」が使われることが多い。本書では、政策形成過程に深く関わり影響を与える集団という意味で「官僚」という言葉を使い、法令などの制度について言及する場合は「(国家)公務員」という言葉を使う。なお、国家公務員法上の国家公務員には、総理大臣や大臣などの政治家も含まれる。

田中 秀明 (著)
出版社 : 小学館 (2019/2/1)、出典:出版社HP

霞が関 悩める官僚―週刊東洋経済eビジネス新書

閉塞感が強まる霞が関の実態に迫る

本書は、不祥事で弱体化する財務省、官邸に食い込む経産省、ブラック職場とも揶揄される厚労省、2001年の中央省庁再編後も続いているかのような旧省庁時代の慣行など、国民経済や生活に直結する霞が関の悩めるエリート官僚たちの実態に迫った一冊です。

週刊東洋経済編集部 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2018/11/1)、出典:出版社HP

霞が関 悩める官僚 目次

・没落する忖度エリート官僚の悲哀
・官僚は”おいしい”職業なのか
・東大生は霞が関よりコンサル、ベンチャー志向に
・【財務省】財政再建の大義を捨てた罪と罰
・【経済産業省】露呈した持たざる官庁の限界
・【外務省】「英米研修組」優遇に変化
・外務省vs.警察庁 国家安保局長をめぐる暗闘
・【厚生労働省】霞が関有数のブラック職場
・【総務省】実質3人の次官が仕切る
・【国土交通省】旧運輸と旧建設の間に不文律 揺らぐバランス人事
・有力企業に在籍する元事務次官たち
・【防衛省】優先される身内の論理
・【文部科学省】加計で揺れる”地味省”
・産業革新機構を軸に再編も 官民ファンド投資の実態
・INTERVIEW 官僚OBの提言
・経産省はもっと「領空侵犯」せよ(経済産業省OB)
・走りながら考えるしかない(財務省OB)
・財務、経産、厚労…若手官僚座談会 本音で語るカネ、転職、働き方
・INTERVIEW 達人がズバリ明かす! 官僚の徹底活用術
・元小泉首相秘書官・飯島 勲
・元金融相、総務相・竹中平蔵

週刊東洋経済編集部 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2018/11/1)、出典:出版社HP

霞が関に強まる閉塞感、襲いかかる三重苦
没落する忖度エリート官僚の悲哀

不人気、不遇、不祥事——。スキャンダルにまみれる霞が関。政策を担うエリートたちは政権への忖度と官僚ムラの掟でがんじがらめだ。悩める官僚の実態に迫った。

忖度(そんたく)という言葉がこれほどマスコミに登場し、人々の口にのぼった年はないだろう。国会に呼ばれ森友学園や加計学園の問題で苦しい答弁を行う省庁幹部の様子が幾度となくテレビに映し出された。今、霞が関の官僚ムラ”を襲うのは、不人気、不退、不祥事の三重苦だ。
人事院によると、2018年6月29日に合格者が発表されたキャリア試験(総合職)の応募者数は2万人を割り、約半世紀ぶりの少なさを記録した。かつてとは違い「東大を中心として優秀な層が官僚を志望しない」と、幹部ポストを歴任した官僚OBは指摘する。東大生の人気職種は民間のコンサルティング会社や商社など。今や優秀な学生は就職活動をせずに起業する時代。官僚不人気に歯止めがかかりそうにない。

30代で手取り30万円台 統計に出ない大量残業

キャリアと呼ばれる「官僚中の官僚」は、全公務員の0・5%という限られた層だ。ノンキャリと呼ばれる大半の官僚を採用する一般職試験よりも難易度の高い、総合職試験を突破したキャリア官僚は各省庁で国を動かす政策を立案する。海外留学や大使館勤務などのチャンスも多く、中には政治家に転身する者もいる。約27万人の全官僚のうち、キャリア官僚は約1万6000人しかおらず、ノンキャリに比べてその扱いは別格。課長ポストの9割弱をキャリアが占め、出世もノンキャリより約10年早い。
だが、霞が関では働き盛りの20~30代の退職が増えている。転職市場が盛り上がり、「コンサルなどから「来ないか」とつねに声がかかる」(経済産業省の官僚)。キャリアの給料は「30代前半で手取りは月30万円台後半」(現役官僚)。「大学の同窓会に参加しても、給料がいちばん低くてみじめな気分になる」(国土交通省OB)といい、辞めるキャリアも相次いでいる。
不遇の象徴が残業の多さだ。霞が関の平均残業時間は年間363時間と、民間の154時間の倍以上。だが「数字以上に残業しているのが実態」と、各省庁の労働組合が参加する霞が関国家公務員労働組合共闘会議の小池浩之議長は指摘する。「一人当たり月36時間の残業を前提に国が予算を組んでおり、長時間の残業を申請しても原資がなく認められない。公表の残業時間はあくまで支給した額に基づいたもの」という。実際、「忙しい月は残業が200時間を超えたが、翌月に受け取った残業代は10万円に満たなかった」と、若手の元官僚は霞が関の残業の裏側を明かす。
幹部人事で年次逆転は起きないという”掟”がある中、昇進が以前よりも遅くなっている。官僚の天下りにメスが入り、上の世代が組織に滞留。その結果、10年前と比べて、働き盛りの30代が減り、50代が増えている。現場からも「かつて40代後半といえば官房長になれた歳。今は課長止まり」(総務省40代)と不満の声が上がる。

広がる省庁間格差”ヒラメ官僚”も急増

追い打ちをかけるのが不祥事だ。世間を騒がすモリカケ(森友学園・加計学園問題)に加え、セクハラや複数の省庁での文書隠蔽などで世間のイメージは悪化した。ある省庁の若手官僚は、「霞が関を志望する女性の大学生から、『セクハラって多いんですか?」と質問された。本当にショックだった」と振り返る。
不祥事の裏側で省庁間のパワーバランスも大きく変化している。かつて「われら富士山、ほかは並びの山」と他省庁を見下していた最強官庁、財務省の凋落が止まらない。直近ではセクハラ問題で事務次官が辞任し、空席になるという異常事態を招いた。(注・18年7月、後任に岡本薫明(しげあき)前主計局長)一方、安倍晋三政権下で「わが世の春」を謳歌するのが、官邸の中枢に人を送り込み政権の知恵袋となっている経産省だ。政治主導を進める安倍首相の下、「官僚が力をつけ、どれだけ官邸に食い込めるかが重要」(厚生労働省幹部)。官邸と近い経産省では、「今は政治の理解も得やすく、政策を実現しやすい」(若手官僚)。
安倍政権は官邸主導を進め、内閣人事局を通して各省庁の幹部人事権を掌握する。「官邸のほうばかり向くヒラメ官僚、が増えた」(総務省幹部)と嘆く声は少なくない。かつてとは違い優秀な人材が集まらず、入ってきても若くして辞めていく負のスパイラル。上が詰まっており、働き続けても出世は遅れる一方、官邸の顔色ばかりをうかがう幹部は出世する。閉塞感が強まる霞が関はどこに向かうのか。その実態に迫る。

週刊東洋経済編集部 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2018/11/1)、出典:出版社HP

高級官僚 “霞が関帝国”の舞台裏 (講談社文庫)

「高級官僚」という言葉自体を死語に

官僚再編時代を迎えた今、「霞が関帝国」をめぐる覇権争いは、ますます激しさをましています。水面下で展開される高級官僚の新しい動きと狙いは何か?許認可権と補助金行政をテコに、日本を裏から操りつつ、天下りと利権の蜜に群がる、新エリート集団の実態をえぐる。背広の下の発想、政官民で築く覇権と利権の動きを、綿密な調査で明かす力作です。

室伏 哲郎 (著)
出版社 : 講談社 (1987/4/1)、出典:出版社HP

まえがき

「高級官僚」という言葉自体を「死語」にしたい——本書は、まず、その願いに立って書かれた。
一九八六年(昭和六一年)度の国家公務員I職(上級職)試験の競争率は一五年ぶりで二〇倍の大台を割り、ここ数年来続いていた学生の「高級官僚の門」への志願者離れも表面化している。
一八の中央省庁をはじめ、日本の官僚組織の枢要部にボストをもつ高級官僚は、現在なお一万余に及ぶ許認可権をはじめ各種の強大な行政権限を掌握し、天下り、生涯年収の格差など数々の特権にアグラをかき、四五〇万公務員のトップに君臨しながら、なぜ、未来の担い手たちに見放されるほど魅力を失ったのか。
今日、東京・霞が関の官庁街に立てば、明治以降、官尊民卑、いや、戦後ですら、官高民低が常識であったこの国の行政風土に、大きな地殻変動の地鳴りが聞こえるという。
三十有余年に及ぶ長期政権担当の間に、政治・行政のカナメである予算編成、法案作成のノウハウを体得した政府与党は、これまで、その分野で絶対の主導権を握っていた大蔵省を頂点とする官僚組織に大きなダメージを与え、いわゆる「政高官低」の時代が招来されている。
また、輸出産業を中心とする大企業優先の効率第一主義で、過剰行政指導をおこない、日本経済の高度成長の加速役を果たした通産省も、その集中豪雨輸出型外需優先政策の必然的ツケとしての構造的な諸外国との経済摩擦によって、大きく地盤沈下を招いている。
さらに、田中元首相の手法で象徴されるように、集票と引換えの補助金行政、財政投融資等に依存する公共事業費の撒布に便乗して、わが世の春を謳歌していた建設省も、ゼロシーリング時代に突入して、そのビヘイビアは狭められたが、今日また夢よもう一度と復活に狂奔している。
その他、国鉄問題や航空行政等で「民活」に圧倒されている運輸省、聖域の「米」輸入問題や厳しさを増す一方の漁業水域問題等で外圧にゆらぐ農水省等、往年の利権官庁も、このところ冴えない。
一方、本書でも、特に章を設けて取りあげたように、戦前の大内務省の復活を思わせる自治省、警察庁の台頭、三流の現業官庁から一気にニューメディア時代の一流官庁にのしあがった郵政省、あるいは、ゼロシーリング時代に、ひとり膨張する軍事予算を呑みこんで肥大し、発言権を増しつつある防衛庁、あるいは大統領的首相のもとに、安全保障会議”の中核として再編成された内閣調査室等、時代の波に乗った官僚組織も存在する。日本の政治、行政、経済のメカニズムは、よく「ジャンケンポン三極支配構造」だといわれた。つまり、「政治」は「行政」に強く、「行政」は、「財界」に強く、「財界」は(政治資金を供給する)「政治」に強いという構図である。しかも、その中核は、利権を手土産に与党政治家として「政治」にも、また、「財界」にも天下り可能の高級官僚たちであった。
しかし、今日、「党高官低」と民活エネルギーの「民高官低」といわれる様変りした時代に、長い間、主権者である国民の方ではなく、政府権力者の側に顔を向けていた高級官僚のレーゾン・デートルや既得特権等が、その官僚メカニズム自体とともに、根底から問いただされ、洗い直されている。
八〇年代の行革の風は、大蔵省を中心とする官僚組織の巧妙な抵抗によって、何等実を結ばないまま終ろうとしているが、主権者である国民の側からの官僚批判は、民間エネルギーがますます奔出する時代には、さらに、より根強くかつ広範な第二、第三の行政改革運動に拡大展開することは疑いを入れない。
本書は、その国民主権の側に立ち、デモクラシーは、すべての官僚制、官僚組織との対決、克服であるという首尾一貫した思想によって、叙述された。
関心ある方々のご批判を仰ぎたい。特に、講談社文庫『企業犯罪』と併読していただければ、日本の「ジャンケンポン三極支配構造」に対する著者の考え方と姿勢が、より明確にご理解いただけるのではないかと思う。
最後に、本文庫出版にお世話になった守屋龍一氏に御礼を申しあげたい。

一九八七年三月
室伏哲郎

室伏 哲郎 (著)
出版社 : 講談社 (1987/4/1)、出典:出版社HP

目次

まえがき
プロローグ

第一章 官僚とは何か
官僚性の本質/マックス・ウェーバーの提言/官僚主義の病理現象/支配としての官僚制/産業における官僚制と企業国家日本/現代官僚制とデモクラシー/欧米の官僚事情と各国高級官僚/公務員数の国際比較

第二章 日本の官僚——その虚像と実像
情報センター要員としての官僚/ハイテク国盗り合戦/ジェンダーの違う女性高級官僚の視点/長期政権と「民活」のはざまで/オンブズマンも骨抜き形骸化

第三章 霞が関”御三家”官僚の実態
1 自治省
新内務省復元と中央制覇を狙うエリート官僚群/地方自治を崩壊させるものは誰か?
2 大蔵省
地盤沈下「復活」伝説/マクロの政策はダメだが、役職利用は達人の域
3 郵政省
一流政策官庁に昇格したものの……/「郵政vs大蔵」「郵政vs通産」の二大戦争

第四章 天下りと利権のしくみ
1 肥大化する行政権力
「法治国家」から「行政国家」へ/委任なき立法の立役者/崩れ去る中立性
2 天下り症候群
年々記録更新する天下り/上にいくほど抜け穴の天下り審査/症例一——文部省の場合/症例二——期待される天下り像/症例三——防衛庁の場合/症例四——通産省の場合/末期症例——肩書比例の「手土産」高
3 補助金行政の怪
公共事業と集票メカニズム/もちつもたれつの一党独裁/「建政複合体」/災害対策費までが”お仕置”の道具に

第五章 揺がぬ(地下帝国〉
1 特殊法人のカラクリ
行革vs.官僚/国家公務員より多い特殊法人職員数/官僚群団の巻き返し成功す/地下帝国の巨大な資金源/「民間」の顔をした官製怪物
2 汚職・乱脈経理の真相
会社ぐるみの密輸事件発覚/治外法権的特権の謳歌/甘い蜜の分け前/スケープ・ゴートが出た/鉄建公団カラ出張事件にみる組織犯罪/自浄作用に期待はできない/もっと上手がいる?
3 第二の特殊法人
六億円の退職金の陰に/公益法人と認可法人/公益ならぬ私益法人
4 通り過ぎていった「行革」
第二臨調の登壇/審議会にすぎなかった臨調/疑獄の洗礼をうけて/三人四脚の行革の狙い/真似事たっぷり、しわ寄せたっぷり

第六章 官僚支配の打破にむけて
日本官僚有能論批判/高度成長の真の立役者は?/貿易摩擦を促した官僚たちのダブル・スタンダード/世界に通用しないタテマエとホンネ/自由化阻害の保守・官僚行政の利権・買票構造/整理と消滅の展望

本文庫は同名書(世界書院 一九八三年刊)を全面的に再構成し、大幅に書き直したものである

プロローグ

「内閣官房」コロモ替えの意味

昭和六一年夏。内閣官房が新機構に改編された。
専門家は、内閣制度が生まれてから約一○○年、特に戦後四十余年間では、最も画期的な行政機構の変革だともいう。
なぜか?
新内閣官房の目玉は、旧「審議室」が、「安全保障室」(旧国防会議事務局の“昇格”)と「外政審議室」「内政審議室」(共に新設)の三部室組織に強化されたことである。
もともと、内閣の補助機関としての役割を担う内閣官房が、内閣の長である首相個人のスタッフとして機能する組織を強化、権限を拡大すれば、それは、当然、従来の官僚組織のナワバリと抵触し、摩擦や、その逆の便乗現象”を引き起こす。
たとえば、内閣官房に従来なかった「外政審議室」の新設について、外政官庁・外務省は「首相官邸との二元外交は認められない」と猛反発して、改編調整に手間どったといわれる。
また、これまで一元化されていた旧審議室の歴代室長は大蔵省出身者が占めていたが、新内閣官房では、大蔵官僚は、三分化された一組織「内政審議室」の長たるにとどまり、大きく勢力を削がれた半面、警察庁出身官僚の力が、大幅に伸長した。
すなわち、新内閣官房の六部室(前掲の「安全保障室」「外政審議室」「内政審議室」のほか、「情報調査室」「広報官室」「参事官室」の六つ)のうち、「安全保障室」(国防に関する重要事項の審議のほか、「重大緊急事態」に対処する「安全保障会議」の事務局)、「情報調査室」(“日本のCIA”といわれた内閣調査室の体制を強化)、「広報官室」(総理府広報室との兼任を廃止、内閣のPR機関に専念)の三室のトップに警察官僚が据えられ、さらに、これを、中曽根首相や後藤田内閣官房長官(官職はいずれも当時)がその系列である、「旧内務省の流れを汲む官僚」という観点で捉らえれば、六組織のキャップ中四人を数えるのが実状なのである。
これは、ある意味では、「予算編成権を掌握し、一国のカネと行政権力の頂点にたってきた大蔵官僚に対する旧内務省系官僚の挑戦と優位獲得」ともいえるが、その背景には、“大統領的首相”を目指すといった中曽根首相が、首相個人のスタッフとしても機能できる内閣官房の組織を、私的諮問機関やブレーン組織を重視・駆使する政治思考の上にたつ日本型大統領府、構想がイメージされていたともいえるだろう。
と同時に、それは、「従来の官僚組織に屋上屋を架する重複機構」という官僚サイドの批判、反発、あるいは反対に、「首相個人のスタッフに人材を送りこめば、行政のトップに整理精選した情報、すなわち、intelligenceを提供でき、”重大緊急事態”にも適正判断を助言できる」という防衛庁筋など、”新興官僚”サイドの賛成、期待の二方向の反応・論議を引き起こしていた。
いずれにせよ、行政官庁間のナワバリ意識が強く、新事態の対応に、よくいえば慎重、ズバリいえば鈍重な官僚機構に、“大統領的首相”が、私的諮問機関、ブレーン、さらには、新内閣官房など、事実上の首相個人のスタッフによる情報・助言を得て、首相自身が「トップダウン方式」で、行政府のトップの考え方を指示するというものであった。
この政治思考の根底にあるものを分析してみれば、
①三十余年もの長期にわたり実質的に保守単独政権が続いた結果、官僚機構に対する政権与党の相対的優位性が確立され、いわゆる「政高官低」の風潮が一般化していること。
②官僚の相対的地盤沈下の中でも、特に、その沈下度が大きいといわれる「カネ(中核は予算編成権)の大蔵省」の弱体化した立場をより明確に打ち出し、「カネより情報」といわれる激動の時代に即応できる「調査、情報、企画の首相官邸(内閣官房)」という構想に裏づけられていたこと。
③上記の構想にたてば、新内閣官房のポストで、異例の厚遇をうけている警察庁出身官僚同様、防衛庁、郵政省、自治省、検察庁など、「情報官庁」「企画官庁」が軒並み「新興官僚」の牙城として上昇気流に乗る機運にあるとして捉えられていたこと。
④従来の官僚組織万能的な考え方を打破する点ではプラス面もあるが、首相に権限・権力を集中し、官僚機構の非能率性を、首相直接の「上意下達」方式で行政効率を高める方法論の先行する割りには、国権の最高機関である国会や国民の、首相のオールマイティ権限に対するチェック機能(国政調査権の充実や情報公開制度の保証等)には、顧慮が払われていなかったこと。……などであろう。

予算編成も「政高官低」方式で

もっとも、日本の大統領的首相の首相府である内閣官房の新組織にも、アメリカの大統領府が、往年、財務省から予算編成権をとりあげたようなプランは盛り込まれていなかった。
実際、日本の内閣制度百年の歴史の中で、内閣強化、首相の権限拡大の動きのある折りには、かならず、官僚組織との葛藤、とくに、予算編成権の主導をめぐり、大蔵省とトラブルが起こり、しかも、その結末は常に官僚側、大蔵省サイドの圧勝という形でケリがつけられていたのであった。
すなわち、昭和一四年、日中戦争の最中、軍部は”非常時内閣”に予算編成権を握る大蔵省主計局の機能を米国の大統領府並に取り込もうと画策したが、大蔵官僚の猛反撃にあい失敗に終わっている。
また戦後でも、昭和三七年にはじまった行政改革計画の第一臨調に便乗した形で、政権与党の党人派サイドから、内閣府を設置して、主計局機構を導入する構想がブチあげられたが、これも同様、大蔵官僚や大蔵OBらの抵抗によって陽の目をみることなくポシャっている。
こうした歴史的経過に照らしてか、新内閣官房の改編にあたっては、予算編成機能の取り込みは、初めから計画の中に入っていなかったという。が、それでは、最も画期的な内閣官房組織の改編。とはいうものの、新内閣官房も、せいぜい、大蔵官僚の力を三分の一に削った程度で、予算編成権の聖域には手つかずだったのかと早合点していただいては困る。
じつは、くだくだしく制度化するまでもなく、予算編成権をはじめ政策、企画、政府立法等に関して、これまで官僚の独壇場だった分野に、既に実質的に、政権与党の勢力が扶植され、それらのジャンルでの「政高官低」現象は定着してしまっているからである。

その要因はいろいろあるだろうが、次のようなものが主なものとしてあげられる。
①一世代以上に及ぶ長期単独政権下で、連続当選を重ねる与党議員の相当数が、それぞれの専門分科委員会領域において実際活動を続ける間に、知識や情報を蓄積すると同時に、予算編成・獲得のノウハウを心得たプロの政策マンとなり、担当職務が短期間に変動しがちのキャリア官僚たちよりも優位にたてる素地ができたこと。
②日本の国民経済、国家経済の飛躍的な拡大、多様化の結果、従来のタテ割りの官僚機構オンリーによる経済政策や産業政策では、処理が困難となる複雑な問題が激増し、より視野を広げた国家的な見地から、複数の利害、得失の整合性や合理性を「政治的に」アジャストする必要がおこり、政治がタテわりの経済行政・政策に介入する傾向が一般化したこと。
③とくに、大きな国家的な政策決定にあたっては、中央諸官庁の役割が低下し、政権与党の「政調会」の発言力、役割が圧倒的なインパクトをもつようになって既に久しいこと。
④過度の補助金行政や強力な行政指導で、官僚が、民間企業、産業のリーダーシップをとっていた時代は過去のものとなりつつある。「官」の財政的補助や介入指導がなくても民間産業、企業が自立して自由に活動できる力をつけた時代には、国家財政の財政危機による財源難もあって、必然的に官僚の国家、国民の経済活動に対する発言力は相対的に弱まる。反対に、民間の経済的ポテンシャル・エネルギーに依存する、いわゆる「民活」がクローズアップされる時代には、「民間活力」の大規模利用は、官僚のナワバリをこえた「政治マター」となりやすいこと。
⑤金融自由化など、強い外圧”におされ、大蔵省をはじめ官僚組織が、従来アンタッチャブルの聖域として、官僚自らのレーゾン・デートルともしていた「許認可権」を中心とする「政策諸規制」が「緩和」される趨勢にある。すなわちディレギュレーションを余儀なくされる過程でも、必然的に、聖域』を荒らされた官僚の地位は相対的に低下し、ここでも、その問題解決には高度の政治的判断が要求され、政治の出番が多くなったこと。
などがあげられる。
もちろん、我が国は政党内閣を基礎とした議員内閣制をとる以上、国政の遂行、行政の貫徹という観点にたてば、「政高官低」は当然ともいえるが、従来の独善的な官僚主導の行政同様、今日の長期単独政権政党による、官僚の中立的な政策・立案をすら無視しがちな、党利党略のみが優先する政治、行政も、われわれ庶民にとっては有害無益以外の何物でもないことを、本書の冒頭で強調しておきたいと思う。

室伏 哲郎 (著)
出版社 : 講談社 (1987/4/1)、出典:出版社HP