【最新】天皇制について学ぶためのおすすめ本 – 歴史・概要から今後について

天皇制とは?どのような役割・長所があるの?

今の日本は、日本国憲法下の象徴天皇制がとられており、皇室の動きについてもよくニュースで取り上げられています。そもそも天皇制はどのようなものなのか、また天皇制にすることでどういった影響があるのでしょうか。ここでは、これまでの歴史も踏まえ、天皇制の概要から今後の天皇制について学ぶことのできる本をご紹介します。

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出典:出版社HP

立憲君主制の現在: 日本人は「象徴天皇」を維持できるか (新潮選書)

皇室の在り方とは

日本の象徴天皇制をはじめとする世界43か国で採用されている君主制は、時代遅れとみなされたこともありました。そんな非合理ともいわれる制度がなぜ今になって見直されているのか?本書では各国の立憲君主制の歴史からメカニズムを解明し、日本の天皇制が国民統合の象徴であり続けるための条件を問いかけます。

君塚 直隆 (著)
出版社 : 新潮社 (2018/2/23)、出典:出版社HP

はじめに

……君主制など、戦時にあって祖国の防衛に必要となる、熱狂的な感慨を人々に沸き起こさせることもできず、また民主主義的な了解を人々から得てもいない。玉座と王笏などという古代からの飾り物なんかやめにして、共和制にすべきである。[中略]われわれはベルギーのため、フランスのため、普遍的な自由のため、文明のため、そして人類すべての未来のために戦っているのであって……国王のために戦っているわけではない(1)。

この激烈な文章は、今からちょうど一〇〇年前の一九一八年、最初の本格的な総力戦ともいうべき第一次世界大戦(一九一四〜一八年)のさなかに書かれたものである。
執筆者の名はH・G・ウェルズ(一八六六〜一九四六)。『タイム・マシン』や『透明人間』、さらには『宇宙戦争』などで知られる、イギリスを代表するあの「SF小説の父」のことである。

ということは、ここでウェルズがこき下ろしているのは、立憲君主制の手本として世界に知られた、イギリスの君主制であり、その国王ということになる。
なぜウェルズはそこまで君主制を嫌ったのであろうか。
ハーバート・ジョージ・ウェルズは、ロンドン南東部のケント州ブロムリで庭師の父と家政婦の母のあいだに生まれた。典型的な下層中産階級の出身である。当時、ブロムリの隣町チズルハーストには、ウェルズが生まれた四年後に普仏(独仏)戦争で敗れ、イギリスへと亡命してきたフランス皇帝ナポレオン三世(在位一八五二〜七〇年)の一家がひっそりと生活していた。「前」皇帝が一八七三年に亡くなった後も、未亡人のウジェニー皇后がここに住み続けて、長年の友人だったヴィクトリア女王(在位一八三七〜一九〇一年)がたびたび彼女を訪ねてきた。

ウェルズの母サラは今でいう「王室マニア」だった。ブロムリの町でチズルハーストへ向かう女王の馬車に遭遇すると、「いらした!いらしたわよ!ほんの少しでもご挨拶できたらなあ。パーティ(ウェルズの愛称)、帽子を取りなさい!」と大騒ぎしていたようである。こうした母の態度を見るにつけ、パーティ少年は女王、さらには王族全体に対する嫉妬や怒りを感じるようになった。アイツらはいつもいい服を着て、巨大な屋敷に住み、勝手気ままな生活を送っている。特に怒りの矛先は同世代の女王の孫たちに向けられた。そのうちの一人が、ウェルズより一歳年上ののちの国王ジョージ五世(在位一九一○〜三六年)だった。第一次大戦当時の国王である。
こうした少年時代の経験が、ウェルズ自身も赤裸々に述べているとおり、生涯にわたって病的なまでにつきまとう、彼の「王室嫌い」の原点となった(2)。
小説家として名をなした後、ヴィクトリア女王が崩御した翌年の一九〇二年に、彼は社会主義者の知識人が集まるフェビアン協会に入会した。ウェルズにとってみれば、第一次世界大戦を引き起こしたのは帝国主義のドイツであり、そのドイツの王侯らと娘戚関係で結ばれたイギリスの王室も「同罪」であった。これからの世の中は、共和国による世界連合によって世界平和が生み出され、民主的な共和制こそが永久平和の礎になると、ウェルズは固く信じていた(3)。
ウェルズが冒頭の文章を書いた年の一一月、第一次世界大戦は終結した。敗戦したドイツ帝国、ハプスブルク帝国、オスマン帝国はもとより、大戦中に革命で倒れたロマノフ王朝のロシア帝国も消滅した。それからわずか二〇年で、ヨーロッパは二度目の世界大戦(一九三九〜四五年)に突入した。そしてこのたびも、敗戦国イタリアをはじめ、バルカンの王国が次々と崩壊した。

ウェルズが待ち望んでいたように、二一世紀の今日では君主制を採る国は少数派となっている。彼が少年時代を過ごした一九世紀後半の世界では、地球の陸地面積の半分はイギリスやロシア、ドイツなど君主制をいただく帝国によって支配されていた。それが二つの世界大戦を経て、主にアジアやアフリカに拡がる植民地が次々と独立し、その大半が「共和制」を採ったのである。
二〇一七年現在、国際連合(国連)に加盟している国は一九三に及ぶが、そのうち君主制を採用しているのは、日本も含めると二八ヵ国となっている。これにイギリス女王が国家元首を兼ねる「英連邦王国」一五ヵ国をあわせても四三ヵ国であり、国連加盟国の五分の一に過ぎないのだ。世はまさにウェルズが説いた「共和国による世界連合」が実現したといっても過言ではない。
しかしそれによって本当に「世界平和」も生み出されたのであろうか。
ウェルズが永久平和の礎になるとして望んだのは「民主的な共和制」だった。ならば共和制を採る国はすべて民主主義的なのか。第二次世界大戦後にアメリカと並ぶ超大国となり仰せたのは、ソヴィエト社会主義「共和国」連邦であった。しかしそれはすべての市民が平等な国どころか、共産党一党独裁の下で言論の自由は奪われ、党幹部たちが利権を独占する体制であった。ソ連は一九八九〜九一年の一連の市民運動で動揺をきたし、その衛星国として同じく共産党独裁体制下に置かれていた東ヨーロッパの「共和制」諸国とともに、倒壊の道をたどったのである。

さらに、現在、東アジアを中心にその勢力を拡大しつつある中華人民「共和国」はもとより、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の開発などで「世界平和」を脅かしているのは、朝鮮民主主義人民「共和国」である。また、イスラム国(IS)との戦場の舞台にもなったシリアは、アサド政権による民衆への弾圧が長年続く「共和国」であり、二〇一〇〜一二年に北アフリカからアラビア半島にかけて拡がった「アラブの春」で独裁政権が倒されたチュニジア、エジプト、リビア、イエメンは、いずれも過去に君主制を葬り去って「共和制」を採用した国だった。「アラブの春」という嵐を辛うじて生き残ったのは、皮肉にもすべて君主制を採る国であった。
「君主制か共和制か」という国家形態と、「専制主義か民主主義か」といった統治形態とは、必ずしも合致しないのである。イギリスのように一〇〇〇年に近い君主制を採っている国でも、民主主義は立派に成熟している。いやむしろ、君主国であれ、共和国であれ、「民主政治と人権」を尊重し、自国民に豊かな生活を保障していない限り、いまや生き残るのが難しいのが現実である。

国際通貨基金(IMF)が発表する二〇一五年度の「国民一人あたりの国内総生産(GDP)」のランキングで上位三〇位に入る国のうち、第一位のルクセンブルク大公国を筆頭に実に一三ヵ国が君主制を採り、英連邦王国(オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、バハマ)も含めれば、その数は一七ヵ国にも及んでいる。さらに、第二次大戦後に世界的に注目されるようになった、「社会福祉の充実」という点から考えてみても、その先進国はスウェーデン、ノルウェー、デンマークといった、いずれも北ヨーロッパの君主国なのである。
国民統治の面でも、君主制が共和制に劣っているとはあながち言えないのかもしれない。
第二次世界大戦の末期。ドイツはすでに降伏し、残す敵国は日本のみとなった一九四五年七月、ドイツの戦後処理問題などを話し合うために、連合国の首脳たちはベルリン郊外のポツダムに集まっていた。その席でアメリカの海軍長官ジェームズ・フォレスタル(一八九二〜一九四九)は、イギリス外相アーネスト・ベヴィン(一八八一〜一九五一)から驚愕するような発言を聴いた。フォレスタルは、いまや風前の灯火となった日本の「天皇制」を廃止すべきか否かについてベヴィンに尋ねた。慎重なベヴィンは、この問題は十分に検討する時間が必要であると答えながらも、断固たる口調で次のように語ったとされる。
「先の世界大戦[第一次大戦]後に、ドイツ皇帝の体制を崩壊させなかったほうが、われわれにとってはよかったと思う。ドイツ人を立憲君主制の方向に指導したほうがずっとよかったのだ。彼らから象徴を奪い去ってしまったがために、ヒトラーのような男をのさばらせる心理的門戸を開いてしまったのであるから(4)」

ベヴィンは「労働党」の政治家であり、極貧生活の中からはい上がり、労働組合の指導者にもなった社会主義者である。ある意味では、H・G・ウェルズ以上に「反君主制」を唱えていてもおかしくない彼がこのように断言したことに、フォレスタルは驚嘆したのだった。このベヴィンの発言どおり、戦後の日本には、天皇を象徴とする新たな国家が形成され、今日に至っている。二○世紀を代表するイギリスの政治家ベヴィンをして、戦後日本の安全弁のように言わしめた、「立憲君主制」とは果たしてどのようなものなのであろうか。
本書は、二一世紀の今日ではもはや「時代遅れ」とみなされることも多い、国王や女王が君臨する君主制という制度を、いまだに続けている国々の歴史と現状を検討していくことを目的としている。その際に重要なキーワードとなるのが、この「立憲君主制」なのである。
なお、本書で使用する「立憲君主制」という用語について、ここで簡単に説明しておきたい。理論的な詳細は、このあとすぐに第一章で述べていくが、代表的な憲法学における区分としては、世襲君主制(君主の位が親から子、孫へと代々引き継がれる)の統治様式は、大きく三つに分けられている。それは、一七〜一八世紀のフランスなどに代表される、君主が絶対的な権力を握る「絶対君主制」。一九世紀以降のドイツや中欧に見られた、議会や政府より君主の権限が優越する「立憲君主制」。そして近現代のイギリスやベネルクス、北欧などに見られる、立法では議会が、行政では議会に対して責任を負う内閣が優越する「議会主義的君主制」の三つである(5)。

この区分に基づくと、「立憲君主制」と「議会主義的君主制」とは異なるものであるが、今日では君主制をとる世界の大半の国や地域で議会制民主主義が定着しているので、本書は「議会主義的」とあえて冠をつけず、「君臨すれども統治せず」を基本に置く君主制はすべて「立憲君主制」という枠組で論じていくことにしたい。それゆえ、本書のタイトルも『立憲君主制の現在』となっている。
以下、まず第Ⅰ部では、人類のこれまでの歴史のなかで立憲君主制が形成されてきた過程を、主にはイギリスの歴史から繙いていく。イギリスを中心に検討する理由は、何よりもまず著者がイギリス政治史を専攻していることにもよるが、ヨーロッパ大陸や戦後の日本にとって、イギリスの君主制こそが「立憲君主制の鑑」として理想化され、それぞれの君主制のあり方にも影響を与えてきたからである。第二次大戦後に、今日の日本国憲法の原案を作り上げていく上で、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の担当者たちが日本の天皇制を存続させるために参考にしようとしたのが、他ならぬイギリスの立憲君主制であったと当時の状況を詳しく知る研究者は述べている(6)。その意味でも、イギリスで立憲君主制が形成されていった歴史を知ることは、現代の日本人にとってもきわめて重要となってくる。

第Ⅱ部では、立憲君主制を採る主な国々の現状について検討していく。イギリスはもとより、男女同権や「象徴君主制」のさきがけとなった北欧諸国、混迷する政党政治の調整役を務めるとともに「君主の代替わり(譲位)」について貴重な先例を見せてくれているベネルクス諸国の状況を検討していきたい。さらに、ヨーロッパの君主制とは異なるかたちで、今日も連綿と続いているアジア諸国の君主制についても簡単に見ておきたい。
そして最後に、これら諸外国における君主制の歴史と現状とが、現代の日本の天皇制に与える影響についても考察しておきたい。読者の多くにとって、二〇一六年八月八日に今上天皇がその「おことば(正式には「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」)」を、テレビを通じて国民全体に伝えた姿は記憶に新しいことだろう。それと同時に、この前代未聞の「おことば」の発信により、「戦後日本の象徴天皇制とはいったい何であったのか」について、あらためて考えさせられたのではないだろうか。「立憲君主制とは何か」を考えることは、今日の私たち自身を考えることなのである。

君塚 直隆 (著)
出版社 : 新潮社 (2018/2/23)、出典:出版社HP

目次

はじめに

第Ⅰ部 立憲君主制はいかに創られたか

第一章 立憲君主制とは何か

君主制の種類
民主主義との調和
反君主制の系譜
「共和制危機」の時代
バジョットの『イギリス憲政論』
福澤論吉の『帝室論』
小泉信三と『ジョオジ五世伝』
立憲君主制の「母国」イギリス

第二章 イギリス立憲君主制の成立

最後まで生き残る王様?
賢人会議のはじまり
「海峡をまたいだ王」の登場
マグナ・カルタと「議会」の形成
イングランド固有の制度?
弱小国イングランドの議会政治
首を斬られた国王——清教徒革命の余波
追い出された国王——名誉革命と議会主権の確立
議院内閣制の登場
貴族政治の黄金時代

第三章 イギリス立憲君主制の定着
「新世紀の開始、甚だ幸先悪し」
議会法をめぐる攻防
バジョットに学んだジョージ五世
いとこたちの戦争と貴族たちの黄昏
「おばあちゃまが生きていたら」
一九三一年の挙国一致政権
帝国の紐帯
魅惑の王子と「王冠をかけた恋」
エリザベス二世と国王大権の衰弱
コモンウェルスの女王陛下
アパルトヘイト廃止と女王の影響力
「ダイアナ事件」の教訓
イギリス立憲君主制の系譜

第Ⅱ部 立憲君主制はいかに生き残ったか

第四章 現代のイギリス王室

二一世紀に君主制は存立できるのか
国王大権の現在——国家元首としての君主
単なる儀礼ではない首相との会見
栄誉と信仰の源泉
国民の首長としての役割
女王夫妻の公務
王室歳費の透明化
二〇一三年の王位継承法
オーストラリアの特殊性
現代民主政治の象徴として

第五章 北欧の王室——最先端をいく君主制

質実剛健な座下たち
カルマル連合からそれぞれの道へ
デンマーク王政の変遷——絶対君主制から立憲君主制へ
女性参政権の実現と多党制のはじまり
大戦下の国王の存在
「女王」の誕生——女性への王位継承権
女王陛下の大権
「新興王国」ノルウェーの誕生
「抵抗の象徴」としての老国王
ノルウェー国王の大権
専制君主制から立憲君主制へ——スウェーデンの苦闘
象徴君主制への道
象徴君主の役割とは
男女同権の先駆者
「四〇〇万の護衛がついている!」

第六章 ベネルクスの王室——生前退位の範例として

国王による「一喝」
「ベネルクス三国」の歴史的背景
立憲君主制の形成と「女王」の誕生
女王と国民の団結——第二次世界大戦の記憶
三代の女王——生前退位の慣例化?
オランダ国王の大権
生前退位の始まり——マリー・アデライドの悲劇
女性大公と世界大戦——シャルロットの奮闘
小さな大国の立憲君主制
国民主権に基づく君主制
「ベルギーは国だ。道ではない!」
第二次大戦と「国王問題」
政党政治の調整役——合意型政治の君主制
二一世紀の「生前退位」

第七章 アジアの君主制のゆくえ

国王のジレンマ?
アジアに残る君主制
ネパール王国の悲劇
タイ立憲君主制の系譜
プーミポン大王の遺訓——タイ君主制の未来
東南アジア最後の絶対君主?——ブルネイ君主制のゆくえ
湾岸産油国の「王朝君主制」
「王朝君主制」のあやうさ
二一世紀のアジアの君主制

終章 日本人は象徴天皇制を維持できるか
「おことば」の衝撃
象徴天皇の責務
象徴天皇制の定着
「平成流」の公務——被災者訪問と慰霊の旅
「皇室外交」の意味
「開かれた皇室」? ——さらなる広報の必要性
女性皇族のゆくえ——臣籍降下は妥当か?
「女帝」ではいけないのか?
象徴天皇制とはなにか

おわりに

君塚 直隆 (著)
出版社 : 新潮社 (2018/2/23)、出典:出版社HP

天皇制ってなんだろう あなたと考えたい民主主義からみた天皇制 (中学生の質問箱)

天皇制の実態がわかる

日本独特の“天皇制“とは一体何なのか?本書では、日本の天皇制の歴史や各国の君主制を踏まえて、生前退位や基本的人権の保障など天皇制の実態を学びます。私たち一人ひとりがこの国について考えるための機会が得られる入門書です。

私たちの生きる社会はとても複雑で、よくわからないことだらけです。
困った問題もたくさん抱えています。普通に暮らすのもなかなかタイヘンです。なんかおかしい、と考える人も増えてきました。
そんな社会を生きるとき、必要なのは、「疑問に思うこと」、「知ること」、「考えること」ではないでしょうか。裸の王様を見て、最初に「おかしい」と言ったのは大人ではありませんでした。中学生のみなさんには、ふと感じる素朴な疑問を大切にしてほしい。そうすれば、社会の見え方がちがってくるかもしれません。

天皇制ってなんだろう?
あなたと考えたい民主主義からみた天皇制

もくじ

はじめに

第1章 どうして日本には天皇制があるの?

第2章 天皇制ってずっと同じじゃないの?
1 明治の天皇制ってどんなもの?
2 神格化ってどういうこと?
3 戦後の天皇制ってどんなもの?

第3章 今はどうなってるの?
1 今の天皇制ってどうなってるの?
2 私たちが天皇制について考えるの?

第4章 未来のために考えるべきことってなに?
1 戦争責任が日本の未来や天皇制と関係あるの?
2 ドイツはどんなことしてきたの?

第5章 民主主義から天皇制を考えるの?

第6章 私が民主主義社会の主人公?
1 どうやったらなれる?
2 私にもできることってあるの?

おわりに

はじめに

こんにちは。私は宇都宮健児といいます。弁護士です。
この本が出版されるのは2018年の12月の予定ですが、2019年には今の天皇が生前退位し、次の天皇が即位することになっています。天皇の「ビデオメッセージ」を発端に、亡くなる前に退位することを認める特別な法律をつくり、退位と即位の日が決められました。これによって、天皇制のあり方がひとつの転換点を迎えます。
長い間天皇制がつづいてきた日本では、天皇制は空気や水のように、当たり前のもののように定着していますが、じつは、長い歴史のなかで天皇制のあり方も変わってきています。そして今回、また少し現代の天皇制も変化することになりました。
この機会に、天皇制がなぜつづいてきたのか、時代時代の天皇制のあり方について、振り返って考えてみたいと思います。
でも、どうして天皇制についての専門家、研究者ではない弁護士が天皇制について話すのかと思いますよね?そのことについて、簡単にお話しします。

まず、弁護士とは、法律にもとづいて困っている人、人権を侵害されている人を助けるのが仕事です。1949年に施行された「弁護士法」のいちばん最初、第1章第1条に次のように書かれています。

「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」

基本的人権が守られない人の多くは、社会的、経済的に弱い立場の人や、”一般的ではない”とされるさまざまなマイノリティ(少数者)の人たちです。裕福な人、権力のある人は自分の人権を自分で守れるからです。ですから弁護士の使命は、弱い立場の人の味方をすることです。

——弁護士って、お金のある人のために働くんじゃないの?

もちろん、企業の顧問弁護士など、そういう弁護士もいます。でも、私は弁護士になるときに、弁護士法第1条に示されているような活動をしようと決めて、これまでそのように活動してきました。
その活動のなかで天皇制について考えるようになりましたが、じつは、弁護士になる前は、天皇制についてとくに考えたことはありませんでした。ただ、父は23歳のときに徴兵されて、青春まっただなかの10年間を戦争に従事しました。銃撃を受けて負傷し、歩くときは足をひきずっていた父から、よく「日本は神の国だから負けるはずないと思っていた」と聞いていました。「神の国」とは天皇の国ということです。
弁護士になって、人権を守る仕事を始めると、疑問に思うことがでてきました。
法律の大本となる日本国憲法では、「法の下の平等」を謳っています。そして、基本的人権を保障しています。これらは憲法の中でもいちばん重要な原理です。法の下の平等はすべての人が平等でなければなりませんし、基本的人権も、ある人とない人があっていいわけではありません。お金持ちも貧乏人も、障がいを抱えている人も障がいのない人も、みんなが法の下では平等で、みんなに人権があります。そこに差別があってはなりません。
でも、法の下の平等、基本的人権ということについて考えを深めていくと、天皇制と矛盾がでてくるのではないか?と思いはじめたのです。
どうしてそう思ったのかは、この本のなかでお話ししていきます。
その前に、もう少し私自身のことをお伝えしておきます。
弁護士の活動として私が最初に取り組んだのは、高い利子でお金を借り、厳しい取り立てに追われて困りきっている人たちを助けることでした。当時、借金で人生がめちゃくちゃになってしまう人たちがたくさんいて、「サラ金問題」として社会的な問題になっていました。
この問題に取り組むなかで、利子に関する法律に問題があることがわかり、仲間とともに国会に働きかけて、法律の改正を求めました。一人ひとりの被害者を法律にもとづいて助けるという弁護士の仕事から一歩踏み出して、「サラ金問題」解決のために、社会の制度そのものをよくするための活動をはじめたのです。長年の運動の結果、2006年に「貸金業法」の改正が実現しました。
その後も、貧困問題や、2011年の東日本大震災と福島原発事故の被害者の支援などに、弁護士として取り組むとともに、その問題の解決のために積極的に社会に働きかけてきました。そして、その一環として2012年と2014年の2度、東京都知事選挙に立候補しました。結果は落選しましたが、いずれも2番目に多い票を得ることができました。

今回、「中学生の質問箱」シリーズで天皇制について話してほしい、という依頼があったことから、改めて天皇制について調査し、勉強し、考えました。それをもとに法律にもとづいて「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」という弁護士の視点からみた天皇制について、お話ししたいと思います。

天皇という「世界の奇跡」を持つ日本

日本人にとっての天皇

現存する国々の中で日本の皇室は最も長い歴史を持っているため、日本は世界最古の国とも言えます。本書では天皇とは何か、日本国憲法とは何かなど日本人として最低限の教養といえる内容を外国人の視点から学ぶことができます。日本の強さや世界から見た万世一系の尊さがよくわかります。

ケント・ギルバート (著)
出版社 : 徳間書店 (2019/3/26)、出典:出版社HP

目次

序章 日本の中心に天皇が存在しつづけることの貴重さ

◎日本の皇室の何が尊いのか
◎万世一系という「世界の奇跡」
◎現代も続く「民のかまど」
◎マッカーサーによる天皇存続と皇室衰滅

第1章 外国人から見た天皇

◎天皇への無理解が日本を思いもよらぬ方向へと突き動かした
◎天皇を独裁者と誤解したアメリカ
◎人民主権のアメリカにとって天皇は相容れぬ存在
◎天皇の存在を見誤った西洋
◎天皇は「エンペラー」とは異なる
◎ローマ教皇と天皇の類似点と相違点
◎イギリス王室と異なり、天皇は代替がきかない存在
◎意外にも権威に憧れるアメリカ人
◎天皇に深々とお辞儀して猛批判を受けたオバマ
◎アメリカ人がふれた昭和天皇の大御心
◎日本の「人種差別撤廃の提案」は世界秩序への挑戦にほかならなかった

第2章 占領下の日本で何が天皇を護ったのか

◎処刑を主張した親中派たち
◎天皇存続を強く主張したグルー
◎マッカーサーを動かしたフェラーズ准将の進言
◎皮肉にも押しつけられた日本国憲法が天皇を救った
◎マッカーサーはなぜ天皇の戦争責任を不問にしたのか
◎「人間宣言」と五箇条の御誓文
◎GHQが行った改革の功罪
◎現在も生きているWGIPとメディアによる天皇発言の悪用

第3章 天皇と宗教

◎外国人には理解が難しい神道
◎日本の深淵にふれたG7の伊勢神宮参拝
◎式年遷宮の「清め」の精神と日本人の清潔さ
◎日本はもっと日本の神話を研究すべき
◎易姓革命の中国と万世一系の日本
◎アーリントン墓地と靖國神社には決定的な違いがある
◎無宗教の慰霊施設では意味がない
◎天皇は靖國参拝すべきか

第4章 憲法のなかの天皇

◎明治憲法のなかの天皇
◎「君主大権」のドイツ帝国憲法をモデルにした理由
◎「大陸法」と「英米法」
◎ポツダム宣言と天皇の地位
◎国体護持を約束しないアメリカ
◎マッカーサー独裁による占領政策
◎国家の指導者は開戦の責任を負うべき?
◎天皇を政治利用したマッカーサー
◎プロイセン型の憲法を英米型に変更
◎「公職追放」はGHQ憲法のための布石
◎英米型憲法を大陸型で解釈する日本憲法学者の愚
◎日本国の憲法は実質的に何度も改正されている
◎天皇は元首なのか
◎憲法改正で天皇を「元首」とすべきではない理由

第5章 政治利用された天皇
◎天皇は戦争を望んでいなかった
◎天皇は差別の元凶という階級闘争の煽動
◎天皇崇敬は戦争につながると「君が代」を歌わない愚か者たち
◎中国の最高指導者はなぜ天皇に会いたがるのか
◎中国共産党の天皇工作
◎南米の革命神父
◎教育勅語の何が悪いのか

第6章 国民とともにある「これからの天皇」
◎ご譲位について思うこと
◎女性天皇と女系天皇
◎変わりゆくイギリス王室
◎践祚と改元——元号が使われることの意味
〈付録〉象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば

終章 日本は天皇を中心とする運命共同体

◎天皇は一三〇〇年以上にわたり「国民統合の象徴」
◎九条教の心の拠りどころを天皇に置き換えよ

おわりに

装幀 井上新八
編集協力 大嶽寿豊
写真 時事、AA/時事通信フォト、朝日新聞社/時事通信フォト、dpa/時事通信フォト、bridgeman Images/時事通信フォト

ケント・ギルバート (著)
出版社 : 徳間書店 (2019/3/26)、出典:出版社HP

これからの天皇制 令和からその先へ

新しい時代の天皇制

新天皇が即位した今、これまでの天皇制の歴史を振り返り、これからの時代の天皇制について考えることが必要です。本書では六人の論客が天皇制の核心に迫り、未来の天皇制について論じています。

原 武史 (著), 菅 孝行 (著), 磯前 順一 (著), 島薗 進 (著), 大澤 真幸 (著), 片山 杜秀 (著)
出版社 : 春秋社 (2020/11/25)、出典:出版社HP

目次

はじめに(西山 茂)

第一講 「平成流」とは何だったのか
原武史

第二講 天皇制の「これから」
その呪縛からの自由へ
菅 孝行

第三講 出雲神話論
神話化する現代
磯前順一

第四講 国家神道と神聖天皇崇敬
島薗 進

第五講 天皇制から読み取る日本人の精神のかたち
大澤真幸

第六講 「象徴天皇」と「人間天皇」の矛盾
戦後天皇制をめぐって
片山杜秀

原 武史 (著), 菅 孝行 (著), 磯前 順一 (著), 島薗 進 (著), 大澤 真幸 (著), 片山 杜秀 (著)
出版社 : 春秋社 (2020/11/25)、出典:出版社HP

はじめに

本書は、日蓮仏教の「再歴史化」(時代相応の蘇生)を学是とする法華コモンズ仏教学林の二〇一九年度後期特別講座(全六回、二〇一九年一〇月から二〇二〇年五月まで)の内容をもとにした単行本である。主に日蓮門下を受講対象としたものであったが、この度、春秋社のすすめもあって一般向けの書物として発行されることになった。
象徴天皇制は、種々の問題があるにせよ、共同社会の衰退にともなう「契約社会化」(ブライアン・ウィルソン「西洋における世俗化の諸局面」)の結果としての、日本の共同社会の希少な「残地」である。本書が、日蓮門下に限らず、「これからの天皇制」に興味をもつ多くの一般の読者に読まれるようになることを期待したい。
法華コモンズ仏教学林がなぜ本講座を開いたのかについては後述することにして、本講座の成立までの役割分担について述べれば、発案は基本的に西山茂が、講師の人選と依頼は澁澤光紀が、そして授業当日の受付等は学林スタッフの面々が、それぞれ行った。授業のほとんどは新宿の日蓮宗常円寺の地階ホールを会場として対面形式で行ったが、最終回の授業だけはコロナ禍のために動画配信での授業となった。

以下、法華コモンズ仏教学林がなぜ講座のテーマに「これからの天皇制」を選んだのかについて、述べてみよう。
日蓮は後鳥羽上皇などが鎌倉幕府の北条義時によって遠島となった承久の乱の翌年の貞応元(一二二二)年に生まれているが、この乱がなぜ起こったのかということの解明が、一つであるべき仏教がなぜ乱菊の極みになっているのかということの解明とともに、やがて日蓮の出家向学の重要な動機となる。

日蓮はのちに後者の疑問への回答として法華経中心主義に逢着するが、この「實乗の一番」(日蓮「立正安国論」)に違背する「謗法」(具体的には真言僧等による朝廷側の対幕府調伏祈祷)が前者の原因であったと述べている。日蓮にとっては二度にわたる元寇の原因も同じ「謗法」で、しかも家古王のことを誇国日本の諫め役の「隣国の賢王」(日蓮「報恩鈔」)とまでいっている。蒙古調伏は、日蓮の願うところではなかった。
にもかかわらず、近代になると日蓮仏教は国家主義化して、天皇制との結びつきを強める。田中智学(国柱会創立者、一八六一〜一九三九)や清水梁山(岡本天晴らの「清水梁山師年譜」によれば、一八六四〜一九二八)の日蓮主義的国体論は近代天皇制が学校教育を通して国民のなかに広く深く浸透した日露戦争後に勃興した「二次的国体神話」(拙著『近現代日本の法華運動』春秋社、二〇一六年)である。
これを日蓮仏教の一種の「再歴史化」であるとみてもよいが、反面、それは近代日本の「国体」に足を取られて、いまでは「脱歴史化」とさらなる「再歴史化」を余儀なくされているものであるともいえる。
田中によって「国体」の内実をなすとされた、神武天皇の建国の際の三つの道義的理想(積慶・重暉・養正)と日蓮仏教の三大秘法が契応しているとか、この実行によって世界統一を推し進めることが日本国家の「天業」であるとかいったことを、田中が最初にいったのは明治三七(一九〇四)年のことであったが、彼のまとまった日蓮主義的国体論は大正一一(一九二二)年に出版された『日本国体の研究』(天業民報社)を俟たなければならなかった。ここで彼は、「法華経を形にした国としての日本と、日本を精神化した法華経」といっている。また、彼は、実相が「本国土妙」(久遠本時の婆婆)である日本の天皇がやがて世界を道義的に統一するともいっている。
他方、清水のまとまった日蓮主義的国体論は、彼が明治四四(一九一一)年に上梓した『日本の国体と日蓮聖人——一名、王仏一乗論』(慈龍窟)のなかに示されている。そこで彼は、「仏の本地は転輪聖王にて、すなはち日本国の大君にて坐す」とか、「(妙法曼荼羅の)中央七字の本尊は必我が一神一皇たらざる可からず」とかいって、天皇本尊論を主張している。なお、この本尊論は、昭和一〇年代に高佐賀長(日煌、一八九六〜一九六六)や高橋善中らへと引き継がれた。
だが、日本が戦争に負けた昭和二○(一九四五)年以降になると、「国立戒壇」をいっていた戸田会長時代の創価学会を除けば、日蓮仏教界は日蓮主義的国体論だけでなく根本的な教義である「本門の戒壇」すら、ほとんど説かなくなった。
日蓮正宗との関係変化にともなう戒壇論や本尊論についての創価学会の著しい変貌ぶりについては、別著に譲りたい。

ところで、日本史のなかで天皇親政の時期はごく短く、例外的であった。なかでも、西洋の君主制を真似た近代の天皇制は、異例でさえあった。実際のところ、カイゼル髭と軍刀で身を飾り、皇軍を統帥した明治天皇と、体育館のなかで膝を折って被災者と語り、日本国民の象徴の体現につとめた平成の天皇が、同じ位の天皇であるとはとうてい思えない。
しかし、これ以上の天皇制の議論は、本書の執筆者たちにまかせることにしよう。

二〇二〇年八月

法華コモンズ仏教学林理事長 西山 茂(東洋大学名誉教授)

原 武史 (著), 菅 孝行 (著), 磯前 順一 (著), 島薗 進 (著), 大澤 真幸 (著), 片山 杜秀 (著)
出版社 : 春秋社 (2020/11/25)、出典:出版社HP

ビジュアル百科 写真と図解でわかる! 天皇〈125代〉の歴史

歴代天皇125代を完全網羅

歴代の全天皇を解説しており、豊富な図解や年表を用いて視覚的に理解することができます。天皇について知ることは日本そのものを知ることに通じているので、日本史の総復習にもおすすめの1冊です。

山本博文 (監修)
出版社 : 西東社 (2018/12/5)、出典:出版社HP

もくじ

まず知りたい!
天皇の基礎知識
ひと目でわかる!
各時代の天皇の立場
写真で見る
現在の皇室と儀礼
200年ぶりの退位
新天皇の誕生
天皇の一生と祭祀・儀礼
現在の皇族一覧
意外と知らない
天皇と皇族の疑問Q&A

1章 神話〜古墳時代の天皇
年表 神話〜古墳時代の天皇一覧
総論 神話〜古墳時代の天皇の歴史と役割
初代 神武天皇
〈欠史八代〉2代 綏靖天皇 3代 安寧天皇 4代 懿徳天皇 5代 孝昭天皇 6代 孝安天皇 7代 孝霊天皇 8代 孝元天皇 9代 開化天皇 10代 崇神天皇 11代 垂仁天皇 12代 景行天皇 13代 成務天皇 14代 仲哀天皇 15代 応神天皇 16代 仁德天皇
政治 実在が確かな初代天皇は誰なのか
文化 巨大な古墳に納められたものとは
17代 履中天皇 18代 反正天皇 19代 允恭天皇 20代 安康天皇 21代 雄略天皇 22代 清寧天皇 23代 顕宗天皇 24代 仁賢天皇 25代 武烈天皇 26代 継体天皇 27代 安閑天皇 28代 宣化天皇
政治 波乱の生涯を送った継体天皇とは
〈COLUMN❶〉日本古代史の手がかり『古事記]『日本書紀』とは

2章 飛鳥・奈良時代の天皇
年表 飛鳥・奈良時代の天皇一覧
総論 飛鳥・奈良時代の天皇の歴史と役割
29代 欽明天皇 30代 敏達天皇 31代 用明天皇 32代 崇峻天皇 33代 推古天皇
政治 蘇我氏はなぜ天皇家に次ぐ力を誇ったのか
34代 舒明天皇 36代 孝徳天皇 35代・37代 皇極天皇/斉明天皇 38代 天智天皇
39代 弘文天皇
政治 中大兄皇子が起こした革命 大化の改新とは
40代 天武天皇
政治 古代最大の内乱 壬申の乱の勝敗の決め手
41代 持統天皇 42代 文武天皇 43代 元明天皇 44代 元正天皇 45代 聖武天皇
文化 国家プロジェクトとなった大仏造立とは
46代・48代 孝謙天皇/称徳天皇 47代 淳仁天皇 49代 光仁天皇
政治 あわや皇位奪!?宇佐八幡宮神託事件
〈COLUMN❷〉皇統を繋ぐ重要な役割をもった女性天皇

3章 平安時代の天皇
年表 平安時代的天皇一覧
総論 平安時代の天皇の歴史と役割
50代 桓武天皇
政治 現在の京都の町のルーツ 平安京が造られた理由
51代 平城天皇
52代 嵯峨天皇 53代 淳和天皇 54代 仁明天皇 55代 文德天皇 56代 清和天皇
文化 空海・最澄が起こした仏教改革
57代 陽成天皇 58代 光孝天皇 59代 宇多天皇 60代 醍醐天皇 61代 朱雀天皇62代 村上天皇 63代 冷泉天皇 64代 鬥融天皇 65代 花山天皇 66代 一条天皇 67代 三条天皇 68代 後一条天皇
政治 道長が極めた藤原氏の栄華
文化 女性たちの感性が花開いた王朝文化
69代 後朱雀天皇 70代 後冷泉天皇 71代 後三条天皇 72代 白河天皇
政治 院政の本当のねらいとは何か?
73代 堀河天皇 74代 鳥羽天皇 75代 崇徳天皇 76代 近衛天皇
文化 平安京の民が恐れた怨霊の脅威
77代 後白河天皇
政治 一大勢力を築いた平氏の栄枯盛衰
78代 二条天皇 79代 六条天皇 80代 高倉天皇 81代 安徳天皇
〈COLUMN❸〉武家政権樹立の立役者 平氏と源氏のルーツ

4章 鎌倉・室町時代の天皇
年表 鎌倉・室町時代の天皇一覧
総論 鎌倉・室町時代の天皇の歴史と役割
82代 後鳥羽天皇
政治 承久の乱で天皇制はどう変わったのか
文化 鎌倉・室町期に編纂された勅撰和歌集
83代 土御門天皇 84代 順徳天皇 85代 仲恭天皇 86代 後堀河天皇 87代 四条天皇 88代 後嵯峨天皇 89代 後深草天皇
政治 なぜ天皇家はふたつの皇統に分裂したのか
文化 皇室の都儀を受託した泉涌寺
90代 亀山天皇 91代 後宇多天皇 92代 伏見天皇 93代 後伏見天皇 94代 後二条天皇 95代 花園天皇 96代 後醍醐天皇
政治 なぜ建武の新政は失敗に終わったのか
97代 後村上天皇 98代 長慶天皇 99代 後亀山天皇
政治 なぜ皇室はふたつに分立したのか
政治 将軍・義満が成し遂げた南北朝合一
北朝初代 光厳天皇 北朝2代 光明天皇 北朝3代 崇光天皇 北朝4代 後光厳天皇北朝5代 後円融天皇
100代 後小松天皇 101代 称光天皇 102代 後花園天皇
政治 足利義満は日本国王になろうとしていた?
〈COLUMN❹〉皇位の象徴として重視された三種の神器

5章 戦国・江戸時代の天皇
年表 戦国・江戸時代の天皇一覧
総論 戦国・江戸時代の天皇の歴史と役割
103代 後土御門天皇 104代 後柏原天皇 105代 後奈良天皇 106代 正親町天皇 107代 後陽成天皇
政治 天皇の行幸は信長や秀吉に何をもたらしたのか:
108代 後水尾天皇
政治 なぜ幕府は朝廷の統制を行ったのか
文化 後水尾天皇自ら設計した美しき離宮
109代 明正天皇 110代 後光明天皇 111代 後西天皇 112代 霊元天皇 113代 東山天皇 114代 中御門天皇 115代 桜町天皇 116代 桃園天皇 117代 後桜町天皇 118代 後桃園天皇 119代 光格天皇 120代 仁孝天皇 121代 孝明天皇
政治 なぜ天皇を頂点とする新体制に移行できたのか
〈COLUMN❺〉天皇家の断絶を防いだ世襲親王家

6章 近・現代の天皇
年表 近・現代の天皇・皇子一覧
総論 近・現代の天皇の歴史と役割
122代 明治天皇 123代 大正天皇 124代 昭和天皇 125代 今上天皇

天皇系図
元号一覧
天皇用語集

●本書は特に明記しない限り、2018年11月1日現在の情報に基づいています。
●本書内での神代の天皇については『日本書紀』をベースにしています。また、即位年や祭儀などのデータ・名称は宮内庁のHPに合わせています。
●男性天皇の配偶者は立皇后した人物もしくは中宮です。
●各天皇の年齢は、1〜5章までの天皇は数え年、6章の天皇は満年齢です。
●記載には異説のあるものもありますが、最も一般的と思われる説を掲載しています。

山本博文 (監修)
出版社 : 西東社 (2018/12/5)、出典:出版社HP

まず知りたい! 天皇の基礎知識

日本の歴史とともにありつづけた天皇とは

「天皇」と聞いて何をイメージするだろうか。たとえば、自然災害が起こったさいに被災者を見舞う今上天皇を連想する人も多いだろう。膝をついて被災者に言葉をかけたり、にこやかに手を振る姿がとても印象的だが、そもそも天皇とはどんな存在なのだろうか。
現在の日本国憲法において、天皇は「日本国および日本国民の象徴」と規定されている。その伝統的な役割は、国と国民のために祈ることであり、国会の召集や外国訪問といった公務の間に、日々の安寧を祈願する祭祀をこなされている。
また天皇家は、世界の王室・皇室のなかでも突出して長い歴史をもつ。実在が確かな天皇から数えても、実に1700年以上に及ぶ系譜がある。古代には統治者として君臨し、武家政権が誕生しても権威を保った。現在は政治的権限を一切もたないが、天皇がどれほどの影響力をもっているかは私たち国民が一番よく知っていることだ。天皇について知ることは、日本そのものを知ることに通じる。ということで、天皇の歴史をひもといていこう。

最初の天皇は誰?

初代・神炎天皇から9代・開化天皇までは神話の世界の存在で、天皇(大王)の実在が確かなのは、16代・仁徳天皇からである。ちなみに、神武が即位したとされる年を元年とすると、西暦2018年は皇紀2678年に当たる。実在が確かな仁徳や、資料が残されている飛鳥時代からだとしても、世界で一番古くから血脈が保たれている家柄が日本の天皇家だ。

元号・諡号って?

元号とは、支配者の統治の年代を示す紀年法の一種で、現在は日本でのみ用いられている。明治時代に定められた「一世一元の制」によって、天皇一代につき元号ひとつと決められたが、江戸時代以前は平均して4、5年に一度、改元されていた。
諡号とは、死後に贈られる尊称のこと。明治以降は元号を冠して「明治天皇」「昭和天皇」などと呼称されるが、江戸時代以前は先述のとおり、元号が複数あったため諡号=元号ではない。

「天皇」という名称

当たり前に使っている「天皇」という言葉は、古くから中国で使われてきた。中国を治めた伝説上の帝王である三皇(天皇、地皇、秦皇[または人皇])のひとつで、天皇はここからとったものと考えられている(諸説あり)。天皇という号を使いはじめたのは、確実なところでは40代・天武天皇の代からである。

象徴天皇とは?

第二次世界大戦前まで、天皇は国の元首で統治権を総渡し、軍の統帥を保持していた。しかし戦後、日本国憲法第1条で「天皇は日本国の象徴である」と定められたことで、天皇は政治に一切関与ができなくなり、日本の象徴となることとなった。昭和天皇は「人間宣言」を行うと、巡幸で戦争に疲弊した国民を励ました。今上天皇も全都道府県を訪問、被災地では一人ひとりに声をかけるなど、象徴天皇としてのあり方を日々模索している。

ひと目でわかる! 各時代の天皇の立場

国のトップだが実権は伴わないことが多い

天皇の始まりは、4世紀の古墳時代までさかのぼる。大和にクニを拓き、統一国家を打ち立て、当時は大王と呼ばれた統治者が、のちの天皇である。
平安時代にさしかかると、摂関家の藤原氏、天皇を退位した上皇が力をもち、さらにその後の武家政権の誕生によって、統治者としての力は失った。しかし、宮位を与えるという権威はもっていたため、公家や武士からはその立場を尊重され続けた。
明治時代から第二次世界大戦以前までは再び国のトップに立つが、戦後の日本国憲法で改められ、現在は政治に関わらない象徴天皇として存在している。

写真で見る 現在の皇室と儀礼

約200年ぶりに行われる生前退位により、注目されている天皇という存在。日本国の象徴ということは誰もが知っているが、その役目や日々の暮らしぶり、家族構成など知らないことが意外に多い。そこで天皇と皇室の素顔に迫ってみよう。

山本博文 (監修)
出版社 : 西東社 (2018/12/5)、出典:出版社HP