人間はだまされる―フェイクニュースを見分けるには (世界をカエル―10代からの羅針盤)

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メディアリテラシーが身につく

自分を取り巻く世界を正確に知るためには、メディアを通したたくさんの間接的情報に頼らざるを得ません。本書では、メディアリテラシーを身につけた情報受信者になるにはどうすれば良いのか、どのような落とし穴があるのか、社会の動きを伝えるジャーナリズムの今をできる限り具体的に説明し、未来を展望していきます。

目次

はじめに:「本物の情報」を求めて
僕たちと情報
情報こそ航海の羅針盤
感情が判断をゆがめる
情報の賢い送り手、受け手になろう

第1章 だましのテクニックを見破れ~下心がいっぱい~
情報の出所は?
戦争の最初の犠牲者は「真実」
どうしてだまされるのか
身近な情報操作=広告
だましはイタチごっこ
自ら情報をさがそう”

第2章 何がニュースか〜送り手と受け手の関係~
ウソのような本当の話
メディアは「初めて」が大好き
ニュース判断のモノサシ
蛇口を閉めたり開いたり
送り手がいくらがんばっても
オバマ・マジック
受け手にこびてもいけない
ニュースサイトの仕組み
交流サイトの落とし穴

第3章 ジャーナリストの仕事場~好奇心を全開にし現場へ~
10を聞いて1を書く
初対面にも物おじしない
一番前に陣取るやじ馬
時代の空気を伝える
誤報を避けるために
まぎれこんだウソを見逃すな
それでも「誤報」は生まれる
スマホが取材の方程式を変えた
足で稼げば新たな発見がある
世紀の一瞬を切り取るフォトジャーナリスト
写真のチカラ
映像のトリック
画面ではわからない熱気や匂い

第4章 ジャーナリズムってなに?~もしもそれが無かったら~
社会で起きたことを伝える
判断のための情報
情報を取ってくる
権力を監視する
国の情報はぼくらのものだ
憲法が保障する「知る権利」
自分を高める表現の自由
表現の自由は絶対のもの?

第5章 客観報道とは~伝えることのむずかしさ~
「客観的」には限界が
透明性こそ情報に信頼を与える
ロボット記者は願い下げ
ジャーナリストは広報部員ではない
原発事故報道の反省点
記者クラブ・その利点と欠点
お互いにとても便利な仕組み
ミイラ取りがミイラに
発表の洪水に溺れそう

第6章 これこそが特ダネだ!~スクープの意義~
スコップで掘りおこす
本当のスクープ「調査報道」
時間とお金をかけコツコツと
NPOが担い手に
わずか数時間、でもビッグな特ダネ
時間差スクープの弊害
データジャーナリズムもすごいぞ

第7章 人権と犯罪報道~報道被害を減らすには~
「犯人」と決めつけない
痛い目にあった松本サリン事件
なぜ犯人と思い込んだのか
想像力が必要「もし違ったら……」
犯罪報道は必要か
名前を出さないとどうなるか
一度ついた悪いイメージは
フォローアップの報道を忘れずに

第8章 情報源を守る~都合の悪いことは隠される~
鉄則中の鉄則「情報源は秘密」
正義感からの内部告発
秘密を守る権利は
情報が簡単に取れない時代に
凶海外から心配の声
「特定秘密保護法」とは?
強まるテレビメディアへの圧力
独立性を守るはずの放送法が
NHKと民放の違い
ジャーナリズムと権力と世論

第9章 誰もがジャーナリスト~ネット時代のメディアのあり方~
市民が記者の時代
市民ジャーナリズムの取り組み
複雑系は取材がネックに
やはり実地訓練が一番
ソーシャルメディアに鍛えられる?
デジタルメディアの時代がやってきた
新聞、雑誌が消えていく
紙とネットは共存できる?
新聞の未来は

第10章情報は一人歩きする~あふれる情報の時代に~
ネット情報とのつきあい方
その発信、ちょっと待って!
ニュースは思わぬ形で広がる
時間を盗まれないように
ウィキペディア利用法
ITがあなたをたこつぼに
あれあれ、調査結果が正反対に
ネットメディアのチェック機能
発信が社会を動かすパワーに

第11章 思い込みの壁~海外ニュースは遠い存在?~
送り手と受け手のギャップ
厄介なステレオタイプ
あの紳士の国で略奪が
先入観をくずすには?
特派員の毎日
アメリカに片思い?
反響でわかる日本の位置
複眼的思考のすすめで
なぜ戦場へ向かうのか

第12章 愛国心はほどほどに~冷静さを取り戻す道~
スポーツに国家がついてくる
「前畑がんばれ」に批判も
ジャーナリズムには国籍がある
スポーツ報道ならまあいいけれど
戦争と、新聞の転向の歴史
批判精神失ったアメリカのジャーナリズム
よい例もわずかながら

終わりに:「世論」が暴走しないために
事実が感情に押し流される
自分なりの確認方程式を作ろう
ぼくたちの世論が
プロと市民のコラボの時代
用語解説 巻末3
本文中、用語解説に記載した事項の出てくる箇所には*印を付してある。
参考文献 巻末8

はじめに:「本物の情報」を求めて

ぼくたちと情報

ぼくたちは、日々たくさんの情報に接する。
「情報」とはなんだろうか?まずそこから考えてみよう。
アメリカ中西部、見渡すかぎりの大草原。一匹のプレーリードッグが巣穴入り口の盛り土の上に立ち、周囲をじっと見回している―。
敵を察知すると犬のような鳴き声で仲間に知らせる。警戒警報発令でみんな一斉に巣穴に逃げ込む。鳴き声には敵の種類や大きさ、それがワシなのかアナグマなのか、あるいはガラガラヘビなのか、脅威の度合いなどの情報まで含まれているそうだ。一匹が五感を使って集めた情報が、群れのメンバーを危険から守る。つまり情報をすみやかに得るかどうかは生存にかかわることなのだ。それは人間にとっても同じだ。つまり「情報を得ること=生存にかかわること」なのだ。
あるいは、古代、人里離れた人口約50人の小さな村に、よその土地からある人間がやってきたとする。よその村との交流がほとんどない時代。その当時の人たちにとっては、それは現代人が宇宙人に遭遇するほどの衝撃かもしれない。さらにその人間が、村になかったものを持ってきたとする。たとえばそれが新しい耕作方法だとしたら……。外からもたらされたたった一つの情報が村(共同体)を揺るがすことになる―。
いまや人間の生きている社会はますます複雑になっている。自分を取り巻く世界を正確に知るためには、仲介者(メディア)を通したたくさんの間接的情報に頼らざるを得ない。しかもぼくたちは地球の裏側で起きたことにさえ無関係にいることはできない時代に生きているのだ。あふれる情報とどうつきあえばよいのか――
東北で震度7、死者千人超/大津波襲来、不明者多数/M8・8、国内史上最大福島原発に緊急事態宣言
11日午後2時3分ごろ、国内観測史上最大のマグニチュード(M)8.8の地震があった。震源は三陸沖で、宮城県栗原市で震度7を記録した。最大10メートルの津波が発生、死者は千人を超すとみられる。各地で家屋が倒壊したり、流されたりした。
福島第1原発は兄の一つが冷却できない状態となり、政府は初の原子力緊急事態宣言を出した。放射能漏れは確認されていないが、半径3キロ以内の住民に避難を指示した。
これは2011年3月11日の東日本大震災の発生を伝える当日夜の共同通信の記事(抜粋)だ。
取材記者たちはこれまでに例のない大災害を取材しようと、タクシーを借り上げるなどして、被災現場へと向かった。
丸1日以上たった現場は、津波で家屋すべてが押し流され、まるで「原爆が投下された跡」のようなモノクロの世界。携帯電話は通じず、宿も不十分。
被害の大きさ、家族も家も財産も失った被災者の体験と苦悩。聞くこと、見ることすべてが「ニュース」だった。さらにそこに、余震や津波が再び襲ってくるのではないか、就発事故への不安も広がる。
では、情報の受け手であるぼくたち市民はどうだったろう。必死で「本当の情報」を求め、特に原発事故をめぐる情報にはいらだち、口コミを含めて情報を探していた。
「直ちに健康を害することはない」という政府の発表、それを垂れ流すばかりのテレビの会見場面、新聞報道を読んでも何を信用していいのかわからない。ことは放射能の問題、自分の命に関わるかもしれないのだ。
「『直ちに』ということは、将来はあるという意味なのか?」「どうして東京に住んでいる外国人は逃げ出しているのか」。
「マスコミは情報を隠している?」と疑った市民たちは、ちょうど世に出始めていたインターネットの会員制交流サイト「SNS」(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に情報を求めた。ツィッターなど個々人が発する情報がリツイートで拡散され、それが引き金となってマスメディアが後追い情報を出すという事態もあった。
マスコミは、経験したことのない事態の中で、情報の精度に確信が持てず、パニックを引き起こしてはいけないとビビったのだ。科学的な用語や数字がわかりにくかった面もあった。でも、市民の冷静さを信じて、わかりにくさも含めてでもいいから、もっと情報を共有化する方法があったかもしれない。その結果本当にパニックが起きなかったかどうか今となってはわからないが。

情報こそ航海の羅針盤

このように、生命にかかわる緊迫した事態なんて、そうめったに起きるものではないと思うかもしれない。しかし、ことは災害だけではない。社会の動きに無関心に生きていると、「直ちに」ではなくても、将来困るような変化が起きているかもしれない。気がついたら「戦争」が目の前にあるみたいな……。
そのむかし、海洋を航行する船は、昼は太陽の位置や風の方向、潮流の動き、陸地の影などをとらえ、夜は星の位置を正確に測定して、自分の位置や時間を確認し、船を操縦した。これと同じように、今の社会に生きるぼくたちも、まず自分のいる位置を知ることが重要だ。
そのためには、身の回りだけでなく、もっと広い社会の動きや出来事を知る必要がある。それが情報というわけだ。
情報は知識を増やすだけではない。自分が属している世界がどう動いているか、どんな仕組みになっているかといった実態も表わす。そこには、情報をどう読むかという要素も実は加わってくるのだが。
ぼくたちが生きている社会は多面的で、真実は必ずしもひとつとは言えないが、だからといって、それに目をつぶり耳をふさぐこともできない。情報は、ぼくたちが社会でどう生き、どう動かしていくか考えていくための唯一の指針なのだ。

感情が判断をゆがめる

しかも、ぼくたちは情報を通していつも的確に判断、行動できるかというと、それが難しい。人間には「感情」があるからだ。人間は感情の動物といわれている。常に冷静で絶対に判断を間違わない人間なんているだろうか?いくら理性を働かせても、怒りがおさまらない時や、不安で頭がいっぱいの時もある。「あの商品がなくなってしまう」「○銀行がつぶれそうだ」というデマやうわさは、そんな時に頭にスーッと入ってきて、ぼくらをパニックにさせたりもする。
こうも言える。人は見たいことだけを見て、聞きたいことだけを耳に入れる。そうやって入力する情報を選別しているのだ。「信じたいことを信じる」「いやなことは認めたくない」というのが人情。そうやって大事な情報を落っことして、危険を察知し損ねたり準備が遅れたりする。
その上、ぼくたちは基本的に「自分は簡単にだまされない」と思っているから始末が悪い。どんなに冷静で理性的な人にも「無意識」という領域がある。「意識」していないところで、ほめられたらよい気分になったり、気に入った物をけなされたりしたら気分を害したりするものだ。
情報を発信する側は、人びとの無意識の情感に訴えて、自分に有利になるように導こうとしているのだ。広告などは身近な例だ。耳に心地よい情報ほど要注意かもしれない、受け取る情報には、眉に唾をしてかからなければ、まんまと手玉に取られてしまう。一方、人は予想できなかったことにぶつかると、脳が刺激を受けて新しい発想を生み出す、ともいわれている。「よそ者、ばか者、若者」という言葉を知っているだろうか。古い考えから抜けだせない社会を揺さぶり、よみがえらせることができるのは、この3タイプの人間だという。古い常識にとらわれた大勢の者たちは変化を望まないとしても、柔軟な発想が押しつぶされないことを願いたい。
情報の賢い送り手、受け手になろう「多くのジャーナリストは、プロの「情報の伝え手」としての責任を持って、真実に肉薄しようとしている。情報操作に引っ掛けられる~失敗もときには経験する。出来事にどう対処し、どんな風にからだを張るのか――そこには、きみたちが普段悩んで決断する時と同じようなプロセスがある。「毎日、テレビや新聞、インターネットで見聞きするニュースは、現実とかけ離れた向こうの世界の出来事ではない。だれかの身の回りで実際に起きていることだ。
先ほど例にあげたように、福島の原発事故では、マスコミ情報への不信感から市民たちがSNSを駆使して立ち上がったケースだった。これを特殊ケースに終わらせず、これからも与えられる情報を鵜呑みにせず疑ってみてほしい。「情報の伝え手」を長年やってきたぼくがこんなことを言うのは矛盾していると思われるだろうが、「情報」とは完璧ではないのだ。
ニュースは受け取るだけでなく、共有するものになった。社会とうまく共鳴すれば「一人の意見が社会を動かす」パワーを持つ可能性もある。反対に、ゆがんだ情報にだまされてそれを拡散したら、パニックに加担してしまうことにもなる。
メディアリテラシー(情報を読み解き、活用する力)を身につけた賢い(だまされない)情報受信者、発信者になろう。そこにはどんな落とし穴があるのか。社会の動きを伝えるジャーナリズムの今をできる限り具体的に説明し、未来を展望してみようと思う。世の中の一員としてどう行動し、どういう生き方をしていくかを常に考える……そういうきみたちに。