ブラック・スワンの箴言

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プロクルーステース

ナシーム・ニコラス・タレブ 著  望月衛 訳 (著)
ダイヤモンド社 (2011/9/9)、出典:出版社HP

ギリシャ神話によると、プロクルーステースはアテネとエレウシースの間にあるアッティカのコリダラスに小さな地所を持つ、残酷な地主だった。エレウシースは祭儀が行われていた場所だ。プロクルーステースはおもてなしについて独特な考えを持っていた。彼は旅人を捕まえては豪勢な晩餐を与え、今晩はここで泊まれと言って少々変わったベッドへ連れて行く。プロクルーステースはベッドと旅人がぴったり合うようにした。旅人の背が高すぎると、旅人の脚を鋭い斧で切り落とした。旅人の背が低すぎると、身体を引き伸ばした(彼の本名はダマステース、あるいはポリュペーモーンだったと言われている。プロクルーステースはあだ名で、「伸ばす人」という意味だ)。

因果応報そのままに、プロクルーステースは自分が作った仕掛けにはまることになった。あるとき捕まえた旅人が怖いものなしのテーセウスだったのだ。英雄としてのキャリアを歩み、後にミノタウロスを退治する人である。いつもの晩餐が終わると、テーセウスはプロクルーステースをベッドに寝かせ、プロクルーステースの流儀に従い、ベッドに完璧に合うようにプロクルーステースの首をはねた。目には目をというヘラクレスの流儀に倣ったわけだ。

この話にはもっと邪悪な異聞もある(偽アポロドーロスの『ギリシャ神話』なんかにも入っている)。そっちだと、プロクルーステースのベッドは大きいのと小さいのの二つがあって、彼は背の低い人を大きいほう、背の高い人を小さいほうのベッドに寝かせたことになっている。

これから書く箴言はどれも、ある意味プロクルーステースのベッドにかかわるものだ。知識の限界、つまり自分には観察できないもの、見えないものや知らないものに直面すると、私たち人間は人生や世界を、わかりやすくてありふれた考え、目立つところにだけ焦点を当てた紋切り型、特定の用語、出来合いの講釈に押し込もうとする。そうやっていると、ときどきひどい結果を招くことになる。

さらに、どうやら私たちは、自分がものごとをそんなふうに後づけで仕分けているのに気づかないようだ。いつもお客にぴったりのスーツを作っていると鼻高々で、でも実際にやっていることはというと、お客の手足を手術で切ったり伸ばしたりしている、そんな仕立て屋みたいなものである。たとえば、私たちは学校のカリキュラムに合うように子供の頭をあれこれいじくりまわす。子供の頭に合うようにカリキュラムを決めているのではないのがわかっている人は少ない。

箴言は、説明してしまうと必ず輝きを失う。だから、詳しい話はあとがきまで取っておいて、とりあえずここでは、この本の核になるテーマを匂わせるだけにとどめることにする。この本の箴言はそれぞれ、私の主題である、自分にはわからないことに私たちはどう対処するか、そしてどう対処するべきかにまつわる考えを短く述べたものになっている。つまり、『ブラック・スワン』や『まぐれ』でもっと深く論じた私の主題だ。

プロクルーステースが象徴しているのは、ものを間違った枠に押し込むことだけではない。間違ったほうの変数、ここではベッドではなく人間のほうを調節することをも表している。私たちが「叡智」と呼ぶもの(それに高度な技術を合わせたもの)がうまくいかない状況は、どれもプロクルーステースのベッドになぞらえることができる。

ナシーム・ニコラス・タレブ 著  望月衛 訳 (著)
ダイヤモンド社 (2011/9/9)、出典:出版社HP

ブラック・スワンの箴言■ 目次

プロクルーステース
序幕
逆説の一言
実在
聖なるものと卑なるもの
偶然、成功、幸せ、そして理性主義
カモの問題、かわいらしいのとそうでもないの
テーセウス、あるいは古の暮らしを生きる
哲学界
普遍なものと特殊なもの
まぐれ
美学
道德
強さと脆さ
お遊びの誤りと領域依存
認識論と引き算の知識
予測のスキャンダル
哲学者になること 哲学者であり続けること
経済的生活、その他の卑しい題材
賢きもの、弱きもの、気高きもの
陰陽
愛なるものと愛ならざるもののいろいろ
終幕
あとがき
謝辞

ナシーム・ニコラス・タレブ 著  望月衛 訳 (著)
ダイヤモンド社 (2011/9/9)、出典:出版社HP