ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質

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目次

ナシーム・ニコラス・タレブ (著)
ダイヤモンド社 (2009/6/19)、出典:出版社HP

 

第11章
鳥のフンを探して
鳥のフンの探し方
うっかり発見
答えが問いを待っている
探し続けろ
自分の予測を予測する!
N番目のビリヤード・ボール
第三共和国の流儀
三体問題
いまだにハイエクを無視する
オタクにならないために
学術自由主義
予測と自由意志
エメラルドはグルー
偉大なる予測機械

第12章
夢の認識主義社会
ムッシュー・ド・モンテーニュ、認識主義者
認識主義
過去の過去、過去の未来
予測、間違った予測、そして幸せ
ヘレノスと逆さまの予言
溶ける角氷
もう一度、不完全な情報
彼らが知識と呼ぶもの

第13章画家のアペレス、あるいは予測が無理ならどうする?
アドバイスはやすし。とてもやすし―
正しいときにバカになる
身構えろ
よい偶然というアイディア―
黒い白鳥のボラティリティとリスク
バーベル戦略
「誰にもなんにもわかりゃしない」
壮大な非対称性

第3部
果ての国に棲む灰色の白鳥
第14章
月並みの国から果ての国、また月並みの国へ
この世は何かと不公平
マタイ効果
共通言語り
アイディアと伝染
果ての国では誰も安心できない―
ブルックリンのフランス人的
長い尻尾
考えの甘いグローバリゼーション
果ての国から逆戻り―

第15章
ベル・カーブ、この壮大な知的サギ
ガウス的なものとマンデルブロ的なもの―
減少の増加
マンデルブロ的なもの
覚えておくこと
不平等
果ての国と80/20ルール
草と木
コーヒーを飲んでも安全なのはなぜか
確かなものが好き
大惨事の起こし方
ケトレの月並みなバケモノ――
光り輝く月並み
神様の誤り
ポワンカレの救いの手引
不公平な影響を取り除く
「ギリシャ人なら神とあがめただろう」
YESかNOか
(文系的)思考実験――ベル型カーブはどうやってできるか――
都合のいい仮定
「ガウス分布はどこにでも」

第6章
まぐれの美学
まぐれの詩人―
三角形のプラトン性―
自然の幾何学
フラクタル性
果ての国と月並みの国への視覚的な接近
豚に真珠
フラクタル的ランダム性の論理(ただし注意書きつき)
上限という問題
厳密さにはご用心
水たまり再び
描写から現実へ
もう一度、予測をするなら気をつけろー
もう一度、幸せな解決
灰色の白鳥はどこに?―

第17章
ロックの狂える人、あるいはいけない所にベル型カーブ
たったの五〇年
サラリーマンの裏切り
誰でも大統領に
怖い話をもっと
追認
ただの黒い白鳥―
ものごとを「証明」する方法

第18章
まやかしの不確実性
お遊びの誤り、再び―
インチキを見破れ
哲学者は社会に害をなせるか?
実践の問題
ウィトゲンシュタインは何人までピンの頭で踊れるか?
ここぞというときにポパーはどこへ行った?

坊主とアナリスト
思っているより簡単――懐疑主義者としての意思決定の問題

第4部
おしまい

第19章
半分ずつ、あるいは黒い白鳥に立ち向かうには
電車に乗り遅れても平気なとき
おしまい―

エピローグ――イェフゲニアの白い白鳥

謝辞
訳者あとがき

参考文献
注解
用語集
索引

[上巻]・目次
プロローグ
第1部 ウンベルト・エーコの反蔵書、あるいは認められたい私たちのやり口
第1章 実証的懐疑主義者への道
第2章 イェフゲニアの黒い白鳥第3章
第3章 投機家と売春婦
第4章 千と一日、あるいはだまされないために
第5章 追認、ああ追認
第6章 講釈の誤り
第7章 希望の控えの間で暮らす
第8章 ジャコモ・カサノヴァの尽きない運―物言わぬ証拠の問題
第9章 お遊びの誤り、またの名をオタクの不確実性

第2部 私たちには先が見えない
第10章 予測のスキャンダル
索引

第19章 半分ずつ、あるいは黒い白鳥に立ち向かうには

残りの半分。アペレスを思い出せ。電車を逃すのが残念なとき。
さて、最後の言葉を書くところまで来た。 私は、あるときはものすごく懐疑的で、そうでないときは確実なものにこだわり、ものすごく頑 固で決して妥協しない。もちろん、私がとても懐疑的になるのは、ほかの人が信じやすいところで ある。とくに私が教養俗物と呼ぶ連中が信じやすくなるところでは、私はとても懐疑的になる。一 方、ほかの人たちが懐疑的になりそうなところでは、私は信じやすくなる。私は追認を疑うけれど、 それは間違えばとても痛い目に遭うときだけで、反追認は疑わない。

データがいくらあっても追認 にはならない。でも一つ事例があれば、追認を棄却するのに十分なこともある。私は強いランダム 性があると思うところでは疑い深くなるし、弱いランダム性の下では信じやすくなる。 私は黒い白鳥が大嫌いで、それ以外のときは黒い白鳥が大好きだ。人生に機微を与えるランダム性やよい方の偶然、画家のアペレスの成功、ツケが回ることのないありがたい贈り物は大好きだ。 アペレスの話の美しさがわかる人はほとんどいない。実際、間違いを避けようと、自分の中に棲むアペレスを押さえ込んでしまう人は多い。 自分自身にかかわることでも、私は、あるときはものすごく保守的で、そうでないときはものすごく積極的だ。そういう人は珍しくないかもしれない。でも、私が保守的になるのはほかの人がリ スクをとるところだし、積極的になるのはほかの人が用心するところだ。

小さな失敗はそれほど心配しない。大きな失敗、とくに致命的になりそうな失敗はとても心配す る。投機的なベンチャー企業より、「有望な」株式市場、とくに「安全な」優良株に不安を感じる。 後者は見えないリスクの代表だ。前者は、変動が大きいのが最初からわかっているし、投資する額 を小さくして、裏目に出たときの損を抑えることができるから、不意をつかれて驚くことはない。

世に騒がれる華々しいリスクは、それほど心配しない。たちの悪い隠れたリスクを心配する。テ 口を心配しない。糖尿病を心配する。はっきり見える不安だからという理由で人が普通に心配する ことよりも、私たちの意識の外側にあって人の話に出てこない、そんなことのほうを心配する(もう一つ、私はあんまりあれこれ悩まないというほうも告白しておく。つまり、私は自分でなんとか できることしか心配しないようにしている)。私は恥をかくことよりチャンスを逃すことのほうを 心配する。

結局、これは全部、ちょっとした意思決定のルール一つに根ざしている。よい方の黒い白鳥にさ らされ、失敗しても失うものが小さいときはとても積極的になり、悪い方の黒い白鳥にさらされているときはとても保守的になる。モデルの誤りがあっても、それでいい思いができるときはとても 積極的になるし、誤りで痛い思いをする可能性があるときは被害妄想みたいになる。そんなの当たり前だと思うかもしれないが、ほかの人たちはまったくそんなことをしていないのだ。たとえば金 融では、浅はかな理論を振り回してリスクを管理し、突拍子もない考えは「合理性」のじゅうたん の下に押し込んでしまう。

私は、あるときは学者で、そうでないときはたわごとの嫌いな実践の人だ。つまり、学術的なことではたわごとを嫌う現実的な人間であり、現実的なことになると学者になる。
私は、あるときはだまされやすく、そうでないときはだまされないようにしたいと思う。美術に 関しては、私はすぐにだまされる。リスクとリターンという文脈ではだまされたくない。私の美的 感覚では、散文より詩、ローマ人よりギリシャ人、優雅さよりも矜持、教養よりも優雅さ、見識よりも教養、知識よりも見識、知性よりも知識、そして真理よりも知性のほうが好きだ。でも、そう いうのは黒い白鳥が現れないところだけだ。黒い白鳥のいないところでは、私たちはとても合理的 になりがちだ。

私が知っている人の半分は私を不遜なやつだと言い(あなたの地元にいる教授について私が言ったことを読んだでしょう)、半分はこびへつらったやつだと言う(ユェ、ベール、ポパー、ポワン カレ、モンテーニュ、ハイエク、その他には奴隷みたいに身を捧げているのを見たでしょう)。
私は、あるときはニーチェが大嫌いだし、そうでないときは、彼の散文が大好きだ。

電車に乗り遅れても平気なとき
あるとき、人生を大きく変えるアドバイスをもう一つもらった。第3章に出てきた友だちからの アドバイスと違って、今度のアドバイスは、使えて、賢くて、実証的に正しかった。パリでのクラ スメートで、小説家志望のジャン=オリヴィエ・テデスコは、私が地下鉄に飛び乗ろうと走り出す のを止めてこう言ったのだ。「電車なんかで走るなよ」

自分の運命なんぞ鼻で笑ってやれ。私は自分に、予定に合わせようと泡を食って走り回らないようにしろと教えてきた。これはとても小さなアドバイスのように思えるかもしれない。でも、しっ かり心に残った。電車を捕まえようと走ったりするのをやめて、私は優雅で美しい所作の本当の価 値を知った。自分の時間や自分の予定、そして自分の人生を自分で思いのままにするということだ。 電車な逃いて残念なのは捕まえようと急いだときだけだ! 同じように、ほかの人があなたに期待 する成功に追いつこうとするのがつらいのは、まさしく、そんなことをしようとするからである。
自分の意志でイタチごっこや序列を捨てるのなら、それはイタチごっこや序列を外れるのではなく超えるということだ。

給料の高い仕事を自分から辞めれば、お金で得られるよりも高い満足が手に入る(頭がおかしく なったかと思うかもしれないが、やった私が言う。本当だ)。これは運命に四文字言葉を投げつけ た、ストア派の理性主義にいたる道の第一歩かもしれない。自分の土俵を自分で決めれば、自分の人生がそれまでよりずっと思いのままになる。

母なる自然は、私たちに自分を守る仕組みをくれた。イソップの寓話にあるように、そんな仕組 みの一つは、手が届かなかった(あるいは手に入れなかった)ブドウはすっぱいに違いないと思える能力だ。でも、最初からブドウなんてバカにして相手にしないという積極的な理性主義のほうが もっと実り多い。積極的に行こう。ガッツがあるなら、仕事を捨てられる人間になろう。
自分でつくったゲームなら、だいたいは負け犬にはならない。
黒い白鳥の文脈で言えばこうなる。ありえないことが起こる危険にさらされるのは、黒い白鳥に 自分を振り回すのを許してしまったときだけだ。自分のすることなら、いつだって自分の思いのままにできる。だから、それを自分の目指すものにするのである。

おしまい
でもそんな考えも、帰納の哲学も知識の問題も、強いランダム性がくれるチャンスも怖いぐらい の損が出る可能性も、こんな形而上学的なことを考えると、みんな色あせる。
私は、ごはんがまずかったとかコーヒーが冷たかったとか、デートを断られたとか受付が感じ悪 かったとかで、一日中惨めだったり怒っていたりする人に出くわしてびっくりすることがある。第 8章で、人生を左右する事象の本当のオッズはなかなかわからないという話を書いた。ただ生きて いるというだけでものすごく運がいいのを、私たちはすぐに忘れてしまう。それ自体がとても稀な事象であり、ものすごく小さな確率でたまたま起こったことなのだ。

地球の一○億倍の大きさの惑星があって、その近くに塵が一粒漂っているのを想像してほしい。 あなたが生まれるオッズは塵のほうだ。だから、小さいことでくよくよするのはやめよう。贈り物 にお城をもらっておいて、風呂場のカビを気にするような恩知らずになってはいけない。もらった 馬の口を調べるなんてやめておこう。忘れないでくれ、あなた自身が黒い白鳥なのだ。読んでくれてありがとう。