開発経済学入門 第3版

開発経済学の初歩

長らく開発経済学の土台になってきたトピックが散りばめられています。現在の最先端の知識も必要ですが、このような開発経済学を初期で支えた内容も一読する価値があります。

渡辺 利夫 (著)
出版社、東洋経済新報社; 第3版 (2010/2/13):出版社HP

はしがき

欧米をはるかに凌ぐ戦後日本の高成長の姿を眺めて,人々はこれを「日本の奇跡」と呼んだ.1960年代の中頃に始まる韓国の高成長は「漢江の奇跡と称された.漢江とはソウルの市中をたゆとう大河の名前である.1992年,当時の最高実力者である鄧小平によって発せられた「南巡講和」以来の中国は年率10%を前後する超高成長を持続し,この間「驚異の中国」論が世を風靡した.

一国の経済発展には「奇跡」も「驚異」もない,1つの「王道」があるだけだと私は考える.熟練労働者を蓄積し,企業家を育成し,官僚を鎮座する営々たる努力が積み上げられ,初めて発展は軌道に乗るのである.

奇跡的とも驚異的とも形容される成長実績の背後には,技術を革新し,生産性の向上を図り,市場の拡大に腐心し,産業構造の高度化を追い求める着実な国内的努力が必ずや潜んでいる.日本の経済発展も韓国や中国のそれも,この努力のうえに花開いたものである.

貿易や海外直接投資,ODA(政府開発援助)などの「外的インパクト」も,一国の発展を促す重要な要因である.しかし,外的インパクトが国内的努力を「代替」するというわけにはいかない.前者は後者を引きだす力としてのみ重要なのである.ことの順序を逆に考えてはいけない.

1997年夏以来,アジアは半世紀に及ぶ開発史のなかでも最大級の経済危機に苦しんだ.多くのジャーナリストやエコノミストは,アジア危機はアジアが抱える構造的な矛盾や重篤な病のあらわれであって,修復と治癒は容易ではないといいたてた.

しかし,危機に陥ったアジア各国のマクロ経済指標のほとんどが,1999年中に危機前の最高水準を上まわった.アジアの経済は未曾有の危機をわずか3年で脱したのである.アジア危機を構造的矛盾や重い病とみたてたジャーナリストやエコノミストの議論は,すべて誤りであったことが証明されてしまった.

なぜそのような情けない見通しの失敗をやらかすのかといえば,アジアの経済発展がその王道を歩んで今日を築いたという事実を,事実に即してきちんと理解していないからである.

2008年の後半には,「リーマン・ショック」と呼ばれる一段と厳しいディスインパクトがアジアを襲った.この傷もアジアでははやくも癒えつつある.アジアが世界経済を牽引していくという構図は今後もなおつづいていくものと予想していい.

「一国の経済には成長期もあれば低迷期もある.成長期といえどもその過程は一直線ではない,成長率が著しく高いこともあれば,これが急降下することもある.アジアはそういう変動を貫いて力強いエネルギーを発揚する「歴史的勃興期」の直中にある,と私はみる.ここのところに目がいかないがゆえに,危機がおこるとある種の知的パニックに陥ってしまい,極端な悲観論に堕してしまうのである.

本書は,アジアの経済発展の50年余を振り返りながら,各国がどのような道筋をたどって現在を築いたのか,その論理を説いたものである,経済学の基礎的知識をもたない初学者を開発経済学の世界に招待したいという意図をもって出版された.
本書は第3版である.章を再編し,旧版を大きく書き換え,データを全面的に入れかえた.

多忙の日常の中でこの作業をつづけることは,率直にいってつらかったが,出版までなんとかこぎ着けた.最大の功労者は拓殖大学の同僚,国際学部の徳原悟先生のきわめて積極的で誠意あふるる協力であった.図表は徳原先生が全面的に再編集して下さった.本書の改訂がもし成功したとすれば,その功績の過半は徳原先生のものである.
地図の出版に長い伝統をもつ二宮書店からは,見返し(表紙裏)に掲載したアジア全域の地図のご提供を賜わった.東洋経済新報社出版局の茅根恭子さんの,誠によく目配りをきかせた編集によって本書が生まれた.方々に深く御礼申し上げる.本書が大学の授業やゼミなどで大いに活用していただけるよう願っている.

平成21年 夜寒 渡辺利夫

渡辺 利夫 (著)
出版社、東洋経済新報社; 第3版 (2010/2/13):出版社HP

目次

はしがき

序 章 開発経済学を学ぼう
補論:散布図の読み方

第1章 「マルサスの罠」—貧困のメカニズムを探る
1. 収穫逓減法則とはなにか
2. 貧困のメカニズム
3.「罠」からの脱出

第2章 人口転換—人間はどうして「増殖」するのか
1. 人口爆発
2. 死亡率低下
3. 人口転換と出生の経済学

第3章 少子高齢化―アジアの人口はまもなく減少する
1. 合計特殊出生率
2. 高齢化社会の到来
3. 人口ボーナス
4. アジア人口の将来

第4章 「緑の革命」―農業の技術進歩はいかにしておこるか
1. 増加する人口 消滅する耕地
2. 緑の革命
3. 化学肥料投入
補論:「緑の革命」の経済学

第5章 工業発展Ⅰ―工業化はいかにして開始されるか
1. ペティ=クラーク法則
2. 農工2部門モデル
(1) 考え方の基本
(2) 工業部門の雇用はどこで決まるか
(3) 労働需給
(4) 利潤極大化
3. 圧縮型工業発展と後発性利益

第6章 工業発展Ⅱ―初期条件と工業化政策
1. 初期条件
2. 輸入代替工業化政策・
3. 輸入代替工業化の問題はなにか
(1) 市場制約
(2) 貿易収支制約
(3) 労働節約的生産

第7章 貿易と海外直接投資―アジアを興隆させたもの
1. 輸出の拡大と高度化
2. 重層的追跡
3. 輸出志向工業化政策
4. 海外直接投資

第8章 社会主義経済から市場経済へ―中国の体制転換
1. 体制転換とはどういうことか
2. 集団農業と家族農業
3.国有企業改革
4.経済発展の課題
(1) 外資依存型発展
(2) 消費内需の拡大は可能か
(3) 少子高齢化
補論:体制転換にともなう農業の変化

第9章 日本の政府開発援助―自助努力支援の旗を高く掲げよ
1. ODAはなぜ必要か
2. 日本型ODA
3. ODAの理念
(1) 自助努力支援
(2) もう1つの日本型ODA

第10章 グローバリゼーションのなかのアジア―2つの経済危機
1. 経常収支と資本収支
(1) 多様化する外国資金
(2) 経常収支と資本収支
2. アジア経済危機と修復
(1) 経済危機のメカニズム
(2) 修復のメカニズム
(3) 貯蓄と投資
3. リーマン・ショックと世界同時不況

第11章 アジア経済の新動態―「アジア化するアジア」
1. 東アジアの全域を眺める
2. 域内相互依存関係の強化
3. FTAとEPA
4. 東アジア共同体

終章 本書のまとめ

付録 世界開発指標

参考文献

索引

渡辺 利夫 (著)
出版社、東洋経済新報社; 第3版 (2010/2/13):出版社HP

序章 開発経済学を学ぼう

「十歳かそこらのころだったが,ある日の午後,私は現在のバングラデシュの首都ダッカ市にある自分の家の庭で遊んでいた.すると,一人の男が悲鳴を上げ,大量に血を流しながら門から入ってきた.背中をナイフで刺されていた.当時はインドとパキスタンの分離独立の前で,各地域で暴動が起こっていた(ヒンズー教徒とイスラム教徒が互いに殺し合っていた)時代だった.刺されたカデール・ミアと呼ばれるその男は,イスラム教徒の日雇い労働者で,わずかばかりの賃金で近くの家に働きに来ていたのである.そして,ヒンズー教徒の多い私たちの地域で地元のならず者たちに路上で刺されたのだ.私は大声で家の中にいる大人たちの助けを求め,水を与えた.しばらくして私の父がカデール・ミアを病院に急いでつれていったのだが,その間彼は,このような危険な時に敵の多い地区には行くなと妻に言われていたと語り続けた.しかし彼は仕事と少しの稼ぎを求めて来なければならなかったのだ.家族には食べるものがなかったからである.結局彼はその後病院で死んだ.経済的不自由のために死という罰を受けることになったのだ」

この文章は,イギリスの植民地支配下におかれていたインドのベンガル州(現在のバングラデシュ)で生まれそこで幼少期を過ごし,カルカッタ大学を経てケンブリッジ大学教授を務め,その高い研究業績によって1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センAmartya Sen教授の著作『自由と経済開発』(石塚雅彦訳,日本経済新聞社,2000年)の序章に出てくる悲劇的な挿話である.

少年期に遭遇したこのできごとは,セン教授を打ちのめすほどに激しいものであったらしい,長い間「心的外傷」(トラウマ)のようにセン教授をさいなみつづけた.このできごとを引き合いに出してセン教授は,「極端な貧困という経済的不自由は,他の種類の自由を侵害し,人を無力な犠牲者にしてしまう」と慨嘆している.カデール・ミアの家族は,彼のわずかな収入がなくとも,つましいながら生計を維持することができていれば,恐ろしいがまちかまえている地域に働きにやってこないでもよかったはずだからである.

極度の貧困という経済的不自由こそが宗教対立の真只中にカデール・ミアを誘い出し,双方の確執を激化させてしまったのである.宗教対立という社会的・政治的不自由が,労働によって所得を得るという経済的自由をもカデール・ミアから奪ってしまった.それゆえにこそ,セン教授は,「開発とは相互に関連する本質的自由が一体となって拡大していく」過程のことだと定義するのである.

一国の国民の所得水準を上昇させること,これが人間的自由を手に入れるためのなによりも重要な条件である.このことは容易に理解されよう.人間が1個の自然生命体としてこの世に生を受けた以上,その生存をまっとうすること,これが第一義的な重要性をもつ,しかも,自然生命体には,発揮されるべき能力が潜在している.この潜在能力を顕在化させるには,単にその社会と個人の所得水準が上昇すればいいというだけではすまない,潜在能力を顕在化させるためには教育が重要である.教育(education)のラテン語の語源を調べてみると,eは「外に」,duceは「導く」であり,ationはもちろん名詞形にするための語尾である.教育とは,元来が人間のなかに眠っている潜在能力を外に引き出すことなのである.

初等教育から中等教育,高等教育へと進む教育制度・組織,教育人材の養成により一国の教育レベルを上昇させなくては,貧困からの脱却は難しい.教育なくしては経済的生産性が上昇しないばかりか,社会生活を普通に営むためのルールやマナーも保たれず,さらに就業を初めとするさまざまな社会活動への参加の機会も限定されてしまう.また国民の広範な政治参加を通じて社会的意思を決定するための制度,すなわち民主主義も実現できない,教育は人間の潜在能力を引き出し,経済的,社会的自由を拡大させる重要な手段であり,人間的自由を掌中にするための,それ自体が重要性をもつ社会的営為なのである.一国の教育レベルを最も端的に示す指標として,世界各国の成人女性の非識字率illiteracy rate(日常生活の簡単な事柄についての読み書き能力をもたない15歳以上の成人女性の人口数を,全人口数で割って100分率で示したもの)を取り上げて,これとそれぞれの国の1人当たり所得水準との結合値をプロットしたものが図1である.ここであえて女性を取り上げたのは,もちろん例外はあるが,おしなべて貧困国においては女性の社会的地位が低く,男性に比べて女性の初等教育へのアクセスが不十分だからである.貧困と教育の関係が如実にあらわれるものが女性の非識字率なのである.

結果は,同図にみられるように,所得水準の低い国々の女性の非識字率は圧倒的に高い.対照的に中所得国や高所得国においてその比率はほとんどゼロ近傍にあることがわかる.成人男性の図はここには示さないが,女性ほどではないものの,傾向は図1とそれほど変わらない.貧困国の女性の多くは非識字率が高いことによって経済的,さらには社会的,政治的自由を享受できずにいる.逆にいえば,所得水準を引き上げ,教育機会へのアクセスを容易にするための政策的努力に意を注げば,貧困国の女性がもつ潜在能力は大きく花開く可能性がある,ということができる.

次は,中等教育就学率である.世界各国の中等教育機関への就学者数を各国の同年齢人口数で除して100分率としたものである.この指標と,各国の1人当たり所得水準との結合値をプロットしたものが図2である.一国の経済発展や社会・政治の近代化の基礎を広範に形成する人的要素は,経験則によれば中等教育就学者の比率である.実際,現在では貧困国においても小・中学校は義務教育となっている.図2からもわかるように,所得水準が低いにもかかわらず,この比率が100%に達している国も少なくない.しかし,就学はしたものの中途退学を余儀なくされるものの比率,つまり「脱落率」が低所得国の中等教育就学率には多く,これがこの図には反映されていないことには留意が必要である.
図2を眺めて総じていえることは,中等教育就学率は1人当たり所得水準と高い相関関係があり,特に低所得国においては国民のうちのきわめて多くの部分が中等教育の恩恵に与れないでいるという事実である.再びいえば,

低所得国では中等教育を充実させることによって,その国民の擁する潜在力が大きく高揚する可能性があることが示唆される.

もう1つの図を掲げてみよう,各国の乳幼児(生後5歳未満の子供たち)の死亡率と,それぞれの国の1人当たり所得水準との結合値をプロットしたものである.これが図3である.各国の乳幼児死亡率と1人当たり所得水準との間には,驚くほどに高い「逆相関」の関係がみられる.きわめて多くの貧困国において,生まれた子供は生後5年間を生き延びていくことができない.潜在能力を発揮させようにも,その存在自体が5年未満で消滅してしまうのであるから,事態はまことに深刻だといわねばならない.乳幼児死亡率の高い国においては,当然のことながら5歳未満の子供たちのさまざまな病気の罹患率も高い.子供の時の疾患は生涯にわたってその人間の能力の開花を妨げて,所得稼得の能力を低下させてしまう危険性がある.

図3は縦軸を1000分率(%),パーミルと読む)でとってある.したがって,例えば乳幼児死亡率が150ということは,1000人の子供が生まれれば5年未満のうちに150人が死にいたるという数値である.ちなみに,乳幼児死亡率が150を超える国がこの図に示される総数153カ国のうち14カ国ある.高い順に列記しておくカッコ内は乳幼児死亡率である.シエラレオネ(262),チャド(209),ギニアビサウ(198),マリ(196),ブルキナファソ(191),ナイジェリア(189),ルワンダ(181),ブルンジ(180),ニジェール(176),中央アフリカ(172),モザンビーク(168),コンゴ民主共和国(161),アンゴラ(158),ギニア(150)といった次第である.

すべてがアフリカの国である.アジアの国はこのなかには1国も入っていない.本書で対象とするのは20カ国のアジア諸国であり,そのリストは表1の通りである,ミャンマー(103)が100を超え,カンボジア(91),パキスタン(90),インド(72),ラオス(70),バングラデシュ(61)あたりが比較的高いものの,それ以外はかなり小さな値になっている.
本書で主として取り上げられる20カ国を1人当たり所得水準の高い国から低い国へと順次並べ,その関連指標を表記したものが表1である.巻末に掲

げてある世界の150を超える国々と比べてみれば,1人当たり所得水準や乳幼児死亡率などの指標でみて,アジアはアフリカやラテンアメリカの国々などより,相当高いところに位置していることがわかる.諸君はみずからそれをチェックしてみようアジアは開発途上国のなかで「優等生」の部類に属する,アジアの国々がなぜこのような良好な開発実績をみせたのかを分析し,この実績から得られた論理を整理することが本書の目的である.

そうはいいながらも,表1をよく眺めてみれば,この20カ国の間にも1人当たり所得水準や関連する諸指標には相互にかなりの隔たりがあることがわかろう.図1,図2,図3にはこれら20のアジア諸国も含まれているが,アジアの20カ国のみを取り上げて同じような方法で作図したものが図4,図5,図6である.

アジア各国の成人女性非識字率,中等教育就学率,乳幼児死亡率などと各国の1人当たり所得水準との結合値をプロットしてみると,形状は世界全体のものとさして変わってはいないことに気づかされよう.アジアはきわめて多様であり,世界全体の「縮図」であるともいいうる.
開発途上国の貧困をいかに解消するのか.この関心は今日では世界的な広がりをもってきた.2000年9月にニューヨークで開かれた「国連ミレニアムサミット」において,次の8つの目標が1990年を基準年とし2015年までに達成されるべきものとして各国間で合意されたことは画期的であった.目標は,ミレニアム開発目標Millennium Development Goals, MDGsと称される.表2をみてほしい.ここでは,(1)極度の貧困と飢餓の撲滅,に始まり,(8)開発のためのグローバル・パートナーシップの推進,にいたる8つの目標が掲げられている.しかも,この目標を数値として「ターゲット化」したことの意味は大きい.このターゲット化は日本の大いなる貢献によって合意されたものである.その意味で,この目標値達成に関して日本は国際社会に深い道義的責任を負うているといわねばならない.今日の世界において解決されねばならない開発課題とは何かについて考えながら,この表をじっくりと吟味してほしい.

さて,序章は以上で終わる.次の第1章からは,一体,ある国はなぜ貧しく,他の国はなぜ豊かなのか,豊かな国といえども古い時代から一貫して豊かであったわけではない,長い低所得の時期を経て,次第に経済開発のための諸条件を整え,そうして豊かな社会を実現したのである.開発途上国が貧困を脱するにはどのような考え方の枠組み(理論)が必要なのか,さらにはその考え方の枠組みを使ってどのような開発のための手だて(政策)を打ち立てなければならないか,これらについて順次,思考を深めていこう.

補論:散布図の読み方

本書には数多くの図が載せられている.これらの図によって,私どもはアジアの国々の経済が長い時間をかけてどのように変化してきたのか,そして現在どのような状態にあるのかを,一目で知ることができる.なかでも「散布図」は,各国の状況や地域全体の傾向を明らかにするうえで非常に優れた道具である.このコラムでは,1つの事例を用いて図の読み方を説明しておこう,コラムを読んだ諸君は,ぜひとも作図にチャレンジしてほしい.エクセルなどのソフトを用いれば,つくることができる.
本書第2章の31頁に,こんな表現がある,「乳幼児の死亡率が高ければ,親は自分の期待する子供の数を得るためには,より多くの子供を生まねばならない」この内容をアジアのデータを使って実際に検証してみよう.
図7は,2007年のアジア各国の合計特殊出生率(縦軸)と乳幼児死亡率(横軸)の2つの変数の関係を示している.合計特殊出生率とは人口学の難しい表現であるが,要するに「1人の女性が生涯を通じて生む子供の数」のことである.乳幼児とは5歳未満の子供のことであるから,乳幼児死亡率とは5歳未満の子供1000人当たりの死亡数である.
図中の点は,各国の乳幼児死亡率と合計特殊出生率との結合値をプロットしたものである.例えばネパールをみると,(55,3)と書かれている.これは乳幼児死亡率が55人,合計特殊出生率が3人,ということである,横軸の55が縦軸の3と交差する点がネパールの点である,乳幼児死亡率が1000人当たり55人のネパールでは,母親は生涯にわたって3人の子供を生んでいると読んでほしい.同じような方法で,アジア20カ国の点が示されている.このように各国の位置を点で示したものが散布図である.



この散布図をみると,乳幼児死亡率が高いと合計特殊出生率も高くなる傾向がある.しかし,これだけでは2つの変数の間にどの程度の強い関係があるのかはわからない,この強さを示すのが相関係数(r)である,相関係数は,マイナス1からプラス1の間の値をとり,マイナス1に近づくと負の相関,プラス1に近づくと正の相関,ゼロは無相関となる.負の相関は,1つの変数がふえるともう一方が減るという関係である.正の相関は,1つの変数が増加(減少)するともう1つの変数も増加(減少)するという関係を示す.このケースはr=0.7279なので正の相関関係にある.

これらの各国の点の間を縫うように右上がりの直線が示されている.これは「傾向線」や「近似線」と呼ばれる.この傾向線は,各国の点と傾向線との間の距離の値を二乗し,その合計値が最も小さくなるようにして描かれる.この傾向線の形から,乳幼児死亡率と合計特殊出生率は同じ方向に動くことが読み取れる.すなわち,乳幼児死亡率が高い国は合計特殊出生率も高く,乳幼児死亡率が低い国は合計特殊出生率も低いという傾向である.

この傾向を具体的に数値で表したのが,y%3D0.0179%+1.5574という「回帰式」である.この式の0.0179xは乳幼児死亡率(x)が1人増えると合計特殊出生率は0.0179人上昇するということである.次の1.5574という値は定数項(切片)と呼ばれ,乳幼児死亡率がゼロであっても合計特殊出生率は1.5574人であることを示している.つまり,乳幼児死亡率がゼロのとき,合計特殊出生率は1.5574人(0.0179×0)+1.5574であり,乳幼児死亡率が1人になると,合計特殊出生率は1.5753{(0.0179×1)+1.5574となる.
回帰式の下のカッコ内の値はt値と呼ばれる.t値は各変数の有意性を示す指標である.目安として2以上であれば,その変数は「有意」であるというすなわちt値は合計特殊出生率の動きを予測するのに,乳幼児死亡率という変数が有効なものであるかどうかを判断するのに用いられる.この例では,乳幼児死亡率(4.5036),定数項(7.9349)なので,有効だと判断できる.

最後のRSは「決定係数」と呼ばれ,0~1の値をとる,この値は相関係数を二乗して得られる.この値が0に近ければ回帰式の説明力は低く,1に近づけばその説明力は高くなる.すなわち,乳幼児死亡率の大きさで合計特殊出生率の大きさをどれだけ説明できるかを示す.このケースではRは0.5298であるから,合計特殊出生率の動きは乳幼児死亡率の大きさの約53%を説明できるということになる.残りの47%は他の要因が影響していることを示す.他の要因については,本書にヒントがあるので,そのヒントを手掛かりにしていろいろと考えてみてほしい.

なお,傾向線は直線の線形よりも,図8のような曲線の方が各国のデータの分布をうまくあらわすことがある.このような曲線は「非線形」と呼ばれる.これと同じ形の図は本書にも描かれている.非線形での回帰式の方が決定係数の値が高くなっている.非線形での回帰式については,別の科目の統計学入門などで学んでもらいたい.いずれにせよ,自分が扱うデータがどのような形の傾向線で最もうまくとらえることができるのかを調べることも大切なことである.

渡辺 利夫 (著)
出版社、東洋経済新報社; 第3版 (2010/2/13):出版社HP