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国家の自由はどのように獲得されるのか?
自由の命運を握る「狭い回廊(The Narrow Corridor)」は、著者達の以前の作品「国家はなぜ衰退するのか」の続編としてそえられます。前作では非常に包括的な本であり、制度がどのように進化するか、良好な制度的構造の成長に関連して必要とされるかを解き明かします。
今回は、自由と繁栄を人々が保つ上で国家の位置づけに焦点を当てています。国家が強すぎる場合や国家が弱すぎる場合は、制度の進化にとって非常に困難な条件につながり、その間の狭い回廊について歴史を紐解くかたちとなります。
アルダとアラスへ。言葉では表せないほど感謝している。
ダロン・アセモグル
アドリアンとトゥリオへ。私の過去と君たちの未来に捧ぐ。
ジェイムズ・A・ロビンソン
本書への賛辞
「政治史における最大の逆説のひとつは、人類社会には過去一万年以上にわたり、強力な中央集権国家へと発展する傾向がみられることである。この発展はいずれも、かつて人類社会を構成していた数百人にも満たない集団や種族からはじまっている。そうした国家なしには、数百万人が暮らす社会を機能させるのは不可能だったことだろう。しかし、強力な国家は、その国に暮らす市民の自由と、いかに両立しうるのか?この根源的なジレンマに対する答えを本書が示してくれる。好奇心を満たすだけでなく、刺激に富む一級の本だ」
――ジャレド・ダイアモンド(『銃・病原菌・鉄』でピュリッツァー賞受賞)
「異彩を放ち、洞察にあふれた本書は、これ以上ないくらい時宜にかなっている。世界中で、国々は国家と社会の緊張関係と格闘している最中だ。左右両派によるポピュリズムが、耳触りはよいが危険な対処法をちらつかせている。対照的にアセモグルとロビンソンは、自由への狭い回廊に至る道は、強力で有能な国家と、同じく強力で市民中心の社会とを結び付けられるかどうかにかかっているとする。どちらか一方ではなく、両方が必要なのだ。これこそが、すべての人々が繁栄へと至る道である。ただし、二人も述べている通り、これは楽な仕事ではない」
――マイケル・バーバー(『いかに国家を運営するか(How to Run A Government)』)
「自由は容易にはもたらされない。多くの人々が、機能不全国家に苦しみ、規範と伝統の檻にとらわれている。この檻は独裁的な族長、紛争仲裁人、宗教指導者、暴君と化した夫などによって生み出されるものだ。専横のリヴァイアサンに抑圧されている人々もいる。非常に独創的で素晴らしいこの著作のなかで、ダロン・アセモグルとジェイムズ・ロビンソンは、私たち読者を時空をまたぐ旅へと連れ出してくれる。リヴァイアサンを監視下に置き、規範の檻を緩めさせるために、社会は不断に、ときに不安定な戦いを続けている。彼らの狭い回廊という概念は、そのことを浮き彫りにする。二人にしか引き出せない非凡な成果だ。名著『国家はなぜ衰退するのか」の再来だ」
――ジャン・ティロール(二○一四年度ノーベル経済学賞受賞)
「国家と社会はお互いを必要としている。世界の富の詳細な歴史研究を、シンプルな分析枠組みに当てはめることで、アセモグルとロビンソンは、こんにち猫鐵をきわめている全体主義や無政府社会に対する強力な反論を展開している」
――ポール・コリアー(『最底辺の10億人』ほか)
「本書は、人類史をたどる時空を超えた魅惑的な旅に私たちを誘う。自由に不可欠な構成要素をさがす旅へと。この旅から見えてくるのは、私たち一人一人の双肩に、自由の命運がかかっているということだ。
すなわち、私たち自身の市民としての関与、民主主義的な価値を支えることこそが、自由の不可欠な構成要素なのである。こんにち、これほど重要なメッセージはなく、これほど重要な本はない」
――ジョージ・アカロフ(二〇〇一年度ノーベル経済学賞受賞)
「アセモグルとロビンソンによる、傑出して洞察にあふれた新たなる成果。本書は、民主主義的な社会を実現し、維持することの重要さと難しさを示している。さまざまな実例と分析に満ちた興味尽きない本だ」
――ピーター・ダイアモンド(二〇一〇年度ノーベル経済学賞受賞)
「私たちの民主主義が、いま直面している問題をいかに見るべきか?この見事かつ時宜にかなった本は、選択肢となりうる社会統治の形態を考えるために、シンプルで強力な枠組みを提供してくれる。そして、国家と社会のあいだの適切なバランスを保って狭い回廊”の内部に留まり、無政府状態にも独裁体制にも陥らないためには、警戒を怠ってはならないことを、本書の分析は気づかせてくれる」
――ベント・ホルムストローム(二〇一六年度ノーベル経済学賞受賞)
「じつに野心的で示唆に富む本だ。現在の重要テーマを数多く取り上げ、それらを世界中の広範な地域における歴史と事例に巧みに結び付けて分析している」
――ジム・オニール(『次なる経済大国』ほか)
「世界でも指折りの社会科学者二人が、計り知れない洞察と学識に満ちた大著をものした。真の傑作だ。国家と社会のあいだの微妙な均衡についての分厚い歴史研究に基づき、ものを考える人すべてが知っておくべき、ぞっとするような結論が導かれる。すなわち、自由は希少であるばかりか脆弱で、専制政治と無政府状態のあいだに危なげに押し込められているにすぎないことを」
――ジョエル・モキイア(『知識経済の形成』ほか)
「著者たちはアメリカの経済学者だが、二〇年におよぶ比較研究と議論の豊かな成果に基づく本書は、前著『国家はなぜ衰退するのか』の期待にたがわず、専門的で、味気ない数字の羅列とはまさに対極にある。制度分析を武器に、民主主義的な社会を独裁的な社会と、先進国を悲惨な運命にある世界中の貧困国と、それぞれ適切に比較・対照させることで、前者に生きている大いなる幸運を浮き彫りにする。自由は多頭のヒドラであり、頭がひとつしかない専横のリヴァイアサンの前に屈することを、決して許してはならないのだ」
――ポール・カートリッジ(『古代ギリシア人』ほか)
(早川書房編集部訳)
目次
序章
自由
この世のあらゆる悪
ギルガメシュ問題
自由への狭い回廊
第一章 歴史はどのようにして終わるのか?
迫り来るアナーキー?
第一五条国家
支配の遍歴
闘争とリヴァイアサン
衝撃と畏怖
労働教養
二つの顔をもつリヴァイアサン
規範の檻
ホップズを超えて
テキサス人に足枷を
足枷のリヴァイアサン
歴史の終わりではなく、多様性
本書の残りの概要
第二章 赤の女王
テセウスの六つの偉業
ソロンの足枷
赤の女王効果
どうしても必要な場合に追放する方法
抜け落ちていた権利
首長? 首長って何だ?
危険な坂道
判読不能なままでいる
狭い回廊
論より証拠
リヴァイアサンに足枷をはめる――信頼せよ、されど検証もせよ
第三章 カへの意志
預言者の台頭
あなたの強みは何?
雄牛の角
法を知らぬ暴れ者
赤い口の銃
タブーを破る
動乱の時代
なぜ力への意志に足枷をはめられないのか
第四章 回廊の外の経済
穀倉の幽霊
動労の余地がない
檻に入れられた経済
イプン・ハルドゥーンと専制のサイクル
イプン・ハルドゥーン、ラッファー曲線を発見する
二つの顔をもつ専横的成長
折れた櫂の法
内陸に向かうサメ
他人をむさぼる鳥
パラ革命の経済
檻に入れられた経済と専横の経済
第五章 善政の寓意
カンポ広場のフレスコ画
善政の効果
聖フランチェスコの名前はどこから?
カナリア諸島の最初のネコ
回廊のなかの経済
悪政の効果
トルティーヤはいかにして発明されたのか
第六章 ヨーロッパのハサミ
ヨーロッパが回廊に入る
長髪王の集会政治
もう一枚の刃
二枚の刃を合わせる
「不」連合王国
一〇六六年などなど
赤の女王効果の働き――マグナ・カルタ
プンプン不平を鳴らすハチの巣
さまざまな議会
シングからアルシングヘ――回廊の外のヨーロッパ
中世のドル――ビザンティンのリヴァイアサン
回廊のなかを進む
次に破られるべき檻
産業革命の起源
なぜヨーロッパなのか?
第七章 天命
舟を覆す
すべてが天の下に
井田法の興隆と衰退、そして再度の興隆
弁髪切り
金欠の専横
依存社会
中国の繁栄の逆転
マルクスの命
道徳的リーダーシップの下での成長
中国式の自由
文献の解説と出典
索引
下巻目次
第八章 壊れた赤の女王
第九章 悪魔は細部に宿る
第一〇章 ファーガソンはどうなってしまったのか?
第一一章 張り子のリヴァイアサン
第一二章 ワッハーブの子どもたち
第一三章 制御不能な赤の女王
第一四章 回廊のなかへ
第一五章 リヴァイアサンとともに生きる
謝辞
解説 自由と繁栄の安定経路を求めて 稲葉振一郎
文献の解説と出典
参考文献
索引
序章
自由
本書は自由について、また人間社会がどのようにして、なぜ自由を獲得できたか、できなかったのかについての本である。そしてそのことが、とくに繁栄にどのような影響を与えてきたかについての本でもある。私たちの自由の定義は、イギリスの哲学者ジョン・ロックの定義に倣う。ロックは以下があるとき、人間は自由であると論じた。
他人に許可を求めたり、他人の意志に頼ったりすることなしに……みずからの行動を律し、みずから。が適当と考えるままに、みずからの所有物と身体を処理することができる……完全な自由。
この意味での自由は、すべての人間の基本的な希求である。ロックは次を強調した。
何人も他人の生命、健康、自由、または財産を害するべきでない。
しかし、自由が歴史上まれであり、こんにちもまれなことは明らかだ。毎年中東やアフリカ、アジア、中米の何百万という人々が故郷を逃れ、その過程で生命や身体を危険にさらしている。人々が逃げるのは、高収入や物質的な快適さを求めるからではない。暴力と恐怖から自分と家族を守ろうとするからなのだ。
古今東西の哲学者は、自由のさまざまな定義を提唱してきた。だが最も基本的なレベルでは、ロックも認めるように、自由は人々が暴力や威嚇、その他の屈辱的な行為から解放された状態を出発点としなければならない。人はみずからの人生について自由な選択を行ない、理不尽な罰や過酷な仕打ちに脅かされずに、その選択を実現する手段をもつことができなくてはならない。
この世のあらゆる悪
二〇一一年一月、シリア・ダマスカス旧市街のハリーカ市場で、バッシャール・アル=アサドの専横政権に反対する抗議運動が、自然発生的に起こった。ほどなくして南部の都市ダルアーで、子どもたちが見よう見まねで「国民は政権打倒を望む」と壁に書いた。子どもたちは逮捕され、拷問を受けた。釈放を求めて群衆が集まり、二人が警官に殺された。騒動は大規模なデモに発展し、やがて全国へと広がった。多くの人が実際に政権打倒を望んでいた。そしてまもなく内戦が勃発した。国家、軍隊、治安部隊が、国土のほとんどから完全に姿を消した。しかし、シリア人が手に入れたのは自由ではなく、内戦と野放図な暴力だったのだ。
ラタキア県のメディア・オーガナイザー、アダムは、その後起こったことについてこう語った。
贈り物をもらったと思っていたら、この世のあらゆる悪が飛び出した。
アレッポの劇作家フセインは、状況をひと言でいい表した。
あの暗黒集団がシリアに入ってくるなんて、思いもしなかった――いまやあいつらの意のままだ。
これら「暗黒集団」の筆頭が、当時ISIS〔イラクとシリアのイスラム国〕として知られていた、「イスラム・カリフ制国家」の樹立をめざす組織、イスラミック・ステートである。二〇一四年にISISは、シリアの主要都市ラッカを制圧した。国境の向こう側のイラクでは、ファルージャ、ラマディ、そして人口一五〇万人の歴史ある都市モスルが、ISISに占領された。ISISやその他多くの武装集団が、シリアとイラクの政権崩壊によって残された国家なき間隙を、想像を絶する残虐さで埋め尽くした。鞭打ち、斬首、身体切断が日常と化した。自由シリア軍の戦士アブ・フィラスは、シリアの「新しい常態」をこう説明する。
誰かが自然死したなんて、もうずいぶん長い間聞いていない。最初のうちは殺されても一人か二人だったのが、そのうち二〇人になり、五〇人になり、そして死ぬのが当たり前になった。五〇人死んでも、いまじゃ「よかった!五〇人ですんだ!」と思う。爆弾や銃弾の音がしないと、何かが欠けているような気がして眠れなくなった。
アレッポの理学療法士アミンはこう回想する。
仲間の一人が女友達に電話して「ねえ、電池が切れそうだ。アミンのケイタイを借りてかけ直すよ」といった。しばらくして女友達が彼の様子を聞いてきたから、殺されたよと伝えた。彼女は泣いてしまい、僕は「どうしてそんなことをいうんだ?」とみんなに責められた。だからこう答えた。「だって本当じゃないか。ふつうのことだろ。あいつは死んだんだ」。……ケイタイを開いてアドレス帳を見ると、生き残っているのは一人か二人しかいない。誰かにいわれたよ。「人が死んでも番号を消してしまうな。名前を『殉教者」に変えろ」と。……だから僕のアドレス帳は、殉教者、殉教者、殉教者が並んでいる。
シリア国家の崩壊は、とほうもない人道危機をもたらした。内戦前に約一八〇〇万人だった人口のうち、五〇万人ものシリア人が命を落としたとされる。六〇〇万人以上が住む場所を追われて国内の別の場所に移り、五〇〇万人が国外に逃れ、現在難民として暮らしているのだ。
ギルガメシュ問題
シリア国家の崩壊によって厄災が解き放たれたことは、驚くにあたらない。紛争の解決と法の執行、暴力の抑制には国家が必要だと、哲学者や社会科学者ははるか昔から主張してきた。ロックもこう述べている。
法のないところに自由はない。
それでもシリア人は、アサドの独裁政権からいくばくかでも自由を得るために抗議を始めた。アダムは悲しそうに回想する。
皮肉なことに、僕らは腐敗や犯罪、悪、人々の苦しみをなくそうとしてデモに加わった。なのに、ずっと多くの人が苦しむ結果に終わった。
アダムのようなシリア人が格闘している問題は、人間社会につきものの問題であり、今から約四二〇〇年前のシュメールの石板に刻まれた、現存する最古の文書に数えられる『ギルガメシュ叙事詩」のテーマでもある。ギルガメシュは、現在のイラク南部にあたる、いまは干上がっているユーフラテス川支流沿いにあった、おそらく世界最古の都市、ウルクの王である。叙事詩には、交易で繁栄し、住民に公共サービスを提供するめざましい都市を、ギルガメシュがつくりあげたことがうたわれている。
陽が当たると銅とまがうようにつくられた、その城壁を見よ。石造りの階段を上ってみよ……ウルクの城壁に上り、都市を行き来してみよ。その堅牢な礎石を調べ、レンガを吟味せよ。それがどれほど巧みに建てられたかを調べよ。城壁内部の土地を観察し、輝かしい宮殿や神殿、店や市場、家や広場を見つめよ。
しかし、一つ問題があった。
ギルガメシュのような者がどこにいるだろう?……都市は彼のものだった。彼は傲慢にも頭を高く掲げ、野牛のように市民を威嚇しながら行き来する。彼は王であり、やりたい放題にふるまう。息子をその父親から取り上げて打ちのめす。娘をその母親から取り上げてなぶりものにする……ギルガメシュをあえて止めようとする者は誰もいない。
ギルガメシュは制御不能だった。シリアのアサドに似ていなくもない。絶望した人々は、シュメールの主神である天の神アヌのいる「天に向かって叫び」、訴えた。
天の父よ、ギルガメシュは……すべての束縛を超えてしまいました。民はその暴虐に苦しんでいます……これが、あなたが王にお望みになった支配でしょうか?羊飼いが自分の羊を痛めつけてよいものでしょうか?
アヌは民の訴えを聞き、創造の女神アルルに命じた。
ギルガメシュの分身をつくれ。彼と同じだけの力と勇気を持ち、その荒ぶる心に立ち向かう男をつくるのだ。ウルクが安息を得られるように、新たな英雄をつくり、二人が互いに釣り合うようにせよ。
このようにアヌは、本書で「ギルガメシュ問題」と呼ぶもの――国家の悪い面ではなく、よい面を引き出すために、その権威と権力を制御することーへの解決策を考案した。アヌの案はドッペルゲンガー【世界に一人だけいるという、自分にそっくりな人」的解決策であり、こんにちでいう「チェック&バランス(抑制と均衡)」に近いものだった。分身のエンキドゥになら、ギルガメシュをくい止められると考えたのだ。合衆国の政治制度の生みの親の一人、ジェイムズ・マディソンはきっと同意したことだろう。マディソンはその四〇〇〇年後に、「野望には野望をもって対抗させる」ように憲法を設計すべきだと主張したのだから。
ギルガメシュが自分の分身に初めて遭遇したのは、新しい花嫁を陵辱せんとしていたときだった。エンキドゥが足止めを食らわせ、家の中に入れなかった。二人は戦った。ギルガメシュは最後には勝利したが、無双の専横的な力を戦いで失った。ウルクには自由が芽生えたのだろうか?
残念ながらそうではない。パラシュートのように上から与えられる抑制と均衡は、一般に効果がないし、ウルクでも功を奏さなかった。まもなくギルガメシュとエンキドゥは結託し始めた。叙事詩にはこう記されている。
彼らは抱擁を交わし、互いに接吻した。彼らは兄弟のように手を取り合った。彼らは寄り添って歩いた。彼らは真の友になった。
その後二人は力を合わせて、レバノン杉の森の守護神である怪物フンババを殺した。神たちが二人を罰するために差し向けた聖牛も、協力して倒してしまった。自由への展望は、抑制と均衡とともに消え去ったのだ。
ドッペルゲンガーや抑制と均衡が導入された国家から生まれないとしたら、自由はいったいどこから生まれるのだろう?アサド政権からではない。シリア国家崩壊後の無政府状態から生まれないのも明らかだ。
私たちの答えは単純だ。自由には国家と法律が必要である。だが、自由は国家やそれを支配するエリート層によって与えられるのではない。自由は一般の人々によって、つまり社会によって獲得されるのだ。国家が二〇一一年以前のシリアでアサドが行なっていた暴虐ぶりのように人々の自由を踏みにじらぬよう、社会は国家を制御して、人々の自由を保護し促進するようにさせなくてはならない。自由を実現するためには、政治に参加し、必要とあれば抗議し、投票によって政権を追放する、結集した社会が必要なのだ。
自由への狭い回廊
本書の主張は、自由が生まれ栄えるためには、国家と社会がともに強くなければならない、というものだ。撃力を抑制し、法を執行し、また人々が自由に選んだ道を追求できるような生活に不可欠な公共サービスを提供するには、強い国家が必要だ。強い国家を制御し、それに足枷をはめるには、結集した強い社会が必要だ。ドッペルゲンガー的解決策や抑制と均衡では、ギルガメシュ問題を解決することはできない。社会のたえざる警戒がなければ、どんな憲法も保証も、それが書かれた羊皮紙ほどの価値しかもたなくなるからだ。
専横国家がもたらす恐怖や抑圧と、国家の不在がもたらす暴力や無秩序の間に挟まれているのが、自由への狭い回廊である。国家と社会が互いに均衡するのは、この回廊の内部である。均衡といっても、革命によって瞬間的に達成されるものではない。均衡とは、両者のたえまない、日常的なせめぎ合いである。このせめぎ合いは利益をもたらす。回廊の中で、国家と社会はただ競争するだけでなく、協力もする。この協力に助けられて、国家は社会が求めるものを提供する能力を高め、社会は国家の能力を監視するためにますます結集することができるのだ。
これが扉ではなく回廊である理由は、自由の実現が点ではなくプロセスだからだ。国家は回廊内で長旅をして、ようやく暴力を制御し、法律を制定・施行し、市民にサービスを提供し始めることができる。これがプロセスである理由は、国家とエリートが社会によってはめられた足枷を受け入れることを学び、社会の異なる階層が違いを超えて協力し合うことを学ぶ必要があるからだ。
この回廊が狭い理由は、こうしたことが容易ではないからだ。巨大な官僚機構と強力な軍隊、法律を自由に決定する権限をもつ国家を、どうやって抑え込めるだろう?複雑化するこの世界でますます大きな責任を担うことが求められる国家を、どうやって手なずけ、制御し続けることができるだろう?社会が相違や分裂から内輪で争うのを阻止し、協力し続けるようにするには、どうしたらいいのか?こうしたすべてがゼロサム競争に陥らないようにする方法はあるのだろうか?まったく容易なことではない。だからこそ回廊は狭く、またそこに入る社会やそこから出ていく社会には多大な影響がおよぶのだ。
こうしたことのどれ一つとして、計画的にもたらすことはできない。といっても、計画的に自由を生み出そうとする指導者などそうそういるものではない。国家とエリート層が強力で、社会が弱いとき、指導者は人々に権利や自由を与えたりするだろうか?たとえ与えたとしても、約束を守り続けると信用できるのか?
自由の起源を知るには、ギルガメシュの時代から現在に至るまでの女性解放の歴史を見ればいい。叙事詩のいう、「すべての女子の処女膜が……王に属する」ような状況から、(限られた地域ではあるが)女性が権利を有する状況にまで、社会はどうやって変化したのだろう?ひょっとすると、そうした権利は男性によって与えられたのだろうか?たとえばアラブ首長国連邦(UAE)には、二〇一五年にシャイフ・ムハンマド・ビン・ラーシド・アル・マクトゥーム副大統領兼首相兼ドバイ首長によって設置された、男女均等協議会がある。協議会は「最も男女均等を支援した政府団体賞」「最も男女均等を支援した連邦機関賞」「男女均等イニシアティブ大賞」などの賞を毎年与えて、男女均等への貢献を表彰している。マクトゥーム首長の手から授与された二〇一八年度の賞には、共通点が一つある―受賞者が一人残らず男性だったのだ!UAEの解決策の問題点は、それがマクトゥーム首長によって計画され、社会を関与させずに一方的に押しつけられたことにあった。
これとは対照的に、よりよい成果を上げてきたイギリスなどの女性の権利拡大運動では、女性の権利は与えられたのではなく、勝ちとられた。女性たちは社会運動を起こし、サフラジェット〔婦人参政権を求める活動家」と呼ばれるようになった。サフラジェットは一九〇三年に結成された女性だけの政治団体、婦人社会政治連合から生まれた。女性たちは、男性が「男女均等イニシアティブ大賞」を授けてくれるのを待ったりせず、みずから立ち上がり、直接行動と市民的不服従に訴えた。当時の大蔵大臣でのちに首相となった、デイヴィッド・ロイド・ジョージの夏の別荘に爆弾を仕掛けた。国会議事堂の外の手すりに、自分たちの体を鎖でつないだ。納税を拒否し、投獄されるとハンガーストライキに訴え、強制的に食事を取らされた。
エミリー・デイヴィソンはサフラジェット運動の著名なメンバーだった。一部報道によると、一九一三年六月四日の栄えあるエプソムダービーで、サフラジェットの紫、白、緑色の旗を掲げたデイヴィソンが、国王ジョージ五世の愛馬アンマーの目の前に走り出てはね飛ばされた。馬は転倒し、口絵の写真が示すように、デイヴィソンはその下敷きになった。四日後、デイヴィソンは事故による負傷で死亡した。五年後、女性は議会選挙で投票できるようになった。イギリスで女性が権利を手に入れたのは、一部の(男性)指導者の寛大な許可のおかげではない。権利獲得は、女性が組織化し、力を高めたことの帰結だった。
女性解放の物語は特殊でも例外でもない。自由の実現は、社会が結集し、国家とエリートに立ち向かえるかどうかによってほぼ決まるのだ。