アフリカ経済の真実 ――資源開発と紛争の論理 (ちくま新書)

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アフリカ諸国の現状を理解

この本は、現代のアフリカ経済の影を描く本です。貿易事業や国際開発協力などに興味があり、将来そうしたことに関連する職業に就きたいと考えている学生にとっては、必携の本と言えます。とてもおすすめの一冊です。

吉田 敦 (著)
出版社: 筑摩書房 (2020/7/7)、出典:出版社HP

目次

はじめに
「絶望の大陸」から「希望に満ちた大陸」へ/消費市場としてのアフリカ/もうひとつのアフリカ/外国投資の真実/外資による収益は人々に富をもたらさない/「新自由主義」に飲み込まれるアフリカ/本書の構成

第1章 紛争と開発
1 世界の「こちら側」と「むこう側」の論理
アフリカは日本と無縁の世界か/私たちは関わりあっている/間接的暴力が介在する世界
2 アフリカの紛争をどのように捉えるか
多発する紛争/紛争の犠牲者たち/アフリカの紛争の特徴/「国家建設」の挫折と紛争/「新しい戦争」の出現/「戦争経済」/金儲けの機会としての紛争/どのような国で紛争が起きやすいのか/産油国では紛争が起こらないのか/国境を越えた暴力の拡散
3 開発と紛争
なぜ貧困国では紛争が多発するのか/開発」による間接的暴力/ダイヤモンドを欲するのは誰か/「最後の市場」の含意

第2章 混迷するサヘル
1 激化する暴力の中心地
サヘルはなぜ不安定な地域になってしまったのか/一四万円で買われる命/サヘルとはどのような地域か
2 トゥアレグ―砂漠の支配者から無法者への
トゥアレグとは/「アザワド国」の分離独立/リビアのトゥアレグ傭兵/トゥアレグの帰還
3 マリにおけるイスラーム急進派勢力の拡大
マリの「タリバン化」/アルジェリア・イナメナス事件―「国境を越える脅威」の顕在化/イナメナス事件はなぜ起こったのか/イスラーム急進派が利用する構造的暴力
4 サヘル危機で激増する麻薬取引
懸念されているもうひとつの問題/「コカイン航空」事件の衝撃/麻薬ルートとしての西アフリカ・サヘルの重要性/「統治されない空間」が莫大な金を生む/イスラーム急進派と国際犯罪組 織共通のメリット/サヘルの空白地帯で生み出される暴力

第3章 蹂躙されるマダガスカルの
1 疲弊する人々と大地。
地上の楽園か、呪われた大地か/政治混乱がつづくマダガスカルの地で/乱掘されるサファイア原石/蔓延する売春/高級木材の違法伐採
2 ラヴァルマナナ政権と外資による農地開発
二〇〇二年政治危機とラヴァルマナナ政権の誕生/ラヴァルマナナ政権/外資主導による大規模農業開発/韓国企業への国土の投げ売り/インド・ヴァラン社との契約/狙われる未開発の農地
3 国家崩壊の危機と大規模開発プロジェクト
二度めの政治危機劣等国家への転落/社会的影響/資源富裕国という幻想/アンバトビー・プロジェクト/QMMプロジェクト/失われた時を求めて―マダガスカルに未来はあるのか

第4章 「資源の呪い」に翻弄されるアルジェリア
1 石油の富の幻想
産油国アルジェリア/二○○○年代初頭の首都アルジェ/アフリカの資源大国/「ヒッティスト」の苦悩/石油富裕国の貧困/「資源の呪い」/「オランダ病」/油価の変動にさらされる経済
2 アルジェリア資源開発史
アルジェリア独立戦争/「国家のなかの国家」ソナトラックの誕生と重工業化の時代/重工業化の挫折と一九八八年一〇月暴動/危機の一〇年−なぜテロリストの温床となったのか/アルジェリアの悪夢/テロ実行犯の実像
3 「プーヴォワール」に支配された国
ブーテフリカ大統領への期待から失望へ/誰も予想しえなかった長期政権/ブーテフリカ大統領はなぜ権力を握りつづけたのか/取り残される民衆/外資に依存する公共投資政策/アルジェリアはどこに向かうのか

第5章 絶望の国のダイヤモンド外
1 紛争と先進国の影
紛争多発地帯としてのアフリカ/アフリカの紛争地ではなにが起きていたのか/「血塗られたダイヤモンド」とアフリカ
2 絶望の国−コンゴ民主共和国の歴史
「アフリカの心臓」/植民地統治下の「赤いゴム」の国/コンゴの独立とは何であったのか/「ザイール化」政策/「ザイール化」政策の挫折/モブツ王国はなぜ維持できたのか/東西冷戦構造の落とし子「虚栄の権力者」/冷戦終結から崩壊へ
3 内戦に明け暮れるアフリカ諸国
「アフリカ大戦」とダイヤモンド/なぜダイヤモンド鉱床は制圧しやすいのか/戦費として利用されるダイヤモンド/アンゴラ、シエラレオネの内戦
4 なぜダイヤモンドの密輸はなくならないのか
憎しみを生むダイヤモンド/鉱山街へ一変する村々/原産国での密輸の現状/原石のゆくえ/国際市場に流出しつづけたダイヤモンド/ダイヤモンドはなぜ輝くのか/「紛争ダイヤモンド」とキンバリー・プロセス/それでもダイヤモンド採掘はつづく

第6章 「狩り場」としてのアフリカ農地
1 食料価格の高騰
食料価格高騰の衝撃/「食料の安全保障」
2 農地というフロンティアの発見
「未耕作地」はどこにあるのか/加熱する「ランドグラブ」/農地取引の実際の規模
3 アフリカの大規模土地取引の実態
グローバルな推進主体/事例①エチオピアのカルトゥリ社/ケニアからエチオピアへ/「狩り場」となるエチオピア/事例②シエラレオネのアダックス社−標的となるポスト紛争国/「バイオ燃料」という磁力/残されたのは荒地と住民/事例③モザンビークのプロサバンナ事業計画−日本政府が主導する「三角協力」/プロサバンナ事業計画とは/「悲しみの開発」
4 「底辺への競争」はなぜ止まらないのか
「開発の遅れた」地域の近代化/「ニュー・アライアンス」によって囲い込まれるアフリカ諸国/現代版「新植民地主義」/「貧困の罠」という罠

おわりに
主要参考文献

吉田 敦 (著)
出版社: 筑摩書房 (2020/7/7)、出典:出版社HP

はじめに

「絶望の大陸」から「希望に満ちた大陸」へ

「かつて「絶望の大陸」として語られてきたアフリカは、二一世紀にはいり「希望に満ちた大陸」へと変貌をとげたと言われている。
絶え間のない政治的混乱、頻発する内戦、永遠に目覚めることがないかのように低成長を続ける経済……。そのようなアフリカのイメージは消失して、代わりに一二億を超える膨大な人口(加えて若年層が多数を占める人口ボーナス)と高い経済成長に牽引される「希望に満ちた大陸」として描かれるようになった。
実際に二一世紀にはいってからのアフリカの経済成長率には、目を見張るものがあった。

二〇〇一年から二〇〇八年までの経済成長率は、アフリカ全体の平均は五・五パーセントで、これは同じ期間の世界の経済成長率の平均四・三パーセントを上回る高水準であった。また各年ごとに見ても、すべての年でアフリカが世界の経済成長率の平均値を上回っていた。そして二〇〇九年以降も、世界金融危機の影響により一時的な経済成長率の減速が記録されたものの、二〇一三年から二〇一七年に至るまで概ね三パーセント台の堅調な水準を維持してきた(数値はIMF統計資料)。
米国に本拠をおく戦略系コンサルティング会社のマッキンゼーは、この時期のアフリカ経済を「動き始めた獅子」と評している(Mckinsey, 2010)。これまで深い闇のなかで眠り続けてきたアフリカがついに目を覚ました。「すでに八六○○億ドルに膨れあがったアフリカの消費市場は、将来も拡大が見込める。ビジネスチャンスを掴むのに、各国企業は乗り遅れるな」というわけである。

このようなアフリカに対するポジティブなイメージが描かれているのは、投資会社のマーケット調査報告だけではない。メディアが報じるアフリカの評価も一変した。イギリスの『エコノミスト』誌は、アフリカについて、二〇〇○年五月号に「希望のない大陸」(The Hopeless Continent)と冠した特集を組んでいたが、その一一年後の二〇一一年一二月号の特集は「希望に満ちた大陸」(The Hopeful Continent)だった。そのイメージを一八○度転換させたのである。
日本においても、「最後の市場」「成長する資源大陸」等々をタイトルに冠した、アフリカ経済を好意的に評価する書籍が続々と刊行されている。このように二一世紀にはいり、アフリカに対するポジティブな見方が、広く一般に共有されはじめているのである。

消費市場としてのアフリカ

マッキンゼーや『エコノミスト』誌の例のようにアフリカがプラスのイメージで語られるようになった背景には、高い経済成長に牽引された消費市場の拡大がある。
ユニリーバ市場戦略研究所は、南アフリカの中・高所得者層を「ブラック・ダイヤモンド」と呼び、購買力の増加と旺盛な消費意欲を賞賛する(Unilever Institute of strategic Marketing, 2007)。アフリカの各地で大型ショッピングモールが建設され、外国製の日用雑貨(衣料品、靴・鞄)や耐久消費財(自動二輪車、家電製品、家具等)の旺盛な消費がみられるのも確かだ。

テレビや生活家電の販売数の急激な拡大が続き、いまやアフリカの人口の半数が携帯電話かスマートフォンを所有していると言われている。あるいは、ネスレやダノンの加工食品やユニリーバの衛生用品などの売り上げ規模の増大等々、民間企業によるアフリカ市場への積極的な参入とその消費の爆発は、確かにアフリカの現状の一部を表していると言えそうだ。

視点をふたたび国家レベルに移して、アフリカの経済成長とならび、好調が続いている貿易額や投資額の動向をもとに、次のような「希望に満ちた大陸」アフリカを描きだすことも可能であろう。
まずは貿易額である。サハラ以南アフリカにおける輸出額は、二〇〇〇年の八二一億ドルから二〇一六年には一六五一億ドルへと倍増し、輸入額は同じ期間に六六二億ドルから二二六六億ドルへと三倍以上の伸びを示している。くわえて外国直接投資額も大きく増加しており、アフリカへの直接投資の流入額は、1000年の八一億ドルから二〇一六年には六○○億ドル近くにまで大きく増加した。「その結果、アフリカの市場は、貿易を通じて世界各国からの輸入品であふれかえるようになり、また外国企業によって大量の資本が投下され続けている。「これが、国際社会が評価するアフリカの「希望に満ちた大陸」の姿である。確かに、現在のアフリカは、九〇年代までの状況とは大きく異なっている。潜在的な購買層の発掘が見込めるアフリカの市場は、飽和状態に達している先進国市場と比べても、企業にとって魅力ある投資先へと変化し始めているのかもしれない。

もうひとつのアフリカ

しかし、本当にアフリカの経済や社会はそのように良いことずくめなのだろうか。アフリカは本当に「希望に満ちた大陸」に生まれ変わったのか。これが本書の問題設定のひとつである。

本書が描きだすのは、企業にとってのビジネスチャンスやリスクがどこにあるのかといった、いわゆる「最後の市場」としてのアフリカの姿ではない。そうではなく、市場原理や自由競争にもとづくグローバルな経済統合がアフリカ市場を飲み込もうとしているなかで、いまなお絶望と悲しみの淵に取り残され続けているアフリカの人々の姿である。

もしかしたら、本書の試みは、悲観的なアフリカ像の再生産として、もしくは「第三世界」の焼き直しとして、読者に凡庸な印象を与えてしまうかもしれない。
しかしながら、本書では、そのように決して明るくない話をしなければならない。なぜなら、アフリカが誰にとっての「希望に満ちた大陸」であるのか、ということを問わなければならないからである。アフリカは、原料供給先の確保やさらなる消費市場を獲得しようとする企業にとって「希望に満ちた大陸」であるのか。それとも国際機関や先進国政府による「さらなる市場の自由化」という勧告にしたがって、貴重な資源や土地を切り売りする政治家たちにとってなのか。それとも、日々の生活の糧を得るために、自らの命を危険にさらし続けなければならない人々にとってなのか。これらの問いに答えるためには、現在のアフリカでどのような開発政策がおこなわれており、そしてその結果どのようなことがアフリカの地で生じているのかを考える必要がある。

外国投資の真実

先ほど、アフリカへの直接投資の流入額が、約六○○億ドルに増加したと指摘した。
この数字だけをみれば、アフリカへの投資を計画しようとしている企業にとっては、もしくは市場の自由化を通じた外国投資の促進を政策目標に掲げるアフリカ諸国の政治家たちにとっては、賞賛すべき数字として捉えられるに違いない。だが、そのように急増する外国からの直接投資がどこに向かっているのか、少しだけ立ち止まって考えるならば、その評価はたちまち輝きを失ってしまうだろう。

たとえば、二〇一六年の外国直接投資の受け入れ国のトップは、アフリカ最大の産油国であるナイジェリアである。次に、近年急速に石油開発が進むガーナやコンゴ共和国、鉱物資源の開発が注目されているマダガスカルが肩を並べる。さらに深海油田の開発で石油の生産量が急増を続けているアンゴラ、レアメタルやダイヤモンドなどの貴石類を豊富に産出しているコンゴ民主共和国などの国名があげられている。つまり、いずれの国もアフリカ有数の資源国なのである(後ほど説明するが、これらの国は同時に、紛争やクーデターなどの政治的不安定性を抱える国々でもある)。
すなわち、外国企業がアフリカにもっとも期待しているのは、アフリカ諸国で暮らす人々の創造性や彼らが生み出す付加価値に富んだ商品ではなく、依然として石油や天然ガス、鉱物資源などの地下天然資源なのである。

特に、二○○○年代後半の原油・天然ガスや鉱物資源の国際市場価格の高騰を背景にして、アフリカで未開発のままに眠る豊富な地下資源は、世界的な注目を集め、国際資本による資源開発が本格化した。
そのような外国資本による資本集約的投資によって、アフリカの各地には「砂漠のなかで最新の工場群が乱立する光景」や「森林を切り拓き、鉱物資源を採取し続ける巨大な採掘場」が出現した。これを輝かしい発展と捉えるならば、確かにアフリカは「希望に満ちた大陸」であると言えるだろう。
だが、本書はそのような視点をとらない。私が注目したいのは、これらの石油や鉱物資源の開発によってアフリカの人々にいったい何がもたらされたのか、もしくは、もたらされなかったのか、失われたのか、ということなのである。

外資による収益は人々に富をもたらさない

なぜそのようなことに注目するのか。それは、一国のマクロ経済変数(経済成長率、貿易総額、直接投資額)がいかに改善されようとも、それが外からもたらされた収益(外生的収益)によるものである限り、産業の多様化や国民の生活水準の向上に直接に結びつけるのが困難だからである。そればかりか、硬直的な政治権力構造をさらに肥大化させ、独裁的な政治体制の構築や補強へとつながってしまうケースが多々見られる。外からもたらされた収益は、その国が抱えている病をますます進行させてしまう可能性をはらんでいるのだ。

あえて誇張を恐れずに表現すれば、そこにあるのは、地中深くに眠っていた資源をベルトコンベアに乗せて、そのまま先進国の生活を支える原材料として提供し続ける「富の移転プロセス」である。読者のなかには、企業による資源投資によってアフリカにも利益があるのではないかと考える方もいるかもしれない。もちろんこの「富の移転プロセス」では、アフリカの国々にも資源採掘によって得られた外貨収益の一部がもたらされることになるが、その収益の多くは、その国に暮らす国民の助けとなるわけではなく、一部の特権階級に流れ落ち、彼らをますます肥大化させてしまっている。
このような現状が多くの国でみられているにもかかわらず、果たして今まで述べてきたような開発を、アフリカにとっての「発展」と呼ぶことができるだろうか。

「新自由主義」に飲み込まれるアフリカ

冒頭で述べたように、かつてのアフリカは「絶望の大陸」と語られていた。国際社会では、アフリカの貧困は、「開発の失敗」としてしばしばみなされ、近代化を成し遂げるうえで障害となる「病」として問題視されてきた。そして、その「病」を癒す「万能薬」とされているのが、外国企業の投資を通じた「市場の自由化」であった。
ではなぜ、アフリカは「市場の自由化」を迫られるようになったのか。
かつてアフリカ各国は、先進国に政治的にも経済的にも従属しない国民国家の建設を目指してきた。その過程で、多くの国では「市場の自由化」とは真逆の政策をとってきた。

すなわち、自分たちの製品は自分たちで生みだそうという、国営企業を中心とした中央集 権的な社会主義政策が採用されてきたのである。だが、これらの計画経済にもとづく国民になると膨大な借金だけを残して行き詰まってしまった。その際に、IMFや世界銀行などの国際機関から求められたのが、非効率な国営企業の解体 (民営化)や「市場の自由化」に向けた一連の経済政策(農産物の自由化、公共投資の見直し、政府補助金の廃止など)であった。これらの経済政策は、融資条件としての金融の引き締め政策の枠を超えて、政治構造や社会構造の変革を目指す「構造調整政策」と呼ばれた。この政策は、アフリカの三八カ国以上で実施され、大きな社会変動をまきおこした。
その結果、アフリカは大きく変わっていった。続く一九九〇年代、アフリカ各国は、市場経済の原理にもとづく「新自由主義」の荒波に完全に飲み込まれていく。そして、二〇○○年代にはいるとアフリカ各国の政治指導者たちも、世界を席巻する「新自由主義」という「万能薬」の効用を信じ、グローバリゼーションの「積極的な推進主体」へと変貌していった。

制度的な基盤が整わないなかで、「新自由主義」を受け入れざるを得なかった国では、急速な市場経済化から生じた歪みが、そこかしこで表面化することになり、その歪みは、ときにはテロや紛争といった暴力的なかたちで顕在化した。
自らの国家のヴィジョンを描くこともままならず、グローバリゼーションの歪みでテロや紛争が生じ、そして人々が市場競争から取り残され、貧困と絶望のなかで手足をもがれたまま「沈みゆく大陸」―これがアフリカの本当の姿なのである。

本書の構成

繰り返しになるが、本書の目的は、国際社会が賞賛するアフリカの経済成長や投資機会といった、いわばアフリカ経済の光の部分を描くことではない。そうではなく、アフリカに依然として残る影の部分を描き出すことを、この本の使命としたい。影の部分とは、アフリカでおこなわれている石油やダイヤモンドの採掘、鉱物資源採掘が、その国にどのような問題をもたらしているのか、その国で暮らす人々がどのような問題や苦悩を抱えて生きているのか。日本をはじめとして我々が暮らす先進諸国とアフリカとのつながりを考えながら、各章ごとに具体的事例を検討し、いまのアフリカで何が起きているのかを考えていきたい。各章の考察事例は次のとおりである。

第1章では、グローバル経済が進展するもとで、「向こう側」(アフリカ)に住む人々が、「こちら側」(先進国)の人々の欲望にいかに影響を受けているのかを考える。この章は理論的な話が多いため、やや難しく感じられる方は、より具体的にアフリカ各国の政治経済状況を解説している第2章以降から読み進めていただきたい。
第2章では、サハラ・サヘル地域という過酷な気象条件のなかで、貧しい資源を分かち合いながら暮らしてきた人々が、なぜ、なんら主権を持つこともできずに国家から排除されたのか、そして他国の傭兵としてしか生きる術をもたなくなり、周辺地域の治安を脅かすほどの暴力的主体へと変貌 してしまったのか、ということを考えたい。

第3章では、インド洋に浮かぶ、多様で豊かな自然環境に恵まれたマダガスカルをとりあげる。二一世紀にこの国で起きた政治的混乱の理由はどこにあったのか、過酷な労働条件のもとで地中深くに眠る宝石を掘りださなければ人々の生活が成り立たないのはなぜか、ということを考察したい。
第4章では、フランスの植民地支配から、多くの人民の命を犠牲にして独立を獲得したアルジェリアをとりあげる。アルジェリアでは、独立以降六〇年以上にもわたり、日量一六〇万バーレルもの石油を産出し続けている。それにもかかわらず、なぜ、いまなお町中に失業者が溢れ、政権に対する民衆の憤りが爆発するレベルにまで達してしまったのか。

アルジェリアの歴史と人々が耐え忍んできた苦悩を通して考えたい。
さらに第5章では、アフリカ中南部に位置し、世界有数の資源大国であるコンゴ民主共和国に注目する。世界中の人々を魅了してやまないダイヤモンドや現代の先進技術産業に不可欠なレアメタルを提供し続けているこの国で、豊富な資源をめぐって殺し合いが続いているのはなぜなのか。

最終章である第6章では、栄養不足と飢えに苦しむ人々が存在する傍らで、他国の家畜の飼料用に大量生産されるトウモロコシの畑について考える。アフリカでは、そのような目的でトウモロコシ畑をつくるために、人々が無償で土地を提供しなければならない国が
増えている。それはなぜなのか。そのしくみについて考えたい。
五四カ国もの国(西サハラを含めると五五カ国)にわかれ、多様性に富んでいるアフリカを一言で表すことは、もとより不可能である。だが本書では、いくつかの国の現実の姿をしっかりと捉え、そこにアフリカ諸国に通底する問題、語られざる「もうひとつのアフリカ」の姿を描きだすことを課題としたい。お付き合いいただければ幸いである。

吉田 敦 (著)
出版社: 筑摩書房 (2020/7/7)、出典:出版社HP