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アフリカに対する偏見への警鐘
この本では、大手紙記者としてアフリカに赴いた著者の取材余話を基に、日本人の心に潜むアフリカの人々に対する偏見を指摘しています。とても密度の濃い読み応えのある本です。文章がとても読みやすいので入門書としておすすめです。
目次
やや長めの「まえがき」
第1章 アフリカへの「まなざし」
1 現代日本人の「アフリカ観」」
2 バラエティ番組の中のアフリカ
3 食い違う番組と現地
4 悪意なき「保護者」として。
第2章 アフリカを伝える
1 アフリカ報道への「不満」
2 小国の内政がニュースになる時
3 「部族対立」という罠
第3章 「新しいアフリカ」と日本
1 「飢餓と貧困」の大陸?
2 「新しいアフリカ」の出現
3 国連安保理改革をめぐる思惑
4 転機の対アフリカ外交
終章 「鏡」としてのアフリカ
1 アフリカから学ぶことはあるか?
2 「いじめ自殺」とアフリカ
3 アフリカの「毒」
アフリカについて勉強したい人のための一〇冊
あとがき
やや長めの「まえがき」
「本当にヨハネスブルクでいいのか? 今まで国内でせっかく頑張って働いてきたのに、 アフリカに行くんじゃあ、もったいなくないか。考え直してはどうだ」
毎日新聞の南アフリカ・ヨハネスブルク支局への赴任をおよそ三カ月後に控えた二〇〇 四年一月のことでした。東京本社 の外信部で勤務していた私はある日、社内の他の部署で 働く先輩記者に「ちょっと話したいことがある」と呼び出されました。そして言われたの が冒頭の「忠告」でした。
毎日新聞は一九八〇年にジンバブエの首都ハラレに支局を開設し、一九九三年に南アの ハネスブルクに支局を移しました。記者一人が常駐しており、サハラ砂漠以南四八カ の取材を担当しています。私は七代目のアフリカ駐在特派員でした。
私は大学時代に初めてアフリカを旅し、その後、大学院でアフリカ政治の研究を専攻し、 新聞社に入社してからは日本国内で勤務しながら、ずっとヨハネスブルク駐在を希望して きました。そして、入社一〇年目の二〇〇四年になって、ようやく当時の上司である外信部長から異動の内示をもらい、学生時代からの十数年来の夢が実現する喜びを噛みしめて。 いました。
二〇一〇年にサッカー・ワールドカップが南アで開かれて以降、アフリカは日本人にと って少しは身近な存在になったのかもしれません。しかし、日本の新聞紙面におけるアフ リカの存在感の低さは基本的に変わっておらず、ましてや二〇〇四年ごろの存在感は今以 上に低いのでした。私に忠告してくれた先輩記者からみれば、せっせと取材して記事を 書いてもなかなか紙面に掲載されないアフリカに、わざわざ赴任を希望する私の心情は理 解を超えていたのかもしれません。
結局、私は二〇〇四年四月に妻子とともにヨハネスブルクに赴任し、以後四年間、サハ ラ砂漠以南の国々を駆け回る充実した日々を送りました。だが、出発前に受けたこの「忠 告」は、日本の社会に、アフリカへの異動を「左遷」や「ドロップアウト」と考える意識 が確かに存在していることを強く感じさせる体験でした。
もう一つ、興味深い個人的体験があります。
毎日新聞の朝刊には「記者の目」という欄があります。記者が特定のテーマについて署 名と顔写真入りで私見を披露する評論コーナーです。私はヨハネスブルク在任中の二〇〇 六年三月一〇日朝刊の「記者の目」欄に「世界一の格差社会で暮らして」というテーマで執筆したことがあります。
記事の骨子は、南アフリカは殺人や強盗など凶悪犯罪の発生率が世界最悪の国だが、そ れは南アが世界一貧富の差が大きい社会であることと深く関係している……というもので した。南アは、芝生の庭の片隅にプールがある邸宅街とスラム街が近接しているような究 極の格差社会です。異様な貧富の差が放置されている必然の結果として、都市部では富裕 層や中間層を標的にした凶悪犯罪が多発し、地域によっては危なくて昼でも街を歩くこと ができません。プール付きの邸宅で暮らす富裕層も、結局は犯罪という暴力から自由では いられず、電流フェンス、鉄格子、レンタル番犬、民間警備会社に守られた暮らしを送っ ています。私はそんな南アの実情の一端を日本の読者に伝え、格差社会の負の側面につい て考えてほしいと思い記事を書きました。
当時の日本は、人々が格差を意識し始めた小泉政権後半の時期に当たり、私の記事には 読者から多くの反響が寄せられました。大半が記事の趣旨に賛同し、格差社会の弊害につ いての意見を述べたものでしたが、中には思わず「ウーン」と考え込んでしまう反響があ りました。
それは「なんてひどい所に住んでいるのでしょう。一日も早く日本の暮らしに戻れるこ とをお祈りしています」という、私と家族への真摯な同情の声です。インターネットの掲示板には「こいつは左遷されてストレスを溜めているから、早く帰国させてやれ」という 同情(?)の書き込みる登場し、妻と二人で唖然としたこともありました。
私は大学院生だった一九九〇年代初頭にヨハネスブルクで暮らしていたことがあり、特 派員としての赴任は二度目の南ア暮らしでした。したがって、治安の悪さは出発前から 重々承知しており、犯罪対策に苦慮しながらもなんとか日々の暮らしを楽しんでいました。 「住めば都」とはよくいったもので、幸いにして妻子台南ア暮らしを心底気に入ってくれ たようであり、二人の子供は「日本に帰りたくない」と言うほど現地に溶け込み、数多く の友達を得ました。南アには一二〇〇人前後の日本人が主に仕事で駐在しており、我が家 は多くの在留邦人たちと親交がありましたが、私が知る限り「一日も早い帰国」を毎日祈 りながら暮らしていた日本人家族は稀だったのではないかと思います。
私の「記者の目」は南アの「負の側面」に焦点を当てたものでしたから、「アフリカで の暮らし」について読者がマイナスイメージを抱いたことは当然かもしれません。しかし、 この時もまた、アフリカでの暮らしを「気の毒」と信じて疑わない日本人の「思い込み」 のような色のを感じ、少し寂しい気がしました。
人は日々の暮らしに不満や不安を抱きながらも、基本的には祖国に愛着の念を持ち、自分の故郷での暮らしを肯定して生きていく存在でしょう。したがって、日本人が日本の暮 らしを肯定することは、ごく自然なことです。その結果、豊かで平和な日本で生まれ育っ た平均的日本人が、飢餓、貧困、紛争といった暗いニュースがあふれるアフリカでの暮ら しを想像し、「日本の暮らし = よい。アフリカの暮らし = 気の毒」という感情を抱くこと は理解できます。先輩記者や「一日も早い帰国」を願って下さった読者には何の悪気もな かったでしょうから、個人的には、こうした人々に対する怒りや恨みの気持ちはもちろん ありません。
しかし、人が祖国での暮らしを肯定して生きていく存在であるならば、日本人が日本の 暮らしを基本的には肯定しているのと同じく、アフリカの人々もアフリカでの暮らしを肯 定しているでしょう。したがって、私のような日本人が人生の一時期アフリカで暮らすこ とを「気の毒」に思うのはよいとしても、アフリカで生まれ育ったアフリカ人に向かって、 安易に同情のまなざしを向けることには慎重であるべきだと思います。 確かにアフリカからは政治の混乱や貧困に耐えかねた多くの人が域外に流出しています が、圧倒的多数の人は生を受けた土地での暮らしを主体的に肯定し、祖国で生涯を終えま す。アフリカから「脱出」してアフリカ域外で暮らしている人々でさえも、祖国に誇りの 念を抱き、アフリカの社会や文化に強い愛着を抱いていることが一般的です。
そこで私は考えました。私たちは、アフリカの人々のそうした気持ちに、どの程度思いを馳せたことがあるだろうか。少し踏み込んで言うと、私たちは、アフリカの人々が少な くとも我々と同じ程度に祖国に誇りを持ち、我々と同じ程度に優秀で、我々と同じ程度に 幸せな暮らしを営んでいることを知っているだろうか。日本とアフリカの経済規模や科学 技術の水準の差に目を奪われ、国力の差を個々人の幸福度の違いと錯覚し、「進んだ日本、 遅れたアフリカ」「幸せな日本の暮らし、気の毒なアフリカの暮らし」と思い込んではい ないか。そうした認識に拘泥することが、巡り巡って日本社会を覆う閉塞感に関わってい るのではないか……。
この本を書いてみようと思った動機はここにあります。
「アフリカ入門」と銘打った書物は、少ないように見えて、実はかなり数多く出版されて います。入門書の多くは、主に日本人のアフリカ研究者によって執筆されています。日本 にはアフリカ各地の政治、経済、社会、文学、民族、人々の暮らし、宗教などを専門とす る多数の研究者がいます。主に大学に在籍しているこうした研究者は、しばしば単著で、 多くの場合は共著という形でアフリカについての入門書を執筆し、人々のアフリカ理解に 貢献しています。私は今回、その末席に加えていただこうと思い本書を書きました。
ただし、本書はタイトルに「入門書」と記しているものの、アフリカについて体系的に 記述した一般的な入門書とは、相当に趣が違います。第1章から読み始めると、本書がア フリカの自然、民族、歴史、政治、経済、文学、芸術、言語、社会など様々な分野につい て、ほとんど何る記述していないことに気付かれるでしょう。アフリカについて一から真 塾に学んでみたいと思って本書を手に取って下さった読者の方には、正直なところ申し訳 ないという気持ちすらあります。
そんな本がなぜ「入門書」なのか。
アフリカについて全く基礎知識を持たない人がアフリカについて勉強する際の最も一般 的な方法は、アフリカに関する基本的な知識を段階的に吸収していくことです。各分野の 専門家によって分担執筆された概説的な入門書は、読者のこうした要求に応えるべく編集 されています。これらの本は、いわば「アフリカそのもの」について書かれたものです。
これに対し、私はこの小著で「アフリカそのもの」についての情報を体系的に記すので はなく、「現代を生きる日本人はアフリカの人と社会をどう認識してきたか」という点に 焦点を当ててみました。それは次のような理由によります。
特派員生活を終えて帰国した二〇〇八年という時期がワールドカップ南ア開催に近かっ たこともあり、二〇〇九年から二〇一〇年にかけて、各地の大学、市民講座、ラジオ番組など様々な場でアフリカの政治・経済・社会情勢等について、アフリカ各地で撮影した写。 真を使いながら話をする機会をいただきました。どこの会場でも多くの方々から質問を受 け、時には終了後に一緒に飲み会に繰り出し、アフリカ談義に花を咲かせました。
その際に何よりも印象的だったことは、人々のアフリカに対する関心が、かつてないほ ど高まっていること。そして、私の話を聞いた方たちが「今までアフリカに対して抱いて いたステレオタイプ化されたイメージと現実は大きく違っていた」と話したことでした。 逆説的に言えば、アフリカに対するステレオタイプ化した理解が日本社会に強固に根付い てしまっている現実を、私は改めて痛感させられたわけです。 「貧しい」「部族対立が深刻」「発展が遅れている」……。日本から地理的にも心理的にも 遠いアフリカに対しては、こうした負のイメージが定着しています。確かにアフリカは貧 しく、紛争が多発し、近代国家として未発達としか言いようのない国もあります。しかし、 結論を先に言うと、こうした負のイメージ の中には、明らかに誤解や誇張に基づいて形成 された「思い込み」もあるのです。
こうした状況の中、「本当のアフリカ」について知ってもらうためには、アフリカの歴 史や社会に関する情報を羅列した入門書を新たに一冊増やしてるダメであり、私たちがど のような「まなざし」でアフリカを見ているかという問題そのものに切り込む必要があるのではないか。「思い込み」を取り払うきっかけになるような本が書けないだろうか……。 これまでの経験から、私はそのように考え、この小著を記すに至りました。 「思い込み」は、文字通り自分がある物事について誤った認識を抱いていることに気づい ていない状態です。たとえて言えば、自分が色眼鏡をかけてモノを見ているにもかかわら ず、色眼鏡をかけていることに気づいていない状態です。見ている対象の本当の色を知る には、まず自分が色眼鏡をかけている事実に気が付き、その眼鏡の色が何色であるかを知 って、その色を取り除かなければなりません。私がこの小著で試みようとしているのは、 私たちがアフリカを見る際にかけている色眼鏡の存在を意識し、それが何色であるかを知 った上で、その色を可能な限り透明にすることです。
機会がありましたら、大手書店の旅行ガイドのコーナーをのぞいてみて下さい。北米、 アジア、欧州など世界各地のガイドブックがどっさり並ぶ書棚に、アフリカのガイドブッ クは、ほんの数冊が置かれているだけです。いや、ゼロのこともあります。
先ほど各地の大学や市民講座でアフリカについての話をさせていただく機会が多いと書 きましたが、その際に「アフリカに行ったことのある方は手を挙げて下さい」とお願いし てみると、一○○人を超える聴衆がいてる挙手はゼロということが多い。援助関係者の会合にでも顔を出せば別ですが、アフリカの大地を実際に足で踏みしめた日本人というのは 極めて少ないのが現実です。
国民の大半が一度も足を踏み入れたことがない土地であるにもかかわらず、先ほどから 繰り返し書いているように、日本社会にはアフリカに対する負のイメージが確固として存 在しています。
理由は二つしか考えられません。一つは学校教育。もう一つはメディア(新聞、テレビ、 ラジオ、インターネットなど)を通じて流布される情報です。日本の学校ではアフリカのこ とはほとんど教えられませんから、日本人のアフリカ観の形成に圧倒的な影響を及ぼして いるのはメディアと考えて差し支えないでしょう。
そこで、本書では「日本のメディアはアフリカをどう伝えてきたのか」という問題を取 り上げたいと思います。先ほど、本書の狙いを「アフリカを見る際の色眼鏡を透明にする こと」と書きましたが、良かれ悪しかれメディアが人々の色眼鏡の形成に大きな影響を与 えている以上、まずはメディアが自らの色眼鏡の存在を自覚しなければなりません。した がって、本書は「メディアはアフリカをどう伝えてきたか」ということを題材にした、あ る種の「メディア批評」の性格を帯びています。
私は、いわゆる「メディア論」の専門家ではありません。ただし、現職の新聞記者なので、日々の仕事を通じて自分が身を置く業界を内側から観察する機会には恵まれています。 そこで本書では、日本メディアの「アフリカの伝え方」について自戒を込めて書くつもり です。
第1章では、ある人気テレビ番組の撮影の内幕を題材に、私たちがアフリカに対してど のような「まなざし」を向けているのか、という問題について考えてみます。私たちのア フリカに対する「思い込み」は、アフリカの人と社会に向けられる「まなざし」となって 姿を現します。この章では、表に現れた「まなざし」の性格を突き止めることで、私たち の「思い込み」の正体に迫りたいと思います。
第2章では、私自身が身を置いている日本メディアが、アフリカをどのように報道して きたかという問題について考えてみます。日本にも優れたアフリカ報道を展開してきたジ ャーナリストはいます。しかし、日本メディアのアフリカ報道は、ステレオタイプ化した アフリカのイメージを人々に広めるのに、残念ながら大きな役割を果たしてしまいました。
章では自戒と反省を込めながら、日本メディアのアフリカ報道の問題点に向き合い、 メディアが人々の「思い込み」を形成していく構造について考えたいと思います。
第3章は、日本政府の対アフリカ外交が直面する課題についての章です。二一世紀に入 ってからのアフリカには、ステレオタイプな負のイメージを覆すダイナミックな経済成長が観察されます。また、欧州の旧宗主国や米国以外に、中国がアフリカで存在感を発揮す。 る新しい時代が到来しました。こうした新しい情勢ゆえに、日本の対アフリカ外交は大き く変わることを迫られています。この章では、日本とアフリカの関係が「援助する側、さ れる側」という単純な図式には収まらない時代を迎えていることを読者に知っていただき たいと考えています。
そして終章は、ステレオタイプ化した負のイメージを排して向き合ったアフリカから見 えてくるものについて、個人的体験を題材にしながら思いつくままに記しました。具体的 には、思い切ってアフリカの「良い面」に積極的に着目し、日本の社会を照らし出す鏡と してアフリカを位置づけてみました。
貧困や紛争が今なお深刻な問題であるアフリカの「良い面」などと書くと、「アフリカ の人々が直面する厳しい現実から目をそらし、アフリカを過度に美化している」と反感を 抱く読者がいるかもしれません。以前、毎日新聞紙上で「アフリカの社会にも見習うべき ところがある」という趣旨の記事を書いたところ、毎日新聞社が当時開設していたインタ Iネットのブログで早速、匿名の方に「日本に帰らず南アに永住してはどうか」と皮肉ら れたことがありました。
しかし、本書の狙いは、当然のことながら「日本とアフリカのどちらが良いか」を論じることではなく、一方を美化することでも卑下したり蔑んだりすることでもありません。 人間が生まれる国を選ぶことのできない存在である以上、国や地域を比較して「どちらで 暮らす人間が幸せか」を論じることには、ほとんど何の意味ないでしょう。アフリカに 対する「思い込み」をできるだけ払拭し、アフリカの人々を今までより少しだけ身近に感 じるためのささやかな材料を提供したい……。本書の目的はただその一点にあります。
なお、本書で単に「アフリカ」と記述した場合は、サハラ砂漠以南のアフリカ(サブサ ハラ・アフリカ)を意味することをお断りしておきます。エジプト、チュニジア、リビア、 モロッコ、アルジェリア、西サハラの北アフリカの国々は、地理的にはアフリカ大陸に位 置してはいるものの、民族、文化などの面でサハラ以南の世界とは大きく異なり、アフリ カを論じる場合には含めないのが一般的だからです。
また、文中の登場人物の年齢は、特に断りがない限り、私が出会った当時のままとして います。
私は二〇〇九年、資源開発に牽引された経済成長を遂げる現代アフリカの内幕について、 アフリカ各地での取材を基に『ルポ資源大陸 アフリカー暴力が結ぶ貧困と繁栄』(東洋経 済新報社)という単行本を記しました。本書をお読みになった方で、アフリカで多発する紛争や犯罪の背景などを詳しく知りたいと考えた方は、そちらの拙著るお読みいただけれ ば幸いです。