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現代の諸問題に焦点を当てている
現代では、人工妊娠中絶や安楽死などの問題が生じる。大っぴらに問題にされなくても、正直にものをいう人が損をするなど、理不尽なことも多々起こる。本書では、そんな現代社会を教科書に載るような有名な倫理学者の理論や、著者自身の倫理学と絡めて問題解決のための道を提言している。
まえがき
この本は、臓器移植や環境問題、ナチスとアンネ・フランクというような現代の道徳的なジレンマ・難問を中心にして組み立てられている。われわれの生活文化の中に、同じようなジレンマ・難問が発生する可能性がいつもある。倫理学は、問題が発生した時の用心に解決の型を用意しておかなくてはならない。このような用意のことを決疑論(casuistry)と言う。倫理学は、社会的決疑論である。
第1章「人を助けるために嘘をつくことは許されるか」
第2章「一○人の命を救うために一人の人を殺すことは許されるか」
第3章「一〇人のエイズ患者に対して特効薬が一人分しかない時、誰に渡すか」
「人命と嘘」というようなまったく比較できない内容について、「AよりBの方がよい」という形の決断・判断を下すことが、倫理的決定の原型である。「一人の命と一○人の命」のように一見すると比較できるものについても、どちらがよいかは自明ではない。
このような日常生活につながりをもつ問いからはじめて、もっと広い適用範囲をもつ、もっと深い原理の考察へと読者を誘導することが、この本の一つの狙いである。たとえば「なぜ随意的な行動に責任が帰せられて、強制された行動に責任は免除されるのか」とか、「なぜ過去の私の行動に現在の私が償いをしなければならないのか」とかいう倫理学の本来の主題の手前で、本書は終わることにしてある。現代の日常生活の中で起こる問題から、人間の倫理性一般の構造への橋渡しを試みる。その橋渡しの試みが、同時に、現代という時代の倫理的システムの構造と課題の概略を明らかにすることになると思う。
現代の社会倫理の特徴は、第一に脱宗教的な世俗性、第二に市場経済が背景にあること、第三に多数決原理が認められていることである。功利主義的、自由主義的、民主主義的性格と言ってよい。
第4章「エゴイズムに基づく行為はすべて道徳に反するか」
第5章「どうすれば幸福の計算ができるか」
第6章「判断能力の判断は誰がするか」
現代の社会倫理は、エゴイズムの否定を目指しているのではなくて、最大の幸福が達成されるようにエゴイズムを制限しようとする。その制限もなるべく少ないようにしようとする。このような現代の倫理にぴったり重なり合う古典的な著作が存在するならば、それを中心に倫理学の基礎となる話を展開することは、たいへんよいことである。不幸なことに、現代という時代は自分を表現する古典をもっていない。私が判断して、現代の倫理にもっとも近い古典は、J・S・ミルの『自由論』(一八五九年)である。その内容は、要約すると、①判断能力のある大人なら、②自分の生命、身体、財産などあらゆる〈自分のもの〉にかんして、③他人に危害を及ぼさない限り、④たとえその決定が当人にとって不利益なことでも、⑤自己決定の権限をもつと要約できる。「他者危害の原理」がその中心となる考えである。これを自由主義の五つの条件と呼んでおこう。ミルの「豚とソクラテス」の議論で有名な『功利主義』も、多くの論点で重なり合う相補的な著作だが、不必要な逸脱があり、私はことさらに『自由論』こそ、現代の基軸的な著作であると主張したい。
ミルの功利主義的自由主義の限界を明らかにすることが、二十世紀の英米の倫理学が行なってきた主要な仕事であり、ドイツ、フランスの倫理学は、英米の倫理学に後れを見せないように体裁を取り繕っているという状況である。カントがヒュームを乗り越えているという伝説を信じる人はドイツにも少なくなったが、日本にはまだたくさんいる。だから功利主義的自由主義が現代倫理学の基軸だと言うと、カント神話の信奉者がロールズを担ぎ出してきて、英米でも功利主義は批判されていると、ぐずぐず文句を言い続ける。ロールズの倫理学は、しばしば現代版のカント主義だと言われるが、価値を世俗的なものに限定している点では、功利主義と同じ体質を持っている。「ロールズは修正功利主義者にすぎません」と私が言うと、カント主義者が「こういう非常識を語る奴は信じなくてよい」という顔をする。ロールズはミルの功利主義に配分原理が抜け落ちているという批判をした多数の思想家の一人であって、権利を含めて価値一般の世俗性を否定したわけではない。
現代で特に功利主義批判が重大な課題になってきているのは、実はベンサムやミルの時代にはまだ発生していなかった功利主義と自由経済と民主主義の組み合わせシステムができあがってしまったからである。このシステムの構造的欠点を指摘するという課題が発生している。功利主義と民主主義と自由主義を組み合わせると、自由主義の五つの条件のすべてに難問がからんでくる。
歴史的に言えば、世俗化、市場化、民主化はばらばらに起こった出来事で、ベンサムが功利主義の原理を書いた時、彼は民主主義者ではなかったし、ミルが『自由論』を書いた時、議会主義も未成熟で大衆社会はまだ成立していなかった。功利主義の語る幸福の量、市場経済の示す効用の量、民主主義の示す支持者の量、この三つの量が巴を描いて、現代の社会的システムを形づくっているのだが、ベンサムやミルの時代には、この三つの要素は出そろっていなかった。「そのために功利主義批判にも筋違いのものがある。たとえば「幸福の計算はできない」(幸福は加算可能な量ではない)という批判がある。だから功利主義がダメなのではなくて、すべてをお金に換算する社会が成立すれば、たとえ「幸福の計算」はできなくても、お金の配分に置き換えれば、功利主義の考え方が、ベンサムやミルの時代以上に役に立つ。それほどまでにお金を中心に組み立てられる社会システムがよいか悪いかは別問題である。
欠点だらけの功利主義的自由主義にしか倫理学に未来がないという危機を、マルクス主義はすっかりダメだと捨てた上で受け止めなくてはならない。
ミルの『自由論』と『功利主義』に先立つ、倫理学の古典と言えば、カントの『実践理性批判』と『道徳形而上学の基礎づけ』だろう。これは近代の夜明け前の思想である。功利性を抑えて、純粋な市民的内面性で倫理が組み立てられている。カントの雰囲気は、ひたむき正直派のムードである。ミルと比較することで、それぞれの特徴が分かってくる。ここから現代倫理学の基本的な原理が、明らかになる。
第7章「〈……である〉から〈……べきである〉を導き出すことはできないか」
第8章「正義の原理は純粋な形式で決まるのか、共同の利益で決まるのか」
第9章「思いやりだけで道徳の原則ができるか」
ミルの自由主義の倫理学は、社会生活をする以上は最低限として「他者危害の原則」を守る必要があることを説く、最低限度の倫理学である。これに対してカントの倫理学は、市民としての純粋な倫理性とは何かを語ったものである。しかし、道徳的な熱狂はカントがとても嫌った精神体質で、市民としてのつつましやかな行ないの世界がカントの本領である。市民倫理の中心的な問題は、次のような問いで示される。
第10章「正直者が損をすることはどうしたら防げるか」
第11章「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか」
第12章「貧しい人を助けるのは豊かな人の義務であるか」
本書の中心になっているのは、第1章であり、最初にこの章を読んで、後から他の部分を読んでもよい。自由主義の五つの条件とその問題点が要約されている。しかし、この本の狙いは、昔の話をすることではない。現代世界の倫理構造を明らかにして、二十一世紀の文化の骨格を示すこと、二十一世紀で有効となるような倫理学の輪郭を描き出すことである。この本は、そのための土台づくりである。環境倫理学、歴史哲学、科学倫理学が、どうしても必要になる。
第13章「現在の人間には未来の人間に対する義務があるか」
第14章「正義は時代によって変わるか」
第15章「科学の発達に限界を定めることができるか」
これらの問題は、従来の倫理学では扱われなかったが、体系というピラミッドの土台を広げる役割を果たす。土台の石を幅広く積めば積むほど、ピラミッドは高くなる。生命倫理学と環境倫理学は、将来の倫理学の頂点を高くするために、従来の倫理学に私が横に広く積み足した部分であるが、それはまた同時にもっとも現代的な問題を扱う領域でもある。
一九九二年九月
加藤尚武
追記
本書は放送大学教材『倫理学の基礎』(一九九三年三月、放送大学教育振興会)の改訂版である。一九九七年四月以降、放送大学での私の授業はなくなるので、放送大学教材としての紙幅上、内容上の制約をはなれて、また旧版の中の不注意による誤りを直すためにも、大幅に加筆、削除し、改題して講談社学術文庫として出版することにした(あとがきを参照されたい)。
目次
まえがき
1 人を助けるために嘘をつくことは許されるか
「嘘も方便」の正しい適用
カントは「嘘も方便」に反対する
カントの倫理主義
われわれは「よりよいもの」を選ばなくてはならない
2 一○人の命を救うために一人の人を殺すことは許されるか
選好の順位
奇妙なユートピア「サバイバル・ロッタリー」
生存の功利主義と人格の尊厳
単一の最高原理は存在するか
3 一○人のエイズ患者に対して特効薬が一人分しかない時、誰に渡すか
六つの配分方法
最大多数の最大幸福
平等原理とリューマチの王様
ミルの平等論
最大幸福原理と平等原理
最大幸福と多数決
4 エゴイズムに基づく行為はすべて道徳に反するか……
功利主義の原理は誰もが認めている
ベンサム対カント
倫理学は何を決めなければならないか
最小限の規制
豚とソクラテス
5 どうすれば幸福の計算ができるか
功利主義批判の要点
行為功利主義と規則功利主義
九〇パーセントの事実上の賛同
欲望量から選好の結果へ
推移律の成立条件
6 判断能力の判断は誰がするか
決定権の範囲の決定
人格の範囲
対応能力
人格概念の要約と問題点
7 〈……である〉から〈……べきである〉を導き出すことはできないか
価値判断と事実判断
自然主義的誤謬
主意主義と自然主義
論理とレトリック
サールの批判
8 正義の原理は純粋な形式で決まるのか、共同の利益で決まるのか
精神世界のニュートン力学
カントの定言命法
定言命法の功利主義的な解釈
ヒュームの正義論
形式主義の可能性
9 思いやりだけで道徳の原則ができるか
黄金律と互酬性
黄金律への批判
マッキーによる普遍化の第一段階
普遍化の第二、三段階
ロールズの「無知のヴェール」
ヘアの二段階の普遍化理論
ヘアの思い違い
10 正直者が損をすることはどうしたら防げるか
囚人のジレンマ
結果の予測
実験の結果
アローの定理
公平な第三者
11 他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか
判断力のある大人
自分のもの
他者への危害
愚行の権利
愚行権の根拠
狂信的干渉の害
12 貧しい人を助けるのは豊かな人の義務であるか
施しは義務であるか
二重の結果
完全義務と不完全義務
カントによる四つの義務
人工妊娠中絶論
13 現在の人間には未来の人間に対する義務があるか
現在の人の未来の人への犯罪
近代化の意味
世代間の関係
「恩」の再発見
ロールズの正義論
先人木を植えて、後人その下に憩う
14 正義は時代によって変わるか
ヘロドトスからマーク・トゥウェインまで
相対主義
ウィリアムズの批判
マルクス主義
変化は事実判断で起こる
15 科学の発達に限界を定めることができるか
沈黙の春
科学批判の思想
科学は中立的か
人間の同一性
あとがき
索引