入門講義 倫理学の視座 (SEKAISHISO SEMINAR)

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日常生活での問いを解決するための「視座」を与えてくれる

「なぜ他人を殺してはいけないのか」、逆に「なぜ他人を殺しても良いのか」のような日常生活で提起される問題を、倫理学の視点から解決するための視座を与えてくれる。全体で30の問題を扱い、それぞれの疑問点を整理し、解決への道を示している。

新田 孝彦 (著)
出版社: 世界思想社 (2000/09)、出典:出版社HP

まえがき

「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいんだ」とうそぶく若者たちに、「自分の人生なんだから大事にしなければ」と口ごもるだけの大人たち。その大人たちにしても、会社のために、あるいは家族の生活を守るためにと言いわけをしながら、だまし合ったり裏切り合ったりしているのであれば、「他人に迷惑をかけなければ」と限定する若者たちのほうがまだましなのかもしれない。それでも、「自分の人生なんだから」とつぶやく大人たちは、他人に迷惑をかけないこと以外にも大事なことがあるはずだと感じているのだろうし、若者たちの言いぐさもまた、その大事なことが見いだせず、大人たちが手本を示してくれないことへのいらだちの表現なのかもしれない。
このようなありふれた風景の中に潜んでいる問い、すなわちその大事なこととは、いったい何であり、またそれはどのようにすれば見つかるのだろうかという問い、これが本書の出発点であり、また終着点でもある。

われわれは日常生活のさまざまな場面で、「いかに行為すべきか」という問いに直面する。だが多くの場合、われわれは、それについてどのように考えればよいのかわからず、つい手近なところに答えを求めてしまいがちになる。子供のときは両親や学校の先生が答えを与えてくれたかもしれない。少し大きくなって自立への求が高まると、自分の良心を頼りにすることもあろう。あるいは、宗教書や人生について述べた書物に指針を見いだす人もいるだろう。だが、はたして良心は誤ることのない神の声なのだろうか。また、いかに行為すべきか、すなわちいかに生きるべきかについて、いささかの疑念の余地もなくすべてを解決してくれる書物などあるのだろうか。この二千数百年の間、東西にわたって万巻の書物が著わされてきたというのに、われわれは依然としてこの問いに悩まされているのではある。しかし、だからといって、「本当の答えはない、だから人は自分の好きなように生きればよい」ということになるのだろうか。「本当の答えはない、だから世間の言うとおりに生きればよい」と考える人も少なくはないだろう。つまり、たとえ「本当の答えはない」としても、そこから「どうすべきか」を導きだすためには、実はかなり大きな距離を飛び越えなければならないのに、われわれはあたかも自明のことであるかのようになんらかの答えを出して怪しまない。そうだとすれば、「本当の答えはない」というのもまた「本当の答え」であるのかどうか、疑わしくなるのではないだろうか。だからこそわれわれは、ときに「本当にそれでよいのだろうか」とつぶやいたりもするのである。

本書は、「いかに行為すべきか」について考えはじめた人に、倫理学的な反省のための一つの材料を提供しようとするものであり、日常生活の中で浮かび上がってくる問いを倫理学的な考察と結びつけ、倫理学的な考察へとその方向を導くこと、すなわち問いの「視座」を定めることを目指している。もちろん、倫理学の視座とは、そこにおいてすべての倫理的な問題が解決されうるような場を意味しているのではない。それは問題を考えるための端緒にすぎない。だが、方向を正しく定めなければ、いかに勢いよく矢を放っても的を射ることはできないであろう。

こうした意図のもとに、本書では、倫理学の諸理論を網羅的に紹介することや倫理学史を概説することを避け(これらについては、すでに多くのすぐれた書物が存在する)、もっぱら私自身の関心に従って倫理学的な問題を一つずつ問い直すことにした。もちろん、その際に過去の哲学者たちの思索を参照したことは言うまでもないが、しかしそれはあくまでも、われわれの日常的な言説の中に潜んでいる倫理的な思考方法を反省し、その特質や問題点を自覚するための手掛かりとしてであって、理論研究それ自体を目的としたものではない。また本書には、それぞれの講義において取り上げられた問題と関連するいくつかの「例題」が付されているが、これもまた、われわれの日常生活と倫理学的反省とを結びつけるための工夫にほかならない。これらの「例題」を考えることによって、逆に倫理的問題の所在に気づいていただければ幸いである。

「いかに行為すべきか」という問いが本書の出発点であり、終着点でもあると述べた。つまり、本書の中にその答えはない。私がここで試みたのは、近代ドイツの哲学者カントが示した次のような思考の原則、すなわち、「自分で考えること(偏見にとらわれないこと)」、「自分を他人の立場に置いて考えること(視野を広くもつこと)」、「つねに自分自身と一致して考えること(首尾一貫して考えること)」という三つの原則を使用する訓練である。例えば、「なぜ他人を殺してはいけないのか」と問われることがある。これを、できるかぎり思い込みを排除し、広い視野のもとで、しかも首尾一貫して考えると、どうなるであろうか。この問いを発するとき、われわれにはすでに、禁止の根拠がはっきりしないということは 許されていることを意味する、という一つの思い込みはないのだろうか。あるいは逆に、「なぜ他人を殺してもよいのか」と問うてみたらどうか。そこに見いだされる答えを首尾一貫して維持することはできるだろうか。こうした思考の訓練が私自身としてどれだけ実現できたかは、読者の判断を待つしかない。ただ私としては、「他人に迷惑をかけなければ」と居直るのではなく、また「そんな生き方は認めない」と居丈高に叫ぶのでもなく、もちろんたんなる「わがまま」を「個性の重視」といった甘言で糊塗するのでもなしに、「なぜそうしてもよいのか」、「なぜそうしてはいけないのか」をできるだけ冷静に、自分の思考を他人に預けるのではなく、独善的にもならず、なおかつ他人を思いやりつつ考えつづけることができればと願っている(なお本書では、入門書という性格から、引用や注で使用する文献はほとんど日本語で読めるものにかぎり、また参照の便を考えて、引用もほとんど邦訳を利用させていただいた。著者や翻訳者の方々にはこの場を借りて厚くお礼を申し上げる)。

新田 孝彦 (著)
出版社: 世界思想社 (2000/09)、出典:出版社HP

目次

まえがき

第1講 倫理学の問い
第1節 問いの始まり
(「どうしたらよいだろうか」という問い/問いの意味の区分)
第2節 ソクラテスの死
(ソクラテス裁判/ソクラテスとクリトンとの対話/よく生きること)

第2講 絶対的価値は存在するか
第1節 課題に伴う困難
(善悪の相対性/倫理学の語源/規範の多様性)
第2節 人為(ノモス)と自然(ピュシス)
(アンティゴネーの問い/プロタゴラス/自然という概念の人為性)

第3講 絶対的価値は存在しないか
第1節 相対主義の諸問題
(相対主義の時代/道徳的相対主義の基本テーゼ/文化的相対 主義/自然主義/自己例外の誤謬)
第2節 神々の争い
(ハーマンの道徳的相対主義/問いの必然性)

第4講 功利主義の基礎
第1節 快楽主義の論理
(エウドクソスの快楽主義/ベンサムの快楽主義)
第2節 功利性の原理
(最大幸福原理/快楽原理・効用原理/社会原理・結果原理/自然主義的誤謬と合成の虚偽)

第5講 功利主義の諸問題
第1節 行為功利主義と規則功利主義
(行為功利主義/規則功利主義)
第2節全体の幸福と正義
(手段と目的/「全体の幸福」という概念/正義の問題)

第6講 功利性と道徳性
第1節 快楽主義再考
(アリストテレスの快楽論/エウドクソスの議論の再吟味)
第2節 行為の構造
(基礎行為と行為/行為連関の図式/功利性と道徳性)

第7講 カント倫理学の課題
第1節 絶対的価値の探究
(黄金律/善意志/理性の体系としての道徳)
第2節 定言命法の導出
(義務にかなった行為と義務に基づく行為/仮言命法と定言命 法/格率と法則)

第8講 普遍化可能性の原理
第1節 定言命法の論理
(定言命法の基本方式/定言命法の解釈 1−意図と結果の矛盾の禁止/定言命法の解釈 2−行為に内在する矛盾の禁止/定言命法の解釈 3−意志の自己矛盾の禁止)
第2節 普遍化可能性の原理の限界
(形式的原理/マッキーの定式化)

第9講 人格性の原理
第1節 人格概念の由来
(人格―絶対的価値の担い手/役割および役割の担い手としての人格/ロックの人格概念) 第2節 相互主体性の論理
(定言命法の「目的それ自体の方式」/人格と物件/相互主体性 の拘束力/道徳的常識における人格性の原理)

第10講 道徳性の本質と限界……
第1節自律と他律
的人格論
(人格の尊厳の根拠としての自律/ホッブズの他価格と尊厳)
第2節 人格性の原理の限界。
(道徳的判断の構造/人格の定義に先行する価値判断)

第11講 道徳という制度
第1節 マッキーの道徳理論
(客観的価値は存在するか/価値の主観性と客観性の信念の成 立/偽装された仮言命法としての定言命法)
第2節 制度と道徳
(プロメテウス神話/ポパーの批判的二元論/ウィンチのポパー批判)

第12講 自由と道徳
第1節 自由意志問題
(自由意志問題の発生/ヒュームの自由意志否定論)
第2節 カントの自由論
(認識の基本構図/純粋理性のアンティノミー/カントの意志 概念/自律と他律/経験論批判/道徳法則による自由の正当化)

第13講 幸福と道徳
第1節 カントの幸福論
(同時に義務でもある目的としての他人の幸福/二次的義務としての自己幸福)
第2節 現代パーソン論
(問題の背景/生命の尊厳と生命の質/パーソン論の展開/パーソン論の問題点)

第14講 愛と道徳
第1節 責任倫理と心情倫理
(ヴェーバーの二つの倫理/結果に対する責任/救命ボート倫理)
第2節 閉じた道徳と開いた道徳
(実践的愛と感性的愛/自己言及的利他主義/閉じた道徳と開 いた道徳/道徳の逆説)

引用文献一覧
あとがき

●人名索引/事項索引

新田 孝彦 (著)
出版社: 世界思想社 (2000/09)、出典:出版社HP