水と生命―熱力学から生理学へ (シリーズ・ニューバイオフィジックスII 2)

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熱力学をベースにして水について理解する

このシリーズは、若い世代に生物物理学の重要性と面白さを伝え、21世期の生命科学の担い手となってもらいたいという考えで企画されました。シリーズ13冊目である本書は、水と生命との関わりを熱力学をベースに解説し、どのように生かされているかを明らかにしていきます。

永山 国昭 (編集), 日本生物物理学会 シリーズニューバイオフィジックス刊行委員会 (編集)
出版社 : 共立出版 (2000/5/1)、出典:出版社HP

執筆者一覧(執筆セクション)
体合バイオサイエンスセンター chemistry, Department of
永山國昭(序章) 自然科学研究機構岡崎統合バイオ
清水 青史 (1-1) Lecturer in Biochemich,
Chemistry, University of York, UK
大畠玄久 (1-2) 元 名城大学理工学部
髙橋卓也 (1-3) 立命館大学情報理工学部
日向 邦彦 (2-1) 広島大学大学院理学研究科数理分子生へ
山崎昌一 (2-2) 静岡大学理学部物理学科
今野卓(2-3) 福井大学医学部
石井淑夫 (閑話休憩) 鶴見大学歯学部歯学科
鈴木誠 (3-1) 東北大学大学院工学研究科
岡田泰伸 (3-2) 自然科学研究機構生理学研究所
玄爾(3-3) 花王株式会社生物科学研究所分子生命理学専攻

シリーズ・ニューバイオフィジックス刊行委員
曾我部正博(委員長)·桐野豊・鄉 信·宝谷統一

シリーズ・ニューバイオフィジックス II

刊行にあたって

生物物理学(バイオフィジックス)は、生命を物理科学的に理解すると ともに,その応用を目指す学問である。その対象は分子,細胞,個体,集 団の全域にわたり,分子や膜の構造と機能,細胞情報変換,エネルギー変 換,運動機構,形態形成,脳機能などを実験と理論の両面から解明しよう としている。ここ10年の分子生物学の発展により,細胞の機能を担う重要なタンパク質の1次構造が次々と決定され,その動的高次構造も明ら にされつつある。また,さまざまな分子プローブと超顕微鏡の開発によって、生きた細胞の中で,分子が情報変換する様子を直視することもできる ようになってきた。さらには、ミリ秒で変化する脳の活動をイメージング する技術も開発されている。一方、カオスやフラクタルに代表されるよう に,上記の技術から得られる動的で複雑な情報から、その物理学的根拠を 探る理論的な研究も盛んになってきた。

生体は分子を単位とした,複雑な動的システムである。これまではその 構成要素を探し、分子実体と構造を決める時代であった。これからは,そ の要素自体の動的構造機能連関と、要素が織りなす複雑で動的なシステム の謎を解明して、生命の本質に迫る時代である。そのためには,それらを 計測する技術と,その結果を解釈する理論の両者が不可欠である。生物物 理学こそ,これらの課題に真正面から取り組んできた学問であり,21世 紀の生命科学を先導する役割を担っている。こうした重要性にもかかわらず、生物物理学は,捕え所のない難しい学問であるという印象を与えてき た。本シリーズは、次代を担う若い世代に、生物物理学の重要性と面白さ をわかりやすく伝え, 21 世紀の生命科学の旗手になってもらいたいという願いを込めて企画された。同時に、関連する周辺の科学者に生物物理学 の目指すところを理解してもらい、実りある共同研究や新分野の開拓が促進されることも願っている。執筆者は現在生物物理学会の最前線で活躍している研究者を中心に構成した。多少難しく詳しい部分はコラム形式に分 離し、図をふんだんに使用して、考え方や研究方法の要点を予備知識無し に読み通せるように努力した。

日本生物物理学会 シリーズ・ニューバイオフィジックス刊行委員会

中学2年の時の理科の試験問題が,私の研究魂を最初に刺激した。 問題は「水が1気圧で 100°C以上にならないことの理由を述べよ」というものであった。この問題の標準的な答えは知っていた。水は蒸発するときに気化熱をうばうからというものである。しかしこの答え方が 気に入らなかった。熱のエネルギー流入と気化熱によるエネルギー流 出のバランスだけなら100°Cという定数は出てこない。15°Cでも 200°Cでもバランスが傾けばいかなる値も取りうる。私の答えは水の 蒸気圧が100°Cで1気圧になり,水としてとどまれず気体になるというものであった。結果はバツであった。その後私の顔を見ると逃げ出すほど理科の先生に食い下がり,標準的な答えがいかに間違っているか問い直したがついに私の答えにマルはもらえなかった。今でも私の 答えが正しいと思っている。しかし私自身本当に納得できる解答を得るには物理学科での熱力学修得とそれを血肉化する20数年を要した ように思う。

水にまつわる話には際限がない。それだけ人間、いや生物が水の恩 恵をこうむっている証拠である。水の神秘はどこにあるのか。答えは “常温常圧で水である”(序章の「おわりに」参照)。この地球環境で液体 であること,それがモノをよく溶かす水の性質につながり生命誕生の ゆりかごとなった。水には母のやさしさがつきまとう。しかし実はそれをよく溶かす性質は水が破壊の神であることをも意味する。それに ついてタンパク質を用いて説明しよう。
タンパク質を電子顕微鏡で観察しているとよく質問される。「タン パク質は真空中で壊れないの?」。タンパク質の天然構造保持には水 が必要であると堅く信じているほとんどの生化学者と生物学者はタンパク質を水から取り出し真空に入れると壊れると思っている。熱力学が教えるところはこの逆である。真空中でタンパク質は壊れると水との接触面積が増える。接触面籍敷かれるテフロンほどに安定で、低下している。これは何でも溶かす水の性質からな水との引力相互作用が増えることけることはタンパク質が壊れることを意味する(防爆月でタンパク質はフライパンに安定性はギリギリまで この性質から実は起因する。タン接触面積が増えることは なる。すなわちよりよく溶 する(乾燥昆布が水中で広 かしこの水の破壊性は必ず 安定性は石のように固い パク質に構造のゆらぎをがるのをイメージしてもらえばよい)。しかも生命にとって不利ではない。ギリギリの安定性はるの 直空中でのタンパク質の構造をほぐし,タンパク質に構造の とタンパク質独特のすぐれた動的機能を生み出す。創造 表裏一体性の中に命の水の第2の神秘がみえている。

水の第1の神秘は水そのものの本性(物性)にかかわり、科学は解明しようとすれば量子力学をベースとした液体論の助けが必要です る。しかし生命にとって水の物性自体はさしたる関心事ではない。生 命とのかかわりは水の第2の神秘の中にある。すなわち生体分子と水 との相互作用の中にある。本書は水の第2の神秘を(化学)熱力学を ベースに定量的に明らかにする。その上でその神秘が個々の具体的生 理作用とどうかかわり、どう活かされているかを明らかにする。

本書は3章に分かれている。第1章は水と生体分子の相互作用(水 和エネルギー)の熱力学的導入と溶媒和エネルギー一般の移相エネル ギー解釈の確立にあてた。水和・溶媒和エネルギーのような最も基本 的熱力学量の実験的確定が,最近まで科学的論争の的であったことに 驚くだろう。日本人の大学院生がその論争に決着をつけた(セクショ ン1-1)。水和エネルギーの熱力学的定式化は,タンパク質水和に即 してはセクション1-2で、イオン水和に関してセクション 1-3 で展開した。

第2章は2つの生体分子,タンパク質と脂質それぞれについての水和・溶媒和エネルギーの計算法についてセクション 2-1で生体膜の水和問題についてセクション2-2 で展開した。セクション2-3では水和・溶媒和エネルギーが主役を演ずるタンパク質変性について熱力学的な立場から俯瞰した。

第3章は水和の熱力学を生理作用と関係づけるためにあてた。筋肉 収縮の際のエネルギー収支をタンパク質水和の状態変化として説明したのがセクション 3-1である。セクション 3-2 は水和エネルギーのもう1つの形態であるイオンの浸透圧に関し,細胞の容積調節の生理学 を展開している。セクション 3-3 は皮膚のうるおいを決める水和と美 容の関係を生理学の一例として紹介した。

本書で展開する水から始まる熱力学が重すぎると感じる読者には肩 の力を抜いた閑話休憩「おいしい水,おいしい酒」を用意した。官能 の世界に熱力学がどう切り込んでいけるのか興味ある話題である。
2000年3月
担当編集委員

カバー写真
辻 けいのフィールド・ワーク; 1999年10月5日,高知県 安芸川にて
自然への配置。新たな発見。水の中の布。水の形をしてみた の造形。糸は光と水によって織られる。そして生命をふき込まれ る。布が渦巻く水流に引き込まれてゆく様に<私>の蔵峠ず泡立ってゆく。
表現形成の根を張るような仕事としてのフィールド・ワークフ 興味をもつようになったのは,行為や素材を通して対峙する白映 の中に、どうやら私は、私の失われた<祖型>や<原基>への成情を発見するからだろうと思うことがある。ヒトは自然界の一部 でありながら自然でないものになった。その失われた魂の祖型を 知りたいという深い心理が,行為や素材を通して伝わる光や水や 空気の流れを含んだ全体性へ私を駆りたてる。アートが意識という名の人工性にあふれたものだとしたら,その祖型が<自然>に 秘められていると想像するのである。自然の中に一枚の薄い布を 置くのは、それまで見えなかった彼等=自然の形や色彩の声を聴くと同時に<私>という反自然的存在への問いであろうとするの
だ。
“辻けいのメッセージ”より
辻けい
1953年東京生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科修了。 染と織を主体に自己(染織した布)と時空(生態)とのかかわりを探求し続け
ている。

永山 国昭 (編集), 日本生物物理学会 シリーズニューバイオフィジックス刊行委員会 (編集)
出版社 : 共立出版 (2000/5/1)、出典:出版社HP

もくじ

■序章 水から始まる生理機能の熱力学
1生物の階層構造と熱力学
2水と生体分子との相互作用
3アロステリック調節と水
■第1章 水和エネルギー
1- 1水和・溶媒和と表面積
その基礎をめぐる混乱と論争
1溶解度から溶媒和へ,生体高分子へ
2溶媒和をめぐる論争
1- 2水和の熱力学
1イオンの水和エネルギー
2非イオン性溶質の水和エネルギー
3一水和エネルギーの露出表面積による表現。
1-3 イオンと水
1イオンと溶媒との相互作用
2高次の生命現象におけるイオンの役割
■第2章 生体分子と溶媒和
2-1 タンパク質の選択的溶媒和
1アミノ酸の溶媒和
2タンパク質の選択的溶媒和
3選択的溶媒和の熱力学的意味
4選択的溶媒和と構造安定性74
2-2 生体膜の溶媒和
1リン脂質の多重層ベシクルの膨潤とリン脂質の水和量
2最近の脂質膜界面の物理的描像
3 オスモティック・ストレス
4膜間距離の決定因子水和力は存在するのか?
5 生体膜の表面セグメントと溶媒の相互作用自由エネルギー
2-3 タンパク質の熱力学的状態数
1議論の領域と対象
2研究の方法的側面
3非天然状態の多様性の概略
4各状態間の転移の性状
5タンパク質とホモポリマーの構造転移の比較
6一測定法による構造多様性の解析の利点
状態を実現する自由エネルギー関数の現象論的表現
■閑話休憩 おいしい水,おいしい酒
1“おいしい”といえる条件
2嗅覚と味覚のセンシング
3おいしい水,健康によい水
4酒のおいしさが測定できた
5酒に超音波を照射すると味が変わる
■第3章 水と生理
3-1水和と筋収縮
1筋肉収縮の分子モデル
2モータータンパクミオシンの熱特性
3マイクロ波誘電分散法
3- 2細胞の容積調節
1浸透圧平衡下における物理化学的細胞容積変化
2―物理化学的浸透圧負荷と定常的ポンプ作動性容積調節メカニズム
■生理学的浸透圧負荷とチャネル/トランスポータ作動性容積調節メカニズム
1長期的浸透圧負荷に対する容積調節応答
2細胞の増殖・生存における容積調節機構の役割
3-3 表皮角層水分保持機能
1角質細胞間脂質溶出と角層水分保持機能の低下
2角層内の脂質の局在
3脂質の塗布による水分保持機能の回復
4角質細胞間脂質の水分保持関与する物理化学的性質
5水分保持機能に関与する色脂 関与する角質細胞間脂質の微細構社
6角層内の結合水の挙動

索引
用語解説索引

COLUMN
水和エネルギーの偉大な力
KNFモデルとMWCモデル
生化学過程における疎水性の重要性について
混合のエントロピーをめぐる1つの大前提と3つの罠
非イオン性原子団の水和熱力学量の計算
タンパク質の変性の水和熱力学量の計算
同種の電荷をもつ粒子の間に働く引力の謎
Melander と Horvath によるタンパク質の溶解度の理論
アミノ酸の溶解度と移相の自由エネルギー
選択的溶媒和の理論
リン脂質多重層ベシクルの内部の水の化学ポテンシャル
スペクトルデータの特異値分解法とタンパク質の構造状態の解析
ppmのトリック
実験動物のマウスにも愛が必要
タンパク質モデルからの水和数の計算法
ミオシン ATP 分解反応の反応経路
ドナン平衡
示差熱分析(DSC)

序章 水から始まる生理機能の熱力学

永山國昭
はじめに
水という物質ほど私たちの生活に、いや私たちの存在基盤に深くかかわっている物質はない。私たちの体の 60~70%(重量)を占め,“い のち”生まれいずる所と教えられてきた。しかしこうした文化的バイ アスがときに私たちの科学的な眼を曇らせる。たとえば「生体物質は 水中と真空中でどちらが安定か」と問われればほとんどの人が水中と 答える。タンパク質の物理化学をかじった研究者でも「疎水性相互作 用」などを理由に、水の中で安定と答える。しかし真実はその逆である。
水と生体分子の相互作用を研究すればするほど、水の重要性は認識 されるが,その中味はいささか常識と異にする。常識はたとえば次の 新聞記事の驚きの中に現れている。「“6千気圧でも生き延びるクマム シの驚異的能力”クマムシは、周囲が乾燥すると体内から水分を放出 し、樽のように体を縮め仮死状態になる。仮死状態のクマムシを不活 性液体のパーフルオロカーボン (PFC液)に浸し、6千気圧で20分加 圧した後,大気圧にもどして水を加えると、再び動き出す(科学新聞, 1998年12月18日)」
本書は上記の記事が科学的常識として受け入れられるための基盤作りとして刊行された。

1生物の階層構造と熱力学

ユリウス・マイヤーは船医として熱帯を旅しているとき静脈中の血の色が外界温度で変わることを見出し、エネルギー保存則と関係づけ、
力学はその出発点か 出会量。9項参照)と深 を含め(化学)熱力学の第一法則を発見した。このように熱力学はその出発点から生理作用(この場合はヘモグロビンの酸素結合量)と深く結びついていた。生体内の現象は化学反応を含め(化学) 食そのものといってよい。複雑な対象を細部にとらわれず完語る。 用できるのが熱力学的方法である。したがって生物の各階層に問題がある。考えられる例を図1に示した。
武力学はエネルギー収支のつじつまを合わせる学問であるエネルギーの出入りのあるには必ずこの方法が適用できる。 生物は食物という形でエネルギーを取り込み、体の中で使う。その取をどのレベルであるかが、図1の各階層に対応する各々の熱力学で ある。しかも生物は恒常性ゆえに多くの部分がサイクルを描いていている。このため熱力学解析が生体に対し熱機関の解析と同じように 有効に使われるのである。
ところで、生物のすべての側面が熱力学で解析できるわけではない。図1の階層構造には遺伝(情報)的視点がまったく抜けている。

生個体群(生エネルギー収支)
巻目(器官機能の熱力学)
目(生体エネルギー、容積題節のお力学)
オルガネラ(一般道の熱力学の生長会、筋肉の力学)
生体高分子(タンパク質変性の力学,核酸融解の熱力学)
図1 生物の階層構造と各種熱力学

物の成り立ち、働きには熱力学的制御の他に生物固有の遺伝(情報) 的制御が必要である。それが端的に現れるのがタンパク質である。ポ リペプチドの生合成は遺伝子配列の翻訳だが,構造形成自体は完全に 自発的で,熱力学法則(自由エネルギー最小化)に従っている。この ことを図2に模式的に示した。すなわち生体系の生成(発生)も維持 (恒常性) も情報と熱力学法則の二重制御によって行われている。これ
が生命の本質だが,本書では図2の下段,「熱力学的制御」を水に焦 点をあて浮き彫りにする。もちろん隆盛を誇る分子生物学は図2の上 段を扱う学問であり、遺伝情報に一元化したものの見方はものごとを 単純化する。しかし生体という現実の物質系は熱力学的プロセスなし に完成しえない。

2水と生体分子との相互作用

図1の最下層における熱力学は,結局,水ータンパク質間相互作用、リガンドータンパク質間相互作用,タンパク質ータンパク質間相 互作用,膜タンパク質間相互作用を扱うことになる。生理機能の熱 力学は本来このすべてを対象とする。しかし本書では水と生体分子, とくにタンパク質との相互作用に焦点をあて生理現象をどう理解すべ きかを問う。タンパク質を中心に考えると水,溶媒, リガンド,脂質 などの媒質との相互作用を溶媒和エネルギーとして統一的にとらえる ことができる。水和エネルギーはその最も原初的相互作用である(第1章参照)。
水和エネルギーを議論するとき異分子との相互作用を考慮しない水分子自体の構造研究はまったく役に立たないことを肝に命ずるべきである。さらに水のクラスター構造,分光学的 まったく無力な量である。以後の議論では水は媒質として連続的に塗り潰されている。ただし固い結合水のようにタンパク室の一部として取り込まれた水はその構造が問題となる。しかしこれはタンパク質の一部と考えれば事足りる。
水和エネルギーは生体分子の構造を仮に固定したとき、水のあるなしに伴う自由エネルギー差として定義される。
もし構造がわかっていれば,水と接触する原子団の面積あたりの水和 パラメータ Ag水を用いて G私は次のように表現される
(1-1 参照)。
ここでは A,はi種(たとえば-CHなど)の原子団の水と接触する露出表面積で,分子構造をもとに計算される。△gi水は真空中から水へ原子団を移相するときのエネルギー利得(移相エネルギー, transferonergv)である。(1)式で重要なことはタンパク質構造由来のエネルギー(分子内ポテンシャル)が2つの自由エネルギーの差を取ること により落ちていることである。またAgi水は低分子の熱力学実験から 求まる。多くの研究者がAg水のパラメータを与えているが, Oobatake & Coil や Privalova のものが有名である。
(1), (2) 式の意味するところは,水和エネルギーが組成量(構造も 含む)と原子パラメータの積に分解できることである。すなわち部分 の和として表現できることである。この考えはタンパク質の構造変 化,変性そしてアロステリック調節の熱力学的考察に有効で,ひいて はリガンド結合に伴う生理作用をもその射程におさめて議論できるの である(5項参照)。たとえば「水を」 とすれば水から変性剤溶 液に移行したときの変性のエネルギーが次式(3)のように求まる。
AGPN= 8Go-OG SGP- 32APAI
(3) SOGN=”ASAHI ここでAP は変性状態の, AS は天然状態のi種原子団の溶媒露出表 面積である。A4用は種原子団の移相エネルギー(変性溶媒和エネ ルギー – 水和エネルギー)である。
(3)式は図3のように視覚化される。ここで重要なのは構造変化を 伴うエネルギー差量 AGR, AGONを計算するのをやめ、(3) 式のみ

図3 タンパク質構造変化と溶媒和エネルギー 水分子,変性剤分子に囲まれたタンパク質は構造変化に伴い,溶媒 (水,変性剤)との相互作用を大きく変える。その際表面積の変化が溶 「媒和エネルギー変化を与える。実際の計算では水も変性剤も溶質として完全に塗りつぶして考えてよい。

から、すなわちタンパク質の幾何学的構造と移相エネルギー原子パラ メータのみを用いてDAGAI を計算できることである。もちろん AGF が実験的に与えられていればAGON は (4)式のように求まる。
AGN=8AGN+AGPN 変性過程の実験は AGRAという溶媒和エネルギー由来の項のみを 変化させるので天然/変性という2つの構造の存在比は次のように簡単に予測される。
ここでAは、例えば変性剤を入れる前の天然/変性存在比。また

COLUMN 1 水和エネルギーの偉大な力

水和がどれほど生物にとって重要かを示すには、塩などの固体の水への溶錠為 程を考えればよい。NaClを例にとれば、NaCI結晶が融解するのは180100
するのは1,413°C,完全にイオン解離するには約 62,000°Cの高温が必要となる。水への溶解過程ではこのすべてを常温で行うことが可能となる。なぜか。答えは 62,000°Cに対応する NaCI の格子エネルギー 681 kJ/mol を Nat. CI イオ ンへの水和エネルギー 727 kJ/molが十分に補うからである。だから超高温,超 高圧でのみ起こる気相反応を水中では常温、常圧でいとも簡単にやってのける。 その秘密は水和エネルギーにある。そしてこの大きな水和エネルギーは水が常 温、常圧で,液体であるという性質と同根なのである。

こうしてタンパク質構造に由来する分子内ポテンシャルの計算や知 識を必要とせず, タンパク質の幾何学的構造をもとに構造変化に伴う 自由エネルギーの変化,したがって対応する構造状態の存在比(濃度 比)が合理的に説明できることになる。この考え方は一般に拡張でき, ともかく有限個の安定構造状態 (変性の場合は天然状態,完全変性状 態,モルテン・グロビュール状態,ヘリックス状態;チャネルの場合 は開状態,閉状態;アロステリックタンパク質の場合はT状態,R 状態など)を指定できる場合,たとえばチャネルの開と閉の2つの状 態へのリガンド結合の結合エネルギーに差があれば,あるリガンド濃 度における閉と開状態の存在比を予測できる。結合エネルギーはリガ ンド溶液への移相エネルギーという量に翻訳できるので,定性的な 「リガンドが結合してチャネルがオープンする」は以下のような定量的 表現に変わる。「何モルのリガンド存在下では開状態が ♂AGランド分 のエネルギー利得があるためその存在比を exp(BAG/RT)だけ 増す」。こうした熱力学的定量表現で生命の神秘の1つアロステリッ ク調節を説明し,水とのかかわりをさらに明確にしたい。

アロステリック調節と水

ヘモグロビンで見出されたアロステリック調節は,種々のタンパク 質にみられる生体系特有の機能調節機構である。それは活性部分から 遠位(アロステリックサイト)のタンパク質表面への分子(リガンド) の結合が調節に効くというものである。活性部位とリガンド間に直接 の相互作用がなくても活性機能を調節(活性上昇,低下など)できる ことは一見神秘的である。しかしこれは取りうるいくつかのタンパク 質状態へのリガンド結合エネルギーの違いがわかれば説明できる。ア ロステリック調節が最初にみつかったヘモグロビンについて具体的に説明しよう。
きわめて合理的である。酸素分圧の高い肺でヘモグロビンに吸着された酸素は,末端組織の筋肉へ血液へ。 れ、そこでミオグロビンに酸素を渡す。そのな (~20 Torr)に対し、ミオグロビンとヘモグロビンで吸着低くなった酸素分圧で吸着量に差が生まれる。
その差の分だけへモグロビンからミオグロビンフヘモグロビンに酸素が渡されるAからBへの矢印である。こうした合理的な働きは取ってられる通り、2つのグロビンの酸素吸着能力の差に合うしぎに負うところが大きい。すなわちミオグロビンの飽和型吸着曲線とヘモグロビンのS字刑(シグモイド)吸着曲線の差である。この吸着曲線の脳空吸着曲線の顕著な差はへモグロビン(四量体)の4個の酸素吸着部位とミオグロビン(一番は、 の1個の酸素吸着部位の個数の差から生まれる。ただし吸着部位がみ

図4 ヘモグロビン,ミオグロビンの酸素吸着曲線
水中の酸素量(水に溶けている酸素濃度を平衡にある 気体酸素の分圧で評価)の変化に伴い、酸素吸着の割 合が変化する。ミオグロビンに比べヘモグロビンの 吸着はS字型曲線が特徴である。

立な場合,ヘモグロビンといえどもミオグロビンと同じ飽和型曲線と なる。そこで Peruz) をはじめ構造生物学者の多くが吸着部位酸素間 の直接の相互作用,いわゆるヘムヘム相互作用を探そうと過去30 年間努力を重ねてきた。しかし直接相互作用は見出されていない。むしろ遠位にある酸素間に直接の相互作用がなくても酸素吸着はS字 型曲線となりうるのである。
この現象の説明としてタンパク質の構造変化を前面に出すアロステ リックモデルが2つ提案されている。1つは MWC(Monod-WymanChangeux) モデル,もう1つは KNF (Koshland-Nemethy-Filmer) モデル60である(COLUMN2参照)。両者はまったく対立するモデルで はなく,ある意味で複雑な調節機構の異なる断面を典型的に表している。次に MWC モデルの上に立ち,現象の定量表現を試み,さらに 一般に溶媒との相互作用を考えてみよう。
T状態とR状態の構造的な差異は四次構造 (サブユニット間結合状 態)における差である。R状態の方がサブユニット間が離れておりユ ニットの間に水が入り込みやすい。X線の結晶構造解析から溶媒へ の露出度(溶媒接触度)の差は水約 60 個分の表面積の差(700A2) だ

用語解説

一次構造
タンパク質のアミノ酸配列。
二次構造
タンパク質中の要素構造でヘリック ス,シート, ターンの3種類がある。
三次構造
1本のポリペプチドでできたタンパ ク質の立体構造を三次構造と呼ぶ。
四次構造
ヘモグロビンのような複数のポリペプチドでできた大きなタンパク質の立 体構造を四次構造と呼ぶ。
安定構造状態
タンパク質と人工高分との違いは, タンパク質における少数の安定構造 (自由エネルギー極小または最小)であ る。ただし各安定構造は厳密に1個の 構造に対応するのではなく、多くのサ ブ構造間をゆらいでいる熱力学的状態である。

COLUMN 2 KNFモデルとMWC モデル

ヘモグロビンを構成するサブユニット(一量体)はほとんど進 サブユニット間の結合状態には2つの種類がある(四次構造」 tight な結合 (T) と relax したルースな結合 mでrelaxした結合様式を丸 ()で示した。すると丸と四角グロビンの状態は5種類の四次構造,IT, TR, TR, TB、B1 これが図の縦の列を表している。また酸素吸着の種類はやはり5つ no0.1である。したがって安定構造と吸着量によりヘモグロビ 態は図のような5×5のマトリクスで表示できることになる。

この可能な存在状態のうち,対称性のよいTとRのみの四次元構法 るのが MWC モデル,一方酸素吸着ごとにTからRへの構造変化(T, OS-TBS TR.O, T,R,O,R,O) が逐次的に起こると考えるのが KNFモデルである。 どちらが正しいかはこれらの存在状態の安定性(自由エネルギー)の比較から まる。ただほとんど同一のサブユニットからできているヘモグロビンでは対行き の高い方がサブユニット間の結合エネルギーが大きくなり、エネルギー的に有 になると考えられる。とくにリガンドがサブユニット間の接触部に入るような場 合、非対称構造は不利と考えられる。

ヘモグロビンのS字型吸着曲線は酸素が吸着されると次の酸素が吸着されや すくなることを意味しており、いかにも KNFモデルが正しいようにみえる。し かしタンパク質の変性問題と同じで、こうした一見ナイーブな解釈は分子世界で は正しくないことが多い。あくまで可能な存在状態の存在比を自由エネルギーの 言葉(熱力学)で定量表現しなければならないのである。

MWC モデルと KNFモデルは25個のタンパク質存在状態を招く説明できる。MVCモデルはRT.の対称的構造のみを収定、 KNFモデルは酸素吸着に伴う構造変化を仮定MVCモデルが、 力学的には最も単純であり見通しがよい。

といわれている。変性現象でいえばT状態は天然のコンパクト構造 (N), R状態は変性したルースな構造 (D) と対応する。酸素がないと きは当然コンパクトな結合エネルギーの高いT状態が安定である。 しかし酸素があるとその吸着エネルギーはR状態の方が高く,R状 態を有利にする。したがって酸素は T状態(~N) から R 状態 (~D) を導く変性剤のようなものである。これを図式的に図5aに示した。 変性剤の効果は △gi移相という溶媒和(移相)エネルギーでパラメータ 化されるが,この量はまた変性剤の吸着エネルギーと直接の関係を もっている。溶媒和というのは O2 と水とを連続的に塗りつぶした とらえ方,吸着というのは O2 を水と区別した分子的見方である。し かしその両者は合理的に変換可能である。
そこでこうした酸素吸着の平衡を第3の物質(リガンド, アルコー ルなど)がどう変えるかをみてみよう。とくに変性剤や安定化剤を入れると吸着曲線がどう変わるかみてほしい。TとRでは露出表面積 に差があるので,溶媒和エネルギーが変わればその平衡(存在比)が ずれる。事実,実験的に図5bのような結果が得られている。安定化 剤を入れると吸着曲線が右方へ,変性剤を入れると左方へずれる。 これは2項で述べた考え方を用いれば,変性剤存在下では露出表面積 の大きなR状態が作られやすく、安定化剤存在下では露出表面積の 小さなT状態が作られやすいと読み替えられる。この場合第3の物 質が酸素吸着部位から十分遠い所にあり,まったく直接的相互作用が なくても, R と T の存在比を変える能力さえあれば,あたかも直接 吸着平衡を変えるようにみえるのである。これがアロステリック(遠 位)調節の本質である。ポイントはタンパク質の少数の安定構造の存 在とその間の熱力学的選択(調節)ということになる。R 状態はサブ ユニット間のすきまが大きいので,そこにリガンド(Hや DEG)の 強い結合部位があり, リガンドが侵入可能なら,変性剤と同じように リガンドはR状態を有利に導く(図5参照)。 「自由エネルギーレベルで表現すると上に書かれた文章はすべて図 5Cのように定量表現される。図5cの中央は中性条件のときの酸素

図5 ヘモグロビンのアロステリック調節
a:酸素の吸着によりヘモグロビンはT状態からR状態に変わる。これは変性と同じように酸素吸着が表面積の大きいR状態を有利にすると解釈される。
b:第3物質による吸着曲線の制御。変性剤やH+ イオンがあると平衡はR状態因 ずれ、吸着曲線は左へシフト、安定化剤があると平衡はT状態側にずれ出術ヘシフトする。
C:アロステリック調節のエネルギーダイヤグラム表現。状態,シールキータイヤグラム表現。R状能 T状態への酸素吸 に伴うエネルギーレベル変化を中性,変性剤存在下,安定化剤存在下で比較した。

東着状態(RO~RO、10~10に対する自由エネルギーが書かれ ている、素着なしではTOが安定だが、酵素が4個付くとRO。 き定となるのがみてとれる、安定化、変性の存在はこの両者の 対関係を変える、変性用の場合TOTO、全体が相対的に上方へ 移動するため、状態全体が安定化され、低い酸素分圧でR状態が実現する、エネルギー移動量は変性剤の溶エネルギー差(AG %3Dcase Glassくのが決める。一方、安定化があるとJGeos は三となり10~10が相対的に下方へずれる。こうしてT状態全 体が安定にされ高い要素分目までT状態が残る。このエネルギーダ イヤグラムで、ヘモグロビンのアロステリック調節のすべてを表現している。

おわりに

水の効果はタンパク質の露出部分での水和エネルギーを通してタン パク質構造の安定化や機能の熱力学的選択原理として現れる。繰り返 すが、水分子を連続的に塗りつぶし酒家和エネルギーとしてとらえた とき、その力学的特徴が最も浮かび上がるのである。水自体の構造 や物質はその前面に出てこない。しかしそれでも水の構造,特性が 生体とどうかなあるか知りたい人もあるだろう。そこで水自体がどれほど特殊なものが、最後にその特性の根源を考えてみたい。 「空気中の夜までも窒素でも炭酸ガスでもそして都市ガスのプロバン ガスでも一般に小さくて軽い分子は常温常圧で気体である。低分子で は分子どうしの引き合う力が認く、地球環境では凝結できないからで ある。液体にするには-100°C以下に冷やす必要がある。唯一の例外 が水である。すなわちHOのような最も軽い分子が常温常圧で液体 であることが例外的なことなのである。この例外は水分子間の強い相 互作用(水素結合)から生まれる。そしてそれが水に第二の性質を付 与する。色々な分子と適度に相互作用し、かつ水の密度が高いため、
ける基盤がここにある。常識的すぎてかえってみえない、 “常温常圧で水(液体)である”, ことが実は他の物質になし、 の性質,神秘なのである。 水の物性,構造もろもろの固有の性質はそれ自体神秘といい。しかし本書で主張したいのはその神秘から直接生命活動がきれるのではないことである。生命の神秘は生命の個物,生体分子 水との相互作用を通じて現れるのだということを私たちは再度肝ずべきであろう。

文献
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第1章
水和・溶媒和と表面積
その基礎をめぐる混乱と論争

永山 国昭 (編集), 日本生物物理学会 シリーズニューバイオフィジックス刊行委員会 (編集)
出版社 : 共立出版 (2000/5/1)、出典:出版社HP