上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ? 本格的すぎる入門書には尻込みしてしまう人のための超入門書

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「キリスト教」の世界一わかりやすい入門書

本書は、「キリスト教に対するハードルを下げること」を一つの目標として書かれています。実際、たとえを多く使ったり、くだけた表現が使われていたりするので、とっつきやすくスラスラと読み進められます。キリスト教に対して難しそうという印象を抱いている方にこそ読んでいただきたい一冊です。

はじめに

皆様こんにちは。もしかしたら「こんばんは」かも「おはようございます」かもしれませんが、いずれにせよごあいさつを申し上げます。この本を手に取っていただいて、とても嬉しく思います。
さていきなりですがこの本は、キリスト教がどんなものかを知るための入門書……ではありません。世の中にはキリスト教の「入門書」がすでにたくさんありますけれど、その多くが「いやいや、これでもまだまだ難しいよ」とか「退屈で途中で挫折してしまう……」とか読む人に感じさせてしまうものです。
もちろんそれらの本はとても素晴らしい本です。挫折せずに読めれば非常に楽しくもあります。が、その楽しさや素晴らしさに到達するためのハードルはなんやかんや言ってまだまだ高め……。

と、いうわけで、皆様が手に取ってくださっているこの本は、そんな「入門書」を読む前に、キリスト教の基本的なところをざっくり知っておくための本、「入門書のための入門書」、言わば「超入門書」です。本書ではなるべくざっくりと、なるべく楽しく、キリスト教の基本を説明していこうと思います。気軽に読んでいただければ幸いでございます。

申し遅れましたが、私は東京都世田谷区にある上馬キリスト教会の一信徒、MAROと申します。牧師でも神父でもありません。ただのしがないキリスト教徒(クリスチャン)です。……と、これだけでは何者か分からないのでもう少し言いますと、「上馬キリスト教会 (@kamiumach)」というツイッターアカウントを運営する「まじめ担当」と「ふざけ担当」のまじめの方です。「笑いながら聖書に親しんでもらう」をコンセプトにツイッターを始めたのは、2015年の2月のこと。そこから聖書や神様のことを140字で親しみやすく面白く紹介していましたら、なんとありがたいことに今では10万人を超えるフォロワーさんにご覧いただくようになり、縁あって本まで書かせていただくようになりました。

私たちのツイッターのフォロワーさんは、クリスチャンの方だけではありません。むしろ、ノンクリスチャン(キリスト教徒ではない人)の方の方が多いくらいです。そしてときには「聖書って意外と面白い!」「聖書のこと、もっと知りたい」といった嬉しい感想をいただくこともあります。

どうやら世間では「キリスト教」=「まじめ」とか「神聖なもの」というイメージを持つ方も多く、ちょっと近寄りがたく思われているようです。それなのに私たちのツイッターは
「アーメン」を現代語訳すると「それな」、関西弁訳なら「せやな」ではなく「ほんまそれ」

#いいにくいことを言う日たまには日曜日に遊びたい。
なんてとびきりゆる~くふざけたことばかりつぶやいていたものですから、新鮮で面白がっていただけたのかもしれません。
実は意外と面白いんです、キリスト教って。キリスト教ってすぐに「信じなさい」とか言われるイメージがあるかもしれませんが、この本ではそんなことは言いません。まずは少しでも興味を持ってくださった皆様にキリスト教のことを知って欲しい。そんな気持ちでこの本を書いています。
そもそもですが、皆様、キリスト教って知っていますか?キリスト教は、知名度 でいえば宗教の中でもダントツでしょう。しかも皆様はこの本を手に取ってくださっているわけですから、恐らくはほとんどの方が「知ってるよ」と答えるのではないかと思います。
いくら「世界一キリスト教が普及していない国」と言われる日本でも、キリスト教の存在を知らないと言う方はほとんどいません。クリスマスやバレンタインといった祝日、西洋絵画やクラシック音楽といった文化など、日本でも「キリスト教的なもの」に触れる機会は多いですからね。
しかし少しだけ質問を変えて「キリスト教ってどんな宗教ですか?」と聞かれたら、どうでしょう? 「イエス・キリストの教えを守ってる宗教?」「クリスマスをお祝いする宗教?」と、一気にずいぶん曖昧な答えになってしまう方が少なくないのではないでしょうか。

存在と名前は知っていても、「中身」となると実は案外知らない、というのが多くの日本人のキリスト教観のような気がします。
この本のタイトルの『キリスト教って、何なんだ?』の「何」の部分は、この「中身」のことを意味しています。つまり本書は、キリスト教がどんな宗教なのかを皆様に説明するための本でもあるんです。
書店に行けば、そういう目的で書かれた本もすでにたくさん出ています。このことはクリスチャンとしても嬉しいことです。私たちのアイデンティティについて知りたいと思ってくださる方が増えているということですから。
けれども、それらの多くはクリスチャンでない方が「教養として」書いた本であり、いわば、「外側からのキリスト教」を記した本です。

そういった「外側からのキリスト教」と、実際にそれをアイデンティティとしているクリスチャンの「クリスチャンとして生きている感覚」は、実はずいぶん違うものなんです。そして「内側」の人たちは「外側」からの視点に、違和感を覚えていたりし
ます。
では、もしも「内側」にいる私が見ているキリスト教の中身を、楽しく分かりやすくお伝えできたら、それは皆様にとって新しい視点になるのではないか。そう思ってスタートしたのが、この企画です。

しかしながらごめんなさい。この本はあくまで私MARO個人の視点で書くものですから、所属している上馬キリスト教会の公式見解ではありませんし、ましてすべてのクリスチャンの統一した解釈でもありません。「このように信じている信徒が一人いる」と、最終的にはそれだけの意味しかありません。その点はご了承ください。ク リスチャンにもいろいろな教派や考えがありますから、実は「これが正しい公式見解!」という「完全な正解」はないんです。でもむしろだからこそ「公式でない、牧師でもない一信徒だからこそ書けるリアルなクリスチャン像」を書ければ嬉しいなと思っていますし、それこそが皆様の「ハードルを下げる」一助になるのではないかと思っています。

たとえば「街のバーで一人で飲んでいるクリスチャンがいたから話しかけてみたらこんな話をされた」くらいのイメージで読んでいただけるとちょうどいいかもしれません。(え?クリスチャンってバーでお酒飲んだりするの?教派によりますが少なくとも僕の教会ではOKですし、実際僕はこの本でこれから書くようなことをときどきバーで飲みながらお話ししたりしています。)
さらに身も蓋もないことを言いますが、聖書を学ぶ、キリスト教を知るためにいちばん有効な方法はどんな良い本を読むことよりもまず「教会に行ってみる」ことです。どんなことでも、現場で感じてみなきゃ分からない!ってことはありますよね。
残念ながら、書物や言葉だけでキリスト教のすべてを説明することは不可能なんです。聖書を一人でどれだけ熟読したとしても、そのすべてを理解することは不可能ですし、どれだけ参考文献を調べても、やはりすべてを理解することはできません。ですけれど、知識のとっかかりがなければキリスト教のことは永遠に分からずじまい。教会に行こうなんて気にもなろうはずがありません。だからこの本では、とことんとっつきやすく、ハードルを下げた文章を心がけています。

それでもし、皆様の中のどなたかが、この本を読んで「一度教会に行ってみようかな」とか「聖書を読んでみようかな」とか思ってくださったならば、それだけで望外の幸せでございます。
さて、この本は3部構成で書こうと思います。第1章は「ざっくり知るキリスト教」として、キリスト教を知る上で基礎的かつ不可欠な概念を大雑把ながらまとめていきます。「クリスチャンって何を信じているの?どんな生活をしているの?」という疑問にお答えする内容です。
第2章は「クリスチャンから見た世界」として、私たち現代のクリスチャンがどんな風に聖書の教えを日常に生かしているのか、また、生かせる可能性があるのか、そんなことを語ろうと思います。実際にクリスチャンに「どうして信じているの?」なんて尋ねにくいですもんね。

キリスト教圏から来る外国人と接するのにも重要なヒントが隠れているかもしれませんし、クリスチャンとして生きる気のない方でも「お、この考え方は良いな」なんて思えるところがあるかもしれません。
第3章は「ゆるーくたどる聖書ストーリー」として、普通に読んでもなかなかとっつきにくい聖書のストーリーを読みやすく親しみやすくダイジェストいたします。これで聖書の大まかな流れと大雑把な内容は把握していただけるかと思います。
牧師さんや神父さんのメッセージは原則として聖書を土台になされていますから、これを読んでいただくと、実際に教会に来て礼拝に参加してみたときに、お話を聴いて「あ、このシーン知ってる!」ってなる可能性はかなり上がるかと思います。
そんな感じに進めて参りますので、お付き合いいただけましたら幸いです。

あの、かしこまって正しい姿勢で読まなくて大丈夫です。ソファでくつろぎながらとか、ベッドで横になりながらとか読んでいただいて大丈夫です。コタツで読んでいたらいつの間にか寝てしまったなんてことがあっても誰も気にしません。分からないところだとか、なんとなく腑に落ちないところがあったりしたら、そこは飛ばしてしまったって構いません。
ほんの少しでもこの本で、皆様のキリスト教やクリスチャン、聖書に対する「ハードル」を下げることができたら、目標達成です。

目次

はじめに
この本のルール説明
1 ざっくり知るキリスト教
キリスト教って、何なんだ?
「キリスト教」を成立させる3項目
何に対して祈るのか?
「三位一体」を理解するためのキーワード
「教派」が分かれていったわけ
「カトリック」と「プロテスタント」はどう違う?
イエス・キリスト
クリスチャンって、何なんだ?…
「信じている人」と「信じていない人」の境界線
洗礼を受ける基準
洗礼は、ゴールではなく「入学式」
キリスト教に「ご利益」はない
教会って、何をする場所?
教会は「神をたたえる人の集まり」のこと
「礼拝」がメインの活動
教会にいるのは、どんな人なのか
みんなが気になる「お金」と「勧誘」
聖書ってどんな本?
神様と人間との「契約書」
聖書「以上」も「以外」もキリスト教にはない
聖書の著者は、神様
1600年かけて伏線回収する壮大なストーリー
聖書を全部読むのにかかる時間
聖書を読むには「助け」が必要
クリスチャンのリアル
キリスト教の「やってはいけない」
「祈り」は自由なもの
調子が悪いときは祈らなくても大丈夫
聖書をどこまで信じているのか
「敬虔なクリスチャン」という幻想
ちょっと難しい、だけど大切ないくつかのこと。
「難しいことがある」ということを説明します
「聖霊」を理解するのは難しい
「イエス」という存在は難しい
「罪」の問題は難しい
「救い」を知るのは難しい
2 クリスチャンから見た世界
キリスト教を「信じる」と人は変わる?
誤解されがちなクリスチャン
クリスチャンは「清く正しく美しく」ない!
「いい人」なんてこの世にいない
「いい人幻想」は人を不幸にする
ストップ! 「PDCAサイクル」
PDCAサイクルは大事だけど、しんどい
聖書の偉人は勇気をくれる
全部の仕事を背負いこまなくてい
神様は越えられない試練だって与えます
聖書は無茶なことは言わない?
「乗り越えられない試練」はある
越えられない困難は神様に頼る
怒ったっていいんです
イエス様だって怒った
怒りは「問い」
大切なのは「問い続けること」
答えてくれる人がいない「問い」はどうすればいい?
神様は、いつでも問いをぶつけられる相手
信じる者しか救わない神様は、せこい?
宝くじの当せんをどぶに捨てる人たち
「救われている」のに「救われに行かない」からもったいない
教会は「受け取り窓口」

幸せはいつもそこらにあるんです
幸せに向かって歩く必要はない
明日の苦労は考えない「最初の小さな幸せ」を探してみる
神様に任せた方が、うまくいく
「夢至上主義」はちょっと疲れる
人は自分の使命を知ることができない
だからクリスチャンは神に委ねる
「キリスト教」と「科学」は犬猿の仲?
博士と助手の「地球儀の話」
「科学はあくまで「考えるためのツール」
聖書は「脱・コスパ」の書
キリスト教は「重く」ない
聖書の世界はコスパが崩壊して 神様は「対価」を求めない
ゆるーくたどる聖書ストーリー
聖書を読んだつもりになるために
まずは全体をつかもう
聖書の構造
天地創造 この世界の何もかもは、神がつくった
アダムとイブ 人間の「罪」はここから始まった
カインとアベル、そしてセツ 神様は厳しいけど愛がある
ノアの方舟 ろくでもない人間をリセットして、世界をやり直す
バベルの塔 人間は、神になろうとする
信仰の祖、アブラハム 自分の子どもを生贄にできますか?
井戸掘りイサク 「最上の捧げもの」ってどんなもの?
エサウとヤコブ 聖書は「因果応報」とは限らない
ヤコブからイスラエルへ「イスラエル」はこうして生まれた
ヨセフの立身出世 裏切られ、陥れられても、人は逆転できる
モーセの出エジプト 神様が「本気」を出すとすごい
モーセの海割り 人間が守るべき10のルール「十戒」
豪傑サムソン いろいろあっても、最後に悔い改める人が救われる
落ち穂拾いのルツ 神様は、あらゆる民族の神である
ダビデの下克上 聖書に出てくる人に、完璧な人などいない(ただしイエス様を除く)
知恵者ソロモン 「知恵」はあっても使いよう
バビロン捕囚 囚われの8年間が、信仰の礎を作った
ヨブ記 正しい人が、とことんひどい目にあうこともある
預言者たち「救世主」の誕生は預言されていた
マリアの受胎告知 マリアの「素直さ」はみんなのお手本
イエスの誕生 波乱万丈の「救世主」誕生
バプテスマのヨハネ 洗礼を受ける意味
イエスの奇蹟 悪魔は「常識」をささやき、神様は「とんでもないこと」を命じる
最後の晩餐 みんながイエスを裏切った
十字架 聖書の最重要クライマックス その 復活 聖書の最重要クライマックス その2
使徒たちの話と手紙と黙示録 ストーリー以外の部分に書いてあること
おわりに…… キリスト教をもっと深く知るためのオススメ本

この本のルール説明

「はじめに」にも書きましたけれど大事なことなので重ねて書きますが、「キリスト教について知りたい。ざっくり説明してくれ」と言われても、これは実はなかなか難しいことなんです。
と、いうのもキリスト教には様々な教派があります。「カトリック」と「プロテスタント」があるというのは多くの方がご存知だと思いますが、この二つのほかにも正教会をはじめ、様々な教派がありますし、プロテスタントの中でも様々な分派があります。もちろんカトリックとプロテスタントの間でも解釈の相違があります。それどころか同じ教派内でも牧師さんや神父さんによって解釈が違ったりさえします。

ですから「これが正しいキリスト教!」とは、なかなか言えないわけであります。どう説明しても、「いや、それは違うと思う」と別の意見が必ず生じます。でも、それは当たり前のことと言えばそうなんです。なぜなら神様のつくり賜うたこの世界の真理は、人間にすべて知ることはできないからです。それは聖書にもそうる人というのは、この世界には存在しないんです。
…と、いうわけで、無理です。はい、この本終了: 残りのページはぬり絵コーナーでお楽しみください
……ウソです! ウソですよ: 怒らないで! ページを破らないで
そういった前提はありますが、それでも何とか少しでも皆様に分かりやすく親しみやすく、これからキリスト教を説明してみようと思います。そのために、この本の「ルール」をいくつかお伝えしたく思います。

とてもざっくりです
キリスト教や聖書のすべてをこの本一冊で説明しきることは不可能です。ですからこれから書くことは「ハイライトを要約して、さらにそれをかいつまんだやつのサワリ」くらいです。
聖書のあらすじくらいはなんとなく分かるくらいには書きますが「これ一冊で聖書マスター!」「今日からあなたもキリスト教博士!」というわけには参りません。
また、すでに聖書に詳しい方にとっては「ここの説明がなきゃ困る!」とか「ここんとこの記述が薄い!」とか多々あると思いますが、はい、大人の事情です。ページ数の都合があるんです。と、いうことでご容赦くださいませ。
「これが正しい」という。わけではありません
先ほども書きましたように、人間には「完璧にキリスト教を知ること」は不可能ですし、当然「完璧に正しく記すこと」も不可能です。まして僕は牧師でも神父でもない一介の信徒です。
ですから「この本が正しい!」とは決して言えません。皆様もこの点はご了承の上「ある一人のクリスチャンの捉え方」としてお読みいただければ幸いです。

……と、いうわけで賛否両論、きっとたくさんのお叱りやご指導をいただくであろうことは覚悟の上で、誠に僭越至極ながら、筆を執らせていただいている次第です。
ときどきふざけたり、 突然ゆるくなったりします
今まで聖書やキリスト教に触れたことがない方にも、できるだけ親しみやすく伝えるために、できるだけ砕けた文体で書きますし、ときどきふざけたり、急にゆるい発言を入れこんだりもします。
決してキリスト教や聖書を笑いものにしているわけではありません。それは酸っぱいヨーグルトに砂糖を入れるようなものです。

疑問を持ってもらえたら嬉しいです
この本は多少は難しいことも書くかもしれませんが、基本的に「キリスト教初心者」
の方向けの本ですから、難しいことにそれほど深く踏み込みはしません。
ですからもしこの本で「難しいこと」に出会ったら、それは「難しい本」で調べてください。あるいは聖書そのものに答えが記されているかもしれません。
いずれにせよ、この本で聖書やキリスト教について疑問を持ってくださる方がいるなら、それは嬉しいことです。興味って、疑問なしには深まらないものですから。
聖書って「疑問を持ってはいけない」本ではありません。疑問や、ときにはツッコミを入れながら読んだって良いんです。