デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する

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本当に大切なことに集中できる

情報化社会に生きる私たちが生活をする上で、デジタル機器は欠かせません。そんな私たちには、一時的なデジタルデトックスではなく、デジタル・ミニマリズムという哲学が必要です。時間とお金、脳にまで影響を及ぼすスマホとの関わり方を見直すきっかけになるため、スマホ疲れ・依存を感じている方におすすめの1冊です。

カル・ニューポート (著), 長場 雄 (イラスト), 佐々木 典士 (その他), 池田 真紀子 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2019/10/3)、出典:出版社HP

デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する

私のパートナーであり、ミューズであり、そして理性の声である ジュリーに

目次

はじめに
Part1 基礎
1 スマホ依存の正体
2 デジタル・ミニマリズム
3 デジタル片づけ

Part2 演習
4 一人で過ごす時間を持とう
5 いいね”をしない
6 趣味を取り戻そう
7 SNSアプリを全部消そう

おわりに
謝辞
解説:佐々木典士
原注

訳者による注は小さめの( )で示した。

カル・ニューポート (著), 長場 雄 (イラスト), 佐々木 典士 (その他), 池田 真紀子 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2019/10/3)、出典:出版社HP

はじめに

二〇一六年九月、週刊誌《ニューヨーク・マガジン》に、有名ブロガーで評論家のアンドリュー・サリヴァンによる〈かつて私は人間だった〉と題する七○○○語の長文コラムが掲載された。それには穏やかならぬサブタイトルがついていた――「ニュースとゴシップと画像の終わりなき 無差別爆撃にさらされて、我々は重度の情報依存に陥っている。私は魂を抜かれた。あなたも危 ないかもしれない」。このコラムは広く共感を集めた。しかし私には、正直なところ、サリヴァンが何に警鐘を鳴らしているのか、すぐにはぴんとこなかった。私は同世代では珍しく、ソーシャルメディアのアカウントを一度も取得したことがなく、長時間のネットサーフィンもめったにしない。そのため、日常生活におけるスマートフォンの出番はあまりない。つまり私は、サリヴァンの記事が指摘するような、世間の大多数が共有している危機感とは縁のない少数派の一人だ。言い換えるなら、 インターネット時代の革新的な技術が人々の生活を浸食しようとしている事実を知識として把握してはいたが、その意味するところを実感として理解してはいなかったのだ。しかし、あるできごとがきっかけとなって事情が変わった。

同じ二〇一六年の初め、私は『大事なことに集中する――気が散るものだらけの世界で生産性 を最大化する科学的方法』(ダイヤモンド社)という本を出版し、集中して深く考えるという過小 評価されがちなスキルについて考察し、絶えず人の注意を奪おうとするコミュニケーション・ツールが職場で幅を利かせているために、最良の成果を出せずにいる人が少なくないことを指摘し た。読者が増えるにつれ、私のもとにたくさんの質問が寄せられるようになった。メールをくれた人もいれば、講演会場などで質問攻めにする人もいたが、知りたがっていることはみなだいたい同じだった―――プライベートな場面ではいったいどうしたらいいのか。集中を妨げるものを仕 事場から排除しようという私の意見には賛成だが、仕事を離れた場面でもやはり新しいテクノロ ジーにつきまとわれ、生活の質や充足感が低下しているような気がして、そのことにさらに大き なストレスを感じているというのだ。これに興味をそそられた私は、現代のデジタル・ライフの 可能性と危うさに注目して、予定外の短期集中リサーチに取りかかった。

取材に応じてくれた人の大多数はインターネットの未来を信じていた。ネットは人生の質を向 上させる推進力になりえるし、そうなっていくだろうと考えている。誰もグーグルマップのない 生活を望んではいない。インスタグラムをやめるつもりもない。一方で、テクノロジーとの関係 をいまのまま維持していくのは無理そうだと感じてもいた。近い将来、何らかの変化が起きない かぎり、自分たちも魂を抜かれてしまうだろうと。
現代のデジタル・ライフについて議論するうえで繰り返し耳にしたキーワードは“疲労感、だ った。個別に見れば、どれか一つのアプリ、一つのウェブサイトだけが悪者というわけではない。 多くの人が問題だと思っているのは、あまりにもたくさんのアプリやウェブサイトがきらきらと 光を放って朝から晩までユーザーの注意を奪い合い、人の気分に影響を及ぼしていることだった。 このカオスの真の問題は、ディテールにばかり目を凝らしていても見つからない。問題はそこで はなく、自分ではどうにもできない状況になりつつあるという点にある。これほど多くの時間を ネットに費やしたいと思っている人はあまりいないだろうに、デジタル・ツールは、行為依存を 促すように設計されている。ツイッターをチェックしたい、レディット(英語圏で人気のあるソーシ ャル・ニュースサイト)に新しい投稿がないか確認したいという抑えがたい衝動は、目の前のことに 集中すべき時間を細切れにし、日々を主体的に過ごすのに必要な平常心を乱す。 リサーチを続けるうちに浮かび上がってきた事実、そして次の章で扱うトピックの一つは、デ ジタル・ツールが持つ依存性には意図せず生まれたものがある(テキストメッセージがこれほど までに人々の注意を独占すると予想した人はいないに等しい)一方で、意図的に生み出されたものも多い(ソーシャルメディア・サービスの多くは,使わずにいられないからこそビジネスとして成立している)ということだ。いずれにせよ、四六時中スクリーンを凝視せずにいられない せいで、人々は、どこに、何に注意を向けるべきかの判断を自分ではない何かにコントロールされているように感じ始めている。もちろん、サービスに登録した時点では、主導権を手放すつもりはなかっただろう。誰もが何らかのメリットを期待してアプリをダウンロードし、会員登録をしぃさ使い始めてみたところで、登録前にはそのサービスの最大の魅力と思えたものが、なん とも皮肉なことに、当のサービスによって損なわれていくことに気づくのだ。たとえば、遠く離れて住む友達と連絡を取り合うためにフェイスブックを始めたのに、いつしか目の前にいる別の 友達との会話を続けることができなくなっている。

リサーチをしてもう一つわかったのは、無制限にネットに接続していると心の健康をむしばまれることだ。私が話を聞いた人々の大半が、ソーシャルメディアはユーザーの感情を引っかき回すと訴えた。日常を切り取って念入りに編集した友人の投稿にしじゅう接していると、劣等感に さいなまれる。もともと気分が落ちこんでいたときなどはとりわけそうだろう。また、十代の若 者にとっては、誰かを仲間外れにする残酷な手段にもなる。
さらに、人はもともと感情的になると暴言を吐いてしまいがちだが、二〇一六年の大統領選と その余波に端的に表われたように、ネット越しの論争はその傾向をいっそう加速するようだ。これについて、テクノロジー哲学者ジャロン・ラニアーは次のような説得力ある分析をしている―「怒りや言葉の暴力がインターネット上にはびこるのは、ある意味、インターネットという媒 体の性質と切っても切り離せない現象といえる。誰もが自由に参加して他人の関心を奪い合う場 では、前向きで建設的な意見よりも、負の感情のほうが注目を集めやすい」。そういった醜いも のに繰り返し接していると、自分まで暴言を吐いて憂さを晴らすことになりかねない。多くの人 は、否応なく常時つながっていることと引き換えに、自覚のないまま法外な代償を支払っている。 デジタル・ツールの過度の使用がもたらす疲労感。主体性を弱め、幸福度を低下させ、負の感情を増幅し、より大事な活動から注意をそらさせる力――私はそういった憂慮すべき問題の数々 を目の当たりにして初めて、現代文化の支配者たるテクノロジーとのあいだに危険な関係を築いている人があまりにも増えていることに気づいた。こう言い換えてもいい。アンドリュー・サリ ヴァンが「かつて私は人間だった」と嘆いた意味が、このときようやくわかり始めたのだ。

読者とのやりとりを経て、テクノロジーが人々の私生活に及ぼしている影響をもっと詳しく調べなくてはならないと確信した私は、このトピックについて本格的なリサーチと執筆を始めた。 目的は二つ。問題の概略を把握すること、そして新しいテクノロジーを最大限に活用しながらも 主体性を失わずにいる希有な例を探し出すことだった。 調査開始からまもなく明らかになった事実の一つは、デジタル・ツールには有益な面と有害な面カ漬在しているために、現代文化とツールとの関係が複雑になっていることだった。スマート
フォン、どこでもつながるワイヤレス・ネットワーク、何十億もの人々をつなぐデジタル・フラットフォーム。どれも人類が誇るべきイノベーションだ!良識的な評論家なら、それらがまだ 存在しなかった時代に戻ったほうが幸せだなどとは言わないだろう。反面、人々は自分がデバイ スに使われているような現状に疲れを感じ始めてもいる。そしてその現状は、元気の出る写真を いつでもインスタグラムで探せる自分の力をありがたく思う一方で、以前なら友達とおしゃべり をしたり本を読んだりして過ごしていた夜のひとときに割りこんでくるインスタグラムに神経を すり減らすという、矛盾した心の風景を描き出す。
この始末の悪い問題への対抗策としてよく挙げられるのは、無理のない範囲で元凶を遠ざけましょうといった ハック” や ティップス”だ。デジタル安息日を設ける、夜はスマートフォンをベッドに持ちこまない、通知を切ってマインドフルに過ごす……といった対策を実行すれ ば、そもそもそのテクノロジーを利用する動機になったメリットはいままでどおり享受しつつ、 同じテクノロジーの害悪を最小限にできるだろうというわけだ。その控えめなアプローチに惹かれるわけは理解できる。なんといっても、自分のデジタル・ライフについて思い切った決断をせずにすむのだから。何かをきっぱりとやめたり、スマートフォンがもたらすメリットの一部をあきらめたりする必要はないし、友達を怒らせる心配も、重大な不便をこうむるリスクもない。

しかし、このタイプのちょっとした軌道修正を試したことがある人ならおそらくもう気づいて いるように、意思の力や小さな工夫、漠然とした決めごとだけは、ユーザーの意識に横暴に侵入してくる新しいテクノロジーを退けるのには力不足だ。デジタル・ツールは使わずにいられなくなるように設計されている。しかもその行為依存を助長する文化的な圧力はすさまじく、小手先の対処法ではとうてい歯が立たない。この問題を追究した結果、私は次のような結論に達した。 必要なのは、自分の根本をなす価値観に基づいた、妥協のないテクノロジー利用に関する哲学〟だ。どのツールを利用すべきか、どのように使うべきかという問題に明確な答えを提示できる哲学。そして、選んだツール以外のいっさいを無視できるだけの自信を与えてくれることも、 同じくらい重要な条件だ。
この二つの条件を満たす考え方は数多くある。極端な例では、ネオ・ラッダイト(ラッダイトと は技術革新反対者のこと)が挙げられる。新しいテクノロジーのほぼすべての利用を控えようと主張 する人々だ。これと対極に位置するのは、自己定量化に熱中する人々だろう。彼らは人生の最適 化を目標とし、生活のあらゆる領域にデジタル・デバイスを組みこむ。そういった多種多様な哲 学を吟味するうち、テクノロジー過多の時代をうまく渡っていきたい人々に最適な答えとなりそうな一つが浮かび上がった。私はそれをデジタル・ミニマリズム』と命名した。デジタル・ツールとつきあううえでは、少ないほど豊かになれる」とする考え方だ。

これは決して新しい発想ではない。ヘンリー・デヴィッド・ソローが「シンプルに、シンプル に、シンプルに!」と叫ぶはるか昔、マルクス・アウレリウスはこう説いた。「見なさい、充実 した意義深い生涯を送るためになすべきことがいかに少ないか」デジタル・ミニマリズムでは、 こういった古典的な識見を現代の生活におけるテクノロジーの役割にそのまま適用している。し力も、そのまま当てはめた結果はめざましいものになりえる。本書では、デジタル・ミニマリス トの実例を数多く紹介していく。彼らはオンラインで過ごす時間を容赦なく削り、ごく少数の価 値ある活動に集中することによって、大きなプラスの変化を経験した。デジタル・ミニマリスト たちがオンラインで過ごす時間は極端に少ない。そのため、ライフスタイルそれ自体が極端なものと誤解されがちだが、デジタル・ミニマリストに言わせれば、それは反対だ――長時間スクリーンを凝視して過ごすほかの人々のライフスタイルのほうが極端なのだ。

デジタル・ミニマリストは知っている。現代のハイテクな世界で生き延びていくために必要な のは、テクノロジーを使う時間を大幅に減らすことだ。
本書の目標は、根拠を示してデジタル・ミニマリズムの有効性を伝えることにある。実践には 何が必要か、なぜうまくいくのかを詳しく探求し、そのあとデジタル・ミニマリズムを取り入れるには何をすべきかを説明していく。
そのために、全体を二つのパートに分けた。パート1では、デジタル・ミニマリズムの基礎と なる概念を解説する。あまりにも多くの人々のデジタル・ライフをいよいよ耐えがたいものに変 えようとしている力とはいったい何なのか、それをじっくりと考察したあと、これぞ問題を解消 する答えだと私が考える理由も含めて、デジタル・ミニマリズムとは何か、詳しく説明する。パート1の後半では、デジタル・ミニマリズムをどのように実践したらよいか、私が提案する メソッドを具体的に紹介する。 デジタル片づけ”だ。ここまで述べてきたように、テクノロジーとの関係を根本的に変えるには、かなり思い切った行動が必要だ。デジタル片づけは、まさしくその思い切った行動となる。
デジタル片づけにあたっては、かならずしも必要ではないオンライン活動から三〇日間遠ざかることになる。この期間中に、デジタル・ツールの数々によって植えつけられた依存のサイクル から離脱し、より大きな充実感をもたらすアナログな活動を再発見する。散歩をする、友人と会 っておしゃべりをする、地域社会との関わりを深める、本を読む、雲をただ眺めるといったこと だ。しかし何より重要なのは、デジタル片づけによって、人生でもっとも大事なこととは何か、 理解を研ぎ澄ますための余白が生まれるということだ。三〇日の期間が過ぎたら、今度は、それ ら大事なことを達成するためにメリットがあるか否かという基準で厳選した少数のオンライン活 動を復活させる。そこから再スタートを切って、かつて時間を細切れにし、集中力をそがれる原 因となっていた注意散漫を誘う行為の大部分を退けて、厳選した主体的な活動のみをオンライン 生活の核とすることに全力を傾けよう。デジタル片づけは、強制リセットボタンを押すようなものだ―――始めたときのあなたは疲れ果てたマキシマリストだったが、終えたときのあなたは主体 的に行動するミニマリストに生まれ変わっている。

パート1の最終章では、デジタル片づけの具体的な方法を説明する。私は二〇一八年初冬に一 六○○名以上のボランティアを集めてデジタル片づけの集団実験を行ない、各人の経験を報告してもらった。それを元に、参加者の体験を数多く紹介しながら、どのような戦略が有効だったが、どのような罠を避けるべきかを述べていく。

本書のパート2では、デジタル・ミニマリズム生活を末永く維持していくために知っておくべき概念を詳しく紹介する。孤独の重要性を論じ、現在多くの人が漫然とデバイスを使うことに費 やしている時間を質の高い余暇活動で埋める必要性を検討する。ソーシャルメディアでいい ね”をしたりコメントをつけたりするのをやめ、テキストメッセージでは連絡の取りにくい人に なれば人間関係は強くなるという主張を提示し、それに対して出るであろう多くの異論に反論する。アテンション・レジスタンス、―ハイテク・ツールと厳格な運用ルールを活用することで、 注 意 経 済を駆動するデジタル製品から価値を引き出すと同時に常用の罠を避けることを目指 す、ゆるやかな組織的運動――についても簡単に述べる。 – パート2の各章の末尾にはいくつかの 演習 が並んでいる。ここでは、その章で紹介した概念 を実践するためのより具体的な戦略を紹介している。 演習 は、いってみれば新米デジタル・ミ ニマリストのための道具箱だ。各自の環境に合わせ、ミニマリストとしてのライフスタイルを築き上げるための道具として使ってほしい。

アテンション・エコノミー
ソローの『ウォールデン 森の生活』に、有名な一文がある――「多くの人は静かな絶望のなか日々を過ごしている」。しかしその直後の段落に、これを切って返すような楽観的な一節があることはあまり知られていない。
彼らは、それよりほかの選択はないと決めてかかっている。しかし注意深く賢明な人は、 朝日がまっさらな一日を照らしたことを忘れない。思いこみを捨て去るのに遅すぎるという ことはないのだ。

常時接続された世界を支えているテクノロジーと私たちの関係を現状のまま維持していくのは 無理がある。そのうえ、いまの関係は、ソローが一○○年以上も前に述べた静かな絶望へと私たちを導こうとしている。だが、ソローが指摘するように、朝日は「まっさらな一日を照らした」 のだ。現状を変える力が私たちにはまだ残されている。
しかし変化を起こしたいなら、インターネット時代ならではのツール、エンターテインメント、 そのほか私たちの注意を競って奪うものがでたらめにからみ合ったカオスに振り回されて、自分 の時間をどのように使うか、どのような気分で過ごすかの判断を他人まかせにしているようでは いけない。そういったテクノロジーの害悪を遠ざけたうえで有益なものを引き出す手段を講じなくてはならないのだ。私たちに必要なのは、いま決定権を握っているもの、すなわち人々の原始 的衝動やシリコンヴァレーのビジネスモデルを玉座から追い落とし、自分の真の望みや価値観に 従って日々の行動を選択するよう促す哲学だ。新しいテクノロジーを受け入れつつ、それを利用する代価カアンドリュー・サリヴァンの警告する人間らしさの喪失であるならば、迷いなく消防するような哲学。短期的な満足よりも、長期的な価値を優先するような哲学。 そう、デジタル・ミニマリズムのような哲学が、いまこそ必要なのだ。

*個人的な経験を活かそうにも私にはそれがないという事実を弱点とみなす人もいる。「使ったこともない人間にソー シャルメディアを批判する資格はない」――この問題について公の場で発言すると、一番多く聞こえてくる声の一 つがそれだ。この批判には当たっている部分がないわけではないが、二〇一六年に調査を始めた時点で、自分の当事者ではない立場が有利に働く場面もあることに私は気づいていた。先入観にとらわれることなく現代のテ クノロジー文化を見渡せるからこそ、思いこみと事実を区別したり、有意義に利用しているのか、それとも自分が 利用されているのかを見分けたりといったことがより的確にできるのではないかと思う。

Part 1
基礎

カル・ニューポート (著), 長場 雄 (イラスト), 佐々木 典士 (その他), 池田 真紀子 (翻訳)
出版社 : 早川書房 (2019/10/3)、出典:出版社HP