農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)

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新ビジネスとしての農業

日本の農業というと、衰退産業の代名詞とされてきました。しかし、この常識は覆りつつあります。本書は、独自のアイデアと先端技術で希少かつ高品質の商品、サービスを生み出す変革者たち、時代を先取る生き方、働き方について紹介していきます。

川内 イオ (著)
出版社 : 文藝春秋 (2019/10/18)、出典:出版社HP

はじめに

「僕は農業って最高だと思ってますよ」

2018年5月、「NewsPicks」という経済メディアの取材で、杉山ナッツのオーナー、杉山孝尚を訪ねた。その時、彼がなにげなく言ったこの言葉が、日本全国、新時代の農業を担う人々を巡る旅のきっかけとなった。
詳しくは第一章で述べるが、杉山は、世界4大会計事務所のひとつ、KPMGのニューヨークオフィスで働くエリートだった。しかし、あることがきっかけで30歳の時、故郷の浜松に戻って落花生の在来種「遠州小落花」の栽培を始めた。それまで農業に縁がなかった彼が頼ったのは、書籍とグーグルとYouTubeだった。まったくの独学で、無農薬、無化学肥料で落花生を育て、加工し、それをひと瓶1000円以上するピーナッツバター「杉山ナッツ」として売り始めたのが2015年。それから4年たったいま、2万個を生産し、すべてを売り切るまでに成長させた。

栽培方法から加工、営業、販売まで、杉山の話はアイデアと工夫のオンパレードで、話を聞きながら、何度、驚きの声を上げたかわからない。杉山の取り組みはビジネスとしても高く評価され、磐田信用金庫が主催したビジネスコンテストで優勝している。ビジネス全般を対象としたこのコンテストで、農家が優勝したのは初めてだったそうだ。杉山は優勝賞金を使って、早稲田大学のビジネススクールで経営を学んだ。
従来の「農薬」の常識にとらわれない杉山は、農業経験のないスタッフからの提案もどんどん取り入れる。最高のピーナッツバターをつくり上げるための試行錯誤、その過程や変化が楽しくて仕方がないという。だから、「農業は最高」なのだ。

「5K」に当てはまらない?

あらかじめいうと、僕は農業の門外漢である。普段は「稀人ハンター」という肩書で、ジャンルを問わず、「規格外の稀な人」を追いかけて、取材やイベントをしている。僕の大事な仕事のひとつが「稀な人を発掘すること」で、ある時、「浜松に面白い人がいる」という情報を得て、杉山に会いに行ったのだ。
正直に告白すれば、杉山と出会うまで、仕事のジャンルとしての「農業」に、いいイメージがなかった。農業に詳しくなくても、高齢化と後継者不足で耕作放棄地が増えていることや、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に代表される輸入自由化で安い海外産品が入ってきて、日本の生産者が逆風に晒されていることは知っていた。台風や大雨、日照りなどの天候に左右され、長い休みも取れないハードな仕事でありながら、それに見合う稼ぎや充足感が得られているのかも疑問だった。もしやりがいのある仕事なら、後を継ぎたい人が列をなしているはずだ。

こういったマイナスイメージがきれいさっぱり払拭されたわけではないが、杉山の話を聞いて、「あれ、なんだか農業って楽しそうだな」と思ったのは事実。同時に、仕事として、ビジネスとしてのポテンシャルも感じた。少し調べてもらえれば出てくることだが、近年、農業はきつい、汚い、危険の3Kに、稼げない、結婚できない、を加えた「5K」の職業と言われている。しかし、少なくとも杉山は「5K」に当てはまらないように思える。むしろ、彼の働き方や生き方を見れば、憧れたり、うらやましく思う人も少なくないのではないか?(僕もそのひとりだ)
はた目には、閉塞感に満ちているように感じる農業の分野にも、杉山のように独自の発想や取り組みで風穴を開けている人物がいるのかもしれない。農業のイメージを変えるその姿は、いまの仕事や暮らしがしっくりこない人にとって、なにか刺激やヒントになるかもしれない。にわかに農業への関心が高まった僕は、各地を訪ね歩いた。杉山を含めた農業界を革新する10人が登場する本書は、その記録だ。

危機的な綱渡り

本編に入る前に、日本の農業の現状について記したい。農業は日本の食卓を支える重要な役割を担っているのに、現状がどうなっていて、なにが課題で、どんな動きがあるのか、農業関係者以外で詳しい人はそう多くないだろう。調べてみて、驚いた。一言でいうと、危機的だ。
農業就業人口は2000年の389万1000人から18年には175万3000人と半減。このうち65歳以上の高齢者が120万人で、平均年齢も2000年の61.1歳から、18年には66.8歳に上昇している。企業人なら定年退職して、のんびり暮らしているような世代の人たちが、日本の農業界の主力選手として暑い日も、寒い日も、雨の日も、風の日も、農作業に勤しんでいるのだ。

稼ぎも、少ない。15年のデータだが、家族経営の農家における1時間当たりの所得、簡単にいうと、時給はたったの722円。ちなみに、19年の時点で農業経営体数は118万8800、そのうち家族経営は115万2800にのぼる。19年8月、企業が支払う最低賃金の改定額が答申されたが、最も金額が低かった鹿児島など15県が提示した金額は790円。97%弱の家族経営の農業生産者が、最低賃金以下の時給で働いているのだ。生産者の所得も、どんどん低くなっている。95年に891万7000円だった農家総所得(農業収入と農業外収入を足したもの)は、17年に526万円になっている。これはひとり当たりの金額ではなく、「一経営体」の所得である。

もう少し詳しく見てみよう。農業全体の産出額のピークだった1990年(11.5兆円)と17年(9兆2742億円)の内訳を見ると、畜産だけは3・1兆円から3・3兆円に増加している。顕著に減少しているのは米、野菜、果実。90年の6.8兆円から、17年には5兆円に落ち込んでいる。
当然ながら農作物の作付面積や生産も減少の一途をたどっているが、より深刻なのは90年からほぼ倍増した耕作放棄地。その面積は42万3000ヘクタール(15年のデータ)にのぼり、滋賀県の面積と匹敵する。
過酷な労働、明らかな低収入のまま働き続けてきた生産者が高齢になり、疲弊。その姿を見てきた息子、娘はバトンを受け取らない。どうしようもないから、農地を放置する。当然のように、生産高も落ちる。その結果、18年度の日本の食料自給率は37%(カロリーベースによる試算)で、過去最低を記録した。これがいま、日本全国で起きていることだ。

国も、手をこまねいていたわけではない。農業者の経営環境整備や農業の構造的問題解決を目指して、改正農地法(09年、16年)や農業競争力強化支援法(17年)などが施行された。これによって硬直している農業を効率化し、生産性を高めようというもので、規制緩和を含む既存のシステムの再編、農業の大規模化や企業参入が行われた。しかし、活性化の起爆剤になるような効果は出ていない。
企業参入については09年に実施された農地のリース方式による参入の全面自由化によって、それ以前より5倍のペースで企業の参入が増加し、17年末の時点で3030法人となっている。しかし、農業は栽培を始めてから収穫まで時間がかかる上に、天候など不確定要素が多いため、企業の論理やノウハウだけで順調に売り上げを伸ばせるものではない。

例えば、LEDなどを使った「人工光型植物工場」は、09年に農林水産省と経済産業省が150億円の補助金をつけたのをきっかけに異業種からの参入が相次ぎ、11年の64カ所から7年で183カ所にまで伸びた。しかし、日本施設園芸協会の調査では、このうち黒字化しているのはわずか17%。人件費や光熱水費がネックになっているとみられ、撤退する企業も少なくない。露地栽培も同様で、農業に参入した企業のうち黒字化している企業は少ないと予想される。

大規模化については、農地の集積、集約化を目指して2014年、各都道府県に農地の中間的受皿である農地中間管理機構が整備され、機構が借り入れ、転貸しする事業が行われている。初年度の2.4万ヘクタールから2018年度には累計22.2万ヘクタールにまで伸ばしており、一定の成果を上げているが、北海道を別にすると、そもそも日本は中山間地域が農地面積や農業生産額の4割を占めており、アメリカ式の大規模化と農作業の効率化が難しいと言われる。2019年7月に農林水産省が公表したデータでは、10ヘクタール以上、20ヘクタール以上、30ヘクタール以上の耕地を持つ大規模経営体の耕地面積がそれぞれ前年比で減少しており、こちらも陰りが見える。

この状況で、18年12月30日、アメリカを除いた11カ国による環太平洋パートナーシップ協定(TPP)、19年2月にはEUとの経済連携協定(EPA)が発効した。TPPでは、農林水産物の関税が段階的に撤廃、削減され、関税ゼロになる品目は農林水産物の82%、およそ2100に達する。EPAも同様で、将来的に農林水産物の82%の関税撤廃、チーズ、豚肉など重要品目の関税も削減された。
TPPとEPAは、日本の農産物を輸出しやすくなるメリットがある。しかしここまでに記した日本の農業の現状を見ると、輸出によって活性化するよりも、輸入によってさらなる価格競争に晒され、なんとか踏ん張っていた高齢の生産者に致命的なダメージが広がる可能性の方が高いように思える。

未来の種は蒔かれている

日本の農業は、このまま衰退してしまうのか。凋落に歯止めをかけることはできないのか。そのカギを握るのは、杉山ナッツの杉山のような、従来の農業の常識に縛られない斬新な発想ではないだろうか?前述したように、ノックアウト寸前に見える農業界を鼓舞したいという僕の想いを込めて、本書では、これまでにない取り組みによって農業界に新風を吹き込んでいる1人を取り上げる。どんな人たちなのか、一部を紹介しよう。

「日本の農業はポテンシャルの宝庫ですよ」とほほ笑むのは、一般企業を経て梨園に就職し、500に及ぶカイゼンの結果、直売率99%を達成した東大卒のマネージャー。

「日本の農家はまじめで世界で一番ぐらいの技術を持っています」と太鼓判を押したのは、度胸と知識と語学力を武器に、世界中の珍しいハーブを仕入れ、日本の名だたるレストランと契約しているハーブハンター。

「誰もやらないなら、僕らでやろうと思ったんですよね」と言ったのは、5500人の生産者と7500軒のレストランをつなぐ物流システムを築いた元金融マン。

「世界の人口が100億を超えても大丈夫な基の作物ができるんよ」と自信を見せるのは、独自に編み出した手法で「日本初の国産バナナ」をつくった男。

ひとりひとりの経営規模や売り上げは、まだ小さいかもしれない。しかし、彼らの大胆な動きと斬新なアイデア、前代未聞の結果は、暗雲垂れ込めている農業界で、ひときわ眩しい。彼らはみな、日本の農業を悲観していない。むしろ、これからもっと面白くなる、俺たちがその火種になってみせようと意気込んでいる。彼らの発想や取り組みは、危機感を抱く農業関係者だけでなく、ビジネスパーソンにとっても刺激とヒントになるはずだ。
彼らの生き方にも、注目してほしい。僕は仕事柄たくさんの起業家やビジネスパーソンに会ってきたが、この本に登場する10人には、目の前の利益を必死で追い、上場を目指して邁進するベンチャー企業のシャープな雰囲気とは違う、ドンと構えるスケールの大きさと温かさを感じた。それはきっと、お天道様のご機嫌次第でいろいろなことが左右される特殊な仕事に携わっているからで、些細なことには動じなくなっているのだろう。
僕は彼らと出会って、日本の農業に希望を見出すようになった。どう考えてもお先真っ暗だと思っていたけど、いま、日本の農業に明るい未来はあるか?と問われれば、こう答える。その種は、時かれている、と。

川内 イオ (著)
出版社 : 文藝春秋 (2019/10/18)、出典:出版社HP

目次

はじめに

第一章 イノベーターたちの登場
「世界一」の落花生で作る究極のピーナッツバター
大手百貨店からニューヨークまで/4大会計事務所の正社員に/「ENSHU」の衝撃/耕作放棄地で発見/世界で一番良いビーナッツを作ろう/「常識を上回るため」の実験/子育てと仕事のローテーション
4年で500以上のカイゼン 東大卒「畑に入らないマネージャー」
客足が絶えない梨園/外資系メーカーから梨園へ/見渡す限り課題だらけ/梨の木にIDを振る/カイゼンの実例をオンラインで無料公開
世界のスターシェフを魅了するハーブ農園
一流料理人たちが訪問/父親との欧州レストランめぐり/カナダの園芸学校でクラス最下位に/「香り? いらねえよそんなもん」/最初の顧客が三ッ星に/世界が欲しがるものを作る

第二章 生産・流通のシフトチェンジ
世界が注目する京都のレタス工場
世界最大規模の植物工場プラント/昔ながらの市場構造への疑問/始まりはマンションの一室から/世界初の自動化ブラント
農業界に新しいインフラを! 元金融マンが始める物流革命
生産者の視点を欠く”古い流通”/投資ファンドから祖母の畑へ/「面倒くさいビジネス」だからやろう/廃棄率は1%以下/新しい農業のインフラを目指す
化粧品、卵、アロマ・休耕田から広がるエコシステム
飼料用米から国産エタノール/バイオ燃料のブームに乗って/ドイツ証券を辞めて東農大を受験/「未利用資源オタク」のアイデア/ヒマワリ、農家民宿……予想を超えた広がり/小さな経済圏をたくさんつくる

第三章 常識を超えるスーパー技術
ITのパイオニアが挑む「植物科学×テクノロジー」
スマート農業元年/IT業界の黎明期を牽引した男の転身/「経験」「勘」「匠の技」からの脱却/農業の「見える化」でできること/日本農業の知的産業化
スーパー堆肥が農業を変える
ダニをもってダニを制す/有用菌に着目/悪臭0%の堆肥が秘めるパワー/宣伝なし口コミだけで農家に広がる
毎年完売! 100グラム1万円の茶葉
標高800メートルの「秘境」/「東頭」誕生のきっかけ/「シングルオリジン」の先駆者/徹底して「質」を追求/すべては最高の茶葉のために/佳輝が茶農家を継いだ理由/低迷する日本茶市場のなかで気を吐く
岡山の鬼才が生んだ奇跡の国産バナナ
岡山に南国の果樹が/ボルネオ島でもらったヒント/驚異的な変化/バナナだけで50億円/廃校を農業学校に、永久凍土を農地に

おわりに

川内 イオ (著)
出版社 : 文藝春秋 (2019/10/18)、出典:出版社HP