海の地政学-覇権をめぐる400年史 (中公新書)

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近現代の海洋史を学ぶ

海は地球の面積の7割以上をしめています。大航海時代以来、その覇権をめぐって多くの国がしのぎを削ってきました。本書では、航路や資源、国際的な法制度など多様な論点から、400年に及ぶ海をめぐる激動の時代を描き出します。現在の海洋秩序を前に、日本はどのように対処すべきなのか、海に囲まれた日本の課題は何なのかについて考えます。

竹田 いさみ (著)
出版社 : 中央公論新社 (2019/11/19) 、出典:出版社HP

まえがき

本書は、一五世紀の世界航路拡大を振り返りつつ、一七世紀にはじまる海洋覇権をめぐる英蘭戦争(イギリス・オランダ戦争)、大英帝国の興隆、二つの世界大戦と冷戦、さらに海洋秩序の模索や現在の課題など、海洋史四〇〇年を、地政学的な視点を取り入れながら、描くものである。そして「航行の自由」がいつの時代でも、大きなテーマであったことを確認する。

本書で扱う重要な用語をいくつか説明しておこう。
「覇権国家」とは、政治、外交、軍事、経済などの分野で圧倒的な影響力を持ち、世界の国々によりその主導的役割が認められている国家を指す。したがって、「海洋覇権」とは海洋における覇権国家のさまざまな態様を意味する。
「海洋パワー(シーパワー)」は、本書では覇権国家とほぼ同義で扱っており、その影響力が海に特化されたものの場合をいう(第2章を参照)。
そして、「海洋秩序」とは、時代によって異なるが、覇権国家、あるいは国際連合(国連)など国際社会により定められた概念やルールに多くの国が追従する状態のことであり、その望ましい状態を保つための決まりや枠組みそのものを表している。たとえば、一八~一九世紀のパクス・ブリタニカ(イギリスによる平和)、二〇世紀のパクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)、後述する国連海洋法条約が該当する。
また、「海洋ルール」や「国際ルール」は、その時代の覇権国家や国際社会(本書では国連)が制定した海洋に関する具体的な政策や法律を示す。両者を厳密に区別していないが、「国際ルール」とは主に国連海洋法条約が作り上げた海洋ルールを意味している。
最後に、書名である「海の地政学」について本書では、海洋を地理的空間と位置づけ、国家政策や国家行動を地理的な環境と結びつけて考える概念としての「地政学」を、アプローチの一つとして象徴的に使用するものである。

本書の前半(第1~第3章)までは、海洋という地理的空間が支配される時代を、ストーリーとして叙述することが可能だった。しかしながら、第二次世界大戦後のトルーマン宣言や国連海洋法条約が制定された時代を扱う後半部分(第4~第6章)は、海洋が支配される時代から管理される時代への移行期であり、必然的に制度論、組織論、法律論、政策論、現状分析が中心となり、前半部分とは書き方のトーンが異なることを付記しておきたい。
そもそも日本は海外から原料を輸入し、それらを加工して質の良い製品を作り、世界中に輸出して豊かになった貿易国家だ。原料や製品の重量(トン数ベース)で集計してみると、貿易データでは輸出入貿易の約九九・六パーセントが海上輸送(航空輸送は〇・四パーセント)に依存しており、商船による貿易航路の重要性は今も昔も変わらない(二〇一七年集計、日本船主協会)。もちろん航空輸送の比重は高まり、金額ベースの貿易量でみると航空輸送の割合も増加しているが、それでも依然として海上輸送の重要性は揺るがない。
島国の日本にとってはもちろんだが、各国でも海洋は国の命運を左右する。大航海時代を例に出すまでもなく、世界史は海の覇権をめぐる軌跡であり、国益に直結する海洋での覇権を確保するために、海洋秩序の形成にどのようにコミットするかが、大国の最大関心事であったといえよう。
海洋覇権、海洋秩序形成の歴史には、さまざまなプレーヤーが登場する。大航海時代には、スペイン、ポルトガル、イギリス、そしてオランダ。一九世紀においてはイギリスが海の覇者となり、二〇世紀に入ると、イギリスに比肩する海洋パワーとしてアメリカが台頭してくる。海洋の権利を声高に叫ぶアメリカに対し、新興独立国も異議を唱えはじめ、この状況を前にして国連を中心に、海洋秩序のあり方が問題提起される。
あらゆる国家による一方的な海洋支配を食い止めるため、一九九四年に発効されたのが、「海の憲法」とも呼ばれる国連海洋法条約(正式名称「海洋法に関する国際連合条約」)である。二〇一八年六月現在、一六七ヵ国及び欧州連合(EU)が締結している。この条約は領海(一二カイリ)、接続水域(二四カイリ)、排他的経済水域(EEZ、二〇〇カイリ)、大陸棚、公海、島や岩礁の定義、海洋航行のルールなどを包括的に定め、海洋の平和利用と開発が両立するように制定された。アメリカが署名していないなどの諸問題は内包しつつも、この「海の憲法」はルールとして国際社会に浸透してきた。
しかし二一世紀になると、中国が南シナ海への海洋進出を加速化させ、人工島の建設などに着手し、この「海の憲法」に挑戦する姿勢を示した。中国は、国連海洋法条約が作り上げた海洋秩序に挑戦した初めての国家となる。

本書は、おもに近現代の国家を対象にしている。また、海洋秩序のあり方に大きな影響を及ぼす中国の動向に焦点を絞ったため、日本と排他的経済水域(EEZ)を接するロシア、韓国、北朝鮮、台湾などを取り上げていない。ただ今後、北極海航路の重要性が高まる中、ロシアが重要な役割を演じることは間違いないだろう。このように、本書は限界を抱えていることを断っておきたい。
第1章では、国家が海と向き合うようになった「大航海時代」に少し触れ、主に一七世紀から一九世紀における、イギリスの海洋パワーとしての発展を分析していく。第2章では、一九世紀における新たなプレーヤーとして、捕鯨業を軸に海の覇権競争に参画したアメリカを俎上にのせる。そして第3章では、パナマ運河建設、海軍力の強化を図ったアメリカが、二つの大戦を通じてイギリスに取って代わる海洋パワー(シーパワー)としての地歩を固めていく姿を明らかにする。第4章は、二〇世紀における海洋革命と謳われた「トルーマン宣言」を中心に、アメリカ主導の新しい海洋秩序の形成、ならびに国連海洋法条約の制定過程を詳らかに見ていく。第5章では、世界の海洋秩序に挑戦する中国の動向を検証し、第6章では、「海上法執行」の主役を演じる日本の対応を考察する。法執行とは、国内法である海上保安庁法や警察官職務執行法などに基づいて警察権を行使するとともに、国連海洋法条約をはじめとする国際ルールを踏まえて、領海警備や排他的経済水域の保全・管理、さらに海賊対処行動をすることである。
揺らぐ海洋秩序を前に、我々はいかに対処すべきなのか?陸地が分断支配され領地とされてきた歴史があるように、海にも同様の歴史がある。その約四〇〇年にわたる海洋の歴史を振り返り、海洋秩序や海洋ルールの変遷に焦点をあて、近現代史を海から捉え直す。このような作業を経ることにより、海に囲まれた日本の課題などが読者に伝われば幸いである。

竹田 いさみ (著)
出版社 : 中央公論新社 (2019/11/19) 、出典:出版社HP

目次

まえがき

第1章 海を制した大英帝国
大航海時代とスペイン・ポルトガルの海洋進出
カトリック世界による海洋の分割支配
海賊国家イギリスの参入
貿易国家オランダの動き
国際法の父グロティウスの海洋自由論
イギリス領海の誕生
航海法の制定
貿易立国オランダをつぶす
航海法の廃止から自由な海洋世界へ
領海三カイリと密輸船の摘発
イギリス海洋帝国の建設
海軍基地を守る陸軍の駐屯地
石炭ステーションを全世界に確保
海底ケーブルによる情報の帝国――目に見えない海洋覇権
独占企業イースタン電信会社の登場
世界中がイギリス経由で情報伝達
日本が海底ケーブルで結ばれる
大英帝国の海軍の規模
軍事政策としての海洋覇権と二国標準主義
挑戦国ドイツの登場
大手の海運会社P&Oとキュナード
スエズ運河の建設をめぐる暗闘
ロスチャイルドから極秘情報
世界初の国際運河
地平線が広がるスエズ運河
イギリスの思惑
フランスの脅威
レセップスの夢
マッキンダーの地政学

第2章 クジラが変えた海の覇権
捕鯨という海洋フロンティア――エネルギー資源の確保
クジラ・ブーム到来
捕鯨基地の建設
ペリー提督の浦賀来航
捕鯨船の遠洋航海と近代化
イギリスの海洋帝国を航海
貿易船と捕鯨船の保護
海外領土としての「島」
キューバ領有
戦勝国となったアメリカ
海洋パワー論者アルフレッド・マハンの登場
シーパワーとは何か
英雄セオドア・ローズヴェルトと米西戦争
大海軍主義の大統領
軍服はブルックス・ブラザース

第3章 海洋覇権の掌握へ向かうアメリカ
海洋パワーを目指す大統領
パナマ運河――アメリカン・ドリーム
スエズ運河の成功体験で失敗したレセップス
アメリカの野心――パナマ「地峡」の領有化
まずは経済インフラの整備
アメリカ海軍の強化
海軍の軍拡レース
第一次世界大戦に参戦したアメリカ
参戦の背景
ツィンメルマン極秘電報事件
和平構想「一四ヵ条」を提案
海洋ルール「航行の自由」を提唱
アメリカ主導で海軍の軍縮――米英の共同覇権
海軍軍縮の比率
精緻な条約
軍縮から軍拡の時代へ、戦艦から空母の時代へ
空母機動部隊の海戦
日本が失った商船――日本船主協会日本が失った船員――全日本海員組合

第4章 海洋ルールの形成
トルーマン宣言とは何か――サケと原油
トルーマン宣言は国内問題扱い
石油利権をめぐる国内政治力学
州による石油利権独占への拒否権
石油開発の歴史
カーボン・オイルの発明――オイル・ランプの誕生
イギリスの不運――石油がなかった
グレート・ゲーム――石油の争奪戦
海底油田への注目
南米諸国が追従し、世界の流れへと加速
海洋革命としてのトルーマン宣言
二〇〇カイリ領有化を求めたサンティアゴ宣言
国連で海洋を取り上げる――アメリカの誤算の始まり
四つの海洋法条約を採択――ジュネーヴ会議
もともと領海は三カイリで合意
「領海の幅」を決めなかった領海条約
接続水域とは何か
公海とは何か――「自由」があふれる公海条約
領海の無害通航
大陸棚条約の誕生――トルーマン宣言の国際化
新しい大陸棚の定義――国連海洋法条約
発想の転換――“深さ”から“距離”への変更
新たな海洋革命とアメリカの反発――深海底の提唱
資源ナショナリズムと新国際経済秩序――国連海洋法条約の成立へ
オイル・ショックの発生アメリカの海洋宣言――二〇〇カイリ排他的経済水域(EEZ)
レーガン米大統領の海洋政策
米英に参加してもらうための工夫――国連海洋法条約の修正
アメリカが支えている海洋秩序
「世界の警察官」――その原点はトルーマン時代
マーシャル・プランと覇権国家アメリカ
アメリカの軍事力――海洋秩序を支える

第5章 国際ルールに挑戦する中国
「領海法」とは
周辺海域の領有化
無害通航に制限
人民解放軍を動員しての追跡権の行使
仲裁裁判所は“法的根拠なし”と裁定
領海法をめぐる内部文書
起草を取り巻く内外情勢の変化
強硬な軍事部門
戦略論、戦術論、プロパガンダ中国の海洋進出と三つの危険性
日本による対中抗議
第一列島線と第二列島線
海上法執行機関の海洋進出
海洋秩序の不安定要因

第6章 海洋秩序を守る日本
外交力、軍事力、警察力――海洋秩序の装置
軍事力と共に、法執行の時代へ
法執行機関の世界モデル――海上保安庁の目的と任務
尖閣領海警備――海上保安体制の強化
法執行機関における根拠法
軍隊として組織しない
自衛隊と海上保安庁
有事における統制権
国際的に法執行機関を支援
「自由で開かれたインド太平洋」を目指して

あとがき
参考文献

地図 : 地図屋もりそん
図版(国連海洋法条約での海域区分)作成 : 関根美有

竹田 いさみ (著)
出版社 : 中央公論新社 (2019/11/19) 、出典:出版社HP