みんなにお金を配ったらー―ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?

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ユニバーサル・ベーシックインカムの可能性

すべての人に一定額を支給するユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)。その導入により、貧困、格差のほか、AIの進化による労働の変化などといった社会問題を解消することができるのか。本書は、世界のUBIの実験的導入例や社会問題の実情などを紹介しており、UBIの可能性について学ぶことができます。

アニー・ローリー (著) , 上原 裕美子 (翻訳)
出版社 : みすず書房 (2019/10/11) 、出典:出版社HP

目次

はじめに 賃金支払いの条件は、あなたが、ただそこで生きていること

1 トラックが無人で走る世界
AIとUBI
2 働くことはみじめなこと、つまらないこと
経済的不平等とUBI
3 働くことへの執着と思い入れ
仕事とUBI
4 貧困をテクノロジーでハックする
世界的貧困とUBI
5 ツギ当ての貧困対策
インドのUBI
6 崖っぷちにしがみつく暮らし
福祉政策とUBI
7 格差と差別の歴史
人種差別とUBI
8 彼女たちの10兆ドル
女性とUBI
9 共生を成り立たせるために
多様性とUBI
10 毎月1000ドル
UBIの財源

あとがき 未来のビジョン

謝辞
索引
原注

アニー・ローリー (著) , 上原 裕美子 (翻訳)
出版社 : みすず書房 (2019/10/11) 、出典:出版社HP

はじめに 賃金支払いの条件は、あなたが、ただそこで生きていること

うだるように蒸し暑い7月のある日のこと。韓国と北朝鮮のあいだの非武装地帯を見下ろす都羅山という高台、その頂に建つ軍事施設に、わたしはいた。中央の建物は迷彩模様に塗装され、「分断の終わり、統一の始まり」という、希望のこもった言葉が掲げられている。建物の片側は大きく開けた展望台で、据え付けられた多数の望遠鏡が開城工業地区という特別区域のほうを向いている。つい最近まで、境界線の北に住む共産主義の労働者たちが、境界線の南に拠点を置く資本主義の企業のために、そこで汗を流して働いて全体で年間9000万ドルの賃金を稼いでいた(1)。展望台そばの小さな土産物屋でも、北の労働者が作った蒸留酒ソジュに並んで、非武装地帯で栽培される大豆にチョコレートをまぶした菓子が売られていた(お気に召さない場合は返品・返金に対応します、とパッケージに書かれている)。

展望台と別の側にはシアタールームがある。座席の前に広がるのはスクリーンではなく、北朝鮮の方角に開けた窓だ。手前のジオラマにラベルで説明がついている。旗がここ。ここが工場。これは主体思想を打ち立てた金日成の銅像。ほら、これの本物があそこにある、金日成の顔と手が見えるだろう?――と、中国人観光客がジオラマと窓を比べながら、暑さでぼんやりかすむ景色を指さす。

南北4キロにわたる非武装地帯の向こうから、北朝鮮が流すプロパガンダ音楽が鳴り響いている。メロディどころか言葉まで聞き取れる音量だ。ツアーガイドのスジンという女性に歌の意味を尋ねると、彼女は「いつものやつですよ」と答えた。「韓国人はアメリカ人にいいように利用されてるとか、資本主義の奴隷になってる韓国を北朝鮮が解放しに来るんだとか」。殺風景な荒れ野を前にしていると、そのいささかうぬぼれが過ぎるメッセージは、ひどく物哀しく感じられた。足元に伸びる未完成の南侵トンネルにも、展望台から見える位置に北朝鮮が建設したポチョムキン村〔国の貧しい実態を隠すために作った偽りの街並み。ここで言っているのは機井洞(キジョンドン)という村のこと〕にも、悲哀を禁じえない。この村には200世帯が居住していることになっており、平壌側の主張によれば、人々が集団農場で働き、保育園や学校や病院といった施設を利用している。だがソウル側の認識では、誰も住んでいないし、建物はがらんどうだ。兵士が照明をつけたり消したりして、生活実態があるように見せかけているにすぎない。北朝鮮が「平和の村」と呼ぶその場所を、スジンは「宣伝村」だと説明した。

わたしが参加していたツアーグループの何人かは、前後に広がる光景のあまりの落差に、思わず涙を浮かべていた。わたしもその一人だ。人間の選択が政府方針という形をとったとき、どれほど決定的に生死を分かつ威力を振るうか、これ以上にまざまざと体現する場所は存在しないだろう。ほんの少し前、ひと一人の寿命よりも短い年月を隔てただけの過去において、北朝鮮と韓国は一つの国家だったのだ。政治は一つ、経済の構造も一つだった。しかし冷戦で資本主義と共産主義がイデオロギーおよび政治の両面から対立するようになり、国は分断され、家族は引き離され、双方の国家に深い傷を残したのである。スジンは、北朝鮮が韓国から離れたことについて、「わたしたちの国家的悲劇」と言い切った。

大韓民国、すなわち韓国のほうは、第三世界から第一世界へ一気にステイタスをかけのぼるという、戦後それをなしえた数少ない国家の一つとなった。半島の分断から約15年後の1960年には、韓国の国民はコートジボワールやシエラレオネの人々と同じ程度に裕福になっていた(2)。2016年には、かつて韓国を植民地として無慈悲に支配した日本にも、所得レベルでほぼ並ぶほどに近づいている。金融会社シティグループの調べでは、韓国は2040年までに世界で最も経済的にゆたかな国家の仲間入りをして、いくつかの指標ではアメリカをもしのぐほど裕福となる可能性がある(3)。

一方で朝鮮民主主義人民共和国、すなわち北朝鮮のほうは低迷し、特に1990年代以降は深刻な破綻が進行している。国民は飢え、困窮し、道理のとおらぬ政治と増大する軍事力に支配されている。天災や戦禍を被っていない国家がこれほど悲惨な成長パターンに陥るのは稀なことだ。現在から2年ほど前の時点で、人口の推定40%は極貧状態にあった(4)。スーダンの2倍の割合だ(5)。この上に戦争でも起きたとしたら、40%どころでは済まなくなるのは間違いない。

もやに包まれ、有刺鉄線に囲まれ、アサルトライフルを携えた若い監視兵が行き来する展望台を離れても、2国の差はやはり歴然としていた。目に見えてわかるのだ。わたしにもはっきり見てとれた。境界線から韓国側には緑なす森が広がり、きちんとした高速道路が走っている。電線があり、列車があり、港があり、高層ビルがある。南へ1時間も行けばソウルだ。パリと同じくらいに国際的で文化的にもゆたかな都市で、インフラ面の充実ではニューヨークやロサンゼルスをはるかにしのぐ。ところが北朝鮮側は木々すら剥ぎ取られている。切り倒して薪にしたり、簡素な住宅建材として使ったりするからだ、とスジンが言っていた。道路の整備は最低限で車通りもない。建物は低く小さいものばかり。人間も同じだ。現在の北朝鮮の人々は、韓国の国民と比べて明らかに身長が低い(6)。栄養不足で成長が阻害されているのが一因だ。

わたしたちがたいてい「経済状況」と考えるものが、実はもっぱら政策の産物にほかならないのだということを、この2国はありありと、まざまざと、浮かび上がらせている。ものごとのありようは、そうなる選択をした結果だ。「その選択をしなかった場合」の可能性はつねに存在している。北朝鮮と韓国を隔てる非武装地帯ほど、落差を決定的につきつけてくる局面は他にないかもしれないが、しかし、どんな選択にも必ず「その選択をしなかった場合」の道がある。

想像してみてほしい。あなたの家の郵便受けに配達される小切手という形で、もしくは銀行口座への入金という形で、毎月お金が届けられる。

それで生活は維持できるが、あくまでぎりぎりという金額だ。シェアハウスなら家賃を払い、食費とバス代くらいはまかなえるかもしれない。刑務所から出所したばかりだとか、DVをはたらくパートナーから逃げなければならなかったとか、どうしても仕事が見つからないとか、そうした状態にあるとしたら、このお金で極貧状態には陥らずに済むだろう。何不自由なく暮らせるというほどではない。だが、使い道は自由だ。条件や制約はついていない。光熱費などの支払いに充ててもいいし、学費にしてもいい。家を買う頭金として貯めてもいい。煙草や酒に使ってしまってもかまわないし、なんなら、実家であてがわれた地下室で一日中アプリゲームやネットにふける暮らしに使ってもかまわない。仕事を辞めて芸術家になる、慈善活動に専念する、病児のケアにかかりきりになるといった使い道を選んでも問題ない。しかも、そのお金をもらうために何かをする必要は一切ない。ただ、毎月必ず、生きている限り受け取り続ける。年齢制限もない。子持ちかどうかは関係ない。住宅所有の有無も、犯罪歴の有無も関係ない。あなたはそのお金を受け取る。近所に住む人たちもみな同じようにお金を受け取る。

シンプルで、ラディカルで、そしてエレガントなこの提案には、名前がある。ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)だ。ユニバーサル(普遍的、全員一律)と呼ぶのは、コミュニティまたは国家の住民全員が皆同じように受け取ることを指している。ベーシック(基礎的)と呼ぶのは、最低限の生活が実現する金額であることを指している。そしてこのお金はインカム(所得)という位置づけであることを指している。

この発想自体は非常に古く、ルーツはイギリスのチューダー朝にまでさかのぼる。哲学者のトマス・ペインが著書で構想を書き記した。以降、歴史という大海をたゆたう知性の漂流物のように、過去500年のあいだ何度も海岸に流れ着き、打ち上げられを繰り返している(7)。特に経済革命の波と共に運ばれてくることが多かった。そしてここ数年ほど――中間層が縮小し、政府に対する信頼が薄れ、技術進歩が急速に進み、経済全体が“ウーバライゼーション(ウーバー化)”し、貧困対策として現金の力に注目した研究が多数登場している昨今――は、驚くほどの存在感をもち始め、ぼんやりした仮定の話ではなく、一部においてはほぼ現実の話として語られるようになった。マーク・ザッカーバーグ、ヒラリー・クリントン、黒人の人権を主張するブラック・ライブズ・マター運動、ビル・ゲイツ、イーロン・マスク……UBIへの心変わり、転向、支持を表明する著名人や活動の例には事欠かない(8)。ドイツ、オランダ、フィンランド、カナダ、ケニアでは試験運用を開始または進行しているし、インドも運用を検討中だ(9)。カリフォルニアでは一部の政治家が導入を試みている(10)。スイスではすでに国民投票にかけられ、導入は否決されたものの、推進派の期待を上回る支持が集まった(11)。

きわめて抜本的な政策変更であることは間違いない。社会契約、セーフティネット、そして働き方の本質を根幹から変える試みである。なぜそのような仕組みを採り入れようとするのか。しかもUBIを推す側の陣営には、普段なら決して一堂に会することのない主義主張が集まっている。フェミニズム、環境保護政策、政治哲学、勤労意欲に関する研究、人種差別に関する社会学研究など、実に多彩な領域がUBIについて声をあげている。

なかでも最も声高に叫んでいるのは、技術進歩に伴う失業問題という領域ではないだろうか。遠からず人間の仕事はすべてロボットに奪われると言われている。オックスフォード大学の経済学者らの試算では、大勢のホワイトカラーを含めアメリカの雇用の約半分が、技術進歩によって今にも消滅する可能性がある(12)。アナリストらの警告によると、トラック運転手、倉庫の箱詰め作業員、薬剤師、会計士、弁護士助手、レジ係、通訳・翻訳者、病理診断医、株式仲買人、住宅鑑定士などなど、ありとあらゆる仕事が危うい(13)。人間の労働に対する需要が今よりもはるかに少なくなる世界で、大衆が生活を成り立たせていくためには、UBIが必要不可欠だ、と推進派は述べる。全国200万人が加入するサービス従業員国際労働組合(SEIU)の元議長で、UBIを支持しているアンディ・スターンは、経済学者やアナリストが予測する雇用の先行きについて、「未来がわかるなどとは言わないし、絶対にそのとおりになるとは言わない」と断りつつも、「(もし)台風が来るのだとすれば、われわれの家に雨戸があるかどうか、ちゃんと考えたほうがいい」と語った(14)。

UBI推進の理由として、もう一つよく挙げられる点がある。こちらは明日の問題というより今日の問題に根差しており、推測の要素は少ない。アメリカをはじめとする高所得国家は、富の格差拡大および深刻な賃金低迷という悩みを抱えている。UBIはそれを改善する仕組みになるというのだ。中間層は縮小している。経済成長は富裕層の証券口座を太らせるだけで、労働階級の財布はふくらませていない。UBIは上位20%に入らない世帯への直接的な家計補助になる、と支持派は主張する。また、労働者の交渉力を高めると共に、雇用主に圧力をかけて、人材を維持するために賃金上昇と福利厚生の充実と労働条件改善に取り組ませるラディカルな力になる。毎月確実に入る1000ドルを当てにできるとしたら、時給7.25ドルの劣悪な仕事に従事する必要もないからだ。UBIを支持するシンクタンク「エコノミック・セキュリティ・プロジェクト」は、「莫大な富が存在する時代に、誰かが困窮生活を強いられるべきではないし、中間層の未来が永遠の低迷や不安しか望めないものであってはならない」と述べている(15)。

UBIは世界規模でも、アメリカ国内でも、貧困撲滅の強力な助っ人になりうる。2016年の時点で、アメリカではおよそ4100万人が貧困線を下回る暮らしをしていた(16)。月1000ドルの給付があれば、多くが貧困線の下から浮上する。そうなれば、パートナーから虐待を受けたり、病気がちだったり、天災に見舞われたり、突然に失職したりという事態がそのまま極貧生活に直結することはなくなるはずだ。地球上の最も裕福な文明圏ですら、そうした問答無用の転落が起きているのだから、低所得国家においてはなおのこと厳しい。すでに多数の国が貧困率低減のため、全員一律に無条件とまでは言わないまでも、何らかの形で現金支給の策を採り始めている。結果に手ごたえを感じた政策立案者や政治団体が本格的なUBI提供の道を模索している例もある。ケニアでは、アメリカに拠点を置く慈善団体「ギブ・ダイレクトリー」が、10年以上にわたって成人数千人を対象に毎月およそ20ドルの支給を行ない、UBIが安価かつ大規模に貧困撲滅に寄与しうると実証しようとしている。ギブ・ダイレクトリー共同創設者のマイケル・フェイは、わたしの取材に対し「極度の貧困を今すぐ根絶したいと願うのは、夢物語じゃない。実現できることだ」と語っている(17)。

自由至上主義寄りの推進派に言わせると、UBIによる貧困撲滅の試みは効果的であるだけではなく、効率的でもある。現在のアメリカの社会福祉制度をそっくりUBIに置き換えれば、役所仕事が大幅に軽減し、国民の生活に対する国家の干渉も減る。ようこそUBI、さよなら、保健福祉省、住宅都市開発省、社会保障局(18)。もろもろの政府事務所および地方自治体事務所を減らして、ついでに農務省の仕事も大幅に閉店だ。中道右派のシンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」に所属する政治学者チャールズ・マレーは、「ただお金を渡す、それがきわめて自然なソリューションだ」と言う(19)。「厄介な難題を一気に断つ手段だ。これ以上に洗練された解決策はない」

ロボットによって人間が駆逐される事態を防ぎ、労働者に交渉力を与え、中間層に活力をもたらし、貧困を撲滅し、役所仕事の煩雑さを軽減する……とても結構なことに思える。だが、UBIを導入するなら、政府は国民が生きている限り永遠に、いかなる状況においても定期的にお金を送り続けることになるのだから、その衡平性や政府支出や労働の意味について、さまざまな疑問が生じるのは当然だ。

わたしがこの構想を初めて耳にしたときにも、働き方への影響に懸念を抱いた。毎月1000ドルが配られるとなれば、大勢の労働者が仕事を投げ出してしまうのではないか。そうなるとアメリカは、ごくわずかな労働者の課税所得に頼って、賃金労働に従事しない膨大な国民を食わせていくはめになるのではないか。実際、賃金低迷のせいで、そしておそらくゲームやストリーミング動画のような低コストの娯楽に逃げ場所があるせいで、昨今では少なからぬ人たちが労働からドロップアウトしている(20)。そう考えると懸念を抱くのは当たり前だ。UBIを導入すれば、国家の最大の資產、すなわち国民の大多数が、生産性や創意工夫の意欲を失うのではないか。いや、それ以前に、技術進歩に伴う失業問題の対策としてUBIを実施するなら、ある意味でアメリカの労働者を見捨てることになるかもしれない。テクノロジーが支える活発な経済に労働者を参加させるのではなく、お金を握らせて体良く追っ払う形になるからだ。政治的信条の垣根を越えて、あらゆる経済学者たちが、同様の懸念を口に出している。

そしてUBIの狙いを実現するには莫大な費用がかかる。たとえばアメリカ国民の一人ひとりに毎月1000ドルを配りたいとしよう。ちょっと計算するだけで、この政策には年間およそ3.9兆ドルがかかることがわかる。それほどの支出が、現時点の他のあらゆる政府支出に加われば、連邦経費の総額は2倍以上になる(21)。当然、税金も2倍必要だ。そうなれば景気は冷え込み、裕福な世帯や大企業が外国へ逃げ出していくだろう。仮に現状の社会保障や、その他の貧困対策プログラムの多くをUBIに置き換えるのだとしても、なお年間に何千億ドルという支出増加は免れない。

さらにもう一歩下がって根本的なことを考えてみたい。UBIは本当に、希少な財源の使い道として最善と言えるのだろうか。労働階級に属する世帯、隠退した高齢者、子ども、失業者と同列に、マーク・ザッカーバーグやビル・ゲイツのような人々にも毎月1000ドルを与える仕組みのために増税するなど、合理的と言えるだろうか。金持ちに課税したうえで、ミーンズテスト〔給付金の受給要件を満たすかどうか行政側が審査すること。資力調査〕を通じて貧困と認定された人々だけに直接お金を配ったほうが、より効率的ではないのか。実際、メディケイド〔低所得者向けの医療費扶助〕や補助的栄養支援プログラム(SNAP)〔旧フードスタンプ〕は、そうした制度として導入されている。社会主義の北欧諸国でさえ、国家による補助には条件をつけるのだ。それにアメリカでも、その他の国でも、低・中所得層の世帯の多くは現時点でも一人当たり月1000ドル以上を何らかの形で政府から支給されている。SNAPや住宅補助などのプログラムを一掃し、その予算をUBIに架け替えるとして、現状のシステムよりも公正で効果的になる保証はあるだろうか。

哲学的な面からUBIに反対する見解もある。王子や王女ならともかく、国家やコミュニティに属する一般個人が生まれながらの権利として自動的に手当を与えられるなど、アラスカのような“産油国”でもなければ成立しえないことだ。なぜ無条件で人にお金をやらなければならないのか。見返りにコミュニティへの奉仕活動を義務づけたり、せめて就労努力はするよう求めたりしてはいけないのか。そもそもアメリカは、人が他人の施しで食いつなぐのではなく、自助努力で身を立てていくことをよしとする国だったのではないのか。

わたしはワシントンで経済および経済政策を報道する記者として、こうした議論や反論をさまざまに耳にしながら、漠然とした前例のない構想が世界的な関心事として育っていくのを目の当たりにしてきた。社会政策の秘策めいたものが、一般社会にも広く知られる話題になるとは、わたしのジャーナリスト人生で一度も経験したことのない事態だ。グーグルの集計によると、UBIを調べる検索回数は2011年から2016年で倍以上に増えた(22)。2000年代半ばの時点で、UBIがニュース記事で言及されることは皆無に等しかったが、それ以降は爆発的に増えている(23)。書籍、カンファレンス、政治家の会合、進歩主義者や自由至上主義者の議論、そして家庭の夕食の席でも話題にのぼるようになった。

わたしはこの経緯をずっと追い続けている。否決されたスイスの国民投票について記事を書いたし、現在の議論でもエビデンスの一つとして注目されるカナダのベーシックインカム実験についても記事を書いた。雇用のない未来を憂うシリコンバレーの投資家たちに取材し、無人走行車に試乗したりしながら、わたし自身の仕事がAIにおびやかされる時期が来るのはいつだろうかと思いをめぐらせたりもした。民主・共和双方の議員とも話をして、破綻しつつある中間層を支えるために国家は新しく大胆な再分配政策を採るべきか意見を聞いた。ベーシックインカム構想を熱狂的に支持するヨーロッパの知識人と酒を酌み交わしたこともある。国会議員の側近という立場の人たちから、UBIは2020年の大統領選の争点の一つになる、という意見も一度ならず耳にした。その他にもわたしが話を聞いたさまざまな支持者たちが、毎月の現金給付を当てにできる仕組みがなければ10年以内に世界中で数百万人が生活と雇用の安定を得られないプレカリアートに堕ちてしまうだろう、と断言した。そして哲学者たちは、仕事に対する考え方と、社会契約と、経済の土台が、今まさに革命的な転換を迎えようとしている、と確信している。

UBIについて知れば知るほど、わたしは夢中になる気持ちを抑えられなくなった。UBIは現代の経済と政治について実に興味深い問いを投げかけてくるからだ。アメリカのリバタリアンと、インドの経済学者と、ブラック・ライブズ・マター運動の活動家たちと、シリコンバレーのテクノロジー企業を牛耳る君臨者たちが同じことを望むなど、本当にありえるのだろうか。1日60セントで暮らすケニアの村人たちに適した政策が、スイスの中でも最も裕福な州の市民にも等しく適しているなど、そんなことがあるだろうか。UBIは魔法の特効薬なのか、それとも、見境なく釘を叩きたがる政策のハンマーなのか。哲学的な観点からも疑問がつのった。対価なしに育児や介護に携わる人々に何らかの補償はあってしかるべきではないのか。アメリカはこれほど裕福な国なのに、貧困に苦しむ児童が存在する事実がなぜ許容されているのか。この国のセーフティネットは人種差別主義的ではないのか。ロボットが仕事を奪う未来は具体的にどうなっていくのか。

本書は、新しく世界で広がりつつある政策のムーブメントについて解説し賛否を主張したいという狙いではなく、今掲げたような問いにわたし自身答えを出したいという思いで執筆を決意したものだ。リサーチの過程で、遠く離れたケニアの村々に足を運んだり、インドでも1、2を争うほど貧しい村でモンスーンが降らす雨のもと開かれる結婚式に列席したりもした。ホームレスのシェルターにも、議員のオフィスにも赴いた。経済学者、政治家、自給自足の農業従事者、哲学者にも取材をした。韓国で開催されたUBIカンファレンスに出席し、この構想の代表的な支持者や思索家たちと多く出会った。韓国と北朝鮮のあいだの非武装地帯で、人間の政治的選択がもたらす影響の恐ろしさと希望と深遠さについて考えずにいられなかったのも、本書のリサーチの途中で遭遇した体験だ。

こうしたプロセスを経て、今のわたしは確信している。UBIは、政策としての実現性が問われる具体的な提案であると同時に、一つの価値理念でもあるのだ。この構想は、全員一律、無条件、インクルージョン、シンプルさといった原則を掲げながら、すべての人間は経済への参加と、選択の自由と、困窮に苦しまない人生を享受するに値する存在なのだと訴えている。政府にはそれらを享受させる力があるし、実際にそう選択していくべきなのだ――月額1000ドルの給付という形になるにせよ、ならないにせよ。

本書は三部構成になっている。前半(第1章~第3章)では、UBIと仕事をめぐる問題を考察する。中盤(第4章~第6章)では、UBIと貧困という切り口から追究する。そして後半(第7章~第9章)で、UBIとソーシャル・インクルージョンについて掘り下げていく。最後に、さまざまな現金給付プログラムの約束、ポテンシャル、設計を探っていきたい。わたしがそうだったように、読者のあなたにも、この複雑で、斬新で、心奪われる方策の検討から多くを学んでいただければ幸いである。

アニー・ローリー (著) , 上原 裕美子 (翻訳)
出版社 : みすず書房 (2019/10/11) 、出典:出版社HP