【最新 – イーロン・マスクについて知るためのおすすめ本 – 生い立ちから彼の目指す未来まで】も確認する
テスラは何をもたらすのか
本書は、イーロン・マスク率いるテスラが巨大な自動車産業に与えた影響について書かれた本です。現在の自動車産業では、CASEと呼ばれる概念が提唱され、従来の自動車の概念を大きく変容させる動きがあります。この本では、その旗振り役となったテスラを取材した情報がまとめられています。
いつもそばにいてくれるステフに
目次
第一部 イントロダクション
第1章 モーターを動かせ
第2章 加速三・二秒の衝撃
第3章 電気自動車をめぐる戦い
第4章 炎上
第5章 ただの取引
第6章 航続距離への不安
第二部 パワー・シフト
第7章 自動車会社を立ち上げる
第8章 カリフォルニア・ドリーミング
第9章 中国の躍動
第10章 巨人が目を覚ます
第三部 開かれた道一
第1章 エレクトリック・アベニュー
第2章 石油時代の終わり
第3章 天国か地獄か?
第4章 ルネッサンス行きのクルマに乗って
付記
謝辞
※本文中、[ ]は訳注、また*は脚注があることを示す。
ブックデザイン TYPEFACE(AD: 渡邊民人、D:谷関笑子)
第一部 イントロダクション
第1章 モーターを動かせ
「自動車や太陽光、宇宙開発といった分野には、新規参入者が見当たらない」
私がある程度の期間ちゃんと乗っていた初めての自動車は、手動チョークのついた一九八三年式フォード・レーザーだった。元の塗装はゴールドだが、年とともに色あせてくすんだ茶色に落ち着いていた。一六歳の私はそのレーザーを「ブラウン=ブラウン」と名づけ、ニュージーランドの人口五○○○人の町アレクサンドラ中を乗り回した。
チョークの使い方以外、クルマのことはあまりよく知らなかったし、とくに知ろうとも思わなかった。私の父親は物理学者で、ブラウン=ブラウンの細々したあれこれをどう扱えばいいか心得ていて、メンテナンスもすべてやってくれていた 。私はただガソリンを満タンにして、何もないど田舎の凍結した裏道で立ち往生せずにいればそれでよかった。なんの不都合もなかった。
何年かたって、大学の休み中に自動車の仕組みを学ぼうとしたことがある。そのころには一九九一年式トヨタ・コロナに格上げしていた。私の基準からすればぜいたくなクルマで、チョークがないばかりか、トランスミッションもオートマチックだった。あるとき、クルマにくわしい友達が内燃エンジンの仕組みを説明してくれた。物理学者の父をずいぶんがっかりさせることになったのだが、当時の私は美大の学生で、メカのことはさっぱりだった。友達はたちまち私の鈍さに業を煮やし、私はこんなおそろしく複雑な魔法には永遠に手が届かないものとあきらめてしまった。それでべつに不都合もなかった。
私と自動車とのどっちつかずの関係は、その後もずっと続いた。二九歳のときに自動車産業の聖地アメリカに移住してからは、妻の二〇〇一年式ホンダ・シビックのハンドルを握り、これまでとは逆の車線をどうやって走るか、ハイウェイでアクセルを踏み込みたいという衝動をどうやって微調整して死を避けるかを学んだ。それでも点火プラグがどうして点火するのか、タイミングベルトがどうやってタイミングをとるのかといったことには無知なままだった。実のところ、運転はなるべくしないようにしていたし、クルマなんてないほうが世界はよくなると思うようにさえなっていた。テック系ニュースサイトの『パンドデイリー』に書いたある記事では、クルマをなくしてほしいとシリコンバレーに訴えたりもした。地球温暖化がどんどん進み、自動車事故より熱中症で死ぬ人の数のほうが多くなりそうなこの時代に、自動車や道路がもたらす環境コストはとうてい受け入れがたい。クルマは事故死をもたらし、健康を損ない、地球を殺そうとする有害な機関である。
誰がそんなものをほしがるのか?
もちろん、実際にほしがる人はいくらでもいたし、過去の歴史に将来が規定されるのはどうしようもない。人間はすでにあちこちの山を切り崩し、沼地を埋め立て、馬のない驚異の四輪馬車のためのガレージをこしらえてきたので、いまさらそれを捨てるというのは現実的ではないのだろう。おまえが言っているのは無責任な夢物語だというコメントが山ほど寄せられたあと、私は譲歩のため息をつき、踏ん切りをつけようとした。
テスラを知ったのは、ちょうどそのころだった。
私がパンドに加わったのは二〇一二年四月で、アップルの共同創業者でありCEOだったスティーブ・ジョブズが死去し、世界がいまだにスーパースターの喪失を嘆いていた時期だった。演出どおりに眉をぴくりと動かすだけで世界中の注意を引きつけ、スライドショーに二言三言つけ加えるだけでメディアを右往左往させられる、そんな人物を業界は失った。シリコンバレーは必死につぎの何かを探したが、結果は混沌としていた。iPhoneはそのころにはもう現状維持で、シリコンバレーの偉大なイノベーターたちは写真共有アプリや広告最適化ツールに関心を移していた。ソフトウェア・エンジニアは一般からの注目の総計を扱いやすいようにデジタル化し、ニュースフィードに配信することで何百万ドルも稼ぎ出していた。それ以外のアイデアは誰の関心も引かなかった。フェイスブックはいい、でも小人数のグループが相手だろう? オンデマンドのリムジンサービスもいい、でもお客は中流のサンフランシスコ人だけだろう? マリッサ・メイヤーもいい、でもヤフーだけの話だ。
そんな折、二〇一二年六月にテスラ・モデルSが登場した。華やかな発売記念パーティーが開かれたものの、初めのうちは誰もこのクルマのことをよく知らなかった。七万ドルの電気自動車のラグジュアリーセダン、それも最低価格帯でこの値段だという。発売記念イベントでテスラは一〇台分のキーをオーナーに渡し、今後増産するという計画を明かした。ジャーナリストたちは一〇分間試乗できただけだが、それでも自動車メディアやテック系メディアの想像力を捉えるには十分だった。『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙のダン・ニールはモデルSをランボルギーニになぞらえ、その驚くべき静粛性を絶賛してみせた。『ワイアード』誌は「運転するには完璧なシロモノ」と評した。このクルマのパフォーマンスモデルは、時速ゼロから六○ マイル(約九七キロメートル)への加速を四・二秒で達成した。これはセダンの形をしたスーパーカーと言っていい。
翌月にはテスラのCEOイーロン・マスクが、サンタモニカで『パンドマンスリー』のスピーカーシリーズに登場した。私は当時中国にいたが、そのイベントの映像をインターネットで観た。マスクのことはほとんど知らなかったものの、その言葉を飾らない大胆不敵さにたちまち引きつけられた。彼はすでにロケット企業のスペースXを立ち上げ、国際宇宙ステーションに物資を送り届けていた。太陽光発電のスタートアップ企業ソーラーシティを構想し、出資も行っていた。そしてテスラを育て、世界を化石燃料から切り離そうという意思をもっていた。「いま私が注力しようとしている分野は、人類の未来に最もポジティブな形で影響を及ぼすと思われるものだ」。マスクはそのイベントで、私の当時の上司サラ・レイシーに向かって語った。「インターネット方面へ向かう起業のエネルギーや投資はいくらでもあるが、自動車や太陽光や宇宙といった部門には、新たな参入が見られない」
私たちがどうしてもクルマと離れられないのなら、この男に電気自動車を作らせるのもいいかもしれない。そうすれば大気中への二酸化炭素排出にも少なくとも歯止めがかけられるだろう。そんなことを私は思った。
テスラについてさらに調べていくと、電気自動車のスポーツカーであるロードスターを二〇〇八年に売り出していることがわかった。初めてのクールなEVであり、電動モーターを動力とする自動車がゴルフカートより興味深いものになるという初めての実例でもあった。価格は一〇万ドル台で、買い手はだいたい金持ちやセレブだった。世間の注目を引くには悪くない方法だが、それだけでなく、電池の高価さを踏まえると経済的に必要なことでもあった。それでもマスクは二〇〇八年に、一○○パーセント電気で動くファミリーカーの話を始めていたのだが、形になるまでにはかなり時間がかかっていた。なぜだろうと私は思った。その後二〇一一年に〈電気自動車の逆襲〉というドキュメンタリー映画を観て、テスラが金融危機を生き延びるために必死だったことを知った。ニュースや雑誌の記事をいくつか読んでみると、マスク自身がポケットマネーから従業員の給料を払い、会社を支えていたという。二〇〇八年末には倒産の一歩手前まで来たが、土壇場で四○○○万ドルの投資があり、さらに翌年にはダイムラーが救いの手を差し伸べてくれた 。その後の数年間は、工場をひとつ買い、株式を公開し、モデルSを開発して、『モーター・トレンド』誌のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞した――この雑誌始まって以来の満票での受賞だった。やはりこのマスクという男、何か持っているのかもしれない。
二〇一三年なかばには、テスラの株価は一気に一六〇ドルを超え、市場価値は二○○億ドルに達しようとしていた。二〇一〇年に一株二〇ドルほどだったテスラ株を買っていた小口株主は、いまや大金持ちになっていた。マスクも有名になりはじめた――テック業界だけでなく、一般の世界でも。二〇一三年八月、その名声をさらに新しいレベルにまで高めたのは、ロサンゼルスからサンフランシスコまで乗客を三〇分で運べるという「第五の輸送手段」、いわゆるハイパーループの計画を発表したことだった。マスクはその青写真をひと晩徹夜して書き上げ、テスラとスペースXの企業ブログに掲載した。ハイパーループを自分で作る予定はないが、誰かが実現させてほしいとあった。その後マスクはさまざまな報道で取り上げられ、スティーブ・ジョブズ並みの注目を浴びるようになった。
ハイパーループの発表についての情報を『パンド』用にまとめるという仕事を課せられた私は、マスクはこの社会にとってジョブズ以上に重要な人物であると書いた。ジョブズはインターネットに接続できるポケットサイズの強力なコンピューターで世界に貢献したが、マスクにはまったく別次元の目的がある。つぎの写真共有アプリやつぎの「フラッピーバード」を開発するのではなく、移動手段や宇宙旅行のあり方を根本的に変えようとしているマスクは、まさに新世代の起業家のモデルケースとなっている、と。
その記事が出たあとで、ノンフィクション担当の編集者からメールをもらった。マスクについて本を書いてみる気はあるかというのだ。私はその提案についてじっくり考え、うん、たしかにいいアイデアだと結論を出した。そしてマスクに要請をしたのだが、驚いたことに彼は、かわりにテスラで働いてみないかと言ってきた。私はジャーナリズムから離れたくなかったので、しばらく二の足を踏んだが、結局は申し出を受けた。本にはいつでも戻ることができる。
私がテスラで過ごしたのはほんの一年あまりだったが、ジャーナリズムのことはいつも心のどこかにあった。私は二〇一五年三月にテスラを去り、やはり本に戻ってきた。本書を読むにあたっては、以下の点に注意していただきたい。そう、私はテスラの元従業員だ。あの会社のミッションを信じている。テスラの株も持っている。それでも私は、あくまで読者のためにこの本を書こうとした。テスラのどこがすばらしいのか、そしてどれほど切迫した難題を抱えているかを、フェアで明快な視点から紹介しようと努めた。
それでもこの本は、インサイダーの話ではない――そういう仕事はゴシップブログにまかせておこう。そしてテスラだけの話でもない。それよりはるかに大きなものの話だ。決意に燃えたあるシリコンバレーのスタートアップ企業がどうやって自動車産業全体を変え、そのあいだにカリフォルニアから中国に至る多くの人間を奮い立たせて、資金豊富な後発企業を続々と生み出させたかという話だ。この星に住むすべての人間に影響を及ぼす技術的、経済的な変化をシステムのレベルから見た話だ。つまりはテスラが始めた革命の話なのだ。
初めてテスラのモデルSに乗ったときには、これは車輪のついたコンピューターだと思った。デジタル制御装置、インターネット接続、ソフトウェアのアップデート、iPadに似たタッチスクリーンがそんな印象を作り出すのだろう。だがその程度の説明では、このクルマの本質を言い尽くせてはいない。テスラ車はすべてそうだが、モデルSも、車輪のついた電池と考えたほうがいいだろう。ボディーシェルとシートをはぎ取ってしまえば、このマシンは基本的に、低い位置にある金属のマットレスを四つの車輪が支える構造で、マットレスのなかには古いノートPCに使われていたような円筒形のリチウムイオン電池が数千も入っている。蓋をはがせば、電池が直立した状態で八つのモジュールに分かれ、行儀のいい小学生のようにぎっしりと何列にも並んでいるのが見えるだろう。この地味な形の電池がやがて、世界のエネルギー供給における石油産業の独占を終わらせようとしているのだ。
私たち人間が動力を得るのに、恐竜時代の遺物を燃やして空気を汚し、大気中に化学物質をまき散らすよりもましな方法があるーテスラはそんな発想の自動車だ。この考え方が当てはまるのは、クルマだけにとどまらない。テスラは充電池をエネルギー貯蔵装置としても販売している。二〇一六年にソーラーシティを買収し、商品のラインナップに太陽光パネルも加えてからは、マスクはいよいよ自らの意図をあきらかにしてきた。テスラはエネルギー企業であると。
これは電気自動車がどうして新しいエネルギー経済におけるトロイの木馬になり得たかを描いた本だ。二一世紀で最も重要なテクノロジーの話だと私は思っている。そして私もやっと、遅まきながら、内燃エンジンの仕組みを理解しようという気持ちになった――それがまもなく消えてしまう前に。