イーロン・マスクの言葉 (時代を変えた起業家シリーズ)

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イーロン・マスクの人物像に迫る

本書は、時代を変えているとされるイーロン・マスクについて、その考えや人物像を、彼の発言などから紐解いている本です。世界的な起業家としての働き方や現状に対する考え方、世界を大きく変えるバイタリティの根底にあるものなどが、数々の言葉から伝わってきます。

桑原晃弥 (著)
出版社 : きずな出版 (2018/10/23)、出典:出版社HP

はじめに

スティーブ・ジョブズが亡くなったあと、「ポスト・ジョブズは誰か」が話題になったことがあります。当時の最有力候補は、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスでしたが、いまや最も革新的で最もクレイジーな「ポスト・ジョブズ」は、間違いなくスペースXやテスラモーターズのCEOイーロン・マスクと言うことができます。

ジョブズのキャッチフレーズが「世界を変える」なら、マスクのキャッチフレーズは 「世界を救う」です。学生時代から「いずれ枯渇のときが来る化石燃料に、過度に依存した現代社会に変革をもたらし、人類を火星に移住させる」という、SF小説を凌ぐほどのクレイジーな夢を大真面目に語り続けていたマスクですが、当初はその言葉に真剣に耳を傾ける人はほとんどいませんでした。

人は「いまそこにある危機」には対処しますが、「やがて来るであろう危機」からは目をそらす傾向があります。マスクと同じ危機感を共有できる人は、ほぼいませんでした。
それはペイパルなどITの世界で成功してからも同様で、当初は「大金を手にした若造のほら話」くらいに思われていました。しかし、そこからマスクは破產覚悟の挑戦を続けることで、世界中の大企業が実現できなかったロケットと電気自動車をつくりあげることに成功。その評価は一転、いまや「クレイジーなイノベーター」の地位を確立しています。

本書にも登場しますが、人の心を動かすのはパワーポイント上の美しい図表でも、巧みな弁舌でもなく、実際に動く形あるものです。マスクが何を考え、何を目指しているかは、マスクがつくったロケットや電気自動車を見ればわかります。
ツイートを含めて、マスクの発言にはたくさんの批判が寄せられることがあります。テスラモーターズの将来を不安視する人たちもいます。しかし、マスクの掲げるビジョンは壮大で、その実現力や失敗にひるまない復活力、突破力はあまりに魅力的です。
本書はそんなマスクの「言葉」を収録したものです。その言葉を辿れば、マスクの生き方や考え方も自ずと浮き彫りになるはずです。現代は夢を持ちにくい時代ですが、そんな時代だからこそマスクの言葉は生きる力になると信じています。
マスクの言葉が明日への活力となり、みなさんの挑戦を後押しできれば幸いです。

桑原晃弥

イーロン・マスク小史

1971(0歳) 6月8日、南アフリカ共和国プレトリアで生まれる
1975(4歳) *4月、ビル・ゲイツがマイクロソフトを創業
1976(5歳) *4月、スティーブ・ジョブズがアップルを創業
1979(8歳) 両親が離婚。母親と南アフリカの都市を転々とするようになる
1981(10歳) プログラミングを独学する
1983(12歳) ソフトウェア「ブラスター」を自作、販売してお金を得る母親のもとを離れ、父親と暮らし始める
1988(17歳) プレトリアボーイズ高校で大学入学資格を得る
1989(18歳) 母親の出身地カナダに移住、労働の日々を送る
1990(19歳) カナダのクイーンズ大学に入る
1992(21歳) アメリカのペンシルベニア大学ウォートン校に入る
1995(24歳) カリフォルニア州のスタンフォード大学大学院に進むが、2日で中退 弟のキンバルと、ウェブソフトウェア会社「ジップ2」を設立
*7月、ジェフ・ベゾスがアマゾンのサービス開始(創業は5年7月)
1998(27歳) *9月、ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンがグーグルを創業
1999(28歳) ジップ2をコンパックに売却、2200万ドルを得る
オンライン金融とメール支払いサービス会社「Xドットコム」を設立
*アメリカでITバブルが始まる
2000(29歳) Xドットコムがコンフィニティ社と合併(のちに『ペイパル」となる)
2001(30歳) *9月1日、アメリカで同時多発テロ。ITバブルが終わる
2002(31歳) ペイパルをイーベイに売却、1億6500万ドルを得る
ロケット開発会社「スペースX」を設立、CEO兼CTOに就任
2004(33歳) 電気自動車会社「テスラモーターズ」に投資
*2月、マーク・ザッカーバーグがフェイスブックを創業
2006(35歳) 太陽光発電会社「ソーラーシティ」を2人のいとこと設立、会長に就任
テスラがスポーツカータイプの電気自動車「ロードスター」を発表
スペースXが初のロケットを打ち上げるが失敗
2007(36歳) *アメリカでサブプライム住宅ローン危機が急速に悪化
2008(37歳) テスラの会長兼CEOに就任
テスラがロードスターを発売開始
スペースXが4回目のロケット打ち上げで初の成功
*リーマン・ブラザーズ倒産を契機に世界的金融危機が起きる
2009(38歳) テスラにダイムラーが出資
テスラが高級電気自動車セダン「モデルS」を発表
2010(39歳) テスラとトヨタが提携を発表
テスラが株式公開
2011(40歳) 福島県相馬市を訪問し、太陽光発電を寄贈
*10月、スティーブ・ジョブズが死去
2012(41歳) 多くの富豪が参加する慈善活動「ギビング・プレッジ」に参加
スペースXの「ドラゴン」が国際宇宙ステーションとドッキングに成功
テスラがモデルSを発売開始
2013(42歳) 超高速輸送システム「ハイパーループ」構想を提案
2014(43歳) 来日して安倍晋三総理と会談
2017(46歳) ドナルド・トランプ大統領のもと、大統領戦略政策フォーラムのメンバーになったが、トランプがパリ協定離脱を表明したため辞任
2018(47歳) 「テスラを非公開企業にする」などの発言で、世界を騒がせる

桑原晃弥 (著)
出版社 : きずな出版 (2018/10/23)、出典:出版社HP

イーロン・マスクの人生

ここからはイーロン・マスクの人生を、ざっとまとめて書いてみたいと思います。後の本編で出てくる言葉と重複するところもありますが、最初に時系列で追っておくことで理解しやすくなると思うので、お付き合いください。

◆「出生~ペイパル」

イーロン・マスクは1971年6月23日、南アフリカ共和国の首都のひとつ(行政府) であり、アフリカ有数の大都市でもあるプレトリアで生まれています。
父親はエロル・マスク、母親はメイ・ホールドマン。3人兄弟の長男として育ちます。
父のエロルは地元のエンジニアであり、何かわからないことがあるとすぐに「どうなっているの?」と尋ねるマスクに、何でも教えてくれました。母親のメイは栄養士で、モデルもやっていたという美貌の持ち主です。しかし、マスクが8歳の頃に両親は離婚、マスクは母親に連れられて、弟や妹とともに南アフリカの都市を転々としています。
子ども時代のマスクの特徴は、無類の読書好きだったことです。1日に2冊の本を読み、ファンタジー小説やSF小説をたくさん読んだことが、のちの「世界を救う」につながっているかもしれない、とマスクは話しています。
コンピュータにも人一倍関心を持っていました。0歳でプログラミングを独学でマスターし、12歳のときに自作の対戦ゲームソフトを売り、500ドルを手にしているほどです。

12歳のとき母親のもとを離れて父親のところに行き、18歳で母親の出身地カナダに単身移住しています。アメリカの「やる気さえあれば何でもできる」という精神と、最新のテクノロジーへの憧れからですが、アメリカへの移住は簡単ではありませんでした。
隣国カナダで母親の親戚の家を転々としながら労働の日々を送ったのち、19歳でカナダのクイーンズ大学に入学。2年後に奨学金を得て、ようやくアメリカのペンシルベニア大学ウォートン校に進んでいます。同校で物理学と経済学の学士号を取得したマスクは、 1995年、応用物理学を学ぶため、スタンフォード大学の大学院物理学課程に進みますが「新聞などのメディア向けに、ウェブサイトの開発などを支援するソフトウェアを提供する」というアイデアを思いつき、わずか2日間で退学。
そして弟のキンバル・マスクとともにオンラインコンテンツ会社「ジップ2」を起業しています。これが初めての起業です。

しかし起業はしたものの、当時のマスクには資金がありませんでした。アパートより安い賃貸オフィスを借りて、そこで寝泊まりをして、シャワーは近くのYMCAで浴びて、たまに行くファストフードが唯一のごちそうという、貧しい生活だったと言います。
しかし、やがてITブームが到来。マスクの会社も順調に成長。1999年にコンパックに3億700万ドルで買収され、マスクも2200万ドルを手にしています。
そのお金を基にマスクは次の夢に向かいます。オンライン金融サービスと電子メール支 払いサービスをおこなう会社「Xドットコム」の立ち上げです。
ちょうどその頃、ピーター・ティールが創業したコンフィニティという会社も同様のシステム「ペイパル」を開発、オークションサイトの「イーベイ」で使われ始めていましたが、2000年にXドットコムとコンフィニティは合併、社名を「ペイパル」とし、最大株主のマスクは会長(のちにCEO)に就任しています。
すぐれたサービスを生み出しながら権力闘争も多かった会社ですが、ペイパルの成功こそが、マスクにその後の「世界を救う」ための挑戦を可能にしてくれたのです。

◆「ペイパル〜ロケット開発の夢」

2000年3月、Xドットコムとコンフィニティが合併して誕生したペイパルのCEO にはビル・ハリスが就任。マスクは会長となり、CFOにはピーター・ティールが就任しています。合併によって無益な競争から解放され、資金調達も順調に進んだこともあり、この合併も最初は成功したように見えましたが、両社の企業文化の違い、マスクとティー ルの考え方の違いもあって、社内での抗争は激しさを増していきます。
そのためマスクがハリスに代わってCEOに就任、Xドットコムへのブランドの統一を進めようとしたものの、マスクがシドニーオリンピックの観戦に出かけた隙を狙ってクーデターが勃発、マスクはCEOを解任されています。コンフィニティの創業者マックス・レブチンによる「ペイパルの乱」です。

代わってピーター・ティールが暫定CEOに就任していますが、この休暇中の解任劇はマスクにとって、トラウマになってもおかしくないほどの出来事でした。今日、マスクは週100時間といった猛烈な働き方をして、休みはほとんどとらなくなっていますが、この苦い経験が影響しているとも考えられます。
CEOを解任されたマスクは会社の相談役に棚上げされることになりますが、このとき怒りに任せて会社を辞めたり株式を売却していたら、いまのマスクはなかったかもしれません。「ピーターを支持して、いい人を貫いた」マスクは、ペイパルの筆頭株主として自らの資産を増やしています。マスクのもくろみ通りペイパルは順調に利用者を増やし、 2002年2月に株式を公開、時価総額は2億ドルに達しました。
この絶好のチャンスに、かねてよりペイパル買収を考えていたイーベイに会社を5億ドルで売却、マスクは1億6500万ドルを手にすることになりました。
この資金を基にマスクがまず乗り出したのが宇宙ビジネスです。
ただし、最初からロケット開発を考えていたわけではありません。最初に考えたのは、火星に「バイオスフィア」と呼ばれるミニ地球環境を持ち込んで、植物を栽培する構想でした。専門機関に費用を調査してもらったところ、マスクの手元資金で十分可能でした。

問題は必要な資材を運ぶためのロケットです。ボーイング社製のロケットを使うと、莫大なコストがかかります。マスクはより安い方法を求めてロシアに出かけ、交渉を重ねますが、ロシア製には信頼性が欠けていました。
普通はアメリカ製もダメ、ロシア製もダメとなれば、計画そのものをあきらめるところですが、マスクは「安くて信頼性の高いロケットを誰もつくっていないのならば、自分でつくればいい」と考えたのです。これが、マスクがロケット開発に乗り出した理由です。
2002年、マスクはスペースXを設立。火星への人類の移住を本気で目指すことになりました。マスクによると、かつて恐竜が絶滅したように人類にも滅亡の危機が訪れるとすれば、「多くの人を火星に運ぶ方法を考える必要」があり、それを可能にするのがスペースXのつくるロケットとなります。多くの人にとっては笑い話でも、マスクにとって「世界を救う」ことは長年の使命だったのです。

◆「スペースX、テスラ起業〜苦難の時代」

2002年、スペースXを設立したマスクが事業開始にあたって目指していたのは「宇宙分野のサウスウエスト航空」になることでした。同社は,格安航空会社の雄、として低価格、低コストを実現、企業としても優良企業として知られていますが、同様にスペース Xも宇宙ビジネスの「価格破壊」を実現しながら優良企業を目指そうとしました。
長い間、宇宙ロケットの打ち上げは各国政府の手厚い支援を受けた大手企業が担ってきています。そこでは軍需産業と同じく、価格やコストよりも性能や国の威信のほうが重視されています。そこに挑戦したのがスペースXですが、一方でロケットの開発にはとてつもないリスクがつきまといます。

1957~1966年まで、アメリカでは400基を超えるロケットが打ち上げられ、そのうちの100基以上が爆発したといいますから、スペースXのような実績を持たない民間企業が短期間(計画では設立から5ヵ月で打ち上げ)でロケットを開発して打ち上げるだけでなく、いずれは火星に人を運ぶなど、当時でさえあまりに無謀な挑戦でした。
さらに、ロケット開発には莫大な資金が必要になります。
当時、マスクはペイパルの売却によって1億ドルを超える資金を手にしていましたが、それでさえ国が用意する資金とは比較になりません。こうした不利な条件を抱えていたにもかかわらず、設立から10年足らずでロケットの打ち上げを相次いで成功させたばかりか、国際宇宙ステーションに物資や人を運ぶNASAとの巨額契約にこぎ着け、大手企業を押しのけた商業用の人工衛星の打ち上げも多数受注するようになったのですから、驚きです。
しかし、もちろんそこに至る道は平たんではありませんでした。
スペースXが初めてロケットの打ち上げに挑戦した2006年3月には、発射からわずか5秒で制御不能となり地上に落下しています。2度目の挑戦は2007年3月ですが、このときもロケットは空中分解して爆発しています。3度目の挑戦は2008年8月で、ロケットの第一段と第二段が切り離された際に爆発事故を起こしています。

「こんなことでへこたれるな。すぐに冷静になって、何が起きたのかを見きわめて、原因を取り除けばいい。そうすれば失望は希望と集中に変わるんだ」

マスクはこう言って、うちひしがれる社員を励ましましたが、じつはマスク自身もこの時期にはどん底を迎えていました。マスクは2004年に「テスラモーターズ」に出資、電気自動車の開発に取り組んでいましたが、こちらも「ロードスター」の開発が遅々として進まず、マスクは資金的に苦境に立たされていました。
テスラがロードスターの開発に要した期間は4年半、資金は1億4000万ドルにのぼっています。その多くをマスクは個人資産と個人で調達する資金で支えていますが、一向に車は完成せず、一方でスペースXの相次ぐ失敗もあって、「スペースXを取るか、テスラを取るか、それとも共倒れか」という選択を迫られることになりました。「共倒れ」にはもちろんマスクも含まれていました。

◆「奇跡を起こす」

自動車開発も宇宙ロケット開発も莫大な資金を必要とします。開発に要する期間も長くかかるし、当然そこには失敗のリスクもあります。だからこそ自動車や宇宙ロケットをつくることのできる国は限られていますし、国の支援を受けることで開発を進めている企業が少なくありません。そう考えると、マスクのように個人資産でこうした巨大産業に挑戦するというのはたしかに無謀といえますが、それを支えるのはマスクの「電気自動車の未来を切り拓きたい」「人類を宇宙に送り込みたい」という強い使命感です。だからこそマスクは、テスラとスペースXを救うために個人資産をつぎこみ、現金をつくるためにマクラーレンなどの金目の資産を次々と売り払い、友人に借金までして挑戦を続けています。

マスクの執念がようやく実る日が来ました。 2008年9月、これが失敗したらすべてを失うという4度目の挑戦の日。ついにロケ ット「ファルコン1」を軌道に投入することに成功しました。
それは周囲の「できるわけがない」という侮蔑を覆す快挙であり、マスクは「この地球上で達成できたのはわずか数カ国しかありません」と高らかに勝利宣言をしています。
最高の瞬間でした。しかし、一方にはテスラの破産の危機も迫っていました。テスラを救うためにマスクが取り組んだのが、NASAとの交渉でした。ちょうどNASAが宇宙ステーションへの補給契約の相手を探しており、4度目の挑戦でロケット打ち上げに成功 した実績を背景にマスクは交渉を進め、2008年2月に6億ドルのロケット打ち上げ契約(2回分の補給契約)を獲得しています。 「この契約のお陰で倒産の危機を免れることができたテスラも、ようやく2008年に超高級スポーツカータイプの「ロードスター」を発売することができました。
発売当初、大手自動車メーカーの反応は冷ややかなものでした。「あんな車は誰でもつくれる」と無視していましたが、電気自動車にしてスポーツカーというコンセプトが受けたのか、俳優のレオナルド・ディカプリオやブラッド・ピット、ジョージ・クルーニーや、カリフォルニア州知事も務めたアーノルド・シュワルツェネッガー、グーグルのラリー・ペイジといった著名人の支持を得ることができました。

同時にロードスターは電気自動車に対しての一般的な「ダサい」というイメージを覆し、 電気自動車でもすごい車がつくれることを証明したという点で画期的な車となりました。
マスクの望んでいた最初の革命は起こすことができたわけですが、次なる問題はスペースXと同じく「より良く、より安く」を実現することでした。それが実現できて初めてマスクの「世界を救う」に大きく近づくことができるのです。

◆「栄光か挫折か」

最初の打ち上げに成功して、NASAとの大型契約を締結して以降、スペースXは下請け業者に頼ることなく、すべてをアメリカ国内で、自前でロケットをつくり上げることで圧倒的な低コストを実現しています。たとえば日本のHIIAロケットの打ち上げコストが約1億ドルとすると、スペースXのファルコン9は約6000万ドルと、3~4割安くなっています。これでは「宇宙ロケットのライバルで脅威を感じているのはスペースXだ」と日本の関係者が危機感をあらわにするのも当然のことです。

NASAからの信頼も厚いものがあります。
2014年9月、NASAはスペースシャトルの後継機として2017年に初飛行を目指す有人宇宙船の開発を、当初ボーイング一社のみと見られていた下馬評を覆して、スペースXが5億ドルで受注しています。
さらにマスクはこれまで使い捨てが常識だったロケットを何度も使えるようにしようと挑戦を続け、2015年には陸地の発射場、2016年には海上のはしけ船にまっすぐ着地させることにも成功しています。打ち上げにかかる燃料費30万ドルに対し、ロケット本体のコストは6000万ドルです。もしマスクが言うように一基のロケットを百回使うことができるようになれば、ロケット打ち上げのコストはほとんど燃料費だけでよくなります。

もちろんすべてが計画通りにいくわけではなく、さまざまな失敗もしていますが、こうしたコスト構造が可能になれば、マスクの目指す低価格でのロケット打ち上げ、そして火星へ低価格で人を運ぶという夢物語が俄然現実味を帯びることになります。
ロケット打ち上げの低コスト化が進むのと同じように、テスラがつくる電気自動車価格化も着実に実現しようとしています。ロードスターは10万ドルを超える高額な車だが、2012年に「モデルS」、2015年にSUV車「モデルX」を発売。2017 年に生産を開始した4ドア車「モデル3」は「3万5000ドルから」と、一般の人でも手が届く価格に近づきつつあります。いまはまだ量産化の壁を前に悪戦苦闘していますが、この壁を乗り越えることができれば「モデル3」の人気は他車を圧倒するものとなるはずです。
インフラの整備にも積極的で、充電スタンド「スーパーチャージャー」の拡充や特許の無料開放など、電気自動車の本格普及に向けて着々と手を打っています。 その間、大手自動車メーカーのダイムラーやトヨタ自動車から資本提供を受けたこともあれば、2010年にはアメリカの自動車メーカーとしてはフォード以来という株式公開 を果たしてもいます。リコール問題や生産の遅れなどいくつもの問題がありましたが、いずれも乗り越えるか、何とか乗り越えようとします。

あのスティーブ・ジョブズも、たしかにいくつもの業界で革命を起こしましたが、マスクが乗り込んだ業界は自動車やロケット開発、電気事業とまさに国家的な事業ばかりです。
言わば、国家を相手にして革命を起こしたという点で、マスクの企業家としての評価は危うさの一方で、「不可能を可能にしていく経営者」として世界の注目を集め続けています。
そうした注目度の高さから、ときに「何気ないつぶやき」がテスラの株価を大きく下げることもありますが、もしいまの勢いで会社を経営し続けることができれば、10年後の自動車市場はいまとは違うものになるでしょうし、もしかしたら火星に向かってロケットが打ち上げられるかもしれません。イノベーションの条件は「クレイジー」であることですが、まさにマスクはみんなが「クレイジー」という夢を、本当に実現する正真正銘のイノベーターなのです。

さて、いよいよこのあとの本編では、マスクの「言葉」にふれていきましょう。

桑原晃弥 (著)
出版社 : きずな出版 (2018/10/23)、出典:出版社HP

目次

はじめに
イーロン・マスク小史
イーロン・マスクの人生

第1章 すべては壮大なビジョンから始まる
001 常に世界を劇的に変える何かに関わりたいと思い続けてきた
002 私は投資家ではない。未来に必要な技術、有益な技術を実現したいだけなんだ
003 世界の未来にとって重要だと思うことがいくつかある。その中でも私が自分自身の努力で。変えられると思っているものを、EVのテスラとスペースXでおこなっている
004 自分でなくても世界を変えられる人がいる
005 ほとんどの人は何も知らないんだ
006 私たちは暗闇の中を導く光のようなものです。
私たちの事業により、電気自動車の導入が5~10年早まりつつあります。
それは人類という生物種が生き延びるうえでは重要な時間です
007 人類は限界に挑む意欲を失ってしまった
008 大事なのは、私が火星に行けるかどうかではなく、数多くの人々が行けるようにすることだ
009 1%の危機というのはなお、相当な努力を費やす価値があるのです
010 明るい未来を信じられる仕事を創ること、それこそがリーダー自身の誇りにも繋がっていくと思うのです
011すべての大木も元は小さな種。大事なのは成長率だ

第2章 最高のアイデアも、 実行しなければゴミと一緒
012 EVのアイデア自体はかなり古くからあったのに、なぜ誰もつくらなかったのか。それはアイデアを実行することが、思いつくより難しいからだ
013 こうなったら自分でロケットをつくるしかない
014 あなたが会社をつくるつもりなら、最初にやってみるべきことは、実際に動く試作品をつくることです
015 ほかの車のひどさを知ることも重要だ
016 私はものづくりが好きだし、多くのイノベーションを注ぎ込める分野だ
017 スケジュールに関しては楽観的だったかもしれませんが、結果について大げさな約束をしたことはありません
018 巨大自動車メーカーが、私たちを恐れる必要はありません。彼らが恐れるべきなのは、競合他社がテスラ社を模倣していくことです
019 お客が車を本当に気に入ってくれたら、自然に我々の宣伝をしてくれます
020 そんなことは百も承知だ。これまでそんな車がなかったんだから当たり前だ
021 私は何をおこなうにも冷静に判断を下す
022 組むのは、その分野でベストなサプライヤーだ

第3章 本物のイノベーションは、 クレイジーの先にある
023 恐れは理にかなったものとして無視する。理にかなっていても、前に進むのが遅くなるから
024 インターネットとか財務とか法務に詳しい賢い人間が多すぎると思うんだ。そういうこともイノベーションがじゃんじゃん生まれてこない理由なんじゃないかな
025 宇宙ロケットの打ち上げコストを100分の1にまで引き下げる
026 いま望まれているのは、絶対衝突しなくて、飛行機より倍速く、動力源は太陽エネルギーで、駅に着いたらすぐに出発できる移動手段だ
027 10年前、アップルの製品をどのくらいの人が知っていたでしょうか?
028 始めた当初こう思っていました、「スペースXは確実に失敗する」
029 我々がやっていることはジャングルの中で道を切り拓くようなものだ。後ろに地雷を埋めるようなことはしたくない
030 テスラのライバルはEVメーカーではなく、膨大な数のガソリン車だ
031 テスラが上場を果たすなど5年前は誰も予想しなかった。世界はひっくり返った
032 ずっと同じものの見方をしていては、いつまで経っても変わりませんよ
033 どんなものにもためらってはいけません。想像力が限界を決めてしまいます
034 それは可能と不可能のちょうど境界線上にあるもののひとつです
035 自動車は完全に電気に移行する。それがいつなのかが問題であって、なるのか、ならないのかは問題にならない

第4章 絶望は強烈なモチベーションになる
036 貧しくてもハッピーであることは、リスクを取る際に大きな助けになります
037 私はこれまでもこれからも決してギブアップしない息をしている限り、生きている限り、事業を続ける
038 いいところを聞くのも嬉しいことですが、批判の声に耳を傾けるほうが大事です
039 問題があったのは事実だが、原因をきちんと究明すれば乗り越えられる。立ち止まる必要はない。前に進もう
040 前に進めないような邪魔なルールがあるなら、ルールそのものと戦わなきゃならない
041 いまだに片足は地獄に突っ込んだままだが、このカオスからも、あとひと月もすれば解放されるだろう
042 私はサムライの心を持っています。失敗で終わるくらいなら切腹します
043 結果が出ていなければ、その努力はやめる必要があります
044 困難が多い事業こそ、やりがいが大きくて面白い
045 絶望は、がんばろうという強烈なモチベーションにつながります

第5章 圧倒的な成果が欲しければ、 地獄のように働くしかない
046 起業家は毎週100時間、地獄のように働くべき
047 こういう出来事があるから、休暇は頭痛の種なんです
048 最初からそんな甘えたスケジュールにすべきではありません。そんなことをしたら、無駄に時間を多く使うに決まってますから
049 私のデスクはこの工場で一番小さいし、しかもそこに座っていることなんて 。 ほとんどありません。私は象牙の塔なんかに引きこもりません
050 このプロジェクトの責任者をやりながら、2つの会社のCEOもやる。私なら実現する
051 人生は短い。そう考えたら、懸命に働くしかない
052 社員が苦痛を感じているなら、その何倍もの苦痛を感じたいのです
053 尋ねるべき質問が何かを考え出すことが大変なわけで、 。 一度それができたら、残りは本当に簡単だ
054 君は不可能を可能にするためにこの会社にいるはずだ。 。 できないのであれば、ここで働く理由が僕には理解できない

第6章 成功には「才能の集中」と「重力」が欠かせない
055 企業をつくるときに大切なことは、才能の集中
056 クビにするタイミングを先送りすればするほど、とっととクビにしとけばよかったと後悔する時間も長くなる
057 これから会社に寄生する大量のフジツボたちをこそげ落とすところです
058 略語の過剰な使用は、コミュニケーションの邪魔になります
059 ダサくて高い車もつくれるし、格好よくて高い車をつくることもできる。大企業は企業の歴史や文化に縛られ過ぎるのかもしれません
060 不可能を恐れず、狂ったように挑戦的なプロジェクトに、タイトなスケジュールでも取り組める人材を求めている
061 ずっとアウトサイダーではいられない
062 何をすべきか考えたことがあるのか。私たちは世界を変えようとしているし、歴史を変えようとしている。やるのか、やらないのか、どちらかはっきりしてもらいたい
063 私は物理と商業を学びました。何かをつくり出すためには、 大勢の人を取りまとめ、協力してもらう必要もあると思ったからです
064 間違いは直してあげるのが当たり前だと思っていたけど、 。 それで本人の働きぶりが悪くなるとはね

第7章 お金は「人類を救うため」に使え
065 ゆっくりやって利益を出すか、早く進めて利益は二の次か。私は後者を選んだ
066 金儲けのために悪魔に変身してしまう人間もいるが、大切なのは、そのお金を何に使うのかという目的をはっきりさせておくこと
067 気を散らすものや短期的思考から可能な限り解放される
068 最後の1ドルまで会社のために使いたい
069 私が考えたのは「お金を儲ける一番いい方法にランキングされているものは何だろうか?」 。 ではなく、何が人類の未来に最も影響を及ぼすだろうということでした
070 最悪の事態になったらテスラを買収してほしい
071 優れたEVをつくっている限り、テスラの存在意義があるのです
072 「私たちは世界に役立つことをしている」。それが一番大事で、それこそが私のモットーです

第8章 世界を変える男の私生活
073 女性には週にどのくらい時間を割けばいいのか、2時間くらいか
074 学校の図書館でも近所の図書館でも読むものがなくなった
075 アメリカの「やる気さえあれば何でもできる」という精神に惹かれていました
076 平均して女性1人あたり2・1人の子どもをつくりなさい
077 いまの子たちには、逆境を人工的につくるしかないね
078 僕と一緒になるということは、苦難の道を選んだことになる
079 ええ、そこにありますよ。最速の車がね
080 火星で死にたい。衝突事故ではなく

あとがき・参考文献

桑原晃弥 (著)
出版社 : きずな出版 (2018/10/23)、出典:出版社HP