響映する日本文学史 (放送大学叢書) 

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文学にもつながりがある

古典から近代に至るまで、ひとつの文学作品は別の作家を生み、作家たちは作品や作者は新たな作品を作り続けてきました。お互いに響き合うことで文学は発展してきたのです。本書では、魅力的な古典の名作の原文に触れ、作者や作品同士の関連性・類似性を明らかにすることができます。

島内裕子 (著)
出版社 : 左右社 (2020/11/11) 、出典:出版社HP

目次

はじめに

第一章 『古今和歌集』の影響力

第二章 『源氏物語』と日本文化

第三章 『和泉式部日記』と『更級日記』の近代性

第四章 批評文学の源流、『枕草子』と『徒然草』

第五章 謡曲というスタイル

第六章 松尾芭蕉の旅と人生

第七章 本居宣長の学問

第八章 和漢洋の体現者・森鴎外

第九章 夏目漱石と、近代文学のゆくえ

島内裕子 (著)
出版社 : 左右社 (2020/11/11) 、出典:出版社HP

はじめに

本書は『響映する日本文学史』と題して、古典から近代に至る、わが国の代表的な作品と作者を取り上げて、それぞれの作品や作者が内包している現代人へのメッセージを読み取りたい。その際に、日本文学の全体像が明らかになるように、「文学とは何か」という大きなテーマへも、視野を広げたい。そのためにも、それぞれの作品ごとに、ぜひとも「原文」に触れたい。原文を目の当たりにして、じかに作品の息吹に触れたいからである。文学作品はその内容だけでなく、本居宣長も『古事記伝』などで述べているように、「文体」に注目することが重要である。表現や文体がきわめて重要な意味を持っているからである。引用掲載する原文は、それ自体が「日本文学名作選」となることを願って、できるだけ多くの例を挙げた。

内容と文体の両面から、作品の息吹にじかに触れることを本書は目指していると述べたが、それではいったい、「じかに」とは、どういうことなのだろうか。書写によって写本が伝わってきた古典文学の場合には、現代人が「原文を読む」と言っても、原作者が書いた原文そのままを読めることは稀である。「原文を読む」とは、ほとんどの場合、研究者や注釈者によって「校訂された本文を読む」ことなのである。それは現代に限らず、古くから行われてきたことであるから、おのずと各作品の背後に広がる、長年にわたる注釈史・研究史を、現代人が共有することになる。そのような文学上の親密感を大切にしたい。

文学における親密感は、同時代と異時代とを問わず、作者同士の繋がり、作品同士の関連性や類想性を明らかにする。そこに着目することによって、日本文学内部の領域だけでなく、広く世界の文学、さらには歴史や社会、芸術や思想など、世の中の全般がおのずと視野に入ってくると思う。

本書は、平成二十一年(二○○九)から四年間放送された、『日本文学の読み方』の印刷教材を基にしているが、今回、放送大学叢書の一冊に収められるにあたり、章立てを取捨選択し、章の配列を多少変更し、記述内容についても十分に意を尽くすように適宜補足するなどして、私の文学観が明瞭になるように心懸けた。言わば、自分がかつて全十五章を執筆した印刷教材を基盤として、今一度、新たな気持ちでそのエッセンスを書き下ろす姿勢で臨んだ。

私は、これまで自分の著作の中で、しばしば「響映」という言葉を用いて、日本文学を研究してきた。「響映」という熟語は、ある時、ふと、心に浮かんだ言葉だった。意味は、読んで字の如く、「響き合い、映じ合う」ことである。今のところ辞書などにも出ていないようで、見馴れない熟語かもしれないが、本書を執筆しながら、この「響映」という言葉を書名に出して、響き合い、映じ合う文学史の姿を明らかにしたいと思った。本書の各章それぞれが、日本文学の新たな読み方への扉となれば、幸いである。

なお、この場をお借りして、本書の編集を担当してくださった左右社の筒井菜央さん、そして、放送大学叢書で既刊の、拙著二冊『徒然草をどう読むか』『方丈記と住まいの文学』も含めて、今回もいろいろお世話になりました小柳学さんに、心より感謝します。

令和二年八月二十五日
島内裕子

島内裕子 (著)
出版社 : 左右社 (2020/11/11) 、出典:出版社HP