日本政治史 — 現代日本を形作るもの

【最新 – 日本政治について学ぶためのおすすめ本 – 幕末以降の政治史から現代の政治まで】も確認する

日本政治を軸に感性を育む

本書は、幕末から55年体制成立までの日本政治の通史を扱っており、内政・外政ともにバランスよく記されている一冊となっています。また、内閣の活動内容やその政治過程などの記述が豊富であり、日本政治史の基本的な知識を得る上で非常に有益な本となっています。

清水 唯一朗 (著) , 瀧井 一博 (著), 村井 良太 (著)
出版社 : 有斐閣 (2020/1/28) 、出典:出版社HP

はじめに 日本の来歴――現代日本を形作るもの

日本政治史を学ぶ意義

本書は,大学での日本政治史の入門講義用テキストを意図して編まれている。もちろん,一人でも学べるよう工夫し,また,大学生に限らず,歴史好きの高校生や,海外と/で仕事をするような社会人が広く手に取ってくれると,とてもうれしい。

日本政治史は,「近代日本の政治権力に関する歴史的分析であり,政治権力を中心として見た近代史」であると定義される(北岡2017:ⅲ)。また,こう定義した北岡伸一が教科書の副題に「外交と権力」とつけたように,内政と外交の連関を重視する日本政治外交史の伝統がある。それは世界の中の日本という視座であり,本書も同様である。さらに,内政と外交が結び付くところには,生活があり思想があり文明史への広がりも含まれる。

そもそも日本政治史を学ぶ意味はどこにあるのだろうか。第1に,史実を学ぶという意味がある。本書は,現在の日本政治史研究が示す理解の最先端をわかりやすく提供することをめざしている。その観点から日本政治にかかわる歴史上の基本的な事実とその相互の結び付き,変化が明らかにされ,現在の私たちがどのような世界に生きているのかの歴史的見取り図が与えられる。もとよりエピソードも重要であり,登場する人物の生涯には自らを励ますものがあるかもしれない。

近年,歴史とは歴史家の語りたい物語に過ぎないのではないかという疑念を耳にすることがある。また,残された史料から現実を再現することも,そもそも可能なのだろうか。さらに,先に日本と中国との間で行われた歴史共同研究でも双方の見解が時に分かれたように,国境を越える歴史というものはないのではないか(北岡・歩2014)。これらは,それぞれに傾聴すべき論点を含んでいる。しかしながら,史料などから裏づけられる尊重されるべき史実,共有できる史実というものはあり,史料の精査に立脚した歴史内在的な討論を通して,真実の漸近線(交わらないが限りなく近づいていく線)を描くことはできるのである。

第2に,日本政治史を学ぶことには,その方法を学ぶという意味がある。政治史は政治学における一つの方法であり,政治学における歴史分析である。それは政治学と歴史学の2つの学問領域が交わるところにある。政治学の中でいえば,歴史研究は事例研究の一つであり,過去にあった重要な政治的出来事を歴史資料等によって明らかにする。もとより何が重要であるかは問いによっても異なる。史料は大きな導きとなるが,史料を並べれば歴史が書けるわけではなく,史料や史実は分析されなければならない。政治史においては,エリートへの着目やリーダーシップの態様,制度の影響など関心の集まる領域があるが,いずれも全体の中に位置づける必要があり,時に諸外国の事例や同じ国の異時点間での比較が行われ,理論的知見が分析に活かされる。

政治史のもう一つの側面は歴史学としての面である。そもそも史料には真贋があり,どちらの史料がより信頼に堪えるかという問題がある。史料批判といわれ,時間が離れた史料よりは直近の史料,第三者の史料よりは当事者の史料.史料の目的や残り方によっても問題への証明上の信頼性は変わってくる。同じ史料でも問いによって有効性は異なるのである。歴史家は新史料の発掘と紹介に大きな意義を見出す。しかし,新史料だから価値があるという単純な話ではなく,新史料によって古典的史料に新たな光が当たることもしばしばである。もとより本書では原史料はほとんど登場しないが,このような史料との接し方が本書の叙述の土台となっている。ぜひ専門書に読み進み,注を見てほしい。

なお,歴史分析の方法に親しむことには2つの効用がある。一つは目利きとしての効用である。歴史リテラシー(歴史読み書き能力)といってもいいが,単なる物知りを越えて,ぜひ歴史書の評価者になってほしい。書かれていることの根拠,そして書かれていないことに注目することで,議論の信頼性を推し測ることができる。もう一つは自ら歴史の書き手となることをお勧めしたい。例えば自らの暮らす地域はどのような歴史をたどってきたのだろうか。図書館や博物館はもとより,近年では,文書館を完備する地方自治体も増え,地方史も活発である。また,自らの家族の移動に注目してもよい。自らの職業の歴史をひもとくことも有意義である。歴史を読み,歴史を書くことは最高の遊びの一つである。その際にも日本政治史は重要な見取り図を提供するだろう。

そして第3に,政治を学ぶという意味がある。すなわち,歴史から政治を学ぶことができる。私たちは日々,政治との深いかかわりの中で生活している。政治には人々を結び付ける力もあれば,人々を引き離す力もある。政治にばかり心を奪われることも不健全だが,人任せにしてしまうにはあまりに重要である。近代日本の歴史は政治の加害性を最も明らかなかたちで提示したし,災害後の救済や所得の再分配,防衛,公共財の提供など,政治にしかできないことも多い。私たちが生きる現代日本の政治体制は人権とデモクラシーによって基礎づけられている。それを日本の歩みを通じて理解することは,日本で生活する者の一つのたしなみであろう。

民主政治のもとで生活する中で,私たちはデモクラシー共同体の一員として政治の担い手であり,本書の読者の多くは選挙権をもつ有権者共同体の一員でもあるだろう。有権者共同体には,有権者でない年少者,外国籍者,生まれてもいないまだ見ぬ人々,そして人類への責任もある。本書が,政治の危険性と可能性,そして有権者の役割について,感受性や想像力を磨く手がかりになればよいと思う。

なお政治史を通して政治を学ぶ際に留意すべきは,そもそも自由な政治史研究ができる社会は当たり前ではないということである。政治史は自由な社会を必要としており,自由な社会は政治史を必要としている。そしてそれは歴史的に形成され,失われうるものである。

学びの環境変化

近年,大学での日本政治史の学びの環境は大きく変化している。一つには,高校での学びの変化である。歴史が暗記科目であるといわれて難問・奇問の知識を競っていたのは遠い昔のことで,大学と同様,基本的知識の上に立って自ら考えたり調べたりするアクティブ・ラーニングの力がますます求められるようになっている。さらに,2022年度に入学する高校新入生から近現代の日本史と世界史を学ぶ「歴史総合」が必修化される。このような変化は,もう一つの新必修科目「公共」が主権者教育を重視することともあわせて,政治学的感性と歴史学的感性を併せ持つ政治史の観点から歓迎される。中学ではそもそも世界史と日本史をあわせた,いわば歴史総合であった。高校は義務教育ではないが,私たちの社会が重力の働きや進化論などと同様,等しく共有すべきと考える歴史が,より詳細な像を結ぶことになる。そして,ほかならぬ日本の政治経験を学ぶことの意味は,自らの来歴を説明できること,そして日本国民が主権を行使できるのはデモクラシー共同体としての日本だけである点で大きい。

第2の変化は,第二次世界大戦後の歴史が長くなったことである。歴史研究にはその時々の問題意識が投影される。敗戦後の歴史学がまず追究したのは目の前の貧困の問題であり,平和の問題であった。第1段階として,日本政治史が問うたのはまず敗戦という過ちへの日本固有の道であり,民主主義の不十分さであった。それは他国にとっての反面教師であった。ところが,奇跡的といわれる復興から高度経済成長を果たして豊かさを享受し,クーデタも起こらない。1964年の東京オリンピックがそうであったように,「東洋で初めて」とか「アジアで唯一」といった言葉が好んで使われるようになると,非西洋諸国で日本だけが成功した固有の原因が問われる第2段階を迎えた。それには発展途上国のモデルを探す意味もあった。

現在は第3段階である。その後,東アジアの国々も豊かになり,比較的平和になり,民主主義を享受する社会も多くなった。日本は低成長と人口減少と世代構造の悪化が憂慮されるようになった。「日米関係が世界で最も重要な二国間関係である」と述べたのはマンスフィールド元駐日アメリカ大使であったが,「失われた20年」と呼ばれた冷戦後の経済停滞と政治的混乱を経験して,その地位は明らかに低下している。少なくとももはや「唯一」の存在ではない。

「唯一」でないことは,しかし悪いことではない。人口縮小が安定してもなお日本は国際比較の中で小さな国にはならない。日本の行動は国際社会で小さくない意味を持ち続けるのである。私たちは個人として世界と直接結び付く機会があるとともに,国家を通しても国際社会と結び付いている。唯一でなくとも小さくもない日本の道行きを考える時,日本語で日本を中心に人類の歩みを学ぶことの意義は大きいといえよう。本書は日本がある気象条件や地理条件,歴史的条件などからユニークであるとともに,ある条件が揃えばどこででも起こりうることであり,本質的に他国史と異ならないものとして理解している。

また,敗戦からの時間的距離は過去から学びうる可能性を高める。国際政治学者の高坂正堯はフランスの政治指導者ド・ゴールの青年時代を論じる中で,百年以上もの間,王政への復帰を説く反動派と革命の理想の実現を求める急進派の間に引き裂かれてきたフランスにおいて共和制が自明なこととなる中で,かえって革命以前の旧制度から必要な知恵を見出すことを可能にしていたと指摘し,「王政という政治制度が最後の息を引き取ったことによって,人々はこれに対して客観的な態度をとり,そこから学ぶことができるようになったのである」と記した(高坂1999:370)。戦後日本においてもいわゆる「戦後民主主義」が制度・意識の両面で定着し,植民地帝国としての大日本帝国が最後の息を引き取る中で,その智恵を学ぶことができるようになったのではないだろうか。

本書の特徴と構成——日本の来歴

ストゥディア・シリーズは,考える力を養い,自ら学びを深めるよう促すことを基本姿勢としている。本書もその一冊として,単なる知識のパッケージにとどまらず,日本を通して世界を見ることで,読者にとって世の中がどう動いてきたのかを考える手がかりとなることを期待している。それは日本で何がありました,誰がいました,ということのさらに先,どのような制度や構造の下で何が起こりうるのか(にもかかわらず起こらなかったのか)への感性を育む試みである。もとより,読んで楽しいものがよい。

本書は1850年代から1950年代の約100年間を扱う4部13章からなる。まず第1部(近代国家・国際関係の形成)は第1~3章からなり,幕末・維新期の混乱から大日本帝国の成立までを論じる。黒船来航を機に従来の幕府による支配は動揺し,さまざまな政治勢力や構想の競合を経て天皇を中心とした新しい政権が誕生する(1章)。とはいえそれは終わりではなく,国際社会の荒波に耐えうる統一的で文明的な富国強兵国家を実現する近代国家建設の始まりであった(2章)。そのような明治維新の取り組みの一つのゴールに大日本帝国憲法制定と議会開設があり,日本は文明国と肩を並べる立憲国家の装いを得る(3章)。こうして世界の変化の中で日本も近代国家として国際社会を形作っていく。

第2部(近代国家・国際関係の運用と改良——大国化への適合・不適合)は第4~7章からなり,第1部で扱われた大日本帝国憲法の運用が始まって日清・日露戦争から第一次世界大戦までを論じる。憲法制定はまた新たな始まりであり,行政を構築し,議会を運営していかなければならない。そこで大きな争点となったのが「不平等」条約であった(4章)。そのような取り組みは東アジア情勢の緊張と相次ぐ対外戦争によって規定されていく。日清戦争(5章),日露戦争(6章)を経て植民地帝国化するとともに,政治・経済・社会の自立性が次第に高まり,政府と政党の結び付きも次第に深まって第一次世界大戦を迎えた(7章)。立憲国家が戦時と戦後を何層も重ねながら内実を整えていき,さらに植民地の問題を抱え込んでいくのがこの時期の特徴である。

第3部(現代世界の誕生――近代帝国日本の分かれ道)は第8~10章からなり,第2部を通して世界的な大国として成長した第一次世界大戦後の立憲帝国日本の日中戦争勃発前夜までを扱う。4年に及んだ第一次世界大戦は世界を変えたといわれるが,日本でも同様であった。大国となった日本で国際協調と結び付いた政党内閣の時代が幕を開ける(8章)。それは関東大震災の災後にあって「憲政の常道」と呼ばれる政党政治に結実したが,世界大恐慌と満州事変を受けて挫折していく(9章)。さらに政党政治と国際協調の回復に努めるも二・二六事件など国内の混乱と暴力によって果たせず,新たな均衡点を模索しながらも国際的孤立と政治の漂流が進んでいった(10章)。この時期の政治はさまざまな社会運動の台頭や市民社会的な文化の広がりをともない,明治の近代国家建設と昭和の戦争動員の物語として語られがちな近代日本の多様性やさまざまな選択を示すことにもなる。

第4部(焦土の中の日本と再編)は第11~13章からなり,第3部の果てに戦われた日中戦争から第二次世界大戦を経て占領後の再編までを扱う。それは現在とも直接結び付く過去である。日本政治の再均衡点を探しながら日中全面戦争が始まり,戦時体制の構築が急がれた(11章)。ところがアジア太平洋戦争にまで発展し,薄氷を踏む終戦となる(12章)。帝国日本は解体され,明治立憲国家は新たな装いと条件の中で再出発する(13章)。すべてが戦争に塗りつぶされたかのようなこの時期にも日常はあり,第3部までの蓄積はどっこい生きている。

本書が日本の来歴をたどるうえで,その始点と終点についてもう少し説明しておきたい。政治はいつの時代にも存在するが,日本政治史という場合,一般に19世紀半ばのペリー来航を始点として論じられる。それは冒頭の定義にもよるが,明治維新によって身分社会から職業選択の自由がまがりなりにも認められた社会に移行したことは,私たちの生きる現代社会に直接つながる過去として妥当な区切りといえよう。

より論争的なのは終点である。本書は1955年前後を終点とした。それは1945年の敗戦時ではないということである。敗戦への道は一つの描き方であるが,現在では貫戦史など戦時下と占領下をひとまとまりとして理解する見方も有力である。また,憲法が変わり,占領が終わっても,すぐさま異なる政治秩序が動き出すわけではない。したがって1947年の日本国憲法の施行でも1952年の講和独立回復時でもなく,本書は,政党政治だけでなくその後長期にわたる戦後政治の創発が形成されたと考える1955年前後を区切りとした。また,暗い谷間論ではないが,研究が進む中で現在の日本が1920年代以前の日本との連続性で語られることもあらためて多くなっている。その意味で歴史は単線ではない。

なお,いずれ本書の後の時代を扱う別のストゥディア「日本政治史」が出版され,21世紀にまで議論が及ぶのだろう。しかし,本書は本書で未来に向かって完結していると考えている。一つには,すでに本書には1955年以降の時代を考える手がかりに満ちている。かえって19世紀末の日本の中に未来が見えるかもしれない。また,私たちは大学で学んだ知識で生涯を過ごすわけではない。重要なのは幹となる基本的知識とともに,情報を外から集めながらそれを総合し,位置づける基礎的な訓練である。そのような歴史分析力こそ本書を通じて身につけてほしい能力である。

歴史を活用する

最後に,歴史の活用についても簡単にふれておきたい。まず取り上げたいのは研究者にとっての活用である。政治学では近年,質的研究の高度化が積極的に議論されてきた。キング,コヘイン,ヴァーバは,定性的研究を,数量的な測定に依拠しているものではなく,一つ,もしくは少数の事例に着目し,徹底的な聞き取り調査を行ったり,歴史的資料を綿密に分析する傾向をもつと定義したうえで,その精緻化を議論した(キング=コイン=ヴァーバ2004)。また,ガーツとマホニーは,定量的研究と定性的研究それぞれの長短を指摘し,それが総合的に行われる必要を述べている(ガーツマホニー2015)。

さらに進んで歴史から理論をつくる興味深い試みもあらためて議論されている(保城2015など)。一定の範囲の中で事例をすべて取り上げ,限定的であるが理論化を行おうとする。理論化は構造理解の深化に有用なだけでなく,他分野の研究者をはじめとして,社会への説明となる。

次に政治エリートや公職者にとっての活用である。政治史は意思決定論や政治過程論と相性がよい。メイは名著『歴史の教訓』で第二次世界大戦後のアメリカ外交を題材に,外交政策形成者がいかに歴史から影響を受け,誤用するかを論じて歴史の効果的利用方法と基盤となる歴史研究のあり方を検討した(メイ2004)。科学的根拠に基づいた政策形成(EBPM)が高唱される中,定性的な歴史政策研究が政策形成の重要な基盤となることは見逃してはならない。

そして最後に社会にとっての活用である。近代日本の外交史家清沢列が1941年に「外交史に関する知識が,今日ほど必要とされてみるときはない。この知識を基礎とせずして造り上げられたる外交政策と,外交輿論は,根のない花である」と記した時,そこには公職者だけでなく国民の歴史理解が問われている(清沢1941)。民主政治において国民は政治への参画者であり,そうでない社会においてすら重要なのである。現代の歴史家マクミランは歴史の濫用に警鐘を鳴らし,「謙虚であることは過去が現在に提供できる最も有用な教訓のひとつである」と述べている(マクミラン2014:177)。そしてマクミランは「私たちは,断固として,できるだけ幅広く見るように気をつけなければならない」とも述べる(同上:159)。

昨日のように今日があるわけではない。だから昨日を知らないといけない。今日のように明日があるわけでもない。だからこそ私たちは考え続けるのである。

本書は比較的世代の近い3人の共著であり,企画・編集には有斐閣の岩田拓也氏にお世話になった。深く感謝したい。3人で執筆した原稿を統合し,その草稿は五百旗頭薫先生,齊藤紅葉先生,曽我謙悟先生,武田知己先生,奈良岡聰智先生,待鳥聡史先生に見ていただいた。頂戴したコメントやチェックはいずれも真摯であり,緻密であり,本質的であり,専門家としての知見を惜しみなく提供してくださったものであった。心からお礼を申し上げる。ありがとうございました。教科書をつくることで最も学ぶのは筆者なのかもしれない。さらに未来の日本政治史の教科書のあり方も感じさせられるものであった。すべてを盛り込めたわけではないが,ともかく私たちは多くの助けを得て前に向かって走った。そして次の走者がまたバトンを手に走り継いでくれるのだろう。

2019年11月
著者一同

清水 唯一朗 (著) , 瀧井 一博 (著), 村井 良太 (著)
出版社 : 有斐閣 (2020/1/28) 、出典:出版社HP

目次

はじめに
日本政治史を学ぶ意義
学びの環境変化
本書の特徴と構成——日本の来歴
歴史を活用する

第1部 近代国家・国際関係の形成

CHAPTER1 江戸幕府の崩壊と新秩序の模索
明治維新への道
1 開国――ペリー来航と江戸幕府
ペリー来航前夜の世界と日本
ペリー来航と日米和親条約——阿部正弘政権
ハリス来日と日米修好通商条約
2 動乱の時代――尊皇攘夷の激化と公議輿論の行方
公武合体の模索――幕府権威の凋落
尊攘運動の激化
薩長の対立と提携——八月十八日の政変から薩長同盟まで
3 大政奉還への道のりとその後
孝明天皇の死と政局の不安定化
大政奉還——広ク天下之公儀ヲ尽シ,聖断ヲ仰キ,同心協力,共ニ皇国ヲほど仕候
王政復古の大号令と人材登用

CHAPTER2 近代国家の建設
急激な近代化に成功した要因は何か
1 統一国家への道
五箇条の「御誓文」と政体書
廃藩置県への道
2 文明国家への道
岩倉使節団の発遣
文明の洗礼
万国公法の相対
3 富国強兵への道
留守政府の国内改革
征韓論政変
台湾出兵と大久保の渡清
西南戦争——最後の士族反乱
殖産興業政策の含意

CHAPTER3 大日本帝国憲法の制定と議会の開設
立憲国家建設プロジェクト
1 公儀輿論の追求――幕末の立憲制度導入論
立憲主義との出会い
公議と言路洞開
2 維新政府の立憲制度論
列侯会議から国民代表制へ
戸と大久保の憲法意見書
公議所と集議院
3 自由民権運動の始まりと高揚
民撰議院設立の建白書
自由民権運動の興隆と国会開設の勅諭
自由民権運動の歴史的意義
4 大日本帝国憲法の成立
憲法制定前史
明治十四年の政変
草と井上毅の存在
明治憲法の起

第2部 近代国家・国際関係の運用と改良
大国化への適合・不適合

CHAPTER4 国制の構築と条約改正への道
「不平等」条約をどう改正したか
1 行政国家と立憲国家
伊藤博文の港欧憲法調査
立憲国家への道——行政の整備
天皇の立憲君主化
2 立憲国家と議会政治
明治憲法下の議会制度
議会政治の発足——第1回帝国議会
初期議会の混迷
3 文明国と条約改正
幕末の条約体制へ向けて
条約の「不平等」さ
条約改正へむけて

CHAPTER5 日清戦争と国民・政党
初の対外戦争の意味
1 開戦への道――「中華」の克服をめざして
朝鮮半島情勢
国内の政治状況
日清開戦
2 戦争指導体制の形成
国民統合の契機として
国軍統合の契機として
戦後東アジア関係の構築に向けて
3 国外における戦後体制と植民地
下関条約と三国干渉
台湾領有と朝鮮半島情勢
日清戦争後の国民像と東アジア情勢——北清事変と東亜の憲兵
4 日清戦後経営とその紛糾——政党の台頭と提携
戦勝の帰結――財政膨張と政党の台頭
政界の構造変化——藩閥と政党の連携と対立
激動の1898年——財政膨張と政党の台頭
政官共同体制の樹立——横断型政党という解

CHAPTER6 日露戦争と韓国併合
中華世界から列強世界へ
1 避けられた戦争か
伊藤—政友会内閣と山県—貴族院
政治家としての桂太郎——軍事,外交,財政
伊藤の退場と政府議会対立の激化
2 総力戦体制の原型
戦争完遂と挙国一致
元老たちの世代交代
桂園体制——安定の中の変化
3 日露戦後体制
1907年の憲法改革——指導者の世代交代と政党台頭の中で
戦後の対列強関係——満州問題協議会と現状維持の隊列
韓国併合と辛亥革命——東アジアの動乱

CGAPTER7 大正デモクラシーと第一次世界大戦
2つの称等変動
1 大正改変——政党政治への序曲
慈政擁護運動の勃発
政界再編——政党対官僚から政党対政党へ
非政党勢力の奮闘——陸軍,海軍,貴族院
2 政党政治と戦争指海の幸
非政友——多元的内閣の成立
第一次世界大戦への参戦
ポピュリズムの登場?——第12回総選挙
3 中外交の混迷
対華二十カ条要求の蹉跌
大隈改造内閣の戦時外交指導——中国政策のさらなる混迷
寺内内閣と挙国一致外交——ロシア革命,アメリカ参戦とシベリア出兵
4 国内における戦後体制の構築
大戦下の自由と平等——デモクラシーの時代とその反動
世界の中の大日本帝国

第3部 現代世界の誕生
近代帝国日本の分かれ道

CHAPTER8 第一次世界大戦後の政治と外交
国際社会の主要なアクターとして
1 「本格的」政党内閣の矜持
第一次世界大戦後を見据えた首班指名
原教・政友会内の成立——初の「本格的」政党内閣の誕生
初の「本格的」政党内閣の施策
2 国際協調体制の萌芽
第一次世界大戦の終結と東アジア情勢の変動
国際協調の時代へ——国際連盟の創設とワシントン会議
原首相の暗殺と後継内閣の混乱
3 政党内閣への序曲
「憲政常道」の揺籃期——転換期の首相選定
関東大震災の災後政治——後藤新平と科学的統治
第2次憲政擁護運動——明治立憲制下での遅れてきたリベラル・デモクラシー

CHAPTER9 政党政治の全盛と陥穽
内に政党政治,外に国際協調
1 政党政治の時代へ
護憲三派内閣の誕生——連立政権と内閣補佐機能の整備
震災対応と男子普通選挙の実施
政界再編へ——護憲三派の瓦解
2 二大政党の時代へ
加藤内閣の改造と首相の死
第1次若槻内閣と加藤の遺産
第1次若槻内閣の終焉と二大政党の確立
3 内政と外交の相克――平和主義と民主主義の新日本
田中内閣と初の男子普通総選挙
張作霖爆殺事件と不戦条約締結
台頭する政党政治と昭和天皇
浜口内閣とロンドン海軍軍縮問題――世界大恐慌の直撃
4 政党政治の修正をめざして
世界大恐慌下の議会政治と満州事変——「協力内閣」運動と政変
犬養内閣と五・一五事件——「話せばわかる」

CHAPTER10 非常時日本の大転換
国際的孤立と内政の変化
1 斎藤内閣と満州国承認——日満議定書と国際連盟脱退
非常時暫定政権の誕生――宮中官僚のイニシアティブ
満州国の建設と国家承認——五族協和の夢と現実
国際連盟脱退と塘沽停戦協定による満州事変の終息
2 非常時下の憲政改革と帝人事件——均衡回復への困難
経済危機と自力更生——経済外交と国際秩序
選挙制度改革と官吏の身分強化——矯正された政党政治の再建
滝川事件と転向
帝人事件と2度目の暫定政権への道
3 岡田内閣と二・二六事件――海軍軍縮条約の廃棄と国体明徴運動
岡田内閣の成立——もう一つの「挙国一致」内閣
海軍軍縮条約の廃棄
国体明徴運動——天皇機関説事件から二・二六事件へ
4 二・二六事件後の日本——憲政の手詰まりと国民の不在
二・二六事件の収拾——広田弘毅内閣
軍部と政党
混迷を深める政府一軍部一議会関係——林銑十郎内閣

第4部 焦土の中の日本と再編

CHAPTER11 日中全面戦争と真珠湾への道
近衛文麿を求めた日本
1 近衛文麿内閣と盧溝橋事件
近衛内閣の誕生と集まる期待
盧溝橋事件と局地解決の失敗
早期解決の失敗
物の予算と和平工作——近衛内閣の模索と総辞職
2 戦時体制の構築と欧州情勢の変化——相次ぐ挫折の果てに
平沼駐一郎官僚内閣の挫折
阿部信行陸軍内閣の挫折
米内光政海軍内閣の挫折
3 近衛の再登場と新体制運動
近衛新体制と新党構想——同床異夢の体制改革
交錯する交渉と混乱するガバナンス——外交一元化の失敗
外交の混乱,日米交渉の頓挫——近衛時代の終焉

CHAPTER12 アジア太平洋戦争下の日本
帝国日本の崩壊
1 開戦の論理と初期の戦果——東条英機内閣
戦争回避内閣として
戦争指導内閣として
戦況の悪化
2 大東亜新秩序の模索と銃後の日本社会
東亜新秩序と自存自衛の間で
占領地統治の理想と現実
戦時日本社会の生活と政治——戦時の転形
3 国本土決戦論と戦争末期の日本社会――小磯国昭内閣
近づく終局とアメリカの日本占領計画
小磯・米内連立内閣の成立——消極的陸海軍協力内閣
近衛上奏文
4 敗戦過程——鈴木貫太郎内閣
鈴木貫太郎戦争完遂内閣の成立
超高度国防化と突然の終戦——「聖断」の利用
敗戦受容に向けて

CHAPTER13 戦後改革と日本の再出発
国民・国際社会との絆の回復
1 日本国憲法制定と政党政治の再開——占領改革
占領の開始
占領改革
新憲法の制定
政党政治の再開
2 占領下における日本再建と経済計画
第1次吉田茂内閣——憲法改正の継承
経済復興への陣痛——労働運動,日本政府,GHQ
片山哲内閣——社会党首班中道連立政権
芦田均内閣―中道連立政権の継承と挫折
3 占領の終結と日米安全保障条約の締結——敗戦後の再出発
占領政策の転換――経済復興の推進と講和問題
朝鮮戦争の勃発と講和条約締結
占領終結に向けて
4 戦後政治の出発——憲法・講和・安保と1955年の政治体制
占領後の再出発
戦後政治の枠組み――1955年体制の成立

参考資料
事項索引
人名索引

Column一覧
❶公議と国体
❷福沢諭吉と井上毅
❸政治とメディア——デモクラシーの鑑
❹吉野作造と美濃部達吉
❺西園寺公望と近衛文麿
❻移民,植民,国民——移民送り出し国家であった近代日本
❼中央・地方制度——近代化のサブシステムとして
❽平塚らいてうと市川房枝

清水 唯一朗 (著) , 瀧井 一博 (著), 村井 良太 (著)
出版社 : 有斐閣 (2020/1/28) 、出典:出版社HP