入門 環境経済学―環境問題解決へのアプローチ (中公新書)

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経済学の視点から環境問題を考える

経済学の理論の基本を使って、環境問題の解決のためにすべき政策を主張しています。私たちが豊かな未来を作るためには何が必要なのか?経済学の基本から、ごみ有料制・排出量取引など環境経済学のすべてがわかるので入門書としてお勧めの1冊です。

日引 聡 (著), 有村 俊秀 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP

はじめに

わたしたちの生活と環境汚染—わたしたちは、被害者か、それとも汚染者か?

地球温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨、砂漠化、森林の減少、海洋汚染、地下水汚染、大気汚染、水質汚濁、廃棄物問題など、わたしたちは多くの環境問題に直面している。これらの環境汚染の原因はだれにあるのだろうか?
すべての人は、必ず、環境汚染とかかわっている。
たとえば、わたしたちが電気を消費することによって、発電所では石炭や石油、天然ガスが燃やされ、地球温暖化の原因となる二酸化炭素や、酸性雨の原因となる硫黄酸化物、窒素酸化物が大気中に排出される。
また、肉の生産のために飼われる家畜や水田からは温暖化の原因となるメタンが排出される。
日本人がエビを食べれば食べるほど、エビの輸出国であるタイでは養殖場が増え、そのためにマングローブという、稚魚の成育に必要な資源が失われてしまう。
わたしたちの消費活動の背後では、それを支える生産活動のために、多量のエネルギーや資源が消費され、汚染物質の排出により、環境が汚染されていく。
汚染物質を直接排出する主体は、多くの場合生産者である。しかし、製品やサービスが、消費に応じて生産されることを考えると、わたしたちの消費が環境汚染の大きな要因となっており、わたしたちは、環境汚染による被害者であると同時に、間接的な汚染者であることが容易に理解されよう。

技術開発は万能か?

環境問題を解決するために最も重要なことは、汚染物質を除去、低減させる技術の開発であると考える人は多い。しかし、それだけで充分であろうか?
確かに、太陽光発電や風力発電などの自然エネルギー利用技術の開発、電気自動車の開発、汚染物質除去装置やリサイクル技術の開発など、環境保全型技術の開発は、環境汚染の防止に大きく貢献する。しかし、技術が開発され、それらの技術を利用することが環境にとって望ましいとわかっていても、技術利用の費用が大きな障害となり、導入が充分進まないという問題がある。
たとえば、太陽パネルによる発電によって、電力消費量を抑制できれば、発電によって発生する二酸化炭素、窒素酸化物などの汚染物質の発生量を削減することができる。しかし、太陽パネルの設置コストが、節約できる電気代を大きく上回るようであれば、費用負担が大きくなりすぎるため、太陽パネルを設置する人は少ないだろう。この結果、太陽パネルは、なかなか普及しないことになる。
このように、社会的に望ましい技術が存在していても、それが社会に普及しなかったり、また、技術開発が社会的に望ましいとわかっていても、充分な技術開発投資が実施されないならば、環境はよくならない。

環境倫理・環境教育とその実効性

環境問題が深刻化するにつれて、わたしたちのライフスタイルを、環境負荷の低いものに変えることの必要性が盛んに議論されるようになってきた。これにともなって、環境倫理や環境教育の重要性を主張する意見がしばしば見られるようになってきた。
しかし、これらの議論の多くは、環境の大切さを唱えたり、リサイクルの必要性やエネルギー消費節約の必要性を唱えるだけであり、人びとの良心、モラルに頼ったものが多い。
もちろん、このような議論の重要性を否定するものではない。しかし、モラルや良心だけに頼るようなやり方では、なかなか環境保全に無関心な人や企業の行動を変えることはできない。このため、その実効性の疑わしいものが多い。
たとえば、大気汚染物質の排出を抑制しようとすると、自動車に乗るのを止めなければならない。飛行機は大量の燃料を消費するので、海外旅行に行くこともあきらめなければならない。また、工場では、汚染物質除去装置をつけたりしなければならない。このように、環境保全に役立つ行動をとろうとすると、さまざまな不便や費用が生じる。
このため、環境保全的に行動することが今のわたしたちの社会や将来の世代のために重要であるとわかっていても、それによる不便さや費用負担が大きくなればなるほど、環境保全的な行動をとる人や企業の割合は低下する。多くの人びとが環境保全的な行動をとったとしても、そうでない人びとが好きなだけ環境を汚染しつづけることができるかぎり、環境保全の効果は弱くなる。
さらに、教育によって人びとの考え方や価値観を環境保全型に変えていくには、長い時間がかかる。また、一部の人びとや企業の行動を変えることはできたとしても、すべての人びと・企業の行動を変えることはほとんど不可能である。
このように、人びとの良心やモラルだけに頼って環境を保全することは、一部の良心的な人びと・企業の負担(費用負担、不便さ)を重くし、そうでない人びと・企業を相対的に有利にすることになる。

環境保全型社会システムの構築と環境経済学

大多数の人や企業が自分の行動を環境保全的なものに変えないかぎり、いつまでたっても問題は解決しない。環境保全のために必要なことは、一部の良心的な人や企業に頼るのではなく、環境保全に対して無関心な人や企業の行動を環境保全的なものに誘導することである。そのためには、環境を汚染すれば自分の不利益も大きくなり、環境保全に貢献すれば自分の利益も大きくなるような仕組みを、社会につくることが大切である。
たとえば、環境税はそのような仕組みの一つである。環境税は、汚染物質の排出に応じて課税されるので、汚染物質を排出する人や企業は、汚染物質の排出量を増やせば、環境税の支払いが大きくなる。このため、環境保全的に行動しないことの不利益が大きくなる。
このように、根本的に社会の仕組みを変え、環境汚染を助長するような行動をとる人や企業が損をするような社会を作り上げていくことが、豊かな社会を作り上げていくうえで、重要となる。

消費の豊かさvs環境の豊かさ—トレードオフと環境経済学の役割

それでは、わたしたちは、いったいどこまで汚染物質の排出量を抑制すればよいのだろうか?
生活の豊かさとは、良好な環境からもたらされる豊かさ(以下では、環境保全の利益と呼ぶ)と所得・消費からもたらされる豊かさ(以下では、所得・消費の利益と呼ぶ)を合わせたものである。汚染物質の排出量を減らせば減らすほど環境はよくなり、環境保全の利益は大きくなる。しかし、そのいっぽうで、汚染物質削減のための費用負担が大きくなり、企業の利潤や家計の所得を減少させたり、さまざまな製品の価格が上昇したりして消費者の利益を減少させる。このように、環境保全の利益と所得・消費の利益はトレードオフ(二律背反)の関係にある。
このことは、環境保全の利益を最大にすることによって、所得・消費の利益が大きく失われる可能性があることを意味している。たとえば、環境保全の利益を最大にするためには、環境汚染をゼロにしなければならない。しかし、そのためには、場合によっては生産をゼロにしなければならないかもしれない。環境をいくら保全しても、わたしたちの生活水準が極端に落ち込むなら、そのような環境保全のあり方は最適な生活の豊かさを表すものとは考えられない。
誤解を恐れずにいうと、環境はわたしたちの生活にとってひじょうに大切なものであるが、豊かさの構成要素の一つでしかない。そういう意味において、汚染によって生命の危機が生じるような場合を除き、所得・消費の利益を確保するために、ある程度の汚染物質の排出を許容する必要があるであろう。すなわち、わたしたちは、生活の豊かさを最大にするために、環境保全の利益と所得・消費の利益のどちらか一方だけを追求しようとすることは望ましくない。バランスのとれた豊かさを実現するためには環境をどの程度保全し、そのために所得・消費の利益をどの程度犠牲にするかについて意思決定する必要がある。
このため、環境保全のあり方を検討していくうえで、わたしたちが明らかにしなければならないことは、
(1)生活の豊かさ、あるいは、社会全体の利益を最大にするためには、製品やサービスの生産・消費をどの程度抑制し、汚染物質の排出量をどの程度まで抑制すればよいか?
(2)そのためには、どのような環境政策を実施することが望ましいか?
である。環境経済学の基礎理論を学ぶことによって、このような疑問に対する答えが明らかになるであろう。

日引 聡 (著), 有村 俊秀 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP

本書のねらい

わたしたちには、解決していかなければならない環境問題がたくさんある。このため、早急な対策の実施が望まれていても、対策の実施によって利益を失う人びと、企業、産業界、国々との間の合意が困難であったり、合意のための時間がかかるため、対策の実施が遅れがちである。
また、環境問題解決のために、いろいろな政策が提案されていても、それらの中には、経済学の観点から見て誤りであるものも多い。仮に対策が実施されても、それが不適切であれば、問題の解決にいたらなかったり、解決を遅らせることになる。
環境問題の深刻化にともなって、日本でも環境問題を扱う経済学として、環境経済学という言葉が定着してきた。また、経済学の基礎的な教科書であるミクロ経済学の教科書でも、環境問題を題材にした解説が増加し、環境経済学に関する教科書も出版されるようになった。
しかし、多くの教科書では、基礎理論に関する一般的な解説があるだけであり、現在、わたしたちが直面している環境問題に対する政策の問題点や望ましい政策のあり方を理解するには不充分なものが多い。
本書は、従来の教科書とは異なり、次のような問題意識にもとづいて書かれている。
(1)環境政策のあり方を考えるうえで必要な環境経済学の基礎理論を簡明に解説すること。
(2)環境経済学の基礎理論を現境問題に応用し、環境政策のあり方について解説すること。具体的には、「問題が解決しないのはなぜか」、「現在の政策のどこに問題があるのか」、「どのような政策の実施が望ましいのか」、について解説すること。

本書は、第1章から第4章までを第1部とし、第5章から第7章までを第2部としている。
第1部では、環境問題を分析するための基礎的な理論を解説している。とくに、第1章は、全体を通して環境経済学の最も基本的な部分となる。したがって、これから環境経済学を勉強しようとする読者、経済学(とくに、ミクロ経済学)を復習したい読者は、第1章から読まれることをお勧めする。また、ミクロ経済学の基礎的な理論、とくに、費用便益分析(余剰分析)を理解している読者は、第1章を飛ばしていただいてもよい。第2章から第4章までは、それぞれ、お互いに独立しているので、どの順番に読んでも大丈夫である。読者の興味にあわせて読んでいただければよい。
また、第2部では、現在日本が直面している環境問題のうち、廃棄物問題、自動車公害問題、地球温暖化問題を取り上げ、問題の現状、現境政策の現状などについて説明し、政策の問題点を指摘するとともに、望ましい政策のあり方について議論している。現実の問題にのみ興味のある読者、経済学の基礎的な理論を勉強したことのある読者は、第1部を飛ばして、第2部だけを読んでいただいてもよい。
本書は、環境経済学に関心のある学生や、政府・地方自治体で環境政策に携わっている人だけでなく、日本の環境問題や環境政策に関心のある幅広い読者を念頭に置いて書いたものである。本書が、これらの方々にとって有益な情報を提供できることを期待したい。

日引 聡 (著), 有村 俊秀 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP

目次

はじめに

第1部 環境経済学の基礎理論

第1章 環境問題と市場の失敗
Ⅰ 消費者の利益と生産者の利益―需要曲線と供給曲線を理解する
Ⅱ なぜ市場が万能なのか
Ⅲ なぜ環境問題は解決されないのか—市場の失敗とは
Ⅳ 環境問題の費用便益分析
V 市場の失敗をどう解決するか?
コラム 公共財
コラム 環境の経済的価値

第2章 政策手段の選択—環境税か、規制か、補助金か
Ⅰ 環境税の利点と問題点
Ⅱ 規制的手段の利点と問題点
Ⅲ 補助金制度か、環境税か
コラム 食品汚染—情報と自己責任、リスクの管理

第3章 環境問題は交渉によって解決できるか
Ⅰ 環境利用権設定の重要性—交渉による解決
Ⅱ コースの定理の限界
Ⅲ コースの定理の応用—排出量取引
コラム ダイバーと漁業
コラム 所有権の決定と分配の問題
コラム 取引費用と政府の役割

第4章 ごみ処理手数料有料制の有効性とごみ排出量の減量化
Ⅰ ごみ処理手数料有料制の効果—ごみ処理手数料有料制の経済分析
Ⅱ 世代間の最適な廃棄物処分場利用とごみ処理手数料有料制

第2部 日本の環境問題と環境政策

第5章 廃棄物問題の現状と廃棄物政策
Ⅰ 一般廃棄物と産業廃棄物
Ⅱ ごみ問題とごみ処理手数料有料制の現状
Ⅲ ごみ処理手数料有料制と不法投棄
Ⅳ 産業廃棄物対策とその問題
コラム 逆有償ははたして悪か?
コラム ごみの有料化—出雲市の事例
コラム 家電リサイクル法の教訓—なぜデポジット制を併用しなかった?

第6章 自動車交通と大都市の大気汚染
Ⅰ 自動車公害の深刻化
Ⅱ 自動車交通公害対策の現状と課題
Ⅲ 望ましい自動車公害対策とは
コラム シンガポールのロードプライシング

第7章 地球温暖化問題
Ⅰ 問題の現状と課題
Ⅱ 地球温暖化対策の現状
Ⅲ 炭素税と排出量抑制のメカニズム
Ⅳ 新しい政策手段導入の試み
Ⅴ 炭素税の導入事例と日本の対策
Ⅵ アメリカの二酸化硫黄排出承認証取引制度の経験
Ⅶ 終わりに—京都議定書を超えて
コラム 持続可能な開発
コラム オイルショックと省エネルギー
コラム 燃料電池と炭素税
コラム 燃料税制

おわりに
文献紹介

イラスト 森谷満美子

日引 聡 (著), 有村 俊秀 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP