3000万語の格差: 赤ちゃんの脳をつくる、親と保育者の話しかけ

保護者による赤ちゃんへの話しかけの効果とは?「3000万語の格差」からを読み解く

一般的に赤ちゃんへの話しかけはその後の脳の発達に大きく影響されるといいます。しかし、それはどんな仕組みでそうなっているのか、どんな話しかけが効果的なのかなど、疑問点が多くあると思います。そこで、「3000万語の格差 赤ちゃんの脳をつくる、親と保育者の話しかけ」から謎を紐解いていきたいと思います。

全目次 - 3000万語の格差
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第1章 つながり 7
—小児人工内耳外科医が社会科学者になったわけ

私自身の話 8/人工内耳移植と新生児聴覚スクリーニング10/当初、 患者が少なかったからこそわかったこと 12/ザックとミシェル 14 /社会科学を学び始める 22 / 「ハートとリズリー」に出会う 25 / すべてのつながりが合流する場所 26

第2章 ハートとリズリー 29
—保護者の話し言葉をめぐる先駆者

ロマンチストであり、革命家 31 /「3000万語の格差」研究 34 / この研究結果は信じるに足るものか? 40/言葉の数だけの問題? 42 /量と質の融合:雑談の大切さ 44/脳と言語処理速度 49

第3章 脳の可塑性 51
―脳科学革命の波に乗る

赤ちゃんの脳:成長中につき未完成 52/能面実験 54 /育ちゆく脳のマジック 56 /脳の発達における重要な時期 59 /すべてはタイミング61/聞くことと読むこと、そして学ぶこと63/単なる「音」 が「言葉」になっていく65/乳児の脳はあらゆる言語の音を区別できる68/赤ちゃん言葉をやめないで 69/テレビを見せておけばよい? 70 /未来の可能性 71

第4章 保護者が話す言葉、そのパワー
一言葉から始めて、人生全体の見通しへ

コネクトーム(神経回路マップ) 74/保護者の言葉、脳神経のつながり 75 /「算数なんて大嫌い!」 77 /算数は未来に向いた窓79 /生児から育ち始める算数の能力 81 /男女差:かすかな違いがどのようにして大きな影響をもたらすか88/キャロル・ドゥエックと「成長の心の枠組み」 91/自己肯定感とほめ言葉 94/最初の3年間のほめ言葉98/グリット対グリット100/重要な要因は実行機能と自己制御:ジェームズ・ヘックマン102 /自己制御と実行機能は「育てる」もの 104/子どもにとっての自己制御の鍵は、言葉 106 / 保護者の話し言葉と自己制御 108 /命令するか、提案するか。大きな違い 111 /「群れ集う人々を我に与えよ」:バイリンガルの長所 112 /共感と倫理観:善に対する科学的アプローチ 116 / 「おまえはダメ だ」対「それはしてはいけないことだ」 118

第5章3つのT 121
一脳が十分に発達するための基礎を用意する

パート1:科学から実践へ
力を合わせなければできないこと124 / プログラムづくりに参加した保護者たち125 /赤ちゃんは生まれつき頭が良いわけではない。保護者が話しかけることで、赤ちゃんは頭が良くなっていく 126/ 豊かな言葉環境を幼い子どものためにつくる127 / 最初のT:チュー ン・イン Tune In 129 /赤ちゃんの言語を学ぶことそのものがチューン・イン 136/ 2つめのT:トーク・モア Talk More 137 / 3つめのT:テイク・ターンズ Take Turns 143 /「3つのT」にテクノロジーを活用する 144

パート2:「3つのT」の実際
子どもと一緒に本を読む147 /文字に気づき、文字を意識する 151 /算数と「3つのT」 154/過程を基本にしたほめ言葉 163 /自己制御、実行機能 165/自己制御を教える最良の方法は「保護者がして見せる」 168/命令は、自己制御も脳も育てない 170 / 「なぜなら思考」 171/創造力 173 / 「3つのT」と音楽 173 / 「3つのT」と視覚芸術 174/ごっこ遊び 176/4つめのT:デジタル機器と「3つのT」 177

第6章 社会に及ぼす影響 185
―脳の可塑性の科学は私たちをどこへ導くのか

問題は大きくなっている 186 / 保護者、子どもをケアする人たちを 支援する 187 /「ペアレンティングの文化」研究 190/必要だと知らないことに、誰が取り組むでしょうか? 192 / 保護者の「心の枠組み」を変える194/スリーシャの物語 197 /エデュケアの卒業生:現代のスリーシャたち202/変化はどうすれば起こる? 205/ 母親たちから学んだこと 209/2世代アプローチ 210

第7章「3000万語」を伝え、広げていく 213
―次のステップ

大切な問題が社会に受け入れられない理由 214 / もっとも未開発な資源 216/ 2番めに大切な資源 217 /「言葉」を公衆衛生指標に 221 /既存のプログラムを国の戦略につなげる224 / 3000万語イニシアティブ226 /オピニオン・リーダーは母親たち227 / ジェームズの物語 230/もっとも大切な言葉 235

エピローグ 岸に立つ傍観者であることをやめる 236

解説 子どもの言葉を育む環境づくり(高山静子) 239

訳者あとがき(掛札逸美) 260

訳者あとがき

保育園の深刻事故予防に関わるようになってから、9年が経とうとしています。全国各地のさまざまな保育園にうかがい、勉強をさせていただく中で、気になってしかたがないことがありました。
それはたとえば、子どもとおとなの1対1の関わりが少なすぎる。言葉はやさしいにしても命令調の言葉が多すぎる。静かにしている子どもたちほど、「手がかからない」から保育者は関わっていない。年齢よりも知的な発達がずっと進んでいる子どもをさらに伸ばす手助けをしていない。なにより、保育者が子どもと一緒に過ごす姿がどんどん少なくなっている。つまり、今、多くの保育施設では、チューン・インはもちろん、チューン・インを基礎にしたトーク・モアもテイク・ターンズもほとんど見られないのです。
私の目には、理由は明らかです。保育者が忙しすぎ、「最低基準」と呼ばれる保育者の配置基準では、子どもの保育を十分にするどころか、安全にすることすらできなくなりつつあるから、です。
まず、書類や行事の準備など保育以外の作業が増えている、個別対応を必要とする子どもが増えている、「保護者対応」にとられる時間が増えている。一方、人手が足りない。たとえば新卒3年めでも「中堅」とみなされて保育を任され、育つ余裕がない。「あたま数」をそろえるために明らかに保育の適性を欠いた保育士も雇わねばならず、「穴埋め」をするために、結果、他の保育者が疲弊する。人間関係スキルを身につける前にむずかしい保護者対応を任され、問題を悪化させるばかりか、保護者自身の心も傷ついてしまう。本来、保育士の専門性ではない内容の「保護者支援」までもが日常の仕事の中に組み込まれている。有資格/無資格、常勤/非営勤の立場の違いが複雑になり、シフトが細かくなる中で、園内のコミュニケーションがうまくいかない。
「最低基準」では子どもたちの命は守れない、そう考え始めた一方で「子どもたちは11時間もそれ以上も毎日毎日、保育園にいる。子どもはちゃんと育つのかな」…、そう思っていた私の耳に飛び込んできたのが米国のNational Public Radioのニュース「赤ちゃん言葉を勧める活動家になった外科医」(2015年9月14日)でした。本書の出版を前にサスキンド博士のインタビューを聞き、早速、本を予約したのです。
そして…。「0歳児3人を保育者1人でみていたら、それも数時間ごとに入れ替わり立ち替わりする保育者が1日11時間も12時間もそれ以上もみるなんてことをしていたら、この国の子どもは育たない(=この国は早晩、 滅びる)」、これが私の確信です。社会のシステムとして、これだけの数の0歳児や1歳児を長時間、施設で預かっている先進国は、日本以外、世界じゅうどこにもありません。日本は壮大な社会実験、それもマイナスの結果が出たとしても後からは決して解決できない社会実験を始めてしまったのです。
「施設で0歳児を預かるな」とは言っていません。今の「最低基準」や「保育の質」では、サスキンド博士が言うような形で(=科学が「必要だ」と言う形で)子どもたちを十分に育てることはできない、と言っているのです。学校で「乳幼児との関わり方」を具体的に教わることもないまま、

[注1]高木早智子他「家庭保育との比較性からみた保育の観察研究」『保育科学研究』、2018年3月。この論文も含め、あとがきの中に出てくる情報のリンクもすべて、本書ウェブサイト http://www.kodomoinfo.org 参照。

4月1日から「一人前の保育士」として働かされる現状、一方、「待機児番問題」で基準が次々と緩和され、保育士免許を持たない人も多く保育に携わる現状では、この国の子どもは育ちません。保育施設の基礎である「子どもの最善の利益」(注2)は、保育士の数と質が保障されなければ成り立たないのです。
ハートとリズリーの「3000万語の格差」研究は、日本では知られていません。貧富の差の研究と思われてきたからかもしれません。そして、本書で紹介されている研究成果のほとんども、日本では一部の研究者以外、知りません。本書に載っている研究成果はどれも英語のペアレンティング系ウェブサイトであちこち紹介されていますから、英語さえ読めれば、誰でもインターネット上で読むことができるにもかかわらず。
この「科学情報の鎖国」状態が解ければ、保護者と保育者は共に手を携えて、「こんなことでは私たちの子どもが育たない」と国や企業に向かって言うことができる、私の希望はそこにあります。本書に掲載されている研究やそれ以降の研究を要約するウェブサイトをつくったのは、そのためです。
自分の子どもが一日じゅう 11時間もそれ以上も、あたたかい1対1の声をかけられることなく、まるで流れ作業のようにおむつを替えられ、餌付けのように食事を食べさせられ、寝たくもないのに寝かされ(または眠いのにむりやり起きていることを強いられ)、おとなが関わることもなく遊び、夜になったら「元気に過ごしましたよ」とだけ言われて返される。連絡帳の中身は型通りのことばかり。それでいいと言う保護者は、世の中に一人としていないはずです。
幼い子どもは言いません、「私/僕、今日、何もしなかったよ。誰とも話さなかったよ。なんかつまんなかった」とは。でも、その結果はすでに

[注2] 2000年施行以降の『保育所保育指針』。

私たちの目の前に見えています。実力のある保育士たちは「以前に比べて、課題のある子どもが増えているのは間違いない」と言います。研究も、「言葉のやりとりが少ないことで、行動課題の増加につながる」と明らかにしています。「私たちは8時間とかで帰れるけど、この子たちはもっとずっと長く園にいるんだよね…」、悲しそうにそう話す日本じゅうの保育士たちの言葉は、結果になって私たちの前に立ちはだかろうとしているのです。保護者と保育者が手をつながなければ、この国の子どもたちの状況は悪くなるばかりです。
では、どうやって保育士を増やせと? 保育士がいない、足りないのは事実です。でも、保育施設はあくまでも「家庭養育を補完」(注3)するための場所のはずです。日本の政府や企業が真の意味で効率性や生産性を考えるのであれば、今の「働かせ方」自体を考え直すでしょう(研究からは、1日8時間すら「養きすぎ」で「効率が悪い」とわかっています。人間はそんなに集中できる生き物ではありません)。そうすれば、子どもがいてもいなくても、「もっと早く義場を離れることができ、自分の時間、家族との時間を持てるはずです。子どもの保育時間は短くなり、相対的に保育士の配置は増えます。もちろん、保護者が必要な時は、24時間でも何十時間でも安全に預けられる場所が保障されるべきです。でも、預ける必要がない時は…? 本書に書いてある通りです。
では、子どもが保護者と一緒にいればいい? 保育園に乳児を預けていないなら大丈夫? デジタル機器の問題は、これもまた本書に書いてある通りです。
サスキンド博士が何回も強調している通り、本書は「貧富の差」の話ではありません。特に今の日本では、まったく違います。これだけ情報があ

[注3] 1990年に施行された『保育所保育指針』まではこのように書かれていた。ところが2009年施行の『保育所保育指針』では、「子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進することに最もふさわしい生活の場」となり、保育所は家庭における子育てを補い、支援する場所という位置づけではなくなった。

ふれていても、子ども(人間)の育ちにとって本当に大切な情報は社会に流れていない。お金や社会的立場がない保護者も、保育に携わる人たちも、人間の育ちにとって本当に大切な情 報を知らない。知ってもなお、「忙しいから」「お金が必要だから」と、私たちは、今のおとなの都合を優先させるのでしょうか。将来のおとなたちの育ちを犠牲にして?
本書が、保護者、保育士、子どものケアをするすべての人たち、日本と世界の将来を真剣に考えるすべての人たちに届くよう祈っています。

訳者として、何点か解説します。

1. 耳が聞こえない人たちに関する記述
本書では、第1章に登場するミシェルや第3章に登場するサスキンド博士のお母さんのいとこの話など、耳が聞こえない人に関する記述がたくさんあります。ひとつ、サスキンド博士の活動地域は、米国の大都市の中でも特に貧困層が集中する地域であることを忘れないでください。本書の中で繰り返し書かれている通り、学力などの差の原因は貧富の差そのものではありませんが、現状では貧困が結果的に学力の差につながる可能性が高いのです(そして、サスキンド博士は貧困層を活動の中心に置くことで、このつながりを断ち切ろうとしています)。
また、サスキンド博士が記述している内容は、あくまでも米国の例であり、極端な例または平均値です。これをお読みになって「日本でも同じような状況?」と思った方は、ぜひご自身で調べてください。

2. 米国文化と日本語文化の違い
本書を読んでいると、「子どもに対して、ひっきりなしにものの名前を言ったり、数を数えたりしなければいけないのか」とお感じになる方もいらっしゃるかもしれません。そうではありません。これは米国文化(他の英語文化がどうなのか、私は知りませんので)と日本語文化(「日本人」だけが日本語を使うわけではないので)の違いです。
英語には擬態語や擬音語がほとんどありません。ですから、「言葉」と言ったらまず、名詞や動詞、形容詞、数詞なのです。そして、米国文化で子どもにものを見せると、その「もの」の説明を細かくします。色や形、大きさ、数などです。日本の場合、ものの間の「関係」や「感情」の話をします(『木を見る西洋人 森を見る東洋人:思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・ニスベット、2004年)。
大学院の時、ゲスト・レクチャーで発達心理学のクラスに話をしたことがあります。比較文化認知心理学者であるニスベット博士の本や論文をすでにたくさん読んでいた私は、クマのぬいぐるみが2つ並んでいて、片方のぬいぐるみの手がもう一方のぬいぐるみの手にふれている写真をスライドで見せ、学生に「このクマのぬいぐるみについて子どもに話すとしたら、なんて言う?」と尋ねました。皆、「色が…」「クマ」「2つ…」「大きさは同じ…」と言います。私が「日本で聞いたら、まず『クマちゃんたち、仲良しだね』とか『こっちのクマちゃん、クマちゃんをつついているのかな』と話すね」と言うと、学生たちは笑い出したのです、「そんなこと、考えつかない」と。
でも今、保育施設で見ていると、私があの時、学生に話した通りです。一方、保育者と子どもの間の言葉には、名詞も動詞も数詞も少ないと私には感じられます。もちろん、擬態語や擬音語、関係や気持ちは大切です。でも、米国人ほどではないにしても、名詞や数詞を子どもたちに(チューン・インしたうえで)伝えることは重要です。

3. この本は「早期教育」の本ではない
本書はいわゆる「早期教育」を勧めるものではありません。保護者や保育者が子どもにむやみに言葉を浴びせかけることも、まったく推奨していません。おとな(と子ども)がチューン・インをしていなければ、トーク・モアもテイク・ターンズも意味がありません。サスキンド博士が何度も書いている通りです。
保育施設の配置基準についても同じです。配置基準を増やして子どもにしじゅう語りかけろ、いつも向かい合っていろと言うのではありません。 子どもがふと何かに気づいた時、これは?と思った時、静かに横にいてチューン・インすべき保育者が今はほぼいない、ということが問題なのです。

4. なぜ、「母親」か
サスキンド博士が最初のプログラムをつくった時の話は、第7章に登場するジェームズ以外、すべて「母親」や「祖母」です。これはサスキンド博士たちが母親だけを対象にしているからではなく、米国の貧困地域で子どもを育てているのは事実、大部分が母親、または祖母だから、です。ジェームズのように父親が子どもを育てている例は、サスキンド博士が書いている通り、珍しいのが現状です。
一方、本書で紹介されている研究でも「母親」を実験参加者としているものが多くあります。米国であっても、子どもの主たるケア者はたいてい母親だから、です。父親と母親の両方を実験参加者にした場合、実験計画や結果分析の中で考慮しなければいけない要素が増え、そのぶん、実験参加者を増やさなければならなくなります。研究上は男性(父親)か女性(母親)に限ったほうが結果は明解になりやすいため、これまでは母親が中心でした。でも近年は、発達や子育ての研究で男性(父親)を対象にしたものも増えています。

5. 「女言葉」を使わない
本書の中で引用されている研究者の言葉や、子どもと保護者の会話の例は「女言葉」(または男言葉)にならないよう意図して訳しています。子どもの研究者、子どもと関わる保護者や保育者は女性に限らないからです。実際、日常会話の中で「~だわ」「~かしら」といった話し方を女性がほとんどしないこと、男性が「~だぞ」「~なのさ」などと言わないことは、ご存知の通りです。現代米語には、女言葉、男言葉はほぼありません。
このため、本書に登場する人たちが女性か男性かはわかりにくいでしょう。わかる必要も別段ないのですが、可能な限り、本書ウェブサイトに個人のページのリンクを貼っておきました。人間は誰しも、「こういうことを研究しているのは女性/男性だろう」という先入観を持ちます(「先入観」は社会心理学の重要な分野です)。ご自身の先入観のチェックのためにも、「この人は女性(男性)だ」と思ったら、本書ウェブサイトを見てみてください。

6親を失った後
ドン・リュー博士が亡くなった時、長女のジェネヴィーヴさんは13歳、父親が波にのまれて亡くなるのを目の前で見る経験をしました。その後、彼女は SLAP’D (Surviving Life After a Parent Dies. 親が亡くなった後の人生を生きる)という団体を作り、活動しているそうです。

最後になりますが、明石書店の深澤孝之さん、明石書店の皆さん、解説を書いてくださった高山静子先生、英語の名前をカタカナ表記にする作業をしてくれた友人、Kiyo & Jamesに心から感謝いたします。

掛札逸美

 

人生の基礎は3歳までの言語環境でつくられる

人間の新生児の臓器はほとんどが生まれた瞬間から完全に機能しており、その後の一生も同じように機能し続けます。しかし、脳はと言うと成長しきるまでに経験したもの次第で昨日の幅が異なるとされています。それでは、どのようにしたら優秀な機能を持った脳になるのでしょうか。多くの場合、ストレスのない環境と充実した言語活動が発達を促すとされています。その詳しい仕組みと、より効果的な方法について「3000万語の格差 赤ちゃんの脳をつくる、親と保育者の話しかけ」から読みといていきたいと思います。

著者はダナ・サスキンドと言う人物で、シカゴ大学医科大学院で小児外科の教授をしています。また、同大学で人工内耳移植プログラムのディレクターも務めています。さらに3000万語イニシアティブの創設者兼ディレクターでもあります。

本書は全7章で構成されています。

1章と2章では、赤ちゃんの聴力と言語活動、脳の発達の関係性を紐解いていきます。始めに、人工内耳を取り扱っていた筆者の経験とそこから発見した発達の違いが書かれています。その後、ハートとリズリーという二人の研究について説明があり、言語活動による違いが発達の差を生んでいると気づくまでの過程を紹介しています。そして本書のタイトルである3000万語の格差とは、3歳までに専門職の家庭と低所得者の家庭で話されてる言葉の数のことだというのです。

3章、4章は言語活動の大切さについて書かれています。赤ちゃんの発達は3歳までの環境によるものが大きいと説明がありましたが、良い経験がいい発達を招くように、悪い経験は発達に良くないということが説明されています。また、言葉を聞くことは数学的事象に強くなったり空間認識能力に強くなったりと言語能力以外にも発達が見込めることを紹介しています。

5章では3つのTが紹介されています。3つのTとは 注意とからだを子どもに向けてTune Inと、子どもとたくさん話す Talk Moreと、子どもと交互に対話する Take Turnsのことで、この章には3つのTの科学的実証もなされています。

6章7章では、この書籍の半分以上で説明され続けてきた言語活動による脳の可塑性の及ぼすリスクと、それに向き合って行くためのメッセージがあります。この可塑性の発見を受けて、世界は言葉を資源として認識しなければならないと呼びかけています。そのためにも多くの人がこのメカニズムを知るところから始めていかなければなりません。

このように赤ちゃんの発達と言葉の関係をとことん詳しく掘り下げた書籍となっています。このような教育研究から最近も非認知能力として、数多く書籍がありますが、1つ「話しかけ」という視点からが本書の特徴です。

ダナ・サスキンド (著), 掛札 逸美 (翻訳), 高山 静子 (翻訳)
出版社: 明石書店 (2018/5/14)、出典:amazon.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3000万語の格差

第1章 つながり 7
—小児人工内耳外科医が社会科学者になったわけ

私自身の話 8/人工内耳移植と新生児聴覚スクリーニング10/当初、 患者が少なかったからこそわかったこと 12/ザックとミシェル 14 /社会科学を学び始める 22 / 「ハートとリズリー」に出会う 25 / すべてのつながりが合流する場所 26

第2章 ハートとリズリー 29
—保護者の話し言葉をめぐる先駆者

ロマンチストであり、革命家 31 /「3000万語の格差」研究 34 / この研究結果は信じるに足るものか? 40/言葉の数だけの問題? 42 /量と質の融合:雑談の大切さ 44/脳と言語処理速度 49

第3章 脳の可塑性 51
―脳科学革命の波に乗る

赤ちゃんの脳:成長中につき未完成 52/能面実験 54 /育ちゆく脳のマジック 56 /脳の発達における重要な時期 59 /すべてはタイミング61/聞くことと読むこと、そして学ぶこと63/単なる「音」 が「言葉」になっていく65/乳児の脳はあらゆる言語の音を区別できる68/赤ちゃん言葉をやめないで 69/テレビを見せておけばよい? 70 /未来の可能性 71

第4章 保護者が話す言葉、そのパワー
一言葉から始めて、人生全体の見通しへ

コネクトーム(神経回路マップ) 74/保護者の言葉、脳神経のつながり 75 /「算数なんて大嫌い!」 77 /算数は未来に向いた窓79 /生児から育ち始める算数の能力 81 /男女差:かすかな違いがどのようにして大きな影響をもたらすか88/キャロル・ドゥエックと「成長の心の枠組み」 91/自己肯定感とほめ言葉 94/最初の3年間のほめ言葉98/グリット対グリット100/重要な要因は実行機能と自己制御:ジェームズ・ヘックマン102 /自己制御と実行機能は「育てる」もの 104/子どもにとっての自己制御の鍵は、言葉 106 / 保護者の話し言葉と自己制御 108 /命令するか、提案するか。大きな違い 111 /「群れ集う人々を我に与えよ」:バイリンガルの長所 112 /共感と倫理観:善に対する科学的アプローチ 116 / 「おまえはダメ だ」対「それはしてはいけないことだ」 118

第5章3つのT 121
一脳が十分に発達するための基礎を用意する

パート1:科学から実践へ
力を合わせなければできないこと124 / プログラムづくりに参加した保護者たち125 /赤ちゃんは生まれつき頭が良いわけではない。保護者が話しかけることで、赤ちゃんは頭が良くなっていく 126/ 豊かな言葉環境を幼い子どものためにつくる127 / 最初のT:チュー ン・イン Tune In 129 /赤ちゃんの言語を学ぶことそのものがチューン・イン 136/ 2つめのT:トーク・モア Talk More 137 / 3つめのT:テイク・ターンズ Take Turns 143 /「3つのT」にテクノロジーを活用する 144

パート2:「3つのT」の実際
子どもと一緒に本を読む147 /文字に気づき、文字を意識する 151 /算数と「3つのT」 154/過程を基本にしたほめ言葉 163 /自己制御、実行機能 165/自己制御を教える最良の方法は「保護者がして見せる」 168/命令は、自己制御も脳も育てない 170 / 「なぜなら思考」 171/創造力 173 / 「3つのT」と音楽 173 / 「3つのT」と視覚芸術 174/ごっこ遊び 176/4つめのT:デジタル機器と「3つのT」 177

第6章 社会に及ぼす影響 185
―脳の可塑性の科学は私たちをどこへ導くのか

問題は大きくなっている 186 / 保護者、子どもをケアする人たちを 支援する 187 /「ペアレンティングの文化」研究 190/必要だと知らないことに、誰が取り組むでしょうか? 192 / 保護者の「心の枠組み」を変える194/スリーシャの物語 197 /エデュケアの卒業生:現代のスリーシャたち202/変化はどうすれば起こる? 205/ 母親たちから学んだこと 209/2世代アプローチ 210

第7章「3000万語」を伝え、広げていく 213
―次のステップ

大切な問題が社会に受け入れられない理由 214 / もっとも未開発な資源 216/ 2番めに大切な資源 217 /「言葉」を公衆衛生指標に 221 /既存のプログラムを国の戦略につなげる224 / 3000万語イニシアティブ226 /オピニオン・リーダーは母親たち227 / ジェームズの物語 230/もっとも大切な言葉 235

エピローグ 岸に立つ傍観者であることをやめる 236

解説 子どもの言葉を育む環境づくり(高山静子) 239

訳者あとがき(掛札逸美) 260

訳者あとがき

保育園の深刻事故予防に関わるようになってから、9年が経とうとしています。全国各地のさまざまな保育園にうかがい、勉強をさせていただく中で、気になってしかたがないことがありました。
それはたとえば、子どもとおとなの1対1の関わりが少なすぎる。言葉はやさしいにしても命令調の言葉が多すぎる。静かにしている子どもたちほど、「手がかからない」から保育者は関わっていない。年齢よりも知的な発達がずっと進んでいる子どもをさらに伸ばす手助けをしていない。なにより、保育者が子どもと一緒に過ごす姿がどんどん少なくなっている。つまり、今、多くの保育施設では、チューン・インはもちろん、チューン・インを基礎にしたトーク・モアもテイク・ターンズもほとんど見られないのです。
私の目には、理由は明らかです。保育者が忙しすぎ、「最低基準」と呼ばれる保育者の配置基準では、子どもの保育を十分にするどころか、安全にすることすらできなくなりつつあるから、です。
まず、書類や行事の準備など保育以外の作業が増えている、個別対応を必要とする子どもが増えている、「保護者対応」にとられる時間が増えている。一方、人手が足りない。たとえば新卒3年めでも「中堅」とみなされて保育を任され、育つ余裕がない。「あたま数」をそろえるために明らかに保育の適性を欠いた保育士も雇わねばならず、「穴埋め」をするために、結果、他の保育者が疲弊する。人間関係スキルを身につける前にむずかしい保護者対応を任され、問題を悪化させるばかりか、保護者自身の心も傷ついてしまう。本来、保育士の専門性ではない内容の「保護者支援」までもが日常の仕事の中に組み込まれている。有資格/無資格、常勤/非営勤の立場の違いが複雑になり、シフトが細かくなる中で、園内のコミュニケーションがうまくいかない。
「最低基準」では子どもたちの命は守れない、そう考え始めた一方で「子どもたちは11時間もそれ以上も毎日毎日、保育園にいる。子どもはちゃんと育つのかな」…、そう思っていた私の耳に飛び込んできたのが米国のNational Public Radioのニュース「赤ちゃん言葉を勧める活動家になった外科医」(2015年9月14日)でした。本書の出版を前にサスキンド博士のインタビューを聞き、早速、本を予約したのです。
そして…。「0歳児3人を保育者1人でみていたら、それも数時間ごとに入れ替わり立ち替わりする保育者が1日11時間も12時間もそれ以上もみるなんてことをしていたら、この国の子どもは育たない(=この国は早晩、 滅びる)」、これが私の確信です。社会のシステムとして、これだけの数の0歳児や1歳児を長時間、施設で預かっている先進国は、日本以外、世界じゅうどこにもありません。日本は壮大な社会実験、それもマイナスの結果が出たとしても後からは決して解決できない社会実験を始めてしまったのです。
「施設で0歳児を預かるな」とは言っていません。今の「最低基準」や「保育の質」では、サスキンド博士が言うような形で(=科学が「必要だ」と言う形で)子どもたちを十分に育てることはできない、と言っているのです。学校で「乳幼児との関わり方」を具体的に教わることもないまま、

[注1]高木早智子他「家庭保育との比較性からみた保育の観察研究」『保育科学研究』、2018年3月。この論文も含め、あとがきの中に出てくる情報のリンクもすべて、本書ウェブサイト http://www.kodomoinfo.org 参照。

4月1日から「一人前の保育士」として働かされる現状、一方、「待機児番問題」で基準が次々と緩和され、保育士免許を持たない人も多く保育に携わる現状では、この国の子どもは育ちません。保育施設の基礎である「子どもの最善の利益」(注2)は、保育士の数と質が保障されなければ成り立たないのです。
ハートとリズリーの「3000万語の格差」研究は、日本では知られていません。貧富の差の研究と思われてきたからかもしれません。そして、本書で紹介されている研究成果のほとんども、日本では一部の研究者以外、知りません。本書に載っている研究成果はどれも英語のペアレンティング系ウェブサイトであちこち紹介されていますから、英語さえ読めれば、誰でもインターネット上で読むことができるにもかかわらず。
この「科学情報の鎖国」状態が解ければ、保護者と保育者は共に手を携えて、「こんなことでは私たちの子どもが育たない」と国や企業に向かって言うことができる、私の希望はそこにあります。本書に掲載されている研究やそれ以降の研究を要約するウェブサイトをつくったのは、そのためです。
自分の子どもが一日じゅう 11時間もそれ以上も、あたたかい1対1の声をかけられることなく、まるで流れ作業のようにおむつを替えられ、餌付けのように食事を食べさせられ、寝たくもないのに寝かされ(または眠いのにむりやり起きていることを強いられ)、おとなが関わることもなく遊び、夜になったら「元気に過ごしましたよ」とだけ言われて返される。連絡帳の中身は型通りのことばかり。それでいいと言う保護者は、世の中に一人としていないはずです。
幼い子どもは言いません、「私/僕、今日、何もしなかったよ。誰とも話さなかったよ。なんかつまんなかった」とは。でも、その結果はすでに

[注2] 2000年施行以降の『保育所保育指針』。

私たちの目の前に見えています。実力のある保育士たちは「以前に比べて、課題のある子どもが増えているのは間違いない」と言います。研究も、「言葉のやりとりが少ないことで、行動課題の増加につながる」と明らかにしています。「私たちは8時間とかで帰れるけど、この子たちはもっとずっと長く園にいるんだよね…」、悲しそうにそう話す日本じゅうの保育士たちの言葉は、結果になって私たちの前に立ちはだかろうとしているのです。保護者と保育者が手をつながなければ、この国の子どもたちの状況は悪くなるばかりです。
では、どうやって保育士を増やせと? 保育士がいない、足りないのは事実です。でも、保育施設はあくまでも「家庭養育を補完」(注3)するための場所のはずです。日本の政府や企業が真の意味で効率性や生産性を考えるのであれば、今の「働かせ方」自体を考え直すでしょう(研究からは、1日8時間すら「養きすぎ」で「効率が悪い」とわかっています。人間はそんなに集中できる生き物ではありません)。そうすれば、子どもがいてもいなくても、「もっと早く義場を離れることができ、自分の時間、家族との時間を持てるはずです。子どもの保育時間は短くなり、相対的に保育士の配置は増えます。もちろん、保護者が必要な時は、24時間でも何十時間でも安全に預けられる場所が保障されるべきです。でも、預ける必要がない時は…? 本書に書いてある通りです。
では、子どもが保護者と一緒にいればいい? 保育園に乳児を預けていないなら大丈夫? デジタル機器の問題は、これもまた本書に書いてある通りです。
サスキンド博士が何回も強調している通り、本書は「貧富の差」の話ではありません。特に今の日本では、まったく違います。これだけ情報があ

[注3] 1990年に施行された『保育所保育指針』まではこのように書かれていた。ところが2009年施行の『保育所保育指針』では、「子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進することに最もふさわしい生活の場」となり、保育所は家庭における子育てを補い、支援する場所という位置づけではなくなった。

ふれていても、子ども(人間)の育ちにとって本当に大切な情報は社会に流れていない。お金や社会的立場がない保護者も、保育に携わる人たちも、人間の育ちにとって本当に大切な情 報を知らない。知ってもなお、「忙しいから」「お金が必要だから」と、私たちは、今のおとなの都合を優先させるのでしょうか。将来のおとなたちの育ちを犠牲にして?
本書が、保護者、保育士、子どものケアをするすべての人たち、日本と世界の将来を真剣に考えるすべての人たちに届くよう祈っています。

訳者として、何点か解説します。

1. 耳が聞こえない人たちに関する記述
本書では、第1章に登場するミシェルや第3章に登場するサスキンド博士のお母さんのいとこの話など、耳が聞こえない人に関する記述がたくさんあります。ひとつ、サスキンド博士の活動地域は、米国の大都市の中でも特に貧困層が集中する地域であることを忘れないでください。本書の中で繰り返し書かれている通り、学力などの差の原因は貧富の差そのものではありませんが、現状では貧困が結果的に学力の差につながる可能性が高いのです(そして、サスキンド博士は貧困層を活動の中心に置くことで、このつながりを断ち切ろうとしています)。
また、サスキンド博士が記述している内容は、あくまでも米国の例であり、極端な例または平均値です。これをお読みになって「日本でも同じような状況?」と思った方は、ぜひご自身で調べてください。

2. 米国文化と日本語文化の違い
本書を読んでいると、「子どもに対して、ひっきりなしにものの名前を言ったり、数を数えたりしなければいけないのか」とお感じになる方もいらっしゃるかもしれません。そうではありません。これは米国文化(他の英語文化がどうなのか、私は知りませんので)と日本語文化(「日本人」だけが日本語を使うわけではないので)の違いです。
英語には擬態語や擬音語がほとんどありません。ですから、「言葉」と言ったらまず、名詞や動詞、形容詞、数詞なのです。そして、米国文化で子どもにものを見せると、その「もの」の説明を細かくします。色や形、大きさ、数などです。日本の場合、ものの間の「関係」や「感情」の話をします(『木を見る西洋人 森を見る東洋人:思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・ニスベット、2004年)。
大学院の時、ゲスト・レクチャーで発達心理学のクラスに話をしたことがあります。比較文化認知心理学者であるニスベット博士の本や論文をすでにたくさん読んでいた私は、クマのぬいぐるみが2つ並んでいて、片方のぬいぐるみの手がもう一方のぬいぐるみの手にふれている写真をスライドで見せ、学生に「このクマのぬいぐるみについて子どもに話すとしたら、なんて言う?」と尋ねました。皆、「色が…」「クマ」「2つ…」「大きさは同じ…」と言います。私が「日本で聞いたら、まず『クマちゃんたち、仲良しだね』とか『こっちのクマちゃん、クマちゃんをつついているのかな』と話すね」と言うと、学生たちは笑い出したのです、「そんなこと、考えつかない」と。
でも今、保育施設で見ていると、私があの時、学生に話した通りです。一方、保育者と子どもの間の言葉には、名詞も動詞も数詞も少ないと私には感じられます。もちろん、擬態語や擬音語、関係や気持ちは大切です。でも、米国人ほどではないにしても、名詞や数詞を子どもたちに(チューン・インしたうえで)伝えることは重要です。

3. この本は「早期教育」の本ではない
本書はいわゆる「早期教育」を勧めるものではありません。保護者や保育者が子どもにむやみに言葉を浴びせかけることも、まったく推奨していません。おとな(と子ども)がチューン・インをしていなければ、トーク・モアもテイク・ターンズも意味がありません。サスキンド博士が何度も書いている通りです。
保育施設の配置基準についても同じです。配置基準を増やして子どもにしじゅう語りかけろ、いつも向かい合っていろと言うのではありません。 子どもがふと何かに気づいた時、これは?と思った時、静かに横にいてチューン・インすべき保育者が今はほぼいない、ということが問題なのです。

4. なぜ、「母親」か
サスキンド博士が最初のプログラムをつくった時の話は、第7章に登場するジェームズ以外、すべて「母親」や「祖母」です。これはサスキンド博士たちが母親だけを対象にしているからではなく、米国の貧困地域で子どもを育てているのは事実、大部分が母親、または祖母だから、です。ジェームズのように父親が子どもを育てている例は、サスキンド博士が書いている通り、珍しいのが現状です。
一方、本書で紹介されている研究でも「母親」を実験参加者としているものが多くあります。米国であっても、子どもの主たるケア者はたいてい母親だから、です。父親と母親の両方を実験参加者にした場合、実験計画や結果分析の中で考慮しなければいけない要素が増え、そのぶん、実験参加者を増やさなければならなくなります。研究上は男性(父親)か女性(母親)に限ったほうが結果は明解になりやすいため、これまでは母親が中心でした。でも近年は、発達や子育ての研究で男性(父親)を対象にしたものも増えています。

5. 「女言葉」を使わない
本書の中で引用されている研究者の言葉や、子どもと保護者の会話の例は「女言葉」(または男言葉)にならないよう意図して訳しています。子どもの研究者、子どもと関わる保護者や保育者は女性に限らないからです。実際、日常会話の中で「~だわ」「~かしら」といった話し方を女性がほとんどしないこと、男性が「~だぞ」「~なのさ」などと言わないことは、ご存知の通りです。現代米語には、女言葉、男言葉はほぼありません。
このため、本書に登場する人たちが女性か男性かはわかりにくいでしょう。わかる必要も別段ないのですが、可能な限り、本書ウェブサイトに個人のページのリンクを貼っておきました。人間は誰しも、「こういうことを研究しているのは女性/男性だろう」という先入観を持ちます(「先入観」は社会心理学の重要な分野です)。ご自身の先入観のチェックのためにも、「この人は女性(男性)だ」と思ったら、本書ウェブサイトを見てみてください。

6親を失った後
ドン・リュー博士が亡くなった時、長女のジェネヴィーヴさんは13歳、父親が波にのまれて亡くなるのを目の前で見る経験をしました。その後、彼女は SLAP’D (Surviving Life After a Parent Dies. 親が亡くなった後の人生を生きる)という団体を作り、活動しているそうです。

最後になりますが、明石書店の深澤孝之さん、明石書店の皆さん、解説を書いてくださった高山静子先生、英語の名前をカタカナ表記にする作業をしてくれた友人、Kiyo & Jamesに心から感謝いたします。

掛札逸美