落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ

【最新 落語について学ぶためのおすすめ本 – 初心者から上級者まで】も確認する

落語のまったく新しい入門書

ちゃんと聴いたことがあっても興味を持てない、落語の落ちの面白さがわからないと考える人は案外少なくありません。本書では、落語に関する素直な疑問を解き明かしながら、落語ならではの大いなる魅力に迫ります。落語を聴いて面白いと思った方にももちろんおすすめの1冊です。

頭木 弘樹 (著)
出版社 : 筑摩書房 (2020/8/11)、出典:出版社HP

落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ

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目次

はじめに 「面白くないのがあたりまえ」というところから始めてみたい
第一章 「落語は落ちが命」の本当の意味
Q1 なぜ今、落語なのか?
Q2 面白くない落ちがあるのはなぜ?
Q3 まだ話の途中なのに終わるのはなぜ?
Q4 途中から出てこない登場人物がいるのはなぜ?
Q5 「毎度ばかばかしいお笑いを一馬」と言うのはなぜ?
Q6 面白くない落ちでみんなが笑うのはなぜ?
Q7 小咄と落語はどこがちがうの?
Q8 なぜ落語は今でも笑えるの?
Q9 滑稽噺と人情噺はどこがちがうの?

第二章 「耳の物語」と「目の物語」
Q10 漫才やコントと落語はどこがちがうの?
Q11 文字にすると、なぜ噺が死んでしまうの?
Q12 なぜ小泉八雲は「本を見る、いけません」と言ったの?
Q13 「耳の物語」と「目の物語」とは?
Q14 どうしていつも熊さん八っつぁんが出てくるの?
Q15 古典落語なのに新しさも感じられるのはなぜ?
Q16 なぜ愛宕山に登ったら、落語の『愛宕山」は語れないの?
Q17 落語は映像化したほうが面白いの?
Q18 落語は本で読むと面白くない?
Q19 大人にも語りは必要?

第三章 落語は世界遺産
Q20 語り継ぐとなぜ面白くなるの?
Q21 落語と一人芝居はどこがちがうの?
Q22 落語は日本のものなの?
Q23 コモロ諸島の落語とは?
Q24 噺家さんはどんなふうに落語を作り変えているの?
Q25 所変われば話も変わるの?
Q26 江戸の粋と上方の粋はどうちがうの?

第四章 面白い面白くないを分けるもの
Q27 同じ噺でも演者で面白さがちがうのはなぜ?
Q28 嫌いだった噺を好きになることがあるのはなぜ?
Q29 ギャグで笑わせてはいけないとは?
Q30 くすぐりにも松竹梅があるとは?
Q31 噺家それぞれの味とは?
Q32 なぜ落語はひとりで演じるの?
Q33 同じ噺を何回でも聴けるのはなぜ?
Q34 落語ってじつは絶望的?

あとがき 落語に何度も助けられた
解説 稀有な落語本桂文我

頭木 弘樹 (著)
出版社 : 筑摩書房 (2020/8/11)、出典:出版社HP

はじめに 「面白くないのがあたりまえ」というところから始めてみたい

●「面白いから、聴いてみて!」ですめば話は早いが
落語を人にすすめるとしたら、やっぱり「面白いから、聴いてみて!」と言うしかないと思います。 しかし、実際のところ、いきなり落語を聴いて、すぐに「面白い!」となる人がどれほどいるでしょうか。 たいていは「面白くなくもないけど、また聴くほどではないかな……」とか、「どちらかと言えば、面白くないかも……」とか、「何が面白いのか、さっぱりわからない!」とか。残念ながら、そういう人のほうが多いで しょう。
では、そういう人たちは、落語とは無縁の人たちなのか? そうではないように思うのです。 そういう人たちの中にも、じつは落語が大好きになるはずの人が、たくさんいると思うのです。
●「面白くなかった人」に対して、落語を語ることはできないか
では、どうしたらいいのか? 「落語は面白いよ」というところからではなく、「落語は面白くないと思ってあたりまえ」というところから話
を始められないかと思いました。 その人たちは、落語を聴いて面白くないと思ったわけですから、その気持ちを大切にしたいと思うのです。そこにはちゃんと理由があると思うのです。
その理由、つまり「なぜ落語は面白くないのか?」という、その謎を解き明かしながら、落語について語って いけたらと思いました。 それがこの本です。
●率直な疑問で、落語を問い直してみる
具体的には、「落語を聴いてみたけど面白くなかった人」が抱きそうな、落語に関する率直な疑問、たとえば 「落ちが、面白くないどころか、意味不明だった。落ちが大切なはずなのに、なぜ?」とか、そういうたくさん の疑問に、ひとつひとつ答えていきながら、できれば、意外な謎解きにまでもっていけたらと思っています。
どんな分野もそうですが、初心者の率直な疑問が、思いがけないところをついていて、詳しい者もハッとさせ られて、あらためて何かに気づかされるということがあるものです。
たとえば、本を読まない人から単行本について、「なぜ表紙が硬くて、中が柔らかいの?」と聞かれたことが あります。「そんなのあたりまえだろ。それでなきゃ、読みにくい」とそのときは思ったのですが、あとで調べ ると、中国には昔、表紙が柔らかくて中が硬いという本もあったのです。それを知って、本というものの形についての認識がずいぶんあらたまりました。もっといろんな可能性があるのだと。
●どういう人に読んでもらいたいか
そういう次第で、この本は、まだ落語を聴いたことのない人や、「落語を聴いてみたけど面白くなかった人」 にも、読んでいただきたいと思っています。 ただ、そういう人は、なかなか落語の本を手にとってくださらないでしょう。 ですから、もしできることなら、落語好きの人がお読みくださって、そういう方たちに語っていただけると、 とてもありがたいです。
落語好きの方がお読みくださっても、楽しんでいただける内容にしたつもりです。もちろん力不足ではありますから、「この謎解きは、もっとこうしたほうが」というご意見があれば、ぜひお聞かせいただきたいです。
●文学は落語から学ぶべきものがまだたくさんある
それから、落語は聴かなくても、小説やドラマや映画や漫画は好きな人、つまり「物語が好き」な人にも、ぜひ読んでみていただきたいと思っています。
日本の文学は、落語からじつに多くのものを得ています。話すように書くという言文一致運動でも、落語の速 記が大きな役割を果たしました。また、夏目漱石などの文豪が、落語の影響を強く受けていることは有名でしょう。太宰 治は、蔵書しない主義でしたが、落語の神様と言われる三遊亭圓朝の全集だけは、ずっと手放さなかったそうです。 日本だけでなく世界的にも、文学は語り芸からとても多くのものを得ています。 それは過去においてもそうでしたが、じつは、これからまた、新たに学ぶべきものがあるのではないかと思っているのです。
新しい物語が誕生するためには、またあらためて落語などの口 承文学から、何かを取り入れることが必要だ と、とても感じているのです。
●どうでもいいと思っている人にすすめるのは難しい
とまあ、手前勝手な熱を吹きましたが、落語に興味のない人に、落語に興味を持ってもらうというのは難題です。
「落語は面白いですよ」と人にすすめると、「ああ、そうなんでしょうね」などと曖昧な返事をされることが多いものです。
「面白いと思う人もいるんだろうけど、でもまあ、自分はいいです」というようなニュアンス。
ぜんぜん落語を知らなければ、かえってもう少しは興味を持ってもらえるでしょう。 「それはいったいどんなものなんです?」と。 でも、たいていの人は、一度は落語を耳にしたことがあります。着物を着た人が座布団に座って語っている姿 をテレビで目にしたこともあるでしょう。
落語好きな人がいることも知っているし、古典芸能として素晴らしいものであることも知っているし、名人と 賞賛される人がいることも知っている。 食わず嫌いというわけではなく、ちゃんと聴いたことがあって、そのうえで、興味がないのです。 嫌いというまでの強い反応もなく、なんとなく興味がない。わざわざ聴くほどの必要性を感じない。ようする に、どうでもいい。 これがいちばんつらいところです。
落語を聴いたことがないというのなら、聴いてみてもらえばいいわけですが、「落語を聴いてみたけど、面白 くない」という人には、そこからまた興味を持ってもらうというのは、大変困難です。もう確認済みなのですか
●「もっと名人のを聴けば」はなかなか通用しない
落語好きとしては、そういうとき、「それは聴いたのがよくなかった。もっと面白い噺があるし、名人が語っているのを聴けば……」というようなことを言いたくなります。 しかしこれはなかなか通用しません。 たとえば、本好きな人なら、面白い本と面白くない本があるのは当然で、面白くない本があったからといって、本全体が面白くないとは思いません。
しかし、あるジャンルにまだ詳しくない場合には、そのジャンルの一作品がつまらないと、そのジャンル全体 がつまらないと判断してしまいがちです。同じ箱に詰まったリンゴの一個がおいしくなかったのに、「他のも試 してみて」と言われても、勘弁でしょう。
●味がわかるようになるまで聴いてもらうことも難しい
それに、そもそも名人の噺をちゃんと聴いている場合も少なくありません。それこそ、古今亭志ん生の 『火焔太鼓」のような、これぞ落語というようなものを。 そういう場合には、落語好きとしては、今度はこう言いたくなります。納豆を初めて食べた外国人に向かって
言うように、「なかなか最初は味がわからないんだよ。慣れてくれば、この味がいいと思うようになるから」
しかし、なんの因果で、面白くないと感じている落語を、慣れるほど何度も聴かなければならないでしょう。 落語なんか好きにならなくても、損した気はまったくしないというのに。 聴き込まないとわからないなんて言ったのでは、かえって敷居が高くなってしまうだけです。
●落語はじつは敷居が高い
だいたいに、落語というのは、敷居が高いものです。演者は着物を着ている、使っている言葉には古くて意味 のわからないものがある、お話の背景も江戸時代などで、様子がよくわからない。笑えると言われても、わから ないことだらけでは、笑うのも難しい。今のはどういう意味なんだろう、なんて思っていると、話はどんどん先 に進んでいってしまっている。
江戸のことがわかって楽しいなどと言われても、江戸のことを勉強しないとわからないと言われているよう で、負担がますます大きいだけです。 というわけで、「落語を聴いてみたけど、面白くなかった」というほうが当然で、落語好きな人がそれでも世 の中にけっこういるほうが、かえって不思議なくらいです。
●落語を聴かないのはなぜもったいないのか
それでも、私はあえて言いたいと思うのです。 「落語を聴かないのは、あまりにも、もったいないですよ」と。 「なぜ?」と聴かれると、なかなか一口には説明できません。
本好きな人は、本を読まないことをもったいないと知っています。でも、「本なんか読まなくても生きていける」と言って、立派に生きている人に対して、本を読むことの素晴らしさを説くことは、なかなか難しいでしょう。
落語の場合も同じです。でも、一口に説明できないのは、それだけ落語の魅力がたくさんあるからです。 そのたくさんの魅力について、これからお話しさせていただければと思っています。
●落語ならではの面白さとはいかなるものなのか
私自身が落語とどう関わってきたかは、「あとがき」に書かせていただきました。私は落語に何度も救われた と思っています。今も、落語を聴かない日は一日もありません。 といっても、私は演芸評論家ではありません。文学紹介者です。なので、ちょっと変わった落語紹介になると思います。ディケンズ、カフカ、クンデラ、マルケス、クッツェー、夏目漱石、幸田露伴などの作家たちも登場させる予定です。
いろんな角度から、落語ならではの面白さとはいかなるものなのかという大きな謎に迫っていけたらと思っています。落語はなぜ面白くないかの答えは、落語はなぜ面白いのかということでもあるはずだからです。 うまく語れましたら、おなぐさみ。

第一章 「落語は落ちが命」の本当の意味

頭木 弘樹 (著)
出版社 : 筑摩書房 (2020/8/11)、出典:出版社HP