「食べること」の進化史 培養肉・昆虫食・3Dフードプリンタ (光文社新書)

【最新 食の未来について学ぶためのおすすめ本 – フードテックの現状と今後の展望】も確認する

人間と食の密接な関わり合い

私たちが普段何気なく食べているごはんは、食材を生産・入手する技術、加工や調理法などによって支えられています。先人たちが試行錯誤を重ねてきた食の世界は、現代の技術や社会の影響を受けて激変してきています。そんな食の進化の多様性や未来について学べる1冊です。

はじめに

みなさんは、「人生最後の食事は何を食べたいか」を考えたことがあるでしょうか?
私がそれを強く感じさせられたのが、写真家ヘンリー・ハーグリーブス氏の「死刑囚の最後の食事」を再現した写真を見たときでした。
2011年、米国のテキサス州が死刑囚への最後の食事プログラムを廃止したことが大きく報道されました。テキサス州では、これまで死刑囚が死刑執行の日に「本人が望むメニュー」を出すことを伝統としてきました。 これに関心を抱いたハーグリーブス氏は、死刑執行前に死刑囚らが口にする最後の食事を再現するプロジェクトを始めました。彼のプロジェクトは、多くのマスコミなどに取り上げられ、世間から良くも悪くも大きな反響を呼びました。彼が「非常に不自然な瞬間」と呼ぶこの最後の食事において、ほとんどの死刑囚たちは、揚げもの などこれまで自分がよく食べてきたホッとする食べもの”を依頼します。死刑囚が最後に頼んだメニューに、何か意味があるのかないのかはわかりませんが、多くの人に「引っかかる何か」が、この最後の食事にはあるように感じます。
また、絵本作家の佐野洋子氏が、エッセイの中で、知り合いのマコトさんから聞いたお父さんの死について、次のような文を残しています。

「何か飲みたい?」ときくと「こう胸がスカッとするもの」と云うので、いつもサイダーをあげていた。サイダーを飲むと「ウム、スカッとした」と云うそうだ。「もう、お前、あのじいちゃん、サイダー、トラッ ク二台分は飲んだぜ」とマコトさんはげらげら笑いながら云っていた。 (中略) ある日、おじいちゃんが、「体をふいてくれ」と突然云ったので、何だろう、不思議だなと思って、体をきれいにふいてやった。ふだんと変わりは何もなかったそうだ。しばらくすると「何かスカッとするもの」と云ったので、吸い口にサイダーを入れて飲ませた 。それからすぐ、ヒクッとしてそのまま死んでしまったそうだ。

私たちは、「最後の食事への向きあい方が、その人となりを物語る」ことを暗に感じているのではないでしょうか。
生まれてきて、死ななかった人は一人もいないのにもかかわらず、私たちは死ぬことに対してなぜか”他人ごと”です。いつ死ぬかわかりませんが、生きているうちは、たいてい何かしら飲食して、生きていくほかありません。
もし、私が自分の人生最後の食事を幸運にも選べるとしたら、どんなメニューにするか、考え込んでしまいます。それまで食べてきたいつもの食事なのか、あるいは今までで一度も食べたことのないものなのか。最後に誰 と食べるかの方がはるかに重要である気もします。
「食と人の関わり」がどう変わってきたのか、そして、これからどう変わっていくのか、すなわち「食の未来」 を考えながら、誰にでも訪れる未来の「最後の晩餐」のヒントをみなさんと共有できたらと思います。

目次

はじめに

序章 食から未来を考えるわけ
(1)なぜ「食の未来」を考えるのか
(2)食がいかに私たちを変えてきたか
(3)食の未来の見方

第1章 「未来の料理」はどうなるか―料理の進化論―
過去 料理はこれまでどのように変わってきたか
(1) 料理の因数分解
(2)限られた食材、変わってきた調理法
(3)食材の拡散により誕生し、洗練され、融合する料理
現在 現在の料理の背景にあるもの
(1) 料理界における科学の勃興
(2) エビデンスに基づいた料理の解明と開発
(3)9世紀版「食材ハンター」
未来 未来の料理のかたち
(1) 「未来食」のヒントはここにある
(2)3Dフードプリンタの衝撃
(3)仮想と現実の狭間にある料理

第2章 「未来の身体」はどうなるか―食と身体の進化論―
過去 食と人類の進化物語
(1)食による祖先の自然選択
(2)肉に魅せられた人類
(3)大きな脳を可能にしたもの
現在 食と健康と病気
(1)食べることと健康の因果関係
(2)肥満の進化生物学
(3)食欲の制御と暴走
未来 食と身体の進化の未来図
(1) 健康になるためのテクノロジー
(2)ヒトは未来食によってどう進化するのか
(3)脱身体化するヒト、脱人間化するヒト

第3章 「未来の心」はどうなるか―食と心の進化論―
過去 人は食べる時、何を思ってきたか
(1) 食の思想、イデオロギー、アイデンティティ
(2)栄養思想、美食思想、ベジタリアニズム思想
(3) 食のタブー
現在 人は食に何を期待しているのか
(1) 私はどうしてこの料理を選んだのか(人→食)
(2)自分を映す鏡としての食(食→人)
(3)食べることは、交わること(人→食→社会)
未来 人は食に何を思い、何を求めていくのか
(1)食の価値観の未来
(2) 食の芸術性の未来
(3)おいしさの未来

第4章 「未来の環境」はどうなるか―食と環境の進化論―
過去 食の生産、キッチン、食卓の歴史
(1)人と食べものの量的・質的変化の予測
(2)キッチンテクノロジーの歴史
(3)共食の歴史、意義
現在 食の生産、キッチン、食卓の今
(1) 農業のアップデート
(2)キッチンからみえる現在の風景
(3) 食卓は、食事を共にする場なのか
未来 食の生産、キッチン、食卓のこれから
(1)農業と農業への意識の未来
(2)キッチンのハイテク化と手で作ることの意味
(3) コミュニケーションの未来における食の役割

おわりに

序章 食から未来を考えるわけ

(1) なぜ「食の未来」を考えるのか

「SF食」の出現

昔のSF作品の世界で見た「未来の食」は、手に届くところまで迫ってきています。たとえば、食糧不足や環 境問題など人類が抱える問題を解決するための、さまざまな「代替食」の開発が進んでいます。代表的なものの ひとつとして、細胞を培養して食肉とする「人工培養肉」が、現実化しています。また、調理の世界では、調理機器と情報通信技術(ICT)が融合し、キッチンの「スマート化」や「ロボット化」も進んでいます。
新しい食は、食の生産、製造、流通などだけでなく私たちの身の回りの食生活をも大きく変革し、最終的には私たちの身体や健康、さらには、家族団らんや個人のアイデンティティなどの心にも影響を及ぼしていくでしょ う。将来、私たちが何を食べるか、何を食べることができるかは、これからの「食のテクノロジー」にかかっています。
イギリス出身のSF作家、アーサー・C・クラーク氏が定義した「クラークの三法則」の第3法則の中に 「Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.(十分に発達した技術は、魔法と見 分けがつかない。)」という有名な言葉があります。
たとえば、平賀源内が今のスマートフォンを見て、その動作原理を理解できるでしょうか。静電気発生装置のエレキテルを開発した彼であろうと、電気で動くスマートフォンは全く理解できないからくり板』のように見えるでしょう。平賀源内に限らず、30年前でさえ、スマートフォンの登場をリアルに予想できた人は、決して多くはなかったはずです。
未来に発明されるかもしれないテクノロジーを予想するとき、現時点でその可能性や限界を明確に示すことは 非常に困難です。未来において発明されるかもしれない斬新なテクノロジーは、その斬新さゆえに、現在の価値観の延長線上では、なかなか理解されにくいからです。そのため、現時点で予測する未来の食は、まるでSFや 魔法のように扱われ、「ありえない」と切り捨てられるおそれがあります。

“マルチプレーヤー”としての食

フランスの思想家、アンテルム・ブリア サヴァランの「普段何を食べているのか言ってごらんなさい。あな たがどんな人だか言ってみせましょう」という有名な言葉があります。食は、自らを投影する鏡のようなもので あり、「食の未来」を思うことは、「私たちの未来」を思うことでもあります。
さらにいえば、食の未来予測は、人間の未来を考える上で最も身近なもののひとつです。食べるという行為 は、日常的かつ必須であり、私たちの肉体や精神などに直接的かつ間接的な影響を広く与えているため、人の未 来像を予測する上で、食のこれからを考えることは、大きな威力を発揮するでしょう。
本書では食べもののさまざまな~働き”をとりあげますが、新しい視点として、東京大学先端科学技術研究センターの稲見昌彦氏は、「料理はメディア・アート」と話しています。料理は、生産者の食材へのこだわりや、料理人のアイデアと技術などが介され、食べる人へと届きます。そういった性質から、食材や料理は、それらがもつ情報や食に携わった人の気持ちを媒介するメディア、体現するメディア・アートとしてもみてとれます。
カナダの英文学者マーシャル・マクルーハンは、1964年刊行の著書『メディア論』で、「メディアはメッ セージである」という言葉を残しています。そこには、「人々はメディアによる内容にとらわれがちだが、メディアが現実と違った媒体に再構成されているのであれば、そのメディアの形式や構造にこそある種のメッセージが含まれており、それに目を向けるべきだ」という主張が込められています。つまり、食べものがメディアであるなら、「食であることにメッセージ性がある」「食を仲介とするからこそ伝わることがある」ということです。
また、2018年に朝日新聞GLOBE+に掲載された記事の中で、マサチューセッツ工科大(MIT)メディアラボの石井裕氏は、「AIの時代にあっても、色あせず輝く才能、創造性とは何か」について、「アート、 デザイン、サイエンス、テクノロジー、どの分野でも楽しみながら異文化コミュニケーションできる資質が求められており、そんな性質をもった人材を育むには、異文化に身を投じて異なった考えをもつ者と議論し、自らの考えを鍛えていくこと、すなわち『他流試合』が大切である」と語っています。もともと、料理をきわめる人に とって、アート”の才能はとても重要な要素ですし、再現性を高めるための調理のサイエンス』を理解することも上達への道 標となります。さらに、料理の見た目だけでなく栄養バランスなどをヘデザイン”する意識も必 要ですし、料理を作る上での職人技ともいえる、テクノロジー”を有することも必須です。料理をする人の中に は、アーティスト、サイエンティスト、デザイナー、テクノロジストがそれぞれ存在し、自分の内なる世界の中で他流試合をしています。
料理を作ることや考えることは、科学や芸術といった多分野を融合しているため、自ずと幅広い創造性や独創性を育む訓練となります。料理と似た性質をもつものに、建築がありますが、一般の人々にとって家を作るよりも料理を作る方が、はるかにとっつきやすい行為です。
このようなマルチな性質や意味合いをもつ食の未来予測をすることが、先の読めない問い、たとえば「これからのAI時代に本当に求められるものは何か」などを想像する上で、有効な手段となるでしょう。

(2)食がいかに私たちを変えてきたか

私たちが食を変えたのか、それとも食が私たちを変えたのか

人類の長い歴史の時間軸で考えれば、たくさんの食べものの中から自分の食べたいものを選べるようになったのはつい最近、のことです。人類は250万年にわたって、植物を採集し、動物を狩り、食物にしてきました。これらの動植物は、人間の存在とは関係なく、繁殖していました。
しかし、1万年ほど前になると、私たちの祖先は、より多くの穀物や肉を手に入れるために、種を蒔いて、作物に水をやり、動物には餌を与え、草地に動物を移動させました。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、ホモ・サピエンスが文明を築いた重要な3つの革命として、認知革命と科学革命とともに、この「農業革命」を挙げています。
しかし、人類はこの農業革命によって、「手に入る食料の総量を増やすことができたが、実際はより良い食生活をもたらしたとは限らず、人口爆発と階級格差の誕生につながった」とハラリ氏は語っています。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのにもかかわらず、見返りに得られる食べものは劣っており、農業革命は、「史上最大の詐欺、であったと言っています。
農業革命以前の狩猟採集をしていた際の人類は、多種多様な食べものを食べ、小麦や米などの穀物はその中の ほんの一部を占めていたに過ぎませんでした。それが農業革命後は、穀類が食事の主体となり、現代の私たちの食生活、身体、そして社会全体にも影響を及ぼすことになりました。