日本と中国経済- 相互交流と衝突の100年 (ちくま新書1223)

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歴史を振り返りながら今を学ぶ

本書で述べられている日中間の経済に関する指摘は、実証的な研究に基づき、冷静に分析されたものです。戦前・戦中あたりの日中経済関係をしっかり振り返り、現在の経済、社会、外交等について理解するのにおすすめの書籍です。

梶谷 懐 (著)
出版社 : 筑摩書房 (2016/12/6)、出典:出版社HP

 

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目次

はじめに

第一章 戦前の労使対立とナショナリズム
中国の近代化とナショナリズム
近代中国経済が不安定な理由
在華紡のストライキの背景
在中日本人のなかの捻じれ

第二章 統一に向かう中国を日本はどう理解したか
国民政府の成立と日本の焦り
満洲事変以降の路線対立
新興国としての中国への態度

第三章 日中開戦と総力戦の果てに
日中戦争の開始と通貨戦争の敗北
「総力戦」がもたらしたもの
日本の敗戦と国民政府の経済失政

第四章 毛沢東時代の揺れ動く日中関係
中華人民共和国の経済建設
「政経分離」と「政経不可分」との対立
文化大革命期の民間貿易
国交回復に向けて

第五章 日中蜜月の時代とその陰り
市場経済へと舵を切る中国
緊密になる日中経済関係と対中ODA
天安門事件による対中感情の動き
「日中蜜月の時代」の背景

第六章 中国経済の「不確実性」をめぐって
さらなる市場化へ
経済的相互依存関係の深まり
中国共産党と反日ナショナリズム
中国経済はリスクか、チャンスか?

終章 過去から何を学び、どう未来につなげるか
参考文献一覧

梶谷 懐 (著)
出版社 : 筑摩書房 (2016/12/6)、出典:出版社HP

 

はじめに

二〇一五年の春節(旧正月)、「爆買い」というそれまでなじみのなかった言葉が日本のお茶の間(すでに死語かもしれませんが)をにぎわせたのは記憶に新しいところです。中国人観光客によって、日本製の炊飯器や水洗トイレ便座が飛ぶように売れていく様子をテレビのワイドショーがおもしろおかしく報道し、家電量販店やドラッグストア、ホームセンターには、中国語で書かれた説明が必ず掲げられるようになりました。
この「爆買い」現象は、この本を執筆中の現在には大分下火になったとはいえ、個人消費が伸び悩む日本の景気を下支えするのに大いに役立ったと思われます。しかし、多くの日本人にとって、こういった「爆買い」やインバウンドを、諸手を挙げて歓迎する気分にはどうしてもなれなかった、というのが正直なところではないでしょうか。それは、何といってもほんの数年前に、やはりテレビで繰り返し流された、尖閣諸島問題に起因する過激な反日デモや日系スーパーに押し寄せた暴力的な群衆の様子が、まだ記憶に新しかったからでしょう。
もちろん、数年前の反日デモに参加していた群衆と、日本に観光に訪れ、「爆買い」を行っている人々とは直接重なっているわけではありません。むしろ、生活水準も社会階層も考え方も、同じ中国人としてくくることができないほど、両者の間には大きな隔たりがある、といってよいでしょう。それでも、日本社会における一般的な中国人のイメージとして、二つの映像がそれほど間をおかずにマスメディアで流された結果、「あの時はあれほど日本人や日本製品を嫌っていたのに、なぜ今度は喜び勇んで日本製品を買いあさりに来るのか?」という釈然としない思い、あるいは言いようのない不信感を感じた日本人の方が多かったのではないでしょうか。
反日デモと爆買い。今の日本で「日中間の経済交流」というと、真っ先にイメージされるのはこの二つの現象かもしれません。この二つの現象から、現在の日中経済交流が置かれている、一種のアンビバレンツな状況が浮かび上がってくるのではないでしょうか。すなわち、日中関係は「経済関係がうまくいっているようでも、必ずどこかで「政治」問題がその邪魔をする」という側面をもつ一方、「どんなに政治的に冷え込んでいるようでも、「経済」的なつながりを求める動きがやむことはない」という側面も持っています。これは、少し考えればわかるように、コインの裏と表のような関係にあります。本来なら、なんとか政治的にも経済的にも良好な関係を、と願いたいところですが、そういった関係を両国が築くことは、残念ながら近い将来には望み薄だ、と言わざるをえません。では、このややこしい両国の関係をどう考えていけばよいのか、少し歴史をさかのぼって考えてみよう、というのがこの本の直接のねらいとなります。
……と大見得を切ったものの、私は一次資料を自由に読みこなすことのできる歴史学の専門家ではありませんし、中国近現代史の専門家からみれば、本書に新しい知見といえるものはほとんどないといっていいでしょう。それでも、近代以降の日中間の経済交流の歴史を概観した本をこのような形でまとめておくことには、以下のような点で何らかの意義があると自分なりには思っています。
一つには、中国近現代史の大まかな流れを押さえた上で、日中間の経済問題について考える、という視点で書かれた一般向きの書物がこれまでほとんど存在しなかったことがあげられます。例えば、二〇一二年の反日デモ・暴動について考える際に、一九二〇年代の在華紡に対するストライキやボイコットについて振り返ることは不可欠だと私は考えていますが、そういった視点から過去の歴史と現在の課題とを結びつけてくれる議論というものには、ほとんどお目にかかることができませんでした。これは歴史の専門家と現代中国の研究者との間にかっちりとした「分業関係」があるためですが、いつまでもそういうお行儀のいいことを言ってもいられないのではないか、という私なりの「危機意識」から、あえて蛮勇をふるってみた、という次第です。
もう一つには、近代以降の日中間の経済交流がたどってきたある種の「パターン」を頭の中に入れておくことで、これから生じうるある種の誤謬を避けることができる、と考えるからです。すでに述べたように、現在の日中関係は、「経済関係がうまくいっているようでも、必ずどこかで「政治」問題がその邪魔をする」「どんなに政治的に冷え込んでいるようでも、「経済」的なつながりを求める動きがやむことはない」という、コインの裏と表のようなもどかしい動きで特徴づけられます。しかし、すこし歴史を振り返ってみれば、このようなジレンマはなにも最近になって生じたわけではなく、近代以降の両国の交渉において、何度となく繰り返されてきたパターンだということが分かります。私は、まずそのことを念頭に置いて今後の日中関係を考えていくべきだと思っています。
この本では詳しく述べていませんが、近代以降の日中間がなかなか政治・経済の両面で良好な関係を築くことができないのは、基本的には日中の社会の成り立ちの仕組み、特にその「統治」に関する根本的な考え方が異なるからだ、と私は考えています。ですので、「政治的にもう少し歩み寄りさえすれば―端的には「対米従属」路線を変更すれば――日中関係は基本的にうまくいくのだ」、といった楽観的な日中友好論に私は賛成できませんし、むしろこれから両国が新たな関係を築いていくためには障害になると考えています。こういった点については私の前著である『日本と中国、「脱近代」の誘惑――アジア的なものを再考する』(太田出版)あるいは『「壁と卵」の現代中国論――リスク社会化する超大国とどう向き合うか』(人文書院)で詳しく論じていますので、そちらを参照してほしいと思います。
本書の執筆に当たっては、今までにないほど多くの方から直接的・間接的なご協力をいただきました。新尚一(神栄株式会社)、片山啓(アジア経済知識交流会)、土井英二(兵庫県貿易株式会社)の各氏には、国交回復以前の日中民間貿易に関する貴重な体験談を聞かせていただいたほか、関連する資料もお貸りしました。梶谷浩一氏(公益財団法人有隣会)には、倉敷市にある旧クラレ倉敷工場資料館をご案内いただき、大原總一郎に関する資料を紹介していただきました。伊藤亜聖氏(東京大学)からは深圳のドローン産業についての写真をお借りしました。また、加島潤(横浜国立大学)、高木久史(安田女子大学)、木村公一朗(アジア経済研究所)の各氏には、草稿段階で本書に目を通していただき、各分野の専門家の立場から適切なアドバイスを受けることができました。心より感謝いたします。
本書の企画は今から約四年前に、筑摩書房の橋本陽介さんから、拙著(『「壁と卵」の現代中国論』)を読んだところ、なかなか面白かったので、日中関係に関する新書を書いてみないか、という丁寧なお手紙を受け取ったことに始まります。それ以来、なかなか執筆が進まなかったのを、今日まで気長に待っていただきました。月並みな謝辞になってしまいますが、橋本さんの強い勧めと粘り強い催促がなければ、近代以降の日中間の経済交流を概観する、という大それたテーマを完成させることなど、とてもかなわなかったでしょう。この場を借りて改めてお礼を申し上げたいと思います。
本書の執筆が大詰めに差し掛かっていた八月末、思いがけず恩師であり同僚でもあった神戸大学の加藤弘之教授の訃報に接することとなりました。加藤先生からは、大学院の修士課程の時代から、中国経済という対象を日本人という「異邦人のまなざし」で見ること、その全体像を常に念頭に置いて具体的なテーマを研究すること、この二つの姿勢の重要性を繰り返し叩き込まれました。直接日中関係に関する著作をお書きになることはありませんでしたが、特にその晩年には、日中はどうすればうまくお互いの利益を尊重しあいながら付き合うことができるのか、常に念頭におかれながら、その研究活動を続けてこられたように思います。もう半年ほど早く完成させていれば先生にも読んでいただけたのに、と思うと、今回ばかりは自分の非力が無念でなりません。謹んで、この小著を今は亡き加藤先生に捧げたいと思います。
二〇一六年一〇月梶谷懐

梶谷 懐 (著)
出版社 : 筑摩書房 (2016/12/6)、出典:出版社HP