日本妖怪変化史

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大正時代の妖怪研究を知る

本書は、大正から昭和にかけて活躍した歴史学者である江馬務氏が大正12年に発表した論文を収録したものです。これは、民俗学で有名な柳田國男氏による妖怪研究に先駆けて発表されました。この論文は、妖怪について細かく分類・分析しており、妖怪の定義・解釈について現代と異なる点もありますが、妖怪学の原点ともいえる貴重な一冊となっています。

江馬 務 (著)
出版社 : 中央公論新社; 改版 (2004/6/1)、出典:出版社HP

目次

自序

日本妖怪変化史

第一章 序説
第二章 妖怪変化の沿革
第三章 妖怪変化の生成ならびに出現の原因
第四章 妖怪変化の出現の時期・場所と景物
第五章 陰火と音響
第六章 妖怪変化の容姿と言語
第七章 妖怪変化の性、年齢、職業
第八章 妖怪変化の能力と弱点
第九章 結語

文芸上に表われたる鬼
火の玉

解説 香川雅信
索引

江馬 務 (著)
出版社 : 中央公論新社; 改版 (2004/6/1)、出典:出版社HP

自序

妖怪変化を目して一に主観的幻覚錯覚の心的現象より生ずるものであると断ずるは、近世の学者しばしば皆同ぜざるはないという傾向である。妖は人によりて起こるという金言や、幽霊の正体見たり枯尾花という俳諧はけだし這般の消息を喝破し尽していると思う。しかしながら吾人の専攷せる風俗史の見地から、この妖怪変化の現象を観るときは、これが実在しょうがせまいが、かくのごとき枝葉の穿鑿は無用のことで、過去において吾人の祖先がこれをいかに見たか、これを実見していかなる態度を取りこれに対したかをありのまま、毫もその間に仮作の攙凜入なく材料を蒐集して組織的に編纂すれば、風俗史家の能事を終れりとすべきである。しこうして輓近の学界においてこの種の研究がある程度まで必要を感ぜられているにかかわらず、私の寡聞未だこの種の研究のやや纏まったものの世に出ているのを聞かない。私は夙に妖怪変化の話を嗜み、三高に在学せる頃すでに文学上より見たる幽霊という小冊子を手細工で作ったこともあり、爾来これを補訂して世に出したく思っていたが、大正四年からやや社会的に活動して来た私の主宰する風俗研究会において大正六年京都俱楽部において幽霊に関する書画展覧会を催したとき、陳列された多数の材料を補って同年十月「文学絵画上に見ゆる幽霊」を起草して、京都帝国大学文学会発行の「芸分」誌上に寄稿した。後大正八年九月三日風俗研究会は京都大雲院内家政高等女学校講堂に妖怪変化に関する書籍絵画を展観したが、また珍奇なる新材料が多数一時に集ったため、風俗研究会の機関誌「風俗研究」第二十に妖怪の史的研究と題して、主として妖怪の歴史的変遷を記し、巻末に芸文の前記幽霊に関する論文を付加して発行した。しかるになにしろ前古未曾有の珍書という呼び声高く、発行するや否や旬日を出でずしてたちまち売切れとなり、その後諸方から註文頻々たるにかかわらず、すべてその需に応ずることが出来なかった。その後私は京都絵画専門学校校友会の機関雑誌たる「美」に「文芸上に現われたる鬼」を寄稿し、爾来閑を偸んでなおこの種の材料の蒐集を懈らなかった。

近来風俗史の研究は漸次旺盛に赴き、私の邸を訪ずれる博雅の士もいよいよ多く、皆口を揃えて妖怪に関する書の再版を慫慂せらるるあり。私はすなわち学友として親呢なる江藤澂英氏の勤務しておられる新興気鋭の中外出版株式会社に江藤氏を通じてこの出版を諮ったところ、たちまち快諾せらるるところとなり、ついに本書のかく美装を凝らして発兌を見るに至ったのである。

本書は前述の趣旨によって編纂されたものであるから、その史料としては、一も創作家のみすみすの純仮作的作品は採らなかった。これ後世妖怪変化を多く取扱うている京伝、馬琴、種彦等の作品を採用せなかったゆえんである。しかしながら少々疑しいものでも伝説はことごとく採用した。もしこれを採用せなければ、到底編纂の運びに至らないからであった。その挿画は一も画家の実見したものもなく、また実見者からわざわざ聞いて特に揮毫せられたものも少ないと考えるが、当時の画家が口碑伝説のままに想像上から描出したものであるから、これは採用した。それでその参照した史料は一々その記事挿画の箇所に小字をもって記入しておいた。記事にも挿画にもともに御覧のごとくずいぶん荒誕無稽のことがあって、われながらいささか逡巡せざるを得ぬものもあったが、思い切ってこれも挙げて収用した。けだしこれ今日でこそ荒誕無稽なれ、その時代にはすべて真実と思っていたのであるから、これによって時代時代の思想を知るの一助になろうと思ったからである。読者はこの辺をよく諒察のうえ読んでいただきたい。

それから今一つ本書は妖怪変化史というといえども、明治以後にはまったく言及せなかった。これ明治以前と以後との境には明確なる一大溝渠があって、明治以後はすべてこれを客観的現象として観ず、一にその観者の心象と信ずるに至り、かつ文明の向上はこの種の例をいちじるしく減少せしめたからである。しこうしてかの妖怪学の泰斗井上円了博士の妖怪変化に関する著書などは、この明治以後において詳細であるから、本書を読まれし後に繙かれなば、上下三千年の妖怪変化の沿革は歴然として明らかなるものがあろう。

本書を編するに当りては、表紙絵および多数の挿画は風俗研究所の蔵本や会員諸君から借用した書物から抜萃し風俗研究会幹事小早川好古君、会員斎藤黒零君に模写を乞い、その余の挿画は風俗研究の妖怪の史的研究より抜抄した。またコロタイプ版の絵巻物はすべて京都絵画専門学校の所蔵に係るものであり、京大写真部山本君を煩わして撮影を乞うたその余の錦絵はまた好事家の珍蔵から撮影したもので、かつて芸文に出たものもある。また本書を出版するに当りては終始中外出版の江藤澂英氏に非常な尽力に与った。ここに絵画専門学校図書係堀十五郎氏およびこれらの諸君に対して厚く感謝の意を表する。

最後に私は風俗史を志して十有三年過去における上は至尊より下は乞丐の徒に至る各種風俗を考察して、現在に及ぼし未だ浅薄とはいえいささか一般的の研究を終った。今またここにその来世と神秘の世界を討究し得て、学は三界にわたるを得たのはわれながら欣快に堪えない。これを機として今後は研究の方針をも一転し、ますます専攷の学に一身を捧げたいと思う。
大正十二年八月下浣

俗研究所において
江馬 務識

江馬 務 (著)
出版社 : 中央公論新社; 改版 (2004/6/1)、出典:出版社HP

日本妖怪変化史
第一章 序説

日本の妖怪変化の変遷を説くに際して、まず妖怪変化の意義を確定しておく必要がある。大概の辞書を見れば、「妖怪」は変化と解し、「変化」は妖怪と解し、両語同一の義にとっている。しかしながら私は、年来この方面を研究して、明らかにその意義に差異あることを認めている。それで私の日頃考えている両語の意義を述べてみれば、「妖怪」は得体の知れない不思議なもの、「変化」はあるものが外観的にその正体を変えたものと解したらよいであろう。

こういえば、読者はこういわれるかも知れない。――昔も今も理は一つである。妖怪変化などいうものは世にあるはずのものでない、なるほど、あるいは主観的には存在するかも知れないが、客観的に存在しないから、今日、自動車だの飛行機などの動いている世に、こんな世迷い言は聞くにあたらぬ、と。一応は、ごもっともである。しかしながら、そうした論議で楯つく読者と、私との見地は、根本的に異なっていることをまず自覚していただきたい。本書は、妖怪変化を実在するものと仮定して、人間との交渉が古来どうであったか、換言すれば、われわれの祖先は妖怪変化をいかに見たか、いかに解したか、いかようにこれに対したかということを当面の問題として論ずるのである。

さて妖怪変化を論ずるにあたってまず論ずべきは、彼らの本体である。それを研究すると、
一、人
二、動物
三、植物
四、器物
五、自然物
の五種、およびこれらのうちのいずれか一つに類似した本体のわからないものとなる。この五種に類似したものは、すなわちこの五種に的確に入らないものであるから、「妖怪」と名づけるのが適当であろう。たとえば、川の中に住んでいる「河太郎」(河童)、海の中の「海坊主」というようなものである。また、単に動物に類似しているといっても、猿に似ているというような単純なのでなく、ある部分は猿に似、ある部分は虎に似、ある部分は蛇に似ているというような、きわめて複雑なのもある。源三位頼政に退治られた「鵺」というやつは、すなわちそれである。

次に一言しておくべきは、「化ける」ということである。変化に属するものは、すなわちこの化けることを特徴としている。化けることを静かに考察すると、
一、現世的 精神的
二、輪廻的 実体的
の四種がある。現世的に化けるとは、現世において、そのものの一種の能力により魔力に拠ってまったく前の姿態と変わったものとなることで、狸や狐の化けるのは、すなわちこれに属する。輪廻的に化けるとは、宗教的思想に拘束された結果起こったことのようで、死して後、すなわち後世で、また別の正体となることである。すなわち幽霊の類がこれに属する。しかしてこの変化の化け方の両方便がまた、精神的なのと、実体的なのと、二種に分類することができる。精神的というのは、その変化の精神だけが化けものの活動をするので、正体は実現されないものである。たとえば人の生霊というもののごとく、現在生存せる人の精神がさまざまの方面に働くのである。実体的というのは、これに反して、化けものが正体を現じて、ある活動をする場合である。しかるに妖怪は、変化に比すると、大概は融通のきかぬ手合が多く、たいてい勇士にかかると三尺の秋水などで斬り伏せられ、死んでしまって、お終いである。

ただ、ここにちょっと断っておくことは、妖怪と変化とはその区別が劃然としていないことで、たとえば「鬼」のごとき、人が死して鬼になることもあり、また妖怪として鬼というものもあり、かく両者共通のものもあることで、これはそのつど考えねばならぬ。

以上述べた妖怪変化はわれわれの祖先とはさほど縁の遠いものでなく、古からずいぶん密接な関係を有していて、現にあちこちに怪談が絶えず、狸に誑かされた人もあれば、枯尾花ならで幽霊を見た人もある。試みにわが国上下二千年の歴史を通覧すれば、この種の記事の散見しないことはないくらいである。しかしてこの妖怪変化がまた、時代によってさまざまに異なった色彩をもち、特殊な活動をとげている。あたかも人間の世界と軌を等しくしているのも可笑しいではないか。これから、まず眼を転じて、妖怪変化の沿革と種類から記していこう。

江馬 務 (著)
出版社 : 中央公論新社; 改版 (2004/6/1)、出典:出版社HP