脳はいいかげんにできている: その場しのぎの進化が生んだ人間らしさ

『ここまで明らかになった – 【最前線】脳科学を知る5冊』も確認する

目次 – 脳はいいかげんにできている: その場しのぎの進化が生んだ人間らしさ

プロローグー「その場しのぎ」の図が人間らしさを生んだ
第1章 脳の設計は欠陥だらけ?
脳の作りは、案外いい加減/スイッチが入ったままの小脳/脳はアイスクリームコーンのようなもの/人間の脳を賢くしているもの

第2章 非効率な旧式の部品で作られた脳
燃費が悪い脳/軸索は水漏れする庭のホースのよう/脳はサイコロを振る/出来の悪い部品に何が素晴らしい能力を与えるのか?

第3章 脳を創る
遺伝子ではできないこと/ニューロンの運命/発達中の脳は戦場のようなもの/環境の豊かさはビタミンに似ている/細かい配線を環境に任せ た理由

第4章 感覚と感情
脳はなぜ「物語」を作るのか?/P細胞とWhat経路、M細胞とWhere経路/情報の保間を埋める/痛みを避ける学習

第5章 記憶と学習
記憶はどのように保存されるのか?/記憶の概乱/記憶の想起はネット検索に似ている/記憶のエラーが起こる理由/長期記憶の作られ方/海 馬とLTP、LTD/武要な役割を果たすNMDA型受容体/場所の記憶、脳内地図/「記憶」は、進化の偶然の産物に過ぎない

第6章 愛とセックス |
人類は変質者?/脳が決めた性の特徴/脳の性差とは何か?/愛とセックスの仕組み/歯磨きで起こるオーガズム/性的指向と脳の関係

第7章 睡眠と夢
眠らせない実験/睡眠はなぜ必要なのか?/レム睡眠とノンレム睡眠が交互に行われる理由/体内時計の進化/なぜ夢を見るのか?/空飛ぶ夢とコリン作動性ニューロン/怖い夢が記憶の統合を促す?

第8章 脳と宗教
宗教が存在する理由/関の「物語作り」は止められない/「超自然的な説明」の作用

第9章 脳に知的な設計者はいない
インテリジェント・デザイン論の誤り/まったく逆の真実

エビローグー「中間部分」の欠落
謝辞
訳者あとがき
参考文献

大きな店は、大きな政府に似ていて、簡単なことを簡単にはなかなかできない。
ドナルド・O・ヘップ

デイヴィッド・J. リンデン (著), David J. Linden (原著), 夏目 大 (翻訳)
河出書房新社 (2017/5/8)、出典:出版社HP

プロローグー「その場しのぎ」の脚が人間らしさを生んだ

脳の研究をしていて得なのは、ほんの時々だが、まるで読心術を使えるかのように見せられることだ。たとえばカクテルパーティの時。白ワインのグラスを手に立っていると、ホストが他の客に私を紹介してくれる。そういう時は、どうしても最業について触れることになる。「こちらはデイヴィッド。脳の研究者ですよ」という具合に。それを聞いて、ほとんどの人は賢明にも、すぐに背を向けてウイスキーや水を探しに行ってしまう。

だが、その場に留まる人もいて、半数くらいは、しばらく無言で天井を見つめ、やがて眉を上げて話し始めようとする。そこですかさず私はこう言うのだ。「人間が成の一〇パーセントしか使っていないというのは本当ですか、とかねようとしたでしょう」―相手は目を丸くしてうなずく。これで私はもう読心術の使い手だ。「一〇パーセントの話(この話が事実無根である、ということは言っておかなくてはならない)」が済んでも、いろいろと質問されることがあって、腐に興味を持っている人は多いのだな、とわかる。中には、かなり本質的で、答えるのが難しい質問もある。

「赤ちゃんにクラシック音楽を聴かせると脳の成長に役立ちますか?」「夢の中の出来事は不思議なものになることが多いけれど、脳の仕組みに何か原因があるのですか?」「ゲイの人の度は、ストレートの人と物理的な構造が違うのでしょうか?」「自分で自分をくすぐってもくすぐったくないのはなぜ?」

どれも良い質問だ。今の科学で明確に答えられるものもあれば、昧な、言い逃れのような答えしかできないものもある(スキャンダルについて話すビル・クリントンのような話し方になることもあるかもしれない。「隣」という言葉の正確な定義が不明確なので……」などと歯切れの悪いことを言い出す可能性もある)。だが、研究者でない人と、こうしたことを話すのは楽しい。こちらが困惑するほどの難しい質問でもまったく恐れることなく母ねるからだ。

ひとしきり話した後、「脳やその機能について、専門家でなくても読めるようなおすすめの本はありませんか」と尋ねられることもある。これも難しい質問だ。もちろん、良い本がなくはない。ジョゼフ・ルドゥーの「シナプスが人格をつくる―細胞から自己の総体へ(Synaptic Self)(谷垣既英訳、みすず書房)などは、科学的に見て素晴らしい楽績であることは間違いない。とはいえ、生物学や心理学の学位がなければ読みこなすのは大変だろう。オリバー・サックスの「妻を帽子とまちがえた男(The Man Who Mistook His Wife for a hat)」(高見幸郎・金沢泰子訳、晶文社)や、V・S・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリーの「脳のなかの空塞(Phantoms in the Brain)」(山下麗子駅、角川書店)などもいいかもしれない。

いずれも、神経学史上に残る事例を基にした興味深い物語であり、目を開かれる思いをする人も多いだろう。だが、威の機能について幅広い理解ができるという本ではない。また、分子レベル、細胞レベルの話はほぼ出てこない。逆にそのレベルのことを書いた本は、ほとんどが非常に退屈であり、最初のページを読み終わる前に、魂が体から離れてしまうようなものばかりである。

さらに問題なのは、脳についての本の大部分が、古くからある根本的な誤解に基づいて書かれていることだ。この傾向は、テレビの教育番組でより距著だ。こうした本やテレビ番組では、脳を巧みに設計された機械、効率的にはたらく素晴らしい機械として描いている。究極の機械、という扱いだ。読者も一度は見たことがあるだろう。人間の脳に、横からドラマチックな感じの光が当てられ、カメラがさまざまな角度からそれを映し出す。まるでストーンヘンジをヘリコプターから域影する時のように、機械処理を施したバリトンの声が、うやうやしい子で脇の洗練された設計を褒め称える……。

まったくのナンセンスだ。脳の設計はどう見ても洗練されてなどいない。寄せ集め、間に合わせの産物に過ぎない。にもかかわらず、非常に高度な機「能を多く持ち得ているというのが驚異なのである。痩能は素晴らしいのだが、設計はそうではないのだ。ただ、脳やその構成部品の設計は、無計画で非効率で問題の多いものだが、だからこそ人間が今のようになったという側面もある。

我々が日頃抱く感情、知覚、我々の取る行動などは、かなりの部分、脳が非効率な作りになっていることから生じているのだ。啓は、あらゆる種類の問題に対応する「問題解決機械」だが、その作りは、何億年という進化の歴史の中で生じた種々の問題に「その場しのぎ」で対応してきた痕跡をすべて、ほぼそのまま残している。そのことが人間ならでは特欲を生み出しているのである。

本書で私は監がいかにおかしな、非論理的なものになっているかを書いていこうと思う。成、そして神経ネットワークの奇妙な特故、直感に反するような特性、それがどう我々の生き方に影響しているかを書いていきたい。脳は、いくつもの制約を受けて進化を遂げてきたが、それがまさに他の動物とは大きく違う人間ならではの特徴を生み出した。

他の動物よりも長い子供時代を過ごすこと、記は容量が極めて大きいこと(我々一人一人の個性は、主として記憶によって生じると言ってもよい)、特定の相手と長く夫婦関係を続けること、一貫性を持つ物語を作りたがること、文化を問わず宗教を持つこと…どれも脳の成り立ちに原因がある。

話を進めていく中では、少々、専門的なことにも触れる。読者が脚に関して「知りたい」と思うことを十分に理解するためには、ある程度、専門知識も必要だからだ。取りあげているトピックは、感情、錯覚、記憶、夢、愛とセックス、双生児など興味深いものばかりである。本質的な疑問、素朴な疑問にもできる限り答えるし、答えがわからない場合、不完全にしか答えられない場合も正直にそう書くつもりである。

もし、読んでいて、知りたいことへの答えが十分に得られないと感じたら、私のウェブサイト(www.davidlinden.org)も見て欲しい、楽しい本になるよう努力はするが、専門的なことを一切書かないというわけにはいかない。食料品のラベルのように「難しい科学理論は一切使用しておりません」というわけにはいかないのだ。

分子遺伝学の先駆者、マックス・デルブラックには「話をする時は、相手に知識はまったくなく、知性は無限にあると思って話せ」という言葉がある。本当にそのとおりだろう。そう思って書いたつもりだ。ともかく、読んでみて欲しい。

デイヴィッド・J. リンデン (著), David J. Linden (原著), 夏目 大 (翻訳)
河出書房新社 (2017/5/8)、出典:出版社HP