冤罪はこうして作られる

現在の冤罪について知る5冊 – 他人事でなく知っておきたいことも確認する

目次

序章冤罪に泣く人々
再審を求める二十年……いまも続く冤罪の訴え……朝の来ない夜はない……後さんの「静かな微笑」……無念の死を迎えた人々……他人の悲劇ではない……私たちがすべきこと

第一章再審=狭き門
相次ぐ再審無罪…いまだ開かれぬ再審……誤判は例外的病理現象ではない……無罪と同数の再審請求……冤罪=誤判の暗数……検察には広く、被告人には狭い「再審の門」

第二章なぜ虚偽自白をするのか
誤判のはじまり……松山事件の発生……根拠の薄弱な容疑……別件逮捕の強行……五日目に嘘の自白……斎藤さんの自白……アリバイを握りつぶす……警察スパイのそそのかし……布川事件の発生……虚偽自白に追いつめる……アリバイ隠しとポリグラフ検査……桜井さんの自白……よみがえった記憶…….代用監獄に逆送……警察への不信感……取り調べから逃れたい一心で再自白……連日・長時間の取り調べ

第三章代用監獄で何がおこなわれるのか
見込み捜査の危険性……別件逮捕は違憲……別件逮捕は誤判のはじまり……自白追求へ駆りたてるもの……アリバイがなければ犯人……免田事件のアリバイつぶし……アリバイ証人を偽証へ誘導……貝塚ビニールハウス殺人事件のアリバイつぶし……取り調べ室での拷問……後を絶たぬ暴力的取り調べ……肉体的ダメージと精神的ダメージ……警察スパイの違法性……ポリグラフ検査の悪用……代用監獄制度とは何か……拘置所と警察留置場……面倒見の威力……代用監獄あってのスパイ……代用監獄への逆送の異様さ……代用監獄制度は違憲……逆送の違法性

第四章崩壊した誤判――松山事件
なぜ虚偽自白を見抜けないのか……松山事件の起訴状の内容……自白の内容……動機の薄弱さ……斎藤さんをみていない証人……唯一の物証……三木鑑定の疑問点……古畑鑑定の強引な結論……本当に斎藤さんの布団だったのか……本当に血痕が付いていたのか……死刑判決下る……任意性判断の誤り……スパイ疑惑を無視……自白の不自然さを無視……鑑定を無条件に信頼……強引な被告人質問…創作か誘導か……裁判長の先入観……顔をみなければ確認にならないか……第二審判決の逆立ち的思考……棒読み自白の録音テープ……自白は科学的に裏付けられたか……都合の悪い証拠は無視……動機認定のずさんさ……解せぬ金森証言の扱い……誤判の確定……第一次再審請求を棄却……深まる血痕捏造の疑惑……血痕は付いていなかった?……ついに再審開始……崩壊した誤判

第五章誤判の隠蔽――布川事件
布川事件の起訴状の内容……突然出現した目撃証人……二人の男をみた少年……向こうの人がきめたこと……無期懲役判決下る……自白の判断の誤り……理由なく変転する自白……二人の自白のくい違い……詳しすぎる自白、簡潔すぎる自白……意味のない偽装工作……客観的事実との不一致……第二審はじまる…あやふやな目撃証言…みえない人影…..ポリグラフ検査の内容は知らなかった?……控訴棄却の判決……疑問のあるアリバイつぶし否定……根拠なき断定…トリッキーな論法……上告棄却の決定……証拠にもとづかない思いつき……再審請求の棄却…隠蔽された誤判……誤判隠蔽の意図

第六章裁判官はなぜ誤るのか
捜査への無関心……憲法を無視……物証捏造への無関心……なぜ偽証を見抜けないのか……裁判官の四つの意識……コントロールされる裁判官……『自白の研究』……「三日あったら自白させてやる」……人間の「弱さ」が理解できない裁判官……虚偽自白の特徴を見逃す……予断をもって自白を読む…….誤判の蔭に誤鑑定あり……鑑定人の予断

第七章冤罪を防ぐために
捜査の歪みを直す……第三者による起訴チェック……自白依存からの脱却……裁判所、検察、警察の民主化……陪審制の歴史的教訓……冤罪救済システムの改善……刑事補償と国家賠償の充実……裁判所の誤判責任……誤判克服への動き……対照的な熱意……冤罪を許さない社会

主要文献
あとがき

序章冤罪に泣く人々

再審を求める二十年
一九九二年六月九日、東京の霞が関にある日本弁護士連合会(日弁連)の講堂で「再審問題二十周年記念集会」が開かれた。免田事件の免田栄さん、弘前事件の那須隆さん、梅田事件の梅田義光さんの三人の元被告人をはじめ、再審弁護団、刑事法学者、法医学者、作家、マスコミ関係者、救援活動関係者など、合計百二十五名もの人々が集まった。
そこでは、二十年間をふり返るとともに、いまなお再審請求中の事件が直面している困難な状況にどう対処し、これをどう克服していくべきかが熱心に討議された。
二十年前の一九七二年、日弁連は免田、弘前、梅田、徳島、徳本、米谷、加藤の各事件をはじめとする数多くの冤罪再審事件を抱え、苦難の道を歩んでいた。当時、再審は「狭き門」どころか「開かずの門」であり、再審を求める冤罪救済の動きはまったく光明のない状態にあった。

この状態を打開しようと、日弁連は同年七月二十五日、再審問題研究会を設けて、再審の法理論の研究と弁護活動の経験交流とに本格的な取り組みをはじめた。この動きを契機として、冤罪を救う再審運動は、弁護士会の内外に大きく拡がっていった。それまでの事件ごとの孤立した苦しい闘いが、日弁連という太い軸を中心に結びつき、再審を求める大きなうねりを形づくったのである。
一九七五年五月二十日に出された最高裁判所の決定は、このうねりを大きな流れへと押し進める役割をはたした。白鳥事件(一九五二年発生)の再審請求に対する決定である。
このなかで、最高裁判所は、再審請求を認めるか否かの判断の際に、「疑わしいときは被告人の利益に」の原則が適用されるべきである、という画期的な判断を示した。この最高裁白鳥決定が出た後、続々と再審が開始され、再審無罪が言い渡された。
無実の罪に泣く冤罪者を救う再審の新しい流れは、人権を尊重し、真実と正義を愛する良心的な法律家(弁護士、裁判官)、学者、救援活動関係者、一般市民、マスコミなどの、長い年月にわたる地道な努力に支えられ、大きな成果をあげた。このことは、わが国の人権史上の金字塔というべきである。再審問題二十周年記念集会に集った人々の胸には、その塔にささやかな「黄金の釘」を打ちつけたという感慨があった。

いまも続く冤罪の訴え
それと同時にこの集会は、いまもなお冤罪救済の訴えが数多くあり、その解決には、これまで以上の工ネルギーで取り組まなければならない現状をも明らかにした。
日弁連が支援した再審事件のうち、無罪がすでに確定したものが十一事件(吉田、弘前、加藤、米谷、瀧、免田、財田川、松山、徳島、梅田、島田の各事件)あるのに対し、現在支援中の事件が九件(山本、榎井村、牟礼、丸正、名張、袴田、尾田、布川、日産サニー)、調査中の事件が五件ある。これらの事件以外にも、帝銀事件や狭山事件なども重要な再審事件である。
無罪確定ずみのものを除くこれらの再審事件が、今後どのような推移をたどるかは予測できないが、現時点で明暗のはっきりしている二つの事件について述べておきたい。
一つは、一九九二年三月二十四日に再審開始決定が下された、日産サニー事件である。この事件は一九六七年十月、福島県いわき市内の日産サニーいわき営業所で起こった強盗殺人事件である。
その犯人として斎藤嘉照さんが、事件発生後六ヵ月経ってまったく別の窃盗事件の容疑で逮捕され、十日後に日産サニー事件の自白をした。深夜に風呂場の窓から忍び込んで金などを物色していたところを宿直員にみつけられ、その宿直員のもっていた果物ナイフで首などを切りつけて殺し、現金二千円余りとズボン一着をとって逃げた、というのである。この自白がきめてとなって、斎藤さんは一九六九年四月二日、福島地方裁判所いわき支部で有罪(無期懲役)を言い渡され、控訴も上告も棄却されて有罪が確定した。
斎藤さんは服役した後、仮出所し、再審を請求した。斉藤さんの無実の訴えは、逮捕されてから約二十四年ぶりに、裁判所によって認められたのである。
再審開始決定によれば、自白では果物ナイフが兇器として使われているが、しかし宿直員の体には果物ナイフでつけられたとは認められない傷があり、このことに自白が触れていないのは不自然であるなど、自白は信用できない、というのである。
ところが検察側が再審開始決定に対し、不服(即時抗告)を申し立てて争っているため、再審開始は先にのびてしまった。とはいうものの、おそらく再審開始決定は仙台高等裁判所(即時抗告審)でも認められ、再審が開かれることになるだろう。

朝の来ない夜はない
このように日産サニー事件が再審開始に向けて明るい展望をもっているのに対し、布川事件の再審請求は、一九九二年九月九日、最高裁判所の特別抗告棄却決定により却けられてしまった。
この事件は一九六七年八月、茨城県利根町布川で起こった強盗殺人事件である。犯人として、桜井昌司さんと杉山卓男さんの二名の青年が、まったく別の事件で逮捕された。しかし、きめてとなる物証はなく、逮捕後の取り調べによりなされた虚偽の自白と、きわめてあやふやな目撃者の証言とがあるのみであったが、一九七〇年十月六日、水戸地方裁判所土浦支部は二人に無期懲役を言い渡した。二人は控訴・上告して争ったが、却けられてしまった。
そこで二人は無実を主張し再審を請求した。しかし、この請求は一九八七年三月三十一日、水戸地方裁 判所土浦支部により棄却された。一九八八年二月二十二日、東京高等裁判所もこの棄却決定を支持して即 時抗告を棄却し、最高裁判所も特別抗告を棄却してしまったのである。
特別抗告棄却の決定を受けとった杉山さんは、「冤罪に巻き込まれた不運、良い裁判官にめぐり会えな い不運」をなげきつつも、「朝の来ない夜はない、真実は必ず勝つと信じてさらに頑張っていく」と決意 を新たにし、桜井さんは「二十五年間の無実の叫びがたった百七十六文字で退けられた」と怒りを吐露した。
「明けない夜はない」「真実は必ず勝つ」との思いは、ほかの再審事件の元被告人にとってもまったく同 じであろう。しかし、再審請求がなかなか認められないうちに、歳月は十年、二十年、三十年と経過していく。
生きているうちに冤罪を晴らしたいとの切実な願いをこめて、第二次再審請求を起こした山本事件の例 をみよう。この事件は、一九二八年十一月に広島県下高野山村で起きた養母殺し事件である。山本久雄さ ん(当時二十九歳)が養母扼殺の犯人として、一九三〇年一月二十四日、広島地方裁判所により無期懲役に 処せられ、控訴・上告も却けられた。
服役後、仮出所した山本さんは、一九八三年九月、無実を主張し再審を請求した。養母の死因を扼殺と みた鑑定は誤りで、事故死ないし病死であるというのが山本さんの主張であり、これを裏づける新鑑定が 提出された。
ところが、この請求は広島高等裁判所により一九八七年五月二日、却けられ、これに対する不服申し立 て(特別抗告)も却けられた。しかし、山本さんはあきらめなかった。一九九二年四月二十四日、第二次再 審請求をおこなったのである。
九十二歳になる山本さんは、自ら広島高等裁判所に赴いて再審請求書を提出し、係官の手を握りしめ、「どうか生きているうちに再審・無罪の判決をして下さい。無き罪を晴らしてお母さんのもとに行かせて下さい」と涙ながらに訴えた。記者会見でも山本さんは、拷問され白紙の自白調書にムリヤリ署名させら れたことを涙ながらに説明し、無実を訴えたのである。

後さんの「静かな微笑」
山本さんの願いは、はたして聞き届けられるであろうか。真実の勝つことを信じ、正義を信じる者は、この問に対し躊 躇することなくイエスと答え、そうなるよう努力すべきだというであろう。私もその一人 である。
しかし、再審の現実をよく知る者は、胸の痛くなるような不安と懸念がわくのを禁じえない。冤罪を晴らせぬままこの世を去った人々が、最近でもかなりいることを知っているからである。その例として、江 津事件の後房市さんのことを書き記しておきたい。
一九九一年八月一日、島根県出雲市内の病院で八十二歳の老人が息をひきとった。江津事件の元被告 人、後房市さんである。後さんは、一九六二年十月に江津市内で起きた殺人・死体遺棄事件の犯人として 起訴され、一九六六年二月一日に松江地方裁判所より無期懲役を言い渡された。
第二審の広島高等裁判所松江支部は、第一審が兇器を「ガンヅメ(鉄製熊手)」と認定したのは誤りで、 「鍬、ガンヅメ又はこれに類似する鈍器」であると訂正したうえで、あらためて無期懲役を言い渡した(一九七一年一月二十八日)。兇器の点を曖昧にぼかしたこの第二審判決を、最高裁判所は支持し、後さんの 上告を棄却した(一九七三年九月二十五日)。
兇器の種類についての事実認定の変化からもうかがい知られるように、後さんを犯人だとする物証はな かった。第一審が兇器と認定した「ガンヅメ」から血痕を検出することができなかったからである。
後さんは一貫して犯行を否認し、自白しなかった。それだけでなく、確定有罪判決が犯行日と認定した 日の翌日に被害者に会ったという証人も現われた。そこで後さんは再審を請求したが、一九七九年三月二日、広島高等裁判所松江支部により却けられ、これに対する異議申し立ても棄却された(一九八二年十二月二十五日)。
最高裁判所も一九八七年二月五日、特別抗告を棄却し、後さんの望みを絶った。後さんは、最高裁判所 の決定を広島市内の病院のベッドで受けとった。というのは、その二日前に高血圧症悪化のため刑の執行 を停止されて釈放され、入院中だったからである。
後さんは、ついに無実の訴えを実らせることができないまま、この世を去った。刑の執行停止による釈放の告知を受けたとき、頬を紅潮させて涙を流した後さんだったが、その二日後に抜き打ち的な特別抗告棄却決定を知らされたときには、静かな微笑でこれを受けとめたという(『日弁連再審通信』四九号)。
この静かな微笑の陰にあったものは、いったい何であったのだろうか。おそらく、あきらめにも似た気 持だったのだろう。が、それにしても後さんは、冤罪を晴らすことができなかった無念の想いを抱いたま ま、世を去ったのである。無惨というべきである。

無念の死を迎えた人々
無惨にも無実の訴えを実らせることができないまま、生涯を終えた人はほかにもいる。帝銀事件の平沢貞通さんもそうである。
平沢さんは、一九四八年一月二十六日に発生した帝銀事件の犯人として、その年の八月逮捕された。一 時は自白したこともあったが、ほぼ一貫して無実を主張した。一九五五年五月の死刑確定後も再審請求を くり返し、その数は十八回におよんだ。しかし第十八次再審請求中の一九八七年五月十日、八王子医療刑務所で死去した。九十五歳であった。
それは、弁護人をつとめた竹沢哲夫弁護士のいうように「無念の死」であったが、同じような無念の想いを抱いて死去した人として、丸正事件の李得賢さん(一九八九年一月二日死去)と鈴木一男さん(一九九二年十二月二十七日死去)、牟礼事件の佐藤誠さん(一九八九年十月二十七日死去)もいる。
その人々の無念の想いがどのように凄絶なまでに深いものであったかは、佐藤さんの辞世の歌となった 次の一首が示している(佐藤誠『天の梯子』より)。

独房に死を待つのみなり秋の蚊よ心ゆくまでわれの血を吸え

冤罪の主人公にされた人とその家族の悲劇を、語りつくすことはできない。その人たちは、人間として の幸せを奪われ、場合によっては命さえ絶たれてしまう。苦難の末、冤罪を晴らすことができても、失わ れた歳月、失われた人生、失われた幸福を取りもどすことはできない。
しかも、冤罪を作り出した警察当局、検察当局、裁判所は、なんら責任を取ろうとしないし、損害賠償 もしてくれない。このことは、再審無罪となった事件のうち、国家賠償請求訴訟が起こされた金森事件、 加藤事件、弘前事件、米谷事件、松山事件の五事件とも、敗訴となっていることをみればよくわかる。

他人の悲劇ではない
だが、私たちは冤罪を、気の毒な人に降りかかった「他人の悲劇」としてみてはならない。というの は、この悲劇が明日にも、自分の身の上に降りかかってくるかもしれないからである。というのはこうである。
犯人を特定できる証拠がみつからないと、捜査当局はあやしいと思う人を逮捕し、強引で狡猾な手段を 使って糾問的に取り調べる。あやしいとにらむ根拠は、アリバイがはっきりしないとか、日頃の素行が悪 いとかいった程度のものであることが多い。
取り調べは頭から犯人視するやり方で、アリバイなど確実な無罪証拠を出さないかぎり犯人だという前提で自白を迫る。被疑者がそれに耐えきれず、その場しのぎに虚偽の自白をすると、それにあわせて証拠固めがおこなわれ、起訴される。裁判で自白は嘘だったと主張しても、裁判所は耳を傾けず、自白をもとに有罪を言い渡す。
このように冤罪の悲劇は、捜査当局の見込みの誤りにはじまり、それが検察当局にも裁判所にもチェックされず、追認され、上塗りされて作りあげられていく。とすれば、誤判を生み出しているのは、見込み にもとづき逮捕して強引に取り調べ、その結果得た自白で有罪を言い渡すことを許している、わが国の糾 問的な刑事手続の構造そのものだということになる。
たまたま見込みが狂ったため冤罪を生み出すことになるが、見込みが当たれば真犯人処罰に成功、とい うわけである。そして、ある人を犯人と見込むかどうかは、捜査官の勘(第六感)によるところが大きいか ら、私たちのふるまいが捜査当局にあやしいと思われてしまえば、たちまち悲劇の主人公となってしまう のである。冤罪の悲劇はけっして他人事ではない。
それだけではない。次のような意味でも、冤罪の悲劇は他人事ではないのである。
一八九四年にスパイ行為を犯したとしてぬれ衣を着せられ終身禁固刑に処せられた、ドレフュス大尉を 救うために立ちあがったフランスの文学者エミール・ゾラは、「わたくしは弾劾する」と題する一文のなかで誤判を「罪悪」として糾弾し、「わたくしは断じてこの罪悪の共犯者でありたくない」と宣言した(稲葉三千男『ドレフュス事件とゾラ』)。
冤罪の存在に関心をもとうとしない者、冤罪の存在に気づきながら目をつぶろうとする者、冤罪の存在を知りながらそれを批判しようとしない者、冤罪であることを知りながらそれを匡そうとしない者、冤罪 の原因を解明しようとしない者、冤罪の責任を糾明しようとしない者、冤罪の被害を救済しようとしない 者――これらの者は、まさしく冤罪の「共犯者」である。私たちは「共犯者」になってはいけない。

私たちがすべきこと
冤罪の悲劇を許してはならない。では、どうすれば冤罪を防ぐことができるか。その方策をさぐり実行 することは、私たちが人権尊重の民主主義社会の一員として生きていくうえで、緊急に必要な課題だと考える。
そのためには、何よりもまず、なぜ冤罪が生ずるのか、そのメカニズムを明らかにしなければならな い。そのメカニズムの実体は、刑事手続に関与する人々の、具体的状況下におけるさまざまな判断の集積 にほかならない。
したがって、冤罪のメカニズムを本当に理解しようと思う者は、それらの判断過程に、具体的に分け入 ってみなければならない。それはわずらわしい作業ではあるが、必要なことである。
本書は、松山事件と布川事件という二つの具体的な冤罪事件を取りあげ、冤罪が作られていくプロセス と、それが崩壊(松山事件)または隠蔽(布川事件)されていくプロセスとを、できるだけ詳しくたどるこ ととする。それは、冤罪=誤判の原因およびその防止・是正の方策について、読者に自ら考えてもらうよ うにしたいと考えたからである。読者に、とくにこの点についての心構えをお願いしたいと思う。
なお、冤罪および誤判という言葉について、あらかじめ説明を加えておきたい。「冤罪」とは一般に 「無実の罪」のことをいい、犯人でない者が嫌疑をかけられ逮捕、起訴、審理、有罪言渡などを受ける状態をさす。
これに対し「誤判」とは、言葉通りには誤った判決をいい、誤った有罪判決だけでなく、誤った無罪判決もふくむ。また犯人でない者が誤って有罪とされる冤罪の場合だけでなく、犯人であることの証拠が十分でない者が有罪とされる場合、犯人ではあるが無罪となるべきなのに誤って有罪とされる場合(例えば正当防衛で無罪となるべきなのに有罪となる場合や、法律解釈の誤りにより有罪となる場合など)、犯罪事実の認定に 部分的な誤りのある場合などもふくむ。
本書で主として取りあげるのは、もっとも悲劇性のつよい誤判、すなわち犯人でない者が誤って犯人と され有罪とされる「冤罪」型の誤判である。