高校生からのゲーム理論 (ちくまプリマー新書)

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高校生からでも大人からでも!

ゲーム理論をちょっとでも知りたいと思ったら、本書はうってつけです。人間や組織の相互的な関係を読み解くものであるゲーム理論が具体的な事例をもとに紹介されています。高校生からとのタイトルですが、もちろん興味がある社会人からでも面白い内容となっています。

松井 彰彦 (著)
出版社: 筑摩書房 (2010/4/7)、出典:出版社HP

 

目次

序章 恋は駆け引き
第一章 戦略編
1はじめの一歩
2 PKは苦手な方向へ蹴れ
3共有地の悲劇
4タルムードの財産分割

第二章 歴史編
1背水の陣
2天下三分の計
3デルフィの神託

第三章 市場編
1きつねの手ぶくろ
2参入か否か、それが問題だ
3折れた翼
4コンパスより折り紙
5顔の見える競争

第四章 社会編
1真実はみんなの意見でつくるもの
2おれがやらなきゃだれかやる
3帰国子女の女の子
4みんなが手話で話した島

第五章 未来編
1人間の科学を目指して
2いじめられる理由なんてない
3理論が世界を変える
あとがき
もっと勉強したい人のために
参考にした本
本文イラスト川口澄子

松井 彰彦 (著)
出版社: 筑摩書房 (2010/4/7)、出典:出版社HP

序章 恋は駆け引き

数年前、久方ぶりに本郷のキャンパスに戻ってきたぼくは、気持ちだけはすっかりあのころに戻っていた。学生とサッカーをし、飲みに行き、恋愛の話をし、失恋の話をした。ただし、今回は、もっぱら聞き手として。
男子学生が関西弁丸出しのイントネーションで言う。
「今、つきあっている娘がいるんですよ」
ぼくは訊く。
「ふうん。いつから?」
「つきあいはじめたのは、一年くらい前なんですけど」
「けど?」
「高校のときの同級生なんです」
「あらそう、焼けぼっくいに火がついたって感じかしらん」
「ああ、まあ」
「東京にいるの?」
「いいえ~、地元にいるんですよ」
「あ、じゃあ遠距離恋愛?(遠距離恋愛は長続きさせるの難しいよ)」
すると、ぼくの心を読んだように言う。
「そうなんですよ。それもあって向こうはぼくに早く一人前になってもらいたいみたいで、それとなくプレッシャーが来るんですけど、ぼく、大学院に進みたいから」
「ま、結婚してから大学院で養ってもらうのもあり得るけどね。世間の目さえ気にしなければ、研究に集中できて楽だよ」
「先生じゃあるまいし!」

年上のサラリーマンとつきあっているらしい女子学生が言う。
「最近、忙しいらしくてなかなか会えないんですよ」
「どのくらい?」
「土日も忙しいらしくって、もう二、三か月かな。『お仕事、大変そうだけどがんばってね』ってメール打つと、『サンキュ♪』って返事はくれるんですけどね」
(それってもう終わってるよ)
「あっ、今鼻で嗤いませんでした?」
「(えっ)ううん。仕事、何やってるの?」
だらだらと終わった恋の話が続く。

あちらでは失恋したばかりの娘をくどいている奴がいる。世話の焼きすぎで逃げられてしまったのもいる。孫子曰く、敵を知らず、己を知らざれば戦うごとに危うし、である。

恋愛は難しい。ゲーム理論を勉強したくらいで恋愛上手になれるのなら、クリスマスに学生が大勢でぼくの家へ押しかけることもあるまい(みんな、来てくれてありがとう。でも、来られる人、もっと少ないと思ったよ)。ぼくだってそんな魔法の学問があるなら知りたいくらいだ。でも、恋愛がなぜ難しいか、ときには学問よりもずっと難しいか、そういう話なら少しはできるかもしれない。

女心と秋の空
というわけで、恋愛と学問を比べてみよう。どちらも難しいことに変わりはない。たとえば気象学を例にとってみる。この学問、科学技術や観測地点が昔に比べて飛躍的に改善されたのにもかかわらず、肝心の予報となるとあまり精度が向上していない。長期予報となると、もう絶望的。正に「来年の話をすると鬼が嗤う」くらい予報は難しいのである。
それでも学問は「進む」。少しずつだが、気象現象を読む精度は上がっていく。たとえば、「5年の三日先の気圧配置の数値予報の精度は、8年以前の二日先の精度と同じ程度」らしい。「天気予報がよく当たるようになってきたのは、いろいろな分野での努力が積み重ねられてきた結果である。まず大気中で起こるさまざまな現象を扱う気象学の進歩が大きい。気象衛星やレーダー、アメダスなどの観測データも充実した。しかし、何といっても「中略]数値予報の進歩が寄与した部分が大きい」とのこと(アエラムック『気象学のみかた。)。いつも当たらないと思っている天気予報だが、着実に進歩しているのだ。
恋愛はどうか。天気を読むのと同様、恋愛では相手の気持ちを読むことがともかく大切である。相手が自分のことをどう思っているか。自分のことをきちんと理解したうえでデートに誘ってくれるのか、恋に憧れているだけなのか、単なる遊びか。相手のことを好きになればなるほど、いてもたってもいられなくなる。では、ぼくたちは昔に比べて相手を読む精度が上がったのであろうか。あるいは、恋愛上手になったのであろうか。
相手を読む?恋愛は出会いがしらよ、と言われる方もいるだろう。フェロモンの働きと「恋愛遺伝子」の配列で決まるのさ、と主張される方もいるかもしれない。山元大輔『恋愛遺伝子』によると、DNA解析が進むにつれて、カップルとDNAとの関係も少しずつ明らかになっているという。もちろん出会いがしらや相性の大切さは否定しない。しかし、多くの人が(小学校時代の初恋はご愛嬌としても)高校時代や大学時代の恋を成就できない現実を思うとき、学習の大切さにも目が向かざるを得ない。
民俗学の研究でも、恋愛結婚が幅広く行われ、それが単なる出会いがしら以上のものであったことは、かなり以前から認識されている。柳田國男はつぎのように語っている。

恋がトリスタンとイゾルデのように必ず生まれぬ前から指定せられているものならば、これは問題とするに足らなかったであろうが、もしも各自の心をもって右し左すべきものなりとすれば、かねて法則をもって学んでおくことは安全であった。
それも情味のないただの理論ならばあるいは応用に失敗したかもしれぬけれども、これは実例を言葉に引き当て、または言語でも描かれない表情法をもって一々実地に解説する久しい経験の集積であった。
―柳田國男『明治大正史世相篇』第八章「恋愛技術の消長」

「恋愛教育の旧機関」と題されたこの節では、柳田國男は若者組とか処女会といった村の男女の集まりが、恋愛技術を磨く上で重要な役割を果たしたと述べている。そこでは、「姿恰好応対振り、気転程合い思いやり」と、言ってみれば男も女も総合力で勝負していたという。恋愛における読み合いが古くから実践されていたことは、考えてみれば何の不思議もないのである。

ところで、天気予報と恋愛の読み合いには大きな違いがある。天気は自分が「相手」のことを一方的に読もうとしているのに対し、恋愛では、自分が相手のことを読もうとしている正にその瞬間に相手も自分のことを読もうとしているからである。相手が自分のことを読もうとしているのであれば、そこも含めて読めばいいじゃないか、と言われるかもしれない。しかし、相手もそういう自分――つまり自分のことを読もうとしている相手のことを読もうとしている自分――を読もうとしているかもしれない。ここまでくると賢明な読者の方はおわかりであろう。そう、お互いに相手を読もうとする行為がぐるぐると終わりのないサイクルを描き始めてしまう。こうなると、きりがないのである。

かと言って、相手の気持ちを読まなければ、DNAの相性がいくらよくても恋は成就しない。世話の焼きすぎで逃げられるケースなどは、自分しか目に入っていない典型であろう。相手にプラスになることならば悪く思われるはずがない。尽くすほうはそう思って尽くすのかもしれないが、尽くされるほうはカゴの鳥のような気分になってしまうこともある。囲碁でいう「勝手読み」というやつである。自分勝手に読めばそのつけは必ず回ってくる。囲碁なら自分が負けるだけですむが、恋愛の場合は相手も傷つける。
相手のことを読めなければ「忙しい」の一言も字義通りにとってしまう。忙しい、という一言をあえて文章化すれば、「君に会うよりも優先順位の高い事柄がある」ということになる。時間は作るものである。本当に君のことが大切ならば時間は作れる。南極隊員じゃあるまいし、二、三か月も好きな人に「忙しくて会えない」などということがあるものか。まあ、もっとも恋愛は千変万化、決めつけるのは止めておこう。

さて、岡目八目という諺があるが、これも囲碁から生まれたものだ。この八目というのは八手先のことらしい。読み合い勝負の囲碁で相手より八手も先まで読めるとしたら、勝負は目に見えている。岡目とは、傍目、すなわち傍観者として戦況を見る、ということである。傍観者は八手先まで余分に見渡せるくらいいろいろなものに気づく、というのがこの諺が言おうとしていることである。「囲碁と男女の仲ほどこの諺がぴったりくるものはない。傍目から見れば終わってしまった恋も当の本人はまだ続いていると思っている。いや、思いたがる心が自分をだます。周りも「それって終わってるよ」とはなかなか言い出せない。たまに野暮な親切心を出して忠告でもしようものなら、逆に友人としての誠意を疑われる。頭では理解しつつも感情では拒否するのが人情というものだ。

岡の上から戦況を眺めるように、離れて人間関係を読むことは大切である。難しいのは、恋愛の場合、離れて読もうと客観視すれば当事者意識が薄れ、気がつけば「負け犬」なんてことになりかねない点である。恋愛や結婚には熱い想いと勢いも大切だからだ。

当事者なのに離れて見る。でも心は熱いまま。幽体離脱じゃあるまいし、と思われる方もおられるであろう。しかし、この幽体離脱のような離れ技こそ、恋愛だけでなく、ぼくたちが学ぼうとしている社会科学にも必要なものなのである。その昔、「熱き心と冷静な頭脳」と言ったのはマーシャルという高名な経済学者であるが、傍観者でいようと思えば熱が冷め、社会の不正に憤ってわれを忘れれば本質を読み誤る。そう、社会科学には恋愛と同じ難しさがあるのである。だから恋愛を通じて学んだことは社会科学の研究にも役立つ。

逆も真なりである。ゲーム理論をマスターすれば、きっと恋も成就する(保証はしない)。無理が通れば道理が引っ込むチキン・ゲーム。お互いの最善手が最悪の結果をもたらす囚人のジレンマ。自分の退路を断つことで有利な結果をもたらす背水の陣、などなど。本書では、華麗なるゲーム理論の世界にあなたを誘うお手伝いをさせていただくつもりである。

読む順番は自由だ。ゲーム理論を少し知っているという方は第一章をとばしてもらってかまわないし、全然知らないという方でも第一章1節を読んだ後は、他の章にとんでも大丈夫なように心がけた。第二章以降は、歴史に興味がある方は第二章から、経済への応用を見てみたいという方は第三章から、社会との関わりを知りたい方は第四章から、哲学的な議論に興味がある方は第五章からと、好みに合わせて好きな章節から読んでもらえればと思う。その際、ゲーム理論の第一原理――自分が当事者でありつつも、外から見る目を養うこと!を頭の片隅に置いておいてもらえるとうれしい。


松井 彰彦 (著)
出版社: 筑摩書房 (2010/4/7)、出典:出版社HP