テキストブック開発経済学 第3版 (有斐閣ブックス)

ジャンル分けで学べる開発経済学

長い間、ロングセラーとなっている開発経済学のテキストです。新しい途上国でのトピックも含めて、興味のある開発経済学のトピックから読み進めることができます。

ジェトロ・アジア経済研究所 (編集), 高橋 和志 (編集), 黒岩 郁雄 (編集), 山形 辰史 (編集)
出版社、有斐閣; 第3版 (2015/2/13):出版社HP

第3版へのまえがき

本書第3版が出版される2015年に,ミレニアム開発目標は達成期限を迎える。2000年から15年の間,貧困削減は大きな成果をあげたが,同時に大きな課題も残った。成果としてあげられるのは,中国を筆頭とする東アジアの経済成長である。また,南アジアやサブサハラ・アフリカでも,目にみえる変化が現れている。一方,紛争,環境破壊,気候変動といった脅威への対処,そして高齢者,子ども,女性,障害者,少数民族,難民,といった経済成長や貧困削減の恩恵を受けにくい人々の生計や福祉の向上は,いまなお国際社会に対する大きな挑戦である。

本書の初版が出版された1997年,いまみられるような開発途上国の成長は予見されていなかった。むしろアジア通貨危機による暗雲が,世界経済を覆っていた。本書の新版が上梓された2003年には,ミレニアム開発目標の認知度がそれほど高くはなかった。新版の完成から10年以上を経て,開発途上国の状況も開発経済学も変化した。このような変化を踏まえ,第3版では内容のほとんどを書き下ろし,編者や執筆者を一新した。その結果,第3版の執筆者は全員,日本貿易振興機構アジア経済研究所の現職員あるいはかつての職員となった。またこの改定により,初版・新版の,コンパクトな一章読み切りスタイルを踏襲しつつ,現在の開発途上国のダイナミズムや,開発経済学の進展を反映した内容へと衣替えした。

新版の編者,著者のうち,野上裕生,錦見浩司,伊藤正二,西島章次(執筆順)の4氏がすでに故人となった。ここに記して,本書初版,新版への貢献に,深甚な敬意と感謝の意を表する。
最後に,新版,第3版と,本書の編集を担当くださった有斐閣の長谷川絵里氏にも,深く御礼申し上げたい。

2014年12月
編者

まえがき

1994年に1ドル79円台という円高が記録された。この円高も手伝って,日本からの海外旅行者は年間3000万人を突破した。また,円高によりドル・ベースの生産コストが高くなり,日本企業の国際競争力が弱くなり,東アジアへの生産基地のシフトが加速した。このように人や企業が海外に出ていく一方で,逆に海外から日本への流入も加速しつつある。成熟しつつある日本経済を活性化するために規制緩和が必要となり,それが外国資本の受入れを促している。これまで日本は金融の開放には消極的であったが,金融ビッグバンによって外国の銀行や証券会社などに市場が開放され,その日本市場でのウエイトを高めつつある。

このように国際化が進む中で国際問題や開発問題への関心が高まっている。一般の人々が仕事を通して,あるいはNGO等による市民活動を通じて,海外の人々と交流する機会が増えた。そしてこのような背景から国際問題や開発を扱う学部,大学院が多くの大学で創設された。これらの学部等ではしばしば発展途上国の経済が教えられるが,どのような授業をするべきか,教育の現場から悩みの声が寄せられることが多い。また,開発問題に興味を持ちはじめた人人からも,どのようにして勉強したらよいのか,と問われることがある。

私たちは,このように国際問題に関心を持ち,開発経済学を初めて学ぶ人にも読みやすいテキストブックを目指して編集を行った。読者はまず途上国の経済の実態を理解する。つぎにその実態を説明できる理論を学び,1冊で実態と理論の両方を身につける。巻末には用語集をつけ,読者の便宜を図った。一方,開発経済学の最先端をもわかりやすく説明するよう努めた。

開発に関心のある,また開発にかかわりたい方々は,本書を手がかりに開発経済学のエッセンスを理解していただきたい。つぎの段階ではそれを応用し,必要であればより上級のテキストに進んでいただきたい。このような気持ちを込めて私たちはこのテキストブックを編集した。本書が開発にかかわる人材の育成の手助けとなることを心から祈ってやまない。

本書の作成にあたって,下村恭民氏から貴重なアドバイスをいただいた。また,有斐閣の伊東晋部長のご指導なしにも本書は完成しなかった。加賀美充洋,笠井信幸,木村福成,佐藤幸人,服部民夫,山本裕美の諸氏にも,編集の最初の段階から有益な助言をいただいた。
本書はアジア経済研究所の山田勝久所長の発案で始まり,完成まで数年を要した。残念ながら,その間,われわれの指導者であり仲間であった伊藤正二氏,平田章氏が故人となった。伊藤氏は本書第12章を執筆直後に亡くなられた。平田氏は存命であるならば,当然本書の執筆をお願いしたい人であった。改めてご冥福をお祈りするとともに,お二人に本書を捧げたい。

1997年9月
朽木昭文・野上裕生・山形辰史

視覚障害者のために本書の「録音図書」「点字図書」「拡大写本」を非営利目的で製作することを認めます。その際は有斐閣(書籍編集第2部)までご連絡下さい。

ジェトロ・アジア経済研究所 (編集), 高橋 和志 (編集), 黒岩 郁雄 (編集), 山形 辰史 (編集)
出版社、有斐閣; 第3版 (2015/2/13):出版社HP

目次

序章 何を学ぶのか
世界経済のダイナミズムと開発の課題
国際開発の潮流と開発
経済学の展開
本書の構成

第1部 開発と人間
第1章 貧困と不平等
はじめに
1. 貧困
貧困の捉え方
世界の貧困の実態
貧困指標
確率的優位性
慢性的貧困と一時的貧困
2. 不平等
ジニ係数とローレンツ曲線
不平等度の世界的傾向
経済成長,貧困,不平等の三角関係

第2章 二重構造と労働移動
はじめに
1. 経済発展による産業構造転換と都市化
2. ルイスの二重経済モデル
ルイスの「無制限労働供給」(unlimited labor supply)
ルイスの「転換点」(turning points)
3. ハリス=トダロ・モデル
ハリス=トダロ・モデルの基本設計
ハリス=トダロ・モデルの含意
4. 二重経済モデルへの批判と新たな研究視点
ハリス=トダロ・モデルへの批判と家計内リスクヘッジ
市労働市場の理論仮説

第2部 開発のメカニズム
第3章 経済成長
はじめに
1. 経済成長の展望
経済成長の歴史
現代の経済成長
成長要因分解
2. 経済成長モデル
AKモデル
新古典派モデル
3. 経済成長と経済政策
コラム:経済成長の実感バングラデシュ

第4章 人的資本
はじめに
1. 人的資本蓄積の推移・現状
教育——就学率, PISA
保健——GBD, DALY
格差——ジェンダー
2. 人的資本蓄積のメカニズム.
最適な人的資本量の決定
人的資本投資が少ない理由
供給不足と需要減退
3. どうすれば人的資本蓄積を支援できるのか
社会的に最適な人的資本投資
支援策の例
第5章 貿易
はじめに
1. 貿易と経済開発の深い関係
2. 貿易はなぜ起こるか―その理論
「比較優位」とは
リカード・モデル——「生産技術の違い」が比較優位を決める
ヘクシャー=オリーン・モデル——「要素賦存」の違いが比較優位を決める
3. 貿易と「動態的な比較優位」とは
「比較優位」とは、「いま得意なこと」
韓国の事例
幼稚産業保護の政策
4. 経済統合と開発
経済統合の背景
経済統合の静態的な効果
経済統合の動態的な効果と開発途上国
5. 貿易と開発——まとめと展望
コラム:「交易条件の長期的悪化傾向」について

第6章 海外直接投資
はじめに
1. なぜ企業は海外に投資するのか
直接投資のタイプ——水平型
直接投資のタイプ——垂直型
2. 途上国における直接投資と投資環境
途上国における投資環境
3. 直接投資に関する開発政策と国際投資ルール
輸出志向工業化と外国資本の誘致
国際投資ルールの構築
4. 直接投資が途上国に与える影響
直接効果
間接効果
直接投資と経済成長
コラム:アフリカ開発会議(TICAD)——援助から投資へ

第7章技術
はじめに
1. 技術移転の経路
資本財に体化された技術
経営者に体化した技術
形式知による技術
労働者に体化した技術
2. 技術吸収能力の影響
自助努力の必要性
国内R&D
初等中等教育から
高等教育の重要性
中所得国の
3. 知的財産権保護の影響
知的財産権の目的
知的財産権の種類
知的財産権に関する課題

第8章 産業連関
はじめに
1. 産業連関表の枠組み
2. 生産波及のメカニズム
3. 国産産業連関分析への展開

第9章 制度
はじめに
1. 植民地支配と途上国における制度の形成
経済発展経路の違いとそのメカニズム
初期条件とその後の制度の形成
自然条件の役割
2. 制度的遺産の長期的な影響
イギリス領インドにおける土地制度
3. 制度を分析する際の留意点
制度を捉えることの難しさ
制度的遺産がすべてを決めるわけではない
メカニズムを解明する
コラム:インドにおける女性への留保制度

第3部 開発への取組み
第10章 貧困削減戦略
はじめに
1. 開発経済学・国際開発の潮流
構造主義
改良主義と新古典派アプローチ
政府の役割の見直しと貧困削減への舵取り
開発経済学のパラダイムシフト
2. 政策インパクト評価の方法
インパクト評価
Before-after分析とその限界
With-without 分析とその限界
バイアスを軽減する手法
実験的手法

第11章 政府開発援助
はじめに
1. 援助とは
援助の必要性
援助の推移と構造
2. 援助の出し方・使い方
政府開発援助の基本ルール
基本ルールの限界とプログラム援助
ファンジビリティとガバナンス
3. 援助の効果を上げるために
援助の量が問題か、方法が問題か
援助協調
援助協調の現在
4. 日本のODA——再びたぐり寄せられるヒモ

第12章 農村金融
はじめに
1. 市場の失敗
金融取引の特徴
契約履行
アドバース・セレクション
モラル・ハザード
2. 農家の対応
リスクへの対処
インターリンケージ
社会的ネットワーク
3. 制度の革新
マイクロファイナンスの成功
フィールド実験
4. 今後の課題—保険とリスク抑制
コラム:タイの洪水と渇水

第13章 マクロ経済安定化
はじめに
1. 開発途上国のマクロ経済の特徴
高い成長率と大きな変動
国際収支の変動も激しい
国外からのショックに弱い経済構造
対外ショックと途上国(代表的な事例)
政策面での対外依存
2. マクロ経済安定化政策とは
3. 途上国のマクロ経済安定化政策の課題
金融政策の課題
財政政策の課題
為替政策の課題
外貨準備政策の課題
政府への信任はあるか——ノミナル・アンカーとインフレーション・ターゲット
政策の組合せの問題
国際的な連関
4. 通貨危機とIMF支援プログラム(IMF融資)
IMFの役割
世界銀行との縄張り争いと「構造調整」政策
IMF支援プログラムへの批判
地域金融協力

第14章 経済統合
はじめに
1. 東アジア統合の深化——事実上の統合から制度的統合に向けて
2. 経済統合と産業立地
東アジアの雁行型発展メカニズム
後発国のキャッチアップ
3. 経済統合による立地条件の変化
貿易費用の低下
生産要素の移動
産業の「再分散」と開発政策
4. 経済統合と後発国の開発戦略サブサハラ・アフリカの事例
コラム①:第2次アンバンドリング
コラム②:アフリカの経済統合と日本の経済協力

第15章 環境
はじめに
1. 「開発vs.環境」から「持続可能な発展」へ
2. 経済成長・経済発展と環境問題
環境クズネッツ曲線をめぐって
所得の向上に伴って悪化している環境指標
途上国における環境問題への対応
3. 地球環境問題と開発途上国
共通であるが差異のある責任の原則
京都議定書とクリーン開発メカニズム(CDM)
さまざまな国際環境条約
崩れつつある「先進国vs.途上国」の図式
4. 環境と貿易
地球温暖化対策と貿易
先進国の化学物質関連規制と途上国
環境貿易措置とGATT/WTO
コラム:中古品の越境移動

第16章 障害
はじめに
1. 障害と開発
包摂的な開発とアマルティア・セン
開発課題としての障害
障害の社会モデル
2. 貧困と障害
障害者の雇用
教育の収益
自立生活運動
3. 国際社会の取組みと障害者政策
国連障害者の権利条約
ポストMDGsと障害
コラム:マンデラ追悼式典での「偽通訳問題」

今後の学習案内
用語解説
索引
執筆者紹介
写真解説

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ジェトロ・アジア経済研究所 (編集), 高橋 和志 (編集), 黒岩 郁雄 (編集), 山形 辰史 (編集)
出版社、有斐閣; 第3版 (2015/2/13):出版社HP

序章 何を学ぶのか

世界経済のダイナミズムと開発の課題

新ミレニアムの幕開けから10年以上経過し,世界経済は当時と大きく様相を異にしている。まず,中国が繁栄を謳歌しており,インドも経済全体としては成長を続けている。2つの大国がダイナミックな変化を遂げている一方,東アジア経済はさらなる発展の時期を迎えている。シンガポールや香港は世界で最も豊かな地域の1つとなり,先発ASEAN諸国は,中進国となった。これらに加え,インドの周辺の南アジア諸国やサブサハラ・アフリカ諸国でさえ,マイクロファイナンスやITといった,制度的・技術的革新が浸透している。この結果先進国のGDPシェアは,1980年代後半に7割だったものが,現在では5割以下にまで低下している。

このように,アジアを中心とした開発途上国に経済発展が生じたことは明らかであるが世界から貧困や人権侵害がなくなったわけではない。発展を続けるアジアでも,高齢者,子ども,女性,失業者,少数民族,障害者,といったグループのなかには厳しい状況下に置かれている人々がおり,紛争地,過疎地,災害多発地域に住む人々の生活は不安定である。国際化が進行する現在,彼らが直面するリスクは,より広範囲に及ぶ場合がある。感染症,犯罪,放射能も含む環境汚染,世界経済不況は国境を越えて,人々の生活に危害を及ぼす。

そして弱い立場に置かれている人々は,リスクへの対処能力が弱いうえ,複数のリスクに同時にさらされやすい。それによって一時的にであれ所得が減ったり生産能力が損なわれたりすると,その状態からの回復が難しく,貧困や人権侵害がよりいっそう深刻化しやすいという問題を抱えている。地球規模の温暖化が引き起こす水害によって住んでいた土地が浸食され,生活手段を失ってしまったことから,家族が一緒に住めなくなってしまった人々。子どもがおらず,夫とも死別してしまったために,町に出て,物乞いをして日々の衣食住を満たさざるをえなくなった高齢の女性。エイズによって両親が亡くなり,遠縁の親戚を頼ったり,見ず知らずの人の善意に身を寄せざるをえない子どもたち。麻薬と犯罪の街で,暴力に巻き込まれ,回復しがたい傷を負うことで,将来の夢を失ってしまった若者。開発途上国の人々は,先進国の人々より多くのリスクに直面する傾向にあり,そのうえ,そのリスクに対処するための法的・制度「的・社会的対抗策が少ない。それが現代の開発途上国の貧困の根源である。

開発とは,人々の生活水準向上や人権擁護を導く,物質的または制度的改善の試みをさす。生活水準向上や人間らしい暮らしの維持のために直接作用する保健プロジェクトや生計向上プロジェクトも開発であるが,時間はかかっても長期的に多くの人々の所得向上や雇用機会の増加につながり得る生産関連インフラ建設も,開発の重要なプロセスといえる。開発経済学とは,この意味での開発を進めるための経済学全般をさしている。

国際開発の潮流と開発経済学の展開

開発経済学は,そのときどきに開発途上国が直面する問題に応えようと努めてきた。第2次世界大戦後の1950~60年代には,それぞれの国の独立が指向され,経済的にも対外依存度を下げながら国民の生活水準を上げていくことが急務であった。その時代には,輸入品を国内生産によって代替したり,輸出という形で外需に応えていくことで,国民所得を上げることが試みられた。そのために国際貿易論が重用された。1970~80年代には世界経済が2度の石油価格上昇によって供給ショックを受け,開発途上国も大きなマクロ経済不均衡の問題を抱えた。オイル・ショックによって産油国に流入したオイルダラーは,当初は開発途上国を潤したが,80年に採用されたアメリカの高金利・ドル高政策により,大きな債務負担に転じた。膨らんだ対外債務をどのように管理し,持続的に債務返済するかが多くの開発途上国の関心事となった。この時代には国際金融論が力を発揮し,債務問題が開発経済学の扱うべき課題として取り上げられた。

債務を持続的に返済するためには,財政金融のみならず,生産や消費,投資を含めた経済全体の「構造調整」が必要とされた。そこで1980~90年代に,経済構造を大きく変えることを条件(コンディショナリティー)とし,世界銀行と国際通貨基金(International Monetary Fund:IMF)が中心となって,重債務開発途上国に対する構造調整融資を実施した。しかしこのコンディショナリティーが内政干渉だととられ,とくに重債務貧困国(Heavily Indebted Poor Countries:HIPCS)においては,世界銀行とIMFへの反感が高まった。

一方1980年代後半から90年代前半にかけて,東アジア経済は順調に拡大していた。85年のプラザ合意,87年のルーブル合意で,それぞれ円,韓国ウォン・新台湾元が切り上げられ,それを契機に日本,韓国,台湾企業の東南アジア諸国への生産拠点の移転が進んだ。また90年代以降は中国に向けて大量の直接投資が流入するようになり,中国は「世界の工場」と呼ばれるようになった。その結果,東アジアの経済発展における政府の積極的な役割が評価されるようになり,それを分析する手法として,内生的経済成長理論やゲーム理論,制度論が用いられた。その後,日本のバブル崩壊や,97年のアジア通貨危機以降,東アジアをモデルとする見方は退潮しむしろ企業グループや公的部門の運営やガバナンスのあり方が問われるようになった。

1990年代終わりから,その多くを公的部門が担っている国際協力に対しても,新公共管理と呼ばれる,民間の経営手法を原則にした運営が適用されるようになった。その1つが成果主義であり,この原則が,新千年紀(ミレニアム)に入るとともに導入されたミレニアム開発目標に採用された。開発の目標が,それぞれ貧困削減,ジェンダー平等,教育・保健・環境の改善,といった観点から設定され,その目標を達成するための努力が,開発途上国と国際社会に求められた。どれだけどのように努力したかというプロセスよりも,どのような成果が上がったかという結果が重視されることとなり,貧困,ジェンダー,新育,保健,環境といった,広義の社会部門への関心が高まった。さらには,社会経済的な観点から開発の効果を測るために,ランダム化比較実験(Randomized Controlled Trial:RCT)に代表される「開発のミクロ経済学」が大きな力を発揮している。

2000年代には,中国,インドの急速な経済成長に牽引された資源ブームによって,サブサハラ・アフリカの成長率も高まった。さらに2010年代には,国際開発の努力の総体により,それまで発展の兆しをみせなかった南アジアやサブサハラ・アフリカの貧困層までもが,携帯電話に代表されるICTや太陽光発電といった技術革新の利益を得られるようになり,経済全体も一定の持続的成長を見せている。それに応じて,民間部門による貿易や投資,技術革新や移転も活発化している。

このように,国際開発が社会面で一定の成果をあげ,それが産業成長によって支えられつつある。開発途上国は,開発の課題を抱えつつも,世界経済にいくつかの財・サービスを供給する生産基地として,大きな位置を占めるようになった。したがって本書は,開発の課題を貧困,不平等など社会的側面から分析しつつ,生産,貿易,投資,技術といった,開発途上国の供給能力の分析にも注力する,という方針で編集された。

本書の構成

『テキストブック開発経済学』初版は,1990年代末に上梓され,新版(第2版)は2000年代の国際開発潮流を一定程度反映した。しかし,新版において「開発のミクロ経済学」的アプローチの紹介は部分的であった。なおかつ,前節で述べたような,現在の低所得国におけるダイナミズムを正当に評価する必要性から,本書は生産,貿易,投資の分析に再び重きを置いた。

具体的には,第1部で問題提起,第2部がメカニズム,第3部が政策論という大くくりで,本書は構成されている。第1部は「開発と人間」と題し,「貧困と不平等」(第1章),「二重経済」(第2章)を開発の根本問題として分析した。貧困は,生活水準の低さを表す直接的な概念であり,それが社会的疎外や差別といった不平等の問題に転化しやすい。さらにはそれをマクロ的に規定する二重構造が,それらの問題の背後にある。

第2部は「開発のメカニズム」と題し,開発途上国の経済成長とそれを支えるメカニズムに焦点を当てる。まず,生産と所得の逐次的拡大を経済成長として把握する。生産のためには人的資本を体現した労働力,そして物的資本の投入が要る。物的資本は,国内資本蓄積と海外からの借入れや直接投資,政府開発援助等によって形成される。そして,それらの投入と生産を組み合わせるのが技術や制度である。生産された財・サービスは,国内で消費されるのみならず,貿易という形で国境を超えて取引され,世界の消費者の厚生を高めることとなる。これら一連のメカニズムを分析するために,経済成長(第3章),人的資本(第4章),貿易(第5章),直接投資(第6章),技術(第7章),産業連関(第8章),制度(第9章),と名づけた章を配している。

第3部の「開発の取組み」では,主として開発の営為(または政策)を,分野別に記述している。ただし,第2部が「メカニズム」第3部が「政策」を扱うというくくりは多分に便宜的なもので,第2部にも政策の議論が一定程度盛り込まれており,第3部にもメカニズムの分析が含まれている。

第3部の最初の章(第10章)においては,貧困削減戦略を歴史づけたうえで,現在関心が集まっている政策インパクト評価の取組みを紹介する。第11章において開発援助を扱った後,第12章では,農村における情報の不完全性に着目し,それに対処する1つの方法として発展した,マイクロファイナンス等の農村金融の試みを紹介する。第13章では,金融危機のメカニズムと,それに対処するマクロ経済政策について論じる。第14章においては,国境を越えた開発途上国同士の連携や結びつきを,経済統合という視角から分析する。第15,16章は,社会政策の観点から,それぞれ環境,障害という課題を論じる。

このように,本書が扱う「開発」の範囲は非常に広い。近年出版された開発経済学の教科書が,インパクト評価を中心とする「開発のミクロ経済学」に焦点を当てる傾向にあるのに対して,本書は経済成長や産業構造変化,貿易・投資,金融,マクロ経済安定化についてもくわしく論じている。また援助に加えて,環境,障害,保健といった国際開発の現場で直面する課題について分析していることも特徴といえる。本書は大学の学部生を念頭に置いて編集されている。しばしば数式や経済学用語が用いられているが,数式はおおむね,高校の数学の知識で理解可能なんのか,または,数式をスキップしても前後の流れから内容を理解できる範囲にとどめている。経済学用語については,可能な限り,注などにおいて解説を加えている。これにより,経済学を履修していない学部生でも,ほとんどの記述は理解可能である。

かつて国際開発は,停滞している開発途上国社会を,どのようにすれば活性化できるか,ということを主たる課題としていた。しかしいまでは,サブサハラ・アフリカであれ南アジアであれ,それぞれすでに外部社会から大きな刺激を受けており,めざましく変貌を遂げている。今後は,開発途上国社会を,望ましい貧困削減や社会開発に向けて,どのようにして導くか,ということが課題となる。したがって,変貌を遂げる社会経済を観察することと,それによって見いだされた観察事実を解釈すること,さらには,それらに対する適切な政策を講じることが,開発経済学に求められている。本書はこれに応えようとするものである。

注1)本書で扱う地域の範囲は,アジア(東アジアから中東まで),アフリカ,東・中欧,中南米,オセアニアで,そのなかで国連その他が定義する開発途上国である。ただし,日本を含め,かつては低所得国であったが,その後発展を遂げて,現在では先進国や中進国とみなされるようになった国々の発展過程も,本書の分析対象としている。

ジェトロ・アジア経済研究所 (編集), 高橋 和志 (編集), 黒岩 郁雄 (編集), 山形 辰史 (編集)
出版社、有斐閣; 第3版 (2015/2/13):出版社HP