国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源

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国家の発展の分かれ目はどこから?

主題は、西ヨーロッパやアメリカなど経済的に成長し続けている国がある一方で、アフリカ、ラテンアメリカ、南アジアの多くの国が依然として貧困状態にあるということであるといい、それには政治システムとそれに関連する経済システムが要因であるといいます。

著者は前者での国々は包括的制度と呼ばれるシステムがある一報、収奪的制度というシステムでは独裁者や一部のエリートたちが国民へ反映の恩恵を与えず自分たちが吸収して歴史が豊富な事例として含まれ解説されています。

ダロン アセモグル (著), ジェイムズ A ロビンソン (著), 稲葉 振一郎(解説) (その他), 鬼澤 忍 (翻訳)
出版社: 早川書房 (2013/6/21)、出典:出版社HP

本書への賛辞

「アセモグルとロビンソンは、ある問題をめぐる議論に重要な貢献をなした。一見似たような国家が、経済や政治の発展においてまったく異なっているのはなぜかという問題である。幅広い歴史的事例を通じて二人が明らかにするのは、制度の発展によって、ときにはきわめて偶発的な事情に基づき、重大な帰結がいかにしてもたらされてきたかということだ。社会の開放性、創造的破壊を受け入れる意思、法の支配といったものが、経済的発展にとって決定的な意味を持つように思える」
——ケネス・J・アロー 一九七二年度ノーベル経済学賞受賞者

「二人の著者は説得力をもって次のことを明らかにしている。国家が貧困を免れるのは、適切な経済制度、特に私有財産と競争が保証されている場合にかぎられるのである。二人はさらに独創的な主張をしている。国家が正しい制度を発展させる可能性が高まるのは、開かれた多元的な政治体制が存在するときであり、そうした制度に必要なのは、公職につくための競争、幅広い有権者、新たな政治指導者が生まれやすい環境だというのだ。政治制度と経済制度のこうした密接な関連は、二人の大きな貢献の核心であり、経済学と政治経済学における重要問題の一つに関する研究を大いに活気づけることになった」
——ゲイリー・S・ベッカー 一九九二年度ノーベル経済学賞受賞者

「歴史的事例を満載した、重要かつ洞察に満ちた本書の主張は、包括的な経済制度に支えられた包括的な政治制度は持続的な繁栄の鍵であるというものだ。本書では、良き政治体制が発足し、好循環のスパイラルに入るケースがある一方で、悪しき政治体制が悪循環のスパイラルのなかで持続するメカニズムが概説されている。これは見逃してはならない重要な分析である」
——ピーター・ダイアモンド 二〇一〇年度ノーベル経済学賞受賞者

「ダロン・アセモグルとジム・ロビンソンは、国家の経済的運命を決めるのは地理や文化だと考える人たちに悪いニュースを届ける。国の貧富を決めるのは、地勢や先祖の信仰ではなく人為的制度なのだ。アダム・スミスからダグラス・ノースに至る理論家の業績を、経済史学者による最近の実証研究とともに見事にまとめあげ、アセモグルとロビンソンは説得力のあるきわめて読みやすい本を書き上げたのだ」
——ニーアル・ファーガソン 『マネーの進化史』の著者

「アセモグルとロビンソン——開発に関する二人の世界的権威——が明らかにするのは、豊かな国もあれば資しい国もある理由は、地理でも、病気でも、文化でもなく、むしろ制度や政治の問題だということだ。このきわめて読みやすい本は、専門家にも一般読者にも同じく歓迎すべき知見を提供してくれる」
——フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』 『政治的秩序の起源』の著者

「希望を与えるすばらしい本——だが一方で、ひどく心をかき乱す警鐘でもある。アセモグルとロビンソンは、経済発展にかかわるほとんどあらゆる問題について、説得力ある理論を展開している。国家が興隆するのは、成長を促す適切な政治制度を導入するときであり、国家が——しばしば劇的に——崩壊するのは、政治制度が硬直したり環境に順応できなかったりするときだ。権力を握っている人々は、時代と地域を問わず、政府を完全に支配しようとし、みずからの強欲のために社会の幅広い進歩を妨げる。有効な民主主義によってそうした人々を抑え込もう。さもなくば、自国が崩壊するのを眺めることになる」
——サイモン・ジョンソン 『国家対巨大銀行』の共著者 MITスローン校教授

「世界最高にして最も学識ある経済学者のうちの二人が、これ以上ない難問に取り組んでいる。裕福な国もあれば貧しい国もあるのはなぜか、という問題だ。経済学と政治史に関する深い知識をもとに書かれた本書はおそらく、『制度が重要」という、これまでになされた最も強力な声明である。刺激的で、教育的で、それでいてとことん夢中にさせられる本だ」
——ジョエル・モキール ノースウェスタン大学 ロバート・H・ストロッツ学芸教授・経済学・歴史学教授

「四〇〇年におよぶ歴史を描く、このうきうきするほど読みやすく面白い物語において、現代の社会科学の巨人である二人は、元気の出る重要なメッセージを送っている。世界を豊かにするのは自由なのだ、と。あらゆる場所にのさばる暴君を震え上がらせよう!」
——イアン・モリス スタンフォード大学歴史学教授 『なぜ西洋が世界を支配するのか——ただし、いまのところ』の著者

「一つのテーブルを囲み、ジャレド・ダイアモンド、ヨーゼフ・シュンペーター、ジェームズ・マディソンが、二〇〇〇年を超える政治経済の歴史を検討しているのに耳を傾けていると想像してみよう。彼らは自分の考えを、一貫した理論的枠組に組み込むものと想像してみよう。その枠組みの土台となるのは、収奪の制限、創造的破壊の促進、権力を分かち合う強力な政治制度の創設だ。こうしてあなたは、魅力的に書かれたこのすばらしい本の貢献を理解しはじめるのである」
——スコット・E・ペイジ ミシガン大学教授およびサンタフェ研究所

「驚くほど幅広い話題を扱う本書において、アセモグルとロビンソンは単純ながらきわめて重要な問いを発している。裕福になる国もあれば貧しいままの国もあるのはなぜだろうか、と。彼らの答えもまた単純だー一部の国はより包括的な政治制度を発展させるからだというのだ。本書の注目すべき点は、明快な記述、的確な議論、きわめて詳細な歴史的事例である。西洋世界の政府が並外れた規模の債務危機に対処する政治的意思を示さねばならない現在、本書は必読の書である」
——スティーヴン・ピンカス イェール大学歴史・国際地域学ブラッドフォード・ダーフィー教授

「問題は政治なのだ、愚か者め!これが、アセモグルとロビンソンの述べる、多くの国が発展できない理由をめぐる単純ながら説得力ある説明だ。ステュアート朝による絶対王政から南北戦争以前の南部まで、シエラレオネからコロンビアまでを題材に、この重々しい著作が明らかにするのは、強力なエリート層が、多くの人々を犠牲にして自分たちの利益を確保するため、いかにしてルールを操作するかということだ。二人の著者は、悲観主義にも楽観主義にも傾くことなく、歴史や地理が必ずしも避けられない運命ではないことを論証する。だが、その一方で、合理的な経済的アイデアや政策も、政治が根本的に変化しなければ、往々にしてほとんど何も実現できないことを立証してもいる」
——ダニー・ロドリック ハーバード大学行政大学院教授

「これは魅力的で興味深いだけではなく、本当に重要な本だ。アセモグルとロビンソンの両教授が行なってきた、また現在も継続しているきわめて独創的な研究、すなわち、経済力、政治、政策選択はいかにしてともに発展し、相互に制約するか、こうした発展に対する制度の影響はいかなるものかをめぐる研究は、社会や国家の成功や失敗を理解する鍵である。本書ではこの点に関し、それらの洞察がきわめて近づきやすい、それどころか胸を躍らせる形で述べられている。本書を手に取って読みはじめたら、途中でやめるのは難しいだろう」
——マイケル・スペンス 二〇〇一年度ノーベル経済学賞受賞者、 『マルチスピード化する世界の中で』の著者

「この魅力的で読みやすい本が焦点を当てるのは、政治制度と経済制度の複雑にからみあった、善悪両方向への発展である。こうした発展の土台となるのは、政治的・経済的行動の論理と、『決定的な岐路』における大小の偶発的な歴史的事件によって方向づけられる変化との微妙なバランスだ。アセモグルとロビンソンは歴史上の膨大な事例を提示することによって、そうした変化がいかにして、好ましい制度、革新的なイノヴェーション、経済的な成功へ向かうのか、あるいは、抑圧的な制度や最終的な衰退・停滞へ向かうのかを明らかにする。ともかく、二人は興奮と思索をともに生み出せるのだ」
——ロバート・ソロー 一九八七年度ノーベル経済学賞受賞者

アルダとアスヘ——ダロン・アセモグル
私の人生にして魂であるマリア・アンジェリカヘ——ジェイムズ・ロビンソン

目次

序文

エジプト人がホスニ・ムバラクを打倒すべくタハリール広場を埋め尽くしたのはなぜか、またそれは、繁栄と貧困の原因をめぐるわれわれの理解にとって何を意味するのか。

第一章 こんなに近いのに、こんなに違う
アリゾナ州ノガレスとソノラ州ノガレスは、人も、文化も、地勢も同じだ。それなのに、一方が裕福でもう一方が貧しいのはなぜだろうか。

第二章 役に立たない理論
貧しい国々が貧しいのは、地理や文化のためではないし、国民を豊かにする政策を指導者が知らないためでもない。

第三章 繁栄と貧困の形成過程
いかにして、制度から生じるインセンティヴによって繁栄と貧困が決まるのか。また、いかにして、政治を通じて国家がどんな制度を持つかが決まるのか。

第四章 小さな相違と決定的な岐路——歴史の重み
政治的対立を通じて制度はいかに変化するか、過去はいかにして現在を形成するか。

第五章 「私は未来を見た。うまくいっている未来を」
——収奪的制度のもとでの成長
スターリン、シャーム王、新石器革命、マヤ族の都市国家のすべてに共通するものは何か。そしてそれは、中国の目下の経済成長が長続きしない理由をどう説明するか。

第六章 乖離
制度は時とともにいかに発展し、往々にしてゆっくりと乖離していくのか。

第七章 転換点
一六八八年の政治革命はイングランドの政治制度をいかに変え、産業革命に結びついたのか。

第八章 領域外——発展の障壁
多くの国で政治力を持つ人々が産業革命に反対したのはなぜか。

文献の解説と出典

下巻目次

第九章 後退する発展
ヨーロッパの植民地主義は、いかにして世界の多くの地域を困に陥れたか。

第一〇章 繁栄の広がり
世界の一部の地域は、いかにしてイギリスとは異なる道筋で繁栄に至ったのか。

第一一章 好循環
繁栄を促す制度はいかにして、エリート層の妨害を避ける正のフィードバック・ループを生み出すのか。

第一二章 悪循環
貧困を生む制度はいかにして、負のフィードバック・ループをつくって持続するのか。

第一三章 こんにち国家はなぜ衰退するのか
制度、制度、制度。

第一四章 旧弊を打破する
いくつかの国家はいかにして、制度を変えることによってみずからの経済的軌道を変更したか。

第一五章 繁栄と貧困を理解する

世界はいかにしてなるものになったのか、そしてこれを理解することが、貧困とおうとするほとんどの試みが失敗してきた理由をいかにして説明できるのか。

謝辞
解説 なぜ「制度」は成長にとって重要なのか 稲葉振一郎
付録 著者と解説者の質疑応答
文献の解説と出典
参考文献

ダロン アセモグル (著), ジェイムズ A ロビンソン (著), 稲葉 振一郎(解説) (その他), 鬼澤 忍 (翻訳)
出版社: 早川書房 (2013/6/21)、出典:出版社HP

序文

本書のテーマは、この世界の裕福な国々(アメリカ合衆国、イギリス、ドイツなど)と貧しい国々(サハラ以南のアフリカ、中央アメリカ、南アジアなどの国々)とを隔てる、収入と生活水準の巨大な格差である。

この序文で述べるように、北アフリカと中東は、いわゆるジャスミン革命に端を発する「アラブの春」によって揺れ動いてきた。この革命に最初に火をつけたのは、二〇一〇年一二月一七日にムハンマド・ブアジジという露天商が払った自己犠牲をめぐる、一般市民の怒りだった。二〇一一年一月一四日、一九八七年以来チュニジアを支配してきたザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー大統領が退陣した。だが、特権的エリートの支配に反対する革命の熱気は衰えるどころかますます高まりつつあったし、すでに中東のほかの国々に広がっていた。二〇一一年二月一一日、ほぼ三〇年にわたってエジプトをしっかりと掌握してきたホスニ・ムバラクが追放された。バーレーン、リビア、シリア、イエメンにおける政権の運命は、この序文を書き終える時点ではわかっていない。

これらの国々における不満の根は、その貧しさにある。平均的なエジプト人の収入レベルは合衆国の平均的市民の一二パーセント程度で、予想される寿命は一〇年短い。人口の約二〇パーセントが極度の貧困にあえいでいる。こうした格差はかなり大きいものの、合衆国と世界の最貧国―たとえば北朝鮮、シエラレオネ、ザンビアなどーの格差と比べれば、実はきわめて小さい。こうした国々では、人口の優に半分以上が貧困のうちに暮らしているのである。

合衆国と比べ、エジプトがそれほどまでに貧しいのはなぜだろうか。エジプト人がもっと裕福になることを妨げている制約は何だろうか。エジプトの貧困は変えられないのだろうか、それとも撲滅できるのだろうか。これについて考えはじめる自然な方法は、エジプト人が直面している問題について、また彼らがムバラク政権を打倒すべく立ち上がった理由について、エジプト人自身が何と言っているかに耳を傾けてみることだ。カイ口の広告代理店で働く二四歳の女性、ノハ・ハメドは、タハリール広場でのデモの際にはっきりと意見を述べた。「私たちは腐敗、抑圧、劣悪な教育に苦しんでいる。変革するしかない腐敗したシステムの真っただ中で生きているのよ」。広場にいた別の一人、二〇歳の薬学生のモサーブ・エル・シャミも同じ意見だった。

「僕の願いは、今年の末までに選挙で選ばれた政府を実現すること、一般的自由が認められること、この国に蔓延する腐敗を終わらせることだ」。タハリール広場に集まった抗議者たちは、政府の腐敗、政府が公共サービスを提供できないこと、国内に機会の平等が存在しないことについて、声をそろえて訴えた。彼らはとりわけ、弾圧と政治的権利の欠如をめぐって不満を述べた。国際原子力機関の元事務局長、ムハンマド・エルパラダイは、二〇一一年一月一三日にツイッターでこう書いている。「チュニジア:弾圧+社会正義の欠如+平和的変革への道筋の否定=時限爆弾」。エジプト人とチュニジア人はともに、自国の経済問題は、基本的に政治的権利の欠落によって起こっていると考えていた。

抗議者が自分たちの要求をより体系的に述べはじめた際、最初の一二の即時的要求——それを公表したのは、エジプトの抗議運動のリーダーの一人として現れたソフトウェア・エンジニアでブロガーのワエル・ハリルだった——は、すべて政治的変革に焦点を合わせていた。最低賃金の引き上げといった問題は、追って実行されるべき暫定的要求の一つにすぎないようだった。

エジプト人にとって、自分たちを抑圧してきたものの一部は、無能で腐敗した国家であり、自分たちの才能、野心、創意、受けられる教育を活用できない社会である。しかし、彼らはまた、これらの問題の根が政治的なものであることも認識している。エジプト人が直面している経済的障害は、エジプトの政治権力が限られたエリートによって行使され、独占されているという事態から生じているのだ。これこそ最初に変わらねばならないことだというのが、彼らの理解である。

だが、そう信じる点で、タハリール広場の抗議者の意見は、このトピックをめぐる社会通念とは明らかに異なっている。大半の学者や評論家が、エジプトのような国が貧しい理由について論じる際、まったく別の要因を重視するのだ。ある者は、エジプトの貧困を決定づけているのは何よりもその地勢、つまり、その国はほとんどが砂漠で十分な降雨がないし、土壌と気候のせいで生産的な農業が営めないという事実だと強調する。またある者は、そうではなく、経済的発展や繁栄に不利だと思われるエジプト人の文化的特性を指摘する。

彼らによれば、エジプト人は他国を繁栄に導いたのと同種の労働倫理や文化特性を欠いており、代わりに、経済的成功とは両立しないイスラム教の信仰を受け入れてきたという。第三の説は、経済学者や政策通のあいだで有力なもので、次のような考え方を土台としている。つまり、エジプトの支配者は自国を繁栄させるために何が必要かを知らないだけであり、これまで間違った政策と戦略に従ってきたというのだ。この考え方によると、こうした支配者が適切なアドバイザーから適切なアドバイスをもらいさえすれば、繁栄が訪れるはずである。

これらの学者や政策通にとって、社会を食い物にして私腹を肥やす限られたエリートによってエジプトが支配されてきたという事実は、その国の経済問題を理解することとは無関係らしい。

本書でわれわれは、タハリール広場のエジプト人の考え方のほうが、大半の学者や評論家よりも正しいと論じる。実際、エジプトが貧しいのは、その国が限られたエリートによって支配されてきたからにほかならない。彼らは圧倒的多数の国民を犠牲にして、自己の利益を追求しようと社会を組織してきたのだ。政治権力はごく一部に集中し、それを手にしている人々のために莫大な富を生み出すべく利用されてきた。たとえば、前大統領のムバラクは七〇〇億ドルもの資産を築いたらしい。割を食わされてきたのはエジプト国民である。彼らがわかりすぎるほどわかっているとおりだ。

われわれが示すのは、エジプトの貧困に関するこうした解釈、つまりエジプト国民の解釈は、貧しい国々がなぜ貧しいのかに関する一般的説明を提供するということだ。北朝鮮であれ、シエラレオネであれ、ジンパブ工であれ、貧しい国々が貧しい理由は、エジプトが貧しい理由と同じなのだ。イギリスや合衆国のような国々が裕福になったのは、権力を握っていたエリートを国民が打倒し、現在のような社会をつくりあげたからだ。

すなわち、政治的権利がはるかに広く分散され、政府が国民に説明責任を負って敏感に反応し、国民の大部分が経済的機会を利用できる社会である。われわれは、こんにちの世界にそうした不均衡があるのはなぜかを理解するには、過去について深く探究し、社会の歴史的発展を研究しなければならないことを示す。エジプトよりもイギリスのほうが裕福なのは、一六八八年にイギリス(正確にはイングランド)が政治、したがって経済を変える革命を起こしたからであることを見る。人々はいっそうの政治的権利を求めて戦い、勝ち取った。そして、その権利を行使して自分たちの経済的機会を拡大した。結果として、根本的に異なる政治的・経済的軌跡が描かれ、それが産業革命で頂点に達したのである。

産業革命とそれが解き放ったテクノロジーがエジプトに広がらなかったのは、その国がオスマン帝国の支配下にあったからだ。オスマン帝国はエジプトを、のちのムバラク一族と同じように扱った。一七九八年、オスマン帝国のエジプト支配はナポレオン・ボナパルトによって崩壊させられた。だが、エジプトはその後、イギリスの植民地支配を受けることになる。オスマン帝国と同様、イギリスはエジプトの繁栄の後押しにはほとんど興味がなかった。

エジプト人はオスマンとイギリスの両帝国を追い払い、一九五二年には君主制を打倒した。ところが、これらの出来事はイングランドにおける一六八八年の出来事とは違い、革命ではなかった。工ジプトの政治を根本的に変えることはなく、また別のエリートに権力を渡してしまったのだ。このエリートたちは、オスマン帝国やイギリスと同じく、ふつうのエジプト人のために繁栄を遂げることには無関心だった。結果として、社会の基本構造は変わらず、エジプトは貧しいままだった。

本書でわれわれは、こうしたパターンが時とともにいかに再生産されるのかを、また、時としてそれが——一六八八年のイングランドや一七八九年の革命時のフランスのように——改まるのはなぜかを研究する。これによって、こんにちエジプトの情勢が変化したのかどうかが理解しやすくなるだろう。また、ムバラクを打倒した革命が、ふつうのエジプト人に繁栄をもたらしうる新たな一連の社会制度につながるかどうかも理解しやすくなるはずだ。

エジプトは過去にいくどか革命を経験したにもかかわらず、状況は変わらなかった。革命を起こした人々が、みずからが追放した人々から支配権を引き継ぎ、似たような体制を再構築したにすぎなかったからだ。一般市民が真の政治権力を手に入れ、社会のあり方を変えるのはたしかに難しい。だが、それは可能である。われわれは、イングランド、フランス、合衆国で、また日本、ボツワナ、ブラジルで、それがいかにして起こったかを見ることになる。本来、貧しい社会が豊かになるために必要なのは、この種の政治変革である。それがエジプトで起こりつつあるかもしれない証拠がある。タハリール広場のもう一人の抗議者であるレダ・メトワリーはこう主張した。「いまや、イスラム教徒とキリスト教徒が一丸となっているのがわかる。

いまや、老いも若きも一丸となっているのがわかる。誰もが同じことを望んでいるのだ」。われわれは、そうした幅広い社会運動が、これらの別の政治変革における出来事の鍵だったことを見るはずだ。こうした転換がいつ、なぜ起こるのかを理解すれば、その種の運動が従来よくあったように失敗すると予想されるのはどんな時であり、運動が成功して多くの人々の生活が改善されると予想されるのはどんな時なのかを評価するのに、われわれはより有利な立場にいることになる。

ダロン アセモグル (著), ジェイムズ A ロビンソン (著), 稲葉 振一郎(解説) (その他), 鬼澤 忍 (翻訳)
出版社: 早川書房 (2013/6/21)、出典:出版社HP