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チョコレートが美味しい理由
本書の特徴として、「チョコレートはなぜ美味しいと感じるのか」を科学的に解説しているという点が挙げられます。仕組みを理解することで、普段何気なく食べているチョコレートも一層美味しく感じられるかもしれません。
はじめに
「遠い昔、山の向こうからカカオがやってきた。」
チョコレートの故郷である中南米地方。その中のメキシコ・チャパス州、ソコヌスコの農家の主人ホルへさんは、こう言いながら、はるか昔と同じように、カカオとトウモロコシを井戸水と混ぜて、冷たい飲みものをつくってくれた。その山のはるか向こうには、パナマ地峡、コロンビア、ベネズエラを越えて、カカオの原産地であるアマゾン川上流域がある。
アフリカを発した人類が、数万年の旅を終えてメソアメリカに到達したのは、約一万二千年前である。熱帯雨林に住み着いた人々は、やがてそこに育つカカオの木の実(カカオポッドという)を食べ始めた。最初はポッドの中の白いパルプだけを食べていたが、まもなくカカオ豆も食べだした。
それから、カカオ豆の食べ方はいろいろに変化した。何千年もの間は、冷たくして飲んでいた。ところが、今から約五○○年くらい前にヨーロッパにカカオが入ると、甘くて香ばしい温かい飲みものとなり、約一六○年前に現在のような、食べるチョコレートが生まれた。よく考えてみると、これは不思議な話である。なぜならば、これだけの長い時間をかけて食べ方を大きく変えてきた食品は、チョコレート以外には見当たらないからである。
他にも、たくさん不思議なことがある。たとえば、カカオの木の学名は「神の食べ物」(ギリシャ語で「デオブロマ」)であるが、なぜこのような学名が与えられたのであろうか?また、チョコレートの味が生まれる仕組みも変わっている。生のカカオ豆が渋くて食べられないので、ローストしなければならないのはコーヒーと同じである。しかしコーヒーと違って、カカオ豆だけを取り出してローストしても、チョコレートの味は生まれない。
では、どのようにしてあの味が生まれるのであろうか?実はこれらの不思議には、カカオからチョコレートになるまでに繰り広げられる、自然と人間のさまざまな営みが深くかかわっているのである。熱帯雨林で生長するカカオの木と、それを支える気温、湿気、土壌、熱帯樹林、鳥、虫などの多様な自然。高温高湿の熱帯地方でカカオを生産する人々や、現代のチョコレートに育てた多くの職人や科学者・技術者たち。とりわけ、カカオ豆を食べられるようにした古代メソアメリカの人々の果たした役割は、きわめて大きい。
本書では、「神の食べ物」であるカカオがチョコレートになるまでの長い歴史を振り返りながら、その中で重要な役割を果たしてきたさまざまなサイエンスに光を当てたい。カカオとチョコレートの不思議を理解する一助になればと願いながら、本書を古代メソアメリカの人々に捧げたい。
2011年9月
佐藤清隆 古谷野哲夫
目次
はじめに
序章 お菓子の王様
華やかなプレミアムチョコレートの世界/チョコレートの種類/チョコレートの作り方/チョコレートの故郷ではチョコレートが作れない!/飲むチョコレートから始まった/カカオとの遭遇/サイエンスのロマン
第一章 チョコレートの故郷の風景
1.1 カカオ豆の買付所
1.2 カカオの木
1.3 豆の収穫
1.4 発酵と乾燥
第二章 カカオ豆の発芽
2.1 カカオの生涯
2.2 アオギリ科とカカオの木
2.3 発芽と生長
2.4 アグロフォレストリー
第三章 カカオの花の受粉とポッドの生育
3.1 受粉
幹生花/カカオの花の構造/コスタリカのカカオの花の受粉
3.2 カカオの病害
第四章 カカオ豆の発酵と乾燥 チョコレートは発酵食品
4.1 カカオ酒
4.2 カカオの発酵
発酵とは/日本酒、ワイン、カカオの発酵の比較/カカオ豆の発酵の目的と特徴/さまざまなカカオ発酵の方法/カカオ発酵のダイナミクス
4.3 カカオ豆の乾燥
4.4 「チョコレートの南北問題」
第五章 カカオ豆の焙炒と香りの誕生
5.1 食べ物のおいしさと匂い
5.2 匂いの感じ方
5.3 カカオ豆の焙炒
5.4 香りの前駆体
5.5 チョコレートの香り成分
5.6 チョコレートの香りの生理効果
第六章 メソアメリカの人々がカカオを飲む
6.1 人類がメソアメリカへ到達
6.2 メソアメリカー
6.3 トウモロコシ、そしてメタテとマノ
6.4 メソアメリカにおけるカカオの飲み方
古代の人々/現代の人々
第七章 ヨーロッパ人がカカオと遭遇
7.1 スペインとコロンブス
イスラムからの解放と統一スペインの誕生/イスラム世界/コロンプスとカカオの「発見」/世界の分割
7.2 コロンブスはどこの生まれか?
「イタリア人」説と「カタルニア人」説/カタルニアとは?/「カタルニア人」説の根拠
第八章 メソアメリカから世界へ
8.1 スペインによるメソアメリカの征服
8.2 カカオが世界へ
8.3 クリオロ・フォラステロ・トリニタリオ
カカオ豆の種類/クリオロを求めて再びメソアメリカへ/先住民の呪い(?)
第九章 カカオがヨーロッパで華麗に変身
9.1 スペインにおけるカカオ
9.2 カカオの変身は修道院から
9.3 カカオの華麗な変身を支えたバニラと砂糖
バニラ/砂糖
9.4 欧州の宮廷へ
9.5 カカオのライバル登場
第十章 「飲むココア」と「食べるチョコレート」の誕生
10.1 「チョコレートの父」の国
10.2 オランダとカカオ貿易
10.3 ファン・ハウトゥンの発明
ココアパウダーの製造/アルカリ化
10.4 ウェースプ博物館
10.5 ついにできた「食べるチョコレート」
第十一章 現代のチョコレートの完成
11.1 スイスとチョコレート
チョコレート好きのスイス人/多くの発明家たち
11. 2 ミルクチョコレートの誕生
水と油を混ぜるには?/濃縮ミルクの利用
11.3 コンチングの発明
なめらかな舌触り/焙炒とコンチングは最高機密/チョコレート製造における粘性の役割
11.4 テンパリング
微妙な温度調整/テンパングの仕組み
第十二章 チョコレートの未来
12.1 チョコレートへの誤解を解く
虫歯になる?/鼻血が出る?/太る?/にきびができる?
12.2 チョコレートと健康
動脈硬化の予防/抗ストレス効果/ガン予防/その他
12.3 チョコレートのおいしさは何で決まるか?
口どけ
12.4 広がるチョコレートの世界
スイーツ・飲み物/高齢者用食品/カカオ入りの料理
12.5 カカオの木の改良と遺伝子工学
12.6 日本でカカオを栽培できるか?
12.7 絵画や物語に出てくるカカオ、チョコレート、ショコラ
12.8 チョコレート石鹸
終わりに
カカオとチョコレートに関連する年表
参考文献
序章 お菓子の王様
チョコレートは、「お菓子の王様」である。室温では硬くてパリッと割れるが、口に入れるとスーッと融け、口いっぱいに甘さと苦さとまろやかな香りが広がって、人々を魅了する。世界中のどこにいっても、十人中九人は「チョコレートが好き」と答える。残る一人は、チョコレートにまつわる迷信にとらわれて「食わず嫌い」になっているに違いない。
その迷信とは、「チョコレートを食べると太る」、「にきびができる」、「虫歯になる」、「鼻血が出る」などである。いずれも根拠はないが、頭の隅に引っかかる。それでも、いったん口に入れればそれを忘れるほど、チョコレートのおいしさは人々をひきつける。小売金額で比較すると、日本のお菓子の中でチョコレートは、和・洋生菓子に次いで三番目の売り上げであるにもかかわらず、チョコレートが「お菓子の王様」と呼ばれるのは、それが世界中の人々に愛されているからである。
日本のお菓子の年間売上高(2009年度)
綿菓子 | 2550億円 |
チョコレート | 4180億円 |
チューインガム | 1580億円 |
せんべい | 760億円 |
ビスケット | 3440億円 |
米菓 | 3280億円 |
和生菓子 | 5040億円 |
洋生菓子 | 4610億円 |
スナック菓子 | 4030億円 |
国際的に比較すると、日本のチョコレートの消費量は大変少ない。日本人の、一人当たりのチョコレートの年間消費量は、国際菓子協会/欧州製菓協会の調べでは2011年度は2.2kgで、最近十年間でほとんど変わらない。
ところが海外では、ドイツが11.6kgに、次いでスイスが10.6kg、イギリスが9.8kg、デンマークが8.2kgと続き、他にはフランスが6.6kgに、ベルギー5.7kgなどである。ヨーロッパの南にあるスペインやイタリアでは消費量が少ないが、それでも3.2kg、4.1kgである。一年に11kgというと、一日平均で30kg以上となる。大きな生チョコが一つ9gほどだから、ドイツの人々は、それを毎日、3つ食べていることになる。
・華やかなプレミアムチョコレートの世界
銀座や丸の内の高級チョコレート店では、一粒が数百円もするプレミアムチョコレートが人気を集めている。高級デパートで毎年開かれる展示会では、ヨーロッパからわざわざ自分の店を休んで来日するショコラティエの店に、長い行列ができる。
チョコレートは室温で固まるので、それを利用した芸術作品ができる。図0・1は、二〇一一年にデパートの伊勢丹新宿店で開かれたサロン・デュ・ショコラで展示された、水野直己氏のオブジェである。水野氏は「ワールドチョコレートマスターズ2007(パリ)」で世界一に輝いたパティシエであるが、ボールも扇も蝶々も、すべてがチョコレートでできている。
高級チョコレートのブームは、日本に限らない。たとえば「世界一のチョコレートの座」をめぐって、ベルギーとスイスがしのぎを削っている。ベルギーが国家プロジェクトとしてゲント大学をチョコレート研究の拠点に指定したかと思えば、スイスの有名なチョコレートメーカーは、プレミアムチョコレートの研究開発センターを立ち上げている。いずれも、高級チョコレートの消費がもたらす莫大な経済効果を見据えているのである。
・チョコレートの種類
チョコレートといっても、さまざまな種類がある。板状のものや、ナッツを中に含んだボール状のチョコレート、果汁やリキュールを含んだ柔らかいチョコレート、クッキーの上にのったものもある。スイスの小さな店で見たチョコレートは、上質のハムのような仕上がりにしてあった.。
このように、「形」でチョコレートを区分する方法もあるが、基本となるチョコレートの種類は、その中に含まれる成分によって分類される。
スイートチョコレート(ダークチョコレートとも言う)は、褐色のカカオマス、室温で固まる油脂(無色)であるココアバター、そして砂糖から成っている。カカオマスとは、焙炒したカカオ豆の胚乳部を取り出してすり潰したものである。
ミルクチョコレートは、それに粉乳を加える。一方、ホワイトチョコレートにはカカオマスが含まれない。また生チョコ(ガナッシュ)は、スイートチョコレートと生クリームを混ぜて融かして固めて作るが、10%以上の水分が含まれる。
最近、糖分を控えたチョコレートが人気を集めているが、糖分の量を数字で表しており、100からその数字を引いた分だけ糖分が入っている。たとえば、「カカオ99%」というチョコレートでは糖分はほとんど含まれておらず、「カカオ78%」では、約22%が糖分である。何も書かれていない場合は、約45%が糖分である。
・チョコレートの作り方
チョコレートの出発原料は、カカオ豆である。後で詳しく述べるので、ここでは簡単に説明する。
ココアもチョコレートも、カカオ豆を発酵させて乾燥させたあと、焙炒する。その後、チョコレートの場合は、カカオ豆を融かして固めて食べる。ココアの場合は、焙炒したカカオ豆から油脂を抜いて粉末にしたものに、お湯やミルクを入れて分散して飲む。
この一連の流れの中で、乾燥まではアフリカ、東南アジア、中南米などの熱帯雨林地方で行われる。すなわち、カカオ農園でカカオの木を育て、花を咲かせてカカオ豆を作り、それを取り出して発酵させ、乾燥する。その熱帯雨林地方が、「チョコレートの故郷」である。乾燥されたカカオ豆は、船便で温帯や寒帯地方にあるチョコレート工場に運ばれて焙炒され、ココアとチョコレートができる。
温帯の日本にいると、チョコレート工場などでカカオ豆からチョコレートを作る過程は身近な感じがする。しかし、熱帯雨林でカカオがどのように育ち、カカオ豆が工場に運ばれてくるまでどのような作業が行われているかについては、ほとんど知られていない。しかし、おいしいチョコレートができるためには、カカオ豆が船積みされるまでのプロセスが極めて重要である。
最近は、そのことに世界中のチョコレートの専門家が注目している。熱帯雨林でのカカオの栽培から十分に手をかけられることによって、上質のチョコレートが作られるのである。そのことが、これからのチョコレート作りの新しい潮流になると思われる。そこで、本書の前半では、熱帯雨林で行われているカカオの栽培や、豆の発酵について詳しく述べる。
・チョコレートの故郷ではチョコレートが作れない!
「チョコレートの故郷」では、華々しいプレミアムチョコレートの世界とはまったく異なる風景がある。
カカオ豆が栽培される地域は、高温高湿の熱帯雨林地方に限られる。もちろんそれには理由があるのだが、チョコレート製造国へ輸出するため、生産地の人々はカカオの木の栽培から、カカオ豆の採集、発酵、乾燥と休みなく働くが、いずれも過酷な労働である。
ところが皮肉なことに、カカオの生産地では食べるチョコレートは作れない。なぜならば、チョコレートがパリッと割れるのは、カカオ豆の中のココアバターが固まるためであるが、熱帯雨林地方では気温が高いために、ココアバターが融けてしまうからである。
「チョコレートの故郷ではチョコレートが作れない」
このパラドックスを解く鍵は、カカオ豆にある。カカオ豆は、カカオの木の花が受粉して、木の実である「カカオポッド」が生まれ、それが成熟してポッドの中で大きくなる。その豆がポッドの外に出て発芽し成長し、成木となり、花を咲かせて、またカカオポッドが育つ。
そのようなカカオの木の生涯の中で、最初にカカオ豆が発芽して葉を繁らせて、光合成で自立できるまでの主な栄養が、豆の主成分であるココアバターである。もし、温度が下がってココアバターが固まれば、栄養素に分解できないので豆は発芽できない。つまり、カカオの木は、発生したその瞬間からココアバターを融かさなければならないのである。
したがって、カカオ豆の生産地で「食べるチョコレート」を作ることはできないのである。ココアバターを固めて「食べるチョコレート」にしたのは、カカオが涼しいヨーロッパに持ち込まれてからである。
・飲むチョコレートから始まった
チョコレートの故郷では、人々は昔から焙炒したカカオ豆とトウモロコシを磨砕して混ぜ、砂糖も入れないで冷たい水に溶かして飲んでいた。その飲み方は、何千年も昔から現在まで続いている。
メキシコ南部のチャパス州ソコヌスコは、その昔、アステカ時代に皇帝に捧げるカカオの栽培で大変に栄えた。そこに住む農家の主人によれば、塩をまぶした緑トウガラシをなめながら、皆少したトウモロコシとカカオを冷たい水に混ぜた「パツォル」と呼ぶドリンクをコップ二杯飲めば、朝から昼まで仕事ができるという(口絵写真6)。彼は「遠い昔、山の向こうからカカオがやってきた。それ以来、ずっとこうして飲んでいる」と語った。
・カカオとの遭遇
そもそもカカオと動物の出会いまでさかのぼれば、カカオ豆の周りにへばりついている甘酸っぱいカカオパルプを食べることから始まった。サルやリスなどの動物は、パルプに十数%含まれている糖分を求めたのである。
しかし、生のカカオ豆は強烈に渋くて苦く、とても食べられない。動物はパルプを食べたあとで、豆を捨てていたのである。一方、カカオの木からすれば、甘いパルプで動物を引き寄せ、豆をまき散らすことによって、自らの生存条件を有利に展開した。人類も動物と同じように、最初はパルプを食べ、それをお酒にしていた。ところがあるとき、何らかの偶然か、あるいは意図的に、発酵したカカオ豆を焙炒することを知った。そうすると、生の豆の強烈な渋みが和らいで、芳しい香りが生まれることがわかって、飲み始めた。そして、その飲み物が滋養に満ちていることもわかった。
それから人々は、カカオ飲料を「不老長寿の飲み物」として大事に育てた。五百年前にカカオはヨーロッパに渡り、人々を魅了した。1753年にスウェーデンの植物学者リンネは、カカオの学名を「テオブロマ(ギリシャ語で「神の食べ物」)」と名づけた。その後に数々の発明を経て、現在の「食べるチョコレート」と「飲むココア」となった。
・サイエンスのロマン
アフリカを発した人類が、数万年の旅を経て「チョコレートの故郷」に到達してカカオに初めて接してから、チョコレートを食べるまでの数千年を越える歴史を振り返ると、偶然と必然の織り成すさまざまなサイエンス・ストーリーに満ちていることがわかる。すなわち、カカオからチョコレートが生まれた歴史に、生物学はもちろん、脂質科学、食品化学、食品物理学、食品栄養学、食品工学などのサイエンスや、ヒューマンなドラマが顔をのぞかせる。
本書では、そのようなサイエンスに彩られたロマンをたどりたい。まずは、「チョコレートの故郷」に足を踏み入れてみよう。